06/03/2026

Dia: 19 de outubro de 2015

ニッケイ新聞 2015年10月15日 外交120周年を記念し、今月28日にご着聖される秋篠宮文仁親王ご夫妻の歓迎会が文協大講堂(Rua Sao Joaquim, 381)で午後5時から行なわれる。日系5団体主催。 入場整理のため、23日までに文協へ申し込みが必要。出席希望者は電話もしくはメールで、氏名と身分証明番号を伝えること。 また一般入場は午後2時から30分間のみ。歓迎会は同5時から6時まで。 申し込み、問い合わせは文協(電話=11・3208・1755、メール=contato@bunkyo.org.br)まで。
クエルナバカで母子が再会 2日目の9月26日、朝から小雨が降っているが、一行は午前8時半に3台のバスに分乗してホテルを出発。南に約90キロの距離にある観光地でモレロス州都のクエルナバカ市を目指した。 前日の団員からの不満の声が効いたのか、第2グループのガイドは非日系のメキシコ人ながら日本語が堪能なセサル・マルティネスさん(32)が同行してくれた。 セサルさんは、国立自治大学(UNAN)でグラフィック・デザインを勉強した際に、日本語、ドイツ語、イタリア語のいずれかの選択を勧められ、日本語を18歳の時に専攻したしたという。卒業後はテレビ局や旅行会社などを経てガイドになるための勉強を2年間行い、その間、日本語を独学で学習してきたという努力家だ。 そのため日本文化に興味があり、これまでに3回訪日している。桜の開花時期に合わせて今年4月にも日本を訪れ、新しく開通した北陸新幹線を利用して東京から石川県金沢市を訪れたほか、長野県や熊本県まで足を伸ばしたそうだ。 セサルさんの説明によると、メキシコシティの人口は約2000万人と多く、中心となるメキシコ連邦区(DF)だけで約900万人が住んでいる。気候は乾季(10月~5月)と雨季(6月~9月)と半年ごとに分かれており、雨季である(9月26日)現在は、夕方から夜にかけて雨が降り、昼前には晴れることが多いという。 また、メキシコシティ周辺は3000メートル級の山々がそびえ、隣州に行くにはこれらの山々を越えて行かなければならないとも。 ふるさと巡り一行は、バスで約30分の地点の大学都市で一時停車。1968年に開催されたメキシコ五輪競技場前で各自写真撮影を行った。学園都市は自然保護地区に指定されているとし、ビル群が建ち並ぶメキシコシティから一転、緑豊かな風景へと変わった。 一行が乗ったバスは約3000メートルの山を越え、標高約1500メートルのクエルナバカへ。同地に近づくと気温も上がり、セサルさんの説明通り、午前10時ごろには太陽が出てきた。午前10時過ぎにクエルナバカに到着。草川和田明子さん(74、2世)は、同地に住む娘の小木曽春美さん(50、3世)と7年ぶりの再会を果たし、抱き合って喜んでいた。 「煙を吐く山」という意味を持ち、メキシコで2番目の高さを誇るポポカテペトル山(標高5426メートル)。その山麓にあるクエルナバカ大聖堂(標高約1500メートル)は16世紀初頭に創られたメキシコでは最も古い修道院群の一つで、1994年に世界遺産に登録されている。我々一行が訪問した際は、大聖堂の外観は工事を行っていたが中は入ることができ、豊臣秀吉の命令で長崎で殉教した宣教師たちの壁画があった。 クエルナバカ大聖堂を見学した一行は、午前11時10分に出発し、次の観光地であるゲレロ州タスコへ市と向かった。(つづく、松本浩治記者) サンパウロ新聞 2015年10月16日付
非日系のジョアン・マチアスさん ブラジル富山県人会(市川利雄会長)創立55周年記念式典参加のためにブラジルへやって来た慶祝団の中に、一人のブラジル人青年がいた。青年の名はジョアン・マチアスさん。サンパウロ州出身の26歳で2012年から富山県の国際課国際交流員として働いている。富山県の友好奨学金を使い、サンパウロ総合大学(USP)で日本語学習をしたブラジル人が、富山県の一員としてブラジルへ戻って来た。流暢な日本語を操り、話を聞いただけでは外国人が話す日本語には聞こえない。各式典や会合では慶祝団の通訳業務に奮闘する合間を縫って話を聞いた。 ジョアンさんが日本語の学習を始めたのはUSP。幼い頃から外国語に興味があり、特に英語が好きだったそうだが、中学、高校と英語の勉強はやり尽くした感があった。そこで「英語の次に(アニメやゲームなどで)馴染みがあった言語が日本語だった」ことから文学部の日本語学科へ入学した。 在学中に富山県が主宰する友好奨学金制度があることを知り、応募したところ合格。2年間、日本語学習に没頭した。受給終了後も「どうしたらもっと日本語が上達するだろう」と自問自答していたところ、USPの留学制度があることを知り、応募。見事合格し、大阪で1年間日本語を学んできた。その1年間を通じ、日本は暮らしやすい国だと感じ、住みたいと思うようになったという。 現在は日本の地方自治体と各省、一般財団法人自治体国際化協会が主催する「JETプログラム」の一員として富山県国際課で働いている。「富山県の友好奨学金で勉強した自分の赴任地が富山。縁がある土地で働けて嬉しいし、少しは(県に)恩返しできてるかな」と笑う。 USPでは今年奨学金を受給する後輩や、恩師とも再会した。受給認定証授与式では、彼らの前で司会の通訳を堂々とこなす姿を披露。USPの教授も「立派に育ってくれて嬉しい」と目を細めた。ジョアンさんも「恩師らとの再会は嬉しかった。先生のお陰でここまでたどり着いたので感謝の気持ちでいっぱい」と話し、日本語であいさつした後輩の姿に「日本文学や文化の研究を頑張っているようで誇らしい」と先輩の顔をのぞかせた。 今回の富山県とサンパウロ州友好提携30周年式典での通訳も務めたが、「実は通訳の経験があまりないので、仕事前は緊張する。本番ではそんなことも言ってられないので、やるしかない」と意外な言葉が返って来た。 富山県に研修へ行き、30年前の式典で通訳を務めた先輩である新城真利枝さんは「私は式典前日は緊張して眠れなかった。彼の日本語にはアクセントもないし、私より上手」と後輩を褒め称えた。 約1年ぶりの帰国となったが「サンパウロは相変わらず交通量が多い」と苦笑い。「富山は都会過ぎず、田舎過ぎず住むのに快適。市内中心部に住んでいるので自転車でどこへでも行けるし、東京に行かなくても何でも手に入る。富山が大好きだから、富山にずっと住み続けたい」と話していた。 サンパウロ新聞 2015年10月16日付
日本ブラジル外交関係樹立120周年を記念して秋篠宮ご夫妻が来伯される28日午後5時から同5時45分まで、サンパウロ市リベルダーデ区の文協記念講堂(Rua São Joaquim,381)で日系5団体共催による歓迎会が開催される。 当日の出席希望者は入場整理のため、名前、身分証明番号をメールか電話で文協事務局への申し込みが必要。申し込み期限は今月23日まで。 なお、当日の入場時間は午後2時から同2時半までで、文協では「警備の関係上、入場時間を厳守いたします。ご理解くのほど、よろしくお願いいたします」と呼び掛けている。 申し込み、問い合わせは文協事務局(電話11・3208・1755、contato@bunkyo.org.br)まで。 サンパウロ新聞 2015年10月15日付
メキシコシティ歴史地区へ 日本メキシコ学院を出発した一行は、昼食のためにメキシコシティ歴史地区へと向かう。 市内に入ると、バスの車窓からは建物の屋上からメキシコの国旗を表す緑、白、赤色の大きな幕が垂れ下げられているのが見え、メキシコ国旗もそこらじゅうではためいていた。 メキシコ人ガイドが説明してくれるが、スペイン語しか話さないので要領を得ず、当初は1985年に発生したメキシコ地震から今年で30周年を記念してたくさんの国旗が掲げられているものと思われた。しかし、後日、日本語の分かる別のガイドに聞くと、9月は独立記念日があったからと教えられた。 また、歴史地区に入ると、男性は短パン一つ、女性は上半身を露わにしたメキシコの原住民と見られる人々が巨大な横断幕を掲げ、マニフェスト(政府への抗議運動)を行っていた。 午後2時、遅い昼食を市内歴史地区のソカロ中央広場に面するホテル「マジェスティック」の7階で取る。同所は中央広場が一望できる観光ポイントでもある。 記者と同席した山下美佐尾さん(73、2世)は、コチア青年2次4回生の夫・山下哲男さん(75、鹿児島)と一緒に初参加。サンパウロ州バルジェン・グランデ市に住み、同地のADESC(農協婦人部連合会)仲間に誘われたという。 「10年ほど前までは養鶏をやっていたので、なかなか家を空けることができなかったけれど、今はADESC一本」で活動しているとし、バルジェン・グランデの月2回開催されるADESCのフェイラで、焼きそばや天ぷら等を販売しているそうだ。 メキシコの印象について美佐尾さんは「少し昔のブラジルという感じで落ち着きがある」と率直な感想を述べ、「ファミリアで行く旅行もいいけど、このツルマ(ふるさと巡り一行)で大勢で行くのも楽しみがあるよね」と笑顔を見せていた。 昼食を済ませた一行はグループごとに分かれて、ソカロ中央広場に面するメトロポリタン大聖堂などを見学した。しかし、メキシコ人ガイドのスペイン語が分かりづらく、日本人が多い我々第2グループのメンバーからは「せっかく説明してもらっても、言葉が分からない」と不満の声が複数から挙がっていた。 この日の公式スケジュールを終えて、午後5時ごろホテルにチェックインした一行だが、90人もの団員がホテルに2台しかないエレベーターを使用するため、ロビー周辺はしばらくの間、ごった返していた。 夕食は午後7時に団員全員がホテルで取ると言われていた。しかし、遅い昼食だったために夕食には時間が早いことと、公式行事がこの日は終了したため、記者たちはブラジルから同行した日系ガイドに「夕食は公式行事ではなく自由参加であること」を確認し、同ガイドの了承を得た上で外出。メキシコシティの庶民の雰囲気を楽しんだ。 しかし、翌日の9月26日の朝食の時、前日の夕食の席に山田彰(あきら)駐メキシコ日本国大使が出席したことを県連関係者から聞き、面食らった。山田大使は9月26日夜に予定されていた日墨協会(和久井伸孝会長)主催の歓迎夕食会には所用で出席できないために、その前日にふるさと巡り一行に顔を見せたという。夕食会では山田大使自ら団員の各テーブルを一つずつ回って交流を深めたことを伝え聞いたが、「後の祭り」だった。(つづく、松本浩治記者) サンパウロ新聞 2015年10月15日付
充実した施設と設備に感嘆の声 ふるさと巡り一行は、3グループに分かれて日本メキシコ学院内を案内してもらった。 我々第2グループは、日本コース総校長で同学院に赴任して2年になる平居繁和氏に同行してもらうが、それにしても広い。敷地内には、日本コースとメキシココース及び幼稚園のそれぞれの校舎をはじめ、1周200メートルの陸上トラック、体育館、講堂、温水プール、コンピューター教室などが完備されている。また、毎年の行事として運動会、太鼓演奏会のほか、サッカーや野球の活動もあるという。 平居氏によると、メキシココースの生徒は900人で、日本コースは小学生115人、中学生31人の計146人。メキシココースの高等部には約120人が在籍し、中学部から入部する人材が多く、日本コースを履修した生徒が高等部を経てメキシコの大学に入るケースもあるそうだ。 日本コースの生徒の約8割は日本からの企業駐在員子弟。残りの2割は日本人とメキシコ人の混血児で、完全なメキシコ国籍者も2人が在籍している。 メキシココースは9月に新学期が始まり、授業時間は午前7時から午後3時まで。一方の日本コースは、日本の文部科学省の認可を得て日本の教科書を使用するなど本国と同じカリキュラムで行っているため、毎年4月に新学期となり、平日の授業時間は午前8時から午後4時までとなっている。日本コースの教師は日本から14人の現職教師が派遣されているほか、現地採用教師、メキシコ人教師、カウンセラー、保健士等を含めて20人以上の教員体制が取られている。 ふるさと巡り一行が同学院を訪問したのは9月25日の金曜日。月に1回、月末の金曜日に開催されている「教師研修」が実施されていたため、この日は残念ながらメキシココースの生徒の姿はなかった。 それでも日本コースの授業の様子を学年別に見学させてもらうと、低学年の教室では「ハイ、ハイ」と手を挙げ、教師の質問に答える生徒の明るい声が響いていた。 学年ごとにクラスが分かれており、掲示板には書道や絵画の作品が掲示され、卒業生の記念制作品も飾られているなど、日本の学校とほとんど変わらない。 卒業生と言えば、同学院の卒業生がメキシコに約800社が進出している日本企業に就職している例も少なくないようで、「日本語とスペイン語を話せる人は引っ張りだこの状態」(平居氏)という。 また、同学院で11月に開催される運動会には、メキシコ人の父兄なども含めて毎年約4000人が参加する大規模なものになり、「特に綱引きは参加人数の制限がなく、綱を持てるだけ皆が参加するほど人が多いです」と平居氏。「メキシコ人は一般的に親日的で、日本人や日系人に対する評価は高いです」と話す。 きれいに整備された校舎や陸上トラック等の施設を見学しながら、ふるさと巡り一行からは「こんな所で勉強できたらいいでしょうね」と感嘆の声が挙がっていた。 リオ市に住み、リオ日伯文化協会で料理の講習などを行っているという村越利江さん(75、神奈川)は、「本当に素晴らしい学院です。来て良かった」と率直な感想を語っていた。 見学を終えた一行は、入口付近で記念撮影を行い、日本メキシコ学院を後にした。(つづく、松本浩治記者) サンパウロ新聞 2015年10月14日付