06/03/2026

Dia: 5 de novembro de 2015

ニッケイ新聞 2015年11月5日 【既報関連】広島県の伝統芸能『広島神楽』の来伯公演が25日、文協大講堂で行われた。県内に100以上ある神楽団の中の選抜演技団25人は、『紅葉狩・八岐大蛇』の2演目を見事に演じ、2階席までほぼ埋まった会場を興奮の渦に巻き込んだ。 「紅葉狩」は平維茂が道に迷っていたところ、鬼の化身と気づかず姫の宴に加わってしまい、紅葉に心を奪われてしまうという物語。鬼との立ち回りは迫力があり、華麗に刀を振り回す姿に開場は魅了された。 「八岐大蛇」は8つの頭を持つ大蛇を須佐之男命が酒で酔わせた上で、勇猛果敢に一人で一体ずつ退治していくという物語。 大蛇は長さ7メートルほどもあり、光る目とうねうねと動き回る姿が不気味な印象を与えた。大蛇が威嚇するように観客に迫ると、この日一番の奇声にも近い大歓声が沸き起こった。 また2演目の間には、「恵比寿」が海外唯一の神楽団「ブラジル神楽保存会」によって演じられた。演技中に奏でられる奏楽には訪問団から一人加わり、初の日伯共演も実現した。 終演し、演者全員がステージに立つと、来場者総立ちで大きな拍手を送った。なおプログラムには、日ポ両語で解説が添えられ、難しい言い回しで進む物語の配慮が行き届いていた。 会場を訪れていた丹治隼人さん(34、二世)は広島県人2世だが神楽を見るのは初めてで、「迫力演技に驚いた。広島にこういう芸能があることを知れて良かった」と感心の様子だった。
ニッケイ新聞 2015年11月4日 【既報関連】広島文化センター(平崎靖之会長)の『創立60周年記念式典』が先月25日、文協大講堂で行われた。総勢65人の大慶祝団には、湯崎英彦知事、平田修己県議長、広島市松井一實市長、永田雅紀市議長を迎えた。全都道府県で最多の約1万4千人の移住者を送り出した同県。ベレン、ポルトアレグレからも関係者が駆けつけ、500人がセンターの還暦を盛大に祝した。 平崎会長は挨拶で、「祖父から孫の代まで寄り合え、そして全伯に散らばる県人を繋ぐことがセンターの役割。母県からの支援はもちろん、会員相互の結束に感謝する」と謝辞を述べた。 湯崎知事は「県人の活躍は県の誇りであり、宝。里帰りの際は大いに歓迎する」と語り、若い世代に向け、「いつか両国を繋ぐ架け橋になって欲しい」と期待を話した。 松井一實市長は、「絆を大切にしてもらっている」と昨年の夏の土砂災害へのセンターからの義捐金について感謝を述べ、広島県出身の中前隆博在聖総領事は県人の歴史を紐解き、「笠戸丸に42人が乗船して以来、各面で多くの県人が活躍している」と称えた。来賓には、日系3団体代表、日系の連邦、州、市議や海軍将校の姿もあった。ジェラルド・アルキミン聖州知事も祝辞を寄せた。 東広島市、町村会、日伯協会を含む計7団体から県の郷土工芸品が贈られ、センターからも絵画等を贈り友好を深めた。 高齢者13人、功労者4人に湯崎知事から表彰状が授与された。功労者の元会長・落久保博さんは挨拶で、会館設立時の母県の支援に言及、「今では多くの人に利用されている。感謝を伝えたい」と県人の声を代弁。 また県費留学生、技術研修員OBを代表し、前会長だった大西博巳さんが「日本での経験が、その後の人生の出発点になった」と謝意を表した。 昼食開場に移動した一行は、ケーキカット、鏡割のあと乾杯し、しばし歓談を楽しんだ。会場にはパラー州ベレンの北伯広島県人会の越知恭子会長や、南大河州ポルトアレグレ文協の谷口浩会長の姿もあり、全伯から集まった県人が60周年の節目に改めて結束を確かめ合っていた。
第一歩を踏みだした記念の地訪問 午後6時過ぎ、マデロ海岸付近に到着。同地には、1997年5月に「榎本殖民団」100周年を記念して建立されたモニュメントがあり、当時、秋篠宮殿下ご夫妻が同モニュメントの除幕式を行ったという。 既に春日カルロス氏が一行より先回りして到着しており、地元日系団体のチアパス日墨協会の松居小向マリア・アルヘリア会長らとともに一行を出迎えた。 同モミュメント前で改めて、本橋幹久県連会長及び和久井伸孝日墨協会会長が献花し、全員で先人への黙とうを捧げた。 松居会長は「ブラジルの皆様をチアパスで迎えることができて、大変嬉しく思います」と歓迎の意を表し、モニュメント前で墨伯関係者が一緒に記念撮影を行った。 その後、一行は徒歩で100メートルにも満たない距離にあるマデロ海岸に移動し、ブラジルに居ては滅多に見ることができない太平洋を拝んだ。すっかり夕景となった海岸には、熱帯特有の入道雲が横に長くたなびき、沈み行く太陽の光をさえぎった黒い入道雲がシルエットとなって浮かんでいた。 関係者に聞くと、実際に「榎本殖民団」が上陸した地点は、同地から東に数キロ行った場所だという。 ふるさと巡り旅行の常連で、現在はミナス・ジェライス州ポッソス・デ・カルダス市に住む下坂匡(ただし)さん(78、福島)は、母方の父(祖父)に当たる故・森本仙(せん)さんが19歳ぐらいの時、メキシコに行く船に密航し、強制送還されたという話を記者にしてくれた。 「祖父はメキシコに密航してからサボテン畑を逃げ回ったらしいです。その後、故郷の和歌山には帰れず、福島県いわき市に戻ったのですが、そういう話を小さい時に母親から聞いていたものですから、メキシコにはぜひ来たいと思っていました」と下坂さん。2年前にドミニカでのふるさと巡り旅行で一緒になった時は、父親の希望でドミニカへの移住を考えていた経緯を聞いたが、父親と祖父の思いを自分で体験できたことに感無量といった表情だった。 一行はホテルに向けて出発し、チェックインを済ませた後、午後8時過ぎからホテル内コンベンション会場でチアパス日墨協会主催による歓迎夕食会に出席した。 松居会長の説明によると同協会は5年前の2010年に発足し、会員数は約70人だという。協会では農業関係の活動も展開しており、ブラジルでも最近では人気が出ているモリンガや甘味料の原料となるステビアをはじめ、各種野菜類も栽培しているそうだ。 松居会長は「ブラジルの皆様にはるばるご訪問いただき、交歓できる機会を持つことができ、大変嬉しく思います」と歓迎のあいさつを行った。 この日はメキシコの日系団体との交流会最後の夜とあって、チアパス日墨協会側の配慮で、民族舞踊団の踊りも披露され、参加した一同はチアパス州での夜の催しを楽しんだ。(つづく、松本浩治記者) サンパウロ新聞 2015年10月31日付
「日本ブラジル外交関係樹立120周年」にあたる本年、ブラジル政府のお招きにより再び訪問できたことを大変嬉しく思います。1988年、日本人ブラジル移住80周年の記念式典が行われたおり、私は初めてブラジルを訪れました。今回、妻とともに再びこの地において、日系社会の皆様とお会いできましたことは大きな喜びです。 私たちは先ほど(編集部注=10月28日)、イビラプエラ公園内の開拓先没者慰霊碑に献花をしてまいりました。以前と変わらない静寂の中で、107年に及ぶ日本人移住者と日系人の歴史、そして数多の困難と、それを乗り越えてきた人々に思いを致しました。ここに、日伯両国の発展に尽され、両国の親善を体現されてきた先駆移住者に対し、あらためて深く敬意を表します。 1988年にパカエンブー競技場で行われた日本人ブラジル移住80周年記念式典では、笠戸丸でブラジルに渡られた児玉良一さんと中川トミさんをはじめ、各地から参加した人々で会場が埋め尽くされるほどでした。そして、式典の中で行われた、移民の歴史を物語る「祝・日本移民80周年祭」などが一万人という多くの人たちの絵文字によって表現されたことは大変に印象深く、30年近くを経た今でも鮮明に記憶に残っております。 また、当時お会いした私と同年代の方々が、今では日系社会の中核となり、政治、行政、経済、農業、医療・福祉、文化・芸術などのさまざまな分野において、ブラジル社会の発展に大きく貢献していらっしゃることをとても嬉しく思います。 これは、先駆移住者が築き上げてきた日本人や日系人に対するブラジル社会からの厚い信頼が継承され、皆様が弛みない努力を続けてこられたことによる賜物でありましょう。同時に、ブラジル政府や国民から温かく迎え入れられ、協力を得たことに対しても、皆様と共に、感謝の意を表したく思います。 今日では、日系人を中心とする約18万人にのぼるブラジル人が、日本に渡って在住し、若い世代においては、両国の青少年の間でも多様な交流や協力が進展しているなど、相互の往来がより盛んになっていることも、誠に喜ばしいことであります。特に若い世代の皆様が、これからも両国の友好の掛け橋として活躍されることを心から願っております。 終わりに、ブラジル日系社会のさらなる発展と皆様のご健勝、そして日本ブラジル両国の友好親善がさらに深まり発展してゆくことを祈念し、私の挨拶といたします。 ニッケイ新聞 2015年11月4日付
ニッケイ新聞 2015年11月4日 島根県人会(村上光明アンドレ会長)が「第11回慈善バザー」を8日午前10時から同会館(Rua das Rosas, 86, Praca da Arvore)で開催する。午後5時まで。入場無料。 約30店のバザリスタが出店、クリスマスプレゼントにぴったりな財布や陶器、パッチワーク等の小物を販売する。婦人部は巻き寿司やまんじゅう等の日本食を手作りする。 来社した村上会長、婦人部の浜野ビルマさんは「売り上げの一部はこどものそのに寄付します。今年最後の県人会イベントに是非お越しください」と呼びかけた。 問い合わせは同県人会(11・5071・0082)まで。
ニッケイ新聞 2015年11月4日 大阪なにわ会医療関係専門家グループ(西国幸四郎代表)主催の『健康座談会』が7日午後2時から、同会会館(Rua Domingos de Morais, 1581, Vila Mariana)で開かれる。参加費無料。 1993年から毎年開かれ、去年は約60人が参加。医療関係職に就いた同会の府費留学生・研修生のOBらで構成される「医療関係専門グループ」が主体となって運営する。 「しっかりした生活」をテーマに「記憶力」「めまいと予防」「漢方医学とめまい」「セルフケア」を主題にした講演が行なわれる。質疑応答や健康相談の時間も。 案内のため来社した山本剛介(ごうすけ)副会長は、「健康について悩んでいる方、各医療分野の専門の先生が来られます。お気軽に起こしください」と呼びかけた。 問い合わせは同会(11・5549・7226)まで。
ブラジル鳥取県人会(本橋幹久会長)は、県費留学生・技術研修制度50周年と鳥取交流センター設立20周年記念式典を8日午前10時からサンパウロ市サウーデ区の同交流センター(Rua Cesaria Fagundes, 323)で開催する。 当日は母県から林昭男副知事、斉木正一県議会議長をはじめ、民間を合わせた27人の慶祝団が来伯する。 今回の式典について本橋会長は「母県への感謝を表すこと」に重点を置いており、(1)県費留学生・技術研修制度50周年(2)鳥取交流センター設立20周年(3)「サンパウロ―鳥取友好の森」植樹の3つの記念事業を行うという。 本橋会長は「現在、留学生・研修生を母県で面倒を見るのに一人400万円がかかると聞いている。これまでに母県で約100人の留学生・研修生を受け入れてくれているので、単純計算でも4億円の経費がかかっていることになる。その意味で、いかに留学生・研修生を受け入れてくれていることがありがたいか、県に対して感謝を表すことが今回の式典の大きな目的」と強調する。 9日午前には(3)の記念植樹がマッタ・アトランチカで行われる。 鳥取県人会では現在、約30の教室があり、週に延べ500人の人々が集まるという。また、今や県人会では珍しくなった日本語教室も開いており、4カ月ほど前には幼稚園部も創設している。 さらに、17日にはコーラス部が鳥取県に自費で訪問するほか、留学生・研修生OBたちが経費を出し合って来年3月ごろに鳥取から若い世代を招へいする予定があるなど、ブラジルと母県をつなぐイベントが目白押しとなっている。 本橋会長は、当日の式典への参加を呼び掛けている。詳細は同県人会(電話11・2276・6032)まで。 サンパウロ新聞 2015年11月4日付
重国籍問題など7大会宣言を決議 【東京支社=瀬頭明男】第56回海外日系人大会が27日から29日までの3日間、東京の憲政記念館、JICA市ヶ谷ビルを会場に開かれた。海外からの参加者は160人(ブラジルからの参加者は75人)で、代表者会議で熱心な討論を行ったほか、高円宮妃殿下が出席されての歓迎交流会、岸田文雄外務大臣による歓迎レセプションに出席した。代表者会議では、重国籍問題や在外選挙制度の簡素化を求める7項目の大会宣言を決議した。 ◆代表者会議同大会で最も重要視されるのが代表者会議で、3分科会に別れ様々な問題が論議され、大会宣言に盛り込まれる。今年も議論は活発で、「日本の発展と日系社会」分科会では重国籍問題、それに付随してJRのレールパスが取り上げられた。 重国籍は各国が認める方向にあり、日本は世界の流れから遅れているとの指摘が相次いだ。休憩時間には出席者たちの間で、「今は二重国籍どころか、三重国籍者だって認めている国さえ出始めている。日本は海外から見ていると、鎖国が続いているようなものだ」と、日本政府の対応の遅れを批判する声も聞かれた。 会議では重国籍に絡み、在住国と日本の両方の国籍を持つ人のレースパス使用ができない実情について、「これは、ぜひとも改善してほしい」と強い意見が出された。これに付随して、「グリーン用レールパスを購入しても、新幹線はグリーン車を連結しているのが少ない。連結している『のぞみ』には乗れないし、現状にあったものに改善してほしい」との指摘が行われた。 大会宣言に盛り込まれる要望事項については、「様々な要望が盛り込まれているが、重国籍問題一つとっても一向に改善されない。大会宣言自体が抽象的で、要望を実現するためのロビー活動をする人もいないように見受ける。ここらも改善の余地があるのではないか」という強固な意見も出された。 東南アジアからの出席者は、「日系子弟と分かり日本国籍を取ると、在住国で生まれてからその日までの罰金を取られる。これは日本国籍を取得すると、在住国の国籍を捨てなければならないためで、こんな不合理なことはない。日本が重国籍を認めれば解決する問題だ」と改善を要望する意見も出された。 ◆歓迎交流会交流会は憲政記念館で高円宮妃殿下をお迎えして行われた。海外日系人協会会長の山田啓二京都府知事が開会のあいさつ、来賓の濱地雅一外務政務官が祝辞を述べた。乾杯の後、同妃殿下は参加した日系人の間を回り、お言葉をかけられた。 海外にお出かけになる機会の多い同妃殿下は日系人の知り合いも多く、笑顔で旧交を温められていた。 ◆外交史料館&外務大臣主催レセプションレセプション開始を前に参加者は、レセプション会場側にある外交史料館で開催中の「日伯交流120年展」を見学した。同展では、日伯通商航海条約の批准、移民事業に力を入れた榎本武揚の写真、笠戸丸の出発、到着を知らせる電報などに見入っていた。参観者たちは書類を見ながら、「昔の人は文字がうまかったのね」と感想を漏らしていた。 レセプションは、忙しい岸田文雄外相の到着で始められた。岸田外相は「皆様の来日、帰国を歓迎します」と参加者たちの在住国での苦労を慰労した。懇談に入り、外相はあいさつをする参加者たちとにこやかに歓談していた。 ◆カラオケ大会海外日系人大会の掉尾(ちょうび)を飾る初の「日系カラオケ大会」が29日、東京・平河町の砂防会館で開かれ、ペルーの研修生、福崎ケネスさん(27)が優勝、賞金10万円と優勝盾を手にした。 同大会は日系人大会開催から56年目にして初めて行われたもので、認知度が低かったためか来場者は少なかったが、出場者11人の熱唱で大きな盛り上がりを見せた。出場者はブラジルからが最も多く5人、次いでペルーが3人、カナダ、アメリカ、メキシコが各1人だった。 優勝した福崎さんはJICA研修生。声量があり、音程もしっかりしていて、第1回目の優勝にふさわしい実力の持ち主だった。「カラオケで歌ったのはこの日が2回目。緊張したけど、何位になろうなどとは考えず、精一杯歌いました」と笑顔を浮かべた。「賞金の使い道ですか? まだ何にも考えていません」と、優勝するとは思ってもいなかったという。 司会はハワイのとみたいくこさん、審査員は島内憲前ブラジル大使、歌手の井上祐見さんらだった。 サンパウロ新聞 2015年10月31日付
在伯島根県人会(村上アンドレー光明会長)婦人部主催の「第11回慈善バザー」が11月8日午前10時から午後5時まで、サンパウロ市プラサ・ダ・アルボレ区の同県人会館(Rua das Rosas, 86)で開催される。 当日は31のバザリスタが出店し、折り紙の財布、陶器、パッチワーク、押し花などを販売する。会場では婦人部特製の巻きずしやいなり寿司、椎茸ご飯、まんじゅうなどが用意され来場者のお腹を満たす。 案内に訪れた村上会長と実行委員の浜野ビルマさんは「バザーの売上の15%はこどものそのへ寄付されます。クリスマスも近いので、プレゼントを買いにぜひ、お越しください」と来場を呼びかけた。 入場無料。問い合わせは同県人会(電話11・5071・0082)まで。 2015年10月31日付
ニッケイ新聞 2015年10月31日 ブラジル鳥取県人会(本橋幹久会長)が『県費留学・研修制度50周年並びに、ブラジル鳥取センター設立20周年記念式典』を8日午前10時より、同センター(Rua Dona Cesaria Fagundes, 323, Saude)で挙行する。 県費留学生と技術研修生制度のOB・OGは98人に上り、またセンターは広く文化事業の場となっている。来社した本橋会長は式典の目的を「母県への感謝をあらわすため」と語る。日本からは林昭男副知事や、斉木正一県議会議長をはじめとしたの慶祝団約30人が訪れる。 センター20周年に当たっては、増築事業や県人会コーラス部の訪日事業への助成も受けた。式典翌日には12年から継続している「サンパウロ・鳥取友好の森事業」のため、聖市オルト・フロレスタルで植樹を行う。 また新事業として「母県若人招聘事業」を発足。元留学生で設立した基金で、母県の若者を伯国に滞在させようという試み。3月の実施を予定しており、式典でも発表される。 問い合わせは同県人会(11・2276・6032)まで。
ニッケイ新聞 2015年10月30日 【既報関連】御来伯中の秋篠宮同妃両殿下は、28日午後3時頃、文協ビルを訪問された。秋篠宮様が同地を訪れるのは、1988年『移民80年祭』以来2回目で、両殿下揃っては今回初。移民史料館を御見学し、大講堂では1千人の聴衆を前に、日伯外交120周年の節目の御挨拶をした。 御到着に際し、出迎えには大志万学院、アルモニア学園、コレジオブラジリアの生徒約100人が両国の小旗を振って歓迎。 貴賓室では日系議員や叙勲受章者を中心とした関係者約50人と御懇談した。元文協会長の山内淳さんは「97年に天皇陛下来伯式典の際に、私が実行委員長を務めた頃の話を聞いてくださった」と懇談の内容を明かした。 続いて、移民史料館を御見学。山下リジア同運営副委員長の説明を受けながら、7階から9階まで、一つひとつ丁寧に御覧になっていた。以前にも同館を訪問されていた秋篠宮様は途中、紀子様に自ら御説明する一幕もあった。 大講堂では1千人の聴衆を前に、歓迎式典に御出席。両殿下が御入場すると、涙を流して迎える人もあちこちで見受けられ、文協コーラス部が両国家を斉唱した。 日系5団体及び、日系社会を代表して文協の呉屋春美会長が挨拶。「再びブラジルに御越し下さったことは日系社会にとって何よりもうれしい」と歓迎の意を表し、「移民107年が経った今では、各地で日系人が活躍している」と報告した。 秋篠宮様は「ブラジル政府や国民から暖かく迎え入れられたことに対して、皆様と共に感謝する」。また「先駆移住者に敬意を示し、日本ブラジル両国の友好親善が更に深まり、発展していくことを期待します」と話された。 秋篠宮様と紀子様はそれぞれ、両国旗を持って入場した川上ヒサナガくん(13、四世)、ジェシカ・レイテ(12)さんから、献上品と花束を笑顔で受け取られた。 大志万学院の宮本敏幸さん(13、四世)、イザベラ・マシさん(13)が青少年を代表して日本語で「日伯の架け橋になっていきたい」と挨拶した。 両殿下は退場の際にも、両国の小旗を振る子どもたちや聴衆に見送られつつ、話に耳を傾けられていた。米光ミヨ子さん(74、二世)は、「去年、日本を訪れた際の話を聞いてくださった」と喜んでいた。 呉屋会長は式典後、感動した様子で、「いつも見守って下さる皇族の皆様へ『感謝を伝えること』が式典の目的。私たち日系人は日本人の血が流れていることに誇りを持っているとわかっていただければ幸せ」と話していた。   □関連コラム「大耳小耳」□ 文協歓迎会にご出席された秋篠宮ご夫妻。正面玄関と大講堂前のサロンには日系児童以外にも、一般約30人も小旗を振ってお出迎え。その中には今年99歳を向かえる高齢者も。車椅子に乗る林原ヨシエさん(99、大阪)は「紀子さまから白寿のお祝いをして頂きました」と笑顔を見せた。充分な元気をもらったはず。◎殿下が以前執筆された鶏の家禽化に関する学術論文がある。サンタクルス病院では、この論文をポ語訳した本が石川理事長より贈呈された。日本の鳥類研究所の総裁でもある殿下らしい非常に専門的な本。表紙を飾っている絵は、妃殿下がお描きになられた雌雄の鶏だ。羽の一枚一枚まで細かく描写され、翻訳した二宮正人さんも「まるで写真のように精密」と驚いていた。2ページ目の写真では、陽だまりの中で微笑まれる両殿下のお姿も。
先駆者移民の苦労を偲ばれ 日系団体主催の歓迎式典が、28日午後5時1分からサンパウロ市リベルダーデ区のブラジル日本文化福祉協会の大講堂で行われ、会場は若干の空きが見られたが、976席ほぼ満席になる来場者が訪れ、秋篠宮ご夫妻をお迎えした。ご夫妻と共に日系5団体の会長、国松首席随員、横田随員、名井随員、梅田邦夫駐ブラジル日本国大使夫妻、中前隆博在聖総領事が登壇した。 ◆文協正門からご入場【羽田和正記者】秋篠宮ご夫妻は同日午後3時15分、ブラジル文化福祉協会の正門前に到着された。正門階段から赤の絨毯(じゅうたん)が敷かれ、文協の呉屋春美会長が先導し、ご夫妻を丁重にお招きした。ご夫妻は溢れんばかりの笑顔を振りまかれ、時折、来場者と握手をしながら一段一段階段を登られた。 正門階段脇では、アルモニア学園の生徒(5年生)らが日伯両国旗を振って歓迎。ご到着1時間前に生徒らは目を輝かせながら、「午後2時から待ってる。秋篠宮さまについて特に勉強はしていないけど、緊張しています。名誉です」などと話していた。 ご夫妻が階段を登り終え、建物内に入られると、白寿者や百寿者ら99歳以上の高齢者が着席のまま出迎えた。両夫妻は高齢者一人一人の顔を見ながら握手をされ、貴賓室へと向かわれた。 ご夫妻と握手した佐藤誠仁さん(100、沖縄)は「よく、おいでになられたと思います。会話はできなかったが、拝見できて大変に嬉しい。気持ちが高揚して昨晩はよく眠れなかったのですが、今夜はゆっくり眠れそうです」と微笑んだ。 ◆日系代表者とご懇談【佐久間吾朗記者】午後3時18分、秋篠宮ご夫妻は日系5団体の会長らと共に文協ビル2階の貴賓室に到着した。 在サンパウロ日本国総領事館の中前総領事の案内で、集まった叙勲者や日系団体の関係者ら65人一人一人と握手をし、お話を交わした。杖をついた叙勲者には、腰をかがめて同じ目線でお話をされ、ご夫妻の優しさがにじみ出たご懇談となった。 この日の紀子さまは薄いベージュのジャケットとスカートの上下に真珠のネックレスとピアスをあしらったお姿。気品ある装いが印象的だった。ブラジル相撲連盟名誉会長で叙勲者の赤木政敏さん(84、宮崎)は「初めてご夫妻とお話しした。秋篠宮殿下から『どちらに入植されたのですか』と聞かれ、ここから600キロ先の山奥に入ったとお答えした。『昨年の秋には天皇陛下から旭日小綬章をいただき、ありがとうございました。帰国の際はよろしくお伝え下さい』とお伝えした」と話した。 在聖日本領事館前顧問弁護士で叙勲者の大原毅さん(79、2世)は「どこで生まれ、どの大学に行ったか、ずっと弁護士をしているのかなどを聞かれた。私の名札をよくご覧になって質問してくれたのだと思う。丁寧な対応で、こちらに緊張感を与えない優しさが感じられた」と感激した様子だった。 ◆移民史料館【羽田和正記者】秋篠宮ご夫妻は7階から9階までの日本移民史料館を視察され、7階では「開拓者の家」に午後4時26分に到着され、続いてパンタナールの動物の剥製(はくせい)を鑑賞された。9階には午後4時40分にご入室。天皇皇后両陛下の御真影のほか、皇室関連のパネルが展示された会場内を一周された。 ご夫妻の案内役を担当した山下リジア史料館運営副委員長は「感激でした。緊張しすぎて、順序を少し間違えてしまいました。とても、おしとやかな印象を受けました」と感想を話した。 ◆日系社会歓迎行事【佐久間吾朗記者】開会に先がけ、モルンビ学校のヒサナガ・カワサキ・レオナルド君とピネイロ学校のジェシカ・テイシェイラ・フェレイラ・レイテさんが両国旗を持ち、入場。掲揚し、続いて吉田エリザベスさんのピアノ伴奏で両国歌斉唱を行った。国歌斉唱にはピッコロ、パイネイラ、文協コーラスの3つの合唱団から参加した45人が美しいハーモニーを聴かせた。 文協の呉屋会長は「今回両殿下が再び来てくれたことを何より嬉しく光栄に思う。今日こうして式典を開催でき嬉しい。私は5歳の時に家族と共に移民して来た。夢と希望を持って移民した人々は厳しい環境の中でも日本に対する愛情と尊敬を忘れたことはなかった。現在では子弟の一人一人がブラジル各地で活躍し、社会に貢献している」とあいさつを述べた。 続いて秋篠宮殿下から「私たちは先ほど(28日午後1時15分)、イビラプエラ公園内開拓先亡者慰霊碑に献花をして参りました。日伯両国の発展に尽くされた先駆移住者に対して改めて敬意を表します」とお言葉を述べられ、前回訪れた1988年の移民80周年式典での思い出を挙げ、「30年近く経った今でも鮮明に覚えています」と語った。「当時、私と同世代だった日系人の皆さんも今では社会の中心として活躍されています。また、若い世代の皆様がこれからも両国の友好の懸け橋として活躍されることを心から祈っております」と話された。 殿下は来場者が聴きやすいようにマイク位置を直すなど、さり気ない配慮を見せられた。会場は静まり返り、殿下のお言葉に耳を傾けた。 その後、レオナルド君から殿下へアララ・アズールの石の置物が贈呈され、ジェシカさんが紀子さまへ花束を贈呈した。...
「100周年記念学校」で大歓迎 アカコヤグアにある日系協会会館(文化センター)内では、浴衣を着た10歳前後の地元の女の子8人が「もみじ」を合唱し、一行を歓迎してくれた。 その後、あいさつに立った春日カルロス氏は「私が榎本殖民団入植90周年(1987年)でここ(アカコヤグア)に来た時、椰子の葉でできた学校に当時13人の生徒がおり、その中の5人は日系人の名前を持つ生徒がいたことに感動した」というエピソードを紹介し、その後の98年4月に日本政府からの機材協力などを得て、同協会を建立したことを説明。さらに、移住100周年(97年)を記念して地元の中学・高校を「日本移民100周年記念学校」と名付けたとし、同校の卒業者には1週間、メキシコシティに招待しているという。 「美しい花を咲かせるには枝、幹、根を大事にしないといけない。それと同じ思いで、この町を栄えさせたいと思って頑張っている」と春日氏は自らの熱い思いを語った。 同協会のすぐそばには生徒たちの寄宿舎があり、それも春日氏が寄付したという。そのことを教えてくれたのは、パラグアイのピラポ移住地で生まれ育った村久木(むらくき)由美さん(44)。主人がアカコヤグア出身の日系3世で、日本で出会った。主人の仕事の関係で由美さんも日本に住んでいたが、2011年3月に発生した東日本大震災により、4年前に幼い子供2人を連れてアカコヤグアに来た。主人はまだ日本で単身赴任で働いており、「1年に4回ぐらい、春日さんがアカコヤグアに来る時にお手伝いしているんですよ」と流暢な日本語で教えてくれた。 春日氏の案内で協会から歩いてすぐ近くの「日本移民100周年記念学校」に行くと、炎天下の蒸し暑さの中で日墨両国旗とともにブラジル国旗を振りながら、学校の制服やジャージを着た生徒たちが明るい笑顔で一行を迎えてくれた。学校の外から中へと列をなして続く皇室関係者のような大歓迎を受けた一行は、中学校の中庭広場で学校関係者手作りのメキシコ料理をご馳走になった。 その後、生徒たちのマリンバ演奏と民族舞踊が披露され、色鮮やかな衣装と踊りに見入っていた。 同高校の野村マルチンス校長によると、同校の生徒は中高合わせて約1500人が在校し、高校には約600人が通っているそうだ。 同校の中学校に通っている小向まゆみさん(14、3世)は、日本で生まれて11年間を日本で過ごし、祖母が病気のため3年前に母、兄と一緒にアカコヤグアに来たという。「スペイン語はまだまだですが、友達もできてすごく楽しいです」と笑顔を見せながら、同級生たちと親しんでいる様子だった。 一行は、生徒たちとの名残を惜しみながら午後4時過ぎに同校を出発。「榎本殖民団」がメキシコへの最初の一歩を踏みしめたマデロ海岸へと向かった。(つづく、松本浩治記者) サンパウロ新聞 2015年10月30日付
慰霊碑前で先人への思い偲び 「権力者の場所」の意味を持つというアカコヤグアではまず、午後0時40分に「カサ・デ・ディスカンソ(安らぎの家)」でバスを下車し、地元の日系人たちの出迎えを受ける。バスの外に出ると青空に白い雲が浮かんでおり、熱帯の蒸し暑さを感じた。 1987年、「榎本移民団」入植90周年を記念して建てられた同所の敷地内には、榎本移民とその子孫たちの墓があり、市役所が管理しているという。その周りにはメキシコ人の土葬の墓もあり、水色やピンクに塗られた原色が目にまぶしい。 屋根があるだけの「カサ・デ・ディスカンソ」には、正面の壁に先人の遺影などが奉られており、本橋幹久県連会長と同行した和久井伸孝日墨協会会長が献花した。 メキシコシティの日墨協会での夕食歓迎会にも出席したメキシコ日系社会の名士「ドン春日」こと春日カルロス氏も姿を見せ、118年前の1897年に36人の日本人移住者が最初の入植地として足を踏み入れた経緯を説明。「残念ながら現在はほとんどの日系人が混血で、日本語も話さないが、心はまだ日本人である」と強調した。 本橋県連会長は「ブラジルの笠戸丸移民の11年前にこの地に、中南米初の日本人が最初に移住されたことに敬意を表します」とあいさつ。アカコヤグア市役所を代表してあいさつした職員のガブリエル・クルス・アントニオさんは「アカコヤグアに日本人が入植したことに感謝しており、今回(ふるさと巡りの)皆さんが来てくれたことでブラジルとメキシコと日本をつなぐパイプがつながったことを嬉しく思う」と述べ、歓迎の意を示した。 アントニオさんたち職員の案内で敷地内にある初期移民たちの墓を見せてもらうと、「カサ・デ・ディスカンソ」の奥まった所に、ひときわ丁寧に日本人及びその子孫たちの墓が安置されていた。時間の関係でゆっくり見ている暇がなかったが、メキシコ式の墓石には「MATSUI」「KOMUKAI」「HORITA」など日本人の苗字が刻まれているのが見えた。 その後、一行は中央公園にある「榎本殖民記念」と書かれた記念碑にバスで移動。午後1時過ぎから同記念碑前で慰霊セレモニーが行われた。それにしても暑い。真上からの陽射しが照り付ける炎天下の中、汗がしたたり落ちる。 セレモニーでは、市長を2回歴任したことがあるという日系3世のガリレオ・コムカイ氏(59)が、同碑が1968年6月に地元日系人の厚意で建立されたことを説明した。改めて、本橋県連会長と和久井日墨協会会長が慰霊碑前で献花し、黙とうを行った参加者一行は「榎本殖民団」への思いを偲んだ。 ちなみに、記念碑の反対側には、「夏草や つわ者共の 夢の跡(原文ママ)」の文字が刻まれており、その下にあるプレートには「榎本殖民団」36人全員の名前がアルファベットで岩手、愛知、兵庫の3県別に記されている。 セレモニーに参加していたコムカイ氏の子息であるラモス・コムカイさん(29、4世)は、10月にデンデ椰子の研究で15日間、ブラジルのマナウス市で研修を行うとして、笑顔を見せていた。 記念碑前で記念撮影した一行は、中央公園付近にある市長舎内を見学した後、同市内の「カルロス・カスガ通り」にある日系協会会館(文化センター)に移動。関係者の歓迎を受けた。(つづく、松本浩治記者) サンパウロ新聞 2015年10月29日付
日本ブラジル外交関係樹立120周年を記念して来伯されている秋篠宮ご夫妻は28日午後1時15分、ブラジルで最初の公式行事としてサンパウロ市イビラプエラ公園内にある日本移民開拓先亡者慰霊碑を参拝された。 気温24度の曇天の中、慰霊碑では本橋幹久県連会長、慰霊碑運営委員会の原島義弘委員長、杉本教雄副委員長、県連前会長の園田昭憲氏の4人と、急きょ駆け付けたフェルナンド・ハダジ聖市長が慰霊碑に向かう道路脇で専用車から下車されたご夫妻を迎え、慰霊碑まで先導。県連傘下の各県人会関係者ら約80人が日伯両国旗を振りながら歓迎の拍手を送った。 秋篠宮殿下は紺とシルバーのストライプのネクタイをご着用。紀子さまは白い帽子に首には真珠のネックレス、ベージュ色のスーツとスカート姿で訪問され、本橋会長、原島委員長の先導で慰霊碑階段前で一礼された後に登壇された。慰霊碑前でさらに一礼されたお二人を前に本橋会長が1975年に建立された慰霊碑建立の経緯を説明。初期移民たちが耕作地を転々とし無縁仏が多かったこと、地方の移住地では1歳や2歳など幼少で亡くなっているケースが多かったこと、慰霊碑建立後は毎年6月18日の「日本移民の日」に各県人会から過去帳を持ち寄って慰霊法要を行っていることなどを話した。秋篠宮殿下は「県連が(慰霊碑を)管理されているのですか」などと興味深く質問され、先人への思いを馳せられたようだ。 ご夫妻が献花され慰霊碑に向かってお辞儀された後、原島運営委員長が「今日はお越しいただき、ありがとうございます。日系190万人に代わってお礼申し上げます」と謝辞を述べた。 本橋会長はご夫妻の印象について「思っていた以上に親しみやすいお方でした」と話していた。 ブラジル日本会議顧問で、県連嘱託で慰霊碑の管理・清掃作業を継続して来年で20年になるという村崎道徳さん(83、2世)はご夫妻のご来伯について、「誠におめでたいことで、ブラジル国民にとってこの上なく嬉しいことです。皇室の方がお健やかにここまで来ていただいて、ただただ、ありがたいことです」と感激した様子だった。 秋篠宮ご夫妻はその後、本橋会長の先導で午後1時30分に隣接する日本館に移動。途中、沿道に立っていた5、6人の駐在員夫人たちに「こちらにお住いですか」などと気軽にお声をかけられ、日本館に入った。 なお、日本館での様子は30日付で掲載する予定。 サンパウロ新聞 2015年10月29日付
伝統芸能の「広島神楽」で盛り上げ ブラジル広島文化センター(平崎靖之会長)は25日午前10時から、「創立60周年記念式典」をサンパウロ(聖)市リベルダーデ区のブラジル日本文化福祉協会大講堂で盛大に開催した。広島県から湯崎英彦県知事、平田修己県議会議長、松井一實市長、永田雅紀市議会議長、町村会の吉田隆行会長、聖州マリリアと友好姉妹都市提携を結ぶ東広島市の蔵田義雄市長、広島日伯協会の白井孝司会長らを中心に65人の大型慶祝団が来伯した。 当日は、日伯両国歌斉唱、先亡開拓者慰霊への黙とうと続き、平崎会長は「こうして60周年を迎えることができますのも、私たちブラジルに住む県人と母県の心の通った関係があったからこそです」と式辞を述べた。 来賓には、日本からの慶祝団各代表者らをはじめ、県連の本橋幹久会長ら日系3団体代表、中前隆博在聖総領事、那須隆一JICAブラジル事務所所長などが臨席した。 中前総領事は「60周年というのは人で言うところの『還暦』に、120周年というのは『大還暦』にあたります。センター創立60周年と日伯外交関係樹立120周年の2つの還暦が重なる大変おめでたい年に、参加できますことを心より嬉しく思います」と祝辞を述べた。 湯崎県知事は「世界第7位の経済大国となったブラジルにおいて、ブラジル広島文化センターが確固たる地位と信用を築いておりますのは広島県民の大きな誇りであり、大切な宝でございます。また在外県人会は地域の日系人社会に重要な組織であるとともに、本県と各地を結ぶ友好の懸け橋となっております。本県がグローバル化の中で発展していくための大きな資産であると考えております」と感謝の意を表した。 広島県と同センター間での記念品の相互贈呈も行われ、広島県からは厳島神社が描かれたしゃもじ(安芸の宮島の特産品)、掛け軸、お盆など8種類を同センターへ贈った。 県知事表彰では、高齢者13人(榎一子、岩見四郎、中森昭七、樽本譲治各氏ら6人出席)、功労者4人(大西博巳、落久保博、森永みのるカーロス、棗田正行各氏4人出席)が表彰され、表彰状と記念品の贈呈が行われた。 式典終了後は祝賀会へと移行。鏡割りとケーキカットが行われ、慶祝団らとともに盛大に祝福した。昼食後はサンバショーも披露され、会場は終始賑やかな雰囲気に包まれていた。   ◆広島神楽 広島の伝統芸能「広島神楽」の公演会は午後3時から午後5時頃まで同会場で行われ、2階席の半分までが埋まるほどの人気ぶりとなった。広島県から来伯した神楽団及び関係者ら25人が「紅葉狩り」「八岐大蛇」の2演目(各40分間)を、ブラジル神楽保存会が「恵比須」(20分間)を披露した。ドライアイスを用いて怪しい煙を、幾重にも巻かれた細長い紙で鬼が放つ蜘蛛(くも)の糸を表現した場面も見られた。また、来場者に配布するプログラム資料には日伯両語で演目の解説が施され、日本語の分からない人でも演者の台詞を理解できるように工夫されていた。公演終了後の会場からは、「ビバ(万歳)」の歓声が上がった。本場の広島神楽を鑑賞した平崎等美さん(61、3世)は「感無量です。来年の日本祭りにぜひ、来てもらいたいですね」と微笑んだ。 広島神楽は同県内で神楽団数100団体を超え、演目数は70以上にも及んでいる。団体によって個性が違う広島神楽だが、今回演じた17人の神楽演者の多くは異なる団体に所属している。ブラジル公演のために組織された特別チームで、各演者たちは仕事の日程を調節し、半年前から週末の休みを利用して練習に励んできたという。 神楽団員の崎内俊宏氏(59、広島)は「滅多にない機会でしたので最高の神楽を届けようと、全体で動きを統一するための『すり合わせ』を20回以上も行い、入念に準備してきました。公演会では、日本に比べてブラジル人の観客は盛り上げて下さったので、団員全員が 舞を気持ち良く踊れたと思います」と感想を述べた。 サンパウロ新聞 2015年10月29日付
ブラジル宮城県人会(中沢宏一会長)主催の「第1回農業セミナー」が、11月7日午前10時から午後3時までサンパウロ市リベルダーデ区の同県人会館講堂(Rua Fagundes,152)で開催される。 セミナーでは4人の農業関係者が講演を行う。発起人である農業技師の長井邦夫(76、3世)氏は「持続可能な農業」と題し、持続的農業の知識や技術について話す。 来社した長井氏によると持続的農業とは「土の再生」。「農業の基本は土。栽培を続けるうちに破壊されてしまった土では良い作物は育たない。土を再生維持することが良い作物栽培につながる」という。「ブラジルでも農家の数は減少している。正しい知識ややり方を知ってもらい、農家が儲かるようにしたい。農業が良くなると、国や政治も良くなる。今後は色んな専門家を招へいし、定期的にセミナーをやっていきたい」と長井氏は展望を話した。 入場無料。講演はポルトガル語のみ。問い合わせは同県人会(電話11・3209・3265)または長井氏(セルラー電話99939・6480)まで。 サンパウロ新聞 2015年10月29日付