慰霊碑前で先人への思い偲び
「権力者の場所」の意味を持つというアカコヤグアではまず、午後0時40分に「カサ・デ・ディスカンソ(安らぎの家)」でバスを下車し、地元の日系人たちの出迎えを受ける。バスの外に出ると青空に白い雲が浮かんでおり、熱帯の蒸し暑さを感じた。
1987年、「榎本移民団」入植90周年を記念して建てられた同所の敷地内には、榎本移民とその子孫たちの墓があり、市役所が管理しているという。その周りにはメキシコ人の土葬の墓もあり、水色やピンクに塗られた原色が目にまぶしい。
屋根があるだけの「カサ・デ・ディスカンソ」には、正面の壁に先人の遺影などが奉られており、本橋幹久県連会長と同行した和久井伸孝日墨協会会長が献花した。
メキシコシティの日墨協会での夕食歓迎会にも出席したメキシコ日系社会の名士「ドン春日」こと春日カルロス氏も姿を見せ、118年前の1897年に36人の日本人移住者が最初の入植地として足を踏み入れた経緯を説明。「残念ながら現在はほとんどの日系人が混血で、日本語も話さないが、心はまだ日本人である」と強調した。
本橋県連会長は「ブラジルの笠戸丸移民の11年前にこの地に、中南米初の日本人が最初に移住されたことに敬意を表します」とあいさつ。アカコヤグア市役所を代表してあいさつした職員のガブリエル・クルス・アントニオさんは「アカコヤグアに日本人が入植したことに感謝しており、今回(ふるさと巡りの)皆さんが来てくれたことでブラジルとメキシコと日本をつなぐパイプがつながったことを嬉しく思う」と述べ、歓迎の意を示した。
アントニオさんたち職員の案内で敷地内にある初期移民たちの墓を見せてもらうと、「カサ・デ・ディスカンソ」の奥まった所に、ひときわ丁寧に日本人及びその子孫たちの墓が安置されていた。時間の関係でゆっくり見ている暇がなかったが、メキシコ式の墓石には「MATSUI」「KOMUKAI」「HORITA」など日本人の苗字が刻まれているのが見えた。
その後、一行は中央公園にある「榎本殖民記念」と書かれた記念碑にバスで移動。午後1時過ぎから同記念碑前で慰霊セレモニーが行われた。それにしても暑い。真上からの陽射しが照り付ける炎天下の中、汗がしたたり落ちる。
セレモニーでは、市長を2回歴任したことがあるという日系3世のガリレオ・コムカイ氏(59)が、同碑が1968年6月に地元日系人の厚意で建立されたことを説明した。改めて、本橋県連会長と和久井日墨協会会長が慰霊碑前で献花し、黙とうを行った参加者一行は「榎本殖民団」への思いを偲んだ。
ちなみに、記念碑の反対側には、「夏草や つわ者共の 夢の跡(原文ママ)」の文字が刻まれており、その下にあるプレートには「榎本殖民団」36人全員の名前がアルファベットで岩手、愛知、兵庫の3県別に記されている。
セレモニーに参加していたコムカイ氏の子息であるラモス・コムカイさん(29、4世)は、10月にデンデ椰子の研究で15日間、ブラジルのマナウス市で研修を行うとして、笑顔を見せていた。
記念碑前で記念撮影した一行は、中央公園付近にある市長舎内を見学した後、同市内の「カルロス・カスガ通り」にある日系協会会館(文化センター)に移動。関係者の歓迎を受けた。(つづく、松本浩治記者)
サンパウロ新聞 2015年10月29日付
