06/03/2026

Mês: novembro 2015

ニッケイ新聞 2015年11月6日 岩手県人会(千田曠暁会長)が15日午前11時から、『もち祭り』を同県人会(Rua Thomaz Gonzaga, 95, 1o. andar, Liberdade)で行なう。 雑煮(8レ)、焼きもち、あんこ、きなこ、納豆(ともに一皿2個で5レ)など各種の味が用意される。1袋500グラムの白餅も15レで販売され、前日14日午後2時から受け取ることが出来る(要予約)。 来社した千田会長は、「混ぜものなしの特製もちをいろんな味で楽しんで」と呼びかけた。 問い合わせは同県人会(11・3207・2383)まで。
ニッケイ新聞 2015年11月6日 一般社団法人ステージサポート沖縄(大野順美代表)が外交120周年記念に、沖縄琉球舞踊公演を国内二カ所で開催する。日本文化庁から助成。沖縄から国指定重要無形文化財「琉球舞踊」保持者である玉城流扇寿会家元ら18人の演者を迎える。 8日午後7時から、南麻州カンポ・グランデのアルキテット・R・G・カミーロ・コンベンションセンター(Av. Waldir dos Santos Pereira, s/n – Parque dos Poderes)で入場料50レアル。15日午後2時から聖市の文協大講堂(Rua Sao Joaquim, 381)で100レ(ともに高齢者、学生など半額)。 また7日午後3時からは、カンポ・グランデ沖縄県人会館でワークショップも行なわれ、沖縄組踊音楽歌三線の人間国宝、西江喜春さんも指導に当たる。 来社したブラジル琉球舞踊玉城流扇寿会の斉藤悟主宰は、「久しぶりに大人数の演者が来泊する。本物の琉球舞踊を見る貴重なチャンスです」と来場を呼び掛けた。...
沖縄県に本社があるステージサポート沖縄主催の琉球舞踊公演が15日午後2時から、サンパウロ市リベルダーデ区の文協記念講堂(Rua São Joaquim, 381)で行われる。案内に琉球舞踊玉城流扇寿会ブラジル支部の斉藤悟代表が来社した。 このイベントは日本ブラジル修好通商条約120周年を記念して行われるもの。玉城流の家元で、国指定重要無形文化財保持者の谷田晶子さんと金城美枝子さんら18人が来伯し、舞踊を披露する。琉球舞踊はもちろん、両家元の創作舞踊も見どころとなる。 また7日には聖市に先立ち、カンポ・グランデ市で午後7時からの上演も予定されている。 斉藤代表は「裏方含め23人も沖縄から来伯するのはなかなかない。どうしてもブラジルの皆さんに見てもらいたい。そして当地で琉球舞踊を広めていきたい。ぜひ見にお越し下さい」と来場を呼びかけた。 入場券は一般100レアル、12歳以下と60歳以上は50レアル。 サンパウロ新聞 2015年11月5日付
【鹿児島通信員・川口裕貴記者】ブラジルと日本を行き来し、絵画の作品制作活動を行う画家の森ジュリオ一浩さん(65、3世、千葉県在住)が10月18日~25日にかけて、故郷鹿児島県枕崎市にある衣料品店「サロン・ド・クワハラ」の一室で個展を開き、期間中は作品を見に多くの来場があった。 森さんの同市での個展は3年ぶりで、会場には大小合わせて34点の絵画が展示。会場中央には2013年にブラジル鹿児島県人会創立100周年記念事業の一環として森さん、若林和男氏、豊田豊氏による図画作品の「三人展」でも展示された大きさ130センチ四方の「FUUJIN」「RAIJIN」が一際目を引いていた。 また同2作品は今年、千葉県印旛郡酒々井町の醸造元「飯沼本家」の日本酒のラベルにも採用され、採用を記念して同日本酒が会場一角に展示された。 3年ぶりの個展開催について森さんは「個展を通じて枕崎を盛り上げられたら」と語り、「できれば、毎年開催したいね」と、アートを通じた枕崎の地域活性化に今後も協力する姿勢を口にしていた。 サンパウロ新聞 2015年11月6日付
一見の価値ある国立人類学博物館 チアパス日墨協会の植物研究所は、メキシコ国立農牧森林研究所の協力を得て2014年4月7日に創設されたばかりの新しい施設だ。施設内には、健康食品のモリンガや甘味料の原料となるステビア、アロマ香料の葉などのほか、トマトやキュウリなどの野菜類も植えられている。 施設の建物の壁は、そうした植物類の苗を入れたペットボトルで造られており、環境面と経済面でのエコをアピールしていた。 同研究所にも「ドン春日」こと春日カルロス氏が先導して案内役を務めてくれ、「4世や5世など次世代に日本の良さを伝えるために、こうした活動を続けて頑張っている」と強調していた。 施設内では祖父母が滋賀県出身で自身はタパチュラ生まれの農業技師である辻フェリペ・アルジャノさん(75、3世)も姿を見せ、レモンのような香りがするアロマの葉を取って嗅(か)がせてくれた。 一行は、午後1時50分に同研究所を出発、午後2時半に市内の海鮮レストランで昼食を取る。メキシコ大統領が出席した海軍施設でのイベントに同行したらしい政府関係者たちが我々より遅れて入ってきたにもかかわらす、彼らの料理が先行。ふるさと巡り一行の料理がなかなか出てこずにイライラするが、蒸し暑さの中で飲む冷たいビールに癒される。 一行はその後、タパチュラ空港に午後4時半に到着。同6時半発のアエロ・メヒコ機で同8時半にメキシコシティに着いた。初日と2日目に泊まった馴染みのホテルにチェックイン。夜はホテルで夕食が用意されていたが、記者は移動での疲れのため夕食も取らずにそのまま部屋に直行し、就寝した。しかし、他のメンバーはほとんどがホテルで夕食を取ったと後で聞き、一行の体力には感心するばかりだった。 ◎   ◎最終日の9月30日、いよいよブラジルに帰国するが、我々第2グループは9月27日に行けなかった国立人類学博物館を午前中に見学するため、午前10時にホテルを出発した。 ガイドのセサルさんの案内で博物館の中を見て回る。博物館全部を見て回るのには1週間かかるそうだが、我々は時間の都合で約1時間と、1階の古代文明の展示を中心に急ぎ足で見学することに。それでも博物館は一見の価値があった。 紀元前3万年にアジアからの原住民がベーリング海峡を渡ってアメリカ大陸に移動。その後、各地に拡散し、紀元前3000年にはメキシコ湾側の原住民が定住して文明を作ったことなどが、「先古典期」「古典期」「後古典期」と大きく3つに分けて解説されていた。その中でも特に目を引いたのがテオティワカン遺跡室で、「羽の生えた蛇の神殿」の外装のレプリカや各種出土品などが展示されていた。 また、ユカタン半島で栄えたマヤ文明の古代遺跡では、チアパス州で7世紀に在位したパカル王が亡くなる前に自分の墓を建て、翡翠(ひすい)のデスマスクが1952年に発見されたとし、その当時の墓の一部と実際の翡翠のデスマスクが飾ってあった。 正午前に博物館の見学を終えた第2グループ一行は、お世話になったガイドのセサルさんに別れを告げてメキシコシティの空港へ。午後4時半発のラン航空でペルーのリマを経由し、翌10月1日午前7時半、サンパウロに到着。メキシコへのふるさと巡り旅行を無事、終えることができた。(おわり、松本浩治記者) サンパウロ新聞 2015年11月6日付
庶民的なタパチュラの町並み 5日目の9月29日、ふるさと巡り一行の他のグループによっては早朝からトゥクストラ・グティエレスを経由してメキシコシティに向かったと聞かされたが、我々第2グループはこの日の午前中は自由時間が取れた。希望者は、その時間を利用してタパチュラの町まで買い物などに出かけた。 地元のスーパーマーケットなどが近いと聞き、ホテルを出て歩いていると、ホテル専用のバンが偶然通りかかり、運転手の厚意で町まで連れて行ってくれるという。さすがに無料というわけにはいかないので、乗り合わせた6人ほどのメンバーが少々のチップを運転手に渡した。 地元のスーパーはブラジルのそれとあまり変わらず、品揃えも結構豊富だったが、それ以上に面白かったのは、その近くにあった地元の市場だった。地下には、鶏肉、魚介類、野菜類など生鮮食料品も販売しており、庶民の雰囲気が漂う。地下は迷路のように入り組んでいたが治安は悪くないようで、カメラを向けると地元民が恥ずかしがりながらも笑顔を見せてくれる。帰りは各自ホテルに戻り、午前11時にチェックアウト。正午の出発を前にホテル前に集まっていた団員の1人である草川一郎さん(83、2世)に話を聞く。草川さんは、今回母子の再会を果たした草川和田明子さんの兄に当たり、パラナ州マリンガ市に住んでいる。 サンパウロ(聖)州ドゥアルチーナで生まれ、6歳の時に1年間、奈良県天理市に住んでいたこともあるというが、その後、家族でマリンガに転住。父親から日本語を学び、20代半ばには一時、聖市の日本語の印刷屋で活字を拾っていたこともあるそうだ。また、90年代前後には仲間と日本に出稼ぎに行き、日本語を話せたことで重宝がられた。ふるさと巡り旅行には第30回目から毎回のように参加しているという。今回のメキシコの旅では、「姪(前述の小木曽春美さん)が住んでいたこともあり、思い切って皆で行こうやと親戚たちで来ることになりました。言葉(スペイン語)は分かりにくいけれど、日本語が分かるガイドさんもいるし、何より食べ物が毎回楽しみですね」と笑顔を見せる。 一行はホテルを出発し、人口32万人のタパチュラ市内をバスで観光する。ガイドのセサルさんによると、同市の経済基盤は農業と商業が中心だが、日本のマツダ車など自動車の組み立て工場も進出しているという。また、グァテマラとの国境に近いことから、同国からの移民も多いそうだ。 一行は、昨夜ホテルで歓迎を受けたチアパス日墨協会の植物研究所へと向かうが、その途中に物々しい警備をしている一団に出くわした。話によると、米国ニューヨークで開催された国連での会議に出席したメキシコ大統領が前日夜にタパチュラ入りし、この日行われるメキシコ海軍施設でのイベントに参加するために来ているのだという。 午後1時過ぎ、チアパス日墨協会の植物研究所に到着した。(つづく、松本浩治記者) サンパウロ新聞 2015年11月5日付
ニッケイ新聞 2015年11月5日 【既報関連】広島県の伝統芸能『広島神楽』の来伯公演が25日、文協大講堂で行われた。県内に100以上ある神楽団の中の選抜演技団25人は、『紅葉狩・八岐大蛇』の2演目を見事に演じ、2階席までほぼ埋まった会場を興奮の渦に巻き込んだ。 「紅葉狩」は平維茂が道に迷っていたところ、鬼の化身と気づかず姫の宴に加わってしまい、紅葉に心を奪われてしまうという物語。鬼との立ち回りは迫力があり、華麗に刀を振り回す姿に開場は魅了された。 「八岐大蛇」は8つの頭を持つ大蛇を須佐之男命が酒で酔わせた上で、勇猛果敢に一人で一体ずつ退治していくという物語。 大蛇は長さ7メートルほどもあり、光る目とうねうねと動き回る姿が不気味な印象を与えた。大蛇が威嚇するように観客に迫ると、この日一番の奇声にも近い大歓声が沸き起こった。 また2演目の間には、「恵比寿」が海外唯一の神楽団「ブラジル神楽保存会」によって演じられた。演技中に奏でられる奏楽には訪問団から一人加わり、初の日伯共演も実現した。 終演し、演者全員がステージに立つと、来場者総立ちで大きな拍手を送った。なおプログラムには、日ポ両語で解説が添えられ、難しい言い回しで進む物語の配慮が行き届いていた。 会場を訪れていた丹治隼人さん(34、二世)は広島県人2世だが神楽を見るのは初めてで、「迫力演技に驚いた。広島にこういう芸能があることを知れて良かった」と感心の様子だった。
ニッケイ新聞 2015年11月4日 【既報関連】広島文化センター(平崎靖之会長)の『創立60周年記念式典』が先月25日、文協大講堂で行われた。総勢65人の大慶祝団には、湯崎英彦知事、平田修己県議長、広島市松井一實市長、永田雅紀市議長を迎えた。全都道府県で最多の約1万4千人の移住者を送り出した同県。ベレン、ポルトアレグレからも関係者が駆けつけ、500人がセンターの還暦を盛大に祝した。 平崎会長は挨拶で、「祖父から孫の代まで寄り合え、そして全伯に散らばる県人を繋ぐことがセンターの役割。母県からの支援はもちろん、会員相互の結束に感謝する」と謝辞を述べた。 湯崎知事は「県人の活躍は県の誇りであり、宝。里帰りの際は大いに歓迎する」と語り、若い世代に向け、「いつか両国を繋ぐ架け橋になって欲しい」と期待を話した。 松井一實市長は、「絆を大切にしてもらっている」と昨年の夏の土砂災害へのセンターからの義捐金について感謝を述べ、広島県出身の中前隆博在聖総領事は県人の歴史を紐解き、「笠戸丸に42人が乗船して以来、各面で多くの県人が活躍している」と称えた。来賓には、日系3団体代表、日系の連邦、州、市議や海軍将校の姿もあった。ジェラルド・アルキミン聖州知事も祝辞を寄せた。 東広島市、町村会、日伯協会を含む計7団体から県の郷土工芸品が贈られ、センターからも絵画等を贈り友好を深めた。 高齢者13人、功労者4人に湯崎知事から表彰状が授与された。功労者の元会長・落久保博さんは挨拶で、会館設立時の母県の支援に言及、「今では多くの人に利用されている。感謝を伝えたい」と県人の声を代弁。 また県費留学生、技術研修員OBを代表し、前会長だった大西博巳さんが「日本での経験が、その後の人生の出発点になった」と謝意を表した。 昼食開場に移動した一行は、ケーキカット、鏡割のあと乾杯し、しばし歓談を楽しんだ。会場にはパラー州ベレンの北伯広島県人会の越知恭子会長や、南大河州ポルトアレグレ文協の谷口浩会長の姿もあり、全伯から集まった県人が60周年の節目に改めて結束を確かめ合っていた。
第一歩を踏みだした記念の地訪問 午後6時過ぎ、マデロ海岸付近に到着。同地には、1997年5月に「榎本殖民団」100周年を記念して建立されたモニュメントがあり、当時、秋篠宮殿下ご夫妻が同モニュメントの除幕式を行ったという。 既に春日カルロス氏が一行より先回りして到着しており、地元日系団体のチアパス日墨協会の松居小向マリア・アルヘリア会長らとともに一行を出迎えた。 同モミュメント前で改めて、本橋幹久県連会長及び和久井伸孝日墨協会会長が献花し、全員で先人への黙とうを捧げた。 松居会長は「ブラジルの皆様をチアパスで迎えることができて、大変嬉しく思います」と歓迎の意を表し、モニュメント前で墨伯関係者が一緒に記念撮影を行った。 その後、一行は徒歩で100メートルにも満たない距離にあるマデロ海岸に移動し、ブラジルに居ては滅多に見ることができない太平洋を拝んだ。すっかり夕景となった海岸には、熱帯特有の入道雲が横に長くたなびき、沈み行く太陽の光をさえぎった黒い入道雲がシルエットとなって浮かんでいた。 関係者に聞くと、実際に「榎本殖民団」が上陸した地点は、同地から東に数キロ行った場所だという。 ふるさと巡り旅行の常連で、現在はミナス・ジェライス州ポッソス・デ・カルダス市に住む下坂匡(ただし)さん(78、福島)は、母方の父(祖父)に当たる故・森本仙(せん)さんが19歳ぐらいの時、メキシコに行く船に密航し、強制送還されたという話を記者にしてくれた。 「祖父はメキシコに密航してからサボテン畑を逃げ回ったらしいです。その後、故郷の和歌山には帰れず、福島県いわき市に戻ったのですが、そういう話を小さい時に母親から聞いていたものですから、メキシコにはぜひ来たいと思っていました」と下坂さん。2年前にドミニカでのふるさと巡り旅行で一緒になった時は、父親の希望でドミニカへの移住を考えていた経緯を聞いたが、父親と祖父の思いを自分で体験できたことに感無量といった表情だった。 一行はホテルに向けて出発し、チェックインを済ませた後、午後8時過ぎからホテル内コンベンション会場でチアパス日墨協会主催による歓迎夕食会に出席した。 松居会長の説明によると同協会は5年前の2010年に発足し、会員数は約70人だという。協会では農業関係の活動も展開しており、ブラジルでも最近では人気が出ているモリンガや甘味料の原料となるステビアをはじめ、各種野菜類も栽培しているそうだ。 松居会長は「ブラジルの皆様にはるばるご訪問いただき、交歓できる機会を持つことができ、大変嬉しく思います」と歓迎のあいさつを行った。 この日はメキシコの日系団体との交流会最後の夜とあって、チアパス日墨協会側の配慮で、民族舞踊団の踊りも披露され、参加した一同はチアパス州での夜の催しを楽しんだ。(つづく、松本浩治記者) サンパウロ新聞 2015年10月31日付
「日本ブラジル外交関係樹立120周年」にあたる本年、ブラジル政府のお招きにより再び訪問できたことを大変嬉しく思います。1988年、日本人ブラジル移住80周年の記念式典が行われたおり、私は初めてブラジルを訪れました。今回、妻とともに再びこの地において、日系社会の皆様とお会いできましたことは大きな喜びです。 私たちは先ほど(編集部注=10月28日)、イビラプエラ公園内の開拓先没者慰霊碑に献花をしてまいりました。以前と変わらない静寂の中で、107年に及ぶ日本人移住者と日系人の歴史、そして数多の困難と、それを乗り越えてきた人々に思いを致しました。ここに、日伯両国の発展に尽され、両国の親善を体現されてきた先駆移住者に対し、あらためて深く敬意を表します。 1988年にパカエンブー競技場で行われた日本人ブラジル移住80周年記念式典では、笠戸丸でブラジルに渡られた児玉良一さんと中川トミさんをはじめ、各地から参加した人々で会場が埋め尽くされるほどでした。そして、式典の中で行われた、移民の歴史を物語る「祝・日本移民80周年祭」などが一万人という多くの人たちの絵文字によって表現されたことは大変に印象深く、30年近くを経た今でも鮮明に記憶に残っております。 また、当時お会いした私と同年代の方々が、今では日系社会の中核となり、政治、行政、経済、農業、医療・福祉、文化・芸術などのさまざまな分野において、ブラジル社会の発展に大きく貢献していらっしゃることをとても嬉しく思います。 これは、先駆移住者が築き上げてきた日本人や日系人に対するブラジル社会からの厚い信頼が継承され、皆様が弛みない努力を続けてこられたことによる賜物でありましょう。同時に、ブラジル政府や国民から温かく迎え入れられ、協力を得たことに対しても、皆様と共に、感謝の意を表したく思います。 今日では、日系人を中心とする約18万人にのぼるブラジル人が、日本に渡って在住し、若い世代においては、両国の青少年の間でも多様な交流や協力が進展しているなど、相互の往来がより盛んになっていることも、誠に喜ばしいことであります。特に若い世代の皆様が、これからも両国の友好の掛け橋として活躍されることを心から願っております。 終わりに、ブラジル日系社会のさらなる発展と皆様のご健勝、そして日本ブラジル両国の友好親善がさらに深まり発展してゆくことを祈念し、私の挨拶といたします。 ニッケイ新聞 2015年11月4日付
ニッケイ新聞 2015年11月4日 島根県人会(村上光明アンドレ会長)が「第11回慈善バザー」を8日午前10時から同会館(Rua das Rosas, 86, Praca da Arvore)で開催する。午後5時まで。入場無料。 約30店のバザリスタが出店、クリスマスプレゼントにぴったりな財布や陶器、パッチワーク等の小物を販売する。婦人部は巻き寿司やまんじゅう等の日本食を手作りする。 来社した村上会長、婦人部の浜野ビルマさんは「売り上げの一部はこどものそのに寄付します。今年最後の県人会イベントに是非お越しください」と呼びかけた。 問い合わせは同県人会(11・5071・0082)まで。
ニッケイ新聞 2015年11月4日 大阪なにわ会医療関係専門家グループ(西国幸四郎代表)主催の『健康座談会』が7日午後2時から、同会会館(Rua Domingos de Morais, 1581, Vila Mariana)で開かれる。参加費無料。 1993年から毎年開かれ、去年は約60人が参加。医療関係職に就いた同会の府費留学生・研修生のOBらで構成される「医療関係専門グループ」が主体となって運営する。 「しっかりした生活」をテーマに「記憶力」「めまいと予防」「漢方医学とめまい」「セルフケア」を主題にした講演が行なわれる。質疑応答や健康相談の時間も。 案内のため来社した山本剛介(ごうすけ)副会長は、「健康について悩んでいる方、各医療分野の専門の先生が来られます。お気軽に起こしください」と呼びかけた。 問い合わせは同会(11・5549・7226)まで。
ブラジル鳥取県人会(本橋幹久会長)は、県費留学生・技術研修制度50周年と鳥取交流センター設立20周年記念式典を8日午前10時からサンパウロ市サウーデ区の同交流センター(Rua Cesaria Fagundes, 323)で開催する。 当日は母県から林昭男副知事、斉木正一県議会議長をはじめ、民間を合わせた27人の慶祝団が来伯する。 今回の式典について本橋会長は「母県への感謝を表すこと」に重点を置いており、(1)県費留学生・技術研修制度50周年(2)鳥取交流センター設立20周年(3)「サンパウロ―鳥取友好の森」植樹の3つの記念事業を行うという。 本橋会長は「現在、留学生・研修生を母県で面倒を見るのに一人400万円がかかると聞いている。これまでに母県で約100人の留学生・研修生を受け入れてくれているので、単純計算でも4億円の経費がかかっていることになる。その意味で、いかに留学生・研修生を受け入れてくれていることがありがたいか、県に対して感謝を表すことが今回の式典の大きな目的」と強調する。 9日午前には(3)の記念植樹がマッタ・アトランチカで行われる。 鳥取県人会では現在、約30の教室があり、週に延べ500人の人々が集まるという。また、今や県人会では珍しくなった日本語教室も開いており、4カ月ほど前には幼稚園部も創設している。 さらに、17日にはコーラス部が鳥取県に自費で訪問するほか、留学生・研修生OBたちが経費を出し合って来年3月ごろに鳥取から若い世代を招へいする予定があるなど、ブラジルと母県をつなぐイベントが目白押しとなっている。 本橋会長は、当日の式典への参加を呼び掛けている。詳細は同県人会(電話11・2276・6032)まで。 サンパウロ新聞 2015年11月4日付
重国籍問題など7大会宣言を決議 【東京支社=瀬頭明男】第56回海外日系人大会が27日から29日までの3日間、東京の憲政記念館、JICA市ヶ谷ビルを会場に開かれた。海外からの参加者は160人(ブラジルからの参加者は75人)で、代表者会議で熱心な討論を行ったほか、高円宮妃殿下が出席されての歓迎交流会、岸田文雄外務大臣による歓迎レセプションに出席した。代表者会議では、重国籍問題や在外選挙制度の簡素化を求める7項目の大会宣言を決議した。 ◆代表者会議同大会で最も重要視されるのが代表者会議で、3分科会に別れ様々な問題が論議され、大会宣言に盛り込まれる。今年も議論は活発で、「日本の発展と日系社会」分科会では重国籍問題、それに付随してJRのレールパスが取り上げられた。 重国籍は各国が認める方向にあり、日本は世界の流れから遅れているとの指摘が相次いだ。休憩時間には出席者たちの間で、「今は二重国籍どころか、三重国籍者だって認めている国さえ出始めている。日本は海外から見ていると、鎖国が続いているようなものだ」と、日本政府の対応の遅れを批判する声も聞かれた。 会議では重国籍に絡み、在住国と日本の両方の国籍を持つ人のレースパス使用ができない実情について、「これは、ぜひとも改善してほしい」と強い意見が出された。これに付随して、「グリーン用レールパスを購入しても、新幹線はグリーン車を連結しているのが少ない。連結している『のぞみ』には乗れないし、現状にあったものに改善してほしい」との指摘が行われた。 大会宣言に盛り込まれる要望事項については、「様々な要望が盛り込まれているが、重国籍問題一つとっても一向に改善されない。大会宣言自体が抽象的で、要望を実現するためのロビー活動をする人もいないように見受ける。ここらも改善の余地があるのではないか」という強固な意見も出された。 東南アジアからの出席者は、「日系子弟と分かり日本国籍を取ると、在住国で生まれてからその日までの罰金を取られる。これは日本国籍を取得すると、在住国の国籍を捨てなければならないためで、こんな不合理なことはない。日本が重国籍を認めれば解決する問題だ」と改善を要望する意見も出された。 ◆歓迎交流会交流会は憲政記念館で高円宮妃殿下をお迎えして行われた。海外日系人協会会長の山田啓二京都府知事が開会のあいさつ、来賓の濱地雅一外務政務官が祝辞を述べた。乾杯の後、同妃殿下は参加した日系人の間を回り、お言葉をかけられた。 海外にお出かけになる機会の多い同妃殿下は日系人の知り合いも多く、笑顔で旧交を温められていた。 ◆外交史料館&外務大臣主催レセプションレセプション開始を前に参加者は、レセプション会場側にある外交史料館で開催中の「日伯交流120年展」を見学した。同展では、日伯通商航海条約の批准、移民事業に力を入れた榎本武揚の写真、笠戸丸の出発、到着を知らせる電報などに見入っていた。参観者たちは書類を見ながら、「昔の人は文字がうまかったのね」と感想を漏らしていた。 レセプションは、忙しい岸田文雄外相の到着で始められた。岸田外相は「皆様の来日、帰国を歓迎します」と参加者たちの在住国での苦労を慰労した。懇談に入り、外相はあいさつをする参加者たちとにこやかに歓談していた。 ◆カラオケ大会海外日系人大会の掉尾(ちょうび)を飾る初の「日系カラオケ大会」が29日、東京・平河町の砂防会館で開かれ、ペルーの研修生、福崎ケネスさん(27)が優勝、賞金10万円と優勝盾を手にした。 同大会は日系人大会開催から56年目にして初めて行われたもので、認知度が低かったためか来場者は少なかったが、出場者11人の熱唱で大きな盛り上がりを見せた。出場者はブラジルからが最も多く5人、次いでペルーが3人、カナダ、アメリカ、メキシコが各1人だった。 優勝した福崎さんはJICA研修生。声量があり、音程もしっかりしていて、第1回目の優勝にふさわしい実力の持ち主だった。「カラオケで歌ったのはこの日が2回目。緊張したけど、何位になろうなどとは考えず、精一杯歌いました」と笑顔を浮かべた。「賞金の使い道ですか? まだ何にも考えていません」と、優勝するとは思ってもいなかったという。 司会はハワイのとみたいくこさん、審査員は島内憲前ブラジル大使、歌手の井上祐見さんらだった。 サンパウロ新聞 2015年10月31日付
在伯島根県人会(村上アンドレー光明会長)婦人部主催の「第11回慈善バザー」が11月8日午前10時から午後5時まで、サンパウロ市プラサ・ダ・アルボレ区の同県人会館(Rua das Rosas, 86)で開催される。 当日は31のバザリスタが出店し、折り紙の財布、陶器、パッチワーク、押し花などを販売する。会場では婦人部特製の巻きずしやいなり寿司、椎茸ご飯、まんじゅうなどが用意され来場者のお腹を満たす。 案内に訪れた村上会長と実行委員の浜野ビルマさんは「バザーの売上の15%はこどものそのへ寄付されます。クリスマスも近いので、プレゼントを買いにぜひ、お越しください」と来場を呼びかけた。 入場無料。問い合わせは同県人会(電話11・5071・0082)まで。 2015年10月31日付
ニッケイ新聞 2015年10月31日 ブラジル鳥取県人会(本橋幹久会長)が『県費留学・研修制度50周年並びに、ブラジル鳥取センター設立20周年記念式典』を8日午前10時より、同センター(Rua Dona Cesaria Fagundes, 323, Saude)で挙行する。 県費留学生と技術研修生制度のOB・OGは98人に上り、またセンターは広く文化事業の場となっている。来社した本橋会長は式典の目的を「母県への感謝をあらわすため」と語る。日本からは林昭男副知事や、斉木正一県議会議長をはじめとしたの慶祝団約30人が訪れる。 センター20周年に当たっては、増築事業や県人会コーラス部の訪日事業への助成も受けた。式典翌日には12年から継続している「サンパウロ・鳥取友好の森事業」のため、聖市オルト・フロレスタルで植樹を行う。 また新事業として「母県若人招聘事業」を発足。元留学生で設立した基金で、母県の若者を伯国に滞在させようという試み。3月の実施を予定しており、式典でも発表される。 問い合わせは同県人会(11・2276・6032)まで。
ニッケイ新聞 2015年10月30日 【既報関連】御来伯中の秋篠宮同妃両殿下は、28日午後3時頃、文協ビルを訪問された。秋篠宮様が同地を訪れるのは、1988年『移民80年祭』以来2回目で、両殿下揃っては今回初。移民史料館を御見学し、大講堂では1千人の聴衆を前に、日伯外交120周年の節目の御挨拶をした。 御到着に際し、出迎えには大志万学院、アルモニア学園、コレジオブラジリアの生徒約100人が両国の小旗を振って歓迎。 貴賓室では日系議員や叙勲受章者を中心とした関係者約50人と御懇談した。元文協会長の山内淳さんは「97年に天皇陛下来伯式典の際に、私が実行委員長を務めた頃の話を聞いてくださった」と懇談の内容を明かした。 続いて、移民史料館を御見学。山下リジア同運営副委員長の説明を受けながら、7階から9階まで、一つひとつ丁寧に御覧になっていた。以前にも同館を訪問されていた秋篠宮様は途中、紀子様に自ら御説明する一幕もあった。 大講堂では1千人の聴衆を前に、歓迎式典に御出席。両殿下が御入場すると、涙を流して迎える人もあちこちで見受けられ、文協コーラス部が両国家を斉唱した。 日系5団体及び、日系社会を代表して文協の呉屋春美会長が挨拶。「再びブラジルに御越し下さったことは日系社会にとって何よりもうれしい」と歓迎の意を表し、「移民107年が経った今では、各地で日系人が活躍している」と報告した。 秋篠宮様は「ブラジル政府や国民から暖かく迎え入れられたことに対して、皆様と共に感謝する」。また「先駆移住者に敬意を示し、日本ブラジル両国の友好親善が更に深まり、発展していくことを期待します」と話された。 秋篠宮様と紀子様はそれぞれ、両国旗を持って入場した川上ヒサナガくん(13、四世)、ジェシカ・レイテ(12)さんから、献上品と花束を笑顔で受け取られた。 大志万学院の宮本敏幸さん(13、四世)、イザベラ・マシさん(13)が青少年を代表して日本語で「日伯の架け橋になっていきたい」と挨拶した。 両殿下は退場の際にも、両国の小旗を振る子どもたちや聴衆に見送られつつ、話に耳を傾けられていた。米光ミヨ子さん(74、二世)は、「去年、日本を訪れた際の話を聞いてくださった」と喜んでいた。 呉屋会長は式典後、感動した様子で、「いつも見守って下さる皇族の皆様へ『感謝を伝えること』が式典の目的。私たち日系人は日本人の血が流れていることに誇りを持っているとわかっていただければ幸せ」と話していた。   □関連コラム「大耳小耳」□ 文協歓迎会にご出席された秋篠宮ご夫妻。正面玄関と大講堂前のサロンには日系児童以外にも、一般約30人も小旗を振ってお出迎え。その中には今年99歳を向かえる高齢者も。車椅子に乗る林原ヨシエさん(99、大阪)は「紀子さまから白寿のお祝いをして頂きました」と笑顔を見せた。充分な元気をもらったはず。◎殿下が以前執筆された鶏の家禽化に関する学術論文がある。サンタクルス病院では、この論文をポ語訳した本が石川理事長より贈呈された。日本の鳥類研究所の総裁でもある殿下らしい非常に専門的な本。表紙を飾っている絵は、妃殿下がお描きになられた雌雄の鶏だ。羽の一枚一枚まで細かく描写され、翻訳した二宮正人さんも「まるで写真のように精密」と驚いていた。2ページ目の写真では、陽だまりの中で微笑まれる両殿下のお姿も。
先駆者移民の苦労を偲ばれ 日系団体主催の歓迎式典が、28日午後5時1分からサンパウロ市リベルダーデ区のブラジル日本文化福祉協会の大講堂で行われ、会場は若干の空きが見られたが、976席ほぼ満席になる来場者が訪れ、秋篠宮ご夫妻をお迎えした。ご夫妻と共に日系5団体の会長、国松首席随員、横田随員、名井随員、梅田邦夫駐ブラジル日本国大使夫妻、中前隆博在聖総領事が登壇した。 ◆文協正門からご入場【羽田和正記者】秋篠宮ご夫妻は同日午後3時15分、ブラジル文化福祉協会の正門前に到着された。正門階段から赤の絨毯(じゅうたん)が敷かれ、文協の呉屋春美会長が先導し、ご夫妻を丁重にお招きした。ご夫妻は溢れんばかりの笑顔を振りまかれ、時折、来場者と握手をしながら一段一段階段を登られた。 正門階段脇では、アルモニア学園の生徒(5年生)らが日伯両国旗を振って歓迎。ご到着1時間前に生徒らは目を輝かせながら、「午後2時から待ってる。秋篠宮さまについて特に勉強はしていないけど、緊張しています。名誉です」などと話していた。 ご夫妻が階段を登り終え、建物内に入られると、白寿者や百寿者ら99歳以上の高齢者が着席のまま出迎えた。両夫妻は高齢者一人一人の顔を見ながら握手をされ、貴賓室へと向かわれた。 ご夫妻と握手した佐藤誠仁さん(100、沖縄)は「よく、おいでになられたと思います。会話はできなかったが、拝見できて大変に嬉しい。気持ちが高揚して昨晩はよく眠れなかったのですが、今夜はゆっくり眠れそうです」と微笑んだ。 ◆日系代表者とご懇談【佐久間吾朗記者】午後3時18分、秋篠宮ご夫妻は日系5団体の会長らと共に文協ビル2階の貴賓室に到着した。 在サンパウロ日本国総領事館の中前総領事の案内で、集まった叙勲者や日系団体の関係者ら65人一人一人と握手をし、お話を交わした。杖をついた叙勲者には、腰をかがめて同じ目線でお話をされ、ご夫妻の優しさがにじみ出たご懇談となった。 この日の紀子さまは薄いベージュのジャケットとスカートの上下に真珠のネックレスとピアスをあしらったお姿。気品ある装いが印象的だった。ブラジル相撲連盟名誉会長で叙勲者の赤木政敏さん(84、宮崎)は「初めてご夫妻とお話しした。秋篠宮殿下から『どちらに入植されたのですか』と聞かれ、ここから600キロ先の山奥に入ったとお答えした。『昨年の秋には天皇陛下から旭日小綬章をいただき、ありがとうございました。帰国の際はよろしくお伝え下さい』とお伝えした」と話した。 在聖日本領事館前顧問弁護士で叙勲者の大原毅さん(79、2世)は「どこで生まれ、どの大学に行ったか、ずっと弁護士をしているのかなどを聞かれた。私の名札をよくご覧になって質問してくれたのだと思う。丁寧な対応で、こちらに緊張感を与えない優しさが感じられた」と感激した様子だった。 ◆移民史料館【羽田和正記者】秋篠宮ご夫妻は7階から9階までの日本移民史料館を視察され、7階では「開拓者の家」に午後4時26分に到着され、続いてパンタナールの動物の剥製(はくせい)を鑑賞された。9階には午後4時40分にご入室。天皇皇后両陛下の御真影のほか、皇室関連のパネルが展示された会場内を一周された。 ご夫妻の案内役を担当した山下リジア史料館運営副委員長は「感激でした。緊張しすぎて、順序を少し間違えてしまいました。とても、おしとやかな印象を受けました」と感想を話した。 ◆日系社会歓迎行事【佐久間吾朗記者】開会に先がけ、モルンビ学校のヒサナガ・カワサキ・レオナルド君とピネイロ学校のジェシカ・テイシェイラ・フェレイラ・レイテさんが両国旗を持ち、入場。掲揚し、続いて吉田エリザベスさんのピアノ伴奏で両国歌斉唱を行った。国歌斉唱にはピッコロ、パイネイラ、文協コーラスの3つの合唱団から参加した45人が美しいハーモニーを聴かせた。 文協の呉屋会長は「今回両殿下が再び来てくれたことを何より嬉しく光栄に思う。今日こうして式典を開催でき嬉しい。私は5歳の時に家族と共に移民して来た。夢と希望を持って移民した人々は厳しい環境の中でも日本に対する愛情と尊敬を忘れたことはなかった。現在では子弟の一人一人がブラジル各地で活躍し、社会に貢献している」とあいさつを述べた。 続いて秋篠宮殿下から「私たちは先ほど(28日午後1時15分)、イビラプエラ公園内開拓先亡者慰霊碑に献花をして参りました。日伯両国の発展に尽くされた先駆移住者に対して改めて敬意を表します」とお言葉を述べられ、前回訪れた1988年の移民80周年式典での思い出を挙げ、「30年近く経った今でも鮮明に覚えています」と語った。「当時、私と同世代だった日系人の皆さんも今では社会の中心として活躍されています。また、若い世代の皆様がこれからも両国の友好の懸け橋として活躍されることを心から祈っております」と話された。 殿下は来場者が聴きやすいようにマイク位置を直すなど、さり気ない配慮を見せられた。会場は静まり返り、殿下のお言葉に耳を傾けた。 その後、レオナルド君から殿下へアララ・アズールの石の置物が贈呈され、ジェシカさんが紀子さまへ花束を贈呈した。...
「100周年記念学校」で大歓迎 アカコヤグアにある日系協会会館(文化センター)内では、浴衣を着た10歳前後の地元の女の子8人が「もみじ」を合唱し、一行を歓迎してくれた。 その後、あいさつに立った春日カルロス氏は「私が榎本殖民団入植90周年(1987年)でここ(アカコヤグア)に来た時、椰子の葉でできた学校に当時13人の生徒がおり、その中の5人は日系人の名前を持つ生徒がいたことに感動した」というエピソードを紹介し、その後の98年4月に日本政府からの機材協力などを得て、同協会を建立したことを説明。さらに、移住100周年(97年)を記念して地元の中学・高校を「日本移民100周年記念学校」と名付けたとし、同校の卒業者には1週間、メキシコシティに招待しているという。 「美しい花を咲かせるには枝、幹、根を大事にしないといけない。それと同じ思いで、この町を栄えさせたいと思って頑張っている」と春日氏は自らの熱い思いを語った。 同協会のすぐそばには生徒たちの寄宿舎があり、それも春日氏が寄付したという。そのことを教えてくれたのは、パラグアイのピラポ移住地で生まれ育った村久木(むらくき)由美さん(44)。主人がアカコヤグア出身の日系3世で、日本で出会った。主人の仕事の関係で由美さんも日本に住んでいたが、2011年3月に発生した東日本大震災により、4年前に幼い子供2人を連れてアカコヤグアに来た。主人はまだ日本で単身赴任で働いており、「1年に4回ぐらい、春日さんがアカコヤグアに来る時にお手伝いしているんですよ」と流暢な日本語で教えてくれた。 春日氏の案内で協会から歩いてすぐ近くの「日本移民100周年記念学校」に行くと、炎天下の蒸し暑さの中で日墨両国旗とともにブラジル国旗を振りながら、学校の制服やジャージを着た生徒たちが明るい笑顔で一行を迎えてくれた。学校の外から中へと列をなして続く皇室関係者のような大歓迎を受けた一行は、中学校の中庭広場で学校関係者手作りのメキシコ料理をご馳走になった。 その後、生徒たちのマリンバ演奏と民族舞踊が披露され、色鮮やかな衣装と踊りに見入っていた。 同高校の野村マルチンス校長によると、同校の生徒は中高合わせて約1500人が在校し、高校には約600人が通っているそうだ。 同校の中学校に通っている小向まゆみさん(14、3世)は、日本で生まれて11年間を日本で過ごし、祖母が病気のため3年前に母、兄と一緒にアカコヤグアに来たという。「スペイン語はまだまだですが、友達もできてすごく楽しいです」と笑顔を見せながら、同級生たちと親しんでいる様子だった。 一行は、生徒たちとの名残を惜しみながら午後4時過ぎに同校を出発。「榎本殖民団」がメキシコへの最初の一歩を踏みしめたマデロ海岸へと向かった。(つづく、松本浩治記者) サンパウロ新聞 2015年10月30日付
慰霊碑前で先人への思い偲び 「権力者の場所」の意味を持つというアカコヤグアではまず、午後0時40分に「カサ・デ・ディスカンソ(安らぎの家)」でバスを下車し、地元の日系人たちの出迎えを受ける。バスの外に出ると青空に白い雲が浮かんでおり、熱帯の蒸し暑さを感じた。 1987年、「榎本移民団」入植90周年を記念して建てられた同所の敷地内には、榎本移民とその子孫たちの墓があり、市役所が管理しているという。その周りにはメキシコ人の土葬の墓もあり、水色やピンクに塗られた原色が目にまぶしい。 屋根があるだけの「カサ・デ・ディスカンソ」には、正面の壁に先人の遺影などが奉られており、本橋幹久県連会長と同行した和久井伸孝日墨協会会長が献花した。 メキシコシティの日墨協会での夕食歓迎会にも出席したメキシコ日系社会の名士「ドン春日」こと春日カルロス氏も姿を見せ、118年前の1897年に36人の日本人移住者が最初の入植地として足を踏み入れた経緯を説明。「残念ながら現在はほとんどの日系人が混血で、日本語も話さないが、心はまだ日本人である」と強調した。 本橋県連会長は「ブラジルの笠戸丸移民の11年前にこの地に、中南米初の日本人が最初に移住されたことに敬意を表します」とあいさつ。アカコヤグア市役所を代表してあいさつした職員のガブリエル・クルス・アントニオさんは「アカコヤグアに日本人が入植したことに感謝しており、今回(ふるさと巡りの)皆さんが来てくれたことでブラジルとメキシコと日本をつなぐパイプがつながったことを嬉しく思う」と述べ、歓迎の意を示した。 アントニオさんたち職員の案内で敷地内にある初期移民たちの墓を見せてもらうと、「カサ・デ・ディスカンソ」の奥まった所に、ひときわ丁寧に日本人及びその子孫たちの墓が安置されていた。時間の関係でゆっくり見ている暇がなかったが、メキシコ式の墓石には「MATSUI」「KOMUKAI」「HORITA」など日本人の苗字が刻まれているのが見えた。 その後、一行は中央公園にある「榎本殖民記念」と書かれた記念碑にバスで移動。午後1時過ぎから同記念碑前で慰霊セレモニーが行われた。それにしても暑い。真上からの陽射しが照り付ける炎天下の中、汗がしたたり落ちる。 セレモニーでは、市長を2回歴任したことがあるという日系3世のガリレオ・コムカイ氏(59)が、同碑が1968年6月に地元日系人の厚意で建立されたことを説明した。改めて、本橋県連会長と和久井日墨協会会長が慰霊碑前で献花し、黙とうを行った参加者一行は「榎本殖民団」への思いを偲んだ。 ちなみに、記念碑の反対側には、「夏草や つわ者共の 夢の跡(原文ママ)」の文字が刻まれており、その下にあるプレートには「榎本殖民団」36人全員の名前がアルファベットで岩手、愛知、兵庫の3県別に記されている。 セレモニーに参加していたコムカイ氏の子息であるラモス・コムカイさん(29、4世)は、10月にデンデ椰子の研究で15日間、ブラジルのマナウス市で研修を行うとして、笑顔を見せていた。 記念碑前で記念撮影した一行は、中央公園付近にある市長舎内を見学した後、同市内の「カルロス・カスガ通り」にある日系協会会館(文化センター)に移動。関係者の歓迎を受けた。(つづく、松本浩治記者) サンパウロ新聞 2015年10月29日付