06/03/2026

Ano: 2015

ニッケイ新聞 2015年10月29日 日伯外交樹立120周年を記念し28日、秋篠宮同妃両殿下が着聖された。27年ぶりのブラジルご訪問では、初日昼から市内のイビラプエラ公園を訪問され、慰霊碑参拝、日本館をご視察された。その後はサンタクルス病院のご視察、文協での歓迎会などにご出席された(後日詳報)。 28日朝、ブラジルに到着された秋篠宮ご夫妻は昼過ぎ、聖市内のイビラプエラ公園にある先没者慰霊碑を参拝。県連の本橋幹久会長、原島義弘、杉本教雄副会長、フェルナンド・ハダジ聖市長ら関係者70人あまりが出迎えた。 本橋会長が慰霊碑について解説し、殿下が献花して一礼。原島副会長が「全伯の日系人を代表してお礼申し上げます」と謝辞を述べた。本橋会長は「初めは恐縮してぎこちない会話だったが、親しみやすい雰囲気を出して頂いた」と人柄に触れ、来訪を喜んだ。 その後は隣接する日本館をご訪問。入り口では市内にある「ミラソル」「ピオネイロ」の両日系学校に通う児童約100人が両国の小旗を振りながら、文協の呉屋春美会長ら役員に迎えられた。敷地内でイペーを植樹し館内へ。鯉に餌をおやりになり、植物の前では足を止めじっくりと聞き入る姿も見られた。 両殿下は、見送る児童らに声をかけながらイビラプエラを後に。ピオネイロの久保田アケミさん(13、三世)は、紀子さまから「学校は楽しいですか? 日本語は勉強しているのですか?」と質問され、「『バレーが楽しいです』と答えた。驚いたが間近に見られて嬉しかった」と喜んだ。 日本館を解説した相良クリスチーナ泉・運営副委員は、「私の解説よりも先にパウ・ブラジルを見つけ、『あれがパウ・ブラジルですね』とお話になり驚き。秋篠宮邸にはパウ・ブラジル製のテーブルがあるとも話されていました」と振り返り、動植物への関心の高さを伺わせた。 イビラプエラ公園を発った両殿下はサンタクルス病院、文協へ。夜には市内のホテルにて、JICAや日本語センターの関係者とご懇談した。今日29日は午前中に憩の園をご訪問、サンパウロ大学で学長、学生らと懇談される。午後にはブタンタン毒蛇研究所をご視察し、夜は聖州政府の歓迎レセプションに出席される。 30日にはパラナ州クリチバの記念行事などにご出席される。翌日は北パラナのロンドリーナ、ローランジャ、マリンガを訪れ、1、2日には南麻州カンポ・グランデに足を運ばれる。 3、4日はパラー州ベレンへ向かい、アマゾン川や市場、博物館を視察される。日伯修好通商条約を締結した5日には、首都ブラジリアにて連邦議会の記念式典、ジウマ大統領との面会も予定。7日はリオへ移動され、8日の離伯まで各地で政府関係者、日系団体らと交流する。
聖市皮切りに10都市をご訪問 【既報関連】日本ブラジル外交関係樹立120周年を記念して、秋篠宮ご夫妻がきょう28日午前、最初のブラジル訪問地であるサンパウロ(聖)市に到着される。ご夫妻は日本を27日に発たれ、ドイツを経由してきょう28日とあす29日に聖市の各種公式行事にご臨席。その後、パラナ、南マット・グロッソ、パラー、ブラジリア、リオ各州の全10都市を訪問され、11月10日にご帰国になる。聖市での2日間にわたる公式行事ご日程は次の通り。 【28日】最初の訪問地である聖市には28日午前にご到着。午後から最初の公式行事としてイビラプエラ公園内の日本移民開拓先亡者慰霊碑に献花された後、引き続き、慰霊碑に隣接する日本館を訪問される。 サンタ・クルス病院では、新記念碑の除幕や日系人医師らとのご懇談も予定されている。 ブラジル日本文化福祉協会ビル内では、日系団体代表者約100人とご懇談。その後、同ビル内の移民史料館をご視察後、記念講堂で日系社会歓迎行事に臨席され、秋篠宮殿下から「お言葉」がある予定。 夕方、ブラジル日本語センター関係者及びJICA派遣日系社会ボランティアたちとも接見される。 【29日】29日午前、救済会憩の園(老人ホーム)をご訪問。引き続き、サンパウロ総合大学(USP)本部キャンパスを訪問され、同大学学生たちとご懇談。午後からはブタンタン毒蛇研究所をご視察後、聖州政庁でジェラルド・アルキミン州知事とご引見の予定。その後、州知事及び在聖総領事館共催の歓迎レセプションに出席される。 サンパウロ新聞 2015年10月28日付
ニッケイ新聞 2015年10月28日 「富士山通り」に日墨会館は建っている。大きな駐車場にバスが着くと、役員、会員のみなさんが入母屋式の会館前で迎えてくれた。 第二次大戦中、日本とメキシコは国交断絶し、当時メキシコ市にあつた日本公使館の資金が凍結された。しかし平和条約締結後、55年には日墨文化協定が結ばれ、56年には凍結資金全額(約2200万円)が解除返還された。これを日本政府側は、「両国の親善と文化交流に役立てよう」と地元日系社会で創立された「日墨協会」の会館建築費に充てた。 創立者であり会長も務めた松本三四郎氏が1万平米の土地を寄贈、コロニアからの浄財も集め、まさに官民一体となった事業だった。いくつかあった日系団体も吸収一本化され、名実ともにメキシコ日系人を代表する団体となっている。 会館内には、レストランや図書館、日本語教室、プールを含むスポーツ施設なども完備、多くの日本文化イベントも行われている。 一行は美しく広がった日本庭園に感嘆の声を上げながら会場へと向かった。本橋会長は、和久井伸孝会長、メキシコ日系社会の〃顔〃である春日カルロス顧問らとともに、日系人の塔へ献花、記帳も行い、榎本移民に始まる日本人移民、日系人らの冥福を祈った。会場は約150人で埋まり、協会のコーラスで迎えられた。各県別に分かれて座った。和久井会長、04~07年にブラジル大使館に参事官として勤務した清水亨公使らが歓迎のあいさつを述べ、春日顧問は、「メキシコの日系人はブラジルの1%しかおりませんが、みなさんの100倍頑張っています!」と会場を沸かせた。 メキシコ音楽の演奏や余興もあり盛り上がった。同じハッピを着込み歓声が上がっていたのは長野県人会のテーブル。ブラジルの県人会役員が、今回のメキシコ訪問を受け、母県に橋渡しを頼んだ。司会を務めた中村剛副会長(62)や、春日顧問も県系ということで大い交流を深め、「今度はブラジルで会いましょう!」と再会を誓い合っていた。 翌日、都市遺跡「テオティワカン」へ。紀元前2世紀に建造されたとされる宗教都市跡だ。入口から見える月のピラミッドが壮観だ。高さ65、底辺の1辺は225メートル。登っている人の大きさからその偉容ぶりが分かる。階段も248段あると聞き、多くの人が途中まで登るだけで記念撮影を楽しんだ。 時間もないので(このツアーは常に時間がないのだが)、さっそく登ろうと同室者の内村さんに「では後で…」と挨拶すると「自分も登る」というので驚いた。手すりがあるとはいえ、かなり急なので怖い。転げ落ちると事なので、記者は勝手に後ろについた。 登り切るとはるかに広がるメキシコ盆地の風景が清々しい。1万人が10年をかけ作られたという。ここに20万人が住んでいたのだろうか―。ふと気がつくと観光客で一杯となっている頂上部分に内村さんがいない。 大丈夫かなと思いつつ、下までたどり着くと「遅いですよ~」とばかりに笑っている。この調子では、エジプトのピラミッドでも香川県の金毘羅さんでも大丈夫そうだ。長寿の御利益があるのではと、スーパー80歳の後ろ姿をこっそりと拝んだ。(堀江剛史記者)
念願のアカコヤグアへ 昼食後、7人の団員が一行より先行してチアパス州都のトゥクストラ・グティエレスへと向かい、午後2時40分にメキシコ・レストランを出発したそれ以外のメンバーは、メキシコシティにある国立人類学博物館に行く予定になっていた。 ところが、この日(9月27日)は日曜日である上、同博物館内ではブック・フェア(フェイラ・デ・リブロ)が実施され、入場するのに400メートルの列ができているとの情報が入った。 結局、時間がないとして、国立人類学博物館見学は最終日の30日午前に振り返られ、その時間を利用して団員からの希望もあり、メキシコシティ内の土産物屋に行くことになった。 土産物屋は、奥に行けば行くほど迷路のように入り組んでいる。民芸品やメキシコ名物のソンブレロ(つばの大きい帽子)、「ルチャ・リブレ(自由な戦い=プロレス)」のマスクやTシャツなども所狭しと置かれていた。 ただ、ここでの買い物時間も30分と少なく、ゆっくり買い物を楽しむ時間がないことから一部の団員からは苦情も出ていた。 午後5時10分、空港に到着し、トゥクストラ・グティエレスへ国内移動するためにアエロ・メヒコのカウンターで搭乗手続きを行うが、ブラジルと同じく係員の段取りが悪いのか遅々として受付作業が進まず、結局、全員が搭乗手続きを済ませるまで約1時間半を要した。 それでも午後9時半出発の飛行機までには、まだ2時間半以上も時間がある。一行は空港内レストランで夕食を取ったが、記者たちはガイドの許可を得て、近くのフードコートでビールを飲んで搭乗までの時間を待った。 午後9時半発のトゥクストラ・グティエレス行きの飛行機には、日墨協会の和久井伸孝会長も同行してくれた。南東へ約800キロ離れた同地へは午前0時ごろに無時到着。ホテルに着いたのは午前1時を回っていた。◎   ◎4日目の9月28日。この日はいよいよ「榎本殖民団」が入植したアカコヤグアを目指す。 一行は午前7時からの朝食で、朝からボリュームのある食事をたっぷり取っている。それにしても感心するのは、ふるさと巡り参加者が比較的高齢者が多いにも関わらず、皆さん元気なことだ。朝から晩までのハードスケジュールで今回は特に移動も激しいが、ほとんどの人が文句を言うこともなく旅行を楽しんでいる姿には本当に頭が下がる。 午前8時、一夜限りのホテルをチェックアウトして出発する。トゥクストラ・グティエレスの海抜は約500メートルで日中は30度を超える暑さになるという。南に約300キロ離れたアカコヤグアはさらに暑く、太平洋に近いため湿気も多いそうだ。 一行は途中、午前10時ごろのトイレ休憩を挟んで、約4時間半バスに揺られた。午後0時半、アカコヤグアに到着。こじんまりとした町中には、オート3輪タクシーが走り回っていたのが印象的だった。(つづく、松本浩治記者) サンパウロ新聞 2015年10月28日付
ニッケイ新聞 2015年10月27日 ブラジル秋田県人会(川合昭会長)は25日、「創立55周年式典」を聖市内の三重県人会で開催した。母県から佐竹敬久知事、渋谷正敏県議会議長ら27人の訪問団を迎え、約200人が参加した。記念品の交換などが行われ、祝賀会ではカーニバル隊の参加や訪問団によるドンパン節も。節目の年を祝うと共に、両者の絆がさらに深まる式典となった。 同会は1960年、会員45人で発足した。同県人会館は近年、建物への落書きや壁の老朽化が進んだことから、母県から2200万円の支援を受けこのたび改修を終え、24日にはテープカットも行った。 母県から佐竹知事、渋谷県議会議長および議員、秋田市副市長、湯沢市の高久浩二ふるさと応援大使、地酒「高清水」で有名な秋田酒類の平川順一社長、秋田テレビから佐藤真弓制作部専任部長らが来伯。 式典では日本からの訪問団27人および、中前隆博在聖総領事、菊地義治援協会長、林まどか文協副会長、本橋幹久県連会長、羽藤ジョージ州議らが出席した。川合会長はあいさつで、「仲良く楽しくが県人会のモットー。さらに前進しよう」と呼びかけ、改修への支援に対して謝意を述べた。 佐竹知事は「地理的には離れているが、同じ秋田県人。古里を愛し、発展を願う気持ちに隔たりはない」と語った。秋田県と県人会が互いに記念品を贈呈した後、佐竹県知事から日系3団体へ寄付金が送られ、本橋県連会長が代表謝辞を述べた。県費研修生の代表スピーチで3年前に留学したデニーゼ・ニシオカさん(29、三世)は、「生まれて初めて見た雪に大変感動した。最も印象に残っているのは秋田の人たちのおもてなし」と涙ぐみながら話した。 ケーキカット、鏡割りの後、祝賀会でカーニバル隊が現れると、訪問団員も県人会員も踊りに参加。続くドンパン節では、訪問団が汗だくになりながら陽気に踊りを披露した。記念撮影の後、「ふるさと」を皆で合唱して式典は幕を閉じた。 桜庭照子さん(84)は「古里の人たちの方言が聞けて、本当になつかしい」と感激した様子で話した。大間知康夫さん(28、三世)は、「県人会の結びつきも弱くなっているが、慶祝団一行が来てくれたことで絆をさらに強くする。こういう交流は本当に大切」と笑顔で語った。   □関連コラム「大耳小耳」□ 会館リフォームに2200万もの支援があった秋田県人会。この大型支援の理由を佐竹知事に聞いたところ、「言わば県人会は県の出先機関で市役所や町役場と同じ。支援は当然」とか。会員数が下から10番目という秋田県人会、今後の活動で県の思いにしっかり応えていってほしい。
ビラカロン沖縄県人会(上原テーリオ会長)とウエルカム・プロ(木本マルシオ取締役)主催の「第13回沖縄フェスティバル」が11月7日午前11時~午後9時、8日午前11時~午後8時にサンパウロ(聖)市ビラ・カロン区の同県人会館そばの広場(Praça Haroldo Daltro s/n)で開催する。案内に上原会長、木本氏、照屋武吉実行員長が来社した。 毎年多くの来場者で賑わう同イベントだが、今年の目玉は沖縄のバンドで、日本でも人気を誇るBEGINのショー。BEGINは今回が3回目のブラジル公演で、前回の訪伯時には在聖総領事館元職員の坂尾英矩氏からブラジル音楽の1つ「マルシャ」を紹介されたという。それ以来、日本でのコンサートでも披露を開始。「ビギンのマルシャ、ショーラ」(ショーラとは沖縄の方言で『…しようよ』の意)という作品を今年の夏に発表し、ブラジル文化を日本に伝えている。 「今まで違ったBEGINが観れるはず。マルシャショーラを聴きにぜひお越し下さい」と一行は来場を呼びかけた。 当日は琉球舞踊や沖縄太鼓、空手ショーなどが一日中ステージで披露され、会場では沖縄料理はもちろん、世界各国の料理が販売される。 入場無料だが、保存食1キロを持参のこと。問い合わせは同県人会(電話11・2296・1120)まで。 サンパウロ新聞 2015年10月24日付
神秘的なテオティワカン遺跡 テオティワカン遺跡に到着したが、ピラミッドの見学を前に我々第2グループは先に土産物屋へと連れて行かれる。土産物屋には、高さ2メートル以上もある巨大なリュウゼツランがあった。リュウゼツランはメキシコ名産の「テキーラ」の原料として有名だが、ここではアルコール度数が5%と低い発酵酒を作る様子が説明された。 メキシコには世界に260種類あるリュウゼツランのうち、約150種類があるという。土産物屋の女性がリュウゼツランの茎の先から内側にある薄い膜を取り出した。ビニール繊維のような薄い膜は昔、原住民が紙の代わりに絵を描いたりしたとし、その繊維で織物などを作っていたそうだ。 土産物屋にはテキーラをはじめ、黒曜石や数々の装飾品などが販売されていたが、結構値段が高い。しかし、毎日のスケジュールが詰まったふるさと巡り独特のハードな旅程の中で土産物をじっくり買う時間がほとんどなく、「買える時に買っておくか」と仕方なくテキーラなどを購入した。後でテオティワカン遺跡内にも小さな土産物屋がたくさんあり、我々が連れて行かれた土産物屋よりもはるかに安いことを知ったが、「後の祭り」だった。 おまけに、遺跡内には黒曜石や装飾品などを売り付けてくる地元民が多く、怪しげな日本語で「見て、見て」「これほとんどタダよ」などと、しつこく言い寄ってくるのには閉口した。 気を取り直してガイドのセサルさんの説明を聞く。それによるとテオティワカンには、西暦550年ごろまでメキシコで人口が最も多かった約20万人が住んでいたとし、その7割が芸術家で、残りの3割は農業生産者、商人、神官、数学者や天文学者だったという。 また、遺跡内にある月のピラミッドは正面が南に向いており、太陽のピラミッドは西に向いている。当時の住民にとって太陽の沈む西方向が「死者の世界の入口」=「聖地」とされ、死を超えてまた「生の世界」に戻ると信じられていたそうだ。 説明を受けた一行は、「月のピラミッド」には登らず、「死者の大通り」を歩いて「太陽のピラミッド」を約30分の時間に区切られて登ることに。その理由は、この日第2グループを中心にした7人のメンバーが旅行会社か何かの手違いで、当初の予定より早くチアパス州都のトゥクストラ・グティエレスに行くことになったため、団体行動として7人に時間を合わせることになったと、ブラジルから同行したガイドから聞かされていた。太陽のピラミッドの祭壇広場では原住民による宗教儀式が行われており、鳥の羽根を施した帽子をかぶったり、赤い鉢巻をして顔にペイントした人々が太鼓や笛の音色に合わせて踊っていた。 時間がない我々は、それを尻目に太陽のピラミッドへと登るが、階段は結構急でところどころワイヤーの手すりもあるものの、息切れがするほどだ。日曜日とあって観光客も多く、階段と頂上は人々でごった返していた。 それでも頂上から見える景色は雄大そのもので、これだけの遺跡が存在することに歴史と神秘さを否応無く感じさせられた。 予定時間の午後0時50分にバスを停めている駐車場に集まり、午後1時にテオティワカン遺跡を慌しく出発。地元のメキシコ料理店で昼食を取った。(つづく、松本浩治記者) サンパウロ新聞 2015年10月24日付
ニッケイ新聞 2015年10月23日 ブラジル沖縄県人会ヴィラ・カロン支部(上原テーリオ会長)が『第13回沖縄祭り』を11月7、8日両日午前11時から、同支部前サッカー場(Praca Haroldo Daltro, 297)で開催する。入場無料。それぞれ午後9時、同8時まで。 特別ゲストとして沖縄県出身で日本の人気バンド「BEGIN」が公演を行う(時間帯は未定だが両日夕方以降)。例年2万人の来場者を数える同祭を一層盛り上げる。 過去2度の伯国公演を通し、当地の伝統音楽「マルシャ」に影響を受けたBEGINは、今年6月アルバム『ビギンのマルシャショーラ』を発売。自身の楽曲をブラジル風にアレンジした作品を収録し、当日は同作からも演奏されることが予想される。 ほかにも舞台ではレキオス芸能同好会など、総勢600人の太鼓隊が登場。琉球舞踊、バンド演奏等も加わり、絶えず舞台を盛り上げる。また沖縄空手の模擬演技には大迫力の400人が登場する。 食事も沖縄そばやサータアンダーギー(沖縄風ドーナツ)や山羊汁(ヒージャージル)等の沖縄料理や各種日本食のバザリスタが100店軒を並べる。 上原会長と照屋武吉実行委員長は「ブラジル中の県人が集まるお祭り。五感で沖縄を味わって下さい」と呼びかけた。 またブラジル側でのBEGINのコーディネーター・木本マルシオさんは、「メンバーは『ちょうど条約が調印された11月にライブができるのは特別なことだ』と話している」と明かした。 問い合わせは同支部まで(11・2296・1120)まで。
グアダルーペ聖堂を見学 3日目の9月27日、ふるさと巡り一行は世界遺産のテオティワカン遺跡に向かうため、ホテルをチェックアウトして午前9時に出発した。この日は夕方から、チアパス州都のトゥクストラ・グティエレスまで飛行機での国内移動となる。、 メキシコシティから北東に約40キロの距離にあるテオティワカン遺跡は、高さ65メートルに及ぶ「太陽のピラミッド」や高さ45メートルの「月のピラミッド」などがあることで有名だ。 この日は日曜日ということもあって平日よりも道は空いているようで、一行はまずバスで約30分の距離のグアダルーペ聖堂を見学する。93%がカトリック教徒で占められるというメキシコでは、「褐色の聖母」が安置されている同聖堂は最も重要な場所と言われ、一行が聖堂を訪れた際もミサが行われており、数多くの信徒や観光客が詰め掛けていた。 ガイドのセサルさんによると、1531年12月9日にアステカ人のフアン・ディエゴの前に聖母が現れて父親の病気を治し、その時に聖母から司教への印としてフアン・ディエゴが花をマントに包んで持っていったところ、マントには聖母の姿が映し出されたエピソードがあるという。そのマントに映し出された聖母の姿は、現在も新聖堂内に額入りで飾られている。 一行はセサルさんの説明を聞きながら、まずは旧聖堂の外観を見学。旧聖堂は18世紀に建てられたという古い建築物のため、地盤沈下の影響で聖堂そのものが傾いているのが肉眼でもはっきりと分かる。 続いて、1974年に造られたという新聖堂でのミサが行われている中、一行は祭壇中央の地下を通って、大型のメキシコ国旗に包まれるように展示された「褐色の聖母」の額に見入った。ちなみに、新聖堂を建設したのはラミレル・バスケスという有名な建築家で、86年に開催されたメキシコ・サッカーW杯会場となったアステカ・スタジアムをはじめ、国立人類学博物館や在メキシコ日本国大使館なども建設した人物だという。午前10時過ぎ、グアダルーペ聖堂を後にした一行は、改めてテオティワカン遺跡へと向かう。途中、車窓からは赤、青、黄色など色鮮やかな家々が山の斜面にびっしりと張り付いているのが見えた。 セサルさんによると、これらはメキシコのスラム街だという。今年は6月に行われた州知事選挙をはじめ、下院議員や州議員などの統一地方選挙が年内に実施される。そうした中、各政党が自分たちの政党カラーを支持する住民にペンキを与え、その政党のカラーペンキを家の壁に塗った人には200~500ペソ(約1400~3500円)の買い物カードが配られたとし、政治家のバラまき政策が横行しているそうだ。 ブラジルでも現政権でバラまき政策が公前と行われているが、メキシコの政党や政治家も同じようだ。 午前11時前、一行は目的地のテオティワカン遺跡に到着した。(つづく、松本浩治記者) サンパウロ新聞 2015年10月23日付
「週刊日墨」の思いを語る荻野さん 日墨協会(和久井伸孝会長)の歓迎夕食会では、8年前から活動しているという同協会コーラス部混声合唱団15人が「ふるさと」をはじめ、メキシコの歌及び東日本大震災支援曲「花は咲く」を熱唱。また、同協会の会員女性がカラオケを披露し、会場を沸かせた。 食事の前後にメキシコ側の出席者に話を聞いた。 メキシコ沖縄県人会会長の高良アルシデス英樹さん(57、3世)は、サンパウロ市のツクルビー区生まれ。母親がリューマチのため、13年間一緒に神奈川県に住んでいたことがあるが、メキシコに移住して既に17年が経つという。現在、ワインやビール等のアルコール類とハム・チーズ類を販売する商売を行っている。「メキシコも最近は治安が悪く、泥棒も増えています」と話していた。 10歳でメキシコに来て47年が経つという松本安弘さん(57、大阪)は、メキシコ工科大学大学院研究所で太陽電池についての研究をしているとし、記者も同じ「大阪出身の松本」であることを話すと親しみを込めた笑顔を見せた。 会場で、メキシコの邦字紙「週刊日墨(にちぼく)」の代表及び編集長だった荻野正蔵さん(70、茨城)を紹介された。海外邦字紙の大先輩である荻野さんに、ブラジル邦字2紙の記者が一緒にインタビューを行う。 「週刊日墨」は1955年ごろ創刊。67年に荻野さんが日本人学校の教員としてメキシコに渡った時分に「週刊日墨」の社長が亡くなり、当時6人で構成された「邦字紙存続委員会」の一員として大使館、日系団体関係者らとともに荻野さんも加わった。 「メキシコに邦字紙がないのは恥ずかしい」というのが委員会メンバーの考えだったが、当時26歳と若かった荻野さんに白羽の矢が立ち、70年に夫人との2人体制で4ページ建て1200部の「週刊日墨」を引き継いだ。「当初は『できません』と断ったのですが、周りから『(日本人学校の仕事が終わった)午後4時からならできるだろう』と言われて新聞の仕事をやるようになりましたが、そのうち日本人学校を辞め、新聞だけでやっていくようになりました」 記事取り、写真撮影、編集、割り付けはもちろんのこと、営業、広告、発送まですべてを夫人と2人だけで行った。新聞だけでは食べてはいけないため、84年からはレストラン経営も始め、邦字紙発行の資金にした。 「引き継いだ当時は活字を一つ一つ自分で拾っていましたが、そのうちタイプレス、ワープロ、パソコンになり、タイプレスはラテンアメリカではウチが一番早かったと思います」と荻野さんは当時の生活を振り返る。 「メキシコの郵便事情により、新聞がいつ読者のもとに届くかが分からず、海外日系人協会を通じて日本の新聞の『褪(あ)せない』記事を掲載し、日系社会では催しの『ありました』記事が多かったですね。小さな日系社会では下手に書くと軋轢(あつれき)が起こります。書かないことも新聞の一つだという思いがありました」と荻野さんは、海外の邦字紙ならではの経緯も話してくれた。 90年にはそれまでの2週間に1回の発刊を1週間に1回に変更するなど気を吐いたが、結局、97年に廃刊となった。 「(97年の)榎本殖民団入植100周年までは何が何でも頑張るつもりでやりました。最後の一人の読者になるまで新聞を出したいとの思いはありました」と荻野さん。現在、メキシコには駐在員を対象に生活情報などを盛り込んだ2つのフリーペーパーがあるというが、「新聞が無くなって寂しいという声も多いですよ」と邦字紙への思いは今も大きいようだ。 歓迎会会場では、締めくくりに恒例の「ふるさと」を出席者全員で合唱し、最後は全員で万歳をしながら午後10時に「お開き」となった。日墨協会関係者たちの思いのある歓迎に、ふるさと巡りの常連参加者からは「今までの交流で最高だった」との声も聞かれた。(つづく、松本浩治記者) サンパウロ新聞 2015年10月22日付
ニッケイ新聞 2015年10月23日 ブラジル広島センター(平崎靖之会長、会員家族数360)は25日午前10時から、『創立60周年記念式典』をブラジル日本文化福祉協会大講堂で盛大に祝う。湯崎英彦県知事、平田修己県議会議長、松井一實市長、永田雅紀市議会議議長、町村会の吉田隆行会長、サンパウロ州マリリアと友好姉妹都市提携を結ぶ東広島市の蔵田義雄市長、広島日伯協会の白井孝司会長らを中心に65人の大型慶祝団を迎える。1955年の芸備協会発足から60年―。この機会に母県広島と関係を再確認し、日伯関係の強化に力を入れる考えだ。 ブラジル広島文化センターは2003年の会館建設を機に、日系社会はもとより、地元ブラジル人社会にも文化、スポーツ活動の拠点として親しまれている。ヨガや空手教室のほか、隣接する体育館ではバレーボールやフットサルの歓声が響く。260人を収容するサロンでは、週末に様々なイベントに利用され、カラオケ、ダンスなどの練習会場としても広く利用されている。 特記すべきは、「ブラジル神楽保存会」の活動だ。日本国外唯一の神楽団として1970年、県人会員らによって発足した。一世の減少により活動を休止したが、故郷の誇る文化をより多くのブラジルの人々に見せたいと、若い二世らを中心に活動を再開。サンパウロ市を中心にブラジル各地で公演、大きな反響を呼んでいる。 25日午後3時からは、同講堂で本場広島から来伯する20余人による公演『紅葉狩・八岐大蛇』が行われるので、ぜひ会場に足を運んでほしい。県人会唯一のデイケアサービスだった「もみじの会」も現在諸事情により中断しているが、この60周年に再開させる予定だ。平崎会長は、「目下進行中の会館リフォームを機に、活動を活発化させたい」と意気込んでいる。   ブラジル広島センター歴代会長 初代=武田義信(1955~57)、2代=竹内秀一(57~58)、3代=柞摩宗一(59~63)、4代=村上智(64~70)、5代=前野豊(70~74)、6代=池森春三(74~82)、7代=中川清人(82~85)、8代=定常大二良(86~87) 、9代=力石敏雄(88~89)、10代=田中洋典(89~90)、11代=定常大二良(91~98)、12代=田中洋典(99~00)、13代=大西博巳(01~15)、14代=平崎靖之(15~現在)。   原爆ポスター展 24日(土)~11月6日までMemorial da América Latina, Barra Funda,...
ニッケイ新聞 2015年10月22日 広島県の伝統芸能「広島神楽」の公演が25日、「広島文化センター創立60周年式典」後の午後3時から、文協大講堂(Rua Sao Joaquim, 381)で行われる。入場無料だが、午後1時半から整理券を配布する(1人2枚まで)。開場は午後2時。 母県から総勢25人の大所帯を迎え、大迫力の公演を届ける。演じられるのは代表的な「紅葉狩」と、須佐之男と火を噴く巨大な大蛇が対峙する圧巻の「八岐大蛇」。日本から面や衣装のほか大道具も持ち込まれる。本場の神楽団が来伯するのは2008年の移民百年祭以来だ。 県内には150以上もの神楽団が存在するが、来伯するのは選抜された17人の演者と裏方合わせた25人。来社したブラジル広島神楽保存会の皆さんは、「日本でも中々見られない」といその貴重さを語る。 問い合わせは同センターまで(11・3207・5476)。
◆記念式典ブラジル広島文化センター(平崎靖之会長)は、創立60周年記念式典を25日午前10時からサンパウロ(聖)市リベルダーデ区の文協記念講堂(Rua Sao Joaquim,381)で開催する。案内のため、平崎会長、重田エルゾ、中森紳介両副会長、県人会員の橘愛子氏、佐々木敏江氏が来社した。 当日は広島県から湯崎英彦県知事、平田修己議会議長をはじめとする総勢65人の慶祝団が来伯し、記念品贈呈や県知事表彰などが行われる。式典終了後の正午頃から祝賀会に移行し、「サンバ」「広島神楽サンパウロ公演」を実施する。 ◆広島神楽公演60周年記念式典の一環として、「広島神楽サンパウロ公演」が25日午後3時から同文協記念講堂で開催される。当日は広島県から来伯した神楽団が「紅葉狩り」「八岐大蛇」の2演目(各40分間)を、ブラジル神楽保存会が「恵比須」(20分間)を披露する。 平崎会長は「来場者に配布するプログラム資料には神楽の魅力が存分に伝わるように日伯両語で説明を施した。会場の都合で座席数に限りがあるが、1人でも多くの方に広島神楽を楽しんでもらいたい」と来場を呼び掛けた。入場無料。先着900人で入場券(1人あたり2枚まで)を午後1時半から無料配布し、午後2時から開場する。 ◆「被爆70周年記念 広島・長崎原爆ポスター展」広島県人会、長崎県人会、ブラジル被爆者平和協会は「被爆70周年記念 広島・長崎原爆ポスター展」を24日から11月6日まで、聖市バラ・フンダ区のラテンアメリカ記念館(Av. Auro Soaresde Moura Andrade, 664)で実施する。 開会式が24日午前10時半から開かれ、来賓には中前隆博在聖総領事や松井一實広島市長、永田雅紀市議会議長が臨席する予定。同展覧会には計30作品のポスターのほか、聖州立学校の生徒らが折った千羽鶴も飾られる。無料だが、参加希望者はスーツとネクタイを着用のこと。 問い合わせは、同県人会(電話11・3207・5476)まで。 2015年10月21日付
日墨協会で受けた熱烈歓迎 小雨の降る中、日墨協会に到着したふるさと巡り一行は、和久井伸孝会長をはじめとする同協会会員たちの出迎えを受け、会館内へと案内された。 総面積2万平米を誇る同会館敷地内には日本庭園、日本食レストラン、プールやテニスコートも整備されているほか、「榎本殖民」をはじめとする約2000人に及ぶ先亡者たちの名前が一人一人刻まれている慰霊碑もある。 中畝(なかうね)明博事務局長によると、1956年に創立され来年60周年の節目の年を迎える同協会は、初代会長の故・松本三四郎氏が2万平米のうちの半分の1万平米の土地を寄贈して創設されたものだという。 日本庭園は、クエルナバカで7年ぶりの再会を果たした草川和田明子さん(74、2世)の娘・春美さん(50、3世)の義父に当たる小木曽貞義さん(81、岐阜)が約30年前に造ったものだ。小木曽さんは明治大学農学部を卒業後、恩師の勧めと親戚の呼び寄せで59年に24歳で単身メキシコに渡り、造園技術を学んだ。 昨年7月下旬には安倍晋三首相夫妻が同地を訪問し、20年ほど前には父親の故・安倍晋太郎氏も同庭園を視察した経緯がある。30年前に庭園を造った時は「枯山水」にしていたが、3年前から人口池を造り変えたという。 メキシコ岐阜県人長良会の会長でもある小木曽さんは造園業一筋で生きてきたが、日墨協会理事も約20年にわたって務め、現在もボランティアで日本庭園の管理を行っている。長良会の会員は現在10人ほどで、「以前は商社や企業の人も入っていましたが、帰国したため会員も少なくなりました」と寂しげな様子だった。 会館内での歓迎夕食会を前に、ブラジル側からは本橋幹久県連会長、メキシコ側からは和久井会長、メキシコ日系社会の名士である春日カルロス氏、前会長の戸田眞氏、在メキシコ日本国大使館の清水享公使らが会館敷地内にある先亡者慰霊碑に献花を行い、一行は雨天のため歓迎会会場である会館2階からそれぞれ黙とうを行った。 和久井会長の説明では、慰霊碑には毎年30人ほどの日本人及び日系人の物故者の名前を刻み続けているという。 改めて会館2階で歓迎夕食会が開かれ、メキシコ側からの64人を含めた約160人が一堂に会した。日墨協会の配慮により伯墨両国の出席者が出身県人別にテーブルに座り、日墨協会の中村剛副会長の歓迎ムード溢れる司会で進行、各県ごとに出席者が紹介された。メキシコには宮城、福島、新潟、埼玉、長野、岐阜、滋賀、京都、和歌山、岡山、福岡、沖縄などの県人会があるそうだが、会はなくても広島や大阪出身の出席者もいた。 あいさつに立った和久井会長は、「90人もの日本人及び日系人の方々をお招きするのは前代未聞で、協会の歴史始まって以来のこと」と歓迎の意を表した。また、同協会が来年創立60周年を迎え、2017年には「榎本殖民団」がメキシコの地を踏んで120周年の節目になることにも言及。「メキシコの熱い熱い日系の思いをお持ち帰りいただきたい」と述べた。 2004年から07年まで在ブラジル日本国大使館で勤めた経験のある清水公使のあいさつに引き続き、ブラジルを代表して本橋県連会長があいさつ。ふるさと巡りの経緯と県連のメイン行事である毎年恒例の日本祭りなどについて説明し、和久井会長が今年7月の日本祭りにメキシコから参加してくれたことや今回の歓迎会などへの感謝を表した。 両会長による記念品交換に続き、春日氏が「ブラジルの皆さんの1%しか日系人がいないメキシコですが、皆さんの100倍頑張りたいと思います」と激励。中村副会長の音頭により、メキシコ名物「マルガリータ(テキーラを使ったカクテル)」で乾杯が行われた。(つづく、松本浩治記者) 2015年10月21日付
「魅惑の町」指定のタスコ市 「銀が取れる町」として鉱物資源豊かなタスコ市。標高約1800メートルで周りを山々に囲まれている。山の斜面には白色を基調とした家がびっしりと建っているほか、山頂にはキリスト像もあり、どことなくリオのファベーラを彷彿とさせる。 ガイドのセサルさんによるとメキシコでは現在、「魅惑の町」観光プロジェクトを推進しており、全国に86カ所の「魅惑の町」が設けられているという。「魅惑の町」に指定されると政府から助成を受けられるとし、タスコ市もその町の一つ。同市は近い将来、世界遺産になる可能性も高いそうだ。 また、同市では坂が多く道が狭いため、白色に統一された馬力のあるカブトムシ(フォルクス・ワーゲン車、ブラジルのフスカ)がタクシーとして活躍しているとセサルさんが説明してくれた。 タスコ市街に入る前に我々第2グループは、銀細工の土産物屋で一旦停車。銀についての説明を聞く。それによると、1キロの銀を取るためには、4トンの銀鉱物が必要になるという。その後、銀製品の土産物を見て回るが、食事用のナイフが1本7200ペソ(約5万円)もするなど高価で、庶民である記者はとても手が出ない。 午後1時40分、この日も遅い昼食をタスコ市の眺望の良いレストランで取る。 昼食後、3人一組に分かれてカブトムシ・タクシーに分乗し、「超バロック様式」の彫刻が施されているというサンタ・プリスカ教会へと向かう。カブトムシ・タクシーの助手席は取り外されており、客は後部座席に3人が並んで座ることになる。 くねくねした狭い道を排気音をうならせて上がると、開けた場所に外観がピンク色のサンタ・プリスカ教会がそびえていた。教会前広場には、観光客を目当てにした地元の物売りが群がり、大人も子供も関係なく民芸品やガムなどを売りに集まってくる。 班ごとに教会内部を見学すると、キリスト像など壁に装飾された立体的な彫刻が迫ってくるかのようで、「超バロック様式」と言われるのもうなづける。 教会を見学し終えて広場に出ると、ここでも小規模なマニフェスト(反政府デモ)をやっていた。ガイドのセサルさんに聞くと、昨年ゲレロ州イグアラ市で大学生43人がバスでの帰路に警察からの襲撃を受けて行方不明になっていた事件への抗議運動だと説明してくれた。 この日の観光を終えたふるさと巡り一行は、午後4時にタスコ市をバスで出発し、メキシコシティまでの160キロの道のりを約2時間半かけて戻った。 メキシコシティに入ると雨模様となっており、午後6時40分、市内コロニア・ラス・アギラス地区の「富士山(ふじやま)通り」にあるメキシコ日墨協会に到着した。(つづく、松本浩治記者) 2015年10月20日付
ニッケイ新聞 2015年10月20日 ブラジル広島文化センター(平崎靖之会長)は、『創立60周年記念式典』を25日午前10時から、文協大講堂(Rua Sao Joaquim, 381)で開く。母県から湯崎英彦県知事、平田修己県議会議長、松井一實広島市長をはじめとした65人以上の大訪問団を迎える。 また式典後には60周年を記念して、県の伝統芸能である『広島神楽』の特別公演が、午後3時から(1時間前開演)大講堂で行われる。入場無料。 さらに前日24日からは、『戦後70年記念広島・長崎原爆ポスター展』を長崎県人会、ブラジル被爆者協会とラテンアメリカ記念館(メモリアル・ダ・アメリカ・ラチーナ、Av. Auro Soares de Moura Andrade, 664)で共催する。同じく入場無料。来月6日まで。 日本から送られた30点の原爆ポスターには、今回のために全てポ語で解説が添えられ、聖市イタケーラ区の州立ヒロシマ学校の生徒約90人が折った千羽鶴も展示される。 なお、初日午前10時半からは開会式が行われ、訪問団のほか総領事、聖州知事なども出席予定。 平崎会長は、「沢山の方々と共に60周年を祝い、そして平和について考えることは、大変意義深いことだ」と話した。 問い合わせは同文化センター(11・3207・5476)まで
ニッケイ新聞 2015年10月21日 沖縄県人会(島袋栄喜(えいき)会長)主催の『第11回ウチナー芝居』が25日午後1時から、同県人会(Rua Dr. Tomas de Lima, 72, Liberdade)で開かれる。入場無料。 出演は琉球舞踊協会、斉藤悟琉舞道場、サンマテウス支部など、沖縄の伝統文化を継承する各団体から約200人が出演。沖縄方言(ウチナーグチ)による芝居、琉球舞踊、歌三線、民謡、太鼓、獅子舞など多彩な演目を披露する。 出演者の6割を占めるという二世、三世の活躍も見もの。ウチナーグチの語り部によるスピーチや、沖縄ソバ、サーターアンダギーなど郷土食の販売もある。 案内のため来社した島袋会長、具志堅シゲ子大会実行委員長、池原あき子理事、目差ジョン第一会計は「日本の中でも独特な沖縄伝統芸能を知るよい機会。沖縄以外の方も非日系の方も、お気軽に御参加ください」と呼びかけた。 問い合わせは同県人会(11・3106・8823)まで。
ニッケイ新聞 2015年10月15日 外交120周年を記念し、今月28日にご着聖される秋篠宮文仁親王ご夫妻の歓迎会が文協大講堂(Rua Sao Joaquim, 381)で午後5時から行なわれる。日系5団体主催。 入場整理のため、23日までに文協へ申し込みが必要。出席希望者は電話もしくはメールで、氏名と身分証明番号を伝えること。 また一般入場は午後2時から30分間のみ。歓迎会は同5時から6時まで。 申し込み、問い合わせは文協(電話=11・3208・1755、メール=contato@bunkyo.org.br)まで。
クエルナバカで母子が再会 2日目の9月26日、朝から小雨が降っているが、一行は午前8時半に3台のバスに分乗してホテルを出発。南に約90キロの距離にある観光地でモレロス州都のクエルナバカ市を目指した。 前日の団員からの不満の声が効いたのか、第2グループのガイドは非日系のメキシコ人ながら日本語が堪能なセサル・マルティネスさん(32)が同行してくれた。 セサルさんは、国立自治大学(UNAN)でグラフィック・デザインを勉強した際に、日本語、ドイツ語、イタリア語のいずれかの選択を勧められ、日本語を18歳の時に専攻したしたという。卒業後はテレビ局や旅行会社などを経てガイドになるための勉強を2年間行い、その間、日本語を独学で学習してきたという努力家だ。 そのため日本文化に興味があり、これまでに3回訪日している。桜の開花時期に合わせて今年4月にも日本を訪れ、新しく開通した北陸新幹線を利用して東京から石川県金沢市を訪れたほか、長野県や熊本県まで足を伸ばしたそうだ。 セサルさんの説明によると、メキシコシティの人口は約2000万人と多く、中心となるメキシコ連邦区(DF)だけで約900万人が住んでいる。気候は乾季(10月~5月)と雨季(6月~9月)と半年ごとに分かれており、雨季である(9月26日)現在は、夕方から夜にかけて雨が降り、昼前には晴れることが多いという。 また、メキシコシティ周辺は3000メートル級の山々がそびえ、隣州に行くにはこれらの山々を越えて行かなければならないとも。 ふるさと巡り一行は、バスで約30分の地点の大学都市で一時停車。1968年に開催されたメキシコ五輪競技場前で各自写真撮影を行った。学園都市は自然保護地区に指定されているとし、ビル群が建ち並ぶメキシコシティから一転、緑豊かな風景へと変わった。 一行が乗ったバスは約3000メートルの山を越え、標高約1500メートルのクエルナバカへ。同地に近づくと気温も上がり、セサルさんの説明通り、午前10時ごろには太陽が出てきた。午前10時過ぎにクエルナバカに到着。草川和田明子さん(74、2世)は、同地に住む娘の小木曽春美さん(50、3世)と7年ぶりの再会を果たし、抱き合って喜んでいた。 「煙を吐く山」という意味を持ち、メキシコで2番目の高さを誇るポポカテペトル山(標高5426メートル)。その山麓にあるクエルナバカ大聖堂(標高約1500メートル)は16世紀初頭に創られたメキシコでは最も古い修道院群の一つで、1994年に世界遺産に登録されている。我々一行が訪問した際は、大聖堂の外観は工事を行っていたが中は入ることができ、豊臣秀吉の命令で長崎で殉教した宣教師たちの壁画があった。 クエルナバカ大聖堂を見学した一行は、午前11時10分に出発し、次の観光地であるゲレロ州タスコへ市と向かった。(つづく、松本浩治記者) サンパウロ新聞 2015年10月16日付
非日系のジョアン・マチアスさん ブラジル富山県人会(市川利雄会長)創立55周年記念式典参加のためにブラジルへやって来た慶祝団の中に、一人のブラジル人青年がいた。青年の名はジョアン・マチアスさん。サンパウロ州出身の26歳で2012年から富山県の国際課国際交流員として働いている。富山県の友好奨学金を使い、サンパウロ総合大学(USP)で日本語学習をしたブラジル人が、富山県の一員としてブラジルへ戻って来た。流暢な日本語を操り、話を聞いただけでは外国人が話す日本語には聞こえない。各式典や会合では慶祝団の通訳業務に奮闘する合間を縫って話を聞いた。 ジョアンさんが日本語の学習を始めたのはUSP。幼い頃から外国語に興味があり、特に英語が好きだったそうだが、中学、高校と英語の勉強はやり尽くした感があった。そこで「英語の次に(アニメやゲームなどで)馴染みがあった言語が日本語だった」ことから文学部の日本語学科へ入学した。 在学中に富山県が主宰する友好奨学金制度があることを知り、応募したところ合格。2年間、日本語学習に没頭した。受給終了後も「どうしたらもっと日本語が上達するだろう」と自問自答していたところ、USPの留学制度があることを知り、応募。見事合格し、大阪で1年間日本語を学んできた。その1年間を通じ、日本は暮らしやすい国だと感じ、住みたいと思うようになったという。 現在は日本の地方自治体と各省、一般財団法人自治体国際化協会が主催する「JETプログラム」の一員として富山県国際課で働いている。「富山県の友好奨学金で勉強した自分の赴任地が富山。縁がある土地で働けて嬉しいし、少しは(県に)恩返しできてるかな」と笑う。 USPでは今年奨学金を受給する後輩や、恩師とも再会した。受給認定証授与式では、彼らの前で司会の通訳を堂々とこなす姿を披露。USPの教授も「立派に育ってくれて嬉しい」と目を細めた。ジョアンさんも「恩師らとの再会は嬉しかった。先生のお陰でここまでたどり着いたので感謝の気持ちでいっぱい」と話し、日本語であいさつした後輩の姿に「日本文学や文化の研究を頑張っているようで誇らしい」と先輩の顔をのぞかせた。 今回の富山県とサンパウロ州友好提携30周年式典での通訳も務めたが、「実は通訳の経験があまりないので、仕事前は緊張する。本番ではそんなことも言ってられないので、やるしかない」と意外な言葉が返って来た。 富山県に研修へ行き、30年前の式典で通訳を務めた先輩である新城真利枝さんは「私は式典前日は緊張して眠れなかった。彼の日本語にはアクセントもないし、私より上手」と後輩を褒め称えた。 約1年ぶりの帰国となったが「サンパウロは相変わらず交通量が多い」と苦笑い。「富山は都会過ぎず、田舎過ぎず住むのに快適。市内中心部に住んでいるので自転車でどこへでも行けるし、東京に行かなくても何でも手に入る。富山が大好きだから、富山にずっと住み続けたい」と話していた。 サンパウロ新聞 2015年10月16日付