06/03/2026

Ano: 2015

日本ブラジル外交関係樹立120周年を記念して秋篠宮ご夫妻が来伯される28日午後5時から同5時45分まで、サンパウロ市リベルダーデ区の文協記念講堂(Rua São Joaquim,381)で日系5団体共催による歓迎会が開催される。 当日の出席希望者は入場整理のため、名前、身分証明番号をメールか電話で文協事務局への申し込みが必要。申し込み期限は今月23日まで。 なお、当日の入場時間は午後2時から同2時半までで、文協では「警備の関係上、入場時間を厳守いたします。ご理解くのほど、よろしくお願いいたします」と呼び掛けている。 申し込み、問い合わせは文協事務局(電話11・3208・1755、contato@bunkyo.org.br)まで。 サンパウロ新聞 2015年10月15日付
メキシコシティ歴史地区へ 日本メキシコ学院を出発した一行は、昼食のためにメキシコシティ歴史地区へと向かう。 市内に入ると、バスの車窓からは建物の屋上からメキシコの国旗を表す緑、白、赤色の大きな幕が垂れ下げられているのが見え、メキシコ国旗もそこらじゅうではためいていた。 メキシコ人ガイドが説明してくれるが、スペイン語しか話さないので要領を得ず、当初は1985年に発生したメキシコ地震から今年で30周年を記念してたくさんの国旗が掲げられているものと思われた。しかし、後日、日本語の分かる別のガイドに聞くと、9月は独立記念日があったからと教えられた。 また、歴史地区に入ると、男性は短パン一つ、女性は上半身を露わにしたメキシコの原住民と見られる人々が巨大な横断幕を掲げ、マニフェスト(政府への抗議運動)を行っていた。 午後2時、遅い昼食を市内歴史地区のソカロ中央広場に面するホテル「マジェスティック」の7階で取る。同所は中央広場が一望できる観光ポイントでもある。 記者と同席した山下美佐尾さん(73、2世)は、コチア青年2次4回生の夫・山下哲男さん(75、鹿児島)と一緒に初参加。サンパウロ州バルジェン・グランデ市に住み、同地のADESC(農協婦人部連合会)仲間に誘われたという。 「10年ほど前までは養鶏をやっていたので、なかなか家を空けることができなかったけれど、今はADESC一本」で活動しているとし、バルジェン・グランデの月2回開催されるADESCのフェイラで、焼きそばや天ぷら等を販売しているそうだ。 メキシコの印象について美佐尾さんは「少し昔のブラジルという感じで落ち着きがある」と率直な感想を述べ、「ファミリアで行く旅行もいいけど、このツルマ(ふるさと巡り一行)で大勢で行くのも楽しみがあるよね」と笑顔を見せていた。 昼食を済ませた一行はグループごとに分かれて、ソカロ中央広場に面するメトロポリタン大聖堂などを見学した。しかし、メキシコ人ガイドのスペイン語が分かりづらく、日本人が多い我々第2グループのメンバーからは「せっかく説明してもらっても、言葉が分からない」と不満の声が複数から挙がっていた。 この日の公式スケジュールを終えて、午後5時ごろホテルにチェックインした一行だが、90人もの団員がホテルに2台しかないエレベーターを使用するため、ロビー周辺はしばらくの間、ごった返していた。 夕食は午後7時に団員全員がホテルで取ると言われていた。しかし、遅い昼食だったために夕食には時間が早いことと、公式行事がこの日は終了したため、記者たちはブラジルから同行した日系ガイドに「夕食は公式行事ではなく自由参加であること」を確認し、同ガイドの了承を得た上で外出。メキシコシティの庶民の雰囲気を楽しんだ。 しかし、翌日の9月26日の朝食の時、前日の夕食の席に山田彰(あきら)駐メキシコ日本国大使が出席したことを県連関係者から聞き、面食らった。山田大使は9月26日夜に予定されていた日墨協会(和久井伸孝会長)主催の歓迎夕食会には所用で出席できないために、その前日にふるさと巡り一行に顔を見せたという。夕食会では山田大使自ら団員の各テーブルを一つずつ回って交流を深めたことを伝え聞いたが、「後の祭り」だった。(つづく、松本浩治記者) サンパウロ新聞 2015年10月15日付
充実した施設と設備に感嘆の声 ふるさと巡り一行は、3グループに分かれて日本メキシコ学院内を案内してもらった。 我々第2グループは、日本コース総校長で同学院に赴任して2年になる平居繁和氏に同行してもらうが、それにしても広い。敷地内には、日本コースとメキシココース及び幼稚園のそれぞれの校舎をはじめ、1周200メートルの陸上トラック、体育館、講堂、温水プール、コンピューター教室などが完備されている。また、毎年の行事として運動会、太鼓演奏会のほか、サッカーや野球の活動もあるという。 平居氏によると、メキシココースの生徒は900人で、日本コースは小学生115人、中学生31人の計146人。メキシココースの高等部には約120人が在籍し、中学部から入部する人材が多く、日本コースを履修した生徒が高等部を経てメキシコの大学に入るケースもあるそうだ。 日本コースの生徒の約8割は日本からの企業駐在員子弟。残りの2割は日本人とメキシコ人の混血児で、完全なメキシコ国籍者も2人が在籍している。 メキシココースは9月に新学期が始まり、授業時間は午前7時から午後3時まで。一方の日本コースは、日本の文部科学省の認可を得て日本の教科書を使用するなど本国と同じカリキュラムで行っているため、毎年4月に新学期となり、平日の授業時間は午前8時から午後4時までとなっている。日本コースの教師は日本から14人の現職教師が派遣されているほか、現地採用教師、メキシコ人教師、カウンセラー、保健士等を含めて20人以上の教員体制が取られている。 ふるさと巡り一行が同学院を訪問したのは9月25日の金曜日。月に1回、月末の金曜日に開催されている「教師研修」が実施されていたため、この日は残念ながらメキシココースの生徒の姿はなかった。 それでも日本コースの授業の様子を学年別に見学させてもらうと、低学年の教室では「ハイ、ハイ」と手を挙げ、教師の質問に答える生徒の明るい声が響いていた。 学年ごとにクラスが分かれており、掲示板には書道や絵画の作品が掲示され、卒業生の記念制作品も飾られているなど、日本の学校とほとんど変わらない。 卒業生と言えば、同学院の卒業生がメキシコに約800社が進出している日本企業に就職している例も少なくないようで、「日本語とスペイン語を話せる人は引っ張りだこの状態」(平居氏)という。 また、同学院で11月に開催される運動会には、メキシコ人の父兄なども含めて毎年約4000人が参加する大規模なものになり、「特に綱引きは参加人数の制限がなく、綱を持てるだけ皆が参加するほど人が多いです」と平居氏。「メキシコ人は一般的に親日的で、日本人や日系人に対する評価は高いです」と話す。 きれいに整備された校舎や陸上トラック等の施設を見学しながら、ふるさと巡り一行からは「こんな所で勉強できたらいいでしょうね」と感嘆の声が挙がっていた。 リオ市に住み、リオ日伯文化協会で料理の講習などを行っているという村越利江さん(75、神奈川)は、「本当に素晴らしい学院です。来て良かった」と率直な感想を語っていた。 見学を終えた一行は、入口付近で記念撮影を行い、日本メキシコ学院を後にした。(つづく、松本浩治記者) サンパウロ新聞 2015年10月14日付
ニッケイ新聞 2015年10月14日 ブラジル日本都道府県連合会(本橋幹久会長)の9月度代表者会議が開かれ、43団体の代表者が出席した。 7月に終えた第18回日本祭りに関し、山田康夫実行委員長(滋賀)より黒字4万632レとの最終決算が報告された。「赤字ではないがもう少し利益を出せたはず」と課題を口にした。 次回開催に向けた準備委員会の市川利雄委員長(富山)は、前回までの反省を踏まえ「来年は総予算330万レと規模も大きくなり、さらに予算を透明化させる必要がある。そのために実行委員を増員した。さらに各県人会からの協力も必要」と呼びかけた。 しかし一部からは、「個々の県人会行事ですら少ない役員に負担が集中している状況。人員が必要な目的を明示して欲しい」といった意見があり、拍手で同調する県人会も多くあった。 それに対し市川委員長は、「県連の存続のため今まで入ってこなかった若年層の力が不可欠。日本祭りを種にして、彼らを育てることも必要だ。会員にも強い態度で向かわなければ」と理解を求めている。 7月の収入は7万9814レ、支出は3万9416レ、8月はそれぞれ1万6629レ、8万5720レと報告された。
12日間で10都市各地をご訪問 【東京支社=瀬頭明男】予定されていた秋篠宮同妃両殿下のブラジルご訪問が9日午前、閣議で了解され、本決まりになった。今回のご訪問は、ブラジル政府の「外交関係120周年の機会に両殿下をお招きしたい」という要望に応えたもの。日本政府として「日本とブラジル両国の友好関係の面から両殿下のご訪問をお願いした」としている。両殿下の日本ご出発は今月27日で、ドイツを経由して28日にサンパウロ(聖)市に到着され、ブラジル10都市で公式行事に出席された後、11月10日にご帰国になる。帰国の途中、ドイツに立ち寄られる。 ブラジルご訪問の詳細日程は次の通り。 【サンパウロ】28日午前、聖市ご到着。午後からブラジル日本語センターご訪問。イビラプエラ公園内日本移民開拓先亡者慰霊碑ご参拝後、日本館をご訪問。サンタ・クルス病院ご視察後、ブラジル日本文化福祉協会ビル内で日系代表者とご懇談。移民史料館ご視察後、日系社会歓迎行事に臨席される。 29日午前、救済会憩の園、サンパウロ総合大学本部キャンパスを訪問され、同大学学生とご懇談。午後からはブタンタン研究所をご訪問後、サンパウロ(聖)州政庁で州知事とご引見。その後、州知事及び在聖総領事館共催の歓迎レセプションにご出席。 【パラナ】30日午前、クリチバ市へ。午後は同市内日本広場をご視察。クリチバ日系文化援護協会をご訪問後、地元日系人とのご懇談。パラナ州政庁で州知事とのご懇談後、オスカー・ニーマイヤー美術館ご訪問。同美術館で日本ブラジル外交樹立120周年記念行事とパラナ州日本移民100周年記念行事にご臨席。パラナ州政庁で州知事主催の歓迎夕食会に出席される。 31日午前、ロンドリーナ市へ。ロンドリーナ文化体育協会を視察され、同協会で記念プレート除幕。トミ・ナカガワ公園ご視察後、パラナ日伯文化連合会(アリアンサ)ご視察。午後はローランジャ市へ移動され、パラナ移民センターでパラナ州北部日系人にご会釈(えしゃく)。1988年ご来伯時にお手植えされた記念植樹をご覧の後、同センターで日本ブラジル外交樹立120周年記念行事兼パラナ州日本移民100周年記念行事に出席される。その後、マリンガ市に移動され、マリンガ日本公園を視察後、同公園で記念植樹。マリンガ文化体育協会も視察される。 【南マット・グロッソ】11月1日、カンポ・グランデ市を経由して南パンタナールのミランダ市をご視察。 2日午前中も南パンタナールをご視察後、午後からはカンポ・グランデ市内で州知事とご引見。ドン・ボスコ博物館をご視察後、クルベ・デ・カンポで日系代表者と懇談され、記念碑除幕も行われる。その後、日系社会歓迎行事にご出席。夕方、カンポ・グランデ市からトランジットで聖市へ。 【ベレン】3日午前、聖市から移動され、午後ベレン市ご到着。午後から汎アマゾニア日伯協会会館でパラー州ほか日系人とのご懇談。在留邦人・日系人歓迎行事にご臨席。州知事官邸でご引見後、州知事主催夕食会にご出席。 4日午前中、アマゾン川、ベル・オ・ペーゾ、エミリオ・ゴエルジ博物館ご視察。午後ブラジリアへ。 【ブラジリア】5日午前、連邦議会・下院議会ほかとご引見。連邦議会主催日本ブラジル外交樹立120周年記念式典にご出席。上院議長ほかとご引見。その後、連邦直轄区政庁で同直轄区知事とご引見。午後からはセラード農牧研究センター内をご視察。在ブラジル日本国大使館で日系人代表ほかとご懇談後、日系社会歓迎行事にご臨席。 6日、大統領府でジルマ大統領とご引見後、外務省で外務大臣ともご引見。外務大臣主催の午餐会にご出席後、午後はリオ市へ移動される。 【リオ】7日午前、リオ市内植物園(ジャルジン・ボタニコ)内日本庭園改修事業にご出席。州知事公邸でご引見後、州知事主催昼食会にご出席。午後からはリオ日系協会で在留邦人歓迎行事にご臨席。その後、コルコバードを視察される。 8日午前、国立自然博物館、リオ植物園(ジャルジン・ボタニコ)をご視察。その後、妃殿下のみIBBY(国際児童図書評議会)のブラジル支部関係者とご接見される。夕方、ガレオン空港からドイツを経由して帰国される。 サンパウロ新聞 2015年10月10日付
日本メキシコ学院を訪問 今回のふるさと巡りに参加した計90人の一行のうち、記者が同行した第2グループの大半は、9月24日午後7時20分にサンパウロ市リベルダーデ広場から出発した専用バスに乗車。グアルーリョス空港に新しく開設された第3ターミナルで下車し、同日午後11時30分発のTAM航空による直行便でメキシコの首都であるメキシコシティを目指した。 サンパウロからメキシコシティまでの飛行距離は7441キロ。直行便でも9時間半かかる。ブラジルとメキシコの時差は2時間で、時計を2時間遅らせた。 メキシコシティに到着したのは現地時間の9月25日午前7時。小雨模様で気温は14度と低い。空港でドルからメキシコペソに両替すると、為替レートの良いところでも1ドルが16.20ペソ。とりあえず100ドル分を交換して、マヌエルというメキシコ人ガイドの先導で社団法人「日本メキシコ学院「Liceo Mexicano Japones, A.C.通称=リセオ)」へと向かう。 事前のイメージでは暑いと思っていたメキシコシティだが、標高が約2250メートルと高い上、雨季(5月~10月)の時期とあって午前と夕方には毎日雨が降るらしく、空模様も曇天ですっきりしない。 市内を移動するバスの中で同じ第2グループの草川和田明子さん(74、2世)の近くに座り、何気なく話を聞いていると、次女の小木曽(こぎそ)春美さん(50、3世)が9月26日に訪問する観光地クエルナバカに住んでいることが判明。明子さんは「娘が7年前にブラジルに遊びに来たので、それ以来の再会になります」と嬉しそうな表情を見せた。 明子さんはパラナ州マリンガ市に住んでおり、長年地元のブラジル中学校で地理の教師をしていたという。ふるさと巡り旅行には初参加だが、同じマリンガ市に住む兄と、ブラジリアに住む妹夫妻、サンパウロに住む末の妹夫妻の6人で参加した。 娘の春美さんは1989年に滋賀県に留学した際、メキシコ日系2世の現在の夫と知り合い、90年に結婚。夫の故郷であるクエルナバカに移り住んだ。明子さんは、そうした縁でこれまでにメキシコには数回来ているそうだが、今回は15年ぶりの訪問。「まあ、時間の経つのが早いこと」と時の流れを実感していた。 今回、家族と親戚一同で娘と再会し、グァテマラ国境近くの「榎本殖民団」の入植地があるチアパス州アカコヤグアには一緒に旅行を楽しむことになるという。◎   ◎午前10時半に日本メキシコ学院に到着。ふるさと巡りの他の第1、第3グループのメンバーは既に別便で先着しており、我々第2グループが一番遅れての到着となった。 敷地内に入ると、広大な施設が目に飛び込んできた。 関係者にもらった資料などによると、同学院は1974年5月に日墨(メキシコの意)両国の当時の文部大臣が会談し、同年9月に訪問した田中角栄首相とエチェベリア大統領(いずれも当時)との会見での共同声明で「日本メキシコ学院の設立は両国民の相互理解のために画期的重要性を有するものであって、早期開設を支援する」ことが表明されたことが開院のきっかけとなった。同年9月29日に設立登記され、77年9月に開校したという。 ふるさと巡り一行を前に施設内であいさつに立った春日マリア・テレサ理事長はメキシコ日系社会の名士である春日カルロス氏(77、2世)の妹に当たる。春日理事長は、同学院が日本とメキシコの教育カリキュラムを一緒に学習できることを重視。日本語、スペイン語、英語の3カ国語を学習することでレベルの高い教育を目指し、「日本文化をメキシコ人に伝え、メキシコの良さを日本の駐在員子弟たちに伝えたい」と強調した。 日本から初めての学院長として今年1月に就任したという渡辺靜雄学院長は、「世界で一つだけの日本政府が造ったインターナショナルスクールだということが大きな特徴」と説明。「元々は『日墨(にちぼく)学院』と呼ばれていましたが、『墨』というとイメージが悪いので、現在は『日本メキシコ学院』とし、通称『リセオ』と呼ばれています。メキシコにはドイツ系やイギリス系のインターナショナルスクールもありますが、大手紙の広報ランキングではリセオが毎年のように1位となっているのはとても名誉なこと」と述べた。(つづく、松本浩治記者) サンパウロ新聞 2015年10月10日付
ニッケイ新聞 2015年10月10日 秋篠宮同妃両殿下の来伯が日本時間9日の閣議で了承されたのを受け、正式に公表された。日伯外交樹立120周年を記念して28日に着聖され、8日までの12日間滞在される。聖市、ブラジリア、パラナ、ベレン、リオなど計10都市をご訪問予定。修好通商条約の締結日である11月5日には、ブラジリアで記念式典に臨む。 秋篠宮同妃両殿下は27日に日本をお発ちになり、10日ご帰国の予定。主な日程は次の通り。28日に聖市へ到着され、イビラプエラ公園内の先没者慰霊碑を参拝後、文協での歓迎式典に臨む。サンタクルス病院や憩の園のご視察、また州政府による公式記念行事にご出席予定。 30日からはパラナ州へ。日本人入植百周年を記念する同州では、州都クリチバで州政府公式行事などにご出席される。翌31日から北パラナのロンドリーナ、ローランジャ、マリンガを訪れ、1、2日には南麻州カンポ・グランデにも足を運ばれる。 3、4日はパラー州ベレンへ向かい、日伯修好通商条約を締結した5日には、首都ブラジリアにて連邦議会の記念式典、ジウマ大統領との面会も予定。7日はリオへ移動され、8日の離伯まで各地で日系団体と交流する。 皇室のブラジル公式訪問は、2008年6月の日本移民百周年を記念した皇太子殿下以来となる。高円宮妃久子さまは同年9月にウルグアイ日本人移住百周年式典の後に立ち寄られ、昨年のサッカーW杯でも日本サッカー協会の名誉総裁としてギリシャ戦(6月19日、ナタル)のご観戦に再度訪れたが、日本代表チームの激励などが主な目的だった。 秋篠宮文仁親王にとっては、移民80周年の88年以来2回目のご来伯となる。当時は礼宮殿下として、移民の日に合わせて同月16~24日に聖市、リオ、ブラジリアほかパラナ州ローランジャ、パラー州ベレン、アマゾナス州マナウスなどをご訪問された。なお紀子さまは今回が初となる。
3グループに分かれ計90人が参加 県連(本橋幹久会長)主催の第44回移民のふるさと巡り旅行が9月24~10月1日の日程で行われ、3グループに分かれ計90人が参加した。一行は今回、メキシコ(墨西哥)合衆国の首都メキシコシティで日墨両国の教育カリキュラムを実践するインターナショナル・スクール「日本メキシコ学院」を訪問したほか、地元日系団体の日墨協会関係者らと交流。また、グァテマラ国境に近く、1897年にチアパス州エスクイントゥラ地域のアカコヤグアに入植した中南米初と言われる日本人集団移民「榎本殖民」35人のルーツを訪ねた。同行した旅行の模様をリポートする。(松本浩治記者) 資料などによると「榎本殖民」は、江戸幕府の海軍司令官として北海道函館の五稜郭で政府軍と戦って敗れた「榎本武揚」の名前から来ている。 榎本は獄中生活を送った後、知識を買われて明治新政府に登用。松方正義内閣の外務大臣時代にメキシコ政府と共同で推進し、実現したのが「榎本殖民」と言われている。 1890年代当時の日本は人口が増大して貧困状態に陥り、榎本は将来的な発展のためには海外への「殖民」が必要だと考えていた。同91年に東京にメキシコ公使館、日本の領事館がメキシコシティにそれぞれ開設されたことをきっかけに、メキシコへの殖民調査団を派遣。約半年間にも及ぶ調査の結果、コーヒー生産地として適したチアパス州エスクイントゥラ地域が選ばれた。 97年3月、監督官で農学士の草鹿砥(くさかど)寅二を筆頭に、照井亮次郎ら自由移民6人、契約移民29人の計36人の男性ばかりで構成された「榎本殖民」が横浜港から英国船「ゲーリック号」でメキシコに向けて出航。途中、米国サンフランシスコで他船に乗り換え、メキシコのアカプルコに到着している。その際、殖民団員の一人だった山田新太郎が病に倒れ死去。35人となった団員はさらに船を乗り換えて航行し、97年5月10日、チアパス州のサン・ベニート港(現・マデロ港)に到着。メキシコでの最初の日本人殖民団としての一歩を踏み出した。 長旅の疲労と船酔いにより体力の極限状態にあった一行だが、日本から携行してきた荷物を担ぎ、タパチュラを経由して約120キロの地点にあるアカコヤグアまで徒歩で向かい、同地にたどり着いたのは同年5月19日のことだった。 殖民団は同地でコーヒー生産を行うことを目的としていたが、事前の調査不足と入植した時は既に雨季でコーヒーの植え付けの時期が過ぎていたこと。また、同殖民団が日本側の資金不足で決行されたことや、現地では想像以上の熱帯の暑さに加え、マラリアなどの風土病に罹るなど殖民たちは思いがけない苦労を強いられた。 その結果、「榎本殖民」は入植から1年を経たずして失敗に終わり、殖民団を推進した榎本武揚も殖民事業から手を引いた。 しかし、その後、当時の滋賀県代議士だった藤野辰次郎がメキシコ政府との殖民計画の契約義務を引き継ぎ、同郷者で熱心なキリスト教徒だった布施常松を現地に送り込むなどした。 また、その一方で榎本殖民団のリーダー的存在だった照井らが中心となり、日墨協働会社を設立して畜産、農業、商業などの各分野で業績を残したという。日墨協働会社では、アカコヤグアに日本語も学習させるメキシコの小学校を造ったほか、スペイン語と日本語の翻訳を行う「西日辞典」の編纂も行った。 日墨協働会社は1910年に起きたメキシコ革命の影響で同20年に解散したが、こうした日本人及び日系人の活動がその後のメキシコ日系社会の基礎になったと言われている。(つづく) 2015年10月9日付
聖州との友好提携30周年行事にも参加 ブラジル富山県人会(市川利雄会長)創立55周年記念式典参加のため、母県から慶祝団が訪伯した。式典翌日の5日、一般参加者を除く慶祝団の県議会議員や県職員ら16人は在サンパウロ(聖)日本国総領事館、サンパウロ総合大学(USP)、聖州社会開発局、イビラプエラ公園内の日本移民開拓先亡者慰霊碑を訪問。USP日本語学科生徒らとの懇談、総領事や州政府長官らと意見を交わすなどし、富山県と聖州のさらなる発展にむけ交流を深めた。 午前9時半に滞在先のホテルのロビーに集まった一行は、午前10時に在聖日本国総領事館を表敬訪問し、中前隆博総領事と面会した。はじめに杉本正慶祝団団長から、中前総領事に富山県とブラジルの歴史が説明され、続いて中前総領事からブラジル経済や政治、総領事館の活動、「ジャパンハウス」の概要などが説明された。 質疑応答では「リオ五輪まで1年を切り、ブラジル経済回復はあるのか」、「(創業者が富山県出身の)YKKの社会的評価」など多くの質問があがった。中前総領事は質問に答える中で、「ブラジル社会では日本人、日系人への評価はとても高い。日本人は『勤勉で正直』と言われている」と伯国社会での日系社会の優位性を熱弁した。呼応するように慶祝団も総領事と熱く議論を交わし、最後は記念品を贈呈し総領事館を後にした。 イタリアンレストランで手早く昼食を済ませた後、午後からはUSP日本語学科の奨学金受給者への受給認定証授与式に参加。富山県では20年前からUSP日本語学科の生徒へ奨学金の交付を行っており、今年は5人が奨学金を受給した。荒木勝県知事代理から一人一人へ認定証が授与され、「日本語の勉強に励んでもらい、いつか富山で会えることを期待しています」とあいさつした。 受給者らも研究対象や将来について日本語で慶祝団にあいさつ。懇談時間は短かったが、それぞれ学生たちと交流を図った。島隆司南米協会常務理事は「安部公房を知っているなんて、難しい研究しているなと思った。今の日本の若者でも知らないのでは」と受給者の研究対象に驚いた様子だった。 午後3時15分からは聖州社会開発局でフロリアーノ・ペザロン長官と対談した。荒木知事代理から聖州政府要人の来県要請と日本語及び日本文化、薬用植物、環境の3分野で学生との交流を「前向きに考えてもらいたい」と提案がなされた。 フロリアーノ長官は「提案されたことは適切な人物や機関を探し出していく」と答え、「富山型デイケアサービスには興味がある。ブラジルでは老人介護と保育の問題が大きくなっている。富山の老人ホームなどの介護技術を共有してもらえたら」と述べた。 その後も荒木知事代理を中心に意見交換が行われ、最後に記念品交換が行われた。 続いて富山県・聖州友好提携30周年記念行事が講堂で開かれ、荒木知事代理、フロリアーノ長官両氏が友好確認書にサインした。その後、北日本民謡舞踊団の公演が行われ、講堂に来場した約130人から大きな拍手が送られた。 スケジュールの最後に一行は、イビラプエラ公園内の日本移民開拓先亡者慰霊碑を参拝し、その後にホテルに戻り、県人会員らとの交流会でサンパウロ最後の夜を楽しんだ。 交流会では民謡団を中心に童謡が歌われ、「ふるさと」を歌い終えると涙を流す参加者も見られた。相撲の四股を踏むような万歳三唱で中締めが行われ、長い一日が終りを告げた。 杉本団長は「初めてブラジルに来て富山県移民のブラジル社会への貢献度が分かった。今日聖州にお願いしたことはすべてではないが、いくつかは受理されるだろう。県政も引き続き頑張っていきたい」と聖市滞在を振り返った。 2015年10月8日付
【既報関連】富山県人会創立55周年記念式典慶祝団の一員として、大野久芳県議会議員も来伯していた。 大野県議は富山県黒部市出身。同市は10年前に旧宇奈月町を吸収合併し、現在の黒部市が成立した。 その合併10周年記念と、合併以来分かれていた市庁舎を新たに建設した新庁舎設立記念を兼ねたイベントが、同市で10日と11日に開催される予定となっている。しかし、訪伯時期と重なっているため大野県議は参加できない。 「地元出身の県議会議員が祝賀イベントに参加しないなんて、あり得ない。もう新庁舎には入れないな」と黒部市長から出発前に脅されたという。「もちろん市長も冗談で言ってるんですよ。事情は知ってますから」と大野県議は前置きした上で、「2年前に(ブラジル富山県人会の)市川会長が県議会議長を訪問した時、議長が不在だったため当時副議会議長だった私が対応した。そういう布石もあったので来伯したいとは思っていた」と語る。「それに市川会長の家族は宇奈月町出身。そして前田進副会長は黒部市出身。不思議な偶然もあったので訪伯を決心した」という。 聖市滞在を終えた大野県議は「お金を送るだけで現地を知らないんじゃ、事務的で寂しい。今回富山県移民の方々と触れ合えて、当地のことが知れて良かった。来れて幸せ」とにっこり。 また、聖州社会開発局のフロリアーノ・ペザロン長官が介護と保育を合わせた「富山型デイサービス」に興味を示していることに触れ、「そのサービスは黒部出身の惣万(そうまん)佳代子さん発案によるもの。その話が出てくることにも縁を感じた」そうだ。 市川会長は「いつも助けてもらっているから、ぜひ来てほしかった。2日間を終え、『ブラジルに来て良かったなー』と感じてもらえたと思う。交流会も盛り上がり、親交が深まった。今後につながる2日間だった」と話した。 本紙記者が「これからに期待ですね」と市川会長に話を振ると、横で聞いていた大野県議が「そう言ってもらうと嬉しいです」と自信を湛えた笑みで答えた。 ニッケイ新聞 2015年10月8日付
ニッケイ新聞 2015年10月8日 ブラジル富山県人会(市川利雄会長)が『創立55周年』及び『富山県聖州友好提携30周年』式典を4日、聖市の宮城県人会会館で行い、会員や各日系団体の代表者ら約200人が集った。日本から駆けつけた富山県南米訪問団には杉本正(団長)、五十嵐勉、菅原裕明、大野久芳、坂野裕一の5県議、荒木勝県公営企業管理者(副団長)、富山・中村純、高岡・林時彦両副市長ら34人が参加。県人会と州県の友好の節目を共に祝福した。 五十嵐氏は「県とブラジルの交流は、ひとえに県人会の努力の賜りであり深く敬意を表する」と横山栄県議会議長の祝辞を代読した。 中前隆博在聖総領事は「富山県からは1910年より約1800人が移住。その中で県人会は日伯の架け橋として留学制度の実施、姉妹都市関係締結などを進めてきた」と歴史を紐解いた。 羽藤ジョージ州議は30年前、自身が市議だった時に、兄のマリオ連邦下議(当時)と共に友好提携に奔走したことを紹介し、「兄弟で関われたことを幸せに思う」と振り返った。 過去240人以上いる県費留学生・研修生を代表して、荒川ロブソンさんが「自分が富山を訪れたことを祖父が大変喜んでいた。母県と結ぶ重要な制度」と感謝を伝えた。 母県から県人会功労者32人、75歳以上の高齢者74人に賞褒章が送られた。根塚弘前会長が受章者を代表して受け取り、謝辞を述べた。その後、県と県人会がお互いに記念品を贈り合い、友好を確認した後、杉本氏の音頭で乾杯し、しばし歓談を楽しんだ。 一般参加として訪問団に加わった市川昇さん(67)は市川会長のいとこにあたり、妻の美智子さん(63)と共に初来伯を果たした。「素晴らしい会に参加し、いとこの活躍も見られて嬉しい」と声を揃え喜んだ。 乾杯後のアトラクションでは日本民謡協会から「民謡名人」の位を受けた県内在住の竹氏修さんが歌声を披露。踊りの3人も加わり、より一層会場を盛り上げた。 訪問団は県人会式典の前には、高岡市との姉妹都市であるミランドポリス市の第3アリアンサ(富山村)を訪れ、約100人から歓迎を受けた。この後も、南米訪問団としてアルゼンチン県人会との交流を行う。
ブラジル日本都道府県人会連合会(本橋幹久会長)は、9月度代表者会議を9月24日午後4時からサンパウロ市リベルダーデ区の文協ビル5階の県連会議室で開いた。 冒頭のあいさつで本橋会長は「来年に向かって、今後も進んで行きたい」と話し、意気込みを表した。 続いて、9月20日に行われた県連主催の第9回弁論大会の優勝者、本田稔さん(21、3世)による弁論発表が行われた。本田さんが「私のルーツ」と題し、自身の体験を通じたスピーチを堂々と発表すると、会員らは拍手喝采(かっさい)し、日本語能力の高さと内容の充実度に感心していた。本田さんは同大会で日本への往復航空券を贈呈された。また、県連によると「今年は参加者の弁論内容のレベルが高く、審査に1時間を要した」という。 各種報告に続いて、来年の第19回日本祭りについての話し合いが行われた。県連は「第18回日本祭りでは、4万レアルの利益が出た。引き続き会計を細かく見ていく必要があるが、おそらく来年も厳しくなると思う」と発表した。 サンパウロ新聞 2015年10月8日付
ニッケイ新聞 2015年10月8日 ブラジル富山県人会(市川利雄会長)の『創立55周年式典』(後日本紙7面掲載)に駆けつけた杉本正団長以下訪問団一行は、『富山県とサンパウロ州との友好提携30周年事業』『サンパウロ大学日本語・日本文学専攻学生に対する奨学金制度認定証交付式』に出席。州県のこれまでの友好関係を確認し、さらなる強化へ向けた一歩を踏み出した。 一行は聖州社会開発局を訪問し、州政府関係者等100人が見守る中、友好提携30周年事業に臨んだ。州県の代表として、フロリアーノ・ペザーロ同局長と、荒木勝公営企業管理者が友好関係の推進を確認する書面を交わした。 野村アウレリオ聖市議を交えた懇談会も行われ、荒木氏は県費留学等これまでの交流の歴史を確認し、さらに今後「日本文化、薬用植物、環境の3分野で教官や研究員の来日を通した人的交流」を提案した。 一方、ペザーロ局長は「富山型デイサービス」という富山県独自の福祉サービスへ関心を示した。 また、友好提携の一環として行われてきたサンパウロ大学(USP)における同県からの奨学金制度を受給する5人の学生たちへ認定状交付のため、同キャンパスを訪れた。学生たちは日本語で制度への感謝と自身の研究内容を発表した。 同制度は95年より日系、非日系に関わらず、日本文学・文化を研究する学生を対象に、これまで約100人が受給してきた。 さらにイビラプエラ公園の日本人移民先没者慰霊碑を参拝。県連・本橋幹久会長からの歴史的な説明を受けた上で、黙祷を捧げた。 本紙の取材に対して杉本団長は、「富山県人が誠実、勤勉、感謝の気持ちを持って、ブラジル社会に貢献してきたことを実感した。我々も小さなことかもしれないが、県が助成する奨学金・留学の制度も継続させ、交流を進めていかなければならない」と決意を新たにした。 富山県・聖州の相互交流史 聖州と富山県との友好提携は1985年7月18日に当時の中沖豊、アンドレー・モントロ両知事によって締結。技術研修生やサッカー指導者の派遣など、数多くの交流事業が行われてきた。 更に都市間でも74年には高岡市とミランドポリス市が姉妹都市関係を締結。ジュニア親善大使の交換ホームステイやミランドポリスの高岡日本語学校への教師の派遣を実施。 79年には富山市とモジ・ダス・クルーゼス市が姉妹都市。市長相互の訪問や富山市から衣類や野球道具の寄贈も行われている。“友好の架け橋”に期待=富山県知事 石井隆一 石井隆一知事 ブラジル富山県人会は1960年の発足以来、県人会相互の親睦活動や生活の安定向上の取り組みを積極的に進め、経済社会の発展に大きく貢献され、富山県とサンパウロ州との交流・協力事業に多大な力添えを頂いております。 本県と南米諸国は、県人会の皆様やサンパウロ州政府と友好提携をもとに交流・協力を積み重ねており、これまで県費留学生・海外技術研修員の受入れや、サンパウロ第3アリアンサ地区への日本語教師派遣、サンパウロ大学学生への奨学金の交付など、様々な事業を実施しております。 富山県人の皆様のおかげで、私たちにとってブラジルは「遠くて近い国」であると感じることができます。...
ブラジル兵庫県人会(松下瞳マルリ会長)は、毎年恒例のピクニックを25日に実施する。 行き先はサンパウロ(聖)州グァラレマ市のHotel Fazenda Pintado na Brasa。当日は午前6時45分に聖市リベルダーデ区の県人会前(Rua da Glória, 332)に集合し、同7時に出発。午後7時までに同地に戻る予定。 参加費は、会員60レアル(75歳以上、5歳未満は無料)、非会員は80レアルで朝食、昼食、午後のおやつ、プール、市内観光付き。 申し込みは、20日までに県人会(電話11・3207・0025、メールbrhyogoken@gmail.com)まで連絡のこと。 サンパウロ新聞 2015年10月8日付
ブラジル岐阜県人会(山田彦次会長)主催の交流ピクニックが、25日に実施される。 今回は、サンパウロ(聖)州イトゥー市の中心街と郊外のチョコレート農園へ日帰り観光を行う。 当日は聖市リベルダーデ区の同県人会事務所前(Rua da Glória, 279)から午前7時30分に貸し切りバスが出発し、午後6時ごろ戻る予定。 参加費は、会員一人100レアル(バス代、昼食代込み)、一般120レアル。申し込み期限は16日まで。 連絡先及び問い合わせは、岐阜県人会事務局(電話11・3209・8073か、3208・4207)まで。 サンパウロ新聞 2015年10月8日付
母県から34人の慶祝団が来伯出席 ブラジル富山県人会(市川利雄会長)創立55周年記念式典が、4日午前10時からサンパウロ(聖)市リベルダーデ区の宮城県人会館で開催された。母県富山からは34人の慶祝団(杉本正団長)が訪伯し、記念の一日を共に祝った。富山県民のブラジル移住の歴史は1910年に3家族10人が渡伯したことから始まる。その後、27年にミランドポリス市第3アリアンサに「富山村」を設立するなど、同郷移民たちが団結してブラジルに根をおろしてきた。同村では母県から日本語教師を招聘し、現在も日本語教育などの文化の継承を熱心に行っている。同県人会は60年に創立。聖州と富山市の友好提携、サンパウロ大学日本語学科への奨学金制度設立などの歴史的行事の背景がある中、母県とブラジルの懸け橋となり今日まで発展して来た。 式典は午前10時から同県人会副会長の前田進氏の開会の辞で始まり、続いて先亡者へ黙とう、日伯両国歌が斉唱された。 当日は在聖日本国総領事館の中前隆博総領事、呉屋春美ブラジル日本文化福祉協会会長、本橋幹久ブラジル日本都道府県人会連合会会長、羽藤ジョージ聖州議員ら9人の来賓が出席した。 市川会長はあいさつで「ブラジルと富山県は105年の歴史がある。慶祝団の皆さんが式典に華を添えてくれた。一緒にお祝いできることが何よりの幸せ」と喜んだ。 慶祝団副団長で富山知事代理の荒木勝氏は「ブラジルと日本は互いに地球の反対側に位置するが、富山県人の皆様のお陰で私たちにとっては、まさに『遠くて近い国』に感じられる」と石井隆一県知事のあいさつを代読した。 羽藤ジョージ聖州議は「30年前に連邦議員だった兄(マリオ氏)と聖州と富山市の友好提携に2人で奔走したのを覚えている」と述べ、「富山の皆さん、もっとブラジルに来て聖市の発展に協力して下さい」と話し笑いを誘った。 その後、高齢者表彰と記念品交換などが行われ、菅沢裕明県議の中締めで式典は終了。ステージ上で鏡割りとケーキカットが行われ、乾杯後、来場者たちは昼食を楽しんだ。 日系2世のアルゼンチン人で祖父が富山出身という森山ミリアンさんは「今月からブラジルに住んでいる。アルゼンチンの富山県人会は規模が小さいが、ブラジルは会の規模も大きく、式典も盛大」と感激した様子だった。 午後からはアトラクションが行われ、ソロカバから来たシンレイ・ヨシアキ、マユミ親娘がそれぞれ美空ひばりやチェッカーズなどの日本の曲を歌唱し、会場を沸かせた。 また「日本で一番民謡が上手いと言われている」竹氏修氏と北日本民謡舞踊連合会が、富山の「帆柱起し音頭」をはじめ、全国各地の民謡を披露。林晴夫氏の奏でる胡弓の音色が1世移民らの郷愁を誘った。最後は「越中おわら節」を来場者が輪になって踊り、「越中魂」がブラジルでも健在であることを見せつけた。 来場者が踊る様子を見ていた草島嘉代子さんは「若い頃はよく盆踊りでこの曲を踊った。おわら節を聴くと懐かしくて涙が出てしまう」と目元に涙をにじませた。 続いて杉本正慶祝団団長が作詞し、富山名物を歌詞に忍ばせた「富山甚句」を来場者と合唱。「あーどすこい、どすこい」の掛け声が会場に響き渡った。 親戚と式典に訪れていた北林寛之、和江夫妻は「素晴らしい式典だった。一緒に踊ったり、今日は本当に楽しい。母県から多くの人が来てくれて嬉しい」と満面の笑みを見せていた。 サンパウロ新聞 2015年10月7日付
富山県人会創立55周年記念式典慶祝団には北日本民謡舞踊連合会のメンバー6人が随行し、訪れた各所で演奏を披露した。他県のものとは一線を画す民謡の様式はどの会場でも大きな拍手で称えられ、富山民謡の魅力を印象付けた。 民謡の歌唱を担当する竹氏(たけうじ)修さんは、日本民謡協会から認定されている「民謡名人位」を持つ。日本全国でもわずか5人しかいない名人の一人で、その歌は「民謡の至宝」といわれる。富山県移民の慰問で初めてブラジルを訪れ、「民謡を聴いて高齢者の人が泣いて喜んでくれると『よし、また来よう』と思った」と話し、今回で7回目の来伯となった。「腹から声が出ていれば、今日(4日の式典)のように人に訴えかける。それができて初めて名人になる」と歌の極意を聞かせてくれた。 富山民謡で多用される胡弓を演奏するのは林晴夫さん。演奏者として50年の経歴を誇り、今までに中国、台湾、オーストラリアなどでの演奏経験がある。「日本では静かな民謡が好まれるが、ブラジルは賑やかな曲が好まれる」と分析。「胡弓が富山の民謡の特徴。寂しげな音だが、きれいな音で魅力的。どうしたらきれいな音色が出せるかがすごく重要」とプロ意識をにじませた。 同団は富山県の五箇山地方の民謡「こきりこ節」、山形県の「真室川音頭」、福岡県の民謡「黒田節」など各地の幅広い民謡を取り上げている。サンパウロ州滞在初日は第3アリアンサ富山村でも公演を行った。「歓迎も熱烈で、帰りも雨が降る中を見送ってくれた。泣いてる人もいて、『待ってましたよ』という言葉がすごく心に響いた」と三味線を担当する森正雄さんは感動の面持ちだった。 民謡団で舞踊を担当している後藤しみ子さんは「富山は民謡が盛んで、2歳半から始める子もいる。来伯は2回目。民謡でブラジルの人を元気づけたかった。来れて本当に良かった」と語り、「同郷の人がいると親近感をすごく感じる」と話していた。 サンパウロ新聞 2015年10月7日付
ブラジル宮城県人会(中沢宏一会長)主催の第42回敬老祝賀会の日程が、当初の10日から17日に変更されることになった。 中沢会長によると、パラナ州ローランジャでの布教のため1959年から70年まで同地に移住した仙台市洞林寺前住職の故吉田道彦氏の夫人であるふくこさんと孫の彦英さん(僧侶)が現在、ローランジャ仏心寺55周年記念で来伯しており、当初は10日の敬老祝賀会に出席する予定だったという。しかし、両氏は当日、石巻若宮丸漂流民が日本人としてブラジルに初上陸したサンタ・カタリーナ州フロリアノポリスを含めた視察日程と重なるため、両氏の帰国前の17日に法要と敬老祝賀会を行うように変更したとして、中沢会長は会員ら出席者への理解を求めている。 17日は、午前9時半から佐藤裕香USP教授による健康診断(血糖と血圧測定)をはじめ、午後0時半に昼食、午後1時半に吉田彦英導師による先亡者慰霊法要と会館建設10周年記念法事の後、午後2時から敬老祝賀会が行われる。 また当日は恒例の青葉祭りも午前7時から開催される。 問い合わせは同県人会(電話11・3209・3265)まで。 サンパウロ新聞 2015年10月7日付
ニッケイ新聞 2015年10月7日 6月10日から会館の改修工事を行っていたブラジル秋田県人会(川合昭会長)は9月21日、無事に全てを終えた。築27年の同会館は、建物への落書きや内壁の劣化が問題となっていたため、特別に母県から2200万円の支援を受けて総工費60万レアルをかけた全面改修工事を行い、会館は新築同様の姿に蘇った。 「二、三世から県人会への尊敬が増した」。会館改修で生じた、思わぬ副次効果に秋田県人会川合昭会長はそう喜ぶ。日伯ともに厳しいこのご時勢の中、結果的に2200万円もの援助を母県から引き出した。 改修計画が立ち上がった2年前、母県へは外内壁修繕のための400万円の支援を要請しただけだった。しかし川合会長訪日の際、佐竹敬久県知事に理を尽くして援助要請を行ったところ、日を置いて、県から1700万円、市町村から500万円、あわせて2200万円の援助の申し出があった。 「協力は得られると思っていたが、まさかこれほどとは」と川合会長は当時の驚きを語る。長年の交流事業で培った絆が、具体的な援助となって現れた形だ。 改修中に下水管から漏れ出した水が内壁を浸食していることが発覚。倒壊の危険性もあることから、当初の計画よりも工事規模を拡大した。その後も、収納スペースの増大や荷物搬入路の増設、応接間の仕切り壁を取り払いなど、会員からの改善要望も取り込んで工事規模を拡大した結果、全面改修となった。 総工費は60万レアルに及び、約15万レを県人会が負担した。今回の工事を担当したホス建設の前身であるブラジル清水建設が、27年前に同会館の建設を行った。そうした経緯から、同建設会社は費用面で少なからぬ協力をしてくれ、川合会長の口からはしきりに感謝の言葉がもれた。 新装相成った会館を前に、「これでもう30年は心配ない」と改修の出来に胸を張る川合会長。同県人会は今年で創立55周年を迎え、10月25日には、佐竹知事らを招いて記念式典を行う。前日には落成式も予定しており、「多くの人に立派になった会館を見てもらいたい」と語った。
ブラジル宮城県人会(中沢宏一会長)は「七夕短冊焚き上げ祭」を12日、アチバイア市タンケ区の中沢スポーツ教育センターで開催する。 当日はサンパウロ市リベルダーデ区の宮城県人会(Rua Fagundes,152)をバスで午前8時に出発し、帰りは午後5時に同県人会前で解散する予定。また、東日本大震災支援のための「茶色の綿の苗」と「モリンガ栽培」も視察可能。 案内に来社した中沢会長は「宮城県人会では願い事を記した短冊を『七夕短冊焚き上げ祭』として神式で毎年執り行ってきた。個人でも団体でも希望者は、短冊をご持参の上で参加し、それぞれ成就を祈願してもらいたい」と呼び掛けた。 参加費30レアル(バス・昼食代込み)。問い合わせは、同県人会(電話11・3209・3265)まで。 サンパウロ新聞 2015年10月6日付