新役員は9割が2世、3世で構成 ブラジル日本都道府県人会連合会(県連、本橋幹久会長)は、3月31日午後4時からサンパウロ市リベルダーデ区の文協ビル5階同事務所で3月度代表者会議ならびに第50回定期総会を開き、各県人会代表ら約60人が出席した。総会では役員改選が行われ、出席者により山田康夫氏(65、滋賀県人会長)を会長とするシャッパ(候補者連記名簿)が拍手で承認された。2016年度の県連の新体制は14人の役員で構成され、約9割が2世と3世となっている。7月の日本祭り開催が迫る中、県連のさらなる活躍が期待される。 代表者会議では本橋会長(80、鳥取県人会長)が議長を務め、16年2月度事業報告ならびに会計報告など各種報告が行われた。その後、会長訪日や、約150人が参加した第45回移民ふるさと巡り、第19回日本祭りなどの報告が行われた。そして、各委員会の中で最も重要な任務を担う日本祭り実行委員を務めた山田氏と、市川利雄氏(富山)に拍手が送られた。その後、各県人会情報紹介が行われ、代表者会議は終了した。 総会では原島義弘氏(千葉)が議長を務めた。物故者への1分間の黙とうに続いて昨年度の事業および収支報告、今年度の事業計画、予算案の審議が行われた。 昨年度の収入は約368万レアル(うち第18回日本祭りは約341万レアル)、支出は約351万レアル(うち日本祭りは約322万)で約17万レアルの黒字を計上した。今年度予算は約344万レアルでいずれも承認された。 役員改選では、山田氏を会長とする12人の役員で構成されたシャッパと、山田氏の指名により第3会計と第3書記の2人が追加され、14人の新役員体制が拍手で承認された。 山田氏は通信関係の仕事で1971年に渡伯。その後はレストランを経営するなど多岐にわたって活動。県連では10年近く役員を務め、滋賀県人会では、04年から会長を務めている。また、山田氏は本橋会長に2期目も続投してほしかったというが、本橋会長が継続できないとのことで周囲からのバックアップもあり、会長を務めることを決意した。 就任あいさつで山田氏は「県連50周年という節目の時期を迎える今、会長に選ばれたことを有り難く思う。県連の事業で一番大切な日本祭りが差し迫っており、日本祭りが成功しない限りは何を語っても無駄だろう。3人の実行委員のメンバーは非常に辛い立場だと思うが、一致団結して乗り切らなければならない。また、本日は4人の歴代会長が出席しており重圧を感じているが、新しい県連の姿を示すいい機会でもある。そのためには皆さんの協力なしにはできない。一緒に新しい県連を盛り上げていただきたい」と会員らに協力を呼び掛け、意気込みを語った。 14年から1期2年会長を務めた本橋氏は、自身及び家族の体調の問題などで勇退。退任のあいさつで「会長に就任してから早いもので2年。県連の役員14人で一生懸命務め、皆さんの協力もありここまでやってこれた。新しい事業を始めて成功させることも悪くはないが、県連の現状を見て今やっている日本祭りやふるさと巡りなどの事業をさらに充実させていくことが重要だと思い、その面に力を入れてきたつもり。これからも県連の名を広めていくにはそれなりの行動をしなければならない」と語り、次の世代を担う新しい県連に向けてエールを送った。 新執行部は次の通り(敬称略)。 会長=山田康夫。副会長=高田隆男アルマンド(長野)、坂本アウグスト進(栃木)、島袋栄喜(沖縄)、森永正行ジェラルド(石川)、高野ジョルジ(山梨)、谷口ジョゼ眞一郎(和歌山)、市川利雄(富山)。第1会計=田呂丸哲次(熊本)、第2同=松村マキシミリアノ滋樹(鹿児島)、第3同=川合昭(秋田)。第1書記=菅原パウロ農夫男(香川)、第2同=中矢伝(愛媛)、第3同=四條玉田イウダ(大分)。正監査=篠原俊巳(山形)、西山実(佐賀)、松下大谷瞳マルリ(兵庫)。監査補=平崎靖之(広島)、平山イナシオ(福岡)、杉本教雄(静岡)。 サンパウロ新聞 2016年4月2日付
Dia: 5 de abril de 2016
気温31度の暑さの中、ふるさと巡り一行はフォルタレーザ市内の海岸を望む日本庭園へ到着。この庭園は日本移民100周年を記念して作られたもので、現地の日本人移民の先駆けである藤田十作氏の名前が付けられている。赤い鳥居をくぐった先には社(やしろ)のような建物があり、庭園内には椰子の木やバイアーナの人形も置かれ、日伯折衷の庭園という趣だ。 日本庭園で30分過ごした後、一行はフォルタレーザから85キロの地点にあるベベリベに移動。レストランで食事を済ませた後はそれぞれ近くの海岸「モロ・ブランコ」周辺の散策に出かけた。 記者はバギー車のツアーに申し込み、名嘉正良さん、中村博毅・博子夫妻らと一緒に海岸ドライブへ。右手には赤い岩山、左手には海が見える広大な砂浜をバギーは予想以上に速いスピードで駆け抜ける。後部座席には手すりがあるだけで囲うものは何もない。後部座席に座った記者ら男性陣は、振り落とされないよう捕まるのに必死だ。 バギーは途中で停車し、ガイドが岩山の間を案内してくれた。白い砂の大地を歩き奥へ進んで行くと、巨大な岩山が連なる壮大な景色が目の前に現れる。その風景はまるで、違う惑星かハリウッド映画の1シーンのようだ。上空に広がる青空とのコントラストも美しい。奥にさらに進むと岩山の頂上へと達し、崖っぷちとなっている。崖から一望する大西洋は殊更に美しい。眼前にはどこまでも続く岩山と砂浜、濃い青色の海が広がる。モロ・ブランコは美しく壮大な景色の連続である。 その後もバギーは海岸線を走り、復路では砂漠ような砂地を走り、ドライブ終了となった。 ベベリベを後にした一行はホテルへと戻り、海やプールで過ごす人、卓球やトランプで深夜近くまで遊ぶ人など思い思いに過ごしていた。(つづく、佐久間吾朗記者) サンパウロ新聞 2016年4月2日付
6泊7日の日程で149人が参加 ブラジル日本都道府県人会連合会(本橋幹久会長)主催の「第45回ふるさと巡り」が3月10日から16日の6泊7日の日程で行われ、今回はノルデステ(東北伯)地方のフォルタレーザ、アラカチ、モッソロ、ナタールの4都市の日系団体や移民、文化に出会う旅となった。人気ツアーとなっているふるさと巡りには今回、サンパウロ州を中心にリオやブラジリアからの参加者合わせ総勢149人が参加。熱帯地方の暑さの中、一人もケガ人や病人を出さず無事全行程を終えた。(佐久間吾朗記者) 重たい曇り空が広がった旅行初日。サンパウロ周辺の参加者は午後3時半にリベルダーデ広場近くのマクドナルド前に集合し、グアルーリョス空港へ向け出発した。 バスが空港に着く頃には曇天から雨模様へと変わった。ふるさと巡り一行は、午後7時55分のフライトでフォルタレーザへ向け飛び立ったのだが、その後雨足が強まった影響で飛行機の運航中止や、遅延になった便もあったと聞いた。雨は翌日まで降り続き、サンパウロ市周辺の市町村で水害が出た地区もあったそうなので、日程通り出発できたことは、ある意味幸先の良い旅の始まりと言えた。サンパウロの様子を聞いた参加者の一人は「最近の神様はヒステリーを起こしてるとしか思えない。雨を全然降らさないと思ったら、降らす時は過剰なくらいに降らす」と呆れた様子で漏らしていた。 飛行機は午後11時半頃セアラー州フォルタレーザ市のフォルタレーザ空港へ到着。冷房が効き過ぎた空港から外に出ると、もわっとした熱気が肌にまとわりつく。ここでリオとブラジリアからの参加者6人も合流し、市内で人気の海岸「プライア・ド・フトゥーロ」近くにあるホテル・オトン・パレスへ移動。記者がチェックインを終え部屋で荷物を解く頃には、時計の針は既に午前1時近くになっていた。 ◎ ◎ 2日目は午前8時にホテルを出発。旅の全行程を参加者は3つのグループに分かれ、グループ単位で行動する。記者はグループ3の一員となり、快晴の空の下、その日最初の行程である市内観光のためバスに乗った。 グループ3の現地ガイドはシーダ・オリベイラさん。彼女がフォルタレーザの歴史を語る中、バスは街の中心部を走り最初の目的地セアラー博物館に到着した。しかし、いざセアラー博物館に向かおうとした矢先、大粒の雨が降り出す。バスの停車地から博物館入り口までは距離があり、この雨の中を傘も差さずに歩いたらびしょびしょに濡れてしまう。杖をついて歩行する参加者もおり、短い距離であっても雨の中の移動は困難を極める。しばらくバスの中で待機するが止む気配はなく、「あと1時間は降るだろう」というガイドの判断で見学は中止。次の目的地の中央市場訪問に予定は変更された。 博物館からすぐ近くにある中央市場へと向かう数分の間に、雨はさっぱりと上がり再び太陽が顔を出した。「こんなことなら博物館へ行きたかった」と不服そうな男性陣と、「これで買い物に時間を費やせる」と笑顔の女性陣。対照的な表情が面白かった。 地上階から5階まである巨大な中央市場には所狭しと店が並ぶ。機能性よりデザイン性を追及したような建物の造りは記者好みだ。名産であるカシューナッツや、手編みの洋服やカバン、現地の伝承をまとめたコルデルという小冊子だけでなく、ハンモックやTシャツ、靴など多彩な商品が売られていた。 半年かけて編まれたという黒のドレスを購入した女性の参加者は「手作りだから同じものが一つとしてないし、売ってるものがサンパウロと比べて格段に安い」と戦利品を手に満足気。参加者の多くは名産のカシューナッツを購入したようだった。 午前10時にバスは中央市場を発車し、次の目的地である藤田十作氏を称える日本庭園へと移動した。(つづく) サンパウロ新聞 2016年4月1日付
ニッケイ新聞 2016年4月5日 11日午前中に一行は、フォルタレーザ市内の高級別荘地が立ち並ぶメイレーレス海岸にある「藤田十作日本庭園」を観光した。鳥居やスズラン灯、滝のある日本庭園も造られ、一等地にある立派な公園だ。プレートを見ると、観光省から予算をもらって、移民百周年を記念して建設したものだ。 当時の記事を読んでみると、08年にセアラ―州日伯文化協会(藤田ジョアン会長)が構想を打ち出し、1900平米の土地を市が提供し、観光省がなんと約200万レアルの大枚を投じて建設し、11年4月11日に完工式を行った。 庭園奥の部分には4本の柱があり「訓育」「我慢」「決心」「苦心」「献身」「根気」などの古風な言葉が鋳抜かれている。藤田十作とは一体、どんな人物だったのだろう。 午後は、真っ白な砂浜が広がるモーロ・ブランコに行き、バギーや散歩を楽しんだ。バギーでは巨大な風車の様な風力発電施設が立ち並ぶ様子や、洞窟、海岸にある淡水池などにも足を延ばした。川上三枝子さん(74、二世)は「バギーの後ろで風に吹かれて、とても気持ち良かった」と喜んだ。 ホテルに戻ると、故郷巡りらしい劇的な出会いが待っていた。午後5時過ぎ、ロビーで一人ソワソワしている小山徳さん(のぼる、76、長野)に、なにげなく声をかけると、「千田功(ちだいさお)って知ってるでしょ。君が昔書いたイタイプーダム建設で活躍した青年隊の連載『国家事業救った8人の侍』の一人だよ。先日、連絡先がようやくわかった。偶然このホテルから4キロ先の所に住んでいるから、会いにくるっていうんで、待ってるんだよ」というので驚いた。 小山さんは南米産業開発青年隊の8期。千田さんは9期でイタイプー工事の後、青年隊とは連絡を断った状態になっており、小山さんは「彼はアフリカに行ったとか、スイスに行ったとかの噂で、全然連絡が取れなかった」という。「ウマラーマ訓練所以来だから50年ぶり。僕が日本語でメールを書いても、ポルトガル語で返事を書いてくるんだ。どんな生活をしているのかと思って…」という。 ほどなく、さっぱりした表情のスマートな男性が回転扉を回して入って来た。「千田か!」「小山さんか」と二人は顔を見合わせ、固く握手を交わした。そこへ偶然にも一行の一人で青年隊4期の曽我義成さん(78、岐阜)も通りかかり、事情を聴いて驚き、一緒にテーブルに座って、千田さんのイタイプー後日談を聞いた。 「サダム・フセイン時代のイラクに、メンデス・ジュニオール(大手建設会社)から派遣されて2年間、ペトロブラスの仕事で行ったよ。ユーフラテス川の下に地下用水路を作って、チグリス川の水を流す大規模な灌漑設備を作る仕事だった。でも、たまたま休暇でブラジルに帰って来た時、湾岸戦争が勃発したんだ。フセインは『外国人を人質にする』って宣言し、あの時、現場に残っていた仲間はみんな捕まった」。平和な北東伯の海岸に立つホテルのロビーで、衝撃の体験談が始まった。(つづく、深沢正雪記者)
ニッケイ新聞 2016年4月2日 ブラジル日本都道府県人会連合会(本橋幹久会長)が主催する第45回「移民の故郷巡り」一行149人は、3月10日から16日までセアラー州都フォルタレーザ、北大河州モソロー、同州都ナタルを観光し、現地日系人と交流した。「どこに移民の故郷が?」と首をかしげるほど日系人が少ない北東伯だったが、〃アマゾン下り〃のセアラー州の先駆移民・藤田十作の子孫、メロン栽培で有名なモソロー、入植者の大半が町に出てしまった戦後移住地ピウンなどを巡るなかで、一行は「ここにジャポネースあり!」との誇らしい気持ちを新たにした。加えて一行参加者を取材し、戦争前後の出来事を中心に、まるで〃歴史の玉手箱〃の様にキラキラと輝く貴重な逸話の数々を聞いて回った。 記者が同行した第3グループは10日午後8時のGOL機で一路フォルタレーザへ、北北東へ約3100キロを一っ飛び。南米大陸が大西洋に最もせり出している地点のわずかに北だ。149人という大人数のため、一行は聖市からの飛行機、現地バスも三つに分かれて行動した。 翌11日(金)から観光開始。現地ガイドは「セアラーは1885年に最初に奴隷解放をした州。4年間ほとんど雨が降っていない。首都の人口は300万人。ここは踊りフォホーで有名だし、有名なユーモリストが沢山生まれた州よ。例えばシッコ・アニジオ、レナート・アラゴン、ファルコン(歌手)、あと連邦議員になったチリリッカもそう」と早口に説明した。 北東伯の半砂漠地帯カアチンガの55%は同州にあり、戦前にはカンガセイロ(匪賊)が大活躍した。午前中に訪れた市営手芸品市場には、民衆から義賊と親しまれたカンガセイロの首領ランピオンと妻マリア・ボニータの土産物人形がいたるところで散見された。 目の細かい独特のセアラー織物(renda do Ceara)は人気が高く、一行女性には200、300レアルのテーブルクロスやワンピースを「安い、安い」と勝って行く姿も。スカートとテーブル掛けを買った大村順子さん(65、鹿児島県)は「一枚編むのに半年かかるって。サンパウロで買ったら高いのよ」と初日からの収穫を喜ぶ。ワンピースを買った森小百合さん(71、鹿児島県)も「偶然に店主が日系二世で日本語が達者だった。『負けて負けて』ってお願いしたらサービスしてくれたわ」とホクホク顔を浮かべた。 州南部のジュアゼイロ・ド・ノルテは、地元では熱烈な信者が多いシセロ神父の本拠地だ。青年時代フォルタレーザで学んだ人物で、長年バチカンから反逆者扱いされ、昨年末にようやく聖人への筋道が認められたばかり。いわばセアラー州はブラジル史の主要な歴史舞台の一つだ。(つづく、深沢正雪記者)
