ふるさと巡り3日目も快晴。午前8時45分に集合し、セアラー日伯文化協会との交流、先亡移民慰霊のために「シチオ・キャプテン・フジタ」へと向かう。
到着すると、同文化協会会員の桜庭ミノルさん(61、2世)がふるさと巡り一行を案内してくれた。桜庭さんの話では、セアラー州には現在1200の日系人家族がおり、そのうち会員は200家族ほど。現在は2、3世が中心で、4世ではかなり混血が進んでいるそうだ。ノルデステ地方の日本人移民の記録は乏しく、多くのことは分かっていない。何人かの日本人がペルーなどから転住してきたという記録が、わずかながら残っている。その中で、日本人移民の先駆者的存在である藤田十作氏ついて、桜庭さんが一行に話してくれた。
藤田氏は1908年に熊本県からペルーへ移住。その後、ボリビアへ移住し、現地で働いていたレストランの同僚からブラジルのセアラー州を勧められ、1923年にフォルタレーザへと移住してきた。
現地のブラジル人女性と結婚後、百姓として成功した藤田氏は、自宅の建設や子供たちの教育に尽力した。しかし、そんな上昇機運のさなかに第二次世界大戦が開戦。ドイツ軍の船がブラジルの船を沈没させたことから、ドイツの同盟国日本の日本人移民もブラジル人から家を破壊されるなどの報復を受け、藤田氏一家はすべてを奪われた。
それまで築いてきたものをすべて失うも、知り合いや妻の親戚に世話になりながら、藤田氏は百姓として再び成功。6人の子供全員を大学に進学させた。桜庭さんは「その後、子供らは各分野において活躍し、フォルタレーザの発展に尽くしています」と話を締め括った。
続いて、慰霊祭が天理教の教義に則り行われ、大浜晃モッソロ教会長の慰霊に続き、玉城道子団長、松尾治氏らが慰霊、献花した。
斉藤利治さん(75、2世)は「藤田さんの話に感動し、献花させてもらった。私たちは先祖や親世代の移民のことを忘れがちだが、当地の日系人は忘れずに感謝している」と何かに気づかされた様子だった。藤田氏の話は一行の心に強く残ったようで、旅の終盤でも参加者との会話で話題に挙がることが多々あった。(つづく、佐久間吾朗記者)
サンパウロ新聞 2016年4月6日付
