セアラー日伯文化協会での交流会会場では、同船者の再会もあった。
セアラー州チアングァーに住む黒木(旧姓・松崎)聖子さん(71、福島)は、セアラー日伯文化協会の会員ではないが、この日会場を訪れていた。目的は福島県出身者で、東日本大震災の被災者が親類にいる人を探すため。黒木さんは、自身がチアングァーに持つ広大な土地を被災者に分け与えたいと思っていたが、情報の伝播をどうしたら良いか分からず、日本人や日系人が多く集まる交流会会場にやって来たのだった。福島県田村郡に住む黒木さんの叔母も被災者の一人で、現在ブラジルへの移住を打診している最中だという。
記者が黒木さんと話していると、近くにいたふるさと巡り一行の竹中清さん(80、神奈川)ら何人かも会話に参加した。会話を重ねるうちに、黒木さんと竹中さんが同船者だということが判明。「ぶらじる丸」でブラジルに到着し、1955年にパラー州サンタレン近郊のベルテーラに入植した12家族にいたのが黒木さんと竹中さんだったのだ。
竹中さんは叔父夫妻の養子になり、構成家族としてブラジルへ移住した。黒木さんは竹中さんの養父母をよく覚えており、「養父の方は細くてすらっとした男性で、養母の方は東京出身のお嬢様できれいな人。美男美女だった」と振り返る。「うちの親が生きていたらどんなに驚くか」と数十年ぶりの再会を喜び、入植したベルテーラなどの話で当時を懐かしんだ。
その頃、交流会はカラオケ大会も終了し、終盤に差し掛かっていた。参加者最高齢の武田勝喜さん(91、熊本)と玉城道子団長を中心に全員で「故郷」を合唱。最後に記念写真を撮影し、午後3時半に一行は会場を後にした。
セアラー日伯文化協会の山岸和(ひとし)さん(85、福島)は「5歳でブラジルに来たので、日本語はほとんど話さなくなってしまった。だから日本人を見ると、つい日本語を話したくなってしまう。たくさんの人がフォルタレーザを訪れ、先亡移民のために祈ってくれて嬉しい」と一行の訪問を喜んだ。(つづく、佐久間吾朗記者)
サンパウロ新聞 2016年4月8日付
