06/03/2026

Dia: 18 de abril de 2016

ニッケイ新聞 2016年4月15日 「熊本県庁と連絡を取っているところ。詳しい状況が分かり次第、臨時理事会を開く」――熊本県益城町で14日午後9時26分頃、震度7の地震が発生したことに関し、ブラジル熊本県文化交流協会の田呂丸哲次会長は、取材の電話に息せき切ってそう語り、「とても心配している」と繰り返した。 同会長のもとには、朝から心配のあまり連絡してくる同県人会員が絶えず、冒頭のように臨時理事会を開いて何らかの対応をとる心構えだ。 熊本出身で伯国在住34年のジャーナリスト・日下野良武さんは、「テレビのNHKニュースで地震を知り、すぐ県内に住む姉に電話した。幸い誰もケガは無いが、余震が続いており、家具が倒れる危険があるため近所の人とともに外に出ていた」とホッとした表情を浮かべた。 24歳まで熊本に住んでいた日下野さんは、「知る限りでは、これほど大きな地震は初めて」と話し、「熊本からは大変多く移民が来ており、みんな心配している。被害が少ないことを祈っている」と沈痛な面持ちで語った。
ニッケイ新聞 2016年4月15日 一行のうちで最長老、92歳でしゃきしゃきと歩き回る武田勝喜さん(熊本県)は、14歳の時に渡伯した。「一緒に住んでいた叔父さん(父の弟)が結婚し、『どうしても移住したい』っていうんです。それには『働き手が3人必要』との条件があったので、僕が入れば構成家族ができた。だから5年したら帰る、一儲けしたら帰るという話で来た。だから来たばかりの頃は日本に帰りたかった。親、兄弟が懐かしくてね。いくら想っても帰れない。そのうち戦争が始まって、それどころじゃなくなった。帰れないのは辛かった」と遠い戦前を振り返る。 「ところが戦後、42歳の時にPL教会の関係でようやく訪日した。郷里の友人の家に挨拶にいったら、友人は二人とも戦死していた。友人のお母さんは『まあ、立派になって! ブラジルに行ったから命拾いしたんだね。うちの子は戦争にいって二人とも…』といって、僕に抱き着いて泣いたんですよ」。 それから友人の母と共にお墓参りした。「そしたら、僕と同年代の友人の多くが、お墓に葬られていた。うちの村から戦争にいったものはほとんど全滅。友達はほとんど生き残っていなかった。村中がお爺さん、御婆さんばかり。それをみて、僕も涙が止まりませんでいた」と振りかえる。 「だから今は、ブラジルに来てよかったと心底思いますよ。今までに7回日本にいった。来年もう一回行こうと思っている」とほほ笑んた。 12日午後3時、一行は恒例の「ふるさと」を全員で合唱し、セアラ―州日伯文化協会から集まった地元日系人60人と別れを告げた。その時、マイクで「ふるさと」を歌って先導したのは、武田さんだ。あの元気さなら、再訪日はきっと可能だろう。 田所マリオ第2副会長に聞くと、一行が日陰にしていたマンガ―の大樹3本は「藤田家がこのシッチオを50年前に買った時に植えたもの」と教えてくれた。藤田十作もこのマンガ―の樹の下で、人生を振り返り、敢えて生涯一度も帰らなかった「ふるさと」について想いをめぐらしたに違いない。 ◎   ◎ 夜の食事時、たまたま同じテーブルに座った一行の市田邦彦さん(75、広島県)は、聖州とミナス州の州境ソコーロ在住で、町唯一の画廊「Galeria Ichida」(電話=19・3895・2322、)を経営しているという。 県人会の呼び寄せで61年渡伯。最初のパトロンがソコーロに住んでいて、独立してもそのまま住み続けている。同地には日本人会も存在しないという。 「2008年、移民百周年を記念して個人的にオープンしたんです。ただの趣味ですよ。具象画を中心に100点ほど所蔵しているうち、上永井正、ドゥリヴァル・ペレイラなど80点を展示しています」という。入場料は20レアル。 「ぜひ見にきてください」と薦める市田さんの腕は、農業者らしく筋肉が張っている。人口4万人の地方都市で、趣味で画廊を経営するとは、いろいろな戦後移民がいるものだ。(つづく、深沢正雪記者)
ふるさと巡り一行の松本ヨランダさん(72、2世)は、リオ・グランデ・ド・ノルテ日本ブラジル文化協会との交流会会場で、幼い記憶を呼び起こす人物や奇しくも遠い親類に出会った。 同協会の会員で、ナタールで海老養殖をしている曽根原マリーザさんとの会話で、マリーザさんの祖母がサンパウロ州ジェツリーナに住んでいると聞き、父を思い出した。ジェツリーナという町は熊本県からの移民が多く、1926年に「らぷらた丸」でブラジルに移住した熊本県出身の松本さんの父もジェツリーナに入植。松本さんはジェツリーナ近隣のプロミッソン生まれだが、幼い時に父親から聞いた昔話とマリーザさんが祖母から聞いた昔話がよく似ており、懐かしい気持ちが蘇ったという。 また、同協会の青木ミルトン会長との会話では、青木会長の両親が福岡県大刀洗村(現=大刀洗町)で松本さんの遠い親戚であることがあることが判明した。 松本さんの母親も同村出身で旧姓は平田。同村では江戸時代に徳川幕府がキリスト教を禁じた後も、隠れキリシタンとしてキリスト教信仰を続けた村民がいたという。平田家と青木家こそがその隠れキリシタンの家系であり、「ブラジルで平田家と青木家と言えばほとんどは親戚と聞いている」と松本さんは話す。 松本さんは早くに母親を亡くし、平田家との付き合いは疎遠となったため、自分自身が隠れキリシタンである平田家の子孫という確かなことは分からなかったという。ただ、時折平田家の人間と会うと親戚筋の話をよく聞いており、その親戚を青木会長が知っていたことから「間違いなく親戚だろう」と青木会長は結論付けたそうだ。 「参加するのは2回目だけど、ふるさと巡りはすごいなとつくづく感じた。本当にすごい」と思わぬ親戚との出会いに、松本さんは驚きを隠せない様子。「言われてみれば見たことがあるような顔。父がよく『福岡の面(つら)』と言っていたが、そういう顔をしている」と笑い、「父も早くに亡くしたので、ここで色んなことがつながりジーンときた」と感激の面持ちだった。 青木会長はサンパウロ市の福岡県人会によく顔を出しているそうで、「サンパウロでの再会を約束しました」と松本さんは笑顔で話した。(つづく、佐久間吾朗記者) サンパウロ新聞 2016年4月15日付