ブラジル都道府県人会連合会(県連)が創立して、今年で50周年の節目の年を迎えた。創立50周年記念式典は8月7日に衆議院議員の河村建夫氏が出席する予定で、サンパウロ州議会で開催されることが決定している。県連では毎年、日本祭りをはじめ、ふるさと巡り旅行などの恒例行事を実施しているが、傘下会員の各県人会からは年間6万レアルの一般収入しか入らないのが現状だ。約350万レアルにも及ぶ膨大な経費がかかり「綱渡り的」と言われる日本祭りでの成否に左右されながらも、その収入に頼らざるを得ないという。半世紀を迎えた記念の年に、新しく県連会長となった山田康夫氏に今後の方向性などについて話を聞いた。(松本浩治記者) ◆創立50周年記念行事 当初、9月18日にサンパウロ市内のブッフェで予定されていた県連創立50周年記念式典は、8月5日から開催されるリオ五輪開会式に出席する河村建夫衆議員議員の予定に合わせた形で、同氏出席のもと8月7日午前9時半から聖州議会のフランコ・モントロ講堂で行われることが決定している。 河村氏は同4日にリオ入り。5日のリオ五輪開会式に出席後、翌6日には聖市の山口県人会を表敬し、イビラプエラ公園内の開拓先亡者慰霊碑にも参拝する予定だ。 当初、河村氏の講演も予定されていたが、スケジュール的に難しく、式典への出席のみとなるようだ。 経費の問題上、50周年記念事業は限られ、式典以外には毎年の報告書に写真を合わせた「写真集的な」(山田会長)「50年の歩み」記念誌を来年半ばに発刊する予定。 ◆日本祭り 今年19回目を迎える日本祭りは、会場となるサンパウロ・エキスポ(旧イミグランテ展示センター)の改築により、天候に左右されない全天候型の室内施設となった。また、新たに4500台が収納できる駐車場が完備され、駐車場から会場まで屋内の遊歩道を通って行けるようになった。さらに、会場の出入り口も2カ所に増やされたことで、これまで車で来場しながらも渋滞で会場入りできなかったケースを緩和できるそうだ。 山田会長によると、現在の県連の一般年間経費は20万レアルが必要だが、傘下会員である各県人会からの年間収入は約6万レアルで、「日本祭りへの依存体質は変えられない」状況という。 「入場料を取っているからには来場者に納得してもらえるものを提供して内容を充実させ、リピーターを増やすことを考えなければならない」 ◆意識改革必要な県人会と県連 そうした中で「県連の対応もプロ化していく必要がある」とし、「各県人会を強くしていくためには、従来の親睦団体としての県人会活動だけではやってはいけない」と指摘する。 「現在、県人会の格差がすごく目立ってきており、1世世代が減少する中で、生き残っていくためには各県人会の意識改革が必要になる。そのためには、若い人たちに各県人会に入ってもらわなければならないが、現在は会長の3分の2が2世会長となっており、優秀な人材、特に女性会長が増えていることも明るい兆しになっているのでは」と山田会長。今後の県連の方向性として、世代が変わって言葉の問題で母県との連絡が取りにくい県人会事務の仕事を県連が窓口になって行うことも考慮しており、「そのためには現在の(日本語が話せる人材が少ない)県連事務局の体質ではやっていけない」とし、その資金作りとして日本祭りの継続や強固な体制作りの必要性を強調する。 そのほか、県費留学生・技術研修生問題について山田会長は、2014年8月に安倍晋三首相が来伯した際、日本政府の補助金制度を復活させる嘆願書を県連側から提出したという。 「留学生を一人受け入れてもらうのに年間300万円もの経費がかかり、今も半分以上の都道府県が県出身子弟しか受け入れない状況にあるが、この制度は今後も続けていただきたい」と山田会長は、現在の各県人会の2世会長のほとんどが留学生OBであることにも触れ、各県での制度継続を願っている。 今後の県連の役割について山田会長は、日本とブラジルとの交流関係において、日系社会の中でブラジル日本文化福祉協会の求心力が以前より無くなりつつある中、「県連は日本の外務省とも直接、話ができるなど日本とのパイプがある。また、日本祭りでのスポンサー探しにおいても、役員が自分たちで頭を下げて回れるフットワークとメリットがある」とし、今後は日本政府との直接的なやりとりも視野に入れている。 「10年ほど前、『10年後には、5つや6つの県人会は潰れているかもしれない』と思っていたが、10年経った現在もまだ、どこの県人会も潰れてはいない。県人会の活性化が県連の活性化につながる。継続性のある県連を目指していきたい」と山田会長は、創立50周年の節目を迎えて新たな意気込みを表していた。 サンパウロ新聞 2016年6月25日付
Dia: 29 de junho de 2016
サンパウロ州ミランドポリス市にある第2アリアンサ「鳥取村」の入植90周年記念式典が、7月23日午前9時半から同地の自治会館(Rua Shigueichi Fujissawa, 691)で開催される。当日は母県から県庁、県議会、教育委員会関係者など約10人の慶祝団が来伯して出席する予定で、開拓先亡者慰霊法要をはじめ、記念式典、敬老会、祝賀昼食会、日本語学校生徒及び県人関係者のアトラクションなどが行われる。(松本浩治記者) 第2アリアンサ「鳥取村」は、1924年の第1アリアンサ創立を受け、海外移住地の開拓を希望した当時の鳥取県知事だった白上祐吉氏が鳥取海外協会を組織。26年8月7日、信濃海外協会と共同で第1アリアンサの隣接地に土地を購入し、同村を創立した。現在、同村の日系家族は約30家族で、うち鳥取県出身者及び子弟は3家族のみだが、在住者たちは「鳥取村人」の意識を持ち、村を支えている。 「第二アリアンサ四十五年史」によると、翌27年に鳥取村に足を踏み入れた第1回入植者は、信濃(長野)扱い11家族92人、鳥取扱い5家族26人、熊本扱い12家族57人となっており、総数28家族175人がいたという。 27年5月24日、サントス港に入港した同村入植者175人は、当時の信濃協会理事だった輪湖俊午郎氏が鉄道側と交渉して特別列車を仕立てたため、サンパウロ移民収容所に入ることなく、直接現地入りすることになった。しかし、そのことが皮肉にも5人の死者、重軽傷20数人を出す大事故につながった。 トラベッサ1区に入植した故・中尾喜代治さんは、大事故の様子を「第二アリアンサ四十五年史」の中で次のように記している。 「同(ソロカバ)駅を離れる事三キロの地点にさしかかった際、俄然前方より驀進(ばくしん)して来たサンパウロ急行列車とあわやと云う間もなく正面衝突、現場は一瞬にして修羅の巷と化した」―。 一方、26年に12歳で渡伯してその後に同村に入植し、2001年8月に開催された鳥取村入植75周年記念式典で祭典委員長を務めた故・前田撲(すなお)さんは、「その頃は鳥取県出身者と長野県出身者の対立もあり、長野県人の前を通るとよく、いじめられました」と当時を振り返っており、その頃は各人の県人意識が強かったことがうかがえる。 当時の戦前移住者の率直な気持ちと同様、前田さんも「10年間ブラジルで働いたら、すぐに日本に帰る」という心構えでいたが、戦後の「勝ち負け抗争」が帰国を阻んだ一つの理由だったようだ。 ◎ ◎ 鳥取村には、1994年から鳥取県が日本語教師を派遣しており、去る5月24日には第12代日本語教師として大場諒(おおば・あきら)さん(29、鳥取県米子市)が来伯し、2年間の予定で現地に赴任している。 第2アリアンサ日本語学校保護者会会長の河北ナンシー美智子さんによると、日本語学校の生徒は4歳から17歳まで18人が在籍し、クラスごとに週2~3回の授業を受けているという。 鳥取村関係者は「1926年に鳥取県から移住者が入植してより、我が第2アリアンサ村は今年の7月で90周年を迎えることととなりました。平素よりお世話になっております近隣の方々とともに祝うことができたらと、村民一同願っております」と当日の出席を呼びかけている。 詳細についての問い合わせは同村会(電話18・3708・1335)まで。 サンパウロ新聞
