さらなる母県とのつながり深め
ブラジル新潟県人会(南雲良治会長)の創立60周年記念式典が、3日午前10時からサンパウロ市リベルダーデ区の宮城県人会館で行われた。式典には母県から泉田裕彦県知事をはじめ慶祝団20人が出席し、会場を訪れた約200人の母県出身者やその子弟らと記念の年を共に祝った。同県人会は、1956年に越後と佐渡の頭文字をとり結成された「越佐郷土会」を前身とする。第2次世界大戦以前にも同県出身で28年から3年間総領事を務めた中島清一郎氏の呼びかけで、県人会結成の動きはあったが破談。戦後になり、母県との連絡の緊密化を目的に長谷川武氏を会長に据え、8人の発起人により郷土会が創立された。60年に「新潟県人会」に改称、79年に現在の名称となり、60年の歴史を重ねてきた。
新潟県からの移住は1908年、第1回日本人移民船「笠戸丸」で移住した3家族9人に始まる。また、笠戸丸以前となる1900年には、同県出身の堀口九万一氏が日本公使館3等書記官としてブラジルに着任。日本人移民発展の礎を築いた。
式典当日はブラジル側の来賓として、在サンパウロ日本国総領館の中前隆博総領事、羽藤ジョージ聖州議ら8人が出席。慶祝団からは泉田知事、早川吉秀県議会議長、平辰(たいら・たつ)東京新潟県人会名誉会長、新潟日報の小田敏三社長らが登壇した。
日伯両国歌斉唱、先亡者に黙とうを捧げた後、南雲会長があいさつに立ち「ブラジルに移り住んだ我々の先輩は、言語に絶する苦難と犠牲を乗り越えて養国ブラジルの発展に貢献し、また子弟への熱心な教育で160万といわれる日系社会に大きな遺産を残してくれました」と先人らに感謝。「母県とのつながりを深め、実のある交流関係を築くために2、3、4世と真剣に話し合う時期が来ている」と節目の年に今後の県人会の方向性を示した。
続いて、祝辞を述べた泉田知事は「ブラジルと新潟県が築いた絆を次世代につなげていきたいと思います。新潟では2004年とその3年後に大きな地震が発生しており、その際は県人会の義援金募金活動はじめ、多くの皆様から復興の支援をしていただいた。改めて感謝申し上げます」と話し、会場から大きな拍手が起きた。
早川県議会議長は「皆様が『ふるさと』として誇れる新潟県を築くため、全力で取り組んでいく」と力強く誓いを述べ、平東京新潟県人会名誉会長は「いつか世界の新潟県人会員が3世、4世問わず、東京そして新潟に集まりましょう」と呼びかけた。
その後、慶祝団から県人会へ記念品が贈呈され、、県人会からも慶祝団へ記念品が贈られた。最後に新潟県民歌が合唱され、式典は閉会となった。
引き続き行われた祝賀会では、ケーキカット、鏡割りが行われ、同県人会の西川忠雄顧問の音頭で祝杯をあげた。アトラクションでは新潟県の民謡「佐渡おけさ」が歌われ、会場が手拍子を打ち故郷の歌に耳を傾けた。
創立会員の一人の原沢和夫さんは「長谷川さんから県人会の創立を打診された時は『ブラジルまで来てなぜ今さら』と生意気を言ったが、こうして60周年を迎え、式典に参加できて嬉しい」と思いを述べた。
原沢さんの甥で慶祝団の一員の原沢正昭さんは「叔父が設立に参加した県人会が60年も続いているのは、なかなかできることではない。周囲の協力があったからこそ。今後にもつないでいってほしい」と期待した。
30歳の時に家族で移住した清野かちえさんは「新潟の人にはなかなか会えないから、20人も慶祝団が来てくれて嬉しい」と喜んだ。
サンパウロ新聞 2016年7月5日付
