法要に出席した人々
71回目の『原爆の日』に合わせ

追悼法要の前に献灯、献花と献水が実施。献水は広島市内を流れる太田川の水が使われた。献水には原爆投下時、原爆の発する熱線で焼けただれた多くの人が水を求めて川に入り、一口水を口に含み苦しみのうちに亡くなった多くの人々を慰霊する意味が込められた。
広島に原爆が投下された午前8時15分に出席者全員が起立し、黙とう。サンパウロ西本願寺の中野超証(ちょうしょう)導師の読経により、出席者全員が焼香を行った。
身内にも被爆者がいる同寺の久保光雲開教使は法話で、「原爆の悲惨さが心に刻まれ命について考えることと、平和を願うことは私たちの毎日の生き様に表れる」と自身と原爆の関わりについて話した。
引き続き、聖市イタケーラ区の州立ヒロシマ学校と県連の第19回日本祭りの子供の広場からの折り鶴が贈呈。寄贈された折り鶴は広島市に送られる。
平崎会長は、「これまで写真展、植樹、灯籠流しなど、県人会では二度と原爆被害のない世界を作るための催しを行ってきたが、私は今日被爆者の一人として参加した。71年前の8月6日午前8時15分に世界で初めて原子爆弾が落とされたが、なぜ落とされ、なぜ戦争が起こったのか。今年4月にアメリカのジョン・ケリー国務長官が広島に来たのを知り、私はケリー氏が『二度とこういうことを起こしてはいけない』と強く感じたに違いないと思った」と自身の胸の内を語った。
広島市出身の中前隆博総領事は、同市が進めている原爆死没者名簿記載が30万人を超え、生存者の平均年齢も80歳と高齢化していることに言及し、「このまま時がたち過去を振り向き嘆くのでなく、我々は新しい人達にこの教訓を引き継ぐ責任がある」と強調。また、今年5月に広島平和記念公園を米国のオバマ大統領が訪問したことにも触れ「広島で生まれ育った者として非常に誇りに思う」とし、「広島、長崎の悲劇を二度と起こしてはいけない。苦しみの鎖、報復の連鎖を断ち、戦争後の復興支援が重要」と途中、感極まりながら平和の尊さを訴えた。
また、長崎県人会関係者は「8月6、9日を中心に各所で行事があり、参加していただくことは非常に意義がある。一人でも多くの方々に感心を持って参加してもらうことで世界が良い方向に変わるのではないか」と呼びかけた。
午前10時30分頃からは『原爆の子』(1952年公開)がポ語字幕付きで上映された。監督は平崎会長の親戚の新藤兼人(かねと)氏。上映中、静まり返った会場からは嗚咽する声も聞かれた。
聖市イタケーラ区の州立ヒロシマ学校から32人の生徒を引率してきたロセリ・フェルナンデス校長は、「現在、世界中でまだ戦争があるが、今回の原爆死没者追悼式典に出席することを通して、生徒たちにも平和の大切さを教えていきたい」と参加の意義を語った。
同校生徒のブルーノ・グルジェリ君(16)は、「広島の名前がついた学校で平和教育の一環として、広島、長崎の原爆投下について学んでいます。平和の大切さを考えさせられます」と答え、ペドロ・ガブリエル君(16)は「原爆の被害の悲惨さを知ることは辛いですが、今回の追悼式典に出席して平和についてもっと考えるようになりました」と真剣な表情を見せていた。
福岡と熊本にルーツを持つ松尾京子ローザさん(72、2世)は「ブラジルでは、原爆の話を聞く機会があまりなかった。毎年、原爆犠牲者追悼慰霊法要に参加する度に被害に遭った人々のことを思い出します」と神妙な面持ちだった。
サンパウロ新聞 2016年8月10日付
