ニッケイ新聞 2016年8月12日 リオ五輪開会式から一夜明けた6日、ブラジル広島文化センター(平崎靖之会長)は、例年よりも規模を拡大して「広島原爆死没者追悼法要」を行った。またその翌日7日午前8時からは、ブラジル被爆者平和協会(森田隆会長)と長崎県人会(川添博会長)が聖市ジョン・メンデス広場のサンゴンサーロ教会で「長崎原爆犠牲者追悼慰霊ミサ」を開き、約50人が集った。 広島文化センターの催しは、高齢化により参列者が年々少なくなるなか、平和への機運を作ってゆきたいと各所へ働きかけ、刷新を図った今回は、延べ100人を越える参列者を迎え、しめやかに行われた。聖州立広島中高等学校からも約30人の伯人生徒らが訪れ、広島からのメッセージに真摯に耳を傾け、各々が平和への思いを新たにした。 原爆投下された午前8時15分―。犠牲者に思いを馳せ一分間の黙祷の後、献灯、献花、献水が捧げられた。献水は原爆投下直後、屍で埋め尽くされたという太田川から取り寄せたものという。引き続き、南米浄土真宗本願寺(西本願寺)中野晃治導師の読経により、厳粛な雰囲気のなか、焼香が行われた。 久保光雲開教師は法話で「全ての命は繋がっている。平和を願うことは必ず繋がり、毎日毎日の生き様が平和を作ってゆく」と語り、一人ひとりの平和を願う心こそが、世界の平和に繋がると共命鳥(双頭の鳥)の例話を参列者に語りかけた。 胎内被爆者でもある平崎会長は、原爆手帳を片手に投下直後の広島の惨状を振り返り、「なぜ広島に原爆が投下されたのか。これは人類として考えなければならない問いだ」と涙ながらに訴えた。今年は現職としてオバマ米国大統領が初訪問した歴史的な年。「世界の恒久平和に向けて、各々が強い思いをもって欲しい」と熱い思いを語った。 法要に参席した中前隆博在聖総領事も広島市出身。「続く世代の我々は経験はなくとも、教訓を引き継ぐことはできる。その責任が我々にある」と力強く語り、「紛争において憎しみの鎖を断たなければ。広島市民の大統領への接し方、触れ合いの仕方に、二度と同じ過ちを繰り返してはならないというメッセージが強く現れていた」と感極まって言葉に詰まる場面も見られた。 式辞の後、3団体により作製された折鶴が寄贈されたほか、式典後に映画『原爆の子』(新藤兼人監督)が上映された。原爆後遺症に苦しむ被爆者やそれを取り巻く家族らの痛切な心の叫びに胸を痛め涙する参加者も。今回初めて参加したという高坂一房さん(74、兵庫)は「一人ひとりが平和を願い、何ができるのかを考えなければ」と感慨深げに語った。 長崎はサンゴンサーロ教会で=「あの日を忘れてはいけない」 聖市のサンゴンサーロ教会で7日行なわれた「長崎原爆犠牲者追悼慰霊ミサ」で、川添会長は「私たちのこの平和な生活は、先の大戦の尊い犠牲の上に成り立っている。それを意識し、より多くの人々に伝える義務がある。今年は原爆投下から71年目。これから平和を構築する強い意思を作らなければならない。世界平和を獲得するためにも、皆さんの協力が必要」と語りかけた。 マヌエル・ジア・デ・オリヴェイラ司教は「私たちは悪いものに囚われて戦争や原爆被害などを繰り返さないように、神、被害者に祈り、世界を良くするために努力しなければならない」と説教した。 ミサの後、森田会長(92、広島)は、「あの日を忘れてはいけない。平和の大切さをかみ締め、71年前に起こった事は忘れられない。戦争はいけないと訴え続けたい」と語った。 参加者の坂野智子さん(69、被曝二世)は「この時期になると皆が貧乏していた頃を思い出す。また、亡くなった母は常に長崎での被爆被害者の話を聞いていました。この時期になると、その事を思い出す」と振り返った。 □関連コラム□大耳小耳 広島原爆死没者追悼法要に毎年参加しているという聖州立広島中高等学校。同校教師のマリナ・アヤコ・チョーザさん(58、二世)は、「真面目な生徒が多い。式典で礼儀正していることは忍耐を学ぶ良い経験にもなる。広島のことに高い関心を持っている」と語った。日本語主流だが両語で式典が進められるなか、生徒らは式典後の映画鑑賞まで静かに見入っている様子。このような毎年の積み重ねの中から、ブラジルを代表するような平和運動家が現れるかも。
Dia: 15 de agosto de 2016
ニッケイ新聞 2016年8月12日 「ニッポン、ニッポン、ニッポン」との大声援が東洋街にこだました。日系5団体によるリオ五輪日本人訪問者サンパウロ支援委員会が10日夜、サッカー男子の第3戦(日本―スウェーデン)に合わせ、聖市文協の多目的ホールで観戦応援会を行なった。負けが許されない試合に日系・非日系、駐在員など約300人の観衆が集った。 ブラジル日本商工会議所が呼びかけたため、普段のコロニア行事とは違って、仕事帰りの背広姿が目立つ珍しい応援風景に。村田俊典会頭自ら日本代表ユニホームに身を包み、特設大画面の最前線で大歓声を送った。 B組の日本は初戦を落とし、次節のコロンビアに引き分けて最終第3戦へ。自力での勝ち抜けは消滅したが、他試合の結果次第では引き分け以上で決勝トーナメントに進出できる。対戦相手のスウェーデンは欧州王者。彼らも勝利が必須で序盤から均衡した展開に。互いの決定機を作りながら、前半は0―0で折り返した。 親子で訪れたウエマ・スエコさん(59、二世)とキンジョウ・ミドリさん(24、三世)は、「これまでの試合は良くなかったけど、今日は良い出来。後半も楽しみ」と拍手を送った。 同時に、同組のコロンビア対ナイジェリア戦で前者が先制点を入れたとの情報が入っていた。そのままの流れだと日本が勝ってもコロンビアの2位が確定、日本は敗退する。会場では日本応援と共に、ナイジェリアの奮起を期待する声が上がっていた。 均衡が外れたのは後半20分。途中出場のMF矢島慎也が先制点をもぎ取った。その後も日本のペースで試合を進め、追加点は奪えなかったが今大会初勝利を飾った。とはいえ、コロンビアが2―0で勝利し、2位が確定。日本の予選敗退が決定した。 祈るように画面を見つめていた新為千鶴(ちず)さん(69、二世)は「始めから終わりまで頑張って攻めていた。みんなの応援が届いたはず」と満足げ。「でも勝ちあがれなくて、それだけが残念」と肩を落とした。 最前列に座り、手振りをまぜて熱心に声援を送った非日系ルイス・カルロス・ファグンデスさん(49)は、日の丸Tシャツに身を包み来場。「文協の前を偶然通り、観戦会のポスターを見た。みんなで応援しようと三世の彼女と一緒に来た。今日はとても良い試合だった」と敗退にも関わらず、爽やかな表情で会場を後にした。 □関連コラム□大耳小耳 文協で行なわれたサッカー男子の観戦会では途中、抽選会も行なわれた。景品には五輪マスコットが描かれたマグカップが用意され、当選者も笑顔。その内の一人には、なんと日本人芸術家の日比野克彦さんも。東京五輪の広報事業のために来伯していたからだ。なにげなくそんな有名人も訪れ、コロニアに混じって一緒に和気藹々と声援を送った。「ぜひまたやって」との声も。大成功の観戦会となったようだ。
ニッケイ新聞 2016年8月11日 ブラジル日本都道府県人会連合会(山田康夫会長)は聖州議会内講堂で7日、『創立50周年記念式典』を開催した。リオ五輪開会式に日本政府代表として出席するため来伯した河村建夫衆院議員(日伯国会議員連盟幹事長、中南米日系人支援議員連盟会長)を招待するため、当初計画より前倒しで行われた同式典であったが、延べ230人を超える県人会関係者らが集まり、半世紀を盛大に祝した。 式典には、河村議員、隆子夫人をはじめ、中前隆博在聖総領事、小山シルビオ軍事司法裁判所長官、日系団体各代表者らが参席し、同議会での式典開催に尽力した羽藤譲二、西本エリオ両聖州議が司会進行を務めた。意気揚々と日伯両国歌が斉唱された後、先没者と広島と長崎の原爆犠牲者への黙祷が捧げられた。 山田会長は挨拶で「海外最大の日本祭りを開催するまでに成長した」経緯を振り返り、開拓先没者慰霊碑の管理の重要性を挙げ、「先没者の無縁仏を祀るのみならず、日系社会の心の拠り所になった」と県連が維持管理していく意義と意気込みを語った。さらに「各県人会によって活動に大きな差がある。後継者を育成して活性化を図らなければ」と訴え、「先人の後を引き継ぎ、更なる発展のために努力したい」と気を引き締めた。 河村議員は「リオ五輪の開会式に参加し、心に残る感動的な式典だった」と感想をのべ、家族会会長の故田中龍夫議員から「ブラジルのことをしっかり頼む」と遺志を託され地盤を引き継ぎ、県連との深い関係を築いてきた歴史を振り返った。さらに、慰霊碑建設は後世に残る最も大切な県連の偉業と評価し、「今まで維持管理していることは先没者への深い敬意の表れ、両国にとって大変重要」と語った。 座右の銘という吉田松陰の「至誠通天」を引用し、「さらなる百周年に向けて一丸となり、次世代を担う若者を育て、両国の友好親善を深め、ますますの発展を期待したい」との言葉を送った。 中前在聖総領事、羽藤ジョルジ市議会議員、飯星ワルテル連邦下議(補)、呉屋春美文協会長などから祝辞が相次ぎ、世耕弘成元内閣官房副長官からの祝電が代読された後、積年の功績を労い、関係者の間で表彰が行なわれた。 式典後は同議会内記念ホールで盛大な祝賀会が催され、ケーキカットに続き、鏡開きが行なわれ、会場は祝福ムード一色に。三味線と太鼓の優美な音色がホールに響き渡るなか、関係者は懇親を深めた。 河村衆議は「記念すべき50周年を一緒に迎えられて大変光栄」と満足した表情で語り、県連から送られた記念品を手に「日伯交流のために命を捧げた田中龍夫先生の御仏前に捧げたい」と語った。隆子夫人も「日本文化が根づき継承されていることに感動した」と喜びの表情を浮かべた。 最後は全員で「故郷」を合唱。先人の遺徳を偲び、次の百周年に向けて思いを新たにした。
