会場: Base de Administração e Apoio do Ibirapuera (Rua Manuel da Nóbrega, 1015, Paraíso, São Paulo/SP) 日時: 2016年5月22日 9時~16時...
Ano: 2016
Onde: Base de Administração e Apoio do Ibirapuera (Rua Manuel da Nóbrega, 1015, Paraíso, São Paulo/SP) Dia:...
ニッケイ新聞 2016年5月13日 ブラジル三重県人文化援護協会剣道部(木村武部長)による『第6回剣道大会』が、22日午前8時からサントアンドレ市内体育館(Rua Sao Pedro, 27, Vila Pires)で開催される。 同部は故竹内憲一さんが、当時の県人会長に働きかけ1992年に創設。世界大会での成績上位者も輩出している。今回の親善大会には約20支部が参加する。 来社した竹内さんの妻で同会顧問の竹内太恵子さんは、「剣道を通じ己に勝つという達成感を得ることで、人間的に成長してほしい。皆さんも暖かい声援を」と参加選手に期待を膨らませた。 問い合わせは木村部長(11・99125・69948)まで。
ニッケイ新聞 2016年5月13日 ブラジル日本都道府県人会連合会(山田康夫会長)が『第46回移民のふるさと巡り』の申し込みを開始した。今年9月29日から6泊7日で、パラナ州奥地を巡る。 ウムアラマ、グアイーラ、カスカベル各市を訪れ、同地日系人会との懇親会を開催する。またパラナ川でのスクーナーツアーやパノラミックツアーなど、大自然を満喫するプログラムも。最終日はイレタマ市にあるリゾートホテルの温泉で、旅の疲れをゆっくりと癒す。 シングル3165レ、ツイン、トリプルは2475レ。定員になり次第、締め切り。 問い合わせ、申し込みはグローバル・サービス旅行社(11・3572・8990)、直接申し込みを行う場合は同社(Praca da Liberdade, 190, cj 13)まで。
ニッケイ新聞 2016年5月12日 4月14日に始まった一連の熊本地震を受け、在ブラジル日本国大使館および在聖日本国総領事館は、それぞれ館員から義援金を募った。聖市のブラジル熊本県文化交流協会館で9日午後6時、同協会への贈呈式を開催。梅田邦夫駐ブラジル日本国大使と中前隆博在聖総領事、同協会の田呂丸哲治会長、日下野良武理事長ら関係者が出席した。 梅田大使と中前総領事が田呂丸会長に義援金を手渡し、同協会側からは感謝の言葉とともに、遠方からも寄付が届いている状況が説明された。 梅田大使は同協会の義援金活動に感謝を述べ、「館員から募った義援金を直接東京に送るよりも、県人会を通すことで少しでも熊本県との絆を強めたかった」と語った。 同じく義援金を渡した中前隆博在聖総領事は、「ブラジルには熊本移民が大変多い。彼らは日系社会で活躍し、ブラジルの発展に貢献してきた」と話し、「少しでも被災者の力になれれば。一日も早い復興を願っている」と答えた。 同協会の小山田祥雄前会長は被害の大きかった益城町に近い地域に親戚が住んでおり、「電話で無事を確認できた」とほっとした顔を見せる。贈呈式の感想を聞くと、「まさか大使と総領事が揃って来てくれるとは」と驚きを語った。 田呂丸哲治会長は「青年部が熊本にボランティアに行きたいと言っている。県人会の団結を感じた」と言い、続々と義援金が寄せられている状況について、「本当に感謝している。毎日対応に忙しいが、責任を持って必ずやり遂げる」と両拳に力を込めて話した。 □関連コラム□大耳小耳 熊本地震の義援金贈呈のため、わざわざ熊本県人会まで足を運んだ梅田大使。多忙なスケジュールをぬった来訪で滞在時間はわずか約15分、すぐ飛行場に向かった。中前総領事は大使とともに県人会を訪れた理由を、「こういう形で募金活動が少しでも活発になれば」と語った。大使館と総領事館が揃って義援金を贈ったことは、支援をさらに活発化する上で意味のあること。これに習って、他の日系企業や団体も義援金集めを始めてみては。
ニッケイ新聞 2016年5月12日 高知県人会(片山アルナルド会長)は22日午前7時半から、静岡県人会(Rua Vergueiro, 193, Liberdade)で『第5回高知祭り』と『第22回カラオケ祭り』を併催する。 地上階では約350人が参加するカラオケ大会が、また上階では同会婦人部お手製の鯛めしやカツオのたたき、姿寿司など郷土料理の販売が行なわれる。 案内のため来社した片山会長、文野雅甫副会長、広瀬マリオカラオケ部長らは「高知料理をぜひ味わってください。こじゃんとうまいぜよ!」と来場を呼びかけた。 なお毎年全ての料理が売り切れてしまうため、今年からは予約注文が可能。受け渡しは正午から。 問い合わせ、郷土料理の注文は同会(11・3031・6799)まで。
ニッケイ新聞 2016年5月7日 熊本地震の発生を受け、当地で義援金を呼びかけている熊本県文化交流協会の田呂丸哲次会長らが5日、現状報告のため来社した。 同協会では発災直後から募金運動を開始。他県の出身者からも寄付があり、すでに約15万レアルもの寄付が集まっている。寄付者名は熊本県庁に通知するが、匿名の寄付も多数。また個人の大口寄付者も複数あるという。 田呂丸会長は、「支援してくださる方は予想よりはるかに多い。遠方はアクレ州の県人からも電話があった。皆様の支援が本当にありがたい」と感謝を述べ、「熊本では余震が続いており、再び大きな地震が来ないか私たちも心配」と目線を落とした。同会長の80代の従兄弟は、現在も車に寝泊りしているという。 日下野良武理事長は「我々も役員と事務員総出で、自分の仕事を投げ打って奮闘しているが、母県のことを思えば大したことはない」と言い、「ブラジルの熊本県人も非常に心配している。問合せの電話も大変多く、直接事務局を訪れる人もいる。会長以下、助け合いながら対応している」と状況を説明した。 なお、引き続き義援金を呼びかけている。振込先はブラジル銀行リベルダーデ支店(Agencia=1196―7)、口座番号42479―X、名義は「Associacao Kumamoto Kenjin do Brasil」。 当日はブラジルニッポン移住者協会の杓田美代子会長、オイスカ・ブラジル総局の花田ルイス副会長も同席。両団体を通じて寄せられた、計2件の寄付を田呂丸会長に手渡した。 杓田会長は「移住者協会とオイスカでも、震災義援金を募っている。こちらで取りまとめて熊本県人会にお渡しするので、縁のある方は連絡してほしい」と呼びかけた。 問い合わせは杓田会長(電話=11・96182・2468、メール=miyokoshakuda@uol.com.br)まで。
ニッケイ新聞 2016年5月7日 在聖総領事館が百歳以上の長寿者表彰を行うにあたり、当地に住む百歳以上の邦人高齢者調査を実施する。敬老の日を記念し催行するもの。既に表彰を受けた人でも百歳以上の高齢者の有無につき、継続して調査を行うため連絡を受け付けている。締め切りは今月31日まで。 同総領事管轄地域内(聖、麻、南麻、ミナス・ジェライス州三角ミナス地域)に居住する、1917(大正6)年3月31日以前に出生した日本国籍者が対象となる。なお、同管轄区域外の人は最寄りの在外公館に連絡とのこと。 対象者は総務班へ事前に連絡し、後日必要な書類をメール、ファックス、郵便、または同館に直接提出する。 必要書類は次の通り▼身分証明書(外国人登録証RNE)またはパスポートのコピー▼現住所及び郵便送付先が確認できる書類▼該当者の家族等の名前、住所、電話番号、メールなどの連絡先▼戸籍謄本または氏名を漢字で書いた書類等のコピー(パスポートのコピーも可) 提出先は次の通り▼宛名=在サンパウロ日本国総領事館総務班Consulado Geral do Japão em São Paulo – Setor de Assuntos Políticos▼住所=Av....
ニッケイ新聞 2016年5月5日 青葉健康生活協会(中沢宏一会長)が主催する『5月青葉祭り』が7、21日の午前7時から、宮城県人会館(Rua Fagundes,152, Liberdade)で開催される。 農協婦人部ADESCの農産加工品、各種バザー、家紋の展示・販売ほか、昼食時にはてんぷらうどん、はらこ飯、牛タン弁当、餅料理各種(7日)、はらこ飯、さんま定食、イカ入りやきそば定食、牛タン定食、ずんだ餅(21日)などが販売される。 また今月は、両日とも熊本地震被災者への義援金募金キャンペーンも行なう。問い合わせは同県人会(11・320・3265)まで。
ニッケイ新聞 2016年5月3日 在サンパウロ総領事館が中心となって先月22日午後、リオ五輪サンパウロ連絡協議会が発足した。期間中の来伯邦人受け入れなどについて、各日系団体の代表15人と中前隆博総領事らが話し合った。 3月上旬にはリオで、サンパウロの母体となる官民合同組織が第1回会合を行なった。それを受けた今回の会合に関し25日午前、中前総領事が取材に応じた。 観戦に訪れる邦人の安全確保、治安やジカ熱などの情報共有、要人対応を目的とし、特設サイトで渡航上の注意や安全情報を発信する。緊急時の連絡先を明記したページを設け、来訪者が印刷して携帯できるような配慮も行なう。 2014年W杯では試合会場3都市の空港にブースを設置し、注意喚起のチラシを配布した。今回は大会期間の長さや、観戦者の移動がリオ以外は読めないことから、管轄内の空港にブースなどは設置しない。 また、聖市でも代表選手が直前合宿を行なう可能性が高いことから、「日本選手団が最大限の力を発揮できるような応援体制、環境づくりにも貢献できれば」と意欲を見せている。 委員には日系5団体に東京都友会、サンタクルス病院ほか、青年文協や留学・研修OB会のASEBEXなど若手団体も連なる。「幅広いネットワークを持つ日系の若者にも協力を仰いだ。最新の安全情報や関連イベントなど、広報には彼らの協力も不可欠だ」と狙いを語った。 日本政府は大会期間中、リオ市内の複合文化施設シダージ・ダス・アルテス内に、五輪ジャパンハウスを設置する。日本文化の紹介や、20年東京五輪の周知を促す考え。聖市では文協が中心になって、サッカー男子の第3戦、日本―スウェーデン(8月10日、サルバドール)で観戦会を企画中だ。 なお在伯公館は、6500~8千人の邦人が訪れると予測している。 □関連コラム□大耳小耳 リオ州で開催されていたフェンシング世界選手権大会が27日に閉幕した。五輪テストマッチのための2種目団体戦で、日本から男女8人の選手団が参加したが、女子フルーレ団体が12位、男子サーブル団体が16位という結果に終わった。この2種目は元々五輪では行われない。でも五輪種目の方のフェンシングでも、残念ながら日本代表は団体戦での五輪出場枠を逃した。個人戦ではメダル獲得が期待される太田雄貴選手含めて6人が代表に内定。リオ五輪まではや100日をきった。万全の態勢で試合に望めるよう、選手たちにエールを送りたい。ちなみに五輪本大会の個人戦は、8月6日から11日まで。
ニッケイ新聞 2016年5月4日 若手民謡グループ「民」などが主催し、初となる『本荘追分ブラジル大会』が5月22日午前9時から、聖市の秋田県人会館(Av. Lins de Vasconcelos, 3390, Vila Mariana)で行なわれる。優勝者は8月、第33回本荘追分全国大会(秋田県由利本荘市)に伯国代表として派遣される。 昨年末に実施が決まり出場者を募っていた(15年12月16日既報)。記念すべき第1回大会には、8~88歳まで約60人が参加する。パラナやミナスからも駆けつけるという。 日本国外での大会は初といい、由利本荘市からも長谷部誠市長、鈴木和夫市議会議長ほか、本荘追分保存会の佐林公善会長、さらには前年度優勝者の三浦九十九さんら10人が来伯することになった。 案内に来社した秋田県人会の川合昭会長、同市出身の伊藤武さん、民謡家の北原民江、海藤司さん、娘の紀世さんは開催に喜びを示し、「記念すべき第1回大会には、全日本王者の三浦さんらによるアトラクションも予定します。本場の民謡を楽しみながら、大会出場者にも声援を送ってほしい」と呼びかけた。 問い合わせは秋田県人会(11・5573・4107)、紀世さん(電話=12・98149・1996、メール=cintiakaito@gmail.com)まで。
ニッケイ新聞 2016年5月3日 グァタパラ農事文化体育協会(茂木常男会長)が7月16日午前10時より、同移住地中央公民館(Av. 12 de Janeiro, 377)で入植54周年記念の『入植祭』を行う。モンブカ墓地での慰霊祭の後、中央公民館にて記念式典などが開催される。 農産展では同地特産の鶏卵や蓮根が扱われるほか、17日正午から演芸会、カラオケ大会が開催され、コロニア演歌歌手の伊藤カレンさんらが舞台に立つ。 来社した茂木常男会長(69、山形)と高木正人副会長(67、島根)は、「入植祭を通じて近隣地域へも日本文化を伝承していきたい」として「一般以外にも、移住地を出て暮らす若い世代の参加も心待ちにしています」と呼びかけた。 問い合わせは同協会(16・3973・0016)まで。
ニッケイ新聞 2016年4月29日 毎年恒例の「グァタパラ移住地祭り」が7月16日に開催されるにあたり、県連はバスツアーを開催する。参加費190レ、申込みは6月30日まで。 15日夜11時15分にリベルダーデ地下鉄前に集合、午前7時に現地着予定。同移住地の入植祭に参加する。 午後3時半に現地発、午後8時半にリベルダーデ着。朝食、昼食は各自負担する。 申し込み、問い合わせはグローバル・ツーリズモ(11・3572・8990)まで。
ニッケイ新聞 2016年4月30日 ブラジル日本都道府県人会連合会(山田康夫会長)の「代表者会議」が28日、文協ビル同会議室内で行われ、県連創立50周年記念式典、第19回日本祭りの議題を中心に、熊本地震災害義援金などの報告が行なわれた。50周年記念式典は当初9月18日に予定されていたが、8月7日に前倒しとなった。リオ五輪で来伯する日本政府関係者を招聘するためで、県連と縁の深い河村武夫衆議院議員が出席するという。 河村議員は山口県出身で自民党所属。麻生内閣では内閣官房長官等を歴任した政界の重鎮だ。県連創設の発起人で、日本海外移住家族連合会の会長を務めた故田中龍夫議員の地盤を継承した。川村議員も日系人との緊密な関係強化のため、「中南米の日系人を支援する議員連盟」を昨年設立し、会長を務めている。 本橋幹久元県連会長は、河村議員招聘を実現させた立役者だ。3月に本橋氏が訪日した際、同議員は9月出席に難色を示したが、県連を気にかけており、何とか出席したいとする意向は確認した。その後、在聖総領事とも密に連絡を取り合い、今回の再度の訪日で出席への確約を得た。 河村議員はこれまで5回ほど来伯経験があり、山口県人会訪問にも関心を示している。さらにリオ五輪では選手を送出す多数の県知事も来伯する可能性がある。来伯が確実な舛添要一東京都知事ほか、海外日系人協会代表者へも出席に関する交渉を行っている。 50周年式典会場には聖州議会の利用を交渉中で、州知事ら伯国側要人も招待する予定だ。同記念事業として、イビラプエラ公園の慰霊碑の整備や管理を強化するための基金設立を検討しているという。 また第19回日本祭り(7月8―10日、サンパウロ・エキスポ)については、資金面での厳しい課題があるが「今回の日本祭りが一つの分岐点となる。今こそ我々の結束が試される時だ」と山田県連会長は各県人会に対して、当日の運営ボランティアなどの参加を呼びかけた。 スポンサーからの支援については90%目処がついていると報告された。ただし今後、契約を締結するにあたって、来場者数やその属性別データなどが必要になるとの課題も提起された。 熊本地震災害については、熊本県人会の田呂丸哲次会長から「今もなお6万人が避難生活をしている。ふところは厳しいだろうが、小額からでも支援をお願いします」との呼びかけがあった。すでに義援金用口座が開設されている。 □関連コラム□大耳小耳 県連代表者会議では、リオ五輪開催時の日本人観光客の聖州での対応策についての報告もあった。14年のサッカーW杯での経験を踏まえ、各県庁からの宿泊施設問い合わせに対する情報提供や、24時間体制での日本語緊急連絡先を設置する。援協は期間中、24時間体制で事故・ケガなどの対応にあたるという。せっかくブラジルまで来るのだから、ぜひサンパウロの日系社会の様子も見ていってほしいところ。モジのお茶屋敷、移民史料館、東洋街、平野植民地、上塚公園、百周年を祝ったばかりのリンス市内観光などを組み合わせた団体旅行プランを日系旅行社が作り、日本からの観光客に売り込んでみたら?!
ニッケイ新聞 2016年4月30日 聖市ビラ・マリアーナ区の川魚料理専門店「ランショ・ダ・トライーラ」(Rua Machado de Assis, 556)は5月中、熊本地震の被災地支援のため、団体向け慈善サービスを実施する。オーナーの坂口功治さん(67、福岡)が27日、説明のため来社した。 先祖が熊本県下益城郡出身のため、「今回の被災はとても他人事だと思えない。何かできないかと考え、ピラルクーを使った支援を思いついた」と熱を込めて話す。 誕生日や結婚記念日など、16~20人の団体利用時に、熊本県人会を通じ売り上げの3割を寄付するという。ピラルクーの丸焼きにスープ、ファロッファなどを含むコースを1人100レアルで提供する。 約12キロのピラルクーを丸ごとバナナの葉で包み、炭火で4時間以上かけて焼き上げる名物料理。魚とは思えない濃厚な肉の味を堪能できる一品で、多人数での食事に適している。 坂口さんは「伯国でも食べたことが無い人が多い」と言い、「おいしいものを食べて被災地支援にもなります。皆さんぜひお越しください」と協力を呼びかけた。 実施期間は5月の日、月曜を除く夕食営業時。火~木は午後6~11時、金、土は午後7~12時。ただし祭日の26日は除く。問い合わせは同店(11・5571・3051)まで。 □関連コラム□大耳小耳 5月に熊本地震の支援サービスを行なう料理店「Rancho da Traíra」。ピラルクーは養殖に適しており、1年で10キロに成長し、また肺呼吸もできるため、少ない水でも飼育できるという。坂口さんは「飢餓問題を解決できる可能性を持った魚」と太鼓判を押す。コラム子も初めて食べたときに驚いたが、その魚肉は味わい豊かで、塩のみで調理していても「調味料は何を使っているのか」とよく聞かれるほどだとか。食べたことの無い人は、この機会に一度賞味してみては。
ニッケイ新聞 2016年5月3日 やはり地元の松本カルロス幸夫さん(52、二世)にも話を聞くと、かつては450ヘクタールほどメロン栽培をしていたが、今は300だという。「9割が輸出。理想は輸出7割、国内3割だな」という。聞けばピラシカーバUSP農学部卒のエリートだ。 父・松本トシロウさん(福島県)はコチア青年で1955年渡伯。最初は奥ソロのプレジデンテ・ベンセスラウに入植し、カルロスさんはそこで生まれた。父はプレジデンテ・プルデンテ在住。1994年にモソローに転住した。 「1994年」と聞いて「もしや?」と思い確認すると、やはりコチア組合で農業技師として輸出の仕事をしていたという。「父は1967年頃から85年頃までメロン作りをしていた。農業技師としてコチア組合から派遣されて、ジュアゼイロにもきた経験があった。だから、コチアが潰れた時、大谷さんから誘われ、父がメロン栽培していたのを思い出して勇気を出して決断した」と振りかえる。 モソロー在住1年という赤木寿弘さん(57、熊本県)にも話を聞いた。弊紙前身パウリスタ新聞記者だった赤木数成さんの息子だ。建設技師で、日本の小野田セメントで5年半仕事をしてセメント設計を覚え、機械の設計と据え付け、運転指導などのチームトレーニングを行う。モソロー工場の立ち上げのためにやってきたのだという。 興味深いことに、みな聖州から70年代以降に移転してきた組だ。それぞれの想いを胸に希望をもって新天地で挑戦し、見事に花を咲かせた。 ☆ ☆ 翌3月14日(月)の午前中、一行は大谷農場を実際に視察した。真っ青な空が広がる中、見渡す限りのメロン畑。その花の蜜を求めて、無数の蝶々が飛び交っている。 大谷さんは作業効率化を図るために「メロン収穫機」を自作した。15メートルほどのボーリングのレーンのような運搬機が畑を横切り、かがんでメロンを収穫した労働者がそのレーンに転がして放り込むと、先にあるトラックに次々に運ばれて、別の労働者が一つ一つ積み替えて行く。みるみる5メートル、10メートルと収穫機は進んでいく様に、一行はしきりに感心していた。 常時150人を雇用し、多い時は200人もいるという。気候的には年間7カ月間生産できる。一度に全部植えるのではなく、毎週少しずつ植えて70日後に収穫というやり方を延々と7カ月間、約30週間繰り返すのだという。最初に種まきした70日後からは、毎週の種まきと同時に収穫も並行して行う。サンパウロでは収穫できるまで100日間かかるというので、ここの気候はメロンに適している。80%は欧州輸出向きで、残りは聖州へ出荷する。欧州向きと国内では品種が違うという。 欧州でメロンが一年を通して消費できる秘密は、世界中から季節をずらして出荷されるからだという。ブラジルのメロン生産は8月から2月まで、2月から5月までがコスタリカやグアテマラなどの中米、5月から8月がイスラエルやスペイン、ポルトガル産が出回る。「最近はアフリカでも生産が始まっている」という。(つづく、深沢正雪記者)
ニッケイ新聞 2016年4月30日 懇親会会場であるホテルには入来田純一さん(67、福岡県)が来ていた。彼の父が同地最初の日本人、邦男さんだ。1961年に家族で渡伯、当時純一さんはまだ中学一年、13歳だった。「こっちにきて殆ど学校に行っていない。農業だって本格的に勉強したことない。父も日本から農業の本を取り寄せては勉強していた」。 鞍手郡宮田町に住んでいたという。「父は貝島炭鉱で働いていた炭鉱離職者でした。仕事を求めてブラジルに。母は最初の何年か、『日本に帰りたい』っていう気持ちが強かったと思う。でも、今になったらこっちが良かった」。そこまでの心境に到達するにはいろいろあったのだろう。 貝島炭鉱は1883(明治16)年に開発され、1976年に閉山するまで一世紀近くに渡って筑豊石炭産業を支えた。入来田さんが離職した1960年頃には、まさに日本の産業構造が石炭から石油に構造転換する時期だった。1957年から深刻な炭坑不況となり、1962、3年に閉山炭坑数はピークを迎えていた。 入来田さんは渡伯当初、マイリポランでポンカン栽培を目指し、そこでブドウや桃作りも始めた。次にピラール・ド・スルのコロニア・バンデイランテに移り、そこで16年間いたが「トマトの雑作もやった。にっちもさっちも行かなかった」。そんな時に、モソロー行きの話が突然、降ってわいたように出てきた。 「来るのに不安はなかったけど、いざ来てみたらビックリ。セッカ期(乾期)に来たから緑がないんだよ。いわゆる〃カーチンガ〃で石ころばかりの灌木地帯。当時は誰も農業適地だと思っていなかった。僕らも、こんなところで本当に農業ができるのかと、あの頃は思った。でも石を取り除いてみると、実は土自体は素晴らしいことが分かった」。問題は水だった。「最初800メートルの井戸を掘って、灌漑で作り始めた」。かなり深い井戸だ。 「父は土地を段々買い足して、5年後に大谷さんを呼んだ」。今では土地は六つの農場に分かれて3千へクタールもある。「作っているのはメロンだけ。一時は450ヘクタール植えたけど、今は300ヘクタールだけ」という。 会場には地元の鈴木アルマンドさん(78、二世)も来ていた。「サンパウロはどこに行っても日系協会があるけど、ここにはない」とキッパリ。聞けばパウリスタ線トッパン生まれ、聖州ではトマト作りなどをしていたが、30年前にモソローへ転住したという。 「サンパウロでは霜ですべてを失った。ここでは霜が降りない。だからここは良い」。今はスイカを栽培し、ドイツやオランダに輸出している。(つづく、深沢正雪記者)
ニッケイ新聞 2016年4月28日 北海道と東北6県人会の青年部「グルッポ東北・北海道」による『第12回慈善運動会』が、5月1日午前9時からコレジオ・マリスタ・アルキディオセサーノ(Rua Afonso Celso, 840, Vila Mariana)で開催される。 徒競走や綱引き、そして二人三脚やリズム体操など子供から高齢者まで楽しめる種目を実施。各種バザーと和食をはじめとした食料品の販売、和太鼓やよさこいソーランなどの出し物もある。 案内のため来社した北海道教会の薮内勇次実行委員長、佐藤竜也委員は、「会場は室内なので雨が降っても楽しめます。ご家族をお誘い合わせの上、お気軽にお越しください」と参加を呼びかけた。 入場料は5レアル、もしくは5レ相当の生活衛生用品。集められた寄付金と物品は日系福祉団体に寄付される。 問い合わせは北海道協会(11・5084・6422)まで。
ニッケイ新聞 2016年4月28日 3月13日(日)午後、一行は北大河州モソロー市にあるホテル・テルマス・デ・モソローに投宿し、ゆっくりと温泉プールを楽しんだ。セアラ―州都フォルタレーザと、そのすぐ南に位置する北大河州都ナタルは約400余り離れているが、その中間地点だ。 夕方、同地で大規模メロン栽培をする大谷正敏さん(まさとし、68、愛知県)など、地元日系人が12家族いる中の15人余りが来てくれ、親睦夕食会を催した。 大谷さんはニコッと笑顔を浮かべながら、「生涯現役。90になったら畑でメロンと一緒にコロッと死にたい」と初対面の相手に何気なくいう。大谷さんは1960年、小学校を5年で中退し、両親に連れられて11歳で渡伯。最初はイビウナ、レジストロ、スザノなどを転々として、聖南西のピニャール移住地に落ち着き、17年間、家族でぶどう作りをしていた。 レジストロ時代は今も紅茶生産で有名な天谷家から500メートル、すぐ隣に住んでいたという。「子供の頃だから、裸足で学校に通っていたのを覚えているよ」。今ではモソローのメロン栽培は全伯的に有名になったが、70年代は誰も手掛けていなかった。 最初、セアザで「アチアイエンセ」という仲買店をしていた菊地軍平さんが北東伯を視察した折、大型農場経営をするモソロ・アグロインドゥストリア・リミターダ社から「資金は出すから、メロンを作る技術を持つ日本人を紹介してくれ」と頼まれ、知り合いだったピニャールの入来田(いりきだ)邦男さんに話を回した。 大谷さんの話では、同社の技師がスペインからもってきたメロンを食べて種を台所で捨てたら、自然に芽が出てきた。それを見て、「ここでもメロン栽培ができるはず」と思いつき、たまたまやって来た菊地さんに相談したようだ。 入来田さんは78年に、家族を連れてモソローに移り住んだ最初の日本人だ。そんなソグロ(義父)の話を聞き、5年後の1983年に大谷さんも移って来た。 大谷さんは「あの頃、資金がある人は皆、サンゴタルドやペトロリーナに移っていた。僕らはお金がなくて行けなかった。最初はブドウをやろうとおもったけど最初の収穫まで5年かかる。でもメロンは70日間。しかも大農場がメロン栽培の技術を求めていたから、僕らは収穫の何%をもらうという形で資金なしで始めることができた」という。 「ここにきて、日本人に生まれて良かったと思った。ジャポネースであるというヴァロール(価値)を再確認した。移民先輩の功績は大きい。その信用の恩恵をすごく受けている」と繰り返す。どういう時にそれを感じるのかと問うと、「日本人的には最初、借金をするのが怖かった。そんな日本人の真面目さは足かせになる。でもある時、借金取りから借金する事を覚えたんだ。借金取りから『借金払え』と言われた時、『もちろん払いたい。だからもう一回、来年の分も貸してくれ』と頼んだ。日本人だと信用してくれて貸してくれた。僕はそれから一回も遅れていない」との逸話を語った。 現在では3千ヘクタールの土地を持ち、うち800ヘクタールに灌漑設備を施し、うち毎年300ヘクタールずつメロン栽培をしているという。順繰りに土地を休ませながら緑肥を入れて輪作をしているという。(つづく、深沢正雪記者)
ニッケイ新聞 2016年4月27日 パ紙1954年1月15日付も、桜組挺身隊が前年11月から南聖のペドロ・デ・トレード、イタリリー、アナディアス方面に現れ、《「無料帰国」をエサに相当額の金子を搾取しているとの情報がある》と報じた。 詳しくは《これらは相変わらず「祖国救援のための帰国」を説き、無料乗船の交渉は我々が行うといって、希望者から一人当たり二コントを徴収したのち、土地、家屋などの不動産は日本政府が絶対保証することになっているので、不動産売却に必要な委任状を貰いたいと、アナジィアスのタベレオン(公証人役場)を通して約百人の邦人から白紙委任状を取った後、十二月中旬に無料乗船券獲得には、ぜひ本人の出頭が必要である…とその出聖を促して行ったので、同月二十日頃には約八十人の無料帰国希望者が出聖した事実がある―》と書かれている。 まさに中村家が騙されていた手法と同じだ。この一連の事件のロンドリーナ版に巻き込まれていたようだ。 中村伯毅さんの妻・伯子さん(のりこ、77)の家族はマリリアだったが、やはり20年間近く、堀沢に騙されていたという。 「マリリアからテコテコ(軽飛行機)に乗って、あちこちの植民地の上から、報告を書いた紙を落とすんです。ペレイラ・バレットぐらいまで行っていました。半分ぐらいの家族は10年ぐらいにで辞めて行った」。 伯子さんの証言も同様に興味深い。「堀沢さんは『自分は特務機関だ』って言ってました。だから当時、うちの家族も戦後移民の話を信用しなかったんです。パウリスタ線にも騙されている人沢山いました。正直なものばかり騙されるんです。何月何日に日本からお迎えの船が来るからって。桜組挺身隊の事件が終わった後も、ずっとこっちの詐欺は続いていたんです」。 桜組挺身隊事件は1955年4月に、警察によってサントアンドレの共同生活地は解散させられて終わった。でも、その後も帰国手続き詐欺自体は続いていたというのは驚きだ。戦後移民は1953年から入り始め、55年には戦後最大の集団であるコチア青年も入り始めた。時代は大きく変わり始めていたが、地方部の一部では、まだまだ詐欺師が跋扈していたのだ。 中村伯毅さんの父と伯子さんの父中村真夫さん(さなお)が同船者だった関係で、1964年に結婚したという。 中村真夫さんは10年以上だまされた末、最終的にわざわざリオに住む堀沢の家族に会いに行った。そこで「オカシイ」と思うようになり、それから堀沢の言葉に疑問をもつようになり、最後は本人に問い詰めた。 「うちの父は堀沢さんと議論して、やっぱりオカシイと感じて『もう辞める』と宣言した。そのうち堀沢さんが亡くなり、1965年ぐらいにその繋がりは消滅したような感じです」。 つまり〃コロニアの戦後〃が終わったのは、戦後移住の大波が通りすぎ、東京五輪(1964年)も終わった頃だった。あまりに壮絶な話だ。 聖州、パラナ州を中心にあちこちに被害者がちらばっており、その実数は300家族、1500人以上は居たのではないか。にも関わらず、まとまった記録が残されていないのは、被害者が恥だと感じて証言を残してこなかったからだろう。中村夫婦の話を聞きながら、二人の勇気を心から称賛した。(つづく、深沢正雪記者)
