リオ五輪サッカー日本代表とスウェーデン代表の試合のパブリック・ビューイング(公共の場に集まり、スポーツの試合などを観戦すること)が、10日午後7時からサンパウロ(聖)市リベルダーデ区の文協ビル多目的ホールで開催された。 これは、聖市の日系5団体で構成されるオリンピック・パラリンピック日本人訪問者サンパウロ支援委員会が企画したイベントで、応援事業の一つとして開催された。会場には在聖日本国総領事館の中前隆博総領事はじめ、文協の呉屋春美会長ら5団体の代表らも訪れ、集まった約300人の来場者と声援を送った。 試合は前半0対0で終了。得点のチャンスは何度か訪れたが決め切れず、その度に会場からは大きな溜め息がこぼれた。 しかし後半に入り、日本の攻撃に勢いが増すと、会場の盛り上がりも増していく。後半20分、矢島慎也選手がゴールを決めると会場の盛り上がりは最高潮に。その後も惜しい場面が続き、その度に会場は大盛り上がりとなった。同8時50分に試合終了。1対0で日本が勝利したものの、予選突破とはならなかった。試合後会場からは「ニッポン!ニッポン!」の声があがり、日本の勝利を称えた。 ハーフタイム時には日本代表のユニフォームを着た来場者への抽選が行われ、マグカップなどの景品が当選者に贈られた。 会場には従来の日本代表のユニフォームに身を包む来場者が多い中、唯一オリンピック日本代表と同じユニフォームを着用していたのはブラジル人のエドアルド・ゼンレさん。大の親日家で「日本の精神が感じられる良い試合だった」と勝利を喜んだ。 見目朋実さん(34、東京)は「ナイジェリア戦は情けない試合だったが、今日は安心して観ていられた。パブリック・ビューイングは初めてだったが、人も多く、一体感が感じられて楽しかった」と話した。 サンパウロ新聞 2016年8月13日付
Ano: 2016
ニッケイ新聞 2016年8月12日 リオ五輪開会式から一夜明けた6日、ブラジル広島文化センター(平崎靖之会長)は、例年よりも規模を拡大して「広島原爆死没者追悼法要」を行った。またその翌日7日午前8時からは、ブラジル被爆者平和協会(森田隆会長)と長崎県人会(川添博会長)が聖市ジョン・メンデス広場のサンゴンサーロ教会で「長崎原爆犠牲者追悼慰霊ミサ」を開き、約50人が集った。 広島文化センターの催しは、高齢化により参列者が年々少なくなるなか、平和への機運を作ってゆきたいと各所へ働きかけ、刷新を図った今回は、延べ100人を越える参列者を迎え、しめやかに行われた。聖州立広島中高等学校からも約30人の伯人生徒らが訪れ、広島からのメッセージに真摯に耳を傾け、各々が平和への思いを新たにした。 原爆投下された午前8時15分―。犠牲者に思いを馳せ一分間の黙祷の後、献灯、献花、献水が捧げられた。献水は原爆投下直後、屍で埋め尽くされたという太田川から取り寄せたものという。引き続き、南米浄土真宗本願寺(西本願寺)中野晃治導師の読経により、厳粛な雰囲気のなか、焼香が行われた。 久保光雲開教師は法話で「全ての命は繋がっている。平和を願うことは必ず繋がり、毎日毎日の生き様が平和を作ってゆく」と語り、一人ひとりの平和を願う心こそが、世界の平和に繋がると共命鳥(双頭の鳥)の例話を参列者に語りかけた。 胎内被爆者でもある平崎会長は、原爆手帳を片手に投下直後の広島の惨状を振り返り、「なぜ広島に原爆が投下されたのか。これは人類として考えなければならない問いだ」と涙ながらに訴えた。今年は現職としてオバマ米国大統領が初訪問した歴史的な年。「世界の恒久平和に向けて、各々が強い思いをもって欲しい」と熱い思いを語った。 法要に参席した中前隆博在聖総領事も広島市出身。「続く世代の我々は経験はなくとも、教訓を引き継ぐことはできる。その責任が我々にある」と力強く語り、「紛争において憎しみの鎖を断たなければ。広島市民の大統領への接し方、触れ合いの仕方に、二度と同じ過ちを繰り返してはならないというメッセージが強く現れていた」と感極まって言葉に詰まる場面も見られた。 式辞の後、3団体により作製された折鶴が寄贈されたほか、式典後に映画『原爆の子』(新藤兼人監督)が上映された。原爆後遺症に苦しむ被爆者やそれを取り巻く家族らの痛切な心の叫びに胸を痛め涙する参加者も。今回初めて参加したという高坂一房さん(74、兵庫)は「一人ひとりが平和を願い、何ができるのかを考えなければ」と感慨深げに語った。 長崎はサンゴンサーロ教会で=「あの日を忘れてはいけない」 聖市のサンゴンサーロ教会で7日行なわれた「長崎原爆犠牲者追悼慰霊ミサ」で、川添会長は「私たちのこの平和な生活は、先の大戦の尊い犠牲の上に成り立っている。それを意識し、より多くの人々に伝える義務がある。今年は原爆投下から71年目。これから平和を構築する強い意思を作らなければならない。世界平和を獲得するためにも、皆さんの協力が必要」と語りかけた。 マヌエル・ジア・デ・オリヴェイラ司教は「私たちは悪いものに囚われて戦争や原爆被害などを繰り返さないように、神、被害者に祈り、世界を良くするために努力しなければならない」と説教した。 ミサの後、森田会長(92、広島)は、「あの日を忘れてはいけない。平和の大切さをかみ締め、71年前に起こった事は忘れられない。戦争はいけないと訴え続けたい」と語った。 参加者の坂野智子さん(69、被曝二世)は「この時期になると皆が貧乏していた頃を思い出す。また、亡くなった母は常に長崎での被爆被害者の話を聞いていました。この時期になると、その事を思い出す」と振り返った。 □関連コラム□大耳小耳 広島原爆死没者追悼法要に毎年参加しているという聖州立広島中高等学校。同校教師のマリナ・アヤコ・チョーザさん(58、二世)は、「真面目な生徒が多い。式典で礼儀正していることは忍耐を学ぶ良い経験にもなる。広島のことに高い関心を持っている」と語った。日本語主流だが両語で式典が進められるなか、生徒らは式典後の映画鑑賞まで静かに見入っている様子。このような毎年の積み重ねの中から、ブラジルを代表するような平和運動家が現れるかも。
ニッケイ新聞 2016年8月12日 「ニッポン、ニッポン、ニッポン」との大声援が東洋街にこだました。日系5団体によるリオ五輪日本人訪問者サンパウロ支援委員会が10日夜、サッカー男子の第3戦(日本―スウェーデン)に合わせ、聖市文協の多目的ホールで観戦応援会を行なった。負けが許されない試合に日系・非日系、駐在員など約300人の観衆が集った。 ブラジル日本商工会議所が呼びかけたため、普段のコロニア行事とは違って、仕事帰りの背広姿が目立つ珍しい応援風景に。村田俊典会頭自ら日本代表ユニホームに身を包み、特設大画面の最前線で大歓声を送った。 B組の日本は初戦を落とし、次節のコロンビアに引き分けて最終第3戦へ。自力での勝ち抜けは消滅したが、他試合の結果次第では引き分け以上で決勝トーナメントに進出できる。対戦相手のスウェーデンは欧州王者。彼らも勝利が必須で序盤から均衡した展開に。互いの決定機を作りながら、前半は0―0で折り返した。 親子で訪れたウエマ・スエコさん(59、二世)とキンジョウ・ミドリさん(24、三世)は、「これまでの試合は良くなかったけど、今日は良い出来。後半も楽しみ」と拍手を送った。 同時に、同組のコロンビア対ナイジェリア戦で前者が先制点を入れたとの情報が入っていた。そのままの流れだと日本が勝ってもコロンビアの2位が確定、日本は敗退する。会場では日本応援と共に、ナイジェリアの奮起を期待する声が上がっていた。 均衡が外れたのは後半20分。途中出場のMF矢島慎也が先制点をもぎ取った。その後も日本のペースで試合を進め、追加点は奪えなかったが今大会初勝利を飾った。とはいえ、コロンビアが2―0で勝利し、2位が確定。日本の予選敗退が決定した。 祈るように画面を見つめていた新為千鶴(ちず)さん(69、二世)は「始めから終わりまで頑張って攻めていた。みんなの応援が届いたはず」と満足げ。「でも勝ちあがれなくて、それだけが残念」と肩を落とした。 最前列に座り、手振りをまぜて熱心に声援を送った非日系ルイス・カルロス・ファグンデスさん(49)は、日の丸Tシャツに身を包み来場。「文協の前を偶然通り、観戦会のポスターを見た。みんなで応援しようと三世の彼女と一緒に来た。今日はとても良い試合だった」と敗退にも関わらず、爽やかな表情で会場を後にした。 □関連コラム□大耳小耳 文協で行なわれたサッカー男子の観戦会では途中、抽選会も行なわれた。景品には五輪マスコットが描かれたマグカップが用意され、当選者も笑顔。その内の一人には、なんと日本人芸術家の日比野克彦さんも。東京五輪の広報事業のために来伯していたからだ。なにげなくそんな有名人も訪れ、コロニアに混じって一緒に和気藹々と声援を送った。「ぜひまたやって」との声も。大成功の観戦会となったようだ。
ニッケイ新聞 2016年8月11日 ブラジル日本都道府県人会連合会(山田康夫会長)は聖州議会内講堂で7日、『創立50周年記念式典』を開催した。リオ五輪開会式に日本政府代表として出席するため来伯した河村建夫衆院議員(日伯国会議員連盟幹事長、中南米日系人支援議員連盟会長)を招待するため、当初計画より前倒しで行われた同式典であったが、延べ230人を超える県人会関係者らが集まり、半世紀を盛大に祝した。 式典には、河村議員、隆子夫人をはじめ、中前隆博在聖総領事、小山シルビオ軍事司法裁判所長官、日系団体各代表者らが参席し、同議会での式典開催に尽力した羽藤譲二、西本エリオ両聖州議が司会進行を務めた。意気揚々と日伯両国歌が斉唱された後、先没者と広島と長崎の原爆犠牲者への黙祷が捧げられた。 山田会長は挨拶で「海外最大の日本祭りを開催するまでに成長した」経緯を振り返り、開拓先没者慰霊碑の管理の重要性を挙げ、「先没者の無縁仏を祀るのみならず、日系社会の心の拠り所になった」と県連が維持管理していく意義と意気込みを語った。さらに「各県人会によって活動に大きな差がある。後継者を育成して活性化を図らなければ」と訴え、「先人の後を引き継ぎ、更なる発展のために努力したい」と気を引き締めた。 河村議員は「リオ五輪の開会式に参加し、心に残る感動的な式典だった」と感想をのべ、家族会会長の故田中龍夫議員から「ブラジルのことをしっかり頼む」と遺志を託され地盤を引き継ぎ、県連との深い関係を築いてきた歴史を振り返った。さらに、慰霊碑建設は後世に残る最も大切な県連の偉業と評価し、「今まで維持管理していることは先没者への深い敬意の表れ、両国にとって大変重要」と語った。 座右の銘という吉田松陰の「至誠通天」を引用し、「さらなる百周年に向けて一丸となり、次世代を担う若者を育て、両国の友好親善を深め、ますますの発展を期待したい」との言葉を送った。 中前在聖総領事、羽藤ジョルジ市議会議員、飯星ワルテル連邦下議(補)、呉屋春美文協会長などから祝辞が相次ぎ、世耕弘成元内閣官房副長官からの祝電が代読された後、積年の功績を労い、関係者の間で表彰が行なわれた。 式典後は同議会内記念ホールで盛大な祝賀会が催され、ケーキカットに続き、鏡開きが行なわれ、会場は祝福ムード一色に。三味線と太鼓の優美な音色がホールに響き渡るなか、関係者は懇親を深めた。 河村衆議は「記念すべき50周年を一緒に迎えられて大変光栄」と満足した表情で語り、県連から送られた記念品を手に「日伯交流のために命を捧げた田中龍夫先生の御仏前に捧げたい」と語った。隆子夫人も「日本文化が根づき継承されていることに感動した」と喜びの表情を浮かべた。 最後は全員で「故郷」を合唱。先人の遺徳を偲び、次の百周年に向けて思いを新たにした。
【鹿児島通信員・川口裕貴記者】ブラジルと日本で絵画の作品制作活動を行う画家の森ジュリオ一浩さん(65、3世、千葉県在住)が7月1日~12日にかけて、鹿児島県鹿児島市城西にある「ギャラリー・セージ」で個展を開いた。故郷鹿児島での個展は約10カ月ぶりの開催で、期間中、ギャラリーには多くの来場があった。 ギャラリーには大小30点の絵画が並び、うち19点は有田焼に描かれた作品だった。 同ギャラリーでの森さんの絵画展示は初めてで、森さんは「具象絵画が強い土地(鹿児島)で抽象絵画の展示は難しいよね」と語りながらも、在廊中は来場者に自身の絵画を熱心に説明していた。 なお、森さんはリオ五輪終了後に作品活動のため来伯を予定している。 サンパウロ新聞 2016年8月12日付
71回目の『原爆の日』に合わせ 追悼法要の前に献灯、献花と献水が実施。献水は広島市内を流れる太田川の水が使われた。献水には原爆投下時、原爆の発する熱線で焼けただれた多くの人が水を求めて川に入り、一口水を口に含み苦しみのうちに亡くなった多くの人々を慰霊する意味が込められた。 広島に原爆が投下された午前8時15分に出席者全員が起立し、黙とう。サンパウロ西本願寺の中野超証(ちょうしょう)導師の読経により、出席者全員が焼香を行った。 身内にも被爆者がいる同寺の久保光雲開教使は法話で、「原爆の悲惨さが心に刻まれ命について考えることと、平和を願うことは私たちの毎日の生き様に表れる」と自身と原爆の関わりについて話した。 引き続き、聖市イタケーラ区の州立ヒロシマ学校と県連の第19回日本祭りの子供の広場からの折り鶴が贈呈。寄贈された折り鶴は広島市に送られる。 平崎会長は、「これまで写真展、植樹、灯籠流しなど、県人会では二度と原爆被害のない世界を作るための催しを行ってきたが、私は今日被爆者の一人として参加した。71年前の8月6日午前8時15分に世界で初めて原子爆弾が落とされたが、なぜ落とされ、なぜ戦争が起こったのか。今年4月にアメリカのジョン・ケリー国務長官が広島に来たのを知り、私はケリー氏が『二度とこういうことを起こしてはいけない』と強く感じたに違いないと思った」と自身の胸の内を語った。 広島市出身の中前隆博総領事は、同市が進めている原爆死没者名簿記載が30万人を超え、生存者の平均年齢も80歳と高齢化していることに言及し、「このまま時がたち過去を振り向き嘆くのでなく、我々は新しい人達にこの教訓を引き継ぐ責任がある」と強調。また、今年5月に広島平和記念公園を米国のオバマ大統領が訪問したことにも触れ「広島で生まれ育った者として非常に誇りに思う」とし、「広島、長崎の悲劇を二度と起こしてはいけない。苦しみの鎖、報復の連鎖を断ち、戦争後の復興支援が重要」と途中、感極まりながら平和の尊さを訴えた。 また、長崎県人会関係者は「8月6、9日を中心に各所で行事があり、参加していただくことは非常に意義がある。一人でも多くの方々に感心を持って参加してもらうことで世界が良い方向に変わるのではないか」と呼びかけた。 午前10時30分頃からは『原爆の子』(1952年公開)がポ語字幕付きで上映された。監督は平崎会長の親戚の新藤兼人(かねと)氏。上映中、静まり返った会場からは嗚咽する声も聞かれた。 聖市イタケーラ区の州立ヒロシマ学校から32人の生徒を引率してきたロセリ・フェルナンデス校長は、「現在、世界中でまだ戦争があるが、今回の原爆死没者追悼式典に出席することを通して、生徒たちにも平和の大切さを教えていきたい」と参加の意義を語った。 同校生徒のブルーノ・グルジェリ君(16)は、「広島の名前がついた学校で平和教育の一環として、広島、長崎の原爆投下について学んでいます。平和の大切さを考えさせられます」と答え、ペドロ・ガブリエル君(16)は「原爆の被害の悲惨さを知ることは辛いですが、今回の追悼式典に出席して平和についてもっと考えるようになりました」と真剣な表情を見せていた。 福岡と熊本にルーツを持つ松尾京子ローザさん(72、2世)は「ブラジルでは、原爆の話を聞く機会があまりなかった。毎年、原爆犠牲者追悼慰霊法要に参加する度に被害に遭った人々のことを思い出します」と神妙な面持ちだった。 サンパウロ新聞 2016年8月10日付
71回目の「原爆の日」を迎えた6日午前8時から、サンパウロ(聖)市シャカラ・イングレーザ区の西本願寺で、ブラジル被爆者平和協会(森田隆会長)主催の原爆犠牲者追悼法要が執り行われた。出席者19人が仏前で焼香を行い、一人一人が犠牲となった多くの人に思いを馳せ、核のない平和な世界を祈った。 広島出身の土井慶造導師の法話後、被爆者を代表して森田会長があいさつし、「あの8月6日の原爆の日、私は21歳で軍人でした。あの広島の中心地にいました。そして、71年経った今でも元気でいられることを心から喜んでいます。でも、絶対にあの惨禍は忘れることができません。皆さんどうか身体にお気をつけて、来年も再来年もまたここでお会いして、このささやかな法要ができることを心から願っております」と参加者に思いを伝えた。 長崎県で被爆した岩崎清孝さん(82、長崎)は「こうして一年に1回、みんなで集まると色んなことを思い出します」と話した。 盆子原国彦副会長は「だんだん参加者が少なくなってきているのは確かだが、集まってくれて良かった。今日は母と姉の命日だから、みんなに祈ってもらえて嬉しい」と思いを語った。 ◎ ◎ 長崎県人会(川添博会長)とブラジル被爆者平和協会(森田隆会長)共催による原爆慰霊追悼ミサが、7日午前8時から聖市セントロ区のサンゴンサーロ教会で行われた。 ミサには約70人が出席。ハレルヤ唱などを歌い、犠牲者に思いを馳せ祈りを捧げた。あいさつに立った川添会長は「今の平和は、先の大戦や原爆で亡くなられた人々の尊い犠牲の上に成り立っており、それを伝えていく義務が私たちにはある。一人一人の力は小さいが、一人一人の力を大きな意志として世界平和のために力を結集させていきましょう」と述べ、平和への思いを新たにした。 久しぶりにミサに出席したという長崎県出身の84歳の女性は「原爆で親戚2家族11人が亡くなり、あの時は本当に大変だった。あんな惨めな思いは二度としたくない」と原爆の悲惨さを語った。 今年のミサには同県人会の青年部が初参加。ミサの参加者は年々減っており、「若い人に来てもらいたい」という川添会長の意向を受け、同部員らが集まった。参加した部員の牧山直人さん(32、3世)は「母が長崎出身。それが理由で原爆に対する特別な感情があるというわけではなく、どこに投下されても原爆は良くないこと。戦争や原爆のひどさを知っている人たちが生きているうちに、自分たちも協力してもっと伝えていかなければならない」と話した。 サンパウロ新聞 2016年8月10日付
山梨県人会(高野ジョージ会長)は、13~15日の3日間にわたってサンパウロ(聖)市ビラ・マリアーナ区の日本語センター(Rua Manoel de Paiva, 45)で山梨県で古くから作られている和紙についてのワークショップ「和紙作り体験」を午前10時から午後4時まで開催する。 ワークショップには、山梨学院附属高等学校から2年生の小澤あかねさんと廣瀬久実さんの2人が来伯し、山梨県から持参した和紙の材料を用いて、和紙の作り方やデコレーション・習字のデモンストレーションなどを行う。 当日は、参加者も一緒に和紙作りが体験できるため、汚れても良い服装で参加することと、弁当の持参が勧められている(おやつの提供あり)。また、山梨県と姉妹都市提携を結んでいるミナス・ジェライス州を視察中の新井ゆたか副知事が13日に参加する予定。 問い合わせ、申し込みは山梨県人会(電話11・5589・4888)または高野会長(携帯電話11・98342・5114)まで。 サンパウロ新聞 2016年8月10日付
聖州議会で河村衆議ら迎えて ブラジル日本都道府県人会連合会(県連、山田康夫会長)は、7日午前10時からサンパウロ(聖)市の聖州議会内フランコ・モントーロ講堂で創立50周年記念式典を行った。当日は来賓として、日伯国会議員連盟幹事長の河村建夫衆議院議員や羽藤ジョージ、西本エリオ両聖州議、在聖日本国総領事館の中前隆博総領事らが出席し、訪れた約230人の出席者と共に半世紀の節目の年を祝った。 「日本海外移住家族連合会」の田中龍夫初代会長の斡旋で、1966年4月に家族会との緊密な連絡を行うブラジル側の団体として各県人会結集の下、県連が創設された。県連創設のきっかけを作った田中氏の後継者が河村議員。5日から開催されているリオ五輪開会式に出席した同氏の予定に合わせた形で、式典が行われた。 式典では羽藤州議の進行の下、日伯両国歌斉唱、広島・長崎の原爆による犠牲者と先亡者への1分間の黙とうが行われた。 山田会長はあいさつで「県連の創設から紆余曲折を経て早や50年の歳月が経ち、今では海外最大と言われる日本文化を紹介するイベントを開催するまでに至り、第19回日本祭りは成功を収めました」と述べ、「日本祭りへの参加を若者に促して横のつながりを強くすることや、希薄になりつつある母県との関係をより密にする県費留学・研修制度の見直しが県連の課題」と後継者育成という今後の大きな課題を挙げ、「県連のさらなる発展を期するため、より努力する所存でございます」と熱い思いを語った。 また、河村議員は「私は田中龍夫先生の遺志を継いで、県連と深い付き合いが今日まで続いております。開拓先亡者慰霊碑の建立は県連が手掛けた後世に残る最も大切な事業の一つ。また、日本祭りも大成功だったと伺っております。県連と各県人会が長年にわたって取り組まれてきた各県の留学生・研修生の交流事業では大きな成果を上げています」と県連の活動を称え、「ブラジルから日本へのオリンピックのバトンタッチを契機に両国の交流がますます盛んになることを願い、半世紀を迎えられた県連が次なる100周年に向かって一丸となり次世代を担う若者を育て、ますます発展することを願います」と祝辞を述べた。 引き続き、中前総領事、飯星ワルテル下議、ウィリアム・ウー元下議、ブラジル日本文化福祉協会の呉屋春美会長らが祝辞を述べ、本橋幹久鳥取県人会会長が世耕弘成内閣官房副長官と小池百合子都知事からの祝辞を代読した。その後、各表彰が行われ、県連より福祉団体への寸志贈呈も行われた。 式典閉会後の記念祝賀会では来賓によるケーキカットと鏡割りが行われ、50周年が盛大に祝われた。最後に、河村議員と隆子婦人は「ふるさと」を熱唱し、割れんばかりの拍手の中で会場を後にした。 以前から山田会長により若者の出席が促されていた同式典には若者の姿も見られ、県人会から4人の若者を連れてきたという坂本アウグスト進栃木県人会会長は「若い人に見てもらい、興味を持ってもらえたら県人会も長く続くだろう」と語った。 同県の県費留学生OGである小平幸江さん(27、3世)と大貫ベロニカさん(30、3世)は式典について「普段、このような場所には来ないので新鮮で楽しかった」と笑顔で話し、「1つの県人会だけでは、小さくてできることが限られているけれど、県連がまとめることによって、47都道府県の力を合わせた世界規模のイベントができるのでは」と県連の重要性についての考えを語った。 サンパウロ新聞 2016年8月9日付
1980年代から90年代初頭にかけて活躍した元横綱千代の富士の九重親方(本名=秋元貢)が7月31日、すい臓がんのため亡くなった。 九重親方は現役力士だった90年6月に、サンパウロ市のイビラプエラ体育館で2日間にわたり行われたサンパウロ場所参加のため初来伯し、同場所で見事優勝を飾った。 当時、同イベント開催に協力した兵庫県人会名誉会長の尾西貞夫氏のオフィスには化粧廻しをつけた九重親方との記念写真が飾られている。横綱が化粧廻しをつけて一般人と写真撮影をすることは稀だという。そこでの出会いをきっかけに、尾西氏が訪日した時には九重部屋を訪れるなど交流は以後も続いた。 「リオに案内した際、ヘリコプターで景色を見せたかったが、色々あって叶わず残念。滞在時間が短かかったので、ジョッキークラブにも連れて行けなかった」と悔やむ尾西氏。「弟子も多く、これからって時だったのに……」と表情を曇らせた。 サンパウロ新聞 2016年8月9日付
