サンルイスの市内観光では、サンパウロでは珍しい北伯料理を食べることができた。その一つがアフリカに起源を持つ「アロース・デ・クシャー」だ。乾燥した小エビ、キャッサバ(マンジョカ)の粉、ほうれん草、タマネギ、ニンニクを使ったリゾットのような米料理で、予想したほど癖はない。昼食を取った市内のレストランで出された際、団員は怖々ながらも勇気を出して皿に盛っていたが、人気が出てしまい、「あっ」という間になくなっていた。日本人の魚好きは、案外ノルデステ(東北伯)の料理と合うのかもしれない。
観光後、一行がチェックインした海岸沿いのホテル「HOTEL BRISMAR」では午後8時から、グローバル旅行社の粋な計らいによって同地の日系団体であるマラニョン日伯文化協会との夕食会が行われた。マラニョン州には日本人や日系人が少ないため、同地の日系社会や生活について聞ける貴重な機会となった。
会の冒頭、山田清顧問(61、大阪)があいさつするも、団員たちは長旅で疲れているのか隣同士での私語が多く、その声が大きくなる度に周囲から「静かに」「シーッ」と注意する声が聞こえた。
山田顧問によると、マラニョン州に直接移住した日本人は1960年に45家族いたという。彼らが入ったのがホザリオ移住地などだが、土地に水が出ないという理由で失敗し、わずか2年で入植した日本人は離散したそうだ。
また、61年に養鶏移民で入った約25家族の日本人は最初の1年は州政府の補助を受けてうまくいったが、アルミの精錬工場の敷地となってしまい、立ち退きに関して賛成か反対かの決を採ったところ、賛成が上回ったため工場に土地を売り、パラー州やブラジリア、サンパウロなどに別れていったという。
それ以降、マラニョン州には北伯トメアスーなどから6家族ほどが流れてきたが、現在、同地で農業を営んでいる日本人は5家族ほどだという。2010年には移民50周年を記念する式典が行われたそうだ。
マラニョン日伯文化協会が設立されたのは86年で、会員は65家族150人。それまでは日系自治会という団体で、公的な団体ではなかった。
サンパウロで生活していると、同じ日本移民とはいえ東北部移住者の情報は少なく、全く別の道を歩んできたことを痛感させられる。しかし近年、県連のふるさと巡りなどを通じて北伯との交流も増えており、北伯県人会協会(山本陽三会長)も今年誕生している。
話は少しずれるが、今月11日には山本会長が香川県庁に浜田恵造香川県知事を表敬訪問し、一層の交流促進に協力を求めている。ふるさと巡りのような交流こそがブラジルに移住した日本移民を一つにする行事だと実感できた瞬間だった。(つづく、植木修平記者)
2012年10月26日付
