旅順丸移民 来年六月で100周年 節目の年に向け日本庭園を整備
福岡県人子弟 矢野さんが集い呼びかけ
第2回移民船「旅順丸」が、1910年6月28日にサントス港に到着して、来年で100年の節目の年を迎える。聖市ビラ・レオポルジーナ区にある仕出しレストラン「ブッフェ・ヤノ」を営む矢野春子さん(72、3世)は、「旅順丸」移民として渡伯した祖父・矢野彦次郎さん(故人)への思いを胸に、6年ほど前から同区にほど近い公園内の清掃と、同園にある日本庭園の整備を行っている。来年6月には改築工事を完成させ、同船に縁のある人々に集まってもらっての開園式を行う考えだ。
歴史資料などによると「旅順丸」は、日本郵船が明治時代後期に輸入した貨客船で、第2回日本移民の送り出しは竹村殖民商館が実施した。移民906人と自由渡航者3人を合わせた909人が、1910年5月4日に神戸港を出港、同6月28日サントス港に到着している。
春子さんの祖父に当たる彦次郎さん(70年代初頭に86歳で死去)は、福岡県の良家の出で、13歳の時に実家で調教していた競馬用の馬に蹴られて片目を失い、その時からガラスの義眼をはめていたという。
矢野家は隆盛を誇ったが、諸事情で一時的に財産を失い、移民としてブラジルに渡ることになった。彦次郎さんは最初、聖州バウルーに入植し、プレジデンテ・プルデンテ、パラナ州ロンドリーナなどを経て、 年代頃にサンパウロに出てきている。
生前の彦次郎さんを知る春子さんは、「厳しい人でしたが、とてもきれい好きでね。家の中でも朝からネクタイを締めて、指にはダイヤやルビーの指輪をはめていたりと、派手な方でした」と振り返る。
春子さんは、来年2010年が「旅順丸」移民が渡伯して100年の節目の年になることに先立って、03年頃からアルト・ダ・ラッパ区にある市立クラブ「クルービ・ペレゾン」内の公園清掃作業に取り組んできた。その頃、戦後移住者協会関係者が同公園内で桜やイッペーの苗木など約600本を植樹しており、公園の美化運動に協力もしている。
当初は、春子さんが1人で清掃を行い、私費を投じて4人の労働者を雇うなどしてきたが、昨年 月からは同区役所が援助し、3人の労働者を清掃作業に当てているという。さらに、地元住民が個人で資金協力を行うなど、美化運動の輪は年々広がりつつある。
「掃除を始めた頃は、草が自分の頭の高さぐらいに、ぼうぼうに生えていました」と春子さん。家族の話では、春子さんが掃除を継続してからは、園内に居た浮浪者や麻薬中毒者なども姿を消し、今では春子さんが毎日、こつこつと植えてきた花々が咲き、地元住民が散歩をするなど憩いの場として利用されている。
園内には30年ほど前に建立された日本庭園があるが、管理していた地元の日本人たちが高齢化し、荒れ放題の状態になっていた。
見かねた春子さんは、公園全体の清掃とともに日本庭園の整備も考慮し、来年の6月までに完成させたい考えを示している。
春子さんは、「旅順丸の子孫もまだたくさん居ると思います。来年の100周年のお祝いを開くことによって、今後も(旅順丸関係者が)集まるきっかけになれば」と話し、来年6月に予定されている同公園内での記念の集いへの出席を呼びかけたい考えだ。
詳細に関する問い合わせは、春子さん(ブッフェ・ヤノ内、電話11・3833・9317)まで。
写真:整備が行われつつある日本庭園
写真:春子さん(右端)と援助を行うラッパ区役所関係者ら
2009年11月19日付
