矍鑠(かくしゃく)とした104歳翁 聖市サウーデ区在住の丹羽義雄さん
日散歩に出かける元気印
サンパウロ市サウーデ区在住の丹羽義雄さん(兵庫県垂水区出身)が今月で104歳(数え年、1906年11月9日生まれ)となり、その誕生日会が 日、聖市内の長男の家で行われ、子孫たちに囲まれて祝福されるなど充実した1日を過ごした。義雄さんは多少耳が遠いものの食事の好き嫌いもなく健康そのもので、毎日散歩に出かけたり、孫や曾孫ら家族と過ごしたりと有意義な日々を送っている。
サウーデ区で自動車部品販売店を経営する次男の丹羽清さん(68、2世)の話によると、義雄さんは1926年、父母、兄妹4人の計7人で渡伯。当時20歳で、働き盛りの若者だった。ミナス州のカフェザルに契約移民として入植し、カフェ生産に従事してきた。
その後、聖州アララクアラ線のサンタ・ベリアに転住し、同州マットン生まれの2世、キクエ夫人(86年に70歳で死去)と結婚した。30年代半ばにパラナ州ロンドリーナに新しいカフェ生産地を求めて家族で転住したが、義雄さんは「勝ち負け抗争」により、一時的に身柄を警察当局の拘束されたこともあったという。
ロンドリーナでは霜害にやられ、カフェ生産を断念し、サンパウロに出てきたのが戦後すぐの 年代半ば。現在のサウーデ区で洗染業を営み、家族総出で家計を助けた結果、70年代後半には30人近い従業員を使用できるほどに成長した。
しかし、長男の英雄さんが43歳の時に若くして病死。義雄さん、英雄さんとともに家計を支えてきた清さんは、信頼していた兄の突然の死に「やる気が無くなった」と洗染業を辞め、学生時代から勉強していた電気関連業に転換。現在の場所に自動車部品販売会社を経営して、すでに25年になるという。
15日、今は亡き英雄さんの自宅で開かれた義雄さんの104歳誕生祝賀会には、同居している清さん家族をはじめ、孫、曾孫など20人近い親戚や兵庫県人会の尾西貞夫会長も出席。義雄さんは、家族に囲まれながら記念ボーロのローソクを吹き消すなど、家族たちとの充実した1日を過ごした。
清さんによると、義雄さんは丹羽家が戦国武将・織田信長の家来だったことをよく話し、家族たちと一緒に過ごすのが一番の楽しみだという。
耳が多少遠いものの、食べ物に好き嫌いがなく、100歳を超えてなお心身ともに健康そのもので、「自宅から、お父さんがやっていた洗濯屋の店まで100メートルほどあるのですが、いつも1人で歩いていって、家族を驚かせるんですよ」と清さん。「自分のことはすべて自分でやってくれるので、本当に手のかからない父親です」と、更に長生きしてくれることを望んでいる。
写真:家族とともに104歳の誕生日を祝った丹羽義雄さん(前列中央)
写真:ボーロの火を吹き消す義雄さん
2009年11月27日付
