今回のふるさと巡りでは、旅程の1~2日目にボツカツ、バウルー、パラグアス・パウリスタの3カ所でそれぞれの日系団体と交流を楽しみ、後半は観光に充てられた。
3日目はオランダ人が入植してつくった街、オランブラⅡで果樹園を見学した。オランブラⅡの人口はわずか1万人(1991年にジャガリウナ市から独立)。1940年ごろにオランダは人口増加し、第一次世界大戦で国土が荒れたため伯国にも移民を送り出した。
同地はカンピーナス近隣のオランブラの子弟がつくった街で、ここでは日系社会と同様にオランダ人による果物や花卉(かき)を生産する協同組合がある。組合にはオランダ人以外も入ることは可能だが、経営の面で厳しいハードルが課されているという。ツアー参加者らは「コチアも南銀もつぶれちゃったけど、ここはしっかり続いているのね」とオランダ人の経営手腕に感心しながら、ゴイアバ(グアバ)のジュースを飲み、採れたての新鮮な果実の味を楽しんでいた。
最終日に昼過ぎまで滞在したアバレー市は、聖市からカステロ・ブランコ街道を通って263キロの地点にある市で、人口は約8万3000人。聖州が指定した観光都市の一つで、一行が宿泊したペニンシュラ・ホテルの前には湖畔が広がる。
同地に日本からの移民が入ったのは、16年。モンソン植民地などで綿の栽培などを行った。35年度の日本人の綿生産高は聖州の半分に達していたという。
3日の朝は、ホテルのプールサイドで穏やかな秋の日差しを受けながら談笑する姿が見られた。その中でブラジリア在住の荒木滋高さん(79)は、ほぼ毎回ふるさと巡りに参加する常連組。今回もサンパウロから参加した。
同氏は60年に首都がブラジリアに移ると知ると、自らも同地へ移り住んだ。9月末に行われる次回のふるさと巡りでは、ブラジリアがコースに入っているため、「今度は来てもらう側、準備しなくちゃね」と張り切っている。
(つづく、植木修平記者)
2012年4月28日付
