WUB(ワールドワイド・ウチナーンチュ・ビジネス)関西支部の会長を務める仲里眞光さん(67)。2008年8月にジアデーマ市の沖縄文化センターで開催された「沖縄県人移民100周年記念式典」に関西の沖縄県人を代表して出席した経験を持つ。
現在、大阪市住吉区(JR阪和線杉本町駅近く)に自社の建設会社ビルを所有するほか、今年1月には沖縄県(本社)と福岡県(支社)に「(株)ゼロテクノ沖縄」という新会社も立ち上げた。
WUBは、沖縄移民の発祥の地と言われるハワイの仲宗根ロバート氏の発案により、世界各国に居住するウチナーンチュたちがネットワークを形成し、互いにビジネス展開を行うことを目的に1997年9月に創設。WUB関西支部は同ネットワーク10番目の拠点として、2000年に設立された。
仲里さんは設立当初から会長を務め、大阪府出身の紀美子夫人(70)の協力を得て、2年前まで自身の建設会社の事務所をWUBの事務所として兼用してきた。
現在、WUB関西支部には約20社が会員登録し、沖縄県産品の売買などビジネス交流を行っている。そのほか、毎月第3木曜に定例会を開いており、会員企業は沖縄系以外に地元大阪の企業も参加している。
さらに、「泡盛同好会」も並行して行い、年に2回約200人の会員が集まる。同好会には沖縄系の酒販関係者も参加し、新製品紹介など関西地域での広報活動を実践している。
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沖縄県南城市佐敷町で生まれた仲里さんは、生後すぐに沖縄戦の戦禍を逃れるため北部の名護市汀間(ていま)に移動し、家族と隠れていたところを米軍に保護されたという。
小中学校時代は宜野湾市で育ったが、中学を卒業後16歳で岡山県倉敷市の紡績会社が募集していたのを知り、同市へ。その後、大阪府にいた先輩のつてを頼って大阪市阿倍野区の電気屋で働いたが、家族から反対され沖縄に戻ることに。古里に戻ってみたものの仕事のあてもなく、米軍基地で米兵の衣服の洗濯や靴磨きなどを行う軍作業をしてしのいだ。
18歳の時、当時の琉球漁業が大洋漁業に買収されたことを受け、仲里さんは底引き網漁船に乗ることを夢見て、同社の研修生として長崎県に渡った。しかしその頃の日本は、東京オリンピック開催による高度経済成長の機運が盛り上がりつつあった時代。「漁師は気も荒いし、1カ月以上も沖に出なければならない。陸にいて人並みに仕事をしたいと思った」という仲里さんは、64年に単身大阪に出て左官工の見習いとなった。
20歳で紀美子夫人と結婚。23歳で独立し、現在の「仲里建設株式会社」を創設させた。72年の沖縄本土返還前後に沖縄から若い人々を呼び寄せ、「10年ごとに会社を大きくしていった」仲里さん。WUB関西支部の会長を続けてきたことについて「自分は(高等)学校を出ていないが、WUBのお陰で大手の会社や大阪府庁関係者など様々な人たちと会うことができた。若い時から『夢は世界へ』という思いがあり、まじめに生きてさえいれば夢が広がることが分かった」と語る。
今後、WUB関西支部会長などを後進に譲っていく考えだとしながら仲里さんは、「これまで沖縄への恩返しのつもりで何でもやってきたが、これからも世界の人々とのつながりは大切にしていきたい」とウチナーンチュとしての熱い思いをのぞかせた。
(つづく、松本浩治記者)
2012年3月9日付
