袖ヶ浦と交流深いイタジャイ
イタジャイ文協の建物は少しこじんまりとした印象を受けたが、これは袖ヶ浦市にあるブラジルとの交流団体「太陽の友達の会(アミーゴス・ド・ソル)」から援助を受けた3000ドルを基に造った、日伯友好の証しとも呼べる建物だという。そのほか、2008年には袖ヶ浦市の協力で同市内に鳥居ができたり、「袖ヶ浦通り」や「袖ヶ浦市場」なる所があったり、また双方の定期的な人材交流があるなど、両市はこれまで着実な関係を築いてきた。
また、日本からもイタジャイが08年に豪雨被害に遭った際、2000レアル分の救援物資を文協として受け取り、そのお返しとして東日本大震災発生の際には他の州内各文協と協力し、3800レアルを義援金として送金するなどしている。
しかし、最近「太陽の友達の会」内で派閥分裂争いが起きるなどしており、若干両市の関係が機能不全になりつつあると同文協関係者らは不安を口にしていた。
なお、当地でも日本のアニメは根強い人気があり、毎年5月に行われ今年で8年目を迎えるイタジャイのアニメイベント「Anime-kei」には、2日間で約3000人の来場者があるという。その大半は非日系の若者たちだ。当地の公文で日本語教師を務める斉藤アイコさん(3世、47)の話によると、イタジャイの公文の日本語クラスに所属する生徒13人も、ほとんどがアニメや漫画好きの非日系人だという。
その後、海が臨める海岸沿いのレストランで、イタジャイ文協会員ら7人と共に一行は夕食を楽しんだ。記者はその1人である関口のぶさん(茨城、73)と同席に着き、話を聞くことができた。
関口さんは同じ茨城県出身で夫の健次郎さん(76)と共に、サンパウロ州ピンダモニャンガバに58年入植した。その後、「寒冷なサンタ・カタリーナで小麦を作ろう」という夫の発案によって、親の「鳥のようにすみかを変えるな」という反対も押し切り、61年にサンタ・カタリーナ州ガスパーラに入植した。しかし、意外な夏の暑さに小麦を断念、レタスやトマトなどをブルメナウに卸すようになった。
しかし、「去年もうかったと思えば今年は大不作になったりする」という気候の不安定さに泣かされ、ついには子どもを抱えて橋の下で生活するまでになってしまった。長女の学校の入学金も払えず、教師が情けで入れてくれたこともあったという。
そのような生活から抜け出すためにも一念発起、イタジャイのコロニア・ジャポネースへ移住を図ったのは72年のことだ。当時イタジャイを始めとするサンタ・カタリーナ州沿岸地帯に人口が増え始め、野菜需要も増加したものの、周辺に野菜農家が不足していたため多くの野菜は鮮度が低く、高価だった。そこで、野菜作りに詳しい日系人らを集めて蔬菜(そさい)園芸移住地を設定し、生産物をイタジャイ氏中央市場に流そうと画策された。これに応じた関口さんも含む日系家族の多くは、ポルト・アレグレなどから再入植してきた。しかし、州政府や市役所、国際協力事業団(現・国際協力機構)の後押しはあったものの資金援助はなく、その後も苦しい生活だったという。
今となっては、コロニア・ジャポネースに残るのは関口さん夫婦も含め3家族のみだ。決して楽だったとは言えない半生だが、それでも関口さんは「色々苦労はあったけど、心の奇麗な人と結婚できて子どもも立派に成人し、何度か日本に帰ることも考えたけどやはり帰らず良かった。私は今幸せです」と静かに手を合わせていた。
(つづく、毛利健人記者)
2013年4月12日付
