【既報関連】宮崎県人会会長でブラジル日本語センター前理事長だった谷広海(たに・ひろみ)さんが2日午後8時ごろ、交通事故で治療を行っていた入院先のサンパウロ(聖)市内クリニカス病院で亡くなった。享年73歳。宮崎県宮崎市出身。
谷さんは9月28日午前9時ごろ、聖市ジャルジン・パウリスタ区のアラメダ・サントスとブリガデイロ・ルイス・アントニオ大通りの角でバスにひかれる交通事故に遭った。頭部、胸部、のどなどを強打し、クリニカス病院の集中治療室で治療を受けていたが、昏睡状態が続き薬剤投与で心臓を動かしている状態だった。
谷さんは1962年、日本学生海外移住連盟第3次団員として1年間サンパウロで実習を行い、早稲田大学政経学部を卒業後の64年に移住者として改めて渡伯。72年、アラゴアス連邦大学法科卒業後、弁護士及び不動産業者の資格を取得。アラゴアス州マセイオ市で宝石店などを経営し、89年には同市にタニ・プラザ・ホテルをオープンした。
93年から聖市で開講したブラジル盛和塾代表世話人を約10年務め、2002年から10年間はブラジル日本語センター理事長も務めた。また、宮崎県人会会長、ブラジル龍馬会会長なども歴任していた。
今年8月に訪日し、来年開催される宮崎県人会創立65周年記念式典に向けて宮崎県知事の出席を要請。9月12日に帰伯し、地元のマセイオ市に帰った後、同23日に再び来聖。28日午前に行われた宮崎県人会の役員会に出席する予定だった。
3日午後2時から聖市内ビラ・アルピーナ火葬場で告別式、同3時に葬儀が執り行われた後、荼毘(だび)に付された。
初七日法要などは3日午前現在、未定。
コラム【モザイク】
親しくしていた方が相次いで亡くなるのは、本当につらいことだ。谷さんには、10年以上前にマセイオ市の自宅を訪問させてもらったこともあるなど個人的にもお世話になったが、名前通り海のように広い心を持つ人だった。今でも思い出すのは2005年に行われたブラジル日本文化福祉協会の会長選挙で、独自の選挙事務所を立ち上げ、初めて会員による直接選挙を実現させたことだ。何事も「たら」「れば」は無いが、もし谷さんが当時、文協会長になっていれば08年の移民100周年も違ったものになっていただろうし、日本とブラジルの関係も今以上に深まっていたかもしれない。言葉にはできない思い出がたくさんあるが、今はただ谷さんの冥福を祈るばかり。
2013年10月4日付
