ドミニカ鹿児島県人会会長でもある日高武昭さん(70、鹿児島)がハラバコア日本人会の星川和之会長(66、山形)をはじめ、同地在住の日本人家族を1人ずつ紹介してくれた。
同地在住の日本人は単位家族で5家族21人。「少ない人数なので、皆親戚です」と日高さん。まだ新しい「ハラバコア友好会館」は2007年に建てられたという。
移住地の説明をする日高さんの声が次第に熱を帯びだした。
日高さんの家族は1958年1月24日に他の12家族とともにハラバコアに入植したが、日高さんは当時中学3年で進学を控え、「10年たったら日本に戻ってくる」との父親の言葉を信じ、自ら日本に残ることにした。
しかし、両親がいないために学費が払えず、進学を断念。大阪の鉄工所で働きながら通信教育を受けたが、1年間で退職した。その間、ハラバコアにいる母親に一度も手紙を書かなかったことから心配され、迷った挙句に姉の許嫁と一緒にドミニカへの最終移民船「あめりか丸」に乗り、59年9月、家族たちより約1年半遅れて16歳でハラバコアに移住した。
しかし、日本の募集の際に約束された100タレア(約6ヘクタール)の土地は実際には半分しかなく、湿地や石が転がる粗悪なものだった。それでも他の日本人移住地に比べてまだ気候が良いほうで、「こんなところで泣いていても仕方がない」と借地して野菜などを生産したが、約10年間は野菜の販売力も無かったという。
また、日本政府の募集要項には「自由開拓」と書いてあったそうだが、独裁政治の国とは知らされず、ドミニカ政府の管理人の許可が無いと移住地から出られなかった。サント・ドミンゴ市の日本大使館に行く際も途中で検問があり、許可証が無いと捕まってサトウキビ畑で強制労働させられるような状態だった。
61年には当時独裁者と言われたラファエル・トルヒーヨ大統領が暗殺され、以前に同大統領から強制的に没収されたという地主らが各日本人移住地の「土地を返せ」という騒動も発生。そうしたことがドミニカ移民たちが日本に帰国したり、ブラジルなどの南米諸国に再移住する結果にもつながった。
日高さんは移住後、日本への出稼ぎで30年ぶりに日本に一時帰国し、現在、日本庭園近くに店を構え自動車などの中古品輸入業を行っている。
日本政府を相手取り、2000年から6年にわたって行われた裁判については「自分たちは金が目当てではないです。最初の募集要項に沿った土地をもらいたいだけ。日本政府がどう対応してくれるのか今でもそれを待っている」と語る日高さん。「自分としてはドミニカに来る気はありませんでしたが、親に従うつもりで来ました。当時はまさか、祖国が我々移民をだますとは思ってもいませんでした」と話しながら時折、悔しさで感極まり、言葉が出てこなかった。
日高さんの力説を聞き終えた一行は、会館前で記念撮影を行い、昼食を取るためにハラバコア市内にあるリゾート・ホテルへと向かった。(つづく、松本浩治記者)
2013年11月22日付
