今年1月に91歳で死去した小野田寛郎氏(元陸軍少尉)の追悼ミサが12日午前11時からサンパウロ(聖)市のサンゴンサロ教会で執り行われた。親交のあったブラジルの関係者ら約60人が出席。在聖総領事館の佐野浩明首席領事や、また牧場のあるマット・グロッソ・ド・スル(南マ)州や、ブラジリアなど遠方からも訪れ、故人の冥福を祈った。
1944年に遊撃戦指揮の任務を受けてフィリピン・ルバング島に赴任した小野田さんは、終戦後も29年間同島で戦闘を続け、日本へ帰還した翌75年に兄のいるブラジルへ移住した。
南マ州カンポ・グランデ郊外のバルゼア・アレグレ移住地で開拓に挑み、牧場経営を軌道に乗せる一方、同地日本人会の初代会長として農村電化などにも尽力。84年からは日本で「小野田自然塾」の活動を始め、野外活動を通じた青少年の育成に長年取り組んできた。
今回の追悼ミサは聖市の主要日系団体や小野田さんの出身の和歌山県人会、小野田自然塾など計11団体が主催。祭壇の手前には、フィリピンから戻った当時からの小野田さんの写真が並べられた。同教会は町枝夫人と結婚式を挙げた場所でもある。ミサを執り行ったフレイ・アレシオ神父は「このミサを通して心を一つに、小野田さんの永遠の冥福を祈りましょう」と語りかけた。
「日系およびブラジル社会の善のために貢献された小野田さんの素晴らしい人生を末永く人々に伝えられるように」など、6人による共同祈願に続き、最後に主催団体を代表して園田昭憲ブラジル日本都道府県人会連合会会長があいさつ。出席者への感謝とともに、「ブラジル、日系社会の存在を日本に広く知らしめた」と同氏の貢献をたたえた。
移住する飛行機で同行して以来親交のあった尾和義三郎・南米通信社代表は、「毎週2人でサンパウロから牧場の土地に行って木を倒した」と開拓当時を思い出し、「忙しい中たくさんの人が来てくれた。小野田さんの人間性だと思う」と話す。「ブラジルに来るたびいつも出迎えに行っていた」という尾西貞夫・援協副会長も「これだけ来てくれてありがたい」と感謝した。
この日は、25年にわたって牧場の管理を続けてきた佐藤晋平さん(65、福島)も南マ州から訪れた。自然塾の活動を始めてからは日本の冬の時期だけブラジルで過ごしていた小野田さん。「人に任せたら口一つはさまない人。金は出しても口は出さない。だからやりよかった。土地が売れるぐらいまで生きてほしかった」と同氏をしのんだ。
ブラジリアから訪れた柴田アゴスチーニョ退役空軍少将は、2008年に東京で行われた移民100周年式典に共に参加したという。「ブラジリアへ来る時はいつも話をさせてもらった。僕にとってはベテラン。僕がいつも世話になっていた」と振り返り、「今日は来て良かったと思います」と話していた。
2014年3月14日付
