日本メキシコ学院を訪問
今回のふるさと巡りに参加した計90人の一行のうち、記者が同行した第2グループの大半は、9月24日午後7時20分にサンパウロ市リベルダーデ広場から出発した専用バスに乗車。グアルーリョス空港に新しく開設された第3ターミナルで下車し、同日午後11時30分発のTAM航空による直行便でメキシコの首都であるメキシコシティを目指した。
サンパウロからメキシコシティまでの飛行距離は7441キロ。直行便でも9時間半かかる。ブラジルとメキシコの時差は2時間で、時計を2時間遅らせた。
メキシコシティに到着したのは現地時間の9月25日午前7時。小雨模様で気温は14度と低い。空港でドルからメキシコペソに両替すると、為替レートの良いところでも1ドルが16.20ペソ。とりあえず100ドル分を交換して、マヌエルというメキシコ人ガイドの先導で社団法人「日本メキシコ学院「Liceo Mexicano Japones, A.C.通称=リセオ)」へと向かう。
事前のイメージでは暑いと思っていたメキシコシティだが、標高が約2250メートルと高い上、雨季(5月~10月)の時期とあって午前と夕方には毎日雨が降るらしく、空模様も曇天ですっきりしない。
市内を移動するバスの中で同じ第2グループの草川和田明子さん(74、2世)の近くに座り、何気なく話を聞いていると、次女の小木曽(こぎそ)春美さん(50、3世)が9月26日に訪問する観光地クエルナバカに住んでいることが判明。明子さんは「娘が7年前にブラジルに遊びに来たので、それ以来の再会になります」と嬉しそうな表情を見せた。
明子さんはパラナ州マリンガ市に住んでおり、長年地元のブラジル中学校で地理の教師をしていたという。ふるさと巡り旅行には初参加だが、同じマリンガ市に住む兄と、ブラジリアに住む妹夫妻、サンパウロに住む末の妹夫妻の6人で参加した。
娘の春美さんは1989年に滋賀県に留学した際、メキシコ日系2世の現在の夫と知り合い、90年に結婚。夫の故郷であるクエルナバカに移り住んだ。明子さんは、そうした縁でこれまでにメキシコには数回来ているそうだが、今回は15年ぶりの訪問。「まあ、時間の経つのが早いこと」と時の流れを実感していた。
今回、家族と親戚一同で娘と再会し、グァテマラ国境近くの「榎本殖民団」の入植地があるチアパス州アカコヤグアには一緒に旅行を楽しむことになるという。
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午前10時半に日本メキシコ学院に到着。ふるさと巡りの他の第1、第3グループのメンバーは既に別便で先着しており、我々第2グループが一番遅れての到着となった。
敷地内に入ると、広大な施設が目に飛び込んできた。
関係者にもらった資料などによると、同学院は1974年5月に日墨(メキシコの意)両国の当時の文部大臣が会談し、同年9月に訪問した田中角栄首相とエチェベリア大統領(いずれも当時)との会見での共同声明で「日本メキシコ学院の設立は両国民の相互理解のために画期的重要性を有するものであって、早期開設を支援する」ことが表明されたことが開院のきっかけとなった。同年9月29日に設立登記され、77年9月に開校したという。
ふるさと巡り一行を前に施設内であいさつに立った春日マリア・テレサ理事長はメキシコ日系社会の名士である春日カルロス氏(77、2世)の妹に当たる。春日理事長は、同学院が日本とメキシコの教育カリキュラムを一緒に学習できることを重視。日本語、スペイン語、英語の3カ国語を学習することでレベルの高い教育を目指し、「日本文化をメキシコ人に伝え、メキシコの良さを日本の駐在員子弟たちに伝えたい」と強調した。
日本から初めての学院長として今年1月に就任したという渡辺靜雄学院長は、「世界で一つだけの日本政府が造ったインターナショナルスクールだということが大きな特徴」と説明。「元々は『日墨(にちぼく)学院』と呼ばれていましたが、『墨』というとイメージが悪いので、現在は『日本メキシコ学院』とし、通称『リセオ』と呼ばれています。メキシコにはドイツ系やイギリス系のインターナショナルスクールもありますが、大手紙の広報ランキングではリセオが毎年のように1位となっているのはとても名誉なこと」と述べた。(つづく、松本浩治記者)
サンパウロ新聞 2015年10月10日付
