09/03/2026

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サンルイスの市内観光では、サンパウロでは珍しい北伯料理を食べることができた。その一つがアフリカに起源を持つ「アロース・デ・クシャー」だ。乾燥した小エビ、キャッサバ(マンジョカ)の粉、ほうれん草、タマネギ、ニンニクを使ったリゾットのような米料理で、予想したほど癖はない。昼食を取った市内のレストランで出された際、団員は怖々ながらも勇気を出して皿に盛っていたが、人気が出てしまい、「あっ」という間になくなっていた。日本人の魚好きは、案外ノルデステ(東北伯)の料理と合うのかもしれない。 観光後、一行がチェックインした海岸沿いのホテル「HOTEL BRISMAR」では午後8時から、グローバル旅行社の粋な計らいによって同地の日系団体であるマラニョン日伯文化協会との夕食会が行われた。マラニョン州には日本人や日系人が少ないため、同地の日系社会や生活について聞ける貴重な機会となった。 会の冒頭、山田清顧問(61、大阪)があいさつするも、団員たちは長旅で疲れているのか隣同士での私語が多く、その声が大きくなる度に周囲から「静かに」「シーッ」と注意する声が聞こえた。 山田顧問によると、マラニョン州に直接移住した日本人は1960年に45家族いたという。彼らが入ったのがホザリオ移住地などだが、土地に水が出ないという理由で失敗し、わずか2年で入植した日本人は離散したそうだ。 また、61年に養鶏移民で入った約25家族の日本人は最初の1年は州政府の補助を受けてうまくいったが、アルミの精錬工場の敷地となってしまい、立ち退きに関して賛成か反対かの決を採ったところ、賛成が上回ったため工場に土地を売り、パラー州やブラジリア、サンパウロなどに別れていったという。 それ以降、マラニョン州には北伯トメアスーなどから6家族ほどが流れてきたが、現在、同地で農業を営んでいる日本人は5家族ほどだという。2010年には移民50周年を記念する式典が行われたそうだ。 マラニョン日伯文化協会が設立されたのは86年で、会員は65家族150人。それまでは日系自治会という団体で、公的な団体ではなかった。 サンパウロで生活していると、同じ日本移民とはいえ東北部移住者の情報は少なく、全く別の道を歩んできたことを痛感させられる。しかし近年、県連のふるさと巡りなどを通じて北伯との交流も増えており、北伯県人会協会(山本陽三会長)も今年誕生している。 話は少しずれるが、今月11日には山本会長が香川県庁に浜田恵造香川県知事を表敬訪問し、一層の交流促進に協力を求めている。ふるさと巡りのような交流こそがブラジルに移住した日本移民を一つにする行事だと実感できた瞬間だった。(つづく、植木修平記者) 2012年10月26日付
1959年9月28日サントス港着「あめりか丸」の同船者会が9月22日、サントス市で行われた。同日午前7時30分に聖市リベルダーデ広場に同船者と家族を合わせた13人が集合し、新潟県人会(南雲良治会長)会員を中心とした旅行好きの人たちと共に総勢28人で観光バスに乗り、サントス市に向けて出発した。 同船者会には、遠くレシフェから参加した久保洋深さん、クリチバから来た山内啓三さん夫妻の姿もあった。 サントス市ではモンテ・セーラをケーブルカーで上り、27年に建設された展望台からサントス市街を360度見渡した。その後、コーヒー博物館を見学、昼食をしながら和やかに歓談した。 午後は、世界一といわれる浜辺に建てられた「移民上陸記念碑」や大竹富江さん制作のブラジル日本移民100周年モニュメントを訪問。一行は遊覧船に乗り、サントス港を一周した。 サンパウロ在住の細樅良盛さん(91)は今回の旅で、53年前に下船した埠頭を見た時、「ああ感無量だ。ここが私たちのブラジルでの人生の出発点となったのだ」と、つぶやいていた。 午後6時、サンパウロに向け出発。一行はリベルダーデ広場で来年の再開を約束して別れた。(金子国栄) 2012年10月25日付
本日付社会面で報じているようにブラジル日本都道府県人会連合会は、来年のフェスティバル・ド・ジャポン(日本祭り)関連事業としてロードレースを開催するかどうかで揺れている。はっきり言えば、実施する必要はなく、議論する時間が無駄なだけだ。理由は、今回のロードレースを検証してみれば一目瞭然だ。県連執行部は同祭のサブテーマになった「健康」がロードレースと合致するとして開催することを決定した。目的は同祭の知名度アップ、広報宣伝だったと見るべきだろう▼ ところが、大会名にも出場者に配られたTシャツにも同祭の文字はなく、関連性がみじんも感じられない。Tシャツには同祭のキャラクターが印刷されているが、これが同祭のマスコットだとは誰も気付かないだろう。これで、広報宣伝になるのだろうか。「大会名もTシャツも最初は違うものだったのだが、いつの間にか変更になっていた」と県連執行部ですら首を傾げる。この一言をとっても県連主導ではなく、業者が独断で取り仕切っていたことが明らかだ▼ イベントの企画段階で重要視されるのは、費用対効果だ。イベントに必要とされる資金を費やしても宣伝効果が見込めるというのであれば、主催者は実施に踏み切るのだが、前述のように何ら効果はない。百歩譲って、どれだけ、新聞やテレビなどマスコミにロードレース関連のニュースが露出したのかの資料を県連で把握しているのか。通常、企画会社はこれらの資料をそろえて主催者やスポンサーに提示するのだが、県連の手元にこれらの資料は届いているのか。イベントを行う人間は、少なくともこうした費用対効果を念頭に置くのが常識だ。17万レアル以上の赤字を出したとしても、こうした資料を会員やスポンサーに提示し、「これだけの効果があったので、事業は成功した」と説明できる▼ 8月、9月の代表者会議で資料や企画会社とのやり取りの説明がないということは、同事業を推進した県連関係者はイベントに関して無知で、すべて企画会社に丸投げしたといわれても仕方がないだろう。にもかかわらず、来年も実施したいというなら、その根拠を明白にするべきだ。それができないのなら、撤退すべきだ。(鈴) 2012年10月24日付
ニッケイ新聞 2012年10月23日付け  21日に行われた大分県人会創立60周年記念式典にあわせ、元参議院議員で、NPO法人「大分日伯国際交流協会」理事長の後藤博子さん(64、大分市出身)が9年ぶりにブラジルを訪れた。同協会関係者やブラジルに移住経験のある人など、10人からなる一般訪問団を引き連れての来伯。式典では会場のあちこちで多くの参加者と笑顔で言葉を交わし、旧交を温めていた。「おかえり!と言ってもらったり、知っていてくださっている人もいて。とても懐かしかった」後藤さんは1981年から5年近く、マナウスに夫とともに工業移住した経験がある。帰国後は参議院議員に大分県選出で当選し、ブラジル移住経験のある唯一の議員として日伯間の問題解決に力を注いだ。2009年に設立された同協会はメンバーが40数人。ブラジルにとどまらない各国との国際交流や子供の教育などを活動主旨に、英会話塾や各種交流会を行う。「議員時代に引き続き、ブラジルとの友好を続けていきたいと思った」。日本語センターが主催する「ふれあい日本の旅」では、40人の日本語を学習する子供達が3日間、大分県を訪れたさい、受け入れのコーディネートを行った。「ようやく協会らしくなってきた」と語る後藤さんは、「60周年を機に交流をどう深め、ブラジルと大分の人をどうつなげるか。交流を深めながら人材の育成をしたい」と意欲を見せた。
ニッケイ新聞 2012年10月23日付け ブラジル大分県人会(矢野敬崇会長)創立60周年記念式典が21日、聖市の宮城県人会会館で盛大に行われた。母県からは二日市具正副知事、志村学県議会議長など県関係者7人、ブラジルに移住経験のある後藤博子元参議率いる10人の慶祝団が来伯。福蔦教輝在サンパウロ総領事、安部順二下議、羽藤ジョージ州議らも来賓として訪れ、会員ら約300人が集まり60年の節目の年を祝った。 式典に先立ち午前9時から、県人会顧問の浄念信行さんによる県人先亡者追悼供養が行われた後、福本真澄副会長の開会挨拶で記念式典が始まった。日伯両国歌斉唱、先没者に対する黙祷の後、矢野会長は日本からの慶祝団来伯に感謝を表し、「一言で60周年というが、それだけの年月を団体として継続させるのは大変なことで、県人諸先輩の努力で日本との絆が守られてきた成果。その絆をさらに太くしていくのが若い世代の務め」とのべ、次世代の活躍へ期待を込めた。「ボンジーア!」と元気に挨拶した二日市副知事は、広瀬勝貞知事の挨拶を代読。100年前の明治45(1912)年に初めて大分県人が移住したことに触れ、「今後とも県との交流を重ねていただき、県を勇気づけてもらいたい」と締めくくった。続いて志村議長、福蔦総領事、園田昭憲県連会長、羽藤州議、祖父が戦前に大分から移住したという阿部下議が祝辞をのべ、在京大分県人会の前田晃伸会長からの祝電が読み上げられた。その後知事からの県連、文協、援協、日本語センターへ記念奨励金、連邦議会から知事、県議会、県人会へ顕彰が贈られ、知事からの永松通一、柿坂公正両元県人会会長に功労者表彰、10人に感謝状と記念品が贈られた。その他、米寿の二宮マキコさん、赤峰保憲さんの二人へ敬老顕彰が行われ、県知事から記念品として大分在住の屋根の木版画家、寺司勝次郎さん(85)の作品、議長からは県産の椎茸が贈られた。玉田イウダ同県人会副会長の閉会の辞で終了した後は、二日市副知事による「県政の概要」と題した講演が行われた。三期目の広瀬知事の政策を中心に母県大分の観光、食、水産物、林産物、文化・スポーツなどの話題に触れながら現在の状況が説明された。その後祝賀パーティーへと移り、鏡割り、乾杯を行い和やかに食事が進んだ。記念アトラクションとしてサンバショーが行われ、最後は参加者全員が入り乱れて楽しんだ。約35年間、理事として県人会運営に関わった岐部悦治さん(国東市出身)は、来賓や出席者に積極的に話しかけ、「賑やかにやってくれたので良かったですよ」と嬉しそうに話していた。初来伯した二日市副知事は本紙の取材に対し、「県人会の皆さんは誇り。県は皆さんに支えられている。遠い地で頑張っている姿を目の当たりにすると元気が出ました」と満足げに語った。
 ふるさと巡り3日目。一向はブラジリアからマラニョン州サンルイスへと移動する。 ブラジリアの空港を午前10時37分に発つ予定のTAM3182便は予定時刻を過ぎてもなかなか離陸しない。分刻みで離陸と着陸が行われており滑 走路が渋滞していることもあるが、グローバル旅行社の添乗員の説明によると、車椅子用の搭乗タラップをTAMが空港に1台しか所有していないために、車椅 子の搭乗者を乗せるのが遅れているという。 それにしても、いくら高価な機械とはいえ、ワールドカップを控えた国の首都にナショナルキャリアが1台しか車椅子用の搭乗タラップを持っていないとは、何とも思いやられる。一行は結局、予定より1時間遅れてサンルイスの空港に到着した。 同地に降りた瞬間から、まとわりつくような熱気が体を包む。ブラジリアの乾燥した空気とは全く異質だ。早速、ソルベッテ(アイスクリーム)を買って暑さをまぎらわそうとするも、サンパウロと比べて溶けるスピードが倍以上。急いで食べたものだから、頭が痛くなってしまった。 サンルイスはマラニョン州の州都で、メアレム川、イタペクル川、ピンダレー川に囲まれた三角州で、サンマルコス湾内の島だ。市の人口は約100万 人。ブラジルで唯一フランス人によって建設された州都で、後にポルトガル人やオランダ人が入った。ブラジルにはこのほか、島にある州都が三つある。ビトリ アとフロリアノーポリスだ。3台の観光バスに分かれて乗り込んだ団員は添乗員からの説明を聞きながら、車窓から市街地を眺める。 ガイドによると同地は、「多くの作家・詩人を輩出したことから、『愛の島』や『ブラジルのアテネ』と言われる」という。しかし、同州は伯国で最も 貧しい州の一つでもある。街ができたのは約400年前で、街中に「400」という数字が並んでいる。この街はフランス人が作ったが、実際にはその後に入っ たポルトガル人が砂糖や綿花を輸出する港町として発展させた。その街並みは、植民地時代のポルトガル風建築がとても良い状態で保存されていることから、 1997年にユネスコの世界遺産に登録されている。 縦に細長く丸みのある入り口や、飾りの付いた出窓などがポルトガル様式の特徴で、中でも街のシンボルとなっているのが、建物の壁を美しく彩る装飾 タイル。ポルトガル人が本国から船で運んできたもので、街のあちらこちらに当時のままのタイルが残っている。一行は、旧市街地をそぞろ歩きし、残されてい るコロニアル風建築群を楽しんでいた。(つづく、植木修平記者) 2012年10月25日付
高知県人会(片山アルナルド会長)は、28日午前10時から午後5時まで聖市ピニェイロス区の同県人会館(Rua dos Miranhas, 196)で第3回焼きそば祭りを開催する。 今回は焼きそばに加え餅つきも開催。石臼と杵も用意して、白餅、あんこ餅、きなこ餅、よもぎ餅などさまざまな種類の餅を作る。砂糖じょうゆやキムチなど各種トッピングもある。その他、高知名物の鰹(かつお)のタタキやうどんが販売され、ビンゴ大会も企画されている。 値段は、焼きそば・うどん・鰹のタタキが15レアル、白餅(8個入り)が8レアル、あんこ餅とよもぎ餅(各4個ずつ入り)が10レアルなど。入場無料。 問い合わせは、同県人会(電話11・3031・6799)まで。 2012年10月25日付
各県人会代表に賛否意見聞く  【既報関連】県連(園田昭憲会長)主催第15回フェスティバル・ド・ジャポン(日本祭り)の一環として今年初めて開催されたロードレースで、約 17万5000レアルに上る赤字問題が発生したことは既報の通り。9月代表者会議では、執行部による役員会で「10対4」と来年も開催する意見が多数を占 めたとしているが、同会議に出席した各代表からはロードレース独自の事業会計報告書の開示を求める意見が相次いだ。あす25日に行われる10月度会議が注 目されており、同イベント推進派からは詳細内容を発表しなくてよいとする意見もある。そうした中、本紙では改めてロードレース開催の経緯を振り返り、取材 で判明した新たな事柄とともに各県人会関係者の意見を紹介する。(編集部) ◆ロードレース開催経緯と現状 県連は今年3月29日、代表者会議の席で山田康夫会計(滋賀)が7月に開催するフェスティバル・ド・ジャポンの関連事業として、6月24日(後に7月29日に開催日変更)に「第1回日伯ロードレース&ジョギング大会」を開催すると発表した。 これは、今年の同祭のテーマ「共存する進歩と環境」に沿ったものをと、「MACPlan」社が県連に企画を持ち込んだもの。「日本祭りは代わり映 えがしない」と言われ続けた県連が打ち出した「苦肉の策」の一つだった。県連によると同企画は、移民100周年の際に同社から文協に持ち込まれたが、実現 には至ることはなかったという。しかし、本紙が文協及び移民100周年協会執行委員会に確認したところ、「(同企画が)持ち込まれたような話は無かった」 と説明している。 同企画は、日系コロニア団体が主催する初めての大規模ジョギング大会。県連はロードレースに期待を込め、当初は約3000人のランナーの参加を見 込んでいた。ところが、運営は「MACPlan」社に一任し、県連独自の告知や宣伝が不足していたため、申し込み数が当初から伸び悩んだ。また、申し込み はインターネットに限られていたため、パソコンをあまり利用しないコロニアの高齢者にとっては申し込みにくいイベントだったことも確かだ。本紙にも申し込 み方法について多数の問い合わせが相次ぎ、開催が1カ月後に迫った6月28日でも申し込み数は600人程度だった。 その後、大会は中止されることなく、延期された7月29日に行われた。大会は非日系の参加者も多く、日の丸の鉢巻きを締めて走るなど聖市民らはロードレースを楽しんでいたが、本紙記者が取材した際に主催者発表の1500人よりは「少ない」と感じていた。...
アナポリス日伯文化協会での食事はサンパウロとは少し違う。ベーコン入りのフェジョンや、実の中に棘(とげ)のある珍しい果物「ペキ」がテーブルに並ん だ。今回のふるさと巡りではサンパウロに無い食べ物にも驚かされることが多く、一行はブラジルの広さを改めて感じさせられた。 この後、ブラジリアの市内観光では三権広場や国会議事堂、大統領官邸、カテドラル・メトロポリターナなど代表的な観光名所を駆け足で見て回った。 カテドラル・メトロポリターナではカメラを手に参加者たちは「教会らしくないねえ」「無神論者(オスカー・ニーマイヤー氏)が建てた教会はへんてこりん だ」などと言いながら記念写真を撮影していた。 ブラジリアのシンボルで、天才建設家と言われたオスカー・ニーマイヤー氏が設計した大聖堂。16の支柱をぐるりと壁面に巡らせた王冠のような斬新 なフォルムで、支柱間にはステンド・グラスがはめられている。16本の支柱は「空に向かって祈る手」を象徴しており、高さ36メートルの天井から3体の天 使像がつり下げられている。毎週末には青空市場が立ち、にぎやかである。手工業品、金属細工、衣類、サンダル、記念品や食べ物が売られている。 また、三権広場は飛行機型をしたブラジリアの機首に当たる部分にある広場で、三方を国会議事堂、裁判所、大統領府などに囲まれている。広場には幾 つかのモニュメントがあり、歴史博物館前にはクビチェック元大統領の顔の石像が立ち、行政を監視するように大統領府を向いて目を見開いている。大統領府の 前にはブラジリア建設に尽くした労働者たちを記念して、労働戦士の像が建っていた。一行は計画都市の美しさに魅了されていた。 首都ブラジリア最後の夜は、中華料理。いよいよ明日はノルデステ(東北部)。予想気温は35度だ。(つづく、植木修平記者) 2012年10月24日付
 県連役員会で来年もロードレースを行う意見が多数を占めていることについて、同役員で2世会長の一人は、「(ロードレースを行うという)最初の話では、 県連はもうかることも損することもないということで話が進められたが、エンプレーザ(業者=MACPlan社)がどういう会社なのかは一部の人しか知ら ず、我々には知らされていなかった。どういう会社か分からないなら、来年はやらないほうがいい」と話す。 ある県人会の会長を経験したことのある1世は「日系社会の代表だった文協(木多喜八郎会長)が何もしてこなかったことでコロニアは停滞している が、県連は前に進んでいく若い世代の新しい人たちが引っ張ってきたからこそ、今の地位を築いてきた。これからの日系社会には危険を恐れずにブラジル社会で 進んでいく人材も必要。ただ、野放図なやり方を認めてはいけないとは思うが」と現在の執行部の動きを褒めながらも、役員会からのロードレースに関する詳細 報告の必要性を求めた。 ある県人会の婦人部長は「実行委員長たちは、赤字分を誰の金だと思っているのか。赤字を出してまでロードレースを開催する意味がない」と怒りを表 しており、同県人会長も「マラソンは日本文化とは関係が無い。マラソン発祥の国であるギリシャの団体に任せればよい」と来年の継続を反対している。 また、月例の県連代表者会議などでこれまで度々異論を唱えてきたある県人会会長は「来年の開催の賛否については考えていない」と明言を避けながら も、「県連は日本文化に関する活動を行う団体。ロードレースは運動には良いが、日本文化ではない」と催しの在り方に疑問を呈した。さらに、現時点で同催し の収支が報告されていないことに関しては「(日本祭りの収支と)一緒にしてはいけない」と話し、「ロードレースの赤字を日本祭りの売り上げで補う」と説明 した前田氏の意見に反対する姿勢を強調した。 その一方で2世役員からは「ロードレースが日本文化と関係無いというが、当初は日本移民に関係の深いリベルダーデを出発地点にして行う予定だっ た。将来のことを考えると、新しいイベントをやっていく必要があり、結果だけを見て無責任に反対意見を出してほしくない」と反論する。さらに、「日本祭り の一環のイベントであるため、ロードレースが赤字でも全体の日本祭りが黒字になれば、問題無いのでは」との見解を示した。 「執行部は皆、本当はロードレースに反対。赤字になるし、意義があまりない。だけど賛成しかできない。もし反対すれば(前田氏が)『じゃあ、辞め...
二日市副知事ら約20人が来伯 基調講演で「県政の概要」紹介  ブラジル大分県人会(矢野敬崇会長)は21日午前9時から、聖市リベルダーデ区の宮城県人会館で同県人会創立60周年記念式典を開催した。式典 には、母県から二日市具正(ふつかいち・ともまさ)副知事、志村学県議会議長ほか5人の公式訪問団に加え、村上健一立命館アジア太平洋大学事務局長や日本 各地からの一般慶祝団10人が来伯して出席。伯国側からは、福嶌教輝在聖総領事、羽藤ジョージ聖州議、安部順二連邦下議、園田昭憲県連会長、菊地義治援協 会長、山下譲二文協副会長らも出席し、総勢約200人が節目を祝った。 開式に先立ち、同県出身の浄念信行導師による先亡者追悼供養が行われ、二日市副知事や矢野会長も追悼文を読み上げた。 式典は福本真澄副会長の開会の辞で始まった。日伯両国歌斉唱、先没者への黙とう、来賓紹介と続き、矢野会長が式辞を披露。矢野会長は、「ひと口に 60周年と言っても、いかに大変なことだろうか。企業は一般に10年たつと100社に数社、20年たつと1000社に数社しか残らないと言われるが、これ を考えると、大分県人会の事業の大切さが分かると思う」と、同県人会の役割を強調した。また、県人会を支える関係者らへの感謝と、今後若い世代が担ってい く日伯両国の平和への期待を述べた。 次に、今年7月に発生した九州北部豪雨への対応などで出席できなかった広瀬勝貞県知事に代わり、二日市副知事が祝辞を読み上げた。二日市副知事 は、大分県出身のブラジル日本移民及び同県人会のこれまでの真摯(しんし)な取り組みや功績をたたえ、敬意を表明。また、豪雨や昨年3月の東日本大震災の 際に多くの義援金と支援を送った県人会への礼を述べ、大分県政の今後の展望を語った。 志村県議長、福嶌総領事、羽藤聖州議員、安部連邦議員や園田県連会長らがそれぞれ祝辞を贈り、祝電披露に続いて二日市副知事より、県連、文協、援協、日本語センターの日系4団体へ記念奨励金が手渡され、菊地援協会長が謝辞を述べた。 伯国議会は広瀬県知事、志村県議長、矢野会長に対して顕彰を行い、記念品が手渡された。 二日市副知事は永松通一同県人会元会長、柿坂公正同県人会前会長を表彰したほか、同県人会の会員ら9人に感謝状を贈呈。また、米寿を迎えた赤嶺保...
21日に行われた大分県人会創立60周年記念式典。とてもめでたい行事だったのだが、幾つか残念な点があった。まずは、式典に先立って行われた先亡者追 悼供養でのこと。午前9時からの開始であったにもかかわらず、席は当初半分程度しか埋まっていなかった。供養が始まってからも、会場入口からは話し声が絶 えず、途中入場者も多かったことから、とても先人を追悼する雰囲気ではなかった。式典の内容が良かっただけに、後味の悪い印象となってしまった。 ◎ もう一つ気に掛かったのが、安部順二下議の祝辞。わざわざ母県から来た二日市副知事や志村県議長らも10分程度にまとめてきた来賓祝辞を、同氏は 約30分にわたり日本からの人たちが理解できないポルトガル語で延々としゃべり続けた。日系社会へのアピールチャンスととらえたのかは分からないが、まる で選挙演説でも聞かされているような気分になった。主役が誰だか履き違えていたのでは。 ◎ 聖市リベルダーデ区で知人と立ち話をしていた時、ガルボン・ブエノ街とバロン・デ・イグアペ街の交差点で「ドスン」と鈍い音がしたと思ったら、 60~70代とみられる日系男性が車に当てられ道端にうずくまっていた。すかさず、周りのブラジル人が助け起こし、同氏にぶつけた非日系女性も車から降り て安否を気遣っていたが、謝罪の言葉は無かった様子。高齢になると視界が狭くなりがち。横断歩道を渡る時でも、車には十分気を付けていただきたい。 2012年10月23日付
 ふるさと巡り2日目も、初日に続いて晴天に恵まれた。一行は午前8時にブラジリアを出発。約155キロ離れたゴイアス州のアナポリスへ向かい、同地の日本人会(松原ジョルジ会長)と交流会を開いた。 県連職員の伊東信比古氏は「これまでふるさと巡りでは、アナポリスに行ったことがなかった。今回、ブラジリアに行くからにはぜひとも行きたかった。このツアーの魅力はなんといっても現地の人との交流にある。それでみんな病みつきになるんだ」と同ツアーの魅力を語った。 アナポリスは標高1000メートルのセラード地帯で、人口は約33万人。18世紀末にバンデイランテス(奥地探検隊)が開いた街だ。同会の創立者 の一人、平子圭造さん(86)によると「街ができたのは105年前。初めて日本人がやって来たのは1929年だと聞いている」という。平子さんは三重県出 身。カフェやミーリョを育てており、バール・ジャポネーザ「旭」も経営していた。アナポリスに来てからは野菜の仲買いで生計を立てた。 平子さんら27人によって文協が設立されたのは63年。設立時は97家族の日本人会員がおり、現在は250家族が住んでいる。最初の会館ができた のが88年。それまで様々な会合は平子さんの家で行われていた。いわば日系の長老だ。「ここはサンパウロやパラナから来た人が多い。仕事はいろいろあっ た。野菜や大豆やバタタも作れたさ」と笑った。 来年は同会設立50周年に当たるため、松原会長は会館の増築、コジーニャ(台所)の改修やサッカー場の建設などを計画しており、会員から寄付を集 める予定だ。「母の日や運動会になると、この会館がいっぱいになって入りきれない」と、うれしい悲鳴だ。年に3回の焼きそば祭りを開いており、毎回 200~300人の来場があるという。だが、青年部の活動が興隆しているわけではなく、日本語学校も盛況というわけではない。タグアチンガとは事情が違う ようだ。 93年には30周年を記念して記念誌を製作。日本語版を製作した村松仁志さん(71)は、妻と共に非公式の日本語学校を開いていたが、6年前から 自然消滅している。妻の幸子さん(73)は「一時は青年部120人が全員入っていた」というが、結婚やデカセギなどで青年部の活動規模が縮小していくと同 時に、日本語学校の生徒数も激減。デカセギ帰りの若者も「せっかく覚えて帰ってきたのだから、『もったいないから日本語で話しなさい』といっても日本語を 全く話さない」と嘆く。 「マンガやアニメが好きなブラジル人以外からしてみれば、日本語は役に立たない言葉のよう」。幸子さんは寂しそうにつぶやいた。(つづく、植木修平記者)...
 葉隠館創立30周年記念祝典が9月16日、聖市アクリマソン区にある佐賀県人会館で開催された。 1982年に設立された葉隠館は同県出身の剣士が指導にあたり、これまで多くの剣士を輩出している。同祝典には、来賓としてブラジル剣道連盟の玉置正顧問、吉村幸之会長同県人会長らが出席した。 2012年10月23日付
 聖州水道会社(SABESP)の吉本マサト理事は、25日午後7時から聖市リベルダーデ区の広島県人会館(Rua Tamandaré, 800)で講演会を行う。主催は広島県人会(大西博巳会長)。 吉本理事は日系2世で、2004年よりSABESPの理事となっている。講演テーマは「SABESPについて」で、当日はJICAとの関係についても講演する予定。 本紙を訪れた平崎靖之同県人会理事は、「日系人がSABESPで理事をされていることはあまり知られていないが、ぜひ皆さんに吉本理事の活動を知ってほしい」と来場を呼び掛けた。入場無料。 問い合わせは、同県人会(電話11・3207・5476)まで。 2012年10月20日付
 ふるさと巡りでは、どこに行っても会うのがコチア青年だが、ブラジリア文協でも55年に渡伯し、60年に同地へ入ったというコチア青年1期生の高柳治郎 さん(82)と会うことができた。高柳さんは埼玉県出身。聖州アルバレス・マッシャード、ピラール・ド・スールを経て、この地に入った。「いつの間にかブ ラジリアも大きくなった。人口は300万人だよ。衛星都市の中ではタグアチンガが一番大きいねえ」と街と一緒に歩んできた日々を振り返った。 隣に座っていた9期生の平沢淳さんも「ブラジリアに入って良かった。満足しているし、感謝している」としみじみ。コチア青年はいつまでも「青年」のままだ。 「ここは、ブラジル中を転々としていた輩が集っただけよ。みんな百姓だったから、たまたま首都建設に立ち会い、国の役にも立った」と笑い飛ばすの は、長崎県出身で元文協会長の吉田繁治さん(72)だ。20歳の時、地元の島原市を開発青年隊として飛び出し、最初はイビウーナの養鶏所に入った。独身時 代はカミヨン(トラック)でベレンまで行ったりと、随分武勇伝をつくってきた。 「ブラジリアに入って50年だが、その前はガリンペイロ(採金夫)としてセーラ・ペラーダにも行ったよ。あそこでは泥棒を働くような悪いやつはみ んなから銃で殺された」と壮絶な環境を語ってくれた。ブラジリア入植後は、「掘っ立て小屋にみんな住んでいた。だけど、農家のために政府は鶏糞や石灰を軍 用機で運んでくれた」と話し、ガリンペイロらしく「ブラジリアに来た人はソルチ(幸運)さ」と付け加えた。 多くの人と話し込んでいたが、ステージに目を向けると老人会婦人部が本格的な日本舞踊を披露している。婦人部長の高橋房子さんは「同婦人部で踊りを踊るのは15人。毎週1回の練習は今も欠かさず行っている」という。 一体となっている同地の日系団体。DF日系協会の梅田寛ワルデマル会長は「今回サンパウロの団体と交流が持てて本当に良かった。我々は非常にまと まっているが、世代の変わり目には問題が起きやすい。これからはサンパウロともっとコンタクトを取っていき、勉強させてもらえれば」と力を込めて話した。 (つづく、植木修平記者) 2012年10月20日付
【福岡発・吉永拓哉福岡支局長】今年9月に設立したばかりのブラジル福岡県人会県費留学生OB会から、福永ミルトン会長が来日。今月15日、福岡県庁で小川洋知事を表敬訪問した。 福永会長(49、3世)は1988年度の福岡県費留学生で、現在は同県人会副会長を務める。今年、福岡県人会では母県とのさらなる交流推進を図るため、同氏を会長に過去の福岡県費留学生211人でOB会を立ち上げた。 9月1日にサンパウロ市で開催された同OB会設立記念式典には小川知事も出席。OBらが小川知事を歓迎した。 15日、福岡県庁知事室を表敬訪問した福永会長に対し、小川知事は「この前はありがとうございました」と握手を求め、ブラジルでの思い出や来年福岡市で開催される海外福岡県人会世界大会について話した。 福永会長が「OB会が立ち上がったことで、これからは福岡にやって来る機会がたくさんできそうです」と述べると、小川知事は「県人会やOB会の皆様が『福岡に来てよかった』と言っていただけるよう私たちも工夫したい」と笑顔で答えた。 また、この日夜は福岡市内の料理屋で歓迎会が開かれ、新宮松比古福岡県国際交流センター理事長をはじめ福岡県海外移住家族会(武藤英治会長)ら20人が福永会長を囲んで歓談した。 2012年10月20日付
60周年向けて実態調査推進も  「戦後に若い青年隊がブラジルに来たことで、沖縄県人会の継続・活性化に寄与した」―。ブラジル沖縄青年協会(石川繁会長)主催の沖縄青年隊移 民55周年記念祝賀会が、14日午後3時から聖市リベルダーデ区の沖縄県人会本部会館で開催され、青年隊約30人をはじめその家族など約300人が一堂に 会した。同会ではこれまで10年ごとに節目の祭典を催してきたが、今回から5年ごとに行うとし、5年後の60周年に向けて会員の実態調査も行っていく考え だ。 沖縄青年隊は、戦後復興が遅れた沖縄で海外移民及び郷土の中堅として活躍しようとする青年たちに、共同生活、講義や実習を通して技術・精神力を身に付けさせることを目的に、1955年に設立された。 同協会が発行した「沖縄青年隊写真集―写真で見る50年の歩み―」によると青年隊は、沖縄産業開発青年協会(初代理事長=瑞慶覧長仁氏)の送り出 しにより1957年4月11日に第1次隊30人がサントス港に到着。同9月に第2次43人、同10月に第3次25人の計98人を起点に、64年の第14次 隊まで303人がブラジルの土を踏んでいるという。 この日の祝賀会では、先亡者への黙とうの後、石川会長があいさつ。青年協会及び沖縄県人会の世話で広大なブラジルに受け入れてもらったことに感謝 の意を示し、「20代でブラジルに来た我々も今は年を取ったが、青年隊の気持ちは失っていない」と強調。303人の青年隊のうち既に約70人が他界してい るとし、5年後の60周年に向けて会員の実態調査を行っていくことへの協力を呼び掛けた。 引き続き、与那嶺真次同県人会長が祝辞を披露。戦後の沖縄県の厳しい状況の中で青年隊が渡伯し、県人会活動に活力を与えたことに触れ、「青年隊の応援がなければ、県人会は今のような発展はなかったと思う」とその貢献を褒めたたえた。 子弟を代表して日系3世の久場ミキさん(17)が、今や祖父の世代となった青年隊たちへの感謝の言葉を述べた後、この日集まった約30人の青年隊たちが当時の「青年隊綱領」を読み上げるとともに「青年隊隊歌」を熱唱した。 58年に第4次隊員として渡伯した山城勇さん(84)は改めて青年隊の歴史を振り返り、女子青年隊も含めると約330人が海を渡ってきたことを紹 介。今後も5年ごとに祝賀会を開き、継続していくことの大切さを強調し、「ビーバ、カリー、ビーバ青年隊」と乾杯の音頭を取った。 女子青年隊を代表して3人で一緒に記念のケーキカットを行った仲田光子さん(73、第1次)は、同青年隊として先にブラジルに来ていた夫の呼び寄...
一行がブラジリアに到着した9月29日は、日中の気温が35度まで上った。湿度が極端に低いため、乾いた空気でのどがヒリヒリと痛む。昼食後にチェック インしたのは、五つ星ホテル「マンハッタンプラザ」と「クビチェックホテル」でバスタブ付きだ。朝が早かったこともあり、シャワーを浴び、ひと寝入りした 人も多かったようだ。 初めてふるさと巡りに参加した聖州アラサツーバ市在住の藤木誠吾さん(78)と昌子さん(74)は「ブラジリアは街並みが奇麗。今回、キャンセル待ちでようやくふるさと巡りの定員に入れた。ブラジリアにはいとこが居るので、会えれば」と期待を寄せていた。 今回のツアーで最初に交流を行ったのは、ブラジリアからバスで1時間ほど離れたところにある近郊都市、タグアチンガ。ブラジリア文化協会(松永行 雄会長、会員100家族)の会館があり、一行が門ををくぐると青年部らが勇壮な太鼓で迎えてくれた。夕食を前に木原団長は「盛大に歓迎していただいてあり がとうございます。感無量でびっくりしました」とあいさつした。 ブラジリアには文協、老人会、DF文化体育協会などの日系組織があり、老人会会長の高橋実さん(88)は「各団体同士も団結している」と話す。老 人会は毎月第2日曜にカラオケやラジオ体操などを楽しむために120~130人が集う。会員数は250人で、1世が7割。近年は非日系の会員も増えてい る。吉田武弘さん(67)は「こんなに大きい老人会はブラジル中探してもないだろう。今度、日本政府に表彰されるんだ」と胸を張る。 また、田中淳雄さん(72)は「ブラジリアの日系社会はサンパウロよりも先に、一致団結して東日本大震災の際に義援金約8万レアルをブラジル日本大使館に送った」と教えてくれた。 青年の活動も活発で、日本語教育も熱を帯びている。タグアチンガ日本語学校の生徒数は現在100人。日系人は約半数。教師も16人いる。サンパウロ州と比べ日本語教師の給料が高い点が大きく異なる。 5歳から20歳まで富山県で過ごしたという日本語教師の西川カミラさん(26)は「明日はスピーチコンテストがあって10人が出場する。みんなのやる気はすごい」と話す。 宴も酣(たけなわ)にさしかかったころ、ブラジル大使館から荒木要参事官らが文協会館を訪れた。同地ではこのような交流がよく行われているそうだが、ツアー参加者らは一様に驚いていた。(つづく、植木修平記者) 2012年10月19日付