06/03/2026

admin@kenren

ニッケイ新聞 2009年6月30日付け 福岡県人会(南アゴスチニョ俊男会長)は県費留学生の希望者を募集している。募集人数は五人。家族や親戚が福岡県と関係があり、日系の人が対象。日本語レベルは三級以上を希望している。申込み締め切りは七月二十日。問い合わせは同会(11・3208・3123)まで。
ニッケイ新聞 2009年6月30日付け ブラジル日本都道府県人会連合会(与儀昭雄会長)は八月二十三日に「第二十三回県人会対抗ゲートボール大会」を開催するにあたり、参加チームを募集している。大会会場はゲートボール連合コート(Av.Leonardo da Vinci,1551)参加資格は、県人会会員およびその子弟、その姻戚関係の人、または特例として該当県人会会員に関わりのある人。一チーム五人(交代者は三人まで)で、カテゴリーは高齢組(七十歳以上)と壮年組(六十九歳まで)の二つ。参加費は各チーム五十レアル。申込み締め切りは八月十二日。詳細は県連事務局(11・3277・8569)まで。
ニッケイ新聞 2009年6月30日付け ブラジル香川県人会(菅原パウロ農夫男会長)は七月四日午後五時から同会館(R.Itaipu,422)で、フェスタジュニーナを約二十年ぶりに開催する。二十四日、案内に本紙を訪れた菅原会長は、「若い人が中心になって復活できました。可愛い子がたくさんいます。みんなで楽しみましょう」と来場を呼びかけた。当日はカイピーラダンスの披露やビーニョ・ケンチやケントンも販売されるという。入場料は五レアルで一ドリンク付き。問い合わせは同県人会(電話=11・5587・5303)まで。
本紙が発行した百周年写真集『百年目の肖像』。皇室にも献上され、コロニアとの交流で感動の涙を流した小泉純一郎元首相も手に取った(本紙九面)。 先日訪日、全国知事会事務局を訪れた県連の園田昭憲副会長(鹿児島)。中川浩明事務総長、厚地弘毅事務局次長との面談のさい、麻生渡会長宛に写真集を手渡した。「 とても評判がよく、喜ばれていましたよ」。日本にも昨年の熱気が伝わり、嬉しい限り。
ニッケイ新聞 2009年6月27日付け 山口ロータリークラブによる希望の家福祉協会への米の寄付が今年も実施され、二十三日午後、山口県人会館で同県人会(平中信行会長)から同協会(上村ジャイロ理事長)に米千二百キロが贈られた。この寄付は、山口ロータリーなど同県のロータリークラブの申し出により、十六年前に始まったもの。十万円の寄付金から同県人会が米を購入し、寄付している。当初はブラジル社会への寄付だったが、五年程前から同協会に米を贈っている。寄贈式には同協会から大野孔三第一副理事長、同県人会から平中会長、要田武第一副会長、伊藤紀美子事務局長が出席。平中会長から大野副理事長へ目録が手渡された。希望の家には現在、二十歳から七十五歳まで九十人が入居し、九十人の職員が働いているという。米の消費は一日十キロで、今年寄付した千二百キロは約四カ月分だという。平中会長は「日系社会に少しでも役立てたら」と語った。同協会では年間を通じてリッファの販売や毎月のように開くイベントで運営費を集めている。一カ月の運営資金は二十万レアルにのぼり、月謝が三分の一、会費と寄付で三分の一、行事での収入が三分の一だという。ブラジルでは政府からの援助はなく免税のみ。大野さんは、「一つ一つの積み重ねで運営している。ありがたい」と謝意を表した。さらに、「親の話を聞いていると、障害者全員を受け入れてあげたいくらい。ほんの一握りの人しか面倒を見られないが、人の世話をしているので気持ちは良い。苦しさが楽しさになる」と語った。
ニッケイ新聞 2009年6月27日付け ブラジル日本都道府県人会連合会(県連、与儀昭雄会長)の六月代表者会議が二十五日午後、文協ビル十四会議室で行われた。与儀会長の挨拶に続き、社会福祉法人救済会会長の吉岡黎明さんが、八月十六日に開催する第三十五回バザーの案内をし、同会の運営への協力を呼びかけた。事務局報告、前会議事録質疑、会計報告に続いて議題に移り、今月三日に神戸で開かれた「神戸市立海外移住と文化の交流センター」開館式に出席した園田昭憲県連副会長から報告があった。式にはブラジルから、二宮正人文協評議員会第一副会長、栗原猛・移民史料館運営委員長夫妻、尾西貞夫兵庫県人会長、後藤隆ブラジル日本商工会議所顧問などが出席。ブラジル代表として園田副会長が挨拶し、「移民百一年、アマゾン移民八十周年の年に開館できるのは大変意義がある」と祝辞を述べた。式では県連から寄贈された紫水晶の披露除幕式があり、園田副会長と尾西会長がテープカットを行った。県連で受付けた同センター改修への募金が約九千八百レアル残っており、今月中に取り纏めをしているカワサキ・ド・ブラジル社に手渡す予定であることも報告された。園田副会長は一日に全国知事会事務局を訪れ、中川浩明事務総長、厚地弘毅事務局次長と面談。高速鉄道やモノレール、デカセギ問題などが話題に上ったほか、ブラジル県連の状況を説明し、経済や人的交流の為にブラジル側の窓口として使ってほしいと伝えたという。続いて、第十二回フェスティバルについて与儀会長が説明。今年は十五万から二十万レアルの利益を目標にしていたが、スポンサー収入減少の影響で難しい状況だという。今年の入場券は一枚七レアルで、各県人会に七月三日までに必要な枚数を連絡するよう呼びかけた。その他、九月の第三十一回県連ふるさと巡り申込み受け付けを二百二人で終了した件、十月十八日に第三回弁論大会を開催する件が連絡された。今年のテーマは「私の周りの日本文化」で、一位には日本往復切符が贈られる。また国際交流委員会から、九月十七日から十九日にウルグアイで開かれる第十五回パンアメリカン日系人大会への参加の呼びかけがあった。県人会の連絡事項では徳島の原田会長から、五月に開催した「阿波人形浄瑠璃平成座」公演について、関係者に礼を述べた。同公演は日本のNHKでも放映されたという。
ニッケイ新聞 2009年6月25日付け 【沖縄県発】沖縄パンアメリカン連合会(会長=大山盛稔・沖縄カナダ協会会長)主催の「移民の日交流会」が十八日、那覇セントラルホテルで盛大に開催された。今年はアメリカ(ハワイ)、カナダ、キューバ、ボリビア、ペルー、ブラジル、アルゼンチンの七カ国が参加。ブラジル移民百周年をきっかけに、去年にも増して大勢の人が集まり、約三百人近い人出となり、入りきれない人が廊下まであふれていた。 この連合会は九四年に沖縄からの南米移民の親睦とウチナーンチュ大会に向けての横のつながりを深めることを目的として結成された。当時は連合協議会の名称で、九五年に正式にパンアメリカン連合会(以後、連合会と省略)としてスタートした。会場の受付には、尚学高校(コレジオ・ブラジリアの姉妹提携校)の生徒達がボランティア。開会の挨拶に連合会事務局の与座宏章事務局長。主催者挨拶は大山盛稔会長が、来賓祝辞には安里カツ子副知事、沖縄県議会の高嶺善伸議長が駆けつけた。乾杯の音頭は沖縄県国際交流・人材育成財団の仲村守和理事長。司会は連合会副会長、沖縄ペルー協会の比嘉憲太郎会長が行った。シンポジウムには「若者が見たウチナーンチュ社会/ウチナーンチュ・ネットワークへの提言」に、三人の若者のパネラーが登場した。小波津亜廉(沖縄尚学高校三年/アルゼンチン移住百周年参加)、仲本いつ美(琉球大学法文学部四年/ブラジル移住百周年参加)、儀保ダーシー(元県費留学生・真和志小学校英語講師/ハワイ出身)のパネラーの体験談には立ち見も出るほどの盛況ぶりをみせた。特に、ハワイ出身のダーシーさんの見事な方言での挨拶には惜しみない喝采が送られた。余興の県費留学生による流舞や沖縄ハワイ協会のフラダンスとウクレレ演奏、那覇少年少女合唱団による沖縄民謡、ブラジルの楽器演奏(翁長巳酉)、カチンバ151のサルサの演奏では参加者がカチャーシー踊りとなり、見ていた人々も次々と前に出て盛り上がった。最後に沖縄に滞在する留学生研修生の紹介、連合会副会長の沖縄ハワイ協会の真喜屋明会長が閉会の挨拶をした。大山会長は「海外のウチナーンチュは沖縄の財産である」と断言。会場には南米の研究をしている琉球大学や名桜大学の教授や、年に一回のこの日を楽しみにして、離島からわざわざ出てきたというアルゼンチン移民のお年寄りや、ペルー、ボリビア、キューバ帰りの面々も集まり、交流会終了後も途切れることのない会話で、人々の輪は会場にいつまでも残っていた。(翁長巳酉さん通信)
ブラジル沖縄県人移住百一周年を記念した第十五回開拓先亡者追悼慰霊法要が、二十一日午後二時から聖市リベルダーデ区の沖縄県人会館大サロンで開催され、約百五十人が出席した。 法要は、先亡者への黙祷のあと、田場ジョルジ実行委員長の開会の辞で開始。野村流音楽協会、野村流古典音楽保存会、琉球筝曲興陽会、琉球筝曲保存会の各ブラジル支部による献楽の儀をはじめ、県費留学・研修生OBによる献花の儀、ぶくぶく茶道ブラジル支部による献茶の儀がそれぞれ執り行われた。 引き続き、与儀昭雄会長が追悼の辞を述べ、一九〇八年から始まった移民の歴史を振り返り、「困難を極めた生活の中で先人たちは日系社会を築き上げてきた。我々はその遺志を受け継ぎ、今後も次世代に引き継いでいかなければならない」と強調した。 曹洞宗南米別院佛心寺の采川道昭導師が入道。読経の間に出席者一人一人が焼香を行ない、合掌しながら先人への思いを傾けた。 采川導師は法話の中で、「ご先祖様に命をつないでもらい、そのお陰で我々は今日の発展を見るに至った。子孫である我々が立派に生きることが何よりのお返しであり、そのことが日系社会、ブラジル社会はもとより世界の発展につながる」と諭した。 今回、初めて法要に出席したという聖市パトリアルカ区在住の伊豆味(いずみ)美枝子さん(七八、二世)は、「(法要は)本当に良かった。出席できて身に余る思いです」と先人への感謝の意を示していた。 また、県人会評議員の一人である山城勇氏は、「昨年は移民百周年という絶頂に達したが、今年は百一年目という新たな気持ちで臨みたい」と、気を引き締めていた。 写真:沖縄県人会での慰霊法要に出席した人々
県連、仏教連合会主導の移民百一年仏式慰霊法要が、十八日午前十時半から聖市イビラプエラ公園内の開拓先没者慰霊碑前で厳修され、肌寒さを感じながらも晴天に恵まれた気候の中、県連(与儀昭雄会長)をはじめとする各県人会、日系団体関係者ら約百十人が出席した。 曹洞宗佛心寺の采川道昭導師によって進行された法要では、追悼の辞として与儀会長が仏連をはじめとする関係者への感謝の言葉を述べた。さらに、一九〇八年の笠戸丸移民から始まった日本移民の歴史を振り返り、「現在の若い世代がブラジルの各分野で活躍しているのも、先人が苦労の末に築いてきた道のりがあったからこそ」とし、改めて先人への感謝の意を示した。 引き続き、大部一秋聖総領事は「このような厳粛な法要に参加できたことに感謝します。大先輩方が遺した御遺徳を謹んでお祈り申し上げ、『恩』の志を捧げたいと思います」と追悼の辞を述べた。 采川導師の読経が続く中、出席者全員が焼香を行なった。采川導師は読経後のあいさつで、「移民された先人がこの地で励み、根を下ろしたことで今の我々の繁栄がある。この感謝の気持ちを忘れず、子々孫々に伝えることで先人への恩に報いることができる」と諭した。 サンパウロから約三百キロ離れたグァタパラ移住地から参加した川上淳グァタパラ農事文化協会会長は、「移民の原点である移住地の長として、このような法要に参加することは義務だと思っている。今後も法要は続けていかなければならないが、参加者が年々減り、寂しくなるばかり」と、その重要性を強調しながらも、先細りを懸念する。 今回で二回目の参加で友人と一緒に来たという村瀬正子さん(八一、滋賀県出身)は、「うちは両親も兄も夫も亡くなり、今日は家族の分まで御参りしてきました。こういう法要は良いですね」と、しみじみ語っていた。 この日は、県連をはじめ、文協、援協、百周年協会関係者らも出席し、三十四の県人会が過去帳を持参していた。 写真:開拓先没者慰霊碑前で厳修された仏式法要
《喜びの先人の供養と楽しかった旅》 五月二十四日、朝日を浴びたホテルで食事後、午前八時十五分にコルコバードへと向かう。バスでは急増ガイドの多田団長が、一日の日程について説明。二十分程でコズメ・ベーリョ地区にある駅に到着した。 一行は、真っ赤な車体に白線の入った二両編成(一両三十九人乗り)の登山電車で、コルコバードの丘を目指す。キリスト像の足下へはエレベーターで昇る組と百二十六段ある階段を進む組に分かれた。 雲一つない澄み渡る青空にそびえ立つキリスト像。その眼下、南方向には、これから訪問するサン・ジョアン・バチスタ墓地が広がって見えた。 午前十一時、目的地のサン・ジョアン・バチスタ墓地に向かった。世界的にボサノヴァの創始者として知られるアントニオ・カルロス・ジョビン、サンバ歌手やハリウッド女優として活躍したカルメン・ミランダなど多くの有名人が眠る場所だ。 一九〇六年五月十九日、日本移民の導入に尽力しながらも、笠戸丸の入港を見ることなく、ブラジルの土となった杉村公使は、陸軍の礼砲とともに同地に葬られた。国賓級の扱いを受けた公使の死は、『日本の大臣』という見出しで地元紙にも大きく取り上げられた。 墓地の入り口から正面へ進むと、さまざまな形の墓郡が道に沿って建ち並んでいる。突き当りを右折し、さらに左へ歩を進めると、十メートルほどの所に黒御影石でできた杉村公使の墓、後壁を見ることができる。 墓石がきれいに磨かれたところで、多田団長がサンパウロから持参した線香立てと花立てを設置。「昨年の除幕式に間に合わなくてね」と感慨深げに菊の花を献花した。会員らは、千田会長の後に続き焼香。 千田会長は、「杉村公使の命日である五月十九日近くに、こうして県人会で参拝できたことに喜びを感じます」と挨拶。参加者らは、公使の顔写真が彫られた墓碑とともに記念撮影。先人の供養と旅行の全日程を終えた安堵感からか、自然と笑みがこぼれていた。 午後三時、昼食の席で千田会長は、「天候に恵まれて良い旅行だった」と振り返り、岩手山に象徴される県人の器の大きさと、ブラジル国土の広大さを重ね合わせて、「杉村公使の移民導入に対する思いが原点、日系社会のルーツ」と話していた。 一行は、午後七時すぎに帰聖。「楽しく旅行できたことを嬉しく思います」と、千田会長が今回のツアーを締めくくった。(おわり、中村瞳記者) 写真:焼香をする会員ら、一九〇六年五月二十二日付の『トリブナ・デ・ペトロポリス紙』(安見清さん提供)
ニッケイ新聞 2009年6月23日付け 福岡県と福岡県人会(南アゴスチンニョ俊男会長)が現在、一風変わった取り組みを実施している。県系の子弟が母県を訪れ、日本とその文化を肌で体験するものだ。主な条件は「福岡県人会員の子弟」「十一歳の子ども」であることで、日本語能力は問わない。二回目の今年は、十人の〃留学生〃たちが日本へ向け出発する。同事業は海外福岡県人会子弟招へい事業実行委員会(財団法人福岡国際交流センター内)が主催しているもので、ブラジルでは福岡県人会が窓口となっている。引率者三人を含む一行十三人は七月十一日にブラジルを出発。二週間の日本滞在中、母県でホームステイをしながら福岡市内観光、新幹線体験、太宰府見学、アジア太平洋子ども会議など、盛りだくさんの日程で日本文化や日本語を体験する。県費留学生がなかなか集まらない中、子どもを対象とし、日本語能力を問わないというのは珍しい取り組み。昨年参加した子ども達の作文には「両親と離れて色々なことをしてみたことで、自信がついた」や、「たくさん勉強して県費留学生になり日本にまた行きたい」といった感想もあるなど、評判は上々だ。図らずも、こういった制度の下では子ども達の将来の選択肢が広がり、日本や母県への愛着が生まれることも考えられる。自身が九州大学への留学経験をもつ南会長は、かねてから県費留学生が訪日前に「母県や県人会のために力を尽くす」と言っても、帰伯すると実際はなかなか期待通りにいかないことを憂いていた。そのような経緯から、敢えて子ども達にターゲットを絞ったという。会長は「日伯を繋げる人材に成長し、県人会を継続していく為にも大切」と、事業の意義を強調した。福岡県から海外に移住した人、およびその子孫等で組織する「海外福岡県人会」は世界九カ国に二十一団体設置されている。ブラジル国内ではサンパウロ、トメアスー、ベレン、マナウスの四カ所にある。
ニッケイ新聞 2009年6月23日付け 十九日に聖市内で行われたブラジル日本商工会議所(田中信会頭)の定例昼食会で、日伯友好百周年基金の最後の助成式が行われ、余剰金の約十万レアルがサンパウロ日伯援護協会が現在建設している福祉医療センター構想に渡された。この基金を運営してきたのは日系主五団体(文協、援協、県連、商議所、アリアンサ)から構成される日伯友好交流促進協会で、助成額総額は創立以来、計二百六十三万レアルとなり、本年末を基金解散期日として清算手続きに入ることが報告された。 日伯修好百周年は、一八九五年にパリで調印された日伯通商航海条約により両国の国交が樹立されたことを記念し、一九九五年に紀宮清子内親王をお迎えして盛大に祝われた。これらの諸行事の費用として、日系主要五団体が募金活動をした結果、余剰金が約八十五万レアル残った。これを基金に日伯友好交流協会が設立され、両国の友好促進に寄与するプロジェクトに支援してきた。〇二年までに二十三件、計八十五万レアルを運用益から支援。その後、昨年の百周年記念事業に十一件、百二十五万六千レアルの助成をしてきた。書類の不備などで振込みがまだ行われていない中期プロジェクト二件(移民史料館及び移民百年史)の計四十二万レアルも近く実行可能見込みとなり、清算関係費用等を差し引いて、基金の余剰額が今回、援協に助成されることになった。同促進協会の田中代表委員長は「大きい額ではありませんが、これが企業や個人からの協力の呼び水となることも期待しています」と覚書を授与すると、援協の森口イナシオ会長は「このような助成を頂き心から感謝します」と礼をのべた。同福祉医療センターが完成すれば、最新の医療機器を備え、人間ドックによる定期健康診断などを日本語で行えるようになり、コロニアだけでなく駐在員にとっても便利な信頼のおける医療サービスが受けられるようになると期待されている。 ◎   ◎ 昼食会の三分間スピーチでは、在聖総領事館から「近々行われる衆院総選挙に在外投票を」と呼びかけ、また救済会の相田祐弘第一副会長から会員増キャンペーンや物品の寄付などの協力が呼びかけられた。代表者交替では商船三井の廣瀬隆氏の代わりに寺元清隆氏が、タカタ・ペトリ社の長瀬周治氏の代わりに大竹茂氏(元在伯大使館公使)が着任し、それぞれあいさつをした。また、パイロットペン・ド・ブラジルには佐野典久氏が着任した。当日は伯日議連の飯星ワルテル会長(下議)、ウイリアン・ウー同副会長がそれぞれの議員活動の成果と現状を語った。中でも飯星会長は、十六日に下院講堂で行われた新幹線セミナーには七十人もの市長や市議が参加するなど、成功裏に終わったと報告した。その一方、ウー副会長は「高速鉄道に関し、韓国やフランスも強力なロビー活動を展開している」と注意を促した。
ニッケイ新聞 2009年6月20日付け グランデ・サンパウロマレットゴルフ協会(上村康次会長)は五月二十四日、イタペセリカ・ダ・セーラ市郊外の田畑農場内マレットゴルフ場で「第二回フェデラソン大会」を開催した。地元グランデ・サンパウロをはじめサンミゲール・アルカンジョ、ピエダーデ、コーペル・コチア、国士舘、イタペチニンガ、ニッポン・カントリー、イビウーナ、モジ・ダス・クルーゼスの九クラブから二百三十八人が出場。過去最高の出場者でクラブハウスは大いに賑わった。開会式は新留静相談役の進行で行なわれ、上村会長、橋詰アキオ・フェデラソン会長、来賓の小川彰夫氏、加藤恵次県連代表、ウィリアン・ウー連議代理があいさつ。谷川シンイチ技術担当が試合上の注意を行なった。その後、花火一発の合図で一斉にスタート。好天の下選手らは日頃の練習成果を存分に発揮し、前半終了後はクラブハウスの水でのどをうるおしながら、計三十六ホールの熱戦を繰広げた。当日の結果は次の通り。(順に一位から三位、敬称略)【カンペオナット・ブラジレイロ】林オルガ、渡辺ヒロミ、苫米地サダオ。【グランデ・サンパウロ大会】▼(A組)林オルガ、渡辺ヒロミ、渡辺クラウジオ。▼(B組)指宿タモツ、犬塚チヨコ、西嶋カズトシ。▼(C組)森田ヒロコ、西村ケサオ、田畑ミノル。▼(ロングドライブ)男子=タダシ・コザキ、女子=林オルガ、▼(ニヤピン)男子=藤井タクオ、女子=サナエ・オコシ、▼(ホールインワン)横井ロベルト。
ニッケイ新聞 2009年6月20日付け 在伯熊本県人会(小山田祥雄会長)は「移民の日」に先駆け、十四日午前十時から同会会館で「第七回在伯熊本県人先亡者追悼供養」を厳かに営んだ。約百人の会員らが集まり、先亡者を弔った。当日は羽藤ジョージ聖市議も出席。東本願寺の川上寛祐師は、故浦部玄・真宗大谷派南米開教監督を引継ぎ、今年で三度目の導師を務めた。式が始まると、川上師による読経が流れる中、会員らは中央に列を作り順に焼香。壇上の位牌に向かい、静かに手を合わせた。小山田会長は「このような式を開き、先輩である先亡者を共に思い出していく機会としよう」と日語、ポ語の両方であいさつを行った。川上師は法話で「御縁とは自らの力で引き付けているものではない」と話し、「全て自分ひとりで出来ると傲慢になってはいけない。全てのことに感謝しなければ」と説いた。今年は、前会長の福田康雄第八代会長が任期中に糖尿病で亡くなったことから、同氏を偲んで多くの会員らが集まった。福田氏は、二〇〇〇年三月から〇八年五月の間会長を務めた。「福田会長は移民百年祭の準備に尽力しながら、出席することができなかった。大変残念です」と会員らは話していた。法要後は昼食会が行われ、婦人らによる手作りのおにぎりや煮物、天ぷら、味噌汁などを囲み、出席者が懇談した。
ニッケイ新聞 2009年6月20日付け 愛知県人会(豊田瑠美会長)は四人のソプラノ歌手を迎え、恒例の「第十七回愛知県人会コンサート」を二十七日午後四時から同県人会館(サンタ・ルジア街74)で開催する。サンパウロ・フィルハーモニー(山川健一代表)が共催。愛知県人会の羽田宗義名誉会長、豊田瑠美会長、それに、指揮者の山川健一代表、歌手の祖父江厚子さん、松代博実さん、足立弘子さん、広川朋子さんらが、案内のため十五日に本紙を訪れ、「世界の歌を聴く機会です。ぜひ来場を」と呼びかけた。県人会の中で唯一所有しているグランドピアノやオーケストラ演奏に合わせ、ソプラノ歌手が日本の名曲やオペラを歌う。日本人に馴染みの曲も多く、山田耕作作曲の「からたちの花」や、滝廉太郎作曲の「荒城の月」なども披露される。広川さんらは「四人ともソプラノだが、それぞれの違いを聴いてください」と語った。入場無料。主催者では、来場者に一キロの保存可能な食料の持参を呼びかけている。集まった食料は後日、こどものそのに寄付される。問い合わせは愛知県人会(電話=11・3241・2682)まで。
ニッケイ新聞 2009年6月19日付け  ブラジル熊本県文化交流協会(小山田祥雄会長)は八月二日に「熊本県人芸能祭」を開催するにあたり、各支部からの出演申込みを受付けている。 踊りや浪曲、コーラス、カラオケなど、毎年多彩な演目が披露される同芸能祭。同会では「日頃の腕前を披露する出演をお待ちしています」と呼びかけている。 芸能祭の会場は聖市の同県人会館(ギマランエス・パッソス街142)。問い合わせは同県人会(11・5084・1338)まで。
ニッケイ新聞 2009年6月19日付け 日本移民百一周年記念開拓先亡者追悼大法要が、各日系団体の共催により十八日午後一時半からブラジル日本文化福祉協会大講堂で開催され、約五百人が来場した。釈尊讃仰会会長の伊藤パウロ勉氏による開会の辞、エスペランサ婦人会、仏連コーラス、白樺コーラスによる「道の光」合唱に続き、茶道裏千家、生け花協会、和楽研究美和会による献茶、献花、献灯が行なわれた。その後、稚児・諸僧・導師が入堂し焼香。導師による三帰依、表白文読上げに続いて、追悼の歌「心静かに」が歌われた。続いて来賓が追悼の辞を読上げ焼香した。木多喜八郎文協会長は「困難に耐え、コロニアの発展に貢献した先亡者に敬意と感謝を示し、冥福を祈る。両国の友好と親善に尽力することをご霊前に誓う」と日本語で述べた。大部一秋・サンパウロ日本国総領事は日伯両国の架け橋となった先駆移民の功績を「伯国民が日本を理解する上での貴重な財産」と称え、「受け入れてくれたブラジルとブラジル人に感謝し、発展に寄与した先亡者に追悼の辞を送る」と述べた。千坂平通・国際協力機構(JICA)聖支所長は「開拓者としての使命を果たし、子弟教育に努めた先亡者に敬意を表す。今後さらに同社会が発展していくこと確信している」と述べた。与儀昭雄ブラジル日本都道府県人会連合会会長は「開拓先亡者の努力があり今日の我々の社会が存在すること、それを新しい世代にも伝えていかなければ」と話した。森口イナシオ・サンパウロ日伯援護協会会長は「多くの問題に対処し勝利を得てきた移住者の歴史・日本人の心を伝承していきたい。また、それを導いてくださいますように」と述べ、追悼の辞とした。読経が始まり、会場は静寂に包まれた。導師を務めた采川道昭ブラジル仏教連合会会長は、「今年も盛大に移民先亡者を弔うことができた。日系社会の発展は世界の発展、人類の発展にも繋がるはず」と挨拶した。浄土真宗本派本願寺開教総長・松峯慈晄師による法話の後、曹洞宗梅花流、真言宗金剛流、和楽研究美和会によるご詠歌が流れる中、来場者は一人一人焼香し、先人へ思いをはせた。ブラジル仏教婦人連盟会長・斉藤明子さんにより閉会の挨拶が行われ、今年の法要は終了した。
ニッケイ新聞 2009年6月19日付け ブラジル日系社会は六月十八日、日本移民百一周年となる「移民の日」を迎えた。今年も聖市内各所で恒例の慰霊行事が営まれ、出席者らは先人へ感謝の思いを捧げた。百周年を祝った一年が過ぎ、新たな世紀へと入ったコロニアの歴史。節目の一日の表情を伝える。 ■130人集い先駆者慰霊ミサ=過去と未来へ感謝と祈り 日本人ブラジル移民百一周年を迎え、六月十八日午前八時から「先駆者慰霊ミサ」(ブラジル日本文化福祉協会、日伯司牧協会共催)が、聖市ジョン・メンデス広場のサンゴンサーロ教会で厳かに執り行われた。「移民の日」最初の記念行事には、教会が埋まる約百三十人が参列し「ブラジルを作りこの地に眠った先人へ、またこれからの日系社会のために」(司祭)神に祈りを捧げた。◎   ◎連日の寒さが和らぎ穏やかな日差しに恵まれ、ロウレンソ主任司祭らによってミサが執り行われた。聖歌や祈りを交えながら、朗らかな雰囲気で進められた。マタイによる福音書六章七節から十五節までが福音朗読され、続いてアレシオ司祭は日本語で説教を行い、日本人の祈り深い心を例にあげ、祈ることの大事さを説いた。「共同祈願」では、出席した木多喜八郎文協会長、森口イナシオ援協会長、松尾治百周年協会執行委員長、丸橋次郎在聖首席領事らが、日系社会、日伯社会、また困難な状況にあるデカセギ、すべての青少年の安泰を祈った。「感謝の典礼」で参列者たちは「平和のあいさつ」として握手や抱擁をかわし、聖体拝領を受けてミサが終わった。参加者の中には老人の姿も多く、同教会に通い半世紀という錦田やす子さん(92、二世)は、「日系社会がこれからも大切にされていくように願いました」と杖をついて参加していた。ミサ終了後は、聖母婦人会(畑中アリセ会長)らによって用意されたカフェと軽食を囲んだ。同婦人会会員の中矢キサさん(88、福島)は、五十年近く、毎年慰霊ミサに参加している。「この日を忘れちゃいけない。子弟に日本文化や日本語を伝えていくのは難しいけれど、これからも繁栄していって欲しい」。文協会長として移民百一周年を迎えた木多さんは、ニッケイ新聞の取材に対して「初期移民がいなければ私たちは存在していないし、ブラジルも違った国になっているだろう」と先人らに感謝し、「百周年は全伯で祝賀され、日系への認識がさらに上がった。新文協会長として、これからもっと日本文化を広め、より多くの日系人を活動に取り込んでいきたい」と話していた。
ニッケイ新聞 2009年6月19日付け ブラジル日本都道府県人連合会(県連、与儀昭雄会長)は十八日午前十時半から、聖市イビラプエラ公園の開拓先没者慰霊碑前で、「ブラジル日本移民百一周年慰霊法要」を執り行った。県人会、日系団体代表ら約百人が列席した。法要はブラジル仏教連合会(采川道昭会長)が取り仕切った。はじめにあいさつした与儀会長は、「笠戸丸移民に始まり、幾多の苦労を経て、日系社会は今や六世の時代になりました」と先人へ報告し、「開拓者に感謝したい」と語った。着任後、移民の日行事に初めて出席した大部一秋在サンパウロ日本国総領事は、「百一年前に笠戸丸が到着し、サントスで歴史が開かれた。おかげさまで大先輩が築いた道の上を歩いています」と先人の功績を称えた。慰霊碑前には各県人会の先没者名を記した過去帳が並べられた。導師を務めた采川仏連会長は、「我々の命は先祖あってのもの。先亡開拓者への供養と感謝の気持ちを絶やさないことで恩に報いたい」と話した。読経が響く中、出席者が一人一人焼香をした。輝千代会会主で、在伯奈良県人会理事の池本輝千代さんは、百年祭で開拓者に捧げる盆踊りを指導したことを振り返り、「百年祭のことを思い出しました。五歳から九十二歳まで踊ってくれた。先祖やみなさんにありがとうと言いたい」と話していた。
ニッケイ新聞 2009年6月18日付け ブラジル岐阜県人会(山田彦次会長)は二十一日午前十一時から午後三時まで、同会館(ブエノ・デ・アンドラーデ街446)で恒例のやきそば大会を開催する。値段は十レアルで、持ち帰りも可能。同会では「好評で常連が毎回増えています。ご家族、お友達をさそってぜひご来場ください」と呼びかけている。