ニッケイ新聞 2009年6月18日付け 琉球民謡保存会ブラジル支部(仲村善正支部長)の創立十五周年記念式典が七日午後一時から、聖市の沖縄県人会館で開かれた。日本の同保存会本部から久高友吉会長など四人が祝福のため来伯。式典後は同支部の愛好者たちによる発表会が行なわれ、五百人以上の人たちで終日にぎわいを見せた。一九九四年に安慶名信夫、亀谷安男、照屋マリオ氏らが中心となって始まった琉球民謡保存会ブラジル支部。六十人ほどだった会員は現在二百人に増え、師範十一人、教師二十五人を数える。先亡者への黙祷に続きあいさつに立った仲村支部長は、後援した県人会、沖縄芸能八団体、支部創設者への感謝とともに、三線と民謡が世代を超えて伝わっていることに触れ、「私たち関係者にとって大きな喜び。今後の普及への励みと力になっている」と述べた。同支部からは創立以来、沖縄RBC放送の新春民謡紅白歌合戦にブラジル代表を派遣しており、その数は三十人に上る。崎間達雄実行委員長は、訪日した代表たちが「世代は代わっても勇気と感動を持ち帰っている」と語り、文化の継承・普及の大切さを強調した。与儀昭雄県人会長、仲村渠清徳・琉球民謡協会会長らも祝辞を述べた。式典にあたり、日本の本部から久高会長、島袋整孝理事、新垣美奈子事務局長、安谷屋志乃会計の四人が慶祝のため来伯。昨年の移民百周年祭典でも来伯した久高会長は、「多くの教師の努力と会員達の苦労があったからこそ。感激しています」と祝意を表わし、「第二の故郷で沖縄の文化が二世、三世、四世に受け継がれていることに感謝と敬意を表したい」と述べた。草創期からの関係者、歴代支部長や久高会長ら本部関係者に功労賞・感謝状を贈呈。仲村支部長から本人、故人の代理など一人一人に賞状が手渡され、会場から温かい拍手が送られた。式典後の発表会には同支部の愛好者をはじめ、友情出演の舞踊団体、久高会長ら本部関係者などのべ二百人以上が出演。独唱や合唱、舞踊など六時間にわたり二十七の演目が披露された。二世、三世の子供たちも多数出演。演目の中には、安慶名氏への顕彰を込めて、同氏が作詞作曲した民謡「イッペーの花」を地元カーザ・ヴェルデの会員が合唱する場面も。一世から三世、非日系のブラジル人などが順に演奏して十五年の歩みを表現する演出もあり、ブラジルの地で郷土の心を伝えてきた先人への顕彰と感謝の思いを感じさせた。支部創設に関わり、昨年三月に九十四歳で亡くなった照屋マリオさんへの功労賞は、息子のオズワルドさん(61)が代理で受けた。「父は沖縄の文化を大切にしていました」と振り返り、「家族としてとても誇りに思う」と語った。ブラジル最初の民謡団体となった「マウア民謡協会」を始めた親川世松さん(88)も、この日功労者表彰を受けた。始めた当時は子供が十四、五人だったという。「大人もいたけど続かなかったですね」。発表会でにぎわう会場で親川さんは、「ここまでなるとは思いませんでしたよ」と話していた。
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ニッケイ新聞 2009年6月18日付け ブラジル岩手県人会(千田曠暁会長)の創立五十周年記念DVD「いわて人(びと)の絆堅く」がこのほど完成した。昨年六月に、日本から達増拓也知事をはじめとして県庁・県議会・賛助会慶祝団、岩手郷土芸能団、盛岡山車推進会、ニューヨーク、アルゼンチン、パラグアイ県人会代表を迎え、盛大に祝した同県人会創立五十周年事業。文協大講堂に四百人以上が集まり盛大に開催された記念式典を皮切りに、記念祝賀会、郷土芸能祭り、リオデジャネイロの杉村公使墓碑整備披露ならびに墓参、海外県人会サミットの様子が、日本語のナレーション付きでまとめられた。九日午後、できたばかりのDVDを手に来社した千田会長は、「記念事業や公使の墓碑披露の様子を映像として残せたことは貴重。みなさん喜んでくれるでしょう」と話す。現在、昨年の知事一行来伯の際に渡した県人会の紹介DVDと同「~絆堅く」のほかに、二枚のDVD(「民謡編」、「県人パイオニアをたずねて」)を制作中。近日中に完成予定。「映像だと誰でも気軽に見れて雰囲気も分かる。岩手県人会の活動を広く見て欲しい」と千田会長。日本、アルゼンチン、パラグアイ、中国、北米の県人会にも送り、「世界中に発信して少しでも横の繋がりを保てたら」と期待を表わした。同DVDは、第一章パラグアイ編(約一時間)、第二章ブラジル編(約二時間)の二枚組みで三百五十枚を制作した。希望者には実費で販売する。問い合わせは同会事務局(電話11・3207・2383)まで。
ニッケイ新聞 2009年6月17日付け 今月二回目の青葉祭り(主催=青葉健康生活教会)が二十、二十一両日、宮城県人会館(ファグンデス街152)で開かれる。 食事処では定番のサンマ定食、イカポッポ焼き、イカ入りソースやきそばと、郷土料理百選選定委員会で宮城の郷土料理に選ばれた「はらこ飯」と「ずんだ餅」。 その他、ADESC(農協婦人部連合会)の手作り製品と産直の有機野菜販売。武道医術、家紋の展示販売、こけし販売なども通常通り行なわれる。 開催時間は両日とも午前七時から午後五時。食事処は午前十一時から午後三時。問い合わせは宮城県人会(11・3209・3265)まで。
ニッケイ新聞 2009年6月17日付け ブラジル福島県人会(小島友四郎会長)は短期研修生の募集を行っている。定員は六人。対象は十八歳から四十歳までの福島県人会員かその子弟で、日本に親戚がいることが条件。日本語は少々分れば良い。研修期間は来年一月末から二週間。希望者は七月三日までに同県人会事務所へ申込書を提出すること。面接は七月十一日午前十時から同会会館(Rua da Gloria,721)で行われる。問い合わせは同県人会(電話=11・3208・4899)まで。
《初の公使館跡も訪問》 『移民の原点、ブラジル日系社会のルーツを知る―』。岩手県人会(千田曠曉会長)は五月二十二日から三日間、ブラジルへの移民導入を唱えた杉村濬(すぎむら・ふかし)駐伯三代目日本公使の公使館跡見学と公使の墓碑参拝ツアーを行なった。【中村瞳記者】 《恒例の岩手県人会ツアー 旧公館建物は不動産屋が売出し中》 多田孝則マウロ副会長を団長とする県人会関係者と記者一行三十一人は、五月二十二日午後十時五十分、リオ・デ・ジャネイロ州に向けて聖市を出発。 バスの中で千田会長は、「楽しく、仲良く、お互い友達になりましょう。幅広い交流ができるようになれば」と親睦を深める旅行であることを強調した。その顔からは、墓碑改修事業や五十周年記念での慶祝団受け入れ等、緊張感の連続だった昨年の労をねぎらうような穏やかな表情が見て取れた。 途中で休憩を取り、五月二十三日午前五時五十分にリオ入り。アントニオ・カルロス・ジョビン国際空港で、鹿田明義リオ州日伯文化体育連盟理事長の出迎えを受けた。 朝食を済ませた一行は、日本公使館跡のあるペトロポリス市へと向かう。途中、キタンジンニャに立ち寄り、百本の桜の木が植えられている湖の周りを散策。肌寒い感覚が高地に来ていることを示していた。 午前十時、ペトロポリスで一行を出迎えたのは、同市在住の安見清さん(六九、茨城県出身)。 『リオデジャネイロ州日本移民百年史』編纂の際、「移民の父」と評される杉村公使の足跡を掲載する声が上がり、郷土史を研究している安見さんに白羽の矢が立った。 「外務省も知らないと言う。本当に大変だった」と、当時を振り返り、杉村公使が日本に送ったとされる絵葉書と、市立図書館に保管されていた文書等を頼りに、二年の歳月を費やして公使館跡地を探し出した。 海抜八百四十メートルのペトロポリスは、帝政時代の保養地で多くの国が公使館を設置しており、日本も一九一八年のリオ移転まで同地に開いていた。 案内された公使館跡は、細長い塔を持つ白いルーテル教会の横に建っていた。杉村公使が絵葉書に記した『白ク細ク高キ建物ハ隣家の独逸寺院ナリ』と一致する場所だった。 黄と白を基調とした建物は、広い食堂に、台所、浴室、便所、寝室などの部屋数も豊富で、一行からは感嘆の声が上がる。中には木のぬくもりを感じさせる大きな机に、「ここで執務していたんだな」と、故人に改めて思いを寄せる人たちもいた。 不動産屋によると、「一年半前から売りに出されているが、買い手はついていない」という状況の公使館跡。「何とか文化財として残していけないだろうか」。安見さんの言葉に頷く一同。移民の原点を目の当たりにして、熱い思いが込み上げてきた一行だった。(つづく) 写真:杉村公使の絵葉書(安見さん提供)、公使館跡前で笑顔の一行
岐阜県人会(山田彦次会長)恒例のやきそば大会が、二十一日午前十一時から午後三時まで同県人会館(聖市アクリマソン区ブエノ・デ・アンドラーデ街四四六番)で開催される。 一食十レアル。持ち帰りも可。県人会では「好評で常連が毎回増えているやきそば大会です。ご家族、お友達を誘ってお越しください」と来場を呼びかけている。詳細については、同県人会事務局(電話11・3209・8073)まで。
岩手県人会(千田曠曉会長)は五月三十一日、同県人会会館で『第二回わんこそば食べ放題』を行なった。二百人以上が訪れ、岩手県名物のわんこそばに箸が進んでいた。 調理場前の箱に食券を入れ、着席して待っていると、わんこそば、おにぎり、餃子、薬味や漬物を添えたフルコースが運ばれてくる。椀が空けば巡回している担当者が「おかわり」のそばを入れてくれるサービスっぷり。 百席近い食堂は、正午には満席となり、急遽、二十席ほど増設して対応したが、調理場はてんてこ舞いの忙しさ。「そば間に合ってないよー。おにぎりまだ。餃子は焼けてる」などの声がさかんに飛び交っていた。 婦人部四人を中心としたおにぎり班は、前日に作業要領などを打ち合わせ。米を五キロ買い足し、三台の炊飯器で十五キロを炊き上げた。そばは五十キロ、餃子は九百六十個という椀飯振舞となった。 『食べ放題』ということもあり、来場者の中には前日の夕食や朝食を抜いてくる人も。初めて訪れた三十代女性は、「ずっと続けて欲しいイベント」と、大満足の様子だった。 午後二時過ぎには、二分間で何杯食べられるかを競う、『わんこそば大会』も行なわれた。昨年の話を聞きつけてか、参加者の半数以上は二十代男性。 男性部門は、来伯して八か月、柔術を学んでいる長谷川嘉憲さん(三〇、神奈川県出身)が、予選で五十五杯、決勝で七十五杯と計百三十杯を平らげて優勝。充実した笑みを浮かべながらも、「しばらくわんこそばはいいかな」と、話していた。 女性部門は、四十二杯を記録した『かごしま実習生』の中村瞳さん(二九、鹿児島県出身)が、二位以下に十杯以上の大差をつけて勝利した。子ども部門は、予選で二十八杯、決勝で十八杯を記録してアラン桂一君(一一、四世)が昨年に続き連覇を成し遂げた。 千田会長は、若者が多く来場したことを喜び、「楽しんでもらえて話題になるのでは。皆さんありがとう」と挨拶し、締めくくった。 写真:チャンピオンの食べっぷりに、てんやわんやの千田会長
ニッケイ新聞 2009年6月13日付け 第五代岩手県人会長を務めた故村松吉次郎氏の長男、村松弘一氏(63、二世、緑の党=PV)が五月二十二日、イビウナ市長代理に就任した。現職のダルシイ・ペレイラ・レイテ市長が二十日に心不全のために入院したことを受けて、副市長だった弘一氏が市議会に任命された。岩手県人会の活動にも協力的な弘一氏。市長代理就任の知らせを聞いた千田曠暁県人会長は、「県人の活躍はとても嬉しく、ありがたいこと」と感想を述べた。年明けに元旦のあいさつとともに、副市長当選の祝辞を述べたばかりの千田会長だが、「彼はとても温厚で、誰とでも親しめる人柄。人望がある」と今後の活躍に期待を示す。弘一氏の市長代理就任期間は、法令に則り九十日間、またはダルシイ市長の医療休暇が適用される間。そのまま市長が辞職する可能性もあるとみられており、地元紙の「ダルシイ市長が退任する場合、弘一氏も一緒に辞職するという話が出ているが」との取材に対して弘一氏は、「初めて聞いた。話したこともないし根拠もない。今、イビウナ市を良くするために有能な人材を集めている」とコメントしている。
ニッケイ新聞 2009年6月13日付け 昨年創立五十五周年を祝ったブラジル京都会では、多彩な文化活動を実施するにあたり各種講座を開講する。今年会長に就任した中野義雄さんが五月二十八日、本紙を訪れ説明を行った。講座は全て中野会長が考えたものであり、新体制になり心機一転の意味合いも兼ねたという。現在、アクリル水彩画、化粧箱作成、楽器演奏、吹き矢、英語と日本語などの講座を開講する予定で、いずれも中野会長が主催。準備が整い次第開始する考えだ。中野会長は「興味のある人は日系人でもブラジル人でも誰でも来てください」と参加を呼びかけた。いずれの講座も同会事務所(Rua Primeiro de Janeiro,53 Vila Clementino)で実施予定。問い合わせは同会事務局(FAX=11・2594・8571またはメール=nakanoyoshionp@gmail.com)まで。
7月17日~19日聖市農務局イミグランテ展示場 七月十七日から同十九日まで聖市内にある農務省のイミグランテ展示場で開かれる第十二回フェスティバル・ド・ジャポンの会場でアマゾン移民八十周年を盛り上げるため、ブラジル日本文化福祉協会、サンパウロ総領事館のブースでサンパウロ新聞社が五月に文協貴賓室で展示したアマゾン移民写真展「アマゾンを拓いた日本人、日系人―『緑の地獄』を楽園に変えた歴史を辿る―」の写真が展示されることがこのほど決まった。すでに、写真の選択も進められており、サンパウロでもアマゾン移民八十周年の機運が盛り上がりそうだ。 高まる熱気『80周年記念』 会場で熱帯ジュース、ピメンタ販売も 文協は昨年、同会場でブラジル移民百周年にちなみ写真展を開催し好評だったため、アマゾン移民八十周年に協力する方向でアマゾン移民の写真展を開催したいという意向を示していた。そこに、トメアスー文化農業振興協会の海谷英雄会長から協力依頼が舞い込んだ。すでに、トメアスーはフェスティバル・ド・ジャポン会場で熱帯ジュースやピメンタ・ド・レイノの販売を決めていることから、文協、サンパウロ新聞社に協力依頼してきたもので、文協が会場を提供し、本紙が写真を提供することで話がまとまった。トメアスー文協は、アマゾン移民が始まったのはトメアスーなのでトメアスーだけの写真を使ってほしいという意向から、本紙ではトメアスーの移民史料館から複写した写真及び今年、本紙記者が取材したトメアスーの近景が会場を飾る。 また、トメアスー文協では、写真とともにトメアスー移民史料館に展示している移民史料の出展も予定している。 文協の桂川富夫第三副会長は、「先日、海谷会長がサンパウロに来られたときに文協でお手伝いできることがあれば協力します、と申し出ていたこともあり、積極的に応援します」と準備に余念がない。桂川副会長から写真提供の依頼を受けた本紙では、約四十枚のトメアスーの写真の提供を決めており、どの写真を使うのか、トメアスー関係者と打ち合わせを行っている。 一方、同フェスティバルに毎年出展しているサンパウロ総領事館もアマゾン移民八十周年を盛り上げたいと本紙のアマゾン移民写真展に使用した写真の展示を打診してきた。同フェスティバルの今年のテーマは環境保護年にちなみ「環境保護」。サンパウロ総領事館はJICAと協力し、環境保護とアグロフォレストリーを取り上げたいとしており、アグロフォレストリーを提唱しているのがトメアスーなどの日系農業者が主体になっていることからアマゾンの日本人移民に焦点を当てることに決まったという。 同総領事館では、文協がトメアスーを紹介することからベレンやサンタレン、マナウス、ボアビスタなどアマゾン各地で活躍する日本人や日系人の近況及び移住当初の写真など約四十枚を展示する予定。同総領事館の武田幸子文化担当副領事は、「アグロフォレストリーだけではなく、アマゾン移住八十年がわかるような展示にしたい」と写真を選び終えた。 九月に移民八十年祭記念式典を開催するトメアスー、ベレン、マナウスでは準備に余念がないが、サンパウロでもこれまでになかったような協力体制を敷いており、アマゾン移民発十周年が周知されることになる。
百一年目の「移民の日」を迎えるにあたり、十八日、今年も聖市各所で慰霊法要とミサが行なわれる。 当日午前九時から、先駆者慰霊ミサがジョンメンデス広場のサンゴンサーロ教会で執り行われる。 午前十時半から、イビラプエラ公園内の開拓先没者慰霊碑前で、ブラジル日本都道府県人会連合会主催による仏式法要を実施。当日午前九時半に文協ビル前(サンジョアキン街381)からバスが出る。 その後、午後一時から文協大講堂で開拓先亡者追悼大法要が営まれる。文協、県連、ブラジル仏教連合会、釈尊讃仰会、仏教婦人連盟が共催する。 詳細は文協(11・3208・1755)または県連(11・3277・8569)まで。
ニッケイ新聞 2009年6月11日付け 鳥取熟年大学は十七日午後一時からブラジル鳥取交流センター(ドナ・セザリア・ファグンデス街323)で六月の例会を開く。今回は老ク連のJICAシニアボランティア、貞弘昌理さんが講演する。参加費七レアル。一般の参加聴講を歓迎している。
ニッケイ新聞 2009年6月10日付け 一九六〇~七〇年代に土地取得などのためブラジルに帰化した移住者の日本国籍復活運動が、再び活発化しつつある。県連顧問の羽田宗義さんを代表とする運動推進委員会が〇六年に活動を始めた後、一時停滞していたが、昨年終わりごろから国政関係者に要望を行なうなど新たな展開を見せ始めている。 日本国籍復活運動は羽田代表と獣医の井料堅治さん、ブラスビア旅行社社長の石井久順さんらを発起人として〇六年から始まり、署名活動を展開。〇七年にはそれまでに集まった約二千の署名簿を在聖総領事館を通じ扇千景参議院議長(当時)へ送った。それ以後、目立った動きはなかったが、「まだ続いていることを知ってほしい」と石井さんは話す。同委員会では、石井さんが昨年十二月に訪日した際、同郷の町村信孝元官房長官に同件について要望。さらに井料さんの従兄弟である小泉純一郎元首相や、日伯国会議員連盟会長の麻生太郎首相にも要望を行なっていく考えだ。今年五月には石井さんから町村議員に文書で重ねて要請している。日本人移住者の帰化は、農地を購入する際にブラジル国籍が必要だったことから、当時の農協中央会などにより進められたもの。企業でも社員の三分の一がブラジル人でなければいけなかったことから、進出企業関係者で帰化した人もいるという。石井さんのところにはこれまでに約千八百人から連絡があり、中にはマット・グロッソやアマゾナスからもあるという。「『日本のパスポートで一度帰りたい』という声を聞く」と関係者の心情を代弁する。さらに国籍復活が実現すれば、「次の衆議院議員選挙で在外投票を行なうことが可能になる」とも話す。石井さんの推測によれば、日本人移住者の帰化人は「ブラジル全体で二万人はいるのではないか」という。「この機会により正確な調査ができたら」と話し、関係者の連絡を呼びかけている。詳細は石井さん(電話=11・5573・6262または9992・8474、メール=ishii.brazil@gmail.com)まで。
井戸知事ら日伯有志出席して披露式 【東京支社】移民の四割を送り出した神戸移住センターが再整備され、三日、「海外移住と文化の交流センター」(神戸市中央区)として生まれ変わり、そのお披露目が行われた。神戸市では、一九二八年に設置された神戸移住センターの建物を「国内に現存する唯一の移住関連施設」だとして、兵庫県、日伯協会、経済界とともに同建物の保存運動を行い、国土交通省の支援を受け整備工事を行っていた。このほど整備工事が終了し、お披露目の日を迎えた。 移住資料展示室も常設 寄付者氏名の刻字プレートも この日のお披露目では、最初に記念式典が行われ、式典に招待されたブラジル日本都道府県人会連合会(県連)、ブラジル日本文化福祉協会(文協)、ブラジル兵庫県人会など在ブラジル団体の関係者ら移住関係者百五十人が出席した。席上、井戸敏三兵庫県知事、植中進神戸市会議長とともにブラジル側を代表し園田昭憲県連副会長が「移民二百年のスタートの年に開館したことは大変意義深い」と祝辞を述べた。 県連はブラジル国内で同建物整備のために寄付金六万七千レアルを集め海外日系人会館協力委員会に贈っていたが、式典で海外日系人会館協力委員会、西村正委員長(日伯協会理事長)がブラジル側と日本側で集められた合計一千万円の寄付金目録を矢田立郎神戸市長に贈った。 「海外移住と文化の交流センター」に生まれ変わった旧神戸移住センターは、建物はそのままに内外がきれいに清掃整備され、出席者たちは一様に「きれいになった」と喜んでいた。一階の入り口奥には県連が贈った二百六十キロを超える大きな紫水晶が飾られ、日本からの出席者はその見事さに感嘆の声を上げていた。 館内の移住関係資料展示室では、昭和初期の神戸の街並みを、地図・写真・絵葉書で再現してあるほか、移住者が渡航時に持参した荷物や、移住先国で使用した道具類の実物展示、また移民たちが出発前に寝泊まりした室内も再現展示されており、懐かしそうに見入る人もいた。 二階には整備のために寄付した人の名前を刻んだプレートが貼られ、出席者たちは、プレートに刻まれた自分の名前を確認していた。会館には新しくエレベータが取り付けられ、昇降が楽になり、お年寄りでも楽に見学できるようになった。これから神戸移住センターは、移住資料の展示や国際交流の殿堂として活用され、第二の人生を過ごすことになる。 海外移住と文化交流センター歴史 昭和三年(一九二八年)国立移民収容所として開設(後の神戸移住センターの誕生) 昭和七年(一九三二年)神戸移住教養所と改称 昭和十六年(一九四一年)神戸移住教養所を戦時閉鎖 ※戦時中は短期高等海員養成所などとしても使用された。 昭和二十七年(一九五二年)神戸移住斡旋所と改称して再開 昭和三十九年(一九六四年)神戸移住センターと改称 昭和四十六年(一九七一年)神戸移住センター閉鎖、土地・建物を神戸市が買い取る。 昭和四十七年(一九七二年)神戸市立高等看護学院開校...
北海道祭り名物の焼きニシン。昨年売れ残った教訓からか、今年は百尾少ない四百尾を仕入れた。予想を超える人気ぶりで、前売り券を買いながら食べられなかった人もいたよう。海老、イカ、タコなどが入った北海チラシは、昨年より百個多い三百三十個を完売した。かつて、産卵のために北海道に押し寄せたニシンは別名、春告魚(はるつげうお)ともいうが、サンパウロの寒い冬はまだ続きそうだ。
【神戸新聞】「旧神戸移住センター」(神戸市中央区山本通3)を改築した「神戸市立海外移住と文化の交流センター」の開設記念式典があった三日、移住者らが駆け付け、ブラジルなど中南米に船出したころを懐かしんだ。 「当時のつらかったことを思い出す」 同区熊内町一の井上克さん(89)は涙を流しながら、センター玄関の円柱を触った。七十七年前、期待に胸をふくらませてやって来た時も、「立派な建物だなあ」と触った円柱だ。 岡山県出身で、一九三二(昭和七)年、姉の家族ら六人が移住することになり、「ブラジルに行ってみたい」と決意。十三歳だった。センターに約一週間滞在し、移民船で五十六日かけてブラジルに渡った。しかし、たどり着いたのは荒れ地。義兄は移住のための借金を抱えており、生活は困窮の極みだった。「毎日泣きながら、かまぼこを作って売り歩いた」と振り返る。 その後、綿の栽培で成功。一九四六年ごろからは雑貨店を営んでいたが、一九五六年、「母が元気なうちにもう一度会いたい」と帰国した。貿易の仕事をしようと神戸に移り住み、建築会社を営んだ。 懐かしそうにセンターを見学した井上さん。「一人でも多くの人が訪れ、移住者たちの流した涙や汗、苦労を知ってほしい」と話した。 また、サンパウロから駆け付けたブラジル兵庫県人会の尾西貞夫会長(66)は「センターが、日本にいるブラジル人の交流の場になればうれしい」と期待を寄せた。(河尻 悟)
熊本県人会(小山田祥雄会長)は十四日午前十時から、同県人会会館(聖市ビラ・マリアナ区ギマランエス・パッソス通り一四二番)で先亡者追悼供養を仏式で行なう。 参加者は、位牌を持参して出席のこと。 また、同県人会では八月二日午前九時から、熊本県人会芸能祭を行なう。 「日ごろの腕前を披露する機会」と、各支部からの出演を呼びかけている。 申込みは、同県人会事務局(電話11・5084・1338)まで。
ニッケイ新聞 2009年6月9日付け ブラジル北海道協会(木下利雄会長)主催の「第十四回北海道まつり」が、五月三十一日午前十一時から北海道交流センターで盛大に開催された。当日は一階大ホールに机と百八十席分の椅子が並べられ、来場者はニシンの他、焼きイカやハマナス会(婦人部)が作る北海ちらしなど北海道の味に舌鼓。その他、手巻き寿司やいちご大福、あんみつ、ヤクルト林檎、どら焼きなどが販売された。約六百人(主催者発表)が訪れ、家族連れも多く大変な賑わいをみせていた。祭りの名物は北海道から取り寄せた「焼きニシン」。炭火焼きの香ばしいにおいが会場に立ち込める。十一時の開始直後から長い列が出来、午後一時過ぎの完売の時点まで客足が途絶える事はなかった。四百尾のニシンは北海道協会の「おやじ会」(壮年部)と「ひぐま会」(青年部)の面々が煙に燻されながら、一尾三百グラムのニシンを炭火を使い、焦げ目がつくまで丁寧に焼く姿がみられた。ニシンを食べた有村ノリアキさん(45、三世)は「川魚とは違う味で、大きくて美味しかった」と感想を語った。マスクをしながら煙と奮戦していた北野春男さん(40、四世)は「卵も入っているし、中まで火を通すのが難しい」と話す。自らも会場の中を足早に動き回っていた木下会長は「焼きニシンは八~九年前から始めた。率先して若い人に焼かせているが、回を重ねる毎に焼き方も上手になっている」と語った。会場ではビンゴ大会やYOSAKOIソーランも披露され盛り上がりをみせた。祭りの進行を務めたひぐま会会長の藤田高史エリオさん(29、二世)は「北海道の文化を大きくし、残していきたい一心で準備してきました。思いは二世も三世も四世も一緒」と語った。木下会長は「今年も大勢の人が来てくれた。若い人が百人位手伝ってくれて成功できた。ありがたい」と語った。同会にとって今年は北海道人移住九十周年、協会創立七十周年、会館落成十周年の節目。八月三十日の記念式典に向け弾みのついた格好で祭りを締めくくった。
ニッケイ新聞 2009年6月5日付け ブラジル日本都道府県人会連合会(県連)が主催、七月十七日から開催される第十二回日本祭(フェスティバル・ド・ジャポン)。今年「環境」をテーマに開催されるのにあわせ、移民百周年を記念した植樹活動を進めるブラジル・ニッポン移住者協会と協力して「県連の森」作りに取組むことを決めた。「世界環境デー」を翌日に控えた四日、関係者に話を聞いた。来社したのは、県連の与儀昭雄会長、移住者協会の小山昭朗会長、松井英俊さん、河村武夫さんと、同協会と植樹活動を行なうオイスカ・ブラジルの花田ルイス副会長。百周年を記念して〇七年十月から始まった「21世紀の森」作り全伯植樹キャンペーン。全伯で多くの日系団体が参加しており、聖州立公園内に「日伯・友情の森」を設立。昨年六回の植樹事業など、今まで三万本ほどを植えたという。今回は、フェスティバル・ド・ジャポン開催を機に県連と同協会が協力して千本の植樹をする。「ブラジル県連の森」と名付けられ、「日伯・友情の森」内に作られる。植樹はフェスティバル終了後の予定。また、今年のフェスティバルでは移住者協会と県連、聖州・市政府、環境局、CESPが協力して環境に関する取り組みを紹介するテントを設置。環境に関するスライド上映や、パンフレット配布などの広報活動を行う。さらに、(社)国土緑化推進機構の協力を得て、二十万本の緑の羽根募金活動を同ブースで実施する。この活動では一本一レアルの募金を呼びかけている。今回のフェスティバルではゴミ処理にも力を入れており、県連ではJICAや姉妹都市提携で大阪市から技術を学んだ聖市の協力を得て、ゴミの仕分けを実施する計画だ。与儀会長は「フェスティバルを催すだけでも、二酸化炭素が発生し環境破壊に繋がる。県単位でゴミの整理やリサイクルをしていき、県連としても積極的に関わっていきたい」と語った。
ニッケイ新聞 2009年6月4日付け ブラジル熊本県文化交流協会(小山田祥雄会長)は十八日の「移民の日」に先立ち、十四日午前十時から同会館(ギマランエス・パッソス街142)で恒例の先亡者追悼法要を営む。同法要は二〇〇三年に始まり、現在まで続けられているもの。例年百人ほどが訪れるという。案内のため来社した小山田会長は、「先人の苦労を忘れないためにも、先祖の供養は続けていかないといけない」と話し、参加を呼びかけた。法要は仏式。同会では位牌を持参するよう呼びかけている。問い合わせは同会(11・5084・1338)まで。
