08/03/2026

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ニッケイ新聞 2013年11月9日  公益財団法人・海外日系人協会(田中克之理事長)による「第54回海外日系人大会」が先月29日から3日間、東京都の憲政記念館などで開催された。24カ国・地域から179人が出席し、「多極化時代に生きる日系社会と日本―持続的成長に向けた連携」をテーマに議論をかわした。ブラジルからは園田昭憲(県連会長)、松尾治(文協副会長)、下本八郎(文協高等審議会会長)二宮正人(国外就労者情報援護センター理事長)、矢野敬崇(汎米日系人協会ブラジル支部長)さんらが参加、ブラジルの実情を発信すると共に、日本や他国の関係者らと交流を深めた。  居住国の実情を認識しあい、国際交流や世界の対日理解の促進を図るため、毎年開催されている。JICA四ヶ谷ビルで開かれた代表者会議では、ベネッセコーポレーション社長の森本昌義氏らが「グローバル人材としての日系人の可能性」など様々なテーマでシンポジウムを実施。 午後は「海外日系社会と日本」「在日日系人」「日系ユース」の3分科会にわかれて討議が行なわれ、「日本祭りなど、海外の日系イベントへの地方自治体の積極的な参加を推進する」ことなど8項目が決まった。その中で、日本政府に対して「国籍喪失規定をなくし、重国籍を認め」、「一世の『里帰り事業』を継続」し、「在日日系第二世代の健全な社会進出への道筋をつける支援施策の実施」を求めることが決まった。 留学生や研修生らが参加した日系ユース分科会では、「日本文化をより深く体験し、将来の日本との交流の最前線に立ち、人的ネットワークの先端を担う」ことで意見が一致した。 大会初日は、今年の県連日本祭りに関する特別上映や、ドキュメンタリー映画『442日系部隊・アメリカ史上最強の陸軍』を手がけたすずきじゅんいち監督や園田県連会長による講演会も開かれた。 同日行なわれた山田啓二会長(全国知事会会長=京都府知事)主催による歓迎交流会には、秋篠宮同妃両殿下も御臨席された。 3日目は第10回海外文芸祭授賞式と、ブラジル人学校「インスチトゥト・エドゥカーレ」(茨城県つくば市)の生徒による「日系人こども発表会」が行われ、今年の決議事項が「大会宣言」として発表された。その後、衆参両議院議長主催による昼食会が開かれた。
ニッケイ新聞 2013年11月7日  むっとする熱気のなか、冷房の効いた韓国製のバスに乗る。涼しいが空調がうるさい。視覚に集中し、車窓から市内を眺める。ブラジルと似ており、看板などの西語をポ語に変えれば見分けがつかないだろう。 すると、ガイドの内藤さんが「もうすぐホテルに着きます…ちなみに右側に見えるのはトルヒーリョ大統領の妾の家でした」とアナウンス。いいなあ、その情報。ちなみに内藤さん作成の旅のしおりの注意書きにもシビれた。「ホテルロビーでのステテコだけは止めてください」。内藤さんからは以後、上下前後のドミニカ事情を聞くことになる。  まもなくボゴタ経由の50余名も到着したが、12人分の荷物が届かなかったという。「ブラジル日系文学」の編集長中田みちよさん(72、青森)もその一人。「困りますねえ」と声をかけると「よくあるわよ~」と事もなげだ。この動じなさ、腰の座り。記者が好きな移民女性の良質だ。ぜひとも最近の日本女性も見習ってほしい。  チェックインを終えロビーにいるわが一行が俄かにざわついた。聞けば、エレベーターのなかで二人がスリに遭ったという。無理やり乗り込んできた中年女性が犯人のようだ。部屋のカードを通されなければ動かないエレベーターの防犯対策、意味なしである。ドミニカ、気が抜けない。  加えてボゴタ便は乗り換え時間が昼時だったようで、機内食が出なかったとか。「今日始めてのまともな食事よ~」と移動で終わった一日を取り返すかのような勢いでサラダを頬張るテーブル向かいに座った女性。どこかで見たことあるなあと思案していたら、自己紹介でリベルダーデの日本食レストラン「千代」の女将、大村順子さん(63、鹿児島)だった。ブラジル転住組の一人。 「記者失格ねえ~」という同席女性の厳しい指摘を苦笑いでかわしていると、テーブルに妹のツヤ子さん(61、同)と夫の広光正照さん(73、高知)が現れ、笑顔で抱擁。ツヤ子さんがブラジルを訪れたことはあるが、順子さんのドミニカ訪問は初めて。姉妹は20年の空白を埋めるかのようにその夜語り合ったという。  翌朝のロビーで「俺もドミニカに来る予定だったんだよ」。セラードのコーヒー農園で有名な下坂匡さん(76、福島)が振り返る。 「条件がいいだけに選考が厳しくてね。ずっと待っているうちに、ブラジル行きが決まったってわけだ。結果的にはブラジルで良かったんだろうね…だからずっとドミニカは来てみたかったんだよ」と話す。  「ずっと研修生がいたでしょ。夫婦で旅行なんて出来なかったですよ」と嬉しそうに笑う妻ヴィトリアさん(70、二世)と参加した。 「30万本コーヒー植えてっていう田畑初さん(第2回)に会いたかったけど今回は難しそうだね」と、市内観光へのバスに乗り込んだ。 ■  さて、ドミニカ移民計画に動きのなかで、ブラジルに縁の深い人物が登場する。1931~37年に高拓生をアマゾンに送り込んだ上塚司だ。 1954年、サンパウロ400周年記念祭に参加した使節団の一員だった上塚は、日本への帰途、ドミニカに立ち寄りトルヒーリョ大統領から日本移民受け入れの申し出を受ける。アマゾン理想郷づくりに頓挫した上塚だけに、岡崎勝男外務大臣にロマン織り交ぜ報告したことだろう。 写真=順子さん(左)とツヤ子さん この連載はこちらでご覧になれます。http://www.nikkeyshimbun.com.br/2013/2013rensai-horie1.html
 一行計76人のうち13人の小グループとして旅程を組まれた記者たち一行は、サンパウロ市リベルダーデ広場を、まだ夜の帳(とばり)が下りたままの10月17日午前3時30分に専用マイクロバスでグアルーリョス空港に向けて出発。  記者に続いて広場に集まって来ていた砂原朝子(ともこ)さん(75、北海道)は、サンパウロ市内で小間物屋を数軒持っている。2年前に亡くなった主人はふるさと巡り旅行に気が進まなかったというが、「これから、あちらこちら行きたいと思います」と砂原さん自身は意欲的だ。  グアルーリョス空港では、コロンビアのボゴタ市を経由していく63人の大型グループと、ペルーのリマ市を経由する13人の小グループに分かれて搭乗した。小グループのガイドは、ふるさと巡り第27回から連続で請け負っているという日系2世の中西惠子さんが担当。空港には旅行の手配を行ったグローバル・ツーリズモの渥美誠社長も早朝から見送りに来ている中、団長の本橋幹久氏が出発のあいさつを行った。  我々小グループは大型グループより約1時間早く、現地時間の午後4時にドミニカ共和国の首都サント・ドミンゴ市にあるラス・アメリカス国際空港に到着。サンパウロからはトランジットを含めて約10時間の旅だ。  出迎えてくれた今回のドミニカ国内での世話役を務めてくれる内藤益宏さん(69、東京)は、過酷だった移住地アグアネグラに1958年5月に入植 した一人。現在はサンパウロ州イノーポリスに在住している小グループ搭乗者で、同じアグアネグラ入植者だった南沢法子(のりこ)さん(70、福岡)の第一 声を聞いて本人だと分かったとし、50年ぶりの再会を果たした。  2人の話によると、ドミニカ南西部でハイチ国境近くのアグアネグ ラには、58年5月と6月に第1次、第2次に分かれて計46家族が入植したという。標高約800メートルの同地は、1家族につき12町歩(ヘクタール)の 土地が支給されるはずだったが、「実際の土地面積は(12町歩の)2割あるかないかといった程度で、岩だらけの最低の土地に日本で聞いてきたコーヒーの木 はどこにあるのか探すくらい長い間放棄された場所でした」と南沢さんは当時を振り返る。  その後ブラジルに再移住し、バイア州の JK(ジョタカ)移住地、リオ州カボフリオ市などを経て現在のペナーポリスに在住して22年になるという南沢さんは、「今回ドミニカに行くと聞いて、どう しても参加したかった」と、ふるさと巡り旅行に初参加した目的を説明してくれた。  一方、中学2年を中退して家族とともにドミニカ に来たという内藤さんは、コーヒーやうずら豆(アビチェラ)の生産など親の手伝いをしながら日本海外協会連合会(海協連、現・JICA)の通訳官に週3回 スペイン語の指導を受け、同地で1年間を過ごした。その後、鉱山探査を行う日本企業勤務を経て日本大使館の職員として33年間にわたって働き、2005年...
 島根県人会(足立操会長)は、10日午前10時から午後5時までサンパウロ(聖)市プラッサ・ダ・アルボレ区の同県人会館(Rua das Rosas, 86)で第9回慈善バザー(カリオ美晴実行委員長)を開催する。  手芸・工芸品を中心に販売するバザリスタ30店が出店するほか、婦人部手作りの弁当、巻きずし、しいたけご飯、漬物などが販売される。なお、バザリスタの売上金のうち15%と婦人部の売上金全額は児童福祉施設のGirassolに希望の支援物資として寄付される。  案内のため足立会長、実行委員会の村上アンドレ氏、浜野稔氏、浜野ビウマ氏、村上リジア氏が来社し、「500人くらいの来場を見込んでいる。ナタル(クリスマス)のプレゼント探しにぜひおいでください」と来場を呼び掛けた。問い合わせは同県人会(電話11・5071・0082)まで。 2013年11月8日付
9日(土曜日)◎松柏・大志万学園の文化祭は、午前8時からサンパウロ(聖)市ビラ・マリアーナ区の同学園(Rua Ferdinando Galiani, 80)で。◎コクエラ日本人会の第23回ふるさと祭りは、午前10時からモジ・ダス・クルーゼス市の同会館敷地内(Est. Mogi-Sale sopolis, km 9,5)で。10日も。◎押し花アートの第7回展覧会は、午前10時から聖市リベルダーデ区のノッサ・セニョーラ・ド・リバノ教会貴賓室(Rua Tamandar・ 355)で。10日も。◎「生命之光」上映会は、午後2時から聖市リベルダーデ区の文協ビル1階13号会議室(Rua S縊 Joaquim, 381)で 10日(日曜日)◎援協福祉部主催の第46回お見合い会は、午前9時から聖市リベルダーデ区援協ビル5階の神内ホール(Rua Fagun des, 121)で。◎「第19回全伯日本語スピーチコンテスト」は、午前9時から正午までパラナ州ロンドリーナ市のパラナ日伯文化連合会講堂(Rua...
裁判問題で意見の対立続く状態に  1988年の移民80周年を記念して実施され、今年で25周年第40回の節目を迎えた県連(園田昭憲会長)主催の移民のふるさと巡り旅行が10月17~23日の日程で行われ、当初の予定より16人多い計76人が参加した。今回一行は、ドミニカ共和国のサント・ドミンゴ市をはじめ、ハラバコア、コンスタンサの両日本人移住地を訪問。「カリブの楽園」と言われながら当初の募集要項とは全く違う土地に入植させられ、日本政府を相手に裁判問題にまで発展した同地の日本人入植者たちの思いと、再移住先としてブラジルに渡った参加者との再会の様子を体感する旅でもあった。同行した旅行の模様をリポートする。(松本浩治記者)  資料によると、ドミニカ共和国への日本人移民は1956~59年、鹿児島県出身者を中心に249家族1319人が入植。同国に八つある移住地に送られたが、特にひどかったのは、ハイチ国境地域にあるダハボン、ネイバ、アグアネグラ、ドベルヘなど。日本政府の募集要項には、300タレア(18ヘクタール)の土地を無償譲渡し、耕作に適した土地であることがうたわれていた。しかし、実際に入植した土地は場所によって塩害がひどく、岩だらけの荒地でとても農業が可能な状態ではなかったという。  また、慢性的な水不足に悩まされ、ドミニカ政府が土地の所有権も認めていないことが後に発覚。当初、日本政府は戦後中国大陸などから引き揚げてきた日本人の海外渡航を奨励しており、ドミニカの塩害状況等を当時の駐ドミニカ日本大使が知っていたにもかかわらず、その内容を伏せるように指示。ドミニカ側が灌漑(かんがい)設備が整っていないことなどを理由に日本移民の受け入れに懸念を表していたが、日本政府は移民を同国に送りこんだ事実がある。  61年には日本政府もドミニカへの移民送り出しの失敗を認めて集団帰国を実施し、日本への帰国をはじめ、ブラジル、アルゼンチン、ボリビアなどに再移住する人が8割を占めた。しかし、古里の土地を処分してきた移民たちにとってはドミニカにとどまらざるを得ず、47家族276人が同国に残留した。  98年には日本政府の譲歩により、ドミニカ国内の新しい土地への提供が決まったが、粘土質の土地はやはり作物に適さず、移民たちは2度にわたって日本政府にだまされたことに猛反発。2000年7月、移民の一部が日本政府を相手取って損害賠償を請求する裁判を起こした。  6年にわたって続けられた裁判は06年、日本政府が法的責任を全面的に認めたものの、損害賠償については時効を理由に棄却される判決が言い渡された。  判決を不服とする移民たち(原告)は控訴したが、当時の首相だった小泉純一郎氏が原告への謝罪の意を伝えるとともに、ドミニカ在住の原告に1人200万円を支給する和解案を提示。移民たちは協議の結果、6対4の賛成多数で和解することになった。裁判を巡って、ドミニカに住む移民たちは意見の違いから賛成派と反対派の二つに割れ、現在も水面下では意見の対立が続いている状態だ。  今回、初めてドミニカ共和国を訪問したふるさと巡り一行の足跡をたどる。(つづく) 2013年11月7日付
 岐阜県人会(山田彦次会長)は5~13日、サンパウロ(聖)市ベラ・ビスタ区の在サンパウロ総領事館多目的ホール(Av. Paulista, 854 3ander)で「第9回日伯友情交流絵画展」を開催している。同展は同県人ブラジル移住100周年、県人会創立75周年という節目の年を締めくくる記念事業でもある。  開催に先立ち4日午後5時半から同会場でオープニング式典が開かれ、福嶌教輝在聖総領事、小田エルザ文協美術委員長をはじめ、同展に出展した画家など約50人が訪れて軽食を取りながら歓談を楽しみ、芸術の話に花を咲かせた。  あいさつの中で山田会長は「9回にもわたって同展を開催できたのは総領事館のお陰」と感謝を示した上で、「絵画を通じて日本人、日系人、ブラジル人の友好親善に貢献したい」と開催意義を語った。  同展に2作品を出展した柴田イネスさん(80、2世)はアマゾンの森の奥の景色を油絵で表現し、「皆さんに見てもらい日の目を見ることができて、作品自身も喜んでいるはず」と感激の様子だった。  なお、同展には23人のアーティストによる45点の作品が展示されている。  開場時間は午前10時から午後5時までで、土日は休館。入場無料。問い合わせは同県人会(電話11・3209・8073)まで。 2013年11月7日付
ニッケイ新聞 2013年11月6日  島根県人会(足立操会長)は「第9回島根慈善バザー」を10日午前10時から、同県人会会館(Rua da Rosas, 86, Praca da Arvore)で開く。入場無料。  日系・非日系を問わず福祉団体支援を目的に婦人部が企画。食料品、車椅子、介護用ベッド、テレビ、パソコンなどを購入、寄贈している。  アクセサリー、刺繍、パッチワーク、陶器など、同県人会がセレクションした30店が手芸品の販売を行う。婦人部やボランティア手製の弁当、菓子なども販売。  案内のため来社した足立会長、村上アンドレ光明副会長、浜野稔理事らが来場を呼びかけた。 問い合わせは同県人会(11・5071・0082)まで。
ニッケイ新聞 2013年11月6日  新しい国に入ったさいの記者の習いは現地ビールを飲むこと。入国審査で感じることの多い悪印象と先入観をまずは洗い流し、今後の期待感を高揚させるのが目的だ。  70ドミニカ・ペソ、4レアルほどだろうか。空港でこれだと一般価格は…早くも入国即ビールの効果あり。ラベルには「プレジデンテ」とある。今回の旅行中、連呼に近いほど使ったが、移住者からよく聞いた言葉でもある。「大統領が61年に暗殺されてから運命が変わった」と。  トルヒーリョ大統領は親日家だった。日露戦争に勝利した年に生まれた娘にハポネッサ(日本人)とつけるほどで、55年にドミニカを訪問したニクソン米国副大統領から、日本移民の優秀さを聞かされたことで、さらに積極的となったとされる。  大手メディアが「カリブ海の楽園」「ほくほくの条件で」と煽り立てた募集要項には、300タレア(18町歩)を無償譲渡とあった。しかしドミニカのコロニア法では「10年耕作後」という一項があり、自由作付けは1割、収穫が見込めなくても草をはやすと「没収」。加えて、「300タレアまでの土地」の〃まで〃が翻訳されず、送り出しに不都合な部分は全く移民に知らされなかった。  そのうえ、独裁政権に召し上げられた格好の土地だったため、大統領暗殺後、地元住民の反日感情が高まり、収穫間近となった畑に牛馬を放されたり、勝手に家を建て始めたりしたことが、前年からの帰国運動に拍車をかけた。  首都も移民の着いた当時は「シウダー・トルヒーリョ」だったのが、暗殺後は元のサントドミンゴに戻されているほど。そんな政情に翻弄された移民らの悲劇を思うと、このビールも苦いものになる。  「あー声で分かりましたよ。昔の面影がありますね」。出迎えに来たガイドの内藤益宏さん(69、東京)と、参加者の南澤(旧姓帆士)法子さん(70、福岡)が笑顔を見せている。  二人がいた国境近くのアグア・ネグラ移住地は、サントドミンゴ港から軍用船でカーボ・ロッホに行き、石灰岩の崖のような悪路を上っていった。むき出しの岩盤がトラックの底にぶつかる。日本でコーヒー園と聞いてきたが一本もなく鼻のつくような急勾配が〃畑〃だった。  当時、大使館などに陳情にいくため家長会議が頻繁に開かれた。「父が家にいないから母が大変な思いをしましたよね」と話す南澤さん一家は62年、ブラジルのJK植民地へ転住。内藤一家も翌年、現在住む海岸の町に移った。  アグア・ネグラにはただ一人、田畑初さん(93、鹿児島)が残っている。実は南澤さん、10年前に訪問している。「奥さんは亡くなったようですが、お元気そうでしたよ。ハイチ人を使って石灰岩の崖のところどころある土にコーヒーを植えて。広い土地でね。残って良かったんじゃないでしょうか」  大使館の現地職員を72年から33年間勤め、訴訟には反対の立場だったという内藤さんは「田畑さんがまだ頑張っている。一人でもそういう人がいるのに、全員が失敗したように言うのは疑問がある」と話す。  田畑氏は現在2000タレアの土地を所有し、「現地人が暮らしているのだから、我々が生きていけないはずがない」と今も畑に向かう日々を送る。改めて二人に、アグア・ネグラの土地の感想を聞くと声を揃え、「最低でした」。(堀江剛史記者) ■  会うことは出来なかったが、田畑さんの言葉からは〃移住〃ということを考えさせられる。「国援法で日本へ帰りたくはなかったとたい。わしは長男だし、両親、弟を呼ぶつもりでここに来たとたい…」(―楽園、87年)、「我々が当地に残留した選択は正しかった」(ドミニカ日本人残留移民の証言、06年、北欧商事出版)。 写真=南澤さんと内藤さん。サントドミンゴ空港で この連載はこちらでご覧になれます。http://www.nikkeyshimbun.com.br/2013/2013rensai-horie1.html...
ニッケイ新聞 2013年11月6日  コンポステーラ・サンチアーゴ巡礼友の会(ACACS―SP)が十河瑞澄さん(86番目札所志度寺の副住職)と松岡敬文さん(NPO法人遍路とおもてなしのネットワーク代表)を講師に招き、7日午後7時半から香川県人会(Rua Itaipu, 422, Mirandopolis)で『お遍路講演会』を開催する。入場無料。ポ語通訳つき。  弘法大師(空海)が修行のため開いた四国八十八ヶ所霊場が来年で開創1200年をむかえるにあたり、同友の会が企画した。二人の講師が霊場の紹介や、様々な記念イベントの説明を行なう。  同NPO法人は、巡礼路への休憩所の設置やお遍路のPRを行なう団体で、2006年に設立された。代表の松岡氏は自身も巡礼愛好者で、昨年ブラジルで講演を行ない、当地の巡礼路「太陽の道」も踏破した。  同県人会の菅原パウロ会長は「興味のある人、将来的にお遍路に参加したい人、ぜひ来場してほしい」とよびかけた。  なお、同講演会は5日にクリチバ、11日にリオでも開かれる。  問い合わせは同県人会(11・55875303)まで。
ニッケイ新聞 2013年11月5日付け  1956~58年、1道7県の249家族1319人がドミニカ共和国に農業移住した。八つの移住地に配耕されたが、〃カリブ海の楽園〃と謳われた募集要項とはあまりにかけ離れた現地の状況に嘆願書が提出され、62年には多くが帰国、もしくはブラジルをはじめとする南米各地に再移住する「戦後移住史上最悪のケース」となった。2000年、日本政府に起こした裁判は内外に多くの反響を呼ぶ一方で、わずか1千人の現地コロニアに複雑なわだかまりを残している。今回幼少時にブラジルに転住した参加者もおり、郷愁のなか51年ぶりの再会を喜ぶ姿が、各地で見られるまさに「ふるさと巡り」となった。  当初の募集人数50人を超えたことから、コロンビア・ボゴタ経由、ペルー・リマ経由の二手に分かれた。記者が乗り込んだ早朝6時半発のタカ航空は悠々とアンデス山脈を越え、リマのホルヘ・チャベス空港へ機体を傾けた。  曇天が多いという海岸砂漠地帯の灰色の景色は1899年、南米初の移民船「佐倉丸」で到着した790人のペルー移民にどのような印象を与えただろうか。辛酸を舐めたその後を暗示するような光景を北上する機窓から眺めつつ、手元に目を落とし、「カリブ海の『楽園』ドミニカ移住三十年の軌跡」(高橋幸春著、87年、潮出版社)を開いた。  カリブ海に浮かぶドミニカ共和国は、エスパニョーラ島の東側にある。面積は九州に高知県を足したほど。スペインから1865年に独立して以来、混乱を極めたが、1930年のクーデターにより大統領に就任したトルヒーリョ将軍は、島の西部にあるハイチとの関係に頭を悩ませていた。軍事衝突が頻発、人口流入に悩まされていたことから、国境地帯を開発する方針を固め54年、労働力にスペイン移民を導入するなどの背景があった。  当時、外地からの引き揚げもあり、日本は失業者で溢れかえり、人口削減は喫緊の課題だった。駐日ドミニカ大使からの打診を受けた日本政府は早速対応を始めた―。  同日夕方、赤道を越えドミニカに到着。むし暑い。体を伸ばしつつ入管でパスポートを渡すと、女性の係官が「ブラジルに住んでいるのか」と聞いてくる。首肯すると、「ペンはあるか」というので渡すと、何かを書いている。カウンター越しに覗くと、RNEの番号を書き付けているのは、明らかにノートの切れ端。忘れずペンを取り返し、空港ターミナルで100ドル分の両替をすると計算より多い。数え直していると「ぺルドン…間違えた」と後ろに立った上司の手前、バツの悪そうな顔をする銀行職員。 ドミニカ、なかなかに手強そうである。(堀江剛史記者) ■  ドミニカと言うと、「それはどっちの方ですかな?」と物知り顔で聞かれることがある。というのもカリブ海には「ドミニカ共和国」(Republica Dominicana)と「ドミニカ国」(Commonwealth of Dominica)があるのだ。後者は旧英国領で現在はイギリス連邦の一員。本連載では「ドミニカ」と表記するが、言うまでもなく前者である。ちなみに日本語では「土弥尼加」。 写真=サントドミンゴ市内にある市営墓地にある慰霊碑の前で(10月21日撮影) この連載はこちらでご覧になれます。http://www.nikkeyshimbun.com.br/2013/2013rensai-horie1.html  
 香川県人会(菅原パウロ農夫男会長)は、7日午後7時半からサンパウロ市ミランドポリス区の同県人会館(Rua Itaipu, 422)で、四国88カ所を巡る「遍路」についての講演を開催する。  講演するのは遍路文化の普及活動をしているNPO法人「遍路とおもてなしのネットワーク」の松岡敬文代表と、86番目の札所である志度寺の十河瑞澄(ずいちょう)副住職。  今回の講演は、来年四国で開催される弘法大師生誕1200年イベントに向けての招致活動の一環で実現。主催はACACS(太陽の巡礼協会)のサンパウロ支部。  菅原会長は講演について「お遍路文化の講演で四国に興味を持ってもらい、ブラジル、南米から四国を訪ねてほしい」と話している。  入場無料。講演は日本語で行われるが、ポ語での通訳もある。  講演に関する問い合わせは、同県人会(電話11・5587・5303)まで。 2013年11月6日付
 ブラジル愛媛県人会(西村定栄会長)は、10日午前10時よりサンパウロ市ビラ・マリアーナ区の北海道協会会館(Rua Joaquim Tavora, 605)で創立60周年記念式典を開催する。  8日には、中村時広知事(53)をはじめとする母県からの慶祝団23人と、隔年で日伯交互に3カ月間のホームステイ派遣を行い、同県人会と交流がある愛媛県海外協会(井上善一会長、68)からの慶祝団12人が来伯し、同式典に出席する。  式典終了後には、業務上の都合で帰国する中村知事らを除いて、慶祝団一行はイグアスとパラグアイの愛媛県人会を訪問。その後リオの愛媛県人会員と懇談会を行い、帰国するという。  詳細、問い合わせは同県人会まで(電話11・3207・9575)まで。 2013年11月5日付
ニッケイ新聞 2013年11月2日  ブラジル岐阜県人会(山田彦次会長)主催の「第9回日伯友情交流絵画展」が5日から13日まで、在サンパウロ日本国総領事館・多目的ホール(Av. Paulista, 854, Bela Vista)で開かれる。平日のみの午前10時から午後5時までで、入場無料。同総領事館後援。  同県人会による日伯交流事業の一環で、日伯の芸術家による作品が数多く出展される。  また4日には午後5時半からオープニングセレモニーが行われる。問い合わせは同県人会(11・3209・8073)まで。
ニッケイ新聞 2013年11月2日  山形県人会(押切フラビオ会長)は創立60周年記念式典に先駆け、前日26日に「山形民謡コンクール」を開催した。県の民謡を歌って母県をアピールする目的で毎年行っており、今回は節目の第10回大会。さらに同県人会創立60周年を祝うコンクールとして山形本県から民謡使節団を迎え、会場となった宮城県人会館に約100人が来場した。  一般の部として年代別6カテゴリーと、日本のコンクール経験者、歴代優勝者からなる優勝者の部の計7カテゴリーに分け、60人を超える出場者の歌唱が始まった。  トップバッターを務めた最年長の纐纈蹟二さん(92、岐阜)は、歌唱を終え「スカッとした。ストレス発散になるし、カラオケと違い、民謡は三味線や尺八の生演奏があって良い」と、満足げな表情で話した。  熱心にカメラで撮影していたのは、聖州在住の日下部久美子さん(68、徳島)と小林恵子さん(62、愛知)。「初舞台を踏む仲間もいて応援しています。ばっちり撮影できた」と話した。  伴奏者として三味線を弾いたモジ民謡保存会の小松久仁子さん(71、福島)は「それぞれの演者に合わせて、音程やスピードを変えなければいけない。楽しく歌ってもらわないと」と意気込みを見せ、「まずまずの出来だったかな」と謙遜しながら笑顔で振り返った。  午後には、同県大石田町から来伯した民謡使節団がゲスト出演。同町民謡研究会の木村里美さん(34)、芳賀清さん(65)らが花笠音頭、山形大黒舞、最上川舟唄などを鮮やかに披露し、90分に及ぶショーが終了した。  審査の結果、一般の部を対象とした最優秀賞に、高年の部(50~69歳)から薮田満知子さんが選ばれた。同県出身である芸術家の豊田豊さんから、自身が制作した彫刻トロフィーが贈られ、祝福ムードに包まれた記念大会が終了した。
 岐阜県人ブラジル移住100周年、岐阜県人会(山田彦次会長)創立75周年関連事業の締めくくりとなる「第9回日伯友情交流絵画展」が5~13日、サンパウロ(聖)市ベラ・ビスタ区の在サンパウロ総領事館多目的ホール(Av. Paulista, 854 3andar)で開催される。  同展は岐阜県人会が主催して毎年開かれており、今年も日本人、日系人、ブラジル人の画家23人の具象画、抽象画の作品45点が展示される。  山田会長はパンフレットのメッセージの中で、今年の節目の年を迎えて「私たちの県人会ではできる範囲内で身の丈に合った日伯交流事業を行ってまいりました」とつづり、会場となる在聖総領事館への感謝を示している。  4日午後5時半からは、同多目的ホールで開会式が開かれる。  期間中の開場時間は午前10時から午後5時まで。土曜、日曜は休館。入場無料。  問い合わせは岐阜県人会(電話11・3209・8073)まで。 2013年11月2日付
日系社会と進出企業の壁が問題視 【東京支社=瀬頭明男】第54回海外日系人大会(海外日系人協会主催)が10月29日から3日間、東京都永田町の憲政記念館を中心に開かれた。大会には秋篠宮同妃両殿下、ブラジル日本文化福祉協会の松尾治副会長、ブラジル日本都道府県人会連合会の園田昭憲会長をはじめ、海外から170人が参加した。 園田会長は日本文化の発信として定着した「日本祭り」(フェスティバル・ド・ジャポン)のビデオを上映、日本文化の発信に取り組むブラジル日系社会の現状について説明した。 また、今年4月、海外日系人協会とサンパウロ新聞共催で実施した「里帰り事業」のスポンサーとして貢献した竹内運輸工業の竹内政司社長に感謝状も贈られた。 今回の大会テーマは「多極化時代に生きる日系社会と日本」で、日本と海外日系社会がより強固に連携するための方策を探るというものだった。討議は3分科会に分かれ、それぞれの立場から議論を深め、9項目の大会宣言にまとめ決議した。 討議で特に注目されたのは、日系社会と進出企業及び駐在員との壁が問題視されたことだ。日本企業が日系人を重視しないため、2世、3世たちは他の国からの進出企業に目を向ける。このため、「日本語を取得しても役に立たないと他の言語取得に励み、日本語の衰退、日本文化発信力の弱体化につながっている」との指摘に多くの賛意が示された。 大会で決議された主な大会宣言は次の通り。(1)私たち日系社会は日本との連携を深め、ともに成長が持続するよう努めます。(2)日本文化の普及に、日本政府の一層の努力を期待します。(3)出稼ぎから日本社会への統合と第2世代の社会進出に期待します。(4)日本政府の国籍喪失規定をなくし、重国籍を認めるよう求めます。 2013年11月1日付
ニッケイ新聞 2013年11月1日  【既報関連】会場費の高騰などで大幅赤字が懸念され、開催が危ぶまれていた来年の『県連日本祭』。県連執行部は先月30日夜に開かれた役員会後の本紙の取材に対し、「開催を前提に手続きを進めていく」方向だと話した。会場選定について、本橋幹久県連副会長は「やるならイミグランテスしかない状況。ほかは選べない」。従来使用してきた聖市イミグランテス展示場の賃貸条件の交渉に進展があったことで、候補を同展示場のみに絞った格好だ。一方で、複数の役員は「ただでさえ出遅れたことで、収入に関しても不透明な部分は多い。予想以上に赤字が増える見込みになった時には、中止も視野に入れざるを得ない」と話し、予断を許さない状況であることを強調した。  赤字増の最大の懸念とされていた会場賃貸諸経費について、執行部は先月24日の代表者会議後、イミグランテス側と再交渉を行った。その結果、設営・片付けを含めた計11日間分の基本賃貸料(58万レ、1日あたり12時間使用)の減額は果たせなかったものの、一定額の超過使用料金の免除が決まった。 原則1日12時間しか会場内での作業が行えない契約の中、例年、雨天による設営の遅延などにより計30時間以上の超過時間があり、1時間あたり5千レの料金が発生していた。今回も35時間分の超過を見込み、基本賃貸料に加え17万5千レの予算が組まれていたが、今回の交渉により1日あたり2時間で計22時間分、11万レの割引を受けられる。 一方で収入面に関して、高野ジョルジ同祭副実行委員長はじめとする複数の役員は「(例年22万レを見込む)議員割り当て予算も、現状では不透明としか言えない状況。スポンサーもどれだけ集まるか…」と話す。 本橋副会長が「資金が足りず30、40万という赤字になって強行しても誰も得しない。精一杯開催に向けて努力するが、どうしようもない時は止めるしかない」と話した。10万5千レの黒字となった今年度と同水準の収入を確保できるかどうかが、開催可否についての焦点となる。 当面は中止判断の期限は設けず、役員を中心にスポンサーを集め、イミグランテスとの再交渉など開催への手続きを進めていくことになるという。
ニッケイ新聞 2013年11月1日  愛媛県人会(西村定栄会長)の創立60周年を祝う記念式典が10日午前10時から、北海道協会(Rua Joaquim Tavora, 605, Vila Mariana)で開かれる。  母県から中村時広知事、竹田祥一県議会議長をはじめとする35人の慶祝団が来伯し、共に節目の年を祝う。功労者、80歳以上の高齢者表彰も行われる。  同日午後6時半からは、ニッケイパラセホテル内サロンで、県費留学、研修生のOB・OG会も開かれる。  西村会長は「会員、関係者はぜひご参加を」と呼びかけた。問い合わせは同県人会(11・3207・9575)まで。
ニッケイ新聞 2013年10月31日  今月20日にあったブラジル鹿児島県人会の創立100周年式典にあわせ、18日から南日本新聞の西青木亨記者(45、鹿児島)が来伯し、ブラジル日系社会の様子や情勢を母県に伝えようと取材活動している。  聖州内を拠点に、農業移民の親子や日本人移民の開始初期に入植した夫婦の子孫、日系企業社員、観光ガイド業者など、母県にゆかりのある人物を取材した。  「記念式典ももちろんだが県人会の築いてきた深い歴史を感じる。ブラジル社会に根付き、母県出身の日系人が重要な位置にいることを感じた」と振り返った。  過去には社会部、現在は運動部に所属し、W杯、リオ五輪を見据え会場の下見や、本場のサッカーに触れることも目的。26、7日にはプロリーグを観戦し、「パカエンブー、聖地と呼ばれるマラカナンともに、ファンの熱狂ぶりが印象的」と話した。2週間の滞在を終え、31日離伯する。