08/03/2026

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場所はイミグランテスで継続  県連(園田昭憲会長)の10月度代表者会議が24日、サンパウロ(聖)市ジャバクアラ区の千葉県人会館で行われた。今年の日本祭りは10万5000レアルの黒字であることが発表されたが、来年イミグランテス展示場で開催した場合の試算が50万レアル以上の赤字と算出されたことを受け、出席者の中で第17回日本祭りの開催の是非を問う多数決が行われた。「サンパウロ州政府からの予算が出れば、多少の赤字覚悟で来年も開催する」が21票、「来年の開催を見合わせ、2015年に第17回を開催する」が15票で、執行部は数々の難題を抱えながらも来年の開催に向けて動き出している。  これまで会場使用料が30万レアルだったイミグランテス展示場の経営母体が変わり、90万レアルに値上げ。加えて時間外使用料を取る条件が提示され、莫大な赤字が懸念されることから来年は会場変更が避けられないとされていた県連日本祭り。  山田康夫同祭実行委員長によると、執行部が新しい会場を模索していたところ、イミグランテス側から70万レアルに値下げしてきたという。交渉の結果、58万レアルで会場を使用できることとなり、他の会場候補は地面に穴が開けられないためテント設営が簡単にできず、また駐車場が無いなどの問題を抱えていたことから、同地の利便性を考慮し、執行部は例年通りイミグランテス展示場での開催が望ましいと判断した。  しかし、来年10月に行われる統一選挙の影響で日系議員からの援助金がおりるか不透明であることから、入場者数、スポンサー数、バザリスタの数が今年と変わらないと仮定しても、50万レアル以上の赤字になる試算が算出された。加えて、開催日は7月4~6日でサッカー・ワールドカップの開催時期と重なり、入場者数ならびにスポンサー収入が大幅に減少することも懸念される。  「時間もないし、焦ってもうまくいかない。赤字が出たらどう補てんするのか。来年は開催を見送ったほうがいい」「コロニアでこれほど良いイベントはない。日伯の懸け橋の一つである同祭をやめるべきではない」などの意見が出たが、州政府から援助が出れば開催、出なければ来年は開催しないことが多数決で決定され、今後の交渉や最終的な判断が執行部に委ねられた。  なお、そのほかの議題では、尾西貞夫兵庫県人会長が県費留学制度への日本政府からの補助金廃止以降、若い世代の日伯交流が難しくなっていることを説明し、「県人会を盛り上げるためにも、県連で署名を集めて日本政府に嘆願するべき」と提案したほか、本橋幹久副会長が17~23日に行われた「移民のふるさと巡り」について報告した。  会議直後から開催に向けて動き出した執行部が日系議員に確認したところ、州政府からの援助金が出ることが確定したという。また、交渉によりイミグランテス展示場の時間外使用料が一部免除されることが決まった。これにより赤字は25万レアル程度まで抑えられるとし、30日の役員会で日本祭りの来年イミグランテス展示場での開催が最終的に決定した。開催自体が危ぶまれた第17回日本祭りはスポンサー集めや経費節約方法の検討といった第2段階へようやく踏み出した。 2013年10月31日付
 20日にサンパウロ(聖)市イビラプエラ区の聖州議事堂で開催されたブラジル鹿児島県人会(園田昭憲会長)創立100周年記念式典に出席した県関係者と、県費留学・海外技術研修制度を利用したOBによる意見交換会が、式典後の午後3時から議事堂内会議室で行われた。  県側から布袋嘉之副知事、池畑憲一県議会議長をはじめ、川畑隆県海外移住家族会会長、鶴田志郎県議、吉留厚宏県議、禧久伸一郎(きく・しんいちろう)県議、吉田浩己前鹿児島大学学長らが出席。県人会側から山下譲二副会長と留学・研修生OB23人が参加した。  今回の意見交換会は、1970年から今までに100人以上が同制度を利用している留学・研修生たちの、ブラジル帰国後の様子を知ることが目的。23人はそれぞれ自己紹介と鹿児島での思い出や現在の仕事内容などを報告した。  92年度に鹿児島大学法文学部で県費留学生として留学した有村ヘンリー侑奘さん(44、3世)は現在、広告代理店の役員職の仕事に就き、日本からの顧客も多く「留学を通じて日本のシステムがすごく分かった」と今の仕事に役立っていることを伝えた。同じく11年度、鹿児島大学医学部保健学科に留学した梶原幸さん(26、3世)は「帰って来てから今まで、またいつ鹿児島に行こうか考えている。桜島と豚骨ラーメンが恋しい」と思いを日本語で伝えた。  そのほか、「チャンスがあればまた鹿児島に行きたいと思っている人たちのために、もう一度留学できる制度を考えてほしい」「アニメブームで非日系人のほうが日本に興味を持ち、日本語が上手な人が多い」などOBらは積極的に意見を述べ、県側は状況を把握していた。  布袋副知事は最後に「帰国後、ブラジルで活躍していることを知ることができて良かった。目的は果たされていると感じ、今回の意見を県側でも考慮したい」と述べ、会を終えた。 2013年10月31日付
 ブラジル沖縄県人会、ブラジル沖縄文化センター(田場ジョルジ会長)は、11月3日午後1時から同6時ごろまでサンパウロ(聖)市リベルダーデ区の同会館ホール(Rua Dr. Tomas de Lima, 72)で県人会資金カンパ芸能祭(ウチナー芝居)を開催する。  舞踊劇「浦島」や喜劇「トックイ小一」のほか、古武道、民謡、太鼓など20の演目が披露される。また、今回は母県から若手琉球民謡歌手の具志めぐみさんが特別友情出演し、見応えあるショーが来場者たちを楽しませる。  また、当日は同県人会に所属する97歳以上の会員7人を招待して感謝状と記念品を授与し、童心に帰って食事や催し物を楽しんでもらいたいとしている。なお、97歳は「カジマヤー」と呼ばれる沖縄独特の長寿の祝い年。  案内のため具志堅シゲ子実行委員長、島袋安雄同副委員長、池原あき子書記が本紙を訪れ、「おいしい沖縄そばも販売しますので、ぜひお越しください」と来場を呼び掛けた。入場券は15レアル。問い合わせは、同県人会(電話11・3106・8823)まで。 2013年10月31日付
 20日に行われたブラジル鹿児島県人会100周年記念式典を取材するため、母県の南日本新聞社から運動部の西青木亨さん(45、鹿児島市)が18日に来伯し、25日、本紙を訪れた。  「100周年は節目の年だから、何かやってこい」との命で始動した同紙のブラジル特集は、普段インターハイや高校野球を担当している西青木さんにとってゼロからのスタートだったという。東京オリンピック開催決定などの影響もあり、実際に取材を始めたのは9月に入ってからのことだった。  多くのブラジル移民を送った枕崎市、南さつま市をはじめ、移民によって作られた「伯国橋」を擁し、ブラジル人比率が県内で突出して多い大島郡宇検村などを取材して来伯までに5本の連載を掲載した。「知れば知るほど1世の苦労や日伯のつながりが見え、ブラジル社会で日本人が築いてきたものに興味が沸いた」と振り返る。  西青木さんは19日に南さつま市の使節団とともに同市出身者が多く移住しているサンパウロ(聖)州イタペセリカ・ダ・セーラ市訪問を取材。移住家族の再会に興味を持ち、自ら同行取材を志願したという。  式典当日は取材しながら記事を書き、数時間後の日本時間21日付同紙への掲載に間に合わせた。翌22日付には20日午後に行われた2部式典やイタペセリカ訪問、移民の歴史を含めた大きな記事を掲載し、同県のブラジル移民理解に一役買った。  西青木さんは同式典の取材を通じて「これからの100年、鹿児島のアイデンティティーをどうつないでいくかが課題」とし、2世以降の若い世代にも注目している。  サッカーが大好きだという西青木さんはイビウナ市で農業を営む遠縁の親戚を持ち、幼少期に同家族と鹿児島で会った際に蝶の標本をもらって「牛肉がたくさん食える」という話を聞かされていたため、ブラジルが長年「あこがれの国」だったそうだ。  運動部として来年のサッカー・ワールドカップや2016年リオ五輪につながる取材も並行して行っており、「世界中から注目が集まる中、少しでも本場ブラジルからの情報を伝えたい」と意気込みを見せた。  なお、西青木さんは31日まで聖市やリオ市などで取材を続け、帰国する予定。 2013年10月30日付
 ブラジル山形県人会(押切フラビオ会長)は27日、『創立60周年記念式典』及び『山形県人移住106周年式典』を宮城県人会で行った。母県から吉村美栄子知事、県議会の鈴木正法議長、農業協同組合中央会の長沢豊会長ら慶祝団46人と、在サンパウロ日本国総領事の福嶌教輝氏、安部順二連邦下議、羽藤ジョージ聖州議、野村アウレリオ聖市議らが訪れ、250人以上の出席者で埋め尽くされた。また同県大石田町からは民謡使節団も祝福に駆けつけ、山形花笠音頭、民謡「最上川舟唄」などを披露、伝統芸能で〃還暦〃を祝った。  篠原俊巳副会長が開会の辞を述べ、日伯両国の国歌斉唱、先没者への黙とうが行われた。 押切会長は「創立以来、県人らはあらゆる分野で伯国発展に貢献した。1907年、鈴木貞次郎から始まった県民移住106年の歴史も合わせ祝うことができ光栄。今回の訪問団来伯を機に日伯、県との交流が拡大することを願う」とあいさつ。 吉村知事は「友好、親善など多大なる活動に敬意を表する。皆さんの心温まる歓迎にも感謝する」と祝辞を述べた。 功労者表彰および感謝状贈呈では計7人が表彰を受けた。同知事から日系三団体への寄付、山形県との記念品交換、技術研修生代表謝辞、県民歌斉唱の後、斎藤保副会長が閉会の辞を述べ式典を締めくくった。 ロンドリーナから夜行バスに乗り、当日朝に到着した菊池由二さん(89)、万里子さん(80、二世)夫妻は「汎ロンドリーナ山形県人会から25人で駆けつけた。素晴らしい式典に参でき、古里の人とも会えた」と喜んだ。 式典後はアトラクションの時間が設けられ、同県大石田町民謡研究会の木村里美さん(34)、芳賀清さん(65)らが花笠音頭、最上川舟唄などを披露、伯国側からも日本舞踊グループ「優美」、太鼓集団「喜楽」が迫力のステージで会場を盛り上げた。 その後の祝賀会では、鏡割り、乾杯の音頭、ケーキカット、サンバショーが行われ、リズムに乗って参加者一同がダンス。最高潮の盛り上がりを見せ、記念の一日が終了した。
人材交流と経済的結び付き強化も  ブラジル山形県人会(押切フラビオ壮会長)は、27日午前9時半から同県人会創立60周年及び県人移住106周年記念式典をサンパウロ(聖)市リベルダーデ区の宮城県人会館で開催した。母県から吉村美栄子県知事、鈴木正法県議会議長をはじめとする46人の慶祝団が駆け付け、250人以上の出席者で節目の年を盛大に祝った。  午前9時半に始まった記念式典には安部順二連邦下議、羽藤ジョージ聖州議、野村アウレリオ聖市議、福嶌教輝在聖総領事、吉村知事、鈴木議長、JA山形中央会の長沢豊会長、日系3団体代表らが来賓として出席した。  歌人・南樹としても知られる同県出身の鈴木貞次郎氏が1907年、笠戸丸移民より1年先立ちブラジルに移住したことが記録に残っていることから、当日は県人移住106年も合わせて祝われ、押切会長はあいさつの中で「山形県人は長い歴史の中で苦労に耐えながらも努力を惜しまず、遠く離れたブラジルで現在のような豊かな暮らしと信用を手に入れた。このような晴れの日を迎えることができてうれしい。関係者の皆さんに心から感謝する」と述べた。  吉村知事は式典前日に開拓先亡者慰霊碑や移民史料館を訪れて感銘を受けたと話し、古里と全く異なる環境での同県人会員らの苦労をねぎらい、活躍をたたえた。また、東日本大震災の「応援県」として、がれきをいち早く受け入れ、ボランティア率が全国1位になるなど復興のために尽力している母県の様子を伝えた上で、ブラジルからの援助に感謝の意を示した。  鈴木議長、福嶌総領事の祝辞に続き祝辞を述べた長沢JA山形会長は、「1989年から6年間、国際農業体験実習制度を通じて受け入れた26人の研修生は現在、地域農業で主導的に活躍している。県人会の開拓精神に学び、今後も農業や国際交流を通じた豊かな地域社会作りに貢献していきたい」と意気込みを語った。  その後、本橋県連副会長、羽藤州議、安部下議の祝辞、祝電披露に続いて功労者表彰が行われ、吉村知事から県人会役員、支部長らにそれぞれ表彰状と感謝状が贈呈された。また高齢者表彰は県人会から85歳以上の会員28人に贈られた。  記念品交換では県人会から吉村知事、鈴木議長、JA山形の長沢会長に県人会名誉顧問の画家・豊田豊氏の作品が、3氏から県人会へはそれぞれ「おしん」のこけし、打ち出の小槌、ひょっとこが贈られ、特に豊田氏の高校の後輩であるという鈴木議長は感激した様子だった。  引き続き県知事から日系3団体への寄付、技術研修生代表謝辞、県民歌斉唱が行われ、斉藤保県人会副会長の閉会の辞によって式典は時間通りに幕を閉じた。  式典後はアトラクションとして母県からの民謡使節団(佐々木英治団長)の民謡ジャパニーズ・ダンス・カンパニー「優美」による踊りや「喜楽」太鼓が披露さ れ、来場者たちから大きな拍手が沸き起こった。その後記念祝賀会が開かれ、食事や懇談を楽しんだ来場者たちは、サンバショーで知事一行を含め皆が一緒に なって踊り、大きな盛り上がりを見せた。  今回初めてブラジルを訪れたという吉村知事は、「県人会の皆さんが温かく迎えてくれて感激。人材交流はもちろんのこと、これからは日本酒などの産業で経済的結び付きも強めていきたい」と抱負を語った。 2013年10月29日付
 ブラジル山形県人会(押切フラビオ壮会長)創立60周年を記念した第10回山形民謡コンクールが26日、予定より30分遅れた午前9時半からサンパウロ市リベルダーデ区の宮城県人会館で開催され、グランプリには、高年の部で「新庄節」を歌ったサンパウロ州バストス市在住の藪田満知子さん(69、三重)が輝いた。  大会は、参加者全員で「花笠音頭」を歌って開幕。コンクールには90歳以上の寿の部をはじめ、金寿の部A(85~89歳)金寿の部B(80~84歳)、銀寿の部A(75~79歳)、銀寿の部(70~74歳)、高年の部(50~69歳)、青年の部(25~49歳)、優勝者の部に総勢約60人が出場し、日ごろの練習の成果が競われた。  午後2時からは、山形県からの民謡使節団(佐々木英治団長)一行10人も特別出演。同県北村山郡大石田町観光協会の芳賀清会長が司会役を務め、自ら「相撲甚句」「こっけい安来節」などを歌って会場を盛り上げた。  また、生まれつきの脳髄膜瘤(のうずいまくりゅう)の影響で右目の視力を失い、知的障害も残ったが優れた聴覚と記憶力の才能を生かして民謡の道に入り、内閣総理大臣争奪杯準優勝など数々の賞を受賞している木村里美さん(34)も「庄内おばこ」「あがらっしゃれ」の2曲を披露した。  大石田町議会議員前副議長だった芳賀会長は、2008年の移民100周年にブラジルを訪問する予定だったが、当時日本の衆議院選挙の影響で来れなかったことなどを説明し、今回の初来伯で「ブラジルの皆さんはとても楽しく民謡を歌っていらっしゃることに感動しました。(山形県人会創立)100周年目指してさらに活性化していただきたい」と激励した。  さらに、佐々木団長が「40年やっている芸」として升とうちわを手に持ち、「ますます繁盛このうちわ(家は)」と歌いながら会場内を回り、縁起を担いだ。  コンクールでは、各部門の選出者が改めて歌った結果、グランプリにはバストス市の藪田さんが栄冠に輝いた。松田国子氏の元で5~6年民謡を習って いるという藪田さんは、「三味線に(歌を)乗せるのが難しいですが、グランプリに選ばれてびっくりしました」と喜びを表していた。 各部の入賞者は次の通り(敬称略)。 【寿の部】1位=纐纈蹟二。 【金寿の部A】1位=池泉三郎、2位=八巻タツ、3位=田中キヨ、4位=浜本ふじえ。 【金寿の部B】1位=市来輝子、2位=浜田米伊、3位=吉田保子。 【銀寿の部A】1位=村中チエコ、2位=八木静代、3位=浜田良香、4位=会田清。 【銀寿の部B】1位=草野建寿、2位=石井良子。 【高年の部】1位=藪田満知子、2位=馬場アヤ子。 【青年の部】1位=中島幸雄。 【優勝者の部】1位=木村照子、2位=小泉正雄、3位=海藤晶子。...
 【一部既報】3日、パラナ州クリチバ市で行われた住友ゴム工場の開所式後、ブラジル、パラグアイ、アルゼンチンの3カ国の兵庫県人会代表による初の交流会が開かれた。同交流会は、住友ゴム工業株式会社(池田育嗣社長)が同県神戸市に本社を持つことから、山下亮パラナ兵庫事務所長の案で実現したもの。  パラグアイの岸田省一同県人会長夫妻、アルゼンチンの今村欣司会長代理、石原リカルドさん、ブラジルの尾西貞夫会長、尾崎俊彦副会長、上野正治理事が参加し、主に「これからどのようにすれば若い人たちを集めて県人会の運営を活発化できるか」という議題について話し合った。  「現在打ち切られている県費留学生、研修生度を再開したい」という意見が一致したが、幅広い層に留学機会を与えるため、選考基準となる日本語能力についてはレベルを下げることなどが提案された。  3カ国の同県人会代表者たちは初めて親睦の機会を持ち、今後も交流を深めていく意向を示した。 2013年10月29日付
目立った若い世代の活動  琉球民謡保存会ブラジル支部(米須正支部長)主催の「第7回民謡の祭典」が13日午後2時からサンパウロ市リベルダーデ区の沖縄県人会本部大サロンで開催され、子供から80歳まで約300人が出演し、来場者を楽しませた。  祭典前の式典では、米須支部長、座嘉比昇実行委員長、田場ジョルジ沖縄県人会会長があいさつし、その後に当間チエミさんに免許状が授与された。  同支部教師・師範による「かぎやで風節」「鶴亀節」「豊節」で開幕した祭典では、合唱、舞踊やコンクール1位入賞者の演奏が披露されたほか、玉城流扇寿会斉藤悟琉舞道場の斉藤代表が構成演出し、琉球民謡保存会青年グループ出演による「毛遊(もうあし)び」も演じられた。  米須支部長は、「最近は若い世代が頑張って活動してくれており、我々も楽しませてもらっている。今後もこういうやり方で行っていきたい」と若者の活力に期待していた。 2013年10月29日付
ニッケイ新聞 2013年10月26日  【既報関連】日本祭の開催断念か―。開催なら大赤字覚悟という状況の中、開催が検討されてきた来年の『第17回日本祭』。連邦議員からの議員割当予算の見込みが不透明ということから、最大で約50万レアルの赤字を試算している。24日にあった県連代表者会議では、日本祭開催を断念する可能性も議論されたが、決断は先送りされた。  前回の会議で、施設の基本使用料が90万レとさたことで、執行部から使用の断念が報告されていたイミグランテス展示場。再交渉の結果、58万レまで引き下げられたことで候補地として再浮上した。20万人規模のイベントを開催するにあたって、イミグランテス側も譲歩した格好だ。 加えて、パビリオン、アリーナ建設費など、前回と同条件で試算した結果だが、見積もりで最大50万レの赤字を算出したことが報告された。 議論の焦点となったのは、22万レを見込む議員割当予算だ。それを加えても約30万レの赤字は避けられない。今回の会議では開催の可否をとり、「割当金が22万レ集まれば開催」が21票、「開催見送り」が15票となった。 ただし、一刻も早く開催か見送りかを決定する必要に迫られているため、割当金額確定の期日は25日とされ、不透明な金額、〃曖昧〃な返答であれば見送りという条件付きとなった。園田昭憲会長が安部順二連邦下議補佐官の宮原ジョルジ氏と電話交渉を行ったところ、「前向きに協力はしたい」といった返答に留まったという。 しかし、執行部からは「確かに可能性は薄いが、簡単に決めることはできない」と協議を続けることとなった。 会議では、開催予定日の7月4、5、6日はサッカーW杯ブラジル大会と日程が重なることから、スポンサー面、集客面で不利とする見方が強く、一部県人会からは出店を見合わせる動きも見られた。 「今年は見送って、来年に向けた準備を早くから始めるべき」「時間がない中で焦っても良い結果はついてこない」「赤字であればやる必要がない」と否定的な意見の一方で、「第17回を行う意思を見せるべき」「見送りとなっても交渉、見積もりなどは続けることができる」「開催しなければ、次回からのスポンサー離れが不安だ」との声もあった。
ニッケイ新聞 2013年10月23日  2020年東京オリンピック開催決定を祝う「文協ドミンゴ・コンサート」を、文協音楽委員会と東京都友会が先月29日に開催した。約130人が出席し、ギタリスト、ダニエル・ムハイさんの奏でる音色に聞き入った。 あいさつに立った都友会の坂和三郎会長は、「この度、東京が1964年来の願望であった五輪招致を勝ち取った。サンパウロから祝賀のエールを届けたい」とコンサート開催に込めた想いを語った。 「記念すべきイベントに参加させてもらえて嬉しい」と喜んでいたダニエルさんは、オリジナル曲から日本人作曲家・武満徹氏の楽曲まで、2時間の演奏を披露。津軽三味線奏者のロドリゴ・モントーヤさん特別出演によるギターと三味線の共演もあり、会場に静かな感動を呼んだ。 ダニエルさんは15歳の時にフランスの国際ギターコンクールで準優勝し、5年前にCDデビューした。ブラジルや欧州などでツアーを開催している。 坂和会長は「『すばらしいコンサートだった』と都友会に電話で感想を寄せた人もいた。五輪にふさわしいコンサートになった」と満足気に語った。
ニッケイ新聞 2013年10月23日  パラナ州クリチーバ市で3日に開かれた住友ゴム工場の開所式後、サンパウロ州、パラナ州、アルゼンチン、パラグアイの各兵庫県人会が集まり、初の交流会を開いた。 パラナ事務所長の山下亮さんが呼びかけ、ブラジル兵庫県人会の尾西貞夫会長が議長をつとめた。パ国からは岸田省一夫妻、亜国からは今村欣司、石原リカルドさん、伯国からは尾崎俊彦副会長と植野正治理事も出席。 一同は親睦を深めると共に、これからどのように若者を集め、会を運営していくかについて話し合い、5、6年前に打ち切られた県費留学生と研修生制度の再開を依頼することで意見が一致した。 尾西会長は、県費留学制度再開が容易になるように「日本政府から各県に補助金を出してもらえるよう、嘆願書を作るなどして運動を起こして行きたい」と話した。
 ブラジル山形県人会(押切壮フラビオ会長)は、27日午前9時半からサンパウロ(聖)市リベルダーデ区の宮城県人会館(Rua Fagundes,152)で同会創立60周年記念式典を開く。母県からは吉村美栄子知事、鈴木正法県議会議長ら46人の慶祝訪問団が来伯。式典前日の26日には「第10回山形民謡コンクール」を開催し、節目の年を盛り上げる。  1908年の第1回ブラジル移民船「笠戸丸」に先立つ07年に渡伯した日本移民の草分け、鈴木貞次郎(南樹)は山形県出身。このたびの式典では鈴木氏から始まった県人移住106周年も合わせて祝う。  慶祝団は知事、議長、県議、県庁関係者、同県大石田町の民謡使節団、同会創立45、50周年でも来伯したソプラノ歌手の佐藤瑛杜子さんや一般参加者など。  民謡コンクールは26日午前9時から午後4時ごろまで同じ宮城県人会館で開催。入場無料。国内の参加者のほか、母県の民謡使節団一行も出演する。  記念式典は会員、招待者など約300人の出席が見込まれる。式典後のアトラクションでは来伯する民謡使節団、佐藤さんのほか、ブラジル側から「優美(ゆうび)」舞踊グループ、太鼓集団「喜楽(きらく)」が出演して節目の日を盛り上げる。  知事らはサンパウロでの式典後、パラグアイ県人会創立30周年式典に出席するため同国イグアス移住地を訪問する予定。 2013年10月24日付
 南米ブラジルで、日本から移住した人が出身地ごとに作る県人会のうち最も古くに創立された鹿児島県人会が、ことしで創立100年を迎え、現地で記念式典が開かれました。  ブラジル最大の都市サンパウロで20日に開かれた式典には、鹿児島県から80人以上の訪問団をはじめ、合わせて500人余りが参加しました。 式では、まず日本からブラジルに移住して亡くなった人たちに対して黙とうがささげられました。 続いて、県人会の園田昭憲会長が「100年を祝うことができるのは先人の努力と思いの集積です。100周年は次の100周年へのスタートでもあり、次世代に継承していきたい」とあいさつしました。 このあと祝賀会が開かれ、地元の人たちによるサンバが披露されました。 日本から移住した人たちが出身地ごとに作る県人会のうち、最も古くに創立された鹿児島県人会は、1913年8月にサンパウロで発足し、会員数およそ4000人となっています。 移住者の高齢化などにより、会員数の減少が懸念されていて、県人会をどう継承するかが課題となっています。
ニッケイ新聞 2013年10月22日  ブラジル鹿児島県人会創立100周年及び、移民105周年記念式典が20日、聖州議会で行われた。母県からは副知事の布袋(ほうたい)嘉之氏、海外移住家族会の川畑隆会長ら85人の慶祝団と、在サンパウロ日本国総領事の福嶌教輝氏、日系三団体、近隣諸国からパラグアイ同県人会の園田義人会長らも祝福に駆けつけ、約600人の県人が節目の年を祝った。  同県人会の園田昭憲会長は冒頭、「日系社会最古の団体として前人未到の歴史を迎えた。これも隣人、家族愛をモットーにした先人たちの努力の賜物。これまでの100年を重要な財産として継承し、次の100年へのスタートを切りたい」と述べ、同県人会の谷口雅治書記の司会進行によって来賓が紹介された。 聖州議の羽藤ジョージ氏に続いて連邦下議の安部順二氏は、「日本式の教育はブラジル発展に貢献した。この教育は父母、祖父母のおかげ。日系人はこれからも日伯の文化交流の中心として活動していく」と語った。 伊藤祐一郎知事はビデオメッセージを寄せ、「故郷を遠く離れながら熱き希望、志、郷土愛を胸に異文化に立ち向かい、乗り越えた苦難の道は並大抵ではない」と称えた。県知事、県人会から各表彰が行われ、80歳以上の高齢者72人、渡伯70年以上39人、戦後移住50年以上149人などが受賞した。記念事業として西郷隆盛の記念切手の発行された。 その後、第二部の昼食会で親睦を深めた。南九州市出身の福本フミコさん(76)と津高エツさん(83)は渡伯半世紀を数える。「こういった式典に参加できたことは名誉なこと。日本を恋しく思う日もあったがブラジルにきてよかった」と笑顔で語った。 慶祝団の内村ナツエさん(66、志布志市)は初来伯で、「兄弟に会いに来た。貴重な機会に立ち会えて光栄」と話した。聖市在住の鮫島サク子さん(81、宮崎)は父が同県出身で、家族呼び寄せにより1960年に渡伯。「曽祖父母の本家が日本から参加すると決まり、私も喜んで式典に出席した。遠い親戚でも家族と同様のよう」と結束の強さを示した。 鏡割り、ケーキカットに加え、約50人のサンバ隊が登場し、会場が熱気に包まれる中、式典が終了した。園田会長は「実行委員会発足から5年、きりがないほど苦労した。だが無事に終了し役目を果たしたよ」と胸をなでおろした。 母県からは布袋副知事のほか、県議会の池畑憲一議長、鹿児島市の森博幸市長、阿久根市の西平良将市長、南九州市の霜出勘平(シモイデカンペイ)市長、伊佐市の隈元新(くまもとしん)市長らが慶祝に訪れた。   コラム【大耳小耳】  笑顔に包まれた鹿児島県人会創立100周年式典。その中で四六時中対応に追われたのが県人会事務局だ。来場者の受付に始まり、高齢者など表彰者の受賞品受け渡し、また土産品として来場者には「故郷を忘れないでほしい」との願いから、桜島のマット絵と手ぬぐいが用意され、その配布にも走りまわった。一部関係者からは「お昼ごはんを食べる暇もない」といった声も。準備段階から支えてきたであろう事務局の皆さんにも、労いの言葉を贈りたい。
 ブラジル鹿児島県人会(園田昭憲会長)は同会創立90周年の年にブラジル鹿児島研修・実習制度を設け、「次世代のリーダー育成と日伯間の交流促進」を目的に母県の青年を毎年ブラジルに招へいしている。今年も2人が本紙記者とピラール・ド・スル日本語学校教師として実習中。最終年である今年度までの10年間で計36人が研修した。  同制度で2008年3月から1年間ニッケイ新聞社で秘書として研修した有島弥生さん(29、鹿屋市)がこのほど、同県人会創立100周年式典の運営を手伝うため23日まで再来伯した。  「自分が変われるチャンス」を求めて同制度に応募した有島さんは、研修を通じて「人との出会いを大切にすることや、どんなことでも感謝する気持ちを学んだ」といい、任期終了直後に心に抱いた「5年後に必ず戻ってくる」という決意を今回果たした。  研修中は同会創立95周年式典の運営に携わったほか、同式典を取材し地元の南日本新聞に寄稿。「ここまで大きな日系社会があることには本当に驚いた。方言を使って故郷の話題で盛り上がれる県人会では日本以上に密接な人間関係があり、とてもお世話になった」と話し、「だから、サッカー・ワールドカップやリオ五輪よりも式典への参加を優先させて今来伯したんです」と笑顔で続けた。  研修終了後も現在まで同県の「かごしま国際交流フェスティバル」でブラジルブースを出店するなど、ブラジル文化の紹介に尽力してきた有島さんは「これからもずっとブラジルとかかわっていきたい」と目を輝かせた。  最後に有島さんは同県人会に対し「遠く離れたブラジルで先輩方が頑張っていることは県民の誇り」と100周年への祝意を表わし、「2世以降の日本語離れが問題となり、方言も薄れてきているが鹿児島の文化としてブラジルでも残していってほしい」とエールを送った。   コラム【モザイク】  2008年度ブラジル鹿児島研修生の有島弥生さんは、今年6月に結婚したばかりの新婚さん。研修期間中に出会った人と再会するたびに、「あれ、旦那は鹿児島に置いてきたのね?」と冷やかされていた。「結婚式もあるし、自分ばかりブラジルで遊んでくるのは忍びないけどね」と有島さん。それでも県人会のために一人で再びブラジルを訪れたあたり、並々ならぬブラジル愛と県人会愛を感じる。地元で母と簡易郵便局を運営する有島さんは「母に頼りっぱなしで申し訳ないから来年はみっちり働く予定です」と笑ってみせ、「子どもができたらできれば一緒に、無理なら一人でも絶対ブラジルに行かせたい」と続けた。こうして新たな日伯交流が生まれていくのかも。 2013年10月23日付