09/03/2026

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ニッケイ新聞 2013年4月23日  福岡県で10月9日~12日に「第8回海外福岡県人世界大会 イン福岡」が開催されるにあたり、全国の福岡県人らに参加を呼びかけるため、同県新社会推進部国際交流局交流第一課の福島明彦課長、同県国際交流センターの田中俊太専務理事が来伯した。  本大会は、1990年に福岡県で開催された「とびうめ国体」に海外の各県人会が招待され、そこで出た「県人会同士の交流の場を設けては」という提案がきっかけで始まったもの。92年にロサンゼルスで第1回大会が開かれた。参加者に故郷福岡の現状や魅力を伝え、県人会相互のネットワークを強化して新たな交流の拡大や促進を図ることが目的。3年に一度開催し、2010年は県人移住百周年を兼ねサンパウロで開かれた。  ブラジル福岡県人会の田中公副会長の案内で来社した2人は、「日本の若者は内向き志向。百年も前に海外に移住した福岡県人がこんなにいる、ということをより広く県民にアピールしたい」と交流に期待を込める。  地元福岡での開催は2回目。2001年に開かれた第4回大会には、海外から300人もの県人子弟らが参加した。今回も伯国をはじめ亜国、ボリビア、ペルー、コロンビア、メキシコ、カナダなど9カ国21県人会の代表が集まる県人会代表者会や青年の集い、海外県人の慰霊碑参拝、学校や企業視察など、4日間で様々なプログラムが行われる。まだ参加人数は決まっておらずこれからの募集だが、田中副会長は「毎回、ブラジルからの参加者が一番多い」と話す。  「百年の移民の歴史は今ではほとんど知られなくなり、海外では日本を知らず、興味もない県人子弟が増えている」と語る田中さん。日本の将来をみすえ国際的に活躍できる人材を育成する必要がある中で、「世界の県人会は貴重な財産」との考えを示す。  「海外の県人子弟の皆さんにも、自分の祖先のルーツを感じてもらうことで、福岡と世界の絆を強くできれば」との願いを込め、福島さんは「久しぶりに里帰りして、今の福岡を見てもらえたら。福岡県人だけでなく、近隣の山口や九州地方の方も、皆一緒に来てもらいたい」と呼びかけた。  参加の問い合わせは福岡県人会(11・3208・3123)まで。   コラム【大耳小耳】  海外県人世界大会を行う福岡県では、「海外福岡県人子弟招へい事業」を行っており、毎年11歳前後の子供たちを地元の小学校に受け入れ、交流を深めている。事前に移民史の授業も行うといい、「海外の子供たちにルーツを感じてもらうのと同時に、福岡の子供たちも勉強になるし、刺激になっている。県人会運営の将来の担い手を育成する目的もある」と田中俊太さん。また、1966年から続く県費留学生制度で、毎年伯国からの5人を含む10人を受け入れているとか。地元福岡での世界大会で、県民パワー炸裂?
ニッケイ新聞 2013年4月23日  県やブロックを越えた繋がりを―。愛知、和歌山、大分、滋賀、長野の5県人会による「屋台まつり」が28日午前11時から午後3時頃まで、リベルダーデの愛知県人会館(Rua Santa Luzia, 74)で開催される。今回で15回目。  約400人が集まる人気のイベント。各県人会の会員が腕によりをかけ、郷土の味を提供する。愛知県は初めての天むすをはじめ、うぐいすもち、あんみつなど、和歌山はおなじみの大人気メニュー、関西風お好み焼きを販売する。  からしみそ、醤油、レモン汁をつけて食べる大分のトリ天は、酒の肴にもぴったり。他にもトリ飯、牛たたきを提供する。滋賀はあっさりした出汁が人気の近江肉うどん、初出店の長野は名物のおやき、五平餅を販売する。  愛知の小松ジェニ会長、和歌山の木原好規会長、大分の伊東信比古理事、滋賀の山田康夫会長、長野の杉本みどり専任理事が案内のために来社し、「各県の名物料理がいろいろ食べられる。ぜひお越しください」と呼びかけた。会場ではビール、ガラナ、コーラなどの飲み物も販売し、踊り、カラオケ、ビンゴも楽しめる。問い合わせは愛知県人会(11・3104・8392)。
 10月9日から12日まで福岡県で開催される「第8回海外福岡県人会世界大会」の案内のため、田中俊太福岡県国際交流センター専務理事と福島明彦福岡県国際交流局交流第1課課長が、19日来社した。  同大会は、県人会相互の情報交換や母県と県人会との関係強化などを目的に、1992年から3年ごとに開催されており、世界9カ国21の県人会関係者が集まり意見交換などを行っている。  田中専務理事によると、今大会では移住者を焦点にした青少年向けのシンポジウムや、企業向けのビジネスセミナーを開催するなど、在外県人会の存在を県民に広くPRするとともに新たな分野での交流に力を入れるという。  福島課長は「県人会は母県にとって非常に貴重な財産。万全の準備を整えてお迎えするので、ぜひ皆さん福岡にお越しください」と同大会への参加を呼び掛けた。  問い合わせは、同県人会(電話11・3208・3123)まで。 2013年4月25日付
 愛知、和歌山、大分、滋賀、長野の5県人会が出店する第15回屋台祭りが、28日午前11時から午後3時までサンパウロ市リベルダーデ区の愛知県人会館(Rua Santa Luzia, 74)で開催される。  同祭では、各県人会がそれぞれ自慢の郷土食を出品する。  今年の出品物は、愛知=うぐいす餅、おにぎり、あんみつ、天むす、天ぷら。和歌山=関西風お好み焼き。大分=とり飯、牛たたき、とり天。滋賀=近江肉うどん。長野=おやき、五平餅。なお、長野県人会は今回が初出店となる。  滋賀県人会の山田康夫会長は「屋台祭りを通じて育んだブロックを越えた横のつながりは大切にしたい。どの県人会の方でも気軽に来場できることが屋台祭りの魅力です」と同祭の意義などを語った。  当日はビンゴや郷土踊りのほか、飛び込み参加可能のカラオケも行われる。参加無料。問い合わせは愛知県人会事務局(電話11・3104・8392)まで。 2013年4月24日付
 岩手県人会(千田曠曉会長)は8月18日、創立55周年記念式典を同県人会に程近いサンパウロ市リベルダーデ区トマス・ゴンザガ街50番のビトリオ・シンジカット・ドス・エレトリシスタリオ・デ・サンパウロ(電気組合)の会館で開催する。  式典には、母県から県知事、県議会議長、各市町村長、郷土芸能使節団や民間慶祝団の来伯が予定されている。特に郷土芸能団使節の一員として、昨年の第25回全国民謡フェスティバルでグランプリを獲得した民謡歌手の福田廣平さんも来伯するという。  慶祝団一行は、8月16日にアルゼンチン岩手県人会を訪問後、翌17日にサンパウロへ。18日に創立55周年記念式典に出席した後、翌19日にパラグアイの首都アスンシオンで同地県人会関係者と懇談。ピラポ県人会訪問(21日)後、22日にイグアスに移動し、翌23日にはイグアス岩手県人会50周年記念式典に出席する。  また北米のニューヨーク岩手県人会を24日に訪問し、同地で行われる「岩手フェア・復興写真展」で郷土芸能使節団が公演を行う予定だ。  会長職を14年務めている千田会長は、「今年はパラグアイのイグアス岩手県人会が50周年で、向こうに花を持たせる形で行われると思いますが、ブラジルでは1世主体としては最後の式典になると思われ、母県の人たちとの交流を主体にしたものにしたい」と話している。 2013年4月24日付
 ブラジル鹿児島県人会(園田昭憲会長)が今年の創立100周年事業の一環として、10月12日にサンパウロ市リベルダーデ区の文協小講堂(Rua Sao Joaquim, 381)で「西郷隆盛記念講演」を開催する。それに合わせて、鹿児島大学名誉教授の原口泉(65)が講演者に決定した。  原口氏は東京大学文学部国史学科、同大大学院修士課程修了(文学修士)。同博士課程を終えて、1979年鹿児島大学法文学部に赴任。助手、講師、助教授を経て、98年に教授になった。専門は日本近世・近代史。特に、沖縄、北海道、韓国、中国等の東アジア諸地域とのつながりの中で、南九州と薩摩藩の歴史研究に取り組んでいる。  著書に「篤姫 わたくしこと一命にかけ」(グラフ社2007年)、「龍馬を越えた男小松帯刀」(グラフ社08年)、「世界危機をチャンスに変えた幕末維新の知恵」(PHP新書09年)、「龍馬の夢を叶えた男 岩崎弥太郎」(KKベストセラーズ10年)などがある。また、NHKの大河ドラマ「翔ぶが如く」や「琉球の風」、「篤姫」(08年放送)の時代考証を担当している。  原口氏は10年に、ブラジルの宮城県人会館、鹿児島県人会館、ブラジル日本語センターなどで講演。その際は「なぜ今、龍馬なのか」「日本と明治維新」などさまざまな論題で会場を沸かせており、今回は西郷隆盛を中心に鹿児島の偉人をテーマに講演する予定だ。 2013年4月23日付
 ブラジル福島県人会(永山八郎会長)は28日、サンパウロ市リベルダーデ区の同県人会会館(Rua da Gloria,721)で「喜多方ラーメン祭り」を開催する。 開催時間は午前11時から午後3時まで。価格はラーメン1杯と3回分のビンゴカードが付いて20レアル。 永山会長によると昨年は300人程の来場者があったが、今年は既に200人分の前売り券が売れており、当日は400杯を用意しているという。  曽我部威事務局長は「喜多方ラーメンの特徴は、醤油ベースのあっさりしつつもコクのあるスープにあります。私が本場喜多方で食べて感激した味をぜひ皆さんにも味わっていただきたい」と来場を呼び掛けた。 喜多方ラーメンは、今から80年程前に中国から渡ってきた青年がラーメンを屋台で売り歩いたことから始まったと言われている。現在、喜多方市内には約120軒ものラーメン店がある。  前売券の購入や問い合わせは同県人会事務局(電話11・3208・8499)まで。 2013年4月20日付
ニッケイ新聞 2013年4月17日  長野県人会の定期総会が1月26日に行われ、高田アルマンド陸男さん(60、二世)が新会長に就任した。二世会長は会設立以降初めて。第一副会長、専務理事にはそれぞれ二世の赤羽ロベルト昇さん(67)、杉本テレザみどりさん(55)が就任し、3人が前会長の北澤重喜さん(82)とともに来社した。  これまで一世が活動の中心だった同会だが、このたび幹部が二世中心に一新され、〃世代交代〃した形だ。総会では反対する声もあったが、2期4年務めた北澤さんは「いつまで経っても副会長止まりじゃ、責任もってやらない。だから、思い切って皆二世にしました」と力を込める。「全面的に、物心両面でアジュダします」とエールを送った。  現在の会員数は350~400ほどで、主な年間行事は親睦旅行、敬老会、日本祭り参加など。最盛期には650家族ほどを数えたが、一世の逝去とともに、会員数は徐々に減っている。  「思い切って色々変えて、若い人を増やしたい」と声を揃えた3人。具体的には、今月28日に5県人会が参加して愛知県人会館で行われる「屋台祭り」に初めて参加する。出品料理は、同県名物の五平餅だ。杉本さんは「長野の伝統料理を食べてもらいたいから」と意気込む。  日本祭りには、北澤さんの農場で毎年有志が漬け込みを行う野沢菜漬けを出品している。「人手が足りず、手間もかかるため色々問題がある」ものの、今後も続けたい意向だ。「去年は一千袋くらい売れた。今年もそれくらい売りたいね」と北澤さん。今年は野沢菜漬けに加え、同じく長野名物のおやき、五平餅などの販売も検討している。  また、来年は会創立55周年を迎える。「長野は、人間は多くないが移住大県」(北澤さん)。今から県知事招聘なども視野に入れ、準備を進める予定だ。  さらに、「婦人部で手工芸品を作る」「月に一度の県人会便りに、行事報告だけでなく健康ネタなど皆が興味のある話題を載せる」など、その他にも活性化に向けたアイデアを披露し、意欲を見せた。  その他の今年度役員は次の通り(敬称略、一部のみ)。 【第二副会長】大島紘邦、【第一会計】佐藤満、【第二会計】篠原オラシオ裕之、【第一書記日語】春日洋呉、【第二書記】神津ソニアいずみ、【一般理事】菅沼久人、北澤重喜、吉原保、新井均、野沢今朝幸、牧野恒司、斉藤武兵衛、小林進一郎。   コラム【大耳小耳】  長野県人会の高田アルマンド新会長は現役医師で、30年前に佐久市(旧臼田町)の病院で研修した経験がある。専務の杉本テレザさんもかつて信州大学に留学しており、3人とも日本語が上手だ。県費技術研修生がメキシコ、亜国、伯国から母県に派遣されているが、大学卒業、一定の日本語能力などの条件があり、昨年は「適任者なし」というもったいない結果に。ぜひ〃二世体制〃で若い人が集まる県人会にしてもらいたもの。
20日(土曜日)◎モジ・ダス・クルーゼス市の秋祭りは、午前10時から同市内の文協スポーツセンター(Av. Japao, 5919)で。21日も。◎ビラ・モラエス文協の焼きそば祭りは、午前11時~午後5時まで、サンパウロ市(聖市)ビラ・モラエス区の同会館(Av. do Cursino, 3331)で。◎ 21日(日曜日)◎第15回憩の園支援歌謡祭は、午前8時からグアルーリョス市の同園(Rua Jardim de Repou so, 881)で。◎第21回リベイロン・ピーレス全伯虚子忌俳句大会は、午前10時からリベイロン・ピーレス日伯文化協会(Rua Primeiro de Maio, 56)で。午前8時から受け付け。◎ジョンブランコ婦人会の慈善バザーは、午前10時から聖市ジャルジン・ナカムラ区の同文化体育協会会館(Rua Manoel...
 ブラジル政府が2015年までの5年間にわたって約10万人規模で理系分野のブラジル人学生を海外に送り出している「国境なき科学」計画。既に欧米やアジア諸国などで実施されており、日本では国公立と私立大合わせて10校が受け入れを表明しているが、大阪府立大学(奥野武俊学長)でも伯人留学生の受け入れを希望しているという。 故・杉村濬(ふかし)駐ブラジル日本国第3代公使(岩手県盛岡市出身)の曾孫に当たり、同大副学長である杉村延広氏からこのほど岩手県人会(千田曠曉会長)にメールで連絡があり、「日系を含むブラジル人の大学院生の留学先として検討いただくなど、何らかのアクションを取りたいと考えております」と意欲を見せている。  今月から同大副学長として国際交流を担当しているという杉村氏は、2005年5月にブラジルを初訪問し、岩手県人会の千田会長たちの世話でリオ市内にある杉村濬氏の墓参を行った経緯がある。 杉村氏は「(ブラジルとの交流の話も)何かの縁だと考え、失礼ながら千田様に連絡させていただきました」と「国境なき科学」計画を具体化させる考えだ。 今後の具体的な動きはこれからだが、杉村氏はリオ州内の大学との連携も考慮している。 2013年4月18日付
 琉球民謡保存会ブラジル支部(米須正支部長)主催の第19回民謡大会が、21日午後2時から沖縄県人会本部会館(Rua Dr.Tomas de Lima,72)で開催される。 同大会では、85人の歌い手が一般の部と65歳以上の高齢の部に分かれ、それぞれグランプリを選出する。各部門のグランプリ受賞者は、沖縄県で開催される「民謡の祭典」へブラジル代表として出場する。  米須支部長は「当日は、毎年好評の協和婦人会による沖縄そばやゴーヤーチャンプルーの販売も行われます。どうぞ皆さんでお越しください」と来場を呼び掛けた。 入場無料。問い合わせは米須支部長(電話11・9307・7987)まで。 2013年4月18日付
 一行はその後、フロリアノーポリス近郊にある温泉街のサント・アマーロ・デ・インペラトリスへ向かった。当地の人口は約2万人。1818年にドン・ジョアン6世が温泉の湯治効果に着目して病院を造ったのが街の始まりだ。以降、大きく街が発展することはなかったが、1920年にホテルができたことから温泉街として知られるようになった。源泉の温度は41・5度で、美肌効果などがあるという。宿泊先のプラザ・カルダス・ダ・インペラトリス・リゾート&スパには六つのプールのほか、サウナや散歩道、スポーツコート、トレーニングジムなどが用意されており、一行は大いに羽を伸ばした。  今回の旅に兄弟で参加していた宝キヨシさん(73、2世)は「ここはご飯もおいしいし、温泉も気持ちよくてパライゾだよ」と温泉に浸かりながら、弟のカズオさんと笑っていた。 また、30年前に当地に来たことがあるという中原陽出子さん(77、2世)は「あのころは小さく古いホテルが一つあっただけで、辺りはただの山だったのに」と、その発展ぶりに驚いていた。  5日目の午後1時半からは、ブラジル健康表現体操協会所属の参加者ら10人が、ホテルのデッキで体操を披露した。最後は一般の人も参加して清々しい山の中でのびのびと身体を動かしていた。 また、5日目にはフロリアノーポリスにオプショナルツアーで参加した人もいた。その1人、草川一郎さん(81、2世)は「プライア(海岸)やつり橋など5カ所を巡ってきた。レストランも魚介類がとてもおいしかった」と満足気な表情を浮かべていた。  5日目の夜は全員が集まっての会食となった。県連の本橋幹久団長(77、鳥取)があいさつに立ち、「過去最大規模のふるさと巡りもここまで無事に終えられて良かった。これも皆さんの協力のお陰だ。南部は新しい日系コロニアが多いが、今後こういった所との付き合い方も考えていく必要がある」と話した。 最終日は朝の出発からバス別の行動となり、サンパウロまでの720キロをバスで約13時間かけて移動した。1号車は午後9時過ぎにサンパウロ市リベルダーデ広場に到着し、6日間の旅行を通して仲良くなった参加者同士の別れを惜しみつつ解散となった。  今回が初参加だった石村典栄さん(84、2世)は「とても素晴らしく、実のある旅だった。特に温泉ホテルではとてもリラックスできた。またぜひ参加したい」と旅の感想を答えた。 同じく初参加だった三宅昭子さん(70、秋田)も「とても旅は楽しかった」と話す一方、「ジョインビレやイタジャイでは現地の日系人の方とあまり交流を深められず、少し残念だった」と今後の改善を希望していた。  なお、次回のふるさと巡りは10月17日~23日にかけて、ドミニカ共和国を訪れる予定だ。ふるさと巡りとしてドミニカ共和国を訪れるのは初めての試みで、サントドミンゴ、ジャラバコア、コンスタンザの3カ所での交流が予定されている。既に多くの申し込みがあり、当初の定員60人を突破したため、定員を拡充して100人まで募集する予定だ。 世界に広がる日本移民の絆が、今後もふるさと巡りの事業を通じて深まることを願うばかりだ。(おわり、毛利健人記者) 2013年4月17日付
 工場見学を終えた後は、SANJOのリンゴ農園でわずかな間だが、リンゴ狩りを楽しんだ。この農園には10ヘクタール1万本のリンゴの木がある。日本とは異なり、一本一本を離さずに群生させて育てているのが特徴的だ。上部には、ひょう被害を防ぐネットがあるが、過去にひょうを防げず破れてしまったこともあるといい、当地のリンゴ栽培の難しさを思わせた。 農業を今も営む参加者の平谷勲さん(69、和歌山)は周辺の岩がごろごろとした寒冷な土地に目を向け、「気候だけはいいものの、土地はあまりリンゴには向かないように思える。よくここまで農場が大きくなったものだ」と感心していた。なお、今年のサンジョアキンのリンゴは出来はいいものの、玉が小さいという。  その後一行は、サンジョアキン文化体育協会会館へ向かった。そこには、同文協(降旗キヨシ会長)の会員らが、手作りの焼きそばを準備してくれていた。 同文協は現在61人の会員が所属し、その大半がSANJOで働いている人、もしくはその家族だ。花見会や運動会などのほか、年間4~5回焼きそば会を開き、毎回約300皿が売れるという。当地の焼きそばはあんかけ風で、野菜たっぷりほくほくなのがこの寒冷な気候に合う。  会館ではミサが行われた後、この焼きそばが会食として振る舞われた。コチア青年の第1回移民で渡伯したという荒木滋高さん(81、三重)は、「コチア青年は初めて会った人でも兄弟のように感じる。ここでもコチアの同胞たちがあんなに立派な工場まで建てていて我がことのようにうれしい」と感激した様子で、SANJO組合員らと話を弾ませていた。楽しい時はあっという間に過ぎ、気付けば時計の針も午後10時を回っていた。最後は荒木さん、小林誠さん(70、和歌山)、県連事務局の伊東信比古さん(69、大分)のハーモニカの伴奏により、会場全体で「ふるさと」を合唱。住む場所や世代は違えど、同じ心の古里を持つ日系人としての絆の強さをしみじみと感じさせられた。  翌朝は冷え込みが厳しく、気温も10度を下回った。街路樹も色付き始めており、旅の疲れもあって記者には布団から出るのが辛かったが、午前7時半の集合にはさすが元気なコロニアの年配方、ほとんどの人が間に合っていた。その後、1号車の人々はホテル近くにあるマトリス教会(Igreja Matriz)を見学した。 ここにはサンジョアキンの石を用いた女神像や天使像、心臓の像などが置いてあった。また、近くの広場や市議会にも石像があったが、これらはすべて故人の大槻エルソン氏(3世)の作品だ。息子のアンデルソン氏の話によると、大槻氏は1972年にリンゴ栽培のために当地に入植し、ある日、家の台所からサンジョアキンに多く転がる石を見て、石像を作ることを思い付いたという。  以来、2回市議会議員を務めるなどしながらも創作を続け、2000年に州議会議員選挙に敗れてからは創作により力を注ぐようになった。大槻氏は07年に逝去するまでに約700点もの像を手がけ、これらの作品はブラジルのみならず世界中で展示されているという。 秋模様の広場で大槻氏の石像に見入っていると、ブラジル人の清掃夫が話しかけてきた。彼は「これらの石像はサンジョアキンのシンボル。ここの人間は皆ジャポネースに感謝しているよ」と誇らしげに胸を張った。(つづく、毛利健人記者) 2013年4月16日付
 10日よりサンパウロ(聖市)入りしていた若林健太外務大臣政務官(49、自民党、長野選出参議院議員)の歓迎懇談会が、11日午後7時50分から日系34団体の共催により、サンパウロ市リベルダーデ区の文協ビル2階貴賓室で行われ、約150人が出席した。 壇上には若林政務官をはじめ、木多喜八郎文協会長、菊地義治援協会長、園田昭憲県連会長、羽藤ジョージ・サンパウロ州議員、福嶌教輝在サンパウロ総領事などが登壇した。 出席者の紹介の後、木多文協会長は「若林政務官の訪伯を日系社会の代表が総出で出迎えることができ、日伯の絆はより強くなった。サンパウロへようこそお越しいただきました」と歓迎の辞を述べた。  次に若林政務官があいさつに立ち、「2008年には農水相だった父もブラジルを訪れ、当地の日系社会から手厚い歓迎を受けたと聞いており、かねがねブラジルにはぜひ来たいと思っていた。今回、念願かなってブラジルの地を踏むことができとてもうれしい。当地での日本の外交と日系企業の進出は、移住した先輩方が苦労して築いた信頼の土台の上に成り立っている。その貢献に心から敬意を表します」とスピーチを行い、会場から盛大な拍手を受けた。 その後、菊地援協会長が乾杯の音頭を取り、懇談会では若林政務官の前にあいさつを求める人の列が続いた。 2013年4月16日付
 イタジャイに1泊した後、一行はサンジョアキンへの旅路に就いた。1号車のバスの中ではいつの間にか1人の客がピアーダを皆の前で披露し、バス内をわかせていた。マイクを握るのは、今回で27回目の参加となる清水秀英さん(78、愛知)だ。「色々なことを調べるのが好きで、つい皆に教えたくなってしまう」と語る清水さんは、その後クイズ大会を開き、ともすれば退屈になりがちなバス移動で皆を楽しませていた。 サンジョアキンに着くと、辺りは荒涼とした丘陵が広がっていた。サンジョアキン市は人口約2万5000人の小さな街だ。標高が1300メートル程あるため冷え込み、上着を着込むようガイドからの指示があった。レストランで昼食を取った一行はその後、SANJO(サンジョアキン農業組合)の工場へ向かった。  SANJOはコチア産業組合が1994年に解散した後、組合員たちが自ら出資し作られた農業組合だ。名前はサンジョアキンの略称に由来し、現在は78人(うち3人が非日系)の組合員がいる。当日は日曜のため工場は稼働していなかったが、一行のために工場を特別に開けてもらえた。衛生管理のために着せられた白衣に、「まるで原発のように厳重だ」などと少しざわめきながらも、皆ガイドの説明一言一句に耳を傾けていた。 中でも圧巻だったのは、2010年から稼働したワイン用の新工場だ。1基にワイン500本が入るというコンテナがたくさん積まれた冷暗室にはワインの甘い香りがほのかに漂い、一行の購買意欲をこれでもかというほどに高めていた。もちろん記者もたまらず1本購入した。 02年から始まったSANJOのワイン作り、現在では年間5~6万本出荷している。ブラジルワインは概して白ワインより赤ワインの方が国際的に評価を得ることが多かったが、当地の寒冷な気候は特に白ワイン用のシャルドネ種(Saviao branque)栽培に適しており、数々のコンクールでも受賞するなど高い評価を得ているという。  しかし、SANJO理事の飯田義孝パウロさん(57、2世)の話では、「ワインの出荷量は年々少しずつ伸びているものの、ブランド力が必要な市場なので輸入品が強く、まだ黒字事業にはなっていない」状態だという。一方のリンゴは20年前から3万トン伸び、現在年間4万2000トンを出荷するなど好調だ。 現SANJO組合長を務める清水信良さん(51、東京)は「3年前から婦人部が始めたリンゴジュースは順調なので、そういった加工品にも力を注いでいく。リンゴの貯蔵庫も増やしていきたい。しかしリンゴばかりに頼るわけにはいかず、ワインは今後も根気強く続けていく。今年はSANJO設立20周年の記念年なので、大いに盛り上げていきたい」と今後の抱負を話した。(つづく、毛利健人記者) 2013年4月13日付
ニッケイ新聞 2013年4月12日  サンジョ組合の新商品Sanditoの100%生リンゴジュースは特に「味が濃い」と好評で、150グラム当たり10個のリンゴが入っているというから当然だ。でもいくら良い製品を作っても販売手腕が物を言うのが、商売の世界だ。  そして、うまい話にもちろんタダはない。元々その年の気候に強く左右され、競争が激しいから利益率も高くない。その中で売り上げの2%をロイヤリティとしてディズニーに収めなければならず、清水信良組合長も「ほんと高いよね」と痛し痒しといった様子だ。  夜10時頃、交流会の最後は、荒木滋高さん(しげたか、80、三重)=ブラジリア在住=のハーモニカに合わせて、全員で恒例の「ふるさと」を大合唱し、握手で別れを惜しんだ。 ◎   ◎  一行は午前8時過ぎ、カウダス・ダ・インペラトリスの温泉ホテルに向かう途中、断崖絶壁の景色で有名なアウミランテに立ち寄ってから、同リゾートホテルに泊まった。  到着直後、参加者の四條幹さんの体調が悪くなり、添乗員が強く薦めて緊急入院する一幕もあった。娘が医師の関係で、同病院の担当医と娘が直接に連絡を取り合い、研究検査後に聖市に運ばれることになったという。  天理教の伝道師をする西沢定子(さだこ)さん(83、三重)はもう10回以上このツアーに参加している。「目が悪いから風景とか全然見えないんだけど、皆さんとしゃべるのが楽しみ。出身県を聞いてそこの民謡を歌うと皆さん喜んでくれるの。知り合いになるのが生きがい。私は115歳まで生きるのが予定」と一気にまくし立てた。  一方、コチア青年の森本勝一(77、高知)、美栄子さん(75、二世)夫妻=サンロレンソ・ダ・セーラ在住=は参加者名簿に、1960年にスザノ市の同じ「日の出植民地」に入った小池みさ子さんの名があるのに気づき、添乗員に紹介してもらい約50年ぶりの再会を果たした。  森本さんは顔を見てすぐに分かったが、小池さんの方はポカンとしていたので、「あんたボケたんか」というと、彼女は「あっ!」と分かったという。  森本さんは「あの頃はご飯とフェイジョン、たまにイワシの塩漬けが普通の食事。パトロンも同じものを食っていた。モルタデーラとガラナがご馳走だったな」と懐かしむと、小池さんは「みんなでバタタを植える作業をして、その後、ご馳走がでるのが楽しみだったわね」と相槌をうった。  小池さんはその時の情景をこう詠んだ。 《とっさには思い出(い)だせず移住初期つき合いし人に出遇うも》 こんな短歌が生まれるのも旅の醍醐味だ。  最後の夕食となった26日晩、本橋幹久団長は皆を前に「これで主な集団地は一通り回った。次回からは今まで回ったところを2度目、3度目に訪ねることになる」と挨拶した。  一行の神林義明さん(76、長野)は「実はサンジョアキンに入植しようと思ったこともあった」と明かす。「だって兄がリンゴ作りをやっていたし、後沢先生は長野県の須坂園芸場長をされていたから、日本にいた頃から面識があった。心が動いたね。でも子供が小さかったし、リンゴの苗を植えてから4年間も無収入だって聞いたから泣く泣く諦めた」としみじみ語った。  翌日朝8時過ぎに出発して一路聖市を目指した。参加者はそれぞれが感じた感慨を胸に、午後10時過ぎにリベルダーデ広場で解散した。  (終わり、深沢正雪記者)
ニッケイ新聞 2013年4月12日  静岡県人会の名誉会長だった鈴木静馬さんが7日午後8時過ぎ、心疾患で1年ほど入退院を繰り返した後、自宅で逝去した。翌日午後、イビウーナ市のパス墓地に埋葬された。享年81。  1932年静岡県袋井市生まれ。58年に自由渡航で渡伯し、洗濯屋の下働き、自動車の修理見習いなど様々な職を経て、イビウーナ市の斉藤養鶏場の幸子さんと結婚、経営に携わった。  県人会会長を1995年から計9年間務め、05年には、自身の出身校静岡県立磐田農業高等学校による「ブラジル生徒派遣交流事業」の実現に尽力、事業は今も続けられている。  聖南西文化体育連盟の会長も務めた。文化功労章(世界平和科学貢献紋章院)、コメンダドール章、グランクルース章。  初七日法要は13日午後3時から、佛心寺(Rua Sao Joaquim 285, Liberdade)で執り行われる。
ニッケイ新聞 2013年4月11日  「『石は人間が動かせるが、気候は動かせない』って後沢博士がよく言っていました」。サンジョアキンをリンゴ団地の候補地として選んだ後沢憲志博士の有名な言葉を繰り返すのは、74年入植の草分け平上文雄さん(63、和歌山)だ。  「後沢博士は日本から白樺を持ってきて、これが白くなれば良いリンゴができると言った。そして本当に白くなったんです」と懐かしむ。「でも、僕は和歌山生まれだから、それまで白樺自体見たことなかった」と笑う。リンゴには年間で7度以下が700時間も必要なのだという。「州内でもここだけ」と平上さんは言う。  1959年に渡伯し、当初はパラナ州ウライに入ったが、数年後に聖州マイリンキに初めて自分の土地を買った。当初、コチア産組が始めていたバイーア州ペトロリーナの欧州向け果実生産地を視察に行った兄は、「あそこは子供の教育に向いてない」との感想を漏らした。その直ぐあとにサンジョアキンの話が出てきて、兄から「リンゴ作りに行ったらどうか」と薦められ、平上さんは決心した。  最も新しい集団地の一つだけに、サンゴタルドしかり、ペトロリーナしかり、ブラジル農業の拡張期の名残があちこちにある。まさに70、80年代のコチア産組全盛期の勢いが感じられる逸話が満載の場所だ。  リンゴの苗木は植えてから4、5年目以降でないと収穫できない。その間、無収入でも持ちこたえられるような、例えば兄弟が他で収益を上げて支えられるような人を組合は選んだ。それでも「最初の16家族中、3家族は抜けた」と振り返る。  「最初は誰もリンゴ作り知っている人がいなかった。後沢博士だけが頼り。リンゴの収穫ができるまで、えんどう豆やバタタの種芋を作ったり、手探りで生き延びた」という。「新しい土地だったから凄い種芋ができてお金になった。最初は種芋サマサマだったよ」。  平上さんは1989年、コチア産組が80年代に経営不振にあえぎ、遅々として再建が進まない様子に見切りをつけて独立し、平上兄弟商会を設立した。現在では250ヘクタールもリンゴ栽培し、「だいだいサンジョ組合の5分の1の規模。収穫には500人を雇っている」という。  「かつてはフライブルゴのリンゴ生産の方が多かったが、今ではこっちの方が多いぐらい。それでもリオ・グランデ・ド・スルはまだ多い」と表情を引き締めた。  相方として聖市で販売担当をする兄は、ゴルフ場ヴィスタ・ベルデ(カステロ・ブランコ街道51キロ)も経営している。  「入植当初のここは、サンパウロではあった電話も電気も水道もない状態。ないないズクシの開拓地なのに妻は不平も言わず来てくれ、本当によくやってくれた」としみじみ語り、「もちろん、今だから言うけどね!」と笑った。 ◎  交流会で会った同地組合の百合勝一さん(69、愛媛)は、「ディズニーが『うちのマークを使ってくれ』と組合に売り込みに来たんですよ」と意外な話を披露する。7、8年前のことだ。百合さんはリンゴ団地開設の翌75年に入植した古参だ。  子供向けの小粒リンゴを9個ほどで一パックにした商品は、大手スーパーなどで「モニカ」「セニーニャ」など各種ブランド名で売り出されている競争の激しい商品分野だ。元々は「Sandito」ブランドだったが、ディズニーの絵柄を袋に採用していから、「どんどん売れるようになった。『モニカ』とかは、最初はボクらを競争相手とも思っていなかったようだが、今じゃ戦々恐々としていると聞くよ」と余裕の笑みを浮かべた。(つづき、深沢正雪記者)
袖ヶ浦と交流深いイタジャイ  イタジャイ文協の建物は少しこじんまりとした印象を受けたが、これは袖ヶ浦市にあるブラジルとの交流団体「太陽の友達の会(アミーゴス・ド・ソル)」から援助を受けた3000ドルを基に造った、日伯友好の証しとも呼べる建物だという。そのほか、2008年には袖ヶ浦市の協力で同市内に鳥居ができたり、「袖ヶ浦通り」や「袖ヶ浦市場」なる所があったり、また双方の定期的な人材交流があるなど、両市はこれまで着実な関係を築いてきた。  また、日本からもイタジャイが08年に豪雨被害に遭った際、2000レアル分の救援物資を文協として受け取り、そのお返しとして東日本大震災発生の際には他の州内各文協と協力し、3800レアルを義援金として送金するなどしている。 しかし、最近「太陽の友達の会」内で派閥分裂争いが起きるなどしており、若干両市の関係が機能不全になりつつあると同文協関係者らは不安を口にしていた。  なお、当地でも日本のアニメは根強い人気があり、毎年5月に行われ今年で8年目を迎えるイタジャイのアニメイベント「Anime-kei」には、2日間で約3000人の来場者があるという。その大半は非日系の若者たちだ。当地の公文で日本語教師を務める斉藤アイコさん(3世、47)の話によると、イタジャイの公文の日本語クラスに所属する生徒13人も、ほとんどがアニメや漫画好きの非日系人だという。 その後、海が臨める海岸沿いのレストランで、イタジャイ文協会員ら7人と共に一行は夕食を楽しんだ。記者はその1人である関口のぶさん(茨城、73)と同席に着き、話を聞くことができた。  関口さんは同じ茨城県出身で夫の健次郎さん(76)と共に、サンパウロ州ピンダモニャンガバに58年入植した。その後、「寒冷なサンタ・カタリーナで小麦を作ろう」という夫の発案によって、親の「鳥のようにすみかを変えるな」という反対も押し切り、61年にサンタ・カタリーナ州ガスパーラに入植した。しかし、意外な夏の暑さに小麦を断念、レタスやトマトなどをブルメナウに卸すようになった。 しかし、「去年もうかったと思えば今年は大不作になったりする」という気候の不安定さに泣かされ、ついには子どもを抱えて橋の下で生活するまでになってしまった。長女の学校の入学金も払えず、教師が情けで入れてくれたこともあったという。  そのような生活から抜け出すためにも一念発起、イタジャイのコロニア・ジャポネースへ移住を図ったのは72年のことだ。当時イタジャイを始めとするサンタ・カタリーナ州沿岸地帯に人口が増え始め、野菜需要も増加したものの、周辺に野菜農家が不足していたため多くの野菜は鮮度が低く、高価だった。そこで、野菜作りに詳しい日系人らを集めて蔬菜(そさい)園芸移住地を設定し、生産物をイタジャイ氏中央市場に流そうと画策された。これに応じた関口さんも含む日系家族の多くは、ポルト・アレグレなどから再入植してきた。しかし、州政府や市役所、国際協力事業団(現・国際協力機構)の後押しはあったものの資金援助はなく、その後も苦しい生活だったという。  今となっては、コロニア・ジャポネースに残るのは関口さん夫婦も含め3家族のみだ。決して楽だったとは言えない半生だが、それでも関口さんは「色々苦労はあったけど、心の奇麗な人と結婚できて子どもも立派に成人し、何度か日本に帰ることも考えたけどやはり帰らず良かった。私は今幸せです」と静かに手を合わせていた。 (つづく、毛利健人記者) 2013年4月12日付
 若林健太外務大臣政務官(49、自民党、長野選出参議院議員)が8~14日の日程でアルゼンチンとブラジルを訪問しており、10日からサンパウロ入りした。翌11日午前11時からイビラプエラ公園内の開拓先亡者慰霊碑を参拝し、県連(園田昭憲会長)関係者や長野県人会の北澤重喜前会長らが出迎えた。 若林政務官は、慰霊碑に刻まれた故・田中角栄氏の揮毫(きごう)を見ながら「力強いですね」などと話し、木原好規和歌山県人会会長から慰霊碑の説明を受けた後に碑に向かって手を合わせた。  若林政務官は、在ベレン総領事館の縮小問題に地元から大きな反発の声があることについての本紙の取材に対し、「自民党内部でも(在ベレン総領事館の縮小問題については)さまざまな意見が出された。同地に進出する日系企業もあり、現地との関係を深めることは大切だが、日本の厳しい財政事情の中で新しいところ(南スーダン、アイスランド両大使館)を建てるためには仕方がない。また(ベレン総領事館の)事務量が以前より減少していることを考えての決断では」と述べた。  また、ブラジル日系議員による情報で、6月に岸田文雄外務大臣が来伯する可能性については、「まだ確定していないので何とも言えない」と答えるにとどまった。 若林政務官一行はその後、改修工事の準備をしている日本館を訪問し、内部を見て回った。 2013年4月12日付