06/03/2026

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ニッケイ新聞 2016年7月21日  グァタパラ農事文化体育協会(茂木常男会長)は16、17の両日、同地の中央会館で『移住地入植54周年祭』と『収穫祭』を開催し、会員や地域住民ら多くの来場者で賑わった。 初日午前10時には、モンブカ墓地の「拓魂碑」前でカトリック式の先没者慰霊法要が開かれた。約60人の参列者が献花、焼香を行い先人を弔った。 市の鼓笛隊が開幕を告げ、記念式典に移った。来賓には中前隆博在聖総領事、JICAの那須隆一所長、サミール・レドンド市長、南米産業開発青年隊の渡辺進会長らが訪れ、入植54周年を祝福した。 ステージでは日本舞踊、カラオケやダンスなどの演目が会場を沸かせた。毎年人気の特産物展では、グァタパラの農産物を使った五輪マークが展示され、多くの来場者が記念写真を撮っていた。  5色はそれぞれレモン、ジャブチカバ、マラクジャ、トマト、染色したマーガレットで表現された。輪の中には約1200個の卵が置かれ、周りには乾燥トウモロコシが敷き詰められた。 他にも地元小学生による手芸品、日語校生徒の製菓販売に、書道作文なども展示され、中前総領事が訪れ楽しむ様子が見られた。 毎年用意される県連バスツアーでは、聖市から24人が駆けつけた。ブラジリアから訪れた吉田武弘さん(71、佐賀)は「ここのイベントは金儲けのためではなく、グァタパラのためにやっている。日本人らしく思う」と誇らしく語った。 姉妹で来場した元入植者の久保ユキエさん(69、佐賀)と山本貞子さん(66、同)は「赤土がとても懐かしい。昔を思い出すわね」と顔を見合わせ、「知り合いに会えてよかった。来年の55周年も期待している」と微笑んだ。   □関連コラム□大耳小耳  16、17日に開催された『グァタパラ移住地入植54周年祭』と『収穫祭』では地元の皆さんの祭りへの愛情と誇りを強く感じた。グァタパラ農事文化体育協会の婦人会は、外がまだ真っ暗な早朝に準備を始める。昨年まで22年間婦人会リーダーだった高木みよ子さん(69、山形県)は、「よそから来たブラジル人がここの弁当を食べて、『リベロン・プレットのレストランより美味しい』って言ってくれ、嬉しかった。みんな、ここでいっぱい楽しんで好きになってほしい」と期待をこめた。
 【既報関連】8月に開催を控えるリオ五輪に向けて最終となる「第4回オリンピック・パラリンピック連絡協議会」が15日、在リオ・デ・ジャネイロ総領事館で開かれた。  多発するテロの影響を受け、かねてより検討されていた女子マラソンの集団観戦の計画を中止することが決定された。ブラジル政府側からもテロや治安対策への注意喚起が促されているという。関係者によると「あくまでも連絡協議会の事業として中止になっただけで、応援を禁止しているわけではない」と説明した。  リオデジャネイロ・オリンピック・パラリンピックリオ総領事館特設ページには、強盗などの被害に遭った場合に文民警察署に提出する日本語訳付きの被害届が新たに掲載されている。  サンパウロの各日系団体の動きとしては、サンタ・クルス病院が期間中、リオに日本語対応のできる医師と看護師を派遣することが決定した。また、援協では緊急連絡先が書かれたカードを3000枚配布している。さらに、文協のオリンピック特設ホームページにはブラジル側からのアクセスが伸びているという。  13日に在サンパウロ総領事館で開かれた記者ブリーフィングで中前隆博総領事は「総領事館や日系団体がリオ五輪に向けて行っている取り組みを、どう宣伝していくかが大きな課題」と話した。 サンパウロ新聞 2016年7月21日付
 沖縄県人会ビラ・カロン支部(上原テーリオ支部長)は「第14回おきなわ祭り」を8月6日午前11時~午後9時、7日午前11時~午後8時にサンパウロ(聖)市ビラ・カロン区の同支部会館そばの広場(Praça Haroldo Daltro s/n)で開催する。去年との変更点は、会場のグランド整備の関係で内側はステージの鑑賞のみになり、屋台などの出店や食事スペースは会場周りの外側テントで行うので注意が必要。  同祭は例年2万人以上が来場する聖市東部の恒例イベント。今年は飲食店とバザリスタそれぞれ50店、計100店以上が出店し、ヤギ汁、沖縄そば、サーターアンダギーなどの沖縄料理や、衣類雑貨、CDなど多種多様な商品が並ぶ。  ステージでは600人の演者による琉球国祭り太鼓、三線、空手、ダンス、歌や踊りなど様々な琉球芸能が2日間にわたって披露される。さらに、沖縄に留学経験のある若者が空手、茶道、仏壇、琴などの歴史や成り立ちを説明するブースや、生け花、漫画、日本語などを教えるワークショップも開催する。  案内に来社した上原支部長、比嘉セルジオ同祭実行委員長、照屋武吉副支部長は「去年は1万5000キロの食料品などの寄付も集まり、日系を含め11カ所の施設に送ることができ、ありがとうございました。今年も大勢のご来場をお待ちしております」と当日の来場を呼びかけた。また、駐車場のスペースが少ないので、地下鉄カロン駅下車後のバスの利用も勧めている。  入場無料だが、保存食品1キロ分の持参が必要。集まった食品の半分は日系団体の施設に、残りの半分はブラジルの施設に寄付される。  問い合わせは同支部(電話11・2296・1120)まで。同祭ウェブサイト=(www.okinawafestival.com.br) サンパウロ新聞 2016年7月21日付
「移民のふるさと」への思い馳せ  グァタパラ農事文化体育協会(茂木常男会長)は16、17日の両日、サンパウロ(聖)州グァタパラ移住地の同会館で入植54周年を祝う入植祭及び収穫祭を開催し、16日には先亡者慰霊ミサと記念式典が行われた。かつての入植者をはじめ、地元や聖市などから多くの人が訪れ、「移民のふるさと」グァタパラに眠る先人たちへ思いを馳せた。(山野美桜記者)  16日午前10時からモンブカ墓地で行われた慰霊ミサには、在聖総領事館の中前隆博総領事、岩嶋健次領事、那須隆一JICAブラジル事務所所長、松尾治文協副会長、尾西貞夫援協副会長、渡辺進南米産業開発青年隊協会会長、前田進コチア青年連絡協議会会長、ブラジル新潟県人会の南雲良治会長、吉田直人サンパウロ日本人学校校長をはじめ、ノルベルト・セリー・グァタパラ副市長ら約80人が参列した。  青空の下、聖歌斉唱が行われ、同地に眠る笠戸丸移民と220人の先亡者に思いを馳せながら、参列者一人一人が「拓魂」と刻まれた慰霊碑に献花した。  午前11時頃から同文協横の屋外イベント場で行われた記念式典では、地元マーチングバンドにより日伯両国歌と市歌が演奏され、華やかな幕開けとなった。  あいさつに立った茂木会長は「グァタパラ移住地では少子高齢化問題は避けられず、人口の減少も心配させられるが、家業を継ぐ家族も徐々に増えてきているように感じ、心強く思います。次世代を担う後継者に当グァタパラ文協としても支援し、力を合わせていきたい」と今後の展望を語った。  また中前総領事はあいさつで「108年前、笠戸丸に乗って来られた最初の移住者の方々が働かれたのがここグァタパラのコーヒー農園。私どもブラジルに関わる者にとって忘れることのできない歴史」と語り、同地のさらなる発展を願った。  当日メーンステージでは、太鼓、歌、踊りなど2日間で計97の演目が行われたほか、午前5時から集まった婦人部により作られた食事コーナー、同地日本語学校の生徒による書道や絵画の展示や収穫祭が行われ、賑わいを見せた。  収穫祭では、農事部が会員家庭に種や肥料を配り、毎年この時期に合わせて各家庭で丹念に育てられたレンコンやしめじ、にんにく、らっきょう、とうもろこし、ジャブチカバのほか、卵や米などが展示され、17日には販売も行われた。農事部の大野卓治さん(34、2世)によると「昔はたくさんいた養鶏家も少なくなり、米農家も今では2家族しかいない。グァタパラは乾燥しているので、農作物を育てるには条件が悪い。農業で生計を立てる日系人はかなり少なくなってしまったけど、年に1回の収穫祭をみんな楽しみにしている」と話した。  1963年に入植し、1年半同地で過ごした久保ユキエさん(69、佐賀)と5年間過ごした山本さだ子さん(66)姉妹は聖市から4年ぶりに同地を訪れ、「元近所だった人や同船者に会ってゆっくり話ができて楽しかった。50周年の時にも来たけど、あの時は忙しそうであまり喋れなかったからね」と口を揃え、思い出話に花を咲かせていた。  茂木会長は同祭を振り返り、「入植祭は毎年賑やかになってきている。グァタパラは他に比べると1世が多いが、確実に少なくなってきている。でも、日本人のお祭りなので、なるべく日本語でやっていきたい。この伝統的な入植祭が今後も長く続くことを確信しています」と笑顔で語った。 サンパウロ新聞 2016年7月20日付
県人会、地元の人々との交流深め  岐阜県人会(青山高夫会長)主催の第38回岐阜県農業高校海外実習生を歓迎するシュラスコ昼食会が17日、サンパウロ州サンミゲル・アルカンジョ市コロニア・ピニャール(福井村)で行われた。 当日は、同県人会会員が午前7時にサンパウロ(聖)市リベルダーデ区グロリア街の県人会館前に集合して出発。一行は同11時15分、目的地のコロニア・ピニャール在住の資産家である天野鉄人氏の宿泊施設に到着した。聖市内では肌寒い曇り空だったが現地では快晴となり、県人会員一行は水曜日(13日)からコロニア・ピニャールの「福井村」近辺の農場で研修していた同海外実習生10人と合流した。  実習生たちは同地の日系農場で、酪農、トマト、キュウリ、ブドウ、デコポン、ビワ、アテモヤなど飼育や収穫実習を行った。  食事の前に、同実習生の生徒代表である岐阜県立岐阜農林高等学校2年動物科学科の中島百悠(もゆ)さんをはじめ、同校3年動物科学科の野網風子(ふうこ)さん、大垣養老高校3年環境園芸科の安藤潮(うしお)さん、同校2年大島邦英人(くにひと)さん、郡上高校3年森林科学科の山田健人(けんと)さん、加茂農林高校2年生産科学科の近藤圭馬(けいま)さん、恵那農業高校2年食品科学科の古井あすかさん、同高2年の山本翔太さん、飛騨高山高校3年園芸科学科の黒木康佑(こうすけ)さん、同校2年環境科学科の若山祐太朗さんが、それぞれ自己紹介した。  国井宏祐岐阜県人会副会長、天野氏、福井村の山下治氏のあいさつ後、同地在住の日系人も駆けつけ、一緒に食堂でサンパウロから来た岐阜県人会会員の一品持ち寄り手料理と豪快なシュラスコを昼食として堪能した。  食事後はみんなでビンゴ大会を行ったり、同実習生たちが持ってきた音楽で全10曲ある郡上(ぐじょう)踊りの中から2曲「かわさき」と「春駒」を踊り、実習生から県人会各参加者にプレゼントの贈呈と参加者全員で「ふるさと」と「明日がある」を熱唱し、今後に向け一層の親睦を深めた。最後に天野図書館前で参加者全員で集合写真を撮った。  親子で参加していた中田博之さん(53、3世)は「天気も良くなり本当に良かった。皆にいっぱい食べてもらえて、一緒に話せて楽しかった」と語り、同氏の子息で過去に岐阜県県費留学生として訪日経験もある中田和男さん(26、4世)は「日本での皆さんに良くしてもらったので、今度は僕達がお返しをする番」と笑顔を見せた。 昼食会は短い時間だったが、実習生たちはコロニアの人々と心が通ったようで皆、名残惜しい面持ちだった。その後、一行はサンパウロへ戻り、午後6時40分に解散となった。  岐阜県人会理事の長屋充良さんは「今年も継続して皆さんと交流を深めることができて嬉しい。母県岐阜とのつながりを深めながら、実習生に多くのことを吸収してもらいたい」と話した。 サンパウロ新聞 2016年7月20日付
ニッケイ新聞 2016年7月20日  南米浄土真宗本願寺派(通称西本願寺)の久保光雲開教使による講演会が、23日午後2時から聖市の広島文化センター(Rua Tamandare, 800)で行なわれる。テーマは『極楽への旅路』。同センター主催、日語のみ。入場無料。  画家でもある久保開教使は、先月に落慶した新モジ・ダス・クルーゼス本願寺のふすまと内陣に、約10カ月をかけて極楽浄土の絵を制作した。その作業を見た同センターの平崎靖行会長が企画を提案した。  講演ではふすま絵をスクリーンに映しながら、そこに描かれた蓮の花、孔雀や鸚鵡、2つの頭を持つ共命鳥などの由来を通し、極楽浄土に至る道を解説する。  広島出身の同開教使は、京都市立芸術大学を卒業後、日本と米国にて絵画展と法話会を開催。龍谷大学大学院で真宗学を修め、昨年当地へ赴任した。著書に『光雲な毎日』(コスモスライブラリー刊)。  伯国での初の講演に、「高齢化が進む日系社会だが、『いつ死んでも大丈夫』という安心を得ておくのは大切なこと。仏様からのプレゼントを、あなたも頂いてみませんか」と、人生の〃終活〃に向け参加を呼びかけている。  問い合わせは同県人会(11・3207・5476)まで。   □関連コラム□大耳小耳  23日に講演会を開く西本願寺の久保光雲師は広島出身。第二次大戦で原爆が投下された事実に、大きな影響を受けたという。親族に被爆者がおり、母校の広島女学院でもよく「広島に生まれた責任は重い」と言われた。広島人として果たせる責任を問い続け、仏教に答えを見出した久保師。彼女のホームページ(http://koun18.com)では、聖市の西本願寺で土曜日午前7時から行なっている法話の動画を公開。浄土真宗の教えを分かりやすく解説している。興味のある方、一度のぞいてみては。
ニッケイ新聞 2016年7月20日  岐阜県教育委員会による『第38回岐阜県農業高校生海外実習派遣事業』で、県内の高校生10人が11日から当地で研修に励んでいる。聖市内の視察を経て13日からはコロニア・ピニャール(福井村)へ。5組に分かれ各農家での実習に臨んだ。  びわなどの果樹栽培が盛んな同地では摘葉、剪定、収穫など実際に作業を体験した。山下治元文協会長の農地を訪れた山田建人さん(郡上高3年)は、「後継者育成のため、手間ひまをかけない農業が最善と考えていた。でも山下さんは50ヘクタールの土地を全て手作業で行なっていて、丁寧な生産の姿勢こそ大切だと学んだ」と驚きを交えて語った。  畜産を学ぶ生徒代表の中島百悠さん(岐阜農林高2年)は、「大規模な土地での飼育とあって群に分け管理していた。日本にはない考え方だった」。安東潮さん(大垣養老高3年)は、「トマトやきゅうりなど暑い気候を生かした農業を営んでいる」と話し、「実習を受けるにつれ知識不足を痛感した」と、それぞれ刺激を受けた様子だった。  また副代表の古井あすかさん(恵那農業高2年)は、聖州レジストロと姉妹提携を結ぶ中津川出身。「給食でブラジル料理も食べていた」と、身近に感じていた当地を訪れ、「農薬を使わない日系農家が多く、いかに手間を掛けて安全に生産しているかを知れた」との手応えを語った。  同地での実習最終日17日には、岐阜県人会が日帰りピクニックを企画。会員持ち寄りの食事を囲みつつ、郡上踊りなどの余興で親睦を深めた。県人会の国井宏祐副会長は、「38回目の派遣団をお迎えでき嬉しい。農家での実習、県人会との交流を経てブラジルを肌で感じてほしい。将来に役立つ経験を積んで」とエールを送った。  派遣団は同日、県人会員らと共に一時帰聖しオランブラ、イトゥーなどを訪問する。24日に離伯し、次の実習地オランダへ向かう。   □関連コラム□大耳小耳  11日に着伯してから現地で研修する岐阜県の農業高校生ら。最近の派遣団はインターネットで日々の活動を報告しており、彼らもサイト(www.geocities.jp/kaigaihaken2016/)を立ち上げ、毎日更新している。当地での実習以外に、事前研修や機内の様子なども。写真も多くあって読みやすい内容となっているので、がんばる若者を応援する気持ちで訪れてみて。
ニッケイ新聞 2016年7月19日  国際交流基金の招聘による日本の2人組ダンスユニット「Hilty&Bosch(ヒルティ・アンド・ボッシュ)」と、口で様々な楽器音を奏でるヒューマンビートボックス奏者のREATMO(リトモ)。第19回日本祭り(8~10日)に始まり、11日午後には聖市内モンテ・アズールの青年たちと2時間に及ぶダンス交流、12日にはツアー最後となるMASPの公演を割れんばかりの拍手喝采で終えた。  世界各地で公演を行ってきたYOU(ユウ)さんとJIN(ジン)さんだが、伯国は初。 11日午後、モンテ・アズール住民協会文化センターで行われた交流会には、近隣の子どもや青年ら、60人ほどが集った。リモトさんが口で様々な楽器音を奏で、犬の鳴き声から有名な洋楽などを再現して会場を沸かせた。 「Hilty―」も3人の地元青年にダンスを指導。最後は全員で共演した。質疑応答ではたくさんの質問が寄せられ、即席サイン会で熱烈な歓迎に応えた。 翌日のMASP公演では、リトモさんが口で刻む楽器音と共に、それに呼応する形で二人組が圧巻のパフォーマンスを見せ、犬の鳴き真似をする場面では、観客席からは笑いの渦が巻き起こり、会場は熱狂。記念撮影では我先にと駆け寄り、会場が一体となった。 ユウさんは「陽気な国民性で盛り上がるのではという期待があった一方、初めての土地で楽しんでもらえるのかという不安も」という。ジンさんは「伯人観客は話をきちんと聞いて、上手いタイミングで乗ってくれた。こちらとしても非常にやりやすかった」と手応えを感じたようだ。 会場からは「こんなに上手く観客を盛り上げる日本のグループを見たのは初めて」と賞賛の声も。リトモさんに秘訣を聞くと「技を高めることも重要だが、それよりもいかに観客の心を掴み、巻き込んだエンターテイメントにするか。その意味において、ユーモアを常に大事にしている」とのこと。 海外最大規模の県連日本祭での公演に関して、日系社会の印象を聞くと3人とも「日本で聞いていたよりも、想像以上の規模で驚いた」と率直に語り、「当地での日本人に対する敬意を強く感じた。ここまでの信頼を築いた先人たちに感謝したい」と感慨深げに語った。
 広島県人会(平崎靖之会長)主催の「南米浄土真宗本願寺派(西本願寺)の久保光雲(こううん)開教使による講演会」が、23日午後2時から午後3時までサンパウロ市リベルダーデ区のブラジル広島文化センター(Rua Tamandaré, 800)で開催される。  村上佳和副会長によると、6月26日に落慶法要が行われたモジ・ダス・クルーゼス本願寺(清水円了主管)は、地元篤志家・堀井文夫氏と柴田グループが土地と建物を寄付したことで有名であり、落慶法要には約1300人が参加した。  昨年7月にブラジルに赴任した久保氏は同寺内陣(ないじん)のふすまに、幅約5メートル高さ約2・5メートルの極楽浄土の絵を約10カ月かけて制作した。久保氏の絵は、その鮮やかな色使いから地元の人々と各地の本願寺信徒の間で評判を呼んでいる。  広島県出身の久保氏のブラジルでの講演は今回が初めてで、当日はモジ本願寺の絵(蓮の花、孔雀、鸚鵡(おうむ)、頭が2つある共命鳥など)の写真をスクリーンに映し、極楽浄土に行く道を説き、宮島、平和公園、広島市立美術館などの写真も展示される。  久保氏は、「身内に原爆による被爆者を持ち、広島に生まれた者として果たせる責任を問い続け、仏教に答えを見出した」と話し、次山千枝子事務局長も「若い人にも芸術を通して仏教に興味を持ってもらいたい」と、来場を呼びかけた。  問い合わせは同県人会(電話11・3207・5476)まで。 サンパウロ新聞 2016年7月19日付
ニッケイ新聞 2016年7月15日  公的年金または恩給受給に必要な在留証明の交付申請について、在聖総領事館が申請方法を呼びかけている。 在留証明書を申請する場合、同館で配布の在留証明願ほか以下のいずれかが必要。▼有効な日本国旅券▼顔写真付きの伯国身分証明書(イデンチダーデ)▼過去1カ月以内の認証付き写し(コピア・アウテンチカーダ) また受給申し込みには各種申請書に加え、現住所記載の公共料金領収書と、過去に提出したことがない者は戸籍謄本(抄本)の原本も必要。 申請は原則本人。やむを得ない場合は委任状をもって代理でも可。郵送でも受け付け。私的年金以外は手数料無料。 担当者は「手続きも簡単。郵送でも無料で申請できます」と呼びかけている。問い合わせは同館(11・3254・0100/戸籍国籍証明班)まで。受付は平日午前9時~正午、午後1時半~5時。
 8日~10日まで聖市のサンパウロ・エキスポ・センターで開催された第19回日本祭りに、筑波大学のブースが出展された。同大学は12の国・地域に海外拠点を設置しており、国際化に力を入れている。2014年にサンパウロ大学と協定を結び、15年4月から両大学に事務所が開設された。文部科学省との契約で同月から留学コーディネーターとして筑波大学サンパウロオフィスに駐在する八幡暁彦氏(73、東京)は同大学最初の海外拠点であるチュニジアで7年間の赴任経験を持つ。  留学コーディネーターの八幡氏は、筑波大学のサンパウロオフィスを拠点に日本留学の魅力を発信し、伯国から日本の全大学に留学する学生のサポートを行っている。同氏によると、筑波大学とサンパウロ大学間の学生の行き来は徐々に活発になってきているという。将来的には学生のみならず、研究者や大学職員の行き来も計画しており、「お互いの大学の良いところを共有していきたい」と八幡氏は話した。  同祭に出展された筑波大学のブースでは、日本の大学への留学に興味がある来場者との相談会が開かれた。当日は25大学のパンフレットが用意され、日本に留学経験のあるOBやOGがボランティアとして参加し、日本留学の魅力を発信した。  2011年から14年まで東京工業大学に留学し、化学工学の博士号を取得したブルーノ・ラモスさん(30)は「一番人気のある学部は経済学部、大学は東京大学。日本に留学したい人には、自分の経験を話してその人が学びたい分野によってどの大学が良いか、パンフレットを用いて説明しています」と話した。  また、八幡氏は「日本に興味のある若者だけでなく、年配の方も子どもや孫のために日本への留学制度について尋ねてくる人が多い」と話し、「サンパウロは日系社会との関係が深いので、日系社会と連携していくことが重要。地に足がついた協力関係を結んでいき、紙面上の契約だけでなく実績を積み上げていきたい」と今後の展望を語った。 サンパウロ新聞 2016年7月16日付
ニッケイ新聞 2016年7月14日  平成28年度(2016年)外務大臣表彰の受賞者が13日に発表された。在伯大使館管内から1人、在ベレン領事事務所管内から2団体、在聖総領事館管内から3人と計6の個人・団体が選出された。昨年は外交120周年を記念し、全伯で102人が表彰を受けていた。今年の受賞者と功績は以下の通り(敬称略)。 【ブラジリア管内】 ▼三浦武(三浦道場師範) 今年、創設50周年を迎える三浦道場(Judo Miura)から、数々の優秀な柔道家を輩出。単に優秀な競技者を育てるのみではなく、日本の武道精神を伯人へ継承すべく、それらを重視した指導を行った。67年から30年間にわたり、ブラジリア連邦区教育局所属の常任柔道講師を担い、同地区の関連施設において広く柔道の指導を行うなど、日伯の相互理解に尽力している。 【ベレン管内】 ▼アマゾニア日本語学校 週末のみ日語授業を行う学校が多い同地において、幼児から成人までの幅広い層を対象に平日にも開校。授業外のクラブ活動として琴を指導するなど、言語教育のみにとどまらず、基本的な道徳や日本文化を取り入れた青少年の情緒育成を教育目標に、日本語・日本文化の普及と共に日系社会の発展、地位向上に貢献している。 ▼トメアスー日本語学校 1929年に創立された伝統ある同校は、アマゾン入植第一陣が入ったトメアスー移住地において、長年にわたり日語教育に尽力。「日本語をよく理解し日本文化を身につけ、日系ブラジル人として社会に貢献できる人材の育成」を教育目標とし、日語教育を通じた地域への日本理解を促進し、日系社会の地位向上に尽力している。 【サンパウロ管内】 ▼アルビラ・アペル(カンポ・グランデ・セントラル観光マーケット協会会長) 沖縄移民が多い南麻州カンポ・グランデで2006~10年、日系人が経営する沖縄ソバ28店の市場「フェイラ・デ・ソバ」の会長職を全う。集客力を高めるため週末ごとに様々なイベントを実施した。8月に開催するソバ祭りには、毎年10万人以上が来場。また沖縄ソバのモニュメント設置、サンバのリズムでソバを題材にしたテーマ曲のコンテストを行うなど、創意工夫をもって普及に貢献した。沖縄ソバは同市の無形文化遺産に認定されている。 ▼若林和男(美術家) 60年代に移住し、約50年間当地において芸術活動を展開。サンパウロ国際ビエンナーレを始め数多くの展覧会に参加した。ブラジル外務省賞など受賞歴多数。漆工芸の技法や、日本の古典から引用された図柄を活かした作品を多く発表しており、日本の伝統を伯人に分かりやすい形で伝達することに成功している。また後進の指導にも注力し、日伯文化交流のため献身的な活動を行うなど功績は大きい。 ▼本橋幹久(前県連会長) ブラジル日本都道府県人会連合会副会長・会長として、同連合会と日本の地方自治体との交流促進に尽力。ブラジル国内の日系社会の交流のみにとどまらず、ボリビアやアルゼンチン等の南米各国の日本人移住地・日系コミュニティを訪問し、日系団体ネットワークの構築に尽力した。また、同時にブラジル鳥取県人会長として「サンパウロ・鳥取友好の森」植樹プロジェクトを推進し、日伯友好親善と自然環境保護活動に貢献した。
ニッケイ新聞 2016年7月13日  新潟は毎年人気の白餅やあん餅、おかきの他、県の特産品販売として、銘酒「八海山」や「菊水」も売り出していた。金物で有名な燕市からは越後玉三郎印の刺身包丁、出刃包丁なども店頭に。質の良い刃物を求め、まとめ買いする客も見られた。  長蛇の列が見られた熊本は、辛子レンコンやいきなり団子といった郷土品に、抹茶ブリガデイロやメロンパン、青年部手作りのハンバーガーなどを販売。今年はデザート類が人気で、日曜正午には売り切れていた。 ハンバーガーの包装紙には県のマスコット「くまモン」をプリント。若者から注目を集めた。同商品を食べた山下レナトさん(28、二世)は、「おいしい! 特にモーリョ!」と笑顔を見せた。  長崎はちゃんぽんを用意。列に並んでいた田中ミチヨさん(69、二世)は、「ちゃんぽんは名前だけ知っていた。麺類が好きなので、今日は初めて食べてみようと思った」という。麺、スープは輸入の日本製だが、えびやイカなどの魚介、肉類に野菜もたっぷりで好評だった。 昨年のうどんからメニューを変更したのは、要望が多く寄せられたため。全部で850杯分を用意したが、土曜の内に500杯も売れた。「具沢山なのがウケた。非日系は食べたことがない人が多いだろうが、ラーメンブームの波もあってか反響が良かった」(川添博会長)とホクホク顔だった。  宮城は婦人部特製の牛タンと、サケとイクラのどんぶり「ハラコ飯」が好評。店先に立つボランティアら曰く、「100キロのベロを用意したよ!」。イクラは生ものとあって、伯人にはなじみが薄いが、最近は徐々に販売数を伸ばしているよう。郷土の味へ理解が深まっていると喜びの声が聞こえた。  佐賀は天ぷら、パステルといった定番に加え、アイスクリーム天ぷらが名物。お隣長崎の名物カステラを手作りし、丸型アイスに包んで揚げた商品で、2カ月前から準備を始めた力作だ。10年ほど前に研修生が持ち帰ったこのメニューは、日曜昼過ぎの時点で2千個が売れた。 西山実会長、吉村絹江婦人部長は「一般ボーロとは一味違いカステラは卵たっぷり」と話し、滑らかな口当たりが特徴となっている。衣は表面だけにごく薄くついており、回りはサクッ、中はフワッとした食感に。そして冷えたアイスが食欲を誘った。  04年の開始以来、近年最大の売り上げを誇る和歌山のお好み焼きは、4500枚以上が売れたという。金曜だけでも約1千枚を販売。年代、性別を超えた力で目標数を達成し、万々歳で祭典を終えた。(終わり)
ニッケイ新聞 2016年7月13日  パーン、パーン。県連日本祭り最終日の10日午後8時すぎ、くたくたに疲れた県人会婦人部やボランティアが祭りの後片づけをしていたとき、突然、乾いた銃声のような音が会場内で2回も響いた。その直後、取り乱した表情で会場外へ逃げる人が続出。事態を把握できない警備員も「まずは外に避難を! 落ち着いて移動して下さい!」と呼びかけ、現場が一時騒然となった。県人会の手伝いをしていた本紙記者は、偶然その場に居合わせた。  準備期間から本番を経て疲れがピークに達し、ようやく緊張の糸がほどけ「終わった。あと片付けだけ」と、半ば気を抜いた瞬間の虚を突かれたかたちだ。 当日の売上金がまだ手元にあり、関係者のみで撤収作業をしていた時間帯だったことから、その場に居合わせた人の多くは、「アラストン(大多数で一斉に行う強盗団)だ」と思い込んだ。その場に居合わせた約300人が、貴重品を手に切迫した表情で避緊急難した。  会場の外への避難を終えた関係者の間では、徐々に「どうやら強盗ではないらしい」との話が人伝いで明らかになった。落ち着きを取り戻す頃、「トラックが建物内のガス管の下をくぐろうとして破損させた」というガス漏れ事故だったと分かった。 撤去で入ったトラックの荷台の上部が約3メートルあり、会場の中央を通る郷土食広場用の仮設ガス管はそれよりも低い位置にあった。搬入時の先週木曜日にはその仮設ガス管は設置されておらず、運転手はその存在に気付かなかったようだ。 そのため、トラックが通過する際にガス管を引っ掛けてしまい、管が外れた衝撃音とガスが勢いよく漏出する音が銃声のように響いたのが真相だった。 警備員の避難勧告は、ガスが充満する前に外へ退出する必要があったためだった。二世の60代女性は「さっき聞いた音はてっきり銃声だと思った。本当にアラストンだと思って会場の外へ飛び出た」と疲れきった表情で記者の質問に答えた。 建物のドアを開放し、30分後には消防関係者によって再入場の許可が降りた。少量のガスが残る可能性もあり、「場内では車両のエンジンをかけないこと」「ライターの使用を厳禁」とする注意を受けながら、ボランティアらは残りの作業を済ませ、午後9時過ぎにようやく帰路に着いた。 撤収を見届けるために残っていた県連役員も避難。山田康夫会長は「大勢の来場者がいない時間だったことが幸いだった」と動揺を抑えつつ安堵した。 実際にアラストンはなかったとはいえ、撤収時には多くの車両が出入りすることは避けられず、売上金などのことを考えれば防犯面の強化は検討課題だ。加えて、閉幕後すぐにガスの元栓を締めることや、緊急時に混乱を避けるために状況説明するアナウンスをすぐに流すなどの配慮も必要だったと思われる。 日本祭り自体は大成功だったが、課題は課題として来年に向けて検討すべきだろう。
 平成28年外務大臣表彰で在ブラジル日本国大使館(1人)、在ベレン領事事務所(2団体)、在サンパウロ日本国総領事館(3人)で計4人2団体の受賞が決定した。  受賞者及び受賞団体は次の通り。 【ブラジル大使館管内】 ◆タケシ・ミウラ氏。ミウラ道場師範。ブラジリア連邦区ブラジリア市在住。1966年にミウラ道場を創設し、50周年を迎える道場で優秀な柔道家を輩出し、日本の武道精神を重視した指導を実践。67年から30年にわたりブラジリア連邦区教育局所属の常任柔道講師を行い、日伯両国の相互理解に尽力。 【ベレン管内】 ◆アマゾニア日本語学校。パラー州アナニンデウア市。週末のみの日本語クラスを行う学校が多い同地で、幼児から成人までの幅広い層を対象に平日も授業を実施。授業外のクラブ活動として琴を指導するなど、日本語教育のみにとどまらず基本的な道徳や日本文化を取り入れた青少年の情緒育成を教育目標に、日本語・日本文化の普及と日系社会の発展、地位向上に貢献。 ◆トメアスー日本語学校。パラー州トメアスー市。1929年に開始された日本人アマゾン移住第1陣の入植地であるトメアスー市で創立以来40年にわたって日本語と日本文化を指導。日系ブラジル人として社会に貢献できる人材育成を教育目標とし、日本語教育を通じた地域への日本理解を促進し、日系社会の地位向上に尽力。 【サンパウロ管内】 ◆アルビラ・アペル氏。 カンポ・グランデ・セントラル観光マーケット協会会長。南マット・グロッソ州カンポ・グランデ市在住。沖縄移民が伝統的に多い同市で、「フェイラ・デ・ソバ」の会長を2006年から10年にわたり務めている。集客力を高めるために週末ごとにイベントを実施。沖縄そばのモニュメントを設置し、ソバソングのコンテストを行うなど普及に貢献。沖縄そばは同市の無形文化遺産に認定されている。 ◆若林和男氏。美術家。サンパウロ市在住。1960年代にブラジルに移住。約50年間、伯国で絵画活動を行い、サンパウロ国際ビエンナーレを含む多数の展覧会に参加。ブラジル外務省賞をはじめとする賞を受賞。漆工芸の技法や日本の古典から引用された図柄を生かした作品などを発表し、日本の伝統をブラジル人に分かりやすい形で伝達。後進の指導にも尽力し、日伯文化交流のため献身的な活動を行っている。 ◆本橋幹久氏。前県連会長。サンパウロ市在住。県連副会長・会長として同連合会と日本の地方自治体との交流促進に貢献。伯国内日系社会の交流のみにとどまらず、ボリビアやアルゼンチン等の南米各国の日本人移住地・日系コミュニティを訪問し、日系団体ネットワークの構築に尽力。また、ブラジル鳥取県人会会長として「サンパウロ・鳥取友好の森」植樹プロジェクトを推進し、日伯友好親善と自然環境保護活動に貢献した。 サンパウロ新聞 2016年7月15日付
 7日に来伯した米国ミシガン州在住の歌手、近藤まりなさん(20)が、日系団体の各イベントで歌を披露しており、愛媛県人会の中矢伝会長とともにあいさつに来社した。  近藤さんは、ミシガン大学でミュージカルシアター学を専攻する傍ら、歌手として活動を行っている。愛媛県出身の母を持つ近藤さんの親戚の知人が、愛媛県人会の藤原利貞元会長とつながりがあったため愛媛県人会が近藤さんをサポートしている。  7歳の頃に「ライオン・キング」のナショナルツアーのオーディションを受けたことが、近藤さんが音楽の世界に入るきっかけとなった。9歳の時に約1年間日本で過ごし、その頃からジャズバーなどで歌を披露するようになった。  3年前に来伯経験を持つ近藤さんは、8~10日にサンパウ市のエキスポ・センターで開催された第19回日本祭りのメインステージで9、10日両日出演し、歌を披露した。「ブラジルは国籍や人種に関係なく歓迎してくれる。ブラジルの日系社会は日本の文化を愛し、日本人であることを忘れていないことが素敵。デトロイトにも日本人が多いけれど、すぐに日本へ帰ってしまう人が多いからブラジルの日系社会とは全然違う」と米国との違いを話し、「ブラジルの日系社会の人は古い曲が好きなので、10日は古い曲や有名な曲に急きょ変更して歌いました。ブラジルの曲ももっと勉強したい」と語った。  「12日にイタクアケセツーバ市の希望の家を訪れて歌を披露した際に、ポルトガル語が話せず会話ができなくても、音楽を通して心が通じ合ったのを感じました。日本の歌を色んな場所で歌う国際的な歌手になりたい」と近藤さんは今後の展望を語った。  近藤さんは16、17両日に聖市リベルダーデ広場での七夕祭りに出演し、両日とも午後1時過ぎから歌を披露する。 サンパウロ新聞 2016年7月15日付
 ブラジル新潟県人会(南雲良治会長)創立60周年記念式典参加のためブラジルを訪れていた慶祝団のうち、5人が全日程を終え11日に日本へ帰国した。帰国を前に、最後の昼食会が同県人会前会長の朝妻エレナさんの自宅で開かれた。  慶祝団の一人の南雲良一さんは3度目の来伯。式典後はサンパウロ州各地に住む親戚を訪ねて回った。久しぶりの来伯に「以前は片方の扉がない車が車道を走っていたが、今はちゃんとした車が走っている」と印象を語り、「良い車が街に本当に増えた」とその変化に驚いた今回の来伯の感想を述べた。  鍋谷和夫、愛子さん夫妻は初来伯。愛子さんの母親とエレナさんは従姉妹同士と言い、「式典には親戚が誰か行かなくてはいけないだろう」と親戚代表で参加した。愛子さんはエレナさんの姉フェリシアさんとは約50年前に日本で会ったことがあり、半世紀ぶりの再会となった。  新潟海外移住家族会の石黒伸一理事は「食べ物が何を食べても美味しくて、こっちに来て太りました」と笑い、ブラジル食を堪能した。  昼食会には同県人会関係者や親類らが集まり、午後1時に空港に向け出発。もう1人の慶祝団員原沢正昭さんと空港で合流し、帰国の途に就いた。  式典に続いて日本祭りがあり、多忙を極めた南雲会長だったが、「慶祝団にはブラジルが初めての人もいて、リオやイグアスの滝に行けて楽しんでくれたと思う。式典準備や日本祭りで大変だったが、何とか終わって肩の荷が下りた」と安心した表情を浮かべた。 サンパウロ新聞 2016年7月15日付
 8~10日にわたって聖市のサンパウロ・エキスポで開催された県連(山田康夫会長)主催の第19回日本祭り。同祭の開催に最も尽力したとも言える市川利雄実行委員長に話を聞いた。  一時は「今年の来場者総数は第17回日本祭りの18万人を超えるのでは」という声も上がったが、日曜日は来場者数が伸び悩み16万8000人(主催者発表、ボランティア5000人を含む)となった。しかし、市川氏は「最高の日本祭りだったと思う。黒字になることは確実」と話した。  また、同氏は新しく改装された会場について「会場内の設計や設備の利用が上手くできた。会場のどこを見渡しても良い印象を感じた」と評価した。一方、改善点としては郷土食広場の看板のサイズを統一しようと試みたが、規定のサイズにできていない店舗があったことを挙げた。「会議に参加している人と、郷土食広場を担当している人が違い、情報伝達が上手くいっていないようだった」と指摘した。  今回は「おもてなし」を重視し、スポンサーに各県人会の郷土食を振る舞うなどの取り組みが行われた。「日本祭りは、たくさんのスポンサーの協力のもとで成り立っている。世界のトップ企業と付き合う以上、県連も高いレベルでやっていかなければならない。そういった意味で県連や県人会を活性化させなければ。しかし、県人会には格差がある。日本側のサポートがもっとあれば心強いのだが」と市川氏は話した。  市川氏に来年も同祭実行委員長を務めるか尋ねると「来場者が喜ぶ姿を見ると、もう一度やりたいという気持ちもある」とほのめかした。来年は第20回と節目を迎える同祭。早くも8月から来年の日本祭りに向けて動き出すという。「毎年、同じような日本祭りだと面白くないので、20回を節目に何か新しいプロジェクトをやりたい。それには日本政府の協力も不可欠」と市川氏は早くも来年の日本祭りを見据えていた。 サンパウロ新聞 2016年7月14日付
総来場者数は16万8000人  新しく改装されたサンパウロ・エキスポ・センターで8~10日にわたって開催された県連(山田康夫会長)主催の第19回日本祭り。市川利雄同祭実行委員長の正式発表によると、総来場者数は昨年より約2万人多い16万8000人になったという。会場では各県人会の郷土食とともに、日本から輸入された物産の展示ブースも賑わっていた。特に、新潟県人会や福島県人会などで販売されていた日本酒は人気があった。また、会場では熊本地震の被災者支援キャンペーンや群馬県大泉町のブラジリアンプラザへの協力アンケートも行われ、関係者たちはそれぞれに手応えを感じていたようだ。 郷土食ブースの入口で「新潟物産展」を行っていた新潟県人会(南雲良治会長)では、「八海山」「菊水」の日本酒をはじめ、プロ用刺し身包丁・砥石(といし)、カレーのルーや県産のあられ・菓子類のほか、新潟県人会名物の白餅など約40品目を販売していた。南雲会長は「白餅も人気があるが、日本酒も高いのに結構売れてるよね」と嬉しそうな表情を見せていた。白餅は金曜日と土曜日だけでも90キロの餅米を使用したという。  復興と風評被害払拭を目的に福島県喜多方市の大和川酒造の銘酒「純米辛口 弥右衛門」と「純米大吟醸 弥右衛門 スパークリング珠泡」の2種計約100本を空路で持ち込み、郷土食の喜多方ラーメンなどとともに販売していた福島県人会(永山八郎会長)。日本酒販売のために同酒造海外営業部長の武藤啓一氏が日本祭り開催前からブラジル入りしていた。また、9日には同祭に合わせて同酒造店の佐藤和典社長も初来伯し、ブラジルでの今後の販売について「期待できる市場」と手応えを感じていた。  佐藤社長によると、同酒造店では「自社田」を所有し、酒の原料となる米も自ら栽培しているという。「福島は昔から酒蔵が多い所ですが、うちは米から丹精込めて作っています。社員すべてが田植えをしますし、私も草刈りなどを行います」とその特徴を語る。また、ブラジルの感触について「ブラジルの方は非常に日本と友好的で、そのことが日本酒の需要が伸びる要因になっていると思います。昔からの日本移民の方々がブラジル社会で信用を築いてきたことにより、尊敬し合っておられることを感じますね。今後は次の注文を頂き、ブラジルとの関係を長続きさせるためにも改めてブラジルに来たいですね」と話していた。  郷土食ブースとともに来場者が長蛇の列を作って並んでいたのが、「SOMPO SEGUROS」のブース。「頑張ろう熊本」と書かれたブース内では、熊本日日新聞から提供され熊本地震支援を目的にした大型写真が展示され、義援金箱の設置とともに千羽鶴を折って被災地に届けるキャンペーンを実施していた。同社によると、期間中の同ブースへの来場者数は1915人。折り鶴は全部で5020羽が折られ、義援金は2722・85レアルが集まったという。同社では熊本県人会と日程調整を行い、改めて折り鶴と義援金を寄贈する予定だ。  モジ・ダス・クルーゼス市に住んでいるという植田日出和(ひでかず)さん(75、香川)は「子供の頃はよく折り紙を折っていたが、長いことやっていなかったので鶴の折り方を忘れているよ。齢なのかな」と苦笑しながらも、熱心に3羽の鶴を折っていた。  会場入口付近の文協ブースで出稼ぎ帰伯者などからの情報を聞き取っていた群馬県大泉町のブラジリアンプラザの関係者。今年5月頃から同プラザの館長を務める岡野護さんは日本祭りの来場者について、「以外に日本で就労していた人が多い。話を聞いてみると、日本で工場や農場など生産管理をしていた人もおり、単なる日本への出稼ぎだけでなく、日本とブラジルのビジネス交流になっていると感じた」と率直な感想を語る。  岡野さんは、館長という立場について「学生時代から含めると40年以上にわたって海外日系人協会に携わってきましたが、大泉町との折衝などこれまでできなかった現場での仕事ができて面白いです。何をやってもまだ歯車が噛み合わずうまくいっていませんが、できる範囲でやっていきます」と充実した表情を見せていた。 2016年7月13日付
 8~10日に開催された第19回日本祭りの「高齢者の広場(テルセイラ・イダーデ)」には、健康相談、認知症、骨粗しょう症、パーキンソン病、老人介護などの高齢者向けの講座や60歳以上無料のマッサージコーナーや体操、ダンス、ゲートボール等の活動をする場所も用意されていた。  囲碁・将棋コーナーにいたブラジル将棋連盟会員の柴田真氏は、「最近は、日本の駐在商社マンが入会してくれないし、若者は少し指導すると、後はインターネットで無料のオンライン対戦将棋をするから、わざわざ会に顔出しする人がいない」とぼやき、元会員の橋浦行雄氏(91、鳥取)も「若者の入会が増えないとね」と会員減少に気を揉んでいた。  一方、4年前に将棋を始めたクニナリ・コウジさん(23、4世)やイワタ・エンゾ君(16、3世)は、「チェスもやっていたけど、将棋の方が取った駒も使えるので、もっと複雑で奥が深い」と興味を示す。  マッサージコーナーでくつろいでいた佐藤つとむさん(75、北海道)は同祭の印象について「今回は屋根ができて駐車場もきれいに整備されて良かった」と語り、「いつも肩が凝っていたので、無料マッサージのお陰でとても軽くなりました」とニッコリ。10年前から参加している吉原正之氏(82、神奈川県)は、「高齢者広場にある森山さんの無料マッサージは、痛いツボにはまった押し方で効くので、とても気分が良かった。今日は大阪なにわ会の作ったお弁当を食べたが、安くて美味しかった。日本祭りは年々大きくなり、催し物も増えて、入場者も増えているのじゃないかね」と嬉しそうな表情を見せていた。  日本祭り参加は2回目だという久安良次氏(84、岡山)は、「押し花を実体験してみて細かい作業だったが、以外にきれいな出来上がりに満足した。日本から歌手が来てくれるのは嬉しいし、このままの調子でこれからもブラジルに来てもらいたい」と今後の継続に期待している。  JICAシニアボランティア与那覇博一氏の認知症予防のお手玉体操を受講した前田美代子さん(81、福岡)は、「子ども時代に触ったことのあるお手玉を使った体操は、お手玉を指先で摘んだり、玉をひょいっと上に投げてその間に両手を叩いたりと反射神経の訓練にはもの凄く良いと思う。転んで怪我をしないように毎日、健康体操や大正琴も習っている」と健康管理に余念がない様子だった。  そのほか、6~7年ぶりに来たという40代女性の田中清里さん(大阪府寝屋川市)は、「前回の(日本祭りの)イメージと違って広々とした空間、バスから降りた瞬間から違う街に来たみたいだった。会場は天井のある閉鎖型施設なので、音の響く太鼓などは屋外での演奏が良いのでは。特に農林水産省の和食の紹介では、日本の板前さんが食品の切り方や包丁の研ぎ方を実演披露して素晴らしい。和食の良さをもっと世界に広めてほしい」と絶賛。一緒に来ていた大阪府出身の60代女性も「会場がとても良くなっている。足湯は日本で入った時よりぬるかった。しかし、濡れた足を湯船から出すと、まわりのスタッフがすぐに拭く紙を出してくれたりで、とても感じが良かった」と話していた。 サンパウロ新聞 2016年7月13日付