沖縄県人会(与儀昭雄会長)は四日午前十時から、ジアデーマ市の沖縄文化センター(セッテ・デ・セッテンブロ大通り一六七〇番)で『第五回沖縄角力(相撲)大会(松堂忠顕実行委員長)』を行なう。 角力は、古来から琉球に伝わる格闘技で相撲に良く似ている。大きな違いは、裸に廻しをつけるのではなく、柔道着に似た服を着て実施する点。また、技はお互いに組んでから掛け合い、張り手・突っ張り等の打撃による攻め手は禁止されている。 当日は、幼少年の部(十六歳以下年齢別)、一般の部(十七歳以上体重別)、無差別(制限なし)で競われ、同県人会子弟の総合優勝支部には、西原篤一杯が贈られる。各組三位までの表彰もあるため、同委員会では、子弟以外の参加も歓迎している。 参加費は十レアル。参加受付は午前十時まで。柔道着等を持っている人はなるべく持参してほしいとのこと。 九月二十九日、案内に来社した松堂実行委員長、瀬底正昭実行委員は、「たくさんの人に角力を知ってもらいたい。家族そろって来場を」と、呼びかけている。 写真:「家族そろって来場を」と呼びかける松堂、瀬底両氏
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ニッケイ新聞 2009年10月3日付け 沖縄県の信仰や風習、言葉など、在伯県系人における変容などを調査するため2週間、ブラジルに滞在していた琉球大学の調査団が調査を終え、9月21日、帰国前に挨拶のため本紙を訪れた。調査団は琉球大学法文学部の町田宗博教授(移民論)、山里純一教授(日本古代史)、浜崎盛康教授(倫理学)ら3人。一行はスザノ、ビラ・カロン、サントアンドレー、ジアデーマ、カーザ・ヴェルジなどを訪れ調査した。浜崎教授は、沖縄の信仰であるユタについての面接調査を実施、ブラジルの守護神アパレシーダを取り入れたり、移住先の宗教と折り合いをつけながら行われているなどと報告をした。また、山里教授は一世の風習がブラジルでどのように継承し、社会に広まっているかを調査した。中でも沖縄では魔よけの意味で交差点などに設置されている石敢當(いしがんとう)の習慣が当地にも残っており、「少なくとも7基存在することを突き止めた」という。町田教授はうちなー口(沖縄方言)が三世、四世にも伝わり、上手に話されている現状を説明し、沖縄県が条例で定める9月18日の「しまくとぅばの日」についても触れ、若者が方言を話さなくなっているが「県外に出た人が刺激をする。言葉を見直すきっかけを作ったのが移民の人たち」と語った。調査団長の町田教授は「なかなか県系人の活動が見えなかったが、今回の調査では良く分かった」と感想を述べた。また2011年に開かれる「第4回世界のウチナーンチュ大会」に合わせて、シンポジウムを開きたいと意気込みを語った。本調査は事業「人の移動と21世紀のグローバル社会」の一環で、グローバルな「人の移動」や「移民社会」の進展に伴い生じる地域内の影響や、「移動社会」への対応、社会・文化の変容家庭など、人の移動をめぐる地検の国際的な集約・統合を目指すもので、北米やハワイ、南米諸国やタイなどでも研究が行われている。
ニッケイ新聞 2009年10月3日付け 国際交流基金サンパウロ日本文化センターは9月19日午後同センターで、岡山大学大学院准教授の中東靖恵さん(広島)を講師に招き、講演会を開催した。日本国内および海外日系社会の日本語におけるアクセントの継承と変容―日本・ブラジル・パラグアイの広島県人」というテーマに約20人が耳を傾けた。近年、日本ではテレビなどメディアの影響から著しく各地方で共通語化が進むアクセント。伝統型アクセント(三拍名詞では中間が強い)から新しいアクセント(語頭が強い)に交替しつつあるという。中東准教授は、今年4月から半年間かけ伯国とパラグアイの広島県人を対象に、広島方言におけるその変容を調査した。講演の中では音声を流しながらアクセントの違いを確認する場面もみられた。伯国では広島県人会の協力を得て、アラサツーバ、プレジデンチ・プルデンチ、バストス、マリンガで実施された。64人に調査を行った統計結果からは、戦後生まれの世代からその伝統的なアクセントが失われ始めていることが確認された。県別移民数では広島県が第6位のパラグアイでは、ラパス移住地で44人を対象に調査が行われた。1970年代以降生まれの人に、新アクセントが多くみられた。今回の調査の結果から、中東准教授は「広島県人のアクセントの共通語化は、同地でも日本と同じように起こっている」と考察。「その変化は、日本同様メディアの影響を受けるのではないか」と判断し、「急激な変化は好ましくないのでは」と懸念した。講演会に参加した北原里美さん(佐賀、20)は、「日本では気に留めなかったアクセントだが、日系人との比較がおもしろい。興味が持てた」と感想を話した。
ニッケイ新聞 2009年10月3日付け ブラジル宮城県人会(中沢宏一会長)は4日午前10時から同会館(リベルダーデ区ファグンデス街152)で恒例の敬老祝賀会を催す。同会の敬老会では1973年から、他県で制度が廃止される中、母県から高齢会員への敬老金が支給されてきた。しかし、同県でも昨年をもって支給を打ち切り。36年の間に支給を受けた会員はのべ約1万5千人、支給額は計約2億5千万円に上る。今年は会場で健康相談・診断を受付けるほか、昼食をはさんで余興やくじ引きなどを行なう予定。案内に来社した中沢会長は、「皆さんの参加をお待ちしています」と呼びかけた。問い合わせは同会(11・3209・3265)まで。
ニッケイ新聞 2009年10月3日付け 在伯栃木県人会(坂本アウグスト進会長)は、4日に「先没者慰霊法要敬老会」を催す。午前10時に同県人会館(ヴィラ・マリアーナ区カピトン・カヴァルカンチ街56)に集合。イビラプエラ慰霊碑で先没者慰霊法要を行った後、日本館を見学して会館に戻る。その後の敬老会では、婦人部が心を込めて用意するうどんなどの昼食食べるほか、アトラクションが準備される。「ともに楽しい1日を過ごしましょう」と参加を呼びかけている。参加希望者は、同県人会(電話=11・5579・4166)まで。
ニッケイ新聞 2009年10月3日付け 沖縄県人会と沖縄文化センターは「子供の日」の12日午前9時から、ジアデマ市の同センター(Av. Sete de Setembro, 1670)で「第4回こども祭り」を開く。実行委員長の呉屋春美さん、同委員の知念直義さんが案内に訪れた。これまではリベルダーデの県人会館で開催されてきた同祭り。今回初めて文化センターの広い敷地を利用して、一日様々な催しを企画している。講堂の舞台では午後2時から、子供たちによる琉球舞踊・民謡やエイサー太鼓、沖縄空手演武などの郷土芸能、日本舞踊、YOSAKOIソーラン、ストリートダンスや手品などが披露される。そのほか、輪投げや金魚すくい、射的などの各種ゲームを楽しめる「子供広場」。折り紙や書道、漫画などのワークショップも行なわれる。食事コーナーでは沖縄そばやサーターアンダギー、パステル、シュラスキーニョ、たこ焼き、やきそば、アイスクリーム、カキ氷などを販売する予定。「子供たちに『祭り』を感じてほしい」と話す呉屋委員長。県系子弟に対しても「親の活動を見ることで、会の活動に関心を持ってもらえたら」と期待を表わす。青年部もボランティアとして参加。当日は幟や提灯などの飾り付けも行ない、雰囲気を演出するという。呉屋さん、知念さんは「ぜひご家族で一日楽しんでほしい」と来場を呼びかけた。入場は無料だが、1キロの保存の効く食料品を持参すること。問い合わせは県人会(11・3106・8823)まで。
ニッケイ新聞 2009年10月2日付け ブラジル沖縄県人会(与儀昭雄会長)は4日午前10時からジアデマ市の沖縄文化センター(Av. Sete de Setembro, 1670)で「第5回沖縄角力(相撲)大会」を開く。実行委員長の松堂忠顕さん、副委員長の瀬底正昭さんが案内に訪れ、「手に汗握る試合を見に来てほしい」と呼びかけた。琉球王朝の時代から続く沖縄角力は、相撲着に帯をつけ、最初から右四つに組んで始める。両肩が地面についた時点で勝敗が決まるのも特徴だ。ブラジルでも県人らを中心に30年ほど前まで行なわれていたが、選手不足などで中断していた。再開されてから今年で五回目の開催となる。大会には60人ほどが出場し、幼年・少年の部、一般の部(17歳以上)、無差別などのカテゴリーで年齢・体重別に分かれて争う。当日参加も可能(参加費10レアル)。午後3時ごろまで行なわれ、会場では沖縄そばやヒージャー(ヤギ)汁などの郷土料理も販売される予定。
ニッケイ新聞 2009年10月2日付け 青葉健康生活協会(会長=中沢宏一宮城県人会長)による恒例「青葉祭り」。10月は3日と17日、午前7時から午後5時まで宮城県人会館(ファグンデス街152)で開かれる。両日とも農協婦人部連合会(ADESC)の手作り製品、有機野菜を販売。十七日は森山師範による武道医術、小児ゼンソクの背骨矯正治療奉仕、家紋の展示販売、こけし販売を行なう。食事コーナー(午後3時まで)では、3日は県人会婦人部のてんぷらうどん、17日は秋刀魚定食、イカポッポ焼き、イカ入りソースやきそば、ずんだ餅やはらこ飯などが用意される。
ニッケイ新聞 2009年10月1日付け 九州7県および沖縄県の8県人会が共催する「第8回九州ブロック芸能祭」が27日、ブラジル熊本県文化交流協会の会館で開催された。今年は同協会が担当で、テーマは「我らは九州の家族」。各県人会から計54演目が演じられ、約250人が訪れ、お互いのお国自慢を存分に楽しんだ。沖縄県は「涙そうそう」で9人によるフラダンスを披露、舞踊「四つ竹」できらびやかな衣装で登場すると会場が「わっ」と華やいだ。宮崎県の金竹沙記さんらはおそろいの水色の着物にピンクの花を手に、「日南路音頭」を舞った。佐賀県は団体踊り「お猿のかごや」や「おてもやん」で会場を楽しませたほか、12人参加で健康体操も発表。鹿児島県の中村スミさんと下田かずこさんは、「りんごの唄」に合わせ女性同士でおしゃれに社交ダンスを披露した。長崎県は長唄「元禄花見踊り」などで会場を沸かせ、大分県の伊東信比古さんは歌を交えた小話で会場を引き付けた。熊本県は青年部が、ギター伴奏に合わせ「上を向いて歩こう」を熱唱。気持ち良さそうに歌う姿に、会場から手拍子が起こった。同芸能祭では県人会長自らも芸をお披露目。合唱「荒城の月」には、大分県人会の矢野敬崇会長が出演。野口圭三長崎県人会長は詩吟「川中島」を披露した。鹿児島県人会の園田昭憲会長は歌で会場を魅了、小山田祥雄熊本県人会長は青年部と一緒に「熊本慕情」の合唱に参加した。最後は、沖縄県人会による迫力ある琉球国祭り太鼓。来場者が、舞台前に集まりカチャーシーに加わっていった。「宮崎あばれ太鼓」を歌った竹下達也さん(68)は、「ハプニングもあったが何とか上手くいきました」と安堵の表情をみせた。「同芸能祭は、お年寄りが趣味を披露する良い機会ですよ」と楽しんでいたのは、舞踊「川」を披露した熊本の難波美智子さん(84)。同県人会婦人部の高木松江さんは(80)は「おてもやんが綺麗だった」と感想を語る。福岡の高数義さん(78)夫妻は「沖縄文化が独特でおもしろい。福岡県人会は、あじさいグループが良かった」と話していた。初めて訪れたという南アゴスチーニョ福岡県人会長は「じっくり楽しめた。8県の協力がすばらしい」と満足気。小山田熊本県人会長は「今年も九州の絆を深めることができた」と振り返った。
奈良県人会(有北ジョルジ会長)は、二十七日午前十時四十分から、西本願寺(聖市シャングアー街一〇八番、地下鉄プラサ・ダ・アルボレ近く)で先没県人の慰霊法要を行なう。詳細は同県人会事務局(電話11・5539・2686)まで。 2009年9月25日付
元学移連実習生の高原要次さん 【福岡発・吉永拓哉福岡支局長】お米を通じて留学生と国際交流を――。福岡県筑紫野市で米作りを営んでいる高原要次さん(五六)は二十二日、アジアやアフリカから同県に留学している学生たちを自宅に招き、新米百キロをプレゼントした。新米は『夢つくし』という福岡のブランド米で、高原さん家族が化学肥料を使わずに、レンゲを撒き、鶏糞などの有機肥料だけで育てたもの。 同氏は七五年、日本学生海外移住連盟の第十六次南米実習調査団団員としてブラジルへ渡伯し、サンパウロ市のヤオハンで一年間研修した。 その後、福岡と南米を結ぶ交流活動に力を注ぎ、〇八年には日本映画『北進斜めにさすところ』のブラジル上映会をコーディネイトするなど、コロニアにも大きく貢献している。 この日、高原さんの自宅には中国、インドネシア、セネガルなど五か国から十一人の留学生が訪れ、二日前に精米されたばかりの新米を受け取った。 高原さんは「学生時代にブラジルで研修していた頃、現地の人々から大変親切にしていただいた。また、私の子供たちもスペインやカナダへ留学し異国の人々からお世話になった」と留学生たちにお礼を述べ、「交流は単なるイベントではなく、関わりにしたい。今後、田植えや草取り、稲刈りと、留学生の皆さんに参加してもらえれば」と呼びかけた。 その後、自宅の庭でバーベキューが行なわれ、炊き立ての新米が振舞われた。また、この日は高原さんの友人が多数参加し、留学生たちの輪の中で楽しそうに歓談した。 ミャンマーから九州大学農学部に留学してしるアウング・ミントさん(三五)は、「私の国でも米作りが盛んですが、日本の米は本当に美味しいですね」と喜んでいた。 高原さんは米農家と兼業して企業向け人材育成の会社を経営している。「人づくり、米づくり、国際交流は同根だと思う。一日本人として留学生たちとよい関係を築きたい」と抱負を述べた。 今回は都合が合わずブラジルからの留学生は参加していないが、「次回はぜひ彼らにも新米を食べさせたい」と話している。 写真:留学生たちに新米をプレゼントする高原さん
ニッケイ新聞 2009年9月26日付け 県連(与儀昭雄会長)とグローバルツーリズモは「ふるさと巡り」の参加者への感謝の気持ちを込めて、利益なしの格安旅行を提供する。11月27~29日に、温泉で有名なミナス州ポッソス・デ・カウダスへ行くもの。旅行代金は2人、または3人部屋は一人219レアル、シングル部屋は一人282レアル。代金に含まれるものは交通費、車内サービス、宿泊費用、食事(朝2回、昼2回、夕1回)、市内観光、観光ガイド、日本語添乗員、旅行保険。申し込み、問い合わせはグローバル(電話=11・3572・8990)まで。
ニッケイ新聞 2009年9月25日付け 九州から沖縄までの八県人会が合同開催する「第8回九州ブロック芸能祭」が27日午前九時から、「我らは九州の家族」をテーマに熊本県人会館(Rua Guimaraes Passos, 142, Vila Mariana)で開催される。入場無料。プログラムは54演目あり、熊本、沖縄、佐賀、大分、長崎、福岡、宮崎、鹿児島の各県が出演する。各県持ち回りで毎年開催しており、今回は熊本が担当する。熊本県は琴演奏「さくら変奏曲」などを披露、沖縄県は琉球國祭り太鼓や琉球舞踊など、佐賀県は12人で健康体操を行う。大分県は「荒城の月」を合唱し、長崎県は長唄「元禄花見踊り」や詩吟、福岡県は団舞「博多ドンタク」や舞踊を踊る。宮崎県は舞踊「日南路音頭」やカラオケを披露、鹿児島県は舞踊「夕鶴の舞」や「支那の夜」などを踊る。熊本県人会の赤木数成書記は「出演者は、みなさんを楽しませようと、各県の特徴を生かした芸能で盛り上げます。是非いらしてください」と来場を呼びかけた。問い合わせは熊本県人会(電話=11・5084・1338)まで。
ニッケイ新聞 2009年9月24日付け 【マナウス発=松田正生記者】トメアスー、ベレンに続き、20日午前、アマゾナス州マナウス市の西部アマゾン日伯協会で日本人アマゾン移住80周年式典(委員長=錦戸健西部アマゾン日伯協会会長)が開かれた。戦前のジュート栽培に代表される農業貢献と戦中の苦難、戦後の各移住地の困難と発展を経て現在の繁栄を築いてきたアマゾン日系社会。当日は国内外の各地から約500人が集い、先人を偲び、さらなる躍進へ思いを新たにした。 式典当日は聖市からの慶祝団を含み、マナウスなど各地から約500人が参集。日伯国会議員連盟の井上信治衆議、今村忠雄・日本海外協会会長、島内憲大使、柴﨑二郎マナウス総領事など日本側関係者、ブラジル側からは州知事代理のマリレーネ・コレア・アマゾナス州立大学学長などが来賓として訪れた。日本の十一都道府県、神戸日伯協会や海外日系人協会からも祝電が寄せられた。日伯両国歌斉唱に続いてあいさつに立った錦戸実行委員長は、「不屈の大和魂によって開拓に挑んだ日本移民は、ジュート栽培によってアマゾンの経済復興に多大な貢献をし、勤勉で誠実な日本人の拓魂を示した」と先人の功績を称えた。さらに戦中のビラ・アマゾニアの没収とその後の苦労、戦後のアマゾン移住の歴史、そして自由貿易港設置後の日本企業進出に触れ、「先輩の実績と日本政府の支援、ブラジル政府の日系人への信用が3脚となってゆるぎない日系社会がアマゾン、ブラジル全国に存在している」と述べ、「現在の礎を築いた先輩の志を継いで日伯友好の絆を強めることが私たちの使命」と結んだ。島内大使が皇太子さまの祝辞を、井上議員が麻生太郎日伯国会議員連盟会長の祝辞を代読。続いて海老井悦子福岡県副知事が麻生渡知事(全国知事会会長)の祝辞を代読した。麻生知事は先駆移住者へ敬意を表すとともに、現地日系社会を「日伯、アマゾンとそれぞれの出身地との理解と友好にとってかけがえのない存在」と位置づけ、「日系人の誇りと伝統を若い世代に伝えてほしい」とメッセージを送った。コレア学長は、政治経済、文化や現在の日伯関係に対する日本移民、日系社会の功績を称え、「困難を克服してブラジル、アマゾニア州のため貢献した日本人の献身と業績に感謝する」と述べた。その後は、州知事として道路整備など日本人移住地の発展に尽力した故ジルベルト・メストリーニョ上議を祭典委員会が顕彰。名誉委員長の島内大使から代理に記念プレートが授与された。続いて祭典委員会から80歳以上の高齢者11人を表彰。外務大臣表彰も行われ、アサヒ自治会(橋本博美会長)、エ・サーレス自治会(宮本倫克会長)がそれぞれ表彰状を受け取った。式典終了後は参加者が集まって記念撮影。その後市内の開拓先没者慰霊碑へ移動し、参加者らが献花した。「自分たちも苦労したけど、古い人たちはもっと苦労したと思います」と話すのは、ベラ・ビスタから訪れた野地忠雄さん(69)。故メストリーニョ知事が同地を視察後、道路を整備した思い出を語り、同氏が顕彰を受けたことを喜ぶ。高拓生7期生として渡伯、式典で高齢者表彰を受けた東海林善之進さん(94、宮城)は、「ジュートがあったから、私たちは今こうしていられる。気の毒なのは、早く亡くなった友人たち。一度も訪日できない人もたくさんいましたから」と話した。
【マナウス発・上岡弥生記者】マナウスのアマゾン日本移民八十周年記念祭典は、午前中の式典に引き続き、祝賀会が午後七時から、ポンタ・ネグラ区のダイヤモンド・コンベンション・センターで開かれた。 紅白で彩られた会場には、地元マナウスの日本企業関係者や西部アマゾン日伯協会会員、サンパウロからの慶祝団など四百人あまりが出席し、八十周年を祝いつつ親しく歓談した。 錦戸健祭典実行委員長に引き続き、井上信治衆議、生田勇治・汎アマゾニア日伯協会会長、サンパウロからの慶祝団代表で与儀昭雄県連会長が挨拶。「昨年は移民百周年、今年はアマゾン八十周年を迎えたブラジル日系社会。今後、北と南で団結し、一緒に頑張りましょう」という与儀会長の力強い言葉に、会場からは大きな拍手が沸いた。 その後、来賓らによる鏡開きがあり、出席者らはグラスを片手に大きな声で、「乾杯」、「サウーデ」と祝杯をあげた。 食事の席では、午前中の記念式典スライドショーに加えて、マウエス、ヴィラ・アマゾニア、戦後移民のインタビューなどを含む記録DVDが上映され、手を止めて見入る人の姿が数多く見られた。 地質の悪いベラ・ビスタ移住地で苦労したという寺野タミさん(七八、熊本県出身)は移住当初を振り返り、「とにかく苦労した。自分でもよう頑張ったと思うわ」と感慨深そうに話していた。 昨年の百周年に引き続き再来伯を果たし、今回は麻生太郎・日伯議員連盟代表の代理を務めた井上衆議は、「それぞれの式典ともによかった」とし、十年後の九十周年における再訪問にも期待を寄せていた。 写真:鏡割り後、祝杯をあげる出席者ら
沖縄県人会(与儀昭雄会長)は十二日、同県人会会館でブラジルにある貴重な三線についての第三回目の話し合いを行ない、二百年以上前の物と見られる三線七丁と、譜面が書かれている百年以上前の工工四(クンクンシー)教本を公開した。会員や琉球古典音楽関係者など三十八人が参加し、一つ一つの三線について、その歴史を紐解きながら手に取るなどして丹念に見入っていた。 家宝の品々に尊厳の思い 専門鑑定と登録の必要性訴え 笠戸丸移民、宮城伊八氏が所持し愛用してきた三線は、「海を渡った百年の三線」として日本全国で報道され、人間国宝昭喜名朝一師が弾奏しながら紹介したという。持参した息子の宮城清進さんは、「決して他人の手に渡してはならぬ」と、言われて育ったというエピソードを披露。 和宇慶朝幸家の家宝とされてきた三線は、平仲知念型と見られ、母県の沖縄にも残存せず文化財に指定する必要があるとされる名器。朝幸氏の孫息女、大城敏子さんによると、朝幸氏は、死別の前日に弟子の大城盛忠師範を呼んで、三線曲のテープを聞かせ、その正誤について問い、正答した同師範にこの三線を譲り渡したのだとか。 琉球王朝第二尚氏王統第三氏尚眞王に祖系を持つ親川家に伝わる三線は、八重山クルチ(黒木)のウジラミー(渦状)模様。知念績高愛用といわれ、「夜ひとりでに鳴る三線」としての逸話も有名だが、ブラジルに持参した徳太郎氏弟、徳昌氏の孫マルコス・デニス親子は、この逸話を祖母から直接聞いているという。 一九二六年にマニラ丸で着伯した瀬名波衆伍氏が持参した三線は祖父から受け継いだもの。衆伍氏は、戦後の「勝ち・負け」抗争の中で、沖縄戦災救援のためにリンス・アリアンサ地区で、同郷者らと共に少女歌舞団を組織。この三線は公演活動の際に大いに活躍したとされている。 具志堅永昌氏が一九二八年のもんてびでお丸で持参したのは、小学校教師の祖父虎太郎氏が愛用した三線で、前述の少女歌舞団公演の活躍も光った。永昌氏逝去後、妻のウシさんは、「この二百年になる三線は『めおと三線』でオトコはあんたが、オンナは妹に預けて家宝として守って」と、長男嫁の具志堅嬉久さんに譲ったといわれている。 野村流音楽協会ブラジル支部第五代支部長、宮平源善氏愛用の三線は一九三〇年にらぷらた丸にて持参された。長男のジョゼーさんは、「どんなにお金に困ることがあろうとも、決して売ってはいけない」と譲り受け、家宝として保管している。 「心」の部分に「写―西平開鏡」「佐久本盛信-作」と記録されているのは、銘苅清昌氏が沖縄を探し歩いて入手した三線。カーザ・ベルデで三線製作にも携わっていた清昌氏が、一九七八年帰郷した際、「良い三線を」と、一戸の家屋敷を売り払って買い求めた逸品。 沖縄県浦添市の内間安久氏の妻カメさんが、父の形見にと、長男安林氏に預けた工工四は、内間家の仏壇で大事に保管されてきた。 この工工四は、現在の野村流音楽協会や同古典音楽保存会の歌曲配列と異なっているため、非常に研究価値のあるものとされ、史料館展示用にと同県人会に譲渡されている。 西原篤一在那覇ブラジル名誉領事は、「ブラジルでは簡単に買い替えなどできない。先人が家宝として大事に保管してきたのがわかる」と述べ、「このような素晴らしい三線があることを誇りにしてほしい。楽しいとき、苦しいとき、三線と共に人生を過ごしてもらえれば」と、来場者に呼びかけた。 『写真で見る沖縄県人移民史』の編集委員長を務める宮城あきら氏は、「十か月の調査でこれだけ多くの貴重な三線が出てくるとは」と驚いたことを明かし、「素人判断ではなく、鑑定士を呼んできちんと見てもらうべき」と、強調していた。 先祖伝来の三線を初めて手にした親川デニスさんは、「対面できて嬉しい」と、感激の表情を浮かべながら弾奏。感動に包まれた会場では、大きな拍手が起り、中には記念撮影をする人も見られた。 同会では、今後も研究を継続し、母県にいる九人の専門鑑定士を呼び寄せ、全伯に赴いて鑑定や登録作業をしていくこと等が話し合われ、満場一致で承認されていた。 写真:先祖伝来の三線と感動の対面を果たした親川さん 写真:逸品揃いの三線を手に取る参加者ら
ニッケイ新聞 2009年9月23日付け 【ベレン発=松田正生記者】パラー州都ベレンでアマゾン移民80周年式典が18日に行われた折り、祭典委員会では役職経験者に限らず長年日系社会へ貢献してきた人物、歌手の宮沢和史さんなど日本側関係者、計94人を委員会表彰として顕彰した。受賞者の一人、矢野勝大さん(かつお、77、福岡)はサンタレン文協の創設発起人として尽力し、会長も務めた。夫人の千津江さん(75)とともに、アレンケールの第1回呼び寄せ移民として家族で渡伯。「お金はないし、マラリアになるし、たいへんでした」と千津江さんは振り返る。サンタレンに出てから営んだ電気店は3人の息子が経営にあたるが、「今も日に一度は店に出る」という。表彰を受け矢野さんは、「うれしい。光栄の至りです」と話した。記念の日本語作文コンクールは「移住に関すること」をテーマに募集され、子供から成人の4カテゴリーで最優秀賞、優秀賞が選ばれた。子供の部カテゴリーCの最優秀賞「汎アマゾニア日伯協会賞」を受賞したライゼ・マヤラ・デ・リマ・サライーバさん(15、トメアスー日本語学校)は、「イミグランテ」と題してトメアスーでの日本人の功績を書いた。日本語の勉強を始めたのは2006年。現在は能力試験4級に挑戦中というライゼさん。「とても嬉しい。感激しました」と受賞を喜ぶ。州知事から表彰を受けた山田純一郎さん(84、静岡)はY・YAMADA社長で、パラー日系商工会議所前会頭。息子のフェルナンドさん(副社長および商議所会頭)とともに受賞した。家族で1932年に渡伯した山田さん。「何もいただくと思っていないところに(表彰を)いただけて嬉しい」と感想を語り、講道館4段だった父・義雄さんとコンデ・コマとの関わり、父親が34年に始めて開けた売店のこと、戦争中のトメアスーへの強制収容などの思い出を振り返った。第1回トメアスー移民で、この日パラー州農業連盟から表彰を受けた大橋敏男さん(92、静岡)は、「同じようにあの頃苦労した人たちがいます。長生きしたから今回の表彰を受けることができた」と話す。「あの頃南拓(南米拓殖会社)にはアマゾンの経験者はいなかった。何もかも新しくやったんですよ」とトメアスー開拓の時代を振り返り、大橋さんは「今の日系人はこんな大きな所で式典ができる。州の発展のために農業をやったのは日本人。だから州政府も認めているのだと思います」と話した。
大阪サンパウロ姉妹都市提携四十周年を記念した成世昌平民謡・歌謡コンサート(北川彰久実行委員長)が五日、文協記念大講堂で行なわれた。千百人が来場し、時折故郷の歌を口ずさみながら、七時間に及んだステージを楽しんだ。 開会式には、大部一秋在サンパウロ総領事夫妻も来賓として訪れ、大阪市公式代表団の岡田茂男会長、木下吉信顧問、ブラジル移民の思いを歌にした『みかえり富士』の作詞家で、大阪市民交流団のもず唱平団長などが出席した。 第一部で、南は沖縄から北は北海道まで十七の民謡曲メドレーを披露した成世さんは、「四十七曲も歌ったら疲れてしまうので抽出した」と笑いを誘いながらも、「故郷の歌を届けたい」と、来場者のリクエストに応えるファンサービス。聴衆の心を一気に引き付けていた。 第二部では、もず団長が「日本の歌を考える」と題し、特別講演。「歌は心の架け橋、歌に国境はない」と話し、二〇〇六年に来伯した際に、「一世の祖父が富士山は世界中で一番美しい山だとよく言っていた」という話を耳にしたことを明かしていた。 そのときの体験から、「日本を離れる際に振り返り、振り返り、富士の姿を焼き付けていた移民の心を歌にしたい」と、『みかえり富士』を作詞。「この歌を出せないようなら日本の音楽業界は駄目だ」と、日本音楽著作権協会会長の船村徹氏が曲をつけ、世に出すことができたという。 第三部では、成世さんが『船村徹メドレー』や『みかえり富士』を披露。ポルトガル語でも歌われた『みかえり富士』に大きな拍手が送られていた。第四部は、日本からの市民交流団も参加しての日伯交流紅白歌合戦が行なわれ、接戦の末、僅差で紅組が勝利。出場者に歓声がとぶなど最後まで盛り上がったステージとなった。 写真:リクエストに応えて熱唱する成世さん
福岡県人会(南アゴスチーニョ俊男会長)は十四日、聖市内のレストランでアマゾン日本人移民八十周年を記念した福岡県慶祝団(海老井悦子団長)の歓迎会を行なった。団員ら六人と集まった同県人会関係者三十四人は、郷里の話に花を咲かせるなどし和やかな時間を過ごした。 同日着聖した一行は、午後三時からブラジル日本移民史料館を見学。同県人会からは案内役として、松尾治名誉会長、鶴我博文理事、鶴我圭子同夫人が参加した。 慶祝団の顧問を務める井本邦彦同県県議会副議長は、「自分の感覚で移民の歴史を認識したい」と、ガイドに頼らず一つ一つの資料に足を止めた。「カーニバルの国程度の知識だった。県人の方が随分とブラジルに貢献している。嬉しく思います」と移民史に触れ、感激の表情を浮かべていた。 歓迎会の席で同県副知事の海老井団長は、「移民の皆さんがここに至るまでに抱いた思いを感じることができた」と史料館見学の感想を述べ、昨年から実施している子弟招聘制度などを通して、「グローバルな時代に対応できる県人会と、県の絆を更に深めていきたい」と、あいさつ。 同県から参加者に対して漆塗りの夫婦箸も贈呈され、南会長は、「母県から慶祝に来ているのはうちだけ。ブラジルのことを気にかけてくれているのがわかる。本当に嬉しい限り」と喜び、「良い旅にしましょう」と、一行の安全を祈念していた。 写真:歓迎会でスピーチする笑顔の海老井団長と、南会長
物産、ラーメン共に完売御礼 物産展の継続を示唆する木下会長 北海道協会(木下利雄会長)は十二、十三の両日、同協会会館で『第二回北海道物産展』を行なった。北海道移民九十年、同協会創立七十周年記念事業の一環でもある同展は、二〇〇四年に続き二回目の開催。前回は寄付に頼った食材も、今回は品数を増やして母道から直接買い付けた。ブラジルでは入手困難な品も並び、訪れた九百人は北の大地の味覚を満喫していた。 初日、午前十時の開場時刻には、産地直送の特産品を買い求めようと、二百人が列を成し、協会側が急遽二十人ずつの入場制限をするほど。数の子、ほたて、たらばがに等の魚介類に加えて、「白い恋人」、「マルセイバターサンド」といった銘菓も昼過ぎには完売し、「予想以上の手応え」と、関係者らは顔をほころばせていた。 二日目は、協会婦人部「はまなす会」による『第十四回ラーメン祭り』も同時開催。二日前から漬込んだチャーシューに、コーン、海苔、ねぎなどをトッピングしたしょうゆラーメンは、一時間足らずで満席となるほどの人気ぶり。 父親が北海道出身の瀬戸千恵子さん(六四、二世)は、「初めて食べたラーメンはとても美味しかった。これからも続けてほしい」。友人の秋末朝子さん(六一、二世)は、「目当てだった北海ちらしも美味しい」と、持ち帰り用の袋を抱えて大満足の様子だった。 調理場は、ちらし寿司、あんみつ、いちご大福の追加注文に大忙し。午前七時から四度の炊飯をこなした水野誠子同会会長は、「仕込みは昨日から。回を重ねるごとに手際も良くなってきて、今年も完売、成功です」と充実した表情を見せていた。 同協会青年部「ひぐま会」によるヨサコイソーランが披露されると、来場者で賑わう会場の熱気も一段と高まった。用意した品の多くが午後二時には売り切れ、高橋昭副会長は、「うちは独立採算制だから、利益はそれぞれの会に入る。だから婦人部も青年部も一生懸命」と、活気の源について笑顔で語っていた。 五年前の初回物産展では品数が手薄だったため、今回は要望に応えて品数を増やし、赤字覚悟で直輸入に踏み切ったという木下会長は、「税関を通るとどうしても高値になってしまう」としつつも、「ニーズがあるなら続けたい」と、盛況に応じて来年以降の継続開催を示唆していた。 写真:目当ての品を買い求める来場者
