ニッケイ新聞 2009年9月22日付け 「アクションなくして結果なし」。五月に新体制となった在伯埼玉県人会(飯島秀昭会長)のテーマだ。新飯島体制の下、まず始めに企画されたのは母県の祭りに参加するもので、「ブラジルを身近にしたい」、さらに「県人会のモチベーションが上がれば」と飯島会長は意気込む。同県人会は、所沢航空記念公園(埼玉県所沢市)で十月二十四、二十五両日開催される「所沢市民フェスティバル」(同実行委員会主催)に参加することを決定。また、伊佐沼公園(川越市)で十月三十一日、十一月一日両日開催される「09川越産業博覧会」(川越市主催)に参加することも決定した。同県人会事務所で三日、飯島会長、尾崎眞次副会長夫妻、植(つげ)教子婦人部長、吉原正之会計、根本信元・元会長夫妻らが記者会見を開き、参加に至る経緯と新体制の抱負を発表した。両会場では、JICAや伯国大使館が提供するパネルやパンフレット、映像を使った観光や経済の紹介。ブラジルの文化などを日本語で紹介する雑誌も提供する予定。さらに、伯国航空機メーカーのエンブラエル社が伯国紹介のパンフレットを二千部提供する。市民フェスティバルでは、サッカー元日本代表の岩本輝雄氏、エクアドル元プロ選手の中川賀之氏の二人を講師に迎え、県内青少年サッカーチーム所属選抜選手や一般募集した計二百人に対して、少年サッカー教室を開催する。博覧会では業者によるシュラスコ、パステイスや飲み物などが振舞われる。昨年、同県人会創立五十周年・県人移住九十周年式典に母県から参加した、同県議会議員で構成する日伯友好議員連盟の竹並万吉会長との縁がきっかけで、参加することが決まった。ブラジルからの訪問団は実行委員長の飯島会長と準備委員長の尾崎副会長。日本側は飯島会長の知人の日系ブラジル人や、友人らが手伝いを申し出ている。現在、同県人会は飯島会長や尾崎副会長らを中心に同事務所で月に二回会合を開いているが、会館がないこともあり、青年部は大きな行事しか参加しない。だが、飯島会長は「今までの県人会を培ってきた先人のお陰で礎があるからこそ、今行動できる」と述べ、「日本祭での活躍を見て、県人会としてもっと何か良いものが作れるのではないか」と感じたという。「ある金は使う。何もしないと何も動かない。今回、県人会の〃良い商品〃を作り、それで楽しい時間が過ごせたら」とし、「石を投げてみて、どれだけの波紋が立つか分からないが、小さな足跡でも良いからやってみたい」と語った。同県人会では同県出身者や縁のあるもの、また趣旨に賛同してくれる人を募集している。問い合わせは同県人会(電話=11・3253・8554、住所=Av. Brigadeiro Luiz Antonio, 2367, conj. 508, Bela Vista)まで。
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ニッケイ新聞 2009年9月22日付け 【ベレン発=松田正生記者】パラー州都ベレンで十八日夕方、日本人アマゾン移住八十周年記念式典(生田勇治祭典委員長、須藤忠志実行委員長)が開催され、六百人以上が出席した。十六日のトメアスーに続くベレン式典には、日伯国会議員連盟を代表して井上信治衆議院議員も出席して麻生太郎議連会長のメッセージを披露。第一回トメアスー移民の大橋利雄さん(92)、山田元さん(82)や各日系団体の功労者、親日家ブラジル人など多くの人が表彰を受けた。 会場となったコンベンションセンター「HANGAR」には、汎アマゾニア日伯協会の加盟十八団体から関係者が参集。日本からは井上議員や福岡県の海老井悦子副知事、井本邦彦県議会副議長、今村忠雄・日本海外協会会長、聖市からは県連ふるさと巡り一行約二百人をはじめ文協、援協の代表者も出席した。式典に先立ち、午後三時から表彰式が行われ、祭典委員会表彰(九十四人)、日伯功労賞(五人)、パラー州農業者連盟表彰(三人)、日本国外務大臣表彰(四人)の順に受賞者が表彰を受けた。北伯日本語普及センター(山瀬楢雄理事長、十七校)が八十周年を記念して実施した日本語作文コンクールの表彰式も行われた。午後四時半からの記念式典には、アナ・ジュリア・カレパ州知事、島内憲大使、名井良三ベレン総領事、ベレン市のドゥシオマール・コスタ市長、山田フェルナンド・パラー日系商工会議所会頭、飯星ワルテル下議ら連邦議員が来賓として出席した。生田祭典委員長はあいさつで、ペルーからアンデスを越えて来た「ペルー下り」の日本人、一九一五年にベレンへ来たブラジル柔術生みの親コンデ・コマ(前田光世)などの移住前史から、二九年に始まったトメアスー移民の苦闘と成功、五世が誕生する現在に至る北伯日系社会の歩みを振り返り、「先人のおかげで盛大な式典ができる」と感謝を表した。さらに日本移民を受け入れたパラー州と長年の日本政府の支援への感謝とともに、「これからも二つの民族の絆を強めるため、日本の文化をパラー、ブラジルに、ブラジルの文化を日本へ広めていきたい」と述べた。井上議員が麻生日伯議連会長の祝辞を代読。麻生会長は、日本移民と日系人が「誠実さと忍耐力で確固たる地位を築き、高い評価を得ていることを誇りに思う」と敬意を表した。トメアスーの式典に続き、島内大使から皇太子さまの祝辞が紹介された。席上、州政府が八十周年を記念して各分野での功労者へ記念メダルを贈呈する政令を定めたことが報告され、島内大使、山田元さん、Y・YAMADAの山田純一郎社長、山田フェルナンド副社長、生田祭典委員長、格闘家の町田リョートさんら十三人に知事から手渡された。最後にあいさつに立ったカレパ知事は、日本移民が「子を育て、孫までパラーに住み、地域発展に貢献している」と述べ、同州に国内三番目、約三万人の日系社会があることを誇りに思うと話した。また「日本は伝統を守りながら技術と共存する手本を世界に示している。パラー州も日本に見習い、環境に配慮した持続可能な開発を目指している」と述べ、経済面での協力関係継続にも期待を表した。知事は「道のりは楽ではなかったが、努力と忍耐で障害を越え、今日の地位を築いた」と日本移民・日系人をたたえ、州への貢献に「ムイント・オブリガード」と感謝の言葉を送った。パラー州歌を歌い、六時半過ぎに式典は終了。鏡割りに続いて祝賀アトラクションが行われ、花柳流金龍会の舞踊や筝曲演奏などが披露された。
ニッケイ新聞 2009年9月22日付け イチョウのように逞しく―。日系人が多く通った「コレジオ・パウリスターノ」の卒業生らが中心となり、被爆2世のイチョウ苗3本を19日、同校跡地に建つ私立大学FMU(Rua Tagua 150)に植樹した。幹事役の平崎靖之さん(63、広島)は、「イチョウは太古の昔からあり、生命力が強い。リベルダーデ発展の思いも込めた」と嬉しそうな表情を見せた。コレジオ・パウリスターノはリベルダーデ区タグア街(現在のFMU)にあり、日系人子弟が多く通っていた私立校。七〇年に最後の卒業生を送り出した。卒業生で、ブラジル被爆者平和協会の斎藤綏子理事(62、広島)は、「日系だけでなく、エジプトやドイツなどポルトガル語のままならない移民の子供が多くいました」と懐かしそうに振り返る。平崎さんが知人のアデリコ・マチオーリ陸軍少将と話しているうちに、お互い同校出身であることが分かった。知りあいに呼びかけ、昨年十月にあった初の同窓会には九人が参加。旧交を温めるなかで、「来年集まる時には、何か意義のあることを」と、胎内被爆者である平崎さんが被爆イチョウを〃古巣〃に植樹することを発案。FMUに打診し、実現した。今回植樹したイチョウは、宮城県人会の中沢宏一会長(65、アチバイア在住)が育てていたものを寄付した。「十五年ほど前、広島に里帰りした知人の女性がブラジルに持ち帰った被爆イチョウの銀杏をもらい育てた」(中沢会長)という。十九日午前、FMUには十人の卒業生のほか、日系唯一のサンパウロ州議で、祖父母が広島出身の西本エリオ氏(46)、広島県人会の大西博巳会長、長崎県人会の大河正夫副会長(58)、FMU関係者が集まった。南米大神宮の逢坂和男宮司が神事を執り行い、三本の苗をタグア街に面した入り口の庭に植樹した。FMUの環境教育担当クリス・アラウジョさん(37)は、「このような機会を嬉しく思う。心の中にイチョウのような強さと耐える力を持つことを生徒たちに伝えたい」と感謝の言葉を述べていた。
ニッケイ新聞 2009年9月18日付け 【トメアスー発=松田正生記者】アマゾン移民の古里、これからも――。トメアスー文化農業振興協会で十六日、日本人アマゾン移住八十周年記念式典(実行委員長=海谷英雄同文協会長)が行われた。マラリアの悲劇、戦中には敵性国民として扱われ、そして戦後のピメンタ景気―。激動の歴史をたどってきた同地の節目を祝う式典に州内、国内外から約六百人(主催者発表)が出席。皇太子さまも祝辞を寄せられ、移住者に敬意を表した。当日は八十年の歩みを見つめてきた二人の第一回移民が出席して表彰を受けた。 好天に恵まれた式典当日、午前八時過ぎから会館前の道路で記念パレードが催された。海谷実行委員長、武田キヨミ副市長らが日伯国旗、パラー州、トメアスー市旗を掲揚。続いて同市にあるトメアスー・ニッケイ学校、ファビオ・ルス学校、イピチンガ学校の生徒がパレードし、トメアスー、アマゾンでの日本移民・日系人の貢献を称えた。十時過ぎに始まった式典には、オダイール・コレイア州副知事、飯星ワルテル、ウィリアン・ウー両下議、地元選出のゼナウド・コウチーニョ下議、カルロス・ヴィニシウス市長、生田勇治・汎アマゾニア日協会会長、島内憲駐伯大使、名井良三ベレン総領事、芳賀克彦JICAブラジル所長など日伯両国の来賓が出席。日本からは、福岡県の海老井悦子副知事、井本邦彦副議長ら五人、今村忠雄日本海外協会会長などが来伯した。また、サンパウロからは、十人近い県人会長が県連ふるさとめぐりなどで式典に参加。与儀昭雄県連会長、菊地義治援協副会長らも出席した。一九二九年九月二十二日にアカラ植民地(現トメアスー)に到着した四十二家族百八十九人によって切り開かれたアマゾン移住の歴史。開拓初期はマラリアなどの風土病に苦しみ、戦中は敵性国人とされたアマゾン地域の日本人が強制隔離されるなど苦難の道のりが続いた。海谷実行委員長はあいさつで「一時は七割が脱耕した過酷な状況の中でも残留者は夢を忘れなかった」と先人の苦労を偲び、「戦後のピメンタの成功で文化的な生活を営む余裕が生まれ、さらに戦後移住者の入植により、名実ともに北伯一の日系社会になった」と振り返った。同地は現在、熱帯果樹栽培やジュース加工のほか、農業と林業の混合により持続的な開発を目指す「森林農業」に取り組んでいることから、海谷委員長は「アマゾンの自然と調和した農業をいかに効果的に進めていくかが我々の課題」と締めくくった。出席した来賓もそれぞれ祝辞。ヴィニシウス市長は「日本人はトメアスーの友人」と述べ、州副知事は同地が州発展に果たした役割を称え、日本とのさらなる関係進展に期待を表した。皇太子さまからの祝辞は島内大使が代読した。皇太子さまは「移住者の苦労を偲び、心から敬意を表する。アマゾン移住者の地道な努力が今日の日系人への信頼、評価につながっている」と現在の発展を称え、「これからも日伯の友好の架け橋として活躍することを願います」とのお言葉を寄せられた。この日はまた、トメアスーへの移住事業を担った南米拓殖株式会社の創立に尽力した鐘淵紡績社長武藤山治氏の孫、武藤治太氏(71、大阪、ダイワボウホールディングス株式会社相談役)も出席した。「当時国会議員だった祖父は、後に来るつもりで、土地も買っていたようです」という。仕事の関係で今回が四度目の来伯という治太氏。「地球の反対側でよくやれたと思う。八十年以上前にまいた一粒の種がこれだけになり、祖父も生きていたら喜ぶでしょう」と話した。式典後は会館入り口に設置された記念モニュメントを除幕。鏡割り、乾杯後に祝賀昼食会が行われた。会館の敷地ではトメアスーの農業を紹介する物産展も開かれ、賑わいを見せた。午後からの芸能祭には滞在中の歌手宮沢和史さんと大城クラウディアさんが出演し、「島歌」を熱唱。婦人らによる演芸が披露されたほか、八十周年を記念して作られた歌「海を越えて~アマゾン移民八十年賛歌」も歌われた。 第一回移民山田元、加藤昌子さんを表彰 この日は、第一回移民で健在な山田元さん(82、広島)、加藤昌子さん(80、秋田)と、七月七日に亡くなった横山禮子さん(娘のアナさんが代理)はじめ、十四人の功労者に実行委員会から感謝状を授与。またパラー州農業水産連盟から、山田さんら三人に、州の農業発展への貢献を称えた記念プレートが贈られた。外務大臣表彰式も行われ、トメアスー文協と海谷会長が受賞した。生後三カ月で移住した加藤さんは「何もできないのに表彰していただき、ありがたい」と喜んだ。二歳で移住、農協理事長を務めるなど同移住地とともに生きてきた山田さんは、「皆さんの支えがあって生きさせてもらった」と感謝し、「日本語はできるだけ続け、一歩でも前進するように努力してほしい」と次世代に期待を表した。
ニッケイ新聞 2009年9月18日付け ブラジル石川県人会(小堀勇会長)は、南米地域青少年育成協力事業「二十一世紀石川少年の翼」で母県から訪れた派遣団六人の送別会を八月二十六日午後、同県人会館で開催した。一行を温かく送り出そうと、県人会員や同交流事業OBなど五十三人が集まった。同交流事業参加者は、速見帆並さん(高一)、東明璃さん(高一)、山岸聖奈さん(高三)、山崎祐輔さん(高一)の四人。団長は石川県観光交流局国際交流課・交流協力グループリーダーの良澤和俊さんで、国際交流員の原口リリアンさんが引率した。一行は八月二十日から二十七日の滞伯期間中、アマゾン移住八十周年を記念し、アマゾナス州マナウス市のマナウス石川県人会を交流訪問。ホームステイを体験、工業団地や動物園、劇場、港を見学したほか、アマゾン川合流地点にも向かった。「ピラルクがおいしかった」と満喫した様子。聖州では、移民の入港したサントス市を訪問。サントス厚生ホームで高齢者を慰問した。最終日前日、四人は一週間の疲れも見せず、元気に会場に姿を現わした。小堀会長は「心ゆくまで歓談し、楽しい時間を過ごしましょう」とあいさつ。竹下康義さんの乾杯の音頭で、和やかに夕食会が始まった。二年半ぶりの再会に喜んでいたのは山岸さんと同交流事業で〇七年一月に石川県を訪問した清丸多美さん(18)。山岸さんの家にホームステイしていた清丸さん、「とても温かく迎えてもらいました」と思い返す。二人は、再会時に互いの顔が分からなかったと笑い合った。交流生四人が「涙そうそう」と「上を向いて歩こう」を歌った後、それぞれ研修の感想を発表した。山崎さんは「アマゾン川の合流地点が特に印象に残った」、速見さんは「聖市にビルが多いことが意外だった、東京のよう」、東さんは「伯国の人は日本の人に比べても温かい気がした」と笑顔で語った。両親がアイルトン・セナの大ファンで「セイナ」と名付けられたという山岸さんは「また絶対伯国に戻ってきます!」と宣言。良澤さんは、「子供たちの一生の思い出になったと思います。ぜひ石川県にも訪れて下さい」と感謝を述べた。記念撮影が行われ、九時半頃閉会した。
ニッケイ新聞 2009年9月17日付け 青葉健康生活協会(中沢宏一会長)は青葉祭りと並行し、十九日午後三時から午後五時までブラジル宮城県人会館(ファグンデス街152)で、有機農産物生産に関する講演会を開催する。宮城県人会後援、有機農業研究会(APAN)、農協婦人部連合会(ADESC)、カッポン・ボニート有機生産者協会の協賛。テーマは「有機農産物生産について」「有機農産物生産者と消費者の提携」。講師には、宮坂四郎(聖州立カンピーナス試験場農業技師)、長井邦夫(農業技師)、宮田隆行(有機野菜栽培者、カッポン・ボニート有機生産者協会代表)の各氏を招く。案内に訪れた中沢会長、鈴木運蔵青葉健康生活協会副会長、長井さん、ADESCの内海千代美会長、草島加代子さんは、「生産者と消費者が一緒になって理解を高めていければ」と来場を呼びかけている。問い合わせは、青葉健康生活協会(電話=11・3209・3265)まで。
ニッケイ新聞 2009年9月17日付け 【トメアスー発】ついにアマゾン日本人移住八十周年祭典がスタート――! 一九二九年九月二十二日、初めて日本人移民が踏んだアマゾンの地、トメアスー移住地で十五日夜、前夜祭が行われ、約四百人が参加した。同日午後には同地本願寺で、松峯慈晄・浄土真宗南米総長の導師による慰霊法要、十六日には記念式典もあった。これを皮切りに、ベレン(十八日)、マナウス(二十日)、パリンチンス(二十二日)でも関連事業が行われる。 トメアスー文協会館であった前夜祭には、ウィリアン・ウー、地元選出のゼナウド・コウチーニョ両連邦下議、トメアスー二世の飯田・タケダ・キヨミ副市長ら来賓も出席した。日本から駆けつけた歌手の宮沢和史、アルゼンチン二世の大城クラウジアさんの歌声に約四百人が聞き惚れた。パラグアイ・イグアス移住地の太鼓グループ『鼓太郎』から十一人が参加し、太鼓演奏ほか、さんさ踊りや、荒馬踊りなど民族芸能を披露した。リッファなども行われた。十六日午前にあったトメアスー記念式典、ベレン、マナウス、パリンチンス各式典の模様は、後日詳報する。
ニッケイ新聞 2009年9月16日付け アマゾン日本人移民八十周年記念式典に出席するため、福岡県から海老井悦子県副知事、井本邦彦福岡県議会副議長、福島明彦国際交流センター事務局長らの慶祝団五人が十四日、来伯した。一行は同日午後三時から、ブラジル福岡県人会の松尾治名誉会長と共に文協のブラジル日本移民資料館を訪れた。栗原猛・同史料館運営委員長による移民の戦前、戦後の生活や勝ち負け抗争などの説明に、熱心に聞き入っていた海老井副知事は、「開拓の過程には、日本人らしい強さを感じる。アマゾンで頑張れたのも日本人だったからなのでは」と印象を語っていた。同日夜は、リベルダーデ区のレストランでブラジル福岡県人会(南アゴスチーニョ会長)による歓迎会が行われ、会員ら約四十人が集まった。海老井副知事は、「グローバル化の中で、県人会との交流を深めていきたい。世代交代しながらも絆を強めていければ。来年の福岡県人会創立八十周年記念を盛大に祝う足がかりにしたい」と述べた。井本副議長は、「同県人会員が苦労して日伯の絆を作ってきたのが分かった。伯国で同県人会が活発に活動していることが嬉しい、県にもそのことを報告したい」と話した。
ニッケイ新聞 2009年9月15日付け 大阪・サンパウロ姉妹都市提携四十周年を記念し、大阪市音楽親善大使の歌手・成世昌平さんと作詞家・もず唱平さんらが出演する記念歌謡イベント(北川彰久実行委員長)が五日文協大講堂で開催された。約千百人が会場を埋め、一日音楽に酔いしれた。開会式で大部一秋在聖総領事は「『みかえり富士』は心揺さぶられる移民の歌、伯国でも発表され嬉しい」と述べ「成世さんに直接お会いでき光栄」と話していた。大阪市の木下吉信市議は「同じ血が流れている皆さんと交流を深めていきたい。大阪を忘れないで下さい、五十周年も盛大に祝いましょう」とあいさつ。作詞家のもず唱平さんは「歌は心の架け橋と信じている。成世さんが歌う曲を日本からの土産として聞いて下さい」と伝えた。「みかえり富士」を作った作曲家・船村徹さんからのビデオメッセージも上映された。第一部、成世さんは着物姿で登場。「大阪市から贈られた愛の鐘と共にやってきました。夢が叶い、皆さんの前で歌えて嬉しい」とあいさつし、ショーが開幕。滋賀の淡海節から大阪の淀川三十石船舟唄やソーラン節まで十七曲の民謡に加え、会場からのリクエスト曲が歌われた。しげさ節や磯節、黒田節、外山節など多くのリクエストが飛び出し、会場はおおいに盛り上がった。第二部はもずさんが講演し、日本の歌「赤とんぼ」の歌詞の背景を考えた。単に日本の風景を歌っているだけでなく、子守子の生活や絹産業など当時の風習を伝えているという。会場は、もずさんの情趣豊かな語りから故郷の様子に思いを馳せた。第三部は、歌謡成世昌平ショー。伯国初披露の移民の歌「みかえり富士」に始まり、ヒット曲「はぐれコキリコ」や「昭和の家族」などが披露されていった。「貝殻恋唄」では成世さんはステージから客席に下り、観客の握手に応えながら熱唱した。船村徹作品メドレーでは「別れの一本杉」や「王将」、「矢切の渡し」も披露された。「ひえつき節―ノスタルジア椎葉」の前には、民謡「稗つき節」の作詞者で、移住してスザノで亡くなった酒井繁一氏の息子の未亡人・酒井文子さん(68、山口)も紹介された。最後は、会場と一緒に再度「みかえり富士」を歌い締め括った。第四部は日伯交流紅白歌合戦で白熱、接戦の末に紅組が優勝した。「愛のままで」を歌った伯国から参加した石井彩子さん、日本からの参加で「みかえり富士」を披露した金子靖男さん(70、東京)が大阪市長賞に輝いた。審査にあたったもずさんは「皆さん本当に上手でこんなに難しい審査も珍しい、本当に困りました」と感想をもらした。金子さんは「去年の移民百周年を記念しこの曲を選んだ。地球の反対から来て歌った甲斐がありました」と嬉しそうに語っていた。来場者から好評をいただいたと顔をほころばす北川実行委員長。「成世さんのショーを会場に届けられた、すばらしい交流会になった」と話していた。サントス港も見学に行き、移民の情景を思い浮かべながら歌いきったという成世さん。公演を終え「ステージはお客さんがつくるもの。よく聞いて下さって嬉しい、皆さんが心で感じてくれているのが分かった」と笑顔で語り、「また伯国で歌いたい」と話していた。「みかえり富士」を作詞したもずさんは、前来伯時に移民と交流を持ったことが作詞のきっかけだったと話す。「日本の人も日系人がこれほど日本に思いを馳せていることを知るべき」と話し、「伯国社会では多文化共生が成立しているように見える。日本の将来にも良い手本になるのでは」と語っていた。会場の福本緑さん(68)は「紅が勝った!」と抱き合って喜んでいた。「はぐれコキリコ」のCDを日本で買って来たという上里ジョルジさん(69)は「成世さんの曲を生で聞け嬉しい」と感激する。石井千鶴子さん(62、北海道)も「はぐれコキリコ」が好きでテープを持っているという。幼少期に渡伯した石井さんは、「『みかえり富士』を聞いたら涙がでてきました」としみじみ語っていた。当日はブラジル日本アマチュア歌謡連盟(INB)北川好美会長、サンパウロ・大阪姉妹都市委員会高木ラウル委員長、岡田茂男大阪・サンパウロ姉妹都市協会副会長、ピラチニンガ文化体育協会の重田エルゾ会長らも出席した。
琉球民謡保存会ブラジル支部(仲村善正支部長)は十三日午後二時から、沖縄県人会会館(聖市リベルダーデ区トーマス・デ・リマ街七二番)で「第十九回琉球民謡紅白歌合戦」を行なう。 当日は、十代の若者十五人を含む男女二十四組が出演、自慢の喉を披露する。最優秀男女は、沖縄県で行なわれる「新春民謡紅白歌合戦」(琉球放送主催)にブラジル代表として出場する。 その他、琉球舞踊やちびっこ民謡ショーなどのアトラクションもあり、案内に来社した仲村支部長と米須正実行委員長は、「今年は若い人も多いし、賑やかにやりたい。誘い合わせてぜひ」と多数の来場を呼びかけている。 写真:案内に来社した米須実行委員長と仲村支部長(左から)
資料集め、活用が今後の課題 ブラジル沖縄県人会(与儀昭雄会長)は五日午前十一時すぎから、沖縄文化センター(ジアデーマ市)敷地内で建設を進めていた移民資料館の落成式を行った。与儀会長をはじめとする県人会役員、会員および関係者のほか、資料館建設費を集めるために母県で奔走した西原篤一沖縄ブラジル協会会長、ジルソン・メネゼス同市副市長ら約二百人が参席、念願だった資料館の落成を祝った。与儀会長によると、来年いっぱいで資料などを揃え、「ウチナーンチュの心」を吹き込み、その後、資料館としてオープンする予定。 国頭村・金武町記念碑も除幕 西原篤一沖縄 ブラジル協会会長も出席 落成式ではまず、南米大神宮の逢坂和男宮司による竣工清祓い式が執り行われ、宮司による祝詞奏上(のりとそうじょう)、与儀昭雄会長、宮城滋元会長、山城勇元会長、西原篤一氏、花城清賢ジョルジ氏、伊差川実元会長、宮城調智前会長、神谷牛太郎聖市議、メネゼス副市長ほかによる玉串奉天が粛々と行われた後、資料館入り口でテープカットが行われた。 続いて、同館入り口正面の記念碑に据えられた、笠戸丸でブラジルへ渡った第一回沖縄移民の氏名を刻んだ記念プレートの除幕、同県国頭村(くにがみそん)から寄贈された「万国津梁(ばんこくしんりょう)の民」記念碑および、同じく金武(きん)町から寄贈を受けた県人移住百周年記念石碑の除幕を行った。 与儀会長はあいさつで、「百周年の行事はすべて終わったが、この資料館建設という事業が残っていた」とし、県や市町村、多くの県民、そして在伯県系人らの協力のおかげで、県人移民百周年を記念する最大の事業を成し遂げることができたと謝意を表し、「笠戸丸でやって来た三百二十五人に始まった我々、ブラジルのウチナーンチュの歴史を、三世、四世、五世のために残さなければならない。入れ物は出来たので、これからはウチナーンチュの心を、ここに入れていかなければならない」と述べた。 続いてあいさつに立った松堂忠顕落成式実行委員長、崎間達雄資料館建設委員長、宮城調智前会長、山城勇元会長らはそれぞれ、資料を収め、それらをどう活用するかが大事であり、これからが本当に大変な作業になると述べ、資料収集および資料館運営に対しての協力を呼びかけた。 同資料館建設にあたって県、市町村、一般企業からの寄付集めに奔走した西原篤一沖縄ブラジル協会会長もはるばる落成式に駆けつけ、「ふるさとが学べる資料館にしていただきたい。おめでとう」と祝辞を述べた。 また同氏は現在、県内四十一市町村に対して「我が村の自慢DVD」を制作するよう働きかけていることを明らかにした。これは、沖縄各地に息づいている伝統文化、太鼓や歌、踊りなどの民俗芸能や空手などを収め、ブラジルの人に沖縄を知ってもらうために同資料館で視聴できるようにするのが目的だという。その活動資金はすべて西原氏の持ち出しというが、「ブラジルの人は本当に良くしてくれるから。倍返ししないとね」と嬉しそうに語った。 写真:第一回沖縄移民の名が刻まれたプレートの除幕 写真:金武(きん)町から寄贈された記念碑の除幕
ニッケイ新聞 2009年9月12日付け 沖縄県人ブラジル移民百周年の記念事業として聖州ジアデマ市の沖縄文化センターで建設が進められてきた移民資料館の建物が完成し、五日、約二百人が出席して落成式が挙行された。母県からは沖縄ブラジル協会長を務める西原篤一氏(在那覇ブラジル名誉領事)が来伯。あわせて昨年の百周年式典で金武町から寄贈された記念石碑、国頭村の寄贈による夫婦像「万国津梁の民」碑の除幕式も行なわれた。先駆者の歩みを伝え、県系社会の心の拠り所となる同資料館。県人会、センターでは来年中の開館を目指して資料集め、整理を進めていく予定で、現在関係者に資料提供を呼びかけている。 県人移民百周年の記念事業としては最大のものとなる「沖縄移民資料館」。母県から二千万円、市町村、民間から一千万円ずつの支援を受け建設が進められてきた。当日の空は厚い雲に覆われながらも、雨に降られることなく落成式を開始。午前十一時過ぎから入口前で南米大神宮の逢坂和男宮司により清め祓い式が執り行なわれ、与儀昭雄会長はじめ県人会、文化センターの歴代理事長や関係者、西原氏、ジアデマ市のジルソン・メネゼス副市長らが玉串を捧げた。建物のテープカットを行なった後はセンター入口に移動し、「万国津梁の民」碑と、「いざ行かん我らの家は五大州」と刻まれた金武町の記念石碑を除幕。滞りなく一連の行事を終了した。▽ ▽平屋建ての資料館には今後、展示室や図書室、資料保管室のほか、慰霊室や県人移民のルーツをたどれる家系図室などが設置される計画。映像コーナーなども整備し、歴史の保存とともに伝統文化普及の場として位置付けられている。建物の前には沖縄県旗のデザインをイメージさせる円形の空間が設けられ、中央に笠戸丸県人移民三百二十五人の名と、沖縄と移住先国の地図を刻んだプレートが設置された。記念碑除幕後、建物の前で来賓、関係者があいさつ。昨年の式典に出席した翁長雄志那覇市長からのメッセージも紹介された。与儀会長は「沖縄、ブラジルの皆さんの協力で落成の日を迎えることができた」と感謝を表わし、「これから色々な資料を集めてウチナーンチュの歴史をここに入れ、次の世代へ残していきたい」と決意を語った。式典実行委員長の松堂忠顕委員長は「これから人材を選び、中身の充実に努めてほしい」とあいさつ。山城勇元評議員会長は「先人が築いた絆と結束に、常に感謝の気持ちを持たなければ」とし、「これからは我々の肩にかかっている」と述べ、さらなる協力を呼びかけた。 団結の象徴 三十年以上にわたる分離状態を経て、現在統合を進めている県人会と文化センター。団結の象徴とも言える同センターに、県系社会の歩みを将来へ伝える資料館が落成した。学生寮建設事業として始まった同センター。県人会のミラカツ支部長を四十年務め、文化センター理事としても尽力した長田栄治さん(91)は「ここが当初の夢だった子弟の教育の場になり、世界の文化センターになってくれれば」と語る。同センターの創設者、花城清安氏の息子で、自身理事長として尽力した花城清賢ジョルジさん(79)は、「皆の協力で立派なものができた。父も喜んでいると思います」と笑顔を見せ、「これから大事なのが資料集め。県人の歴史を子孫に残し、いつでも思い出せる場所になってほしい」と期待を表わした。終了後は運動場で昼食会が開かれ、花城さんの発声で乾杯。舞踊なども披露され、午後二時ごろまで和やかなひと時を過ごした。
ニッケイ新聞 2009年9月12日付け 琉球民謡保存会ブラジル支部(仲村善正支部長)は十三日午後二時から沖縄県人会館大サロン(リベルダーデ区トマス・デ・リマ街72)で「第十九回紅白歌合戦」を開催する。入場無料。二十四組四十八人が出場。大会の中で、紅組白組から一人ずつRBC(琉球放送)の「新春民謡紅白歌合戦」への参加者も選抜される。歌の合間には七歳からの子供たちが参加する舞踊などのアトラクションも披露。会場では沖縄そばやサーターアンダーギー(揚げドーナツ)が販売される。毎年紅組が勝つことが多いそう。来社した仲村支部長と米須正大会実行委員長は、「今年こそは、と白組も力を入れて練習してきました。ぜひ応援に来て下さい」と呼びかけた。問い合わせは、仲村支部長(電話=11・4991・6761)まで。
ニッケイ新聞 2009年9月11日付け ブラジル宮崎県人会(黒木慧会長)は、宮崎県人の移住の歴史をまとめた「宮崎県南米移住史」(〇三年、宮崎県南米移住史刊行委員会発行)のポルトガル語翻訳版「HISTORIA DA EMIGRACAO JAPONESA PARA AS AMERICAS」を発行し、八月二十五日、リベルダーデの東洋文化会館で出版記念祝賀会を開催した。翻訳版は地名などを加筆、修正し約二年の歳月を経て完成した。黒木会長は開会の挨拶の中で、六十周年式典が盛大に開催されたことを説明し、マナウス市やイツペーバ市に工場がある自動車メーカー、ホンダロック(本社=宮崎市佐土原町)やトッパン・プレス印刷出版(奥山啓次代表取締役)など、関係者に謝意を表した。続いて吉加江ネルソン名誉会長が翻訳の経緯を説明、協力してくれた関係者に謝意を述べた。さらに、「口から出す言葉は消える。本に書いた言葉は残る」と述べ、「より多くの宮崎県人の子弟達にも読んで欲しい」と挨拶をした。同書は、宮崎ブラジル親善協会の徳永哲也理事(72、福岡)が十一回来伯し一人で取材、執筆したもので、日本人の海外移住の歴史から宮崎県の南米移住までを紹介。史料・年表編ではコチア青年や花嫁移住者、県費留学生など緻密な調査に基づいた詳細なデータが掲載されている。徳永さんは、一九七四年、県人会二十五周年の時にMRT宮崎放送の記者として来伯し、トメアスーなどで活躍する県人や留学生OBに焦点を当てた番組を製作したのがブラジル、そして日系社会との出会いだった。その時、移民に対して興味と関心を持ち、来伯のたびに移民関係の史料を収集した。定年した九八年に同協会の事務局長に就任してからは、宮崎を訪れる留学生たちの世話も行ってきた。そのような経緯から執筆するようになったという。徳永さんは「協力いただいたみなさんに感謝する。今日は、当時お世話をした留学生の顔を見られて嬉しいです」と語った。同書の翻訳版はITCOM PACTOR社でコンサルタント業務を手掛けるエリアス・アンツーネス氏(71、ロンドリーナ市在住)により翻訳された。同氏は六二年から二年間、大阪外語大学と東京大学で国費留学生として学び、六八年から二年間在日ブラジル大使館に勤務した。今回の刊行は、同氏と親交の深い吉加江名誉会長から誘われたことで決定した。エリアス氏は「地名や人名の翻訳に苦労した。日本に対する恩返しです」と感想を語った。同書の販売、または配付方法は未定。詳しくは同県人会(電話=11・3208・4689)まで。
ニッケイ新聞 2009年9月10日付け リベリダーデ・フェスティバル(ACAL=リベルダーデ文化福祉協会主催)は五、六、七の三日間に渡り開催され、舞台では様々なアトラクションが披露された。週末の東洋市の人手も重なり賑わいを見せた。六日の午前中には歌手の成世昌平さん(大阪音楽親善大使)も出演。同日は終日雨だったが、午後からは小降りになり客足も伸びた。ステージ前には、傘をさした観客が集まり雨の中賑わいをみせた。七日午後には、大阪市職員が法被を着て同市の観光パンフレット、うちわ、クリアファイルを配布。盛況のうちに終了した。大阪橋に設置された屋台では、大阪名物のお好み焼きやソース焼きそば、バッテラ寿司のほか、天ぷら、餃子、春巻き、手巻きなどを販売。大阪府に住んだ経験があるという堀栞さん(73、京都)は「お好み焼きが大好き」と喜ぶ。日本に行った経験がないという富田マリオさん(79)は、「両市が似ているというなら、大阪市にも一度行って見たいね」後藤節子さん(66、茨城)は、「両市の交流が続き二世、三世にも日本文化が伝われば」と話していた。
ニッケイ新聞 2009年9月10日付け 大阪市とサンパウロ市の姉妹都市提携四十周年を記念して、四日午後、サンパウロ市役所で記念式典が行なわれた。「不惑」を迎えた両市の友好関係を祝い、大阪市から聖市へ、友情の証として「みおつくしの鐘」(愛の鐘)が贈られた。姉妹提携の象徴「大阪橋」のあるリベルダーデの広場では、五日から七日まで記念フェスティバルも開催され、関係者一同さらなる交流へ誓いを新たにした。 節目の式典にあたり、大阪からは、大阪・サンパウロ姉妹都市協会の岡田茂男副会長、木下吉信大阪市会議員、橋本寛樹・同市政策企画室都市外交担当部長、市民交流団(もず唱平団長)ら二十一人の使節団が来伯。市役所での記念式典にはアルダ・マルコ・アントーニオ副市長、アルフレッド・コタイチ・ネット国際局局長、飯星ワルテル下議、小林雅彦在聖首席領事、池崎博文ACAL(リベルダーデ文化援護協会)会長、木多喜八郎文協会長など約六十五人が出席した。木下議員は「学問、スポーツなど文化面だけに留まらず経済面でも共に発展していこう」と話し、「永遠の友情の証として鐘を受け取って欲しい。両都市の友情がさらに強固なものになることを期待する」と力を込めた。岡田副会長は、「男は四十にして顔をつくるというように、四十年というのは一つの節目。四十周年を迎え、成熟した関係を築けたのでは」と話し、「聖市の爽やかな風で愛の鐘を鳴らして下さい」とあいさつした。アルダ副市長は「聖市は歴史の短い街、歴史の長い大阪市に多くを学びたい」と話し、「大阪市が姉妹都市であることは我々にとって非常に光栄である。今後も、共にさらなる発展を目指したい」と述べた。式典の中で、副市長から岡田副会長へ聖市の旗を贈呈。岡田副会長からは、親書と記念プレートが贈られた。大阪から贈られた「みおつくしの鐘」は、富山県高岡市の「老子(おいご)製作所」により製作されたもの。洋風の鐘型で口径四一・五、高さ四〇センチ、重さ四十五キロ。大阪市章と「愛」の文字がデザインされている。式典で鐘が披露され、副市長により鳴らされた。会場では大阪市写真展も開かれ、鮮やかなパネルが会場を飾った。鐘の設置場所は現在、市や関係者により検討されている。▽ ▽五日午前十時から行なわれた「リベルダーデ・フェステイバル」開会式には、大阪市使節団、聖市のアルフレッド国際局長ほか、サンパウロ・大阪姉妹都市委員会の高木ラウル委員長、大部一秋在聖総領事、千坂平通JICA聖支所長、池崎ACAL会長、飯星、ウィリアン・ウー両下議らが出席。席上、「みおつくしの鐘」が披露された。高木委員長は、「皆の協力により四十周年を祝うことが出来た」と喜び、「フェスティバルも三日間おおいに楽しんでいただきたい」とあいさつ。大部総領事は「両都市の交流が、日伯の益々の友好につながれば」と期待を込めた。橋本部長は「聖市の子供たちに健やかに育って欲しいとの願いを込め、鐘を贈呈した」と説明し「今回は一般市民レベルでも交流を図れることに期待している。五十周年に向け、新たな一歩を踏み出そう」と述べた。池崎会長は「永遠の愛を示す鐘を受け取ることは、我々のリベルダーデ区にとって大変名誉なことである」と語った。アルフレッド局長は、「鐘を鳴らし、伯国の子供たちの健やかな成長を祈ろう」と述べた。鐘の披露で出席者が順に鐘を鳴らしていくと、広場に明るい音が響き渡った。その後、鏡割りが続いた。隆盛太鼓による力強い太鼓演奏や、河内男節に合わせた日伯音楽交流協会(ANBIM)の舞踊も披露された。
福岡県福岡市を拠点に活動を行なっている画家の小嶋勇氏(七〇)による美術展が、十一日から二十日までの十日間にわたって聖市ベラ・ビスタ区にあるデコ画廊(フランセーゼズ街一五三番)で開催される。 小嶋氏は、一九七〇年代に約六年間サンパウロに在住した経験があり、これまでにもサンパウロやリオなどで展覧会を開いている。 昨年の移民百周年には、神奈川県横浜市でブラジルの日系画家五人を含めた十五人による美術展も実施。サンパウロでの展覧会開催は三年ぶりで、小嶋氏自身は今年三月まで福岡県内の西日本短期大学造園科で、環境デザインについて教壇に立っていた。 今回のテーマは「EARTH(地球)」。「人工的に造られたものは時間とともに風化するが、その中の音、空気、風といった自然のものは残るということを絵を通じて伝えたい」と説明する小嶋氏。ブラジルの緑黄色や赤土をイメージした作品を出展する。 期間中の開場時間は、午前十時から午後七時まで。なお、十日午後七時から同画廊で開会式が行なわれる。 詳細についての問い合わせは、デコ画廊(電話11・3289・7067)まで。 写真:案内に来社した小嶋夫妻
東京都友会は十八日から二十日まで、ポッソス・デ・カルダスへの二泊三日バス旅行を行う。 費用=四百四十レアル。旅程は十八日=午後六時リベルダーデ広場発。午後十時=ホテル着。十九日=市内観光、及び自由行動。夜は親睦会。二十日=市内の温泉に入浴。昼食後ホテル発、午後六時ごろリベルダーデ広場着。 申し込み、詳細・問い合わせは東京都友会(電3254・3540)まで。
サンパウロ・大阪姉妹都市40周年記念にプレゼント リベルダーデ広場でお披露目 大阪・サンパウロ姉妹都市提携四十周年を記念した『リベルダーデ・フェスティバル』が、五日から七日までリベルダーデ広場で行なわれた。サンパウロ国際交流協会、大阪・サンパウロ姉妹都市協会、リベルダーデ文化福祉協会(ACAL)の共催。 五日の開会式には、大阪市公式代表団の岡田茂男団長、木下吉信顧問、橋本寛樹同市政策企画室都市外交担当部長が参加し、大部一秋在聖総領事夫妻、飯星ワルテル、ウィリアム・ウー両下院議員、アルフレッド・コタイチ・ネット聖市国際局長も来賓として出席した。 大部総領事は祝辞の中で、「大阪とサンパウロはよく似た大都会。長い間この提携に尽力された人たちの努力に敬意を表し、今後もこのような日伯関係が続いていくことを願っています」と、あいさつした。 式ではこの後、四日に大阪市から聖市へ贈呈された「みおつくしの鐘」についての説明が行なわれた。同鐘は、大阪の母親たちが子どもたちの健やかな成長を願い、昭和三十年に同市に寄付され毎年「成人の日」に鳴らされているというもので、今回聖市に贈られたのは、語呂合わせで四十一・五(よいこ)センチのレプリカ。 岡田団長は、「母親が子どもに健全に育って欲しいと思う気持ちは万国共通」と話していた。出席者らは、交替で鐘を鳴らし、子どもたちへの願いを込めていた。 三日間のフェスティバルでは隆盛太鼓の演奏、『河内男節』に合わせて踊るグループ「アンビン」や新生リベルダーデ音頭なども披露された。お好み焼きや焼きそばといった大阪名物の出店も相次ぐ中、同市職員による観光パンフレットやうちわの配布も実施され、終日賑わいを見せていた。 写真:子どもたちの健やかな成長を願って寄贈された「みをつくしの鐘」 写真:賑わいを見せるリベルダーデ広場
県人会独自で移民百周年を祝った沖縄県人会。国内外から三千人が参集した式典から一年が経ち、先日、記念事業として建設が進められてきた移民資料館が落成した。 同会では祝祭典に終わらず、写真集や記念史ポ語版の出版など、歴史を伝える事業も進める。中でも最大のものがこの資料館だろう。 笠戸丸移民の約四割を占めた沖縄県人。歯科医の金城山戸氏を始め、ブラジル社会進出の先駆者となった人物も多い。 「今集められるものを」と話す関係者。これから本格的に資料集めを行なうというが、一方で、世代が移るにつれ資料保管の意識が薄れていく現実もあり、苦労もあるようだ。 来年は第二回移民船「旅順丸」の渡伯から一世紀。県人移民百年を祝う所もあるだろう。それぞれの県人会レベルで歴史を残す気運が生まれてくればと思う。 (ま)
