07/03/2026

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ニッケイ新聞 2009年8月26日付け 宮崎県県人会創立六十周年式典出席のため来伯した東国原英夫宮崎県知事、中村幸一県議会議長、津村重光宮崎市長夫妻らが二十四日、ブラジル日本語センター(谷広海会長)を訪れ、歓迎会が催された。日伯保育学園(OEN)やたんぽぽ学園、日伯のびる学園などから教師や生徒ら百四十二人が駆けつけ、伯国と日本両国の旗を振り、賑やかに出迎えた。県人会理事を務める谷理事長の案内で、一行はセンター内を見学。理事長がパンフレットを用いて同センターでの研修内容やJICAの日本語教師研修制度について説明し、東国原知事は頷きながら熱心に聞き入っていた。センター内に展示された書道や絵画作品にも目を留めた。知事は講堂で行われたあいさつの中で、「日本語は美しい言語の一つ。日本語をきちんとしゃべることは難しいが、よく学び日伯の交流の架け橋になってもらいたい」とエールを送った。「私の日本語は早すぎるかもしれない、皆さん理解できていますか」と会場に集まった日本語クラスの生徒らを気遣う場面もみられた。教師代表の柳澤源子さんから、知事へ花束が贈呈された。過密スケジュールの中四十分程の短い訪問となったが、知事は出迎えた人に声を掛けるなど細かな気配りを見せ、訪れた人たちを喜ばせた。ニッケイ新聞に対し「ダイナミックで、成長の力を感じた」と伯国の印象を話し、「日系社会には温かみを感じる。日本人のルーツを持ってがんばってきたのが分かった。親しみを持って尊敬を示したい」と誠意を込めて語った。
東国原知事 県出身者を訪ねる 谷広海氏、黒木巳知治氏を激励 滞伯中の東国原英夫宮崎県知事、中村幸一県議会議長、津村重光宮崎市市長夫妻は二十四日午後、同県出身の谷広海氏が理事長を務めるブラジル日本語センターを訪問した。 近隣の日伯保育学園(OEN=中原啓子園長)、のびる学園(志村マルガレット園長)、たんぽぽ学園(串間薫シルビア園長)の園児や生徒ら約六十人と、約四十人の日本語教師らが駆けつけ、知事一行を笑顔で出迎えた。 谷理事長の案内で施設内を一巡した一行は、センターの事業内容や伯国の日本語教育事情について説明を受け、掲示の生徒作品などを興味深そうに見て回った。 その後、講堂に場所を移し、知事は日本語学校の生徒や教師を前に、「日本語は世界でも美しい言語のうちの一つ。この調子でぜひ日本語を勉強し、日伯の架け橋となってもらいたい」と挨拶した。 得意の話術で場内を沸かせた知事は、記念撮影の要望が絶えず、あちこちで引っ張りだことなっていた。そのためか、約半時間という短時間の訪問ではあったが、「元気なセンター」と印象を語り、「ブラジルは人が温かくダイナミック。今後、成長する国だと思った」とコメントしセンターを後にした。 東国原知事のブラジルにおける最終スケジュールとなったKTYエンジニアリング社訪問。 日本語センターを後にした東国原知事一行は午後二時二十分、同社に到着した。 社長で宮崎県日向市出身の黒木巳知治さんが出迎え、まず同社多目的ホールで黒木社長による会社概要説明が行われ、社員四百人でブラジル石油公団のペトロ・ブラスや紙パルプのセニブラ社等、国内大手企業にプラント設計図を供給しているブラジル有数のエンジニアリング企業であることが紹介された。 続いて東国原知事の挨拶が行われ、その後黒木社長の実兄である黒木彗県人会長からも同社についての補足説明が行われた。 口頭による会社説明の後、設計の現場を見学した知事はビルの五階から十二階までにびっしりと設置された設計用のコンピューター機器に「今やドラフターで線を画いたりせず、全てコンピューターで設計図を作成してしまうんですね」と驚きを隠さなかった。 (写真=子どもたちの歓迎を受け、記念撮影に応じる知事一行/黒木社長から(右端)設計の現場を説明をされる東国原知事(右から二番目)) 2009年8月25日付
 宮崎県人会創立六十周年式典に出席した東国原英夫知事。「二十七時間かかったが、県人の方に『当時は船で四十日も五十日もかかった』と聞き、言葉を飲み込んだ」とあいさつで笑わせた。祝賀会の途中、しばし姿を消したので、長旅の体を休めているのかなと思っていたが、氏のブログ(ネット上の日記)「そのまんま日記」を見ると、その際に更新していたよう。県人会の歓待に「感謝、感激、恐縮」との感想も。 ◎  式典の前日二十二日、宮崎県人会で記者会見を行なった東国原知事。共同通信・名波正晴記者の質問に、「任期はあと一年半弱ある。今は県政にまい進し、地方から国を変えるとの志を新たにしている。(来年の参院選出馬も)ありません」と述べ、国政への転身をあらためて否定した。知事は自民党から衆院選への出馬を要請され、条件を提示した経緯がある。会見の司会を務めた谷広海理事は、「え? もう一度言って下さい」と聞き直し、母県での活躍を再確認。
約500人がお国訛りで佳き日を祝う ブラジル宮崎県人会(黒木慧会長)は二十三日、聖市ビラ・マリアナ区の北海道協会会館において県人移住九十五周年および県人会創立六十周年記念式典を開催した。東国原英夫知事、中村幸一県議会議長、津村重光宮崎市長、住吉昭信宮崎大学学長、徳永哲也宮崎ブラジル親善協会理事らをはじめとする母県からの慶祝団三十一人のほか、大部一秋在聖総領事夫妻、ウイリアム・ウー連邦下議、神谷牛太郎、羽藤ジョージ両聖市議、与儀昭雄県連会長、木多喜八郎文協会長、森口イナシオ援協会長らの来賓、県人会会員および関係者ら約五百人が参席した。 高齢者63人の表彰も 式典に先立って午前九時半から、神式による物故者慰霊祭が執り行われ、南米大神宮の逢坂和男宮司が祝詞(のりと)を読み上げると、東国原知事、中村議長、津村市長、住吉学長、大部総領事夫妻、黒木会長ほか来賓および県人会関係者らが、参席者を代表して玉串を奉納した。 同十時から始まった式典では、日伯両国国歌斉唱の後、黒木会長があいさつに立ち、一九一四年、川南町出身の甲斐長蔵氏に始まった県人移住者はその後、戦前戦後を合わせて三千百六人におよび、現在その子孫は一万四千人に達するとし、「今から六十年前、二十四人の先輩たちが集まり『宮崎弁で語ろうや』ということで県人会が始まった」と振り返った。 さらに、在伯県人の高齢化が進んでいることなどから県人会活動も厳しさを増しているとしたうえで、「現在まで県人会が日伯交流に培ってきた事業を省みるとき、将来へ向けてそのともし火を消してはならない。宮崎にルーツを持つ者の子孫が、このブラジルの大地に宮崎の血を忘れず、日伯交流に努め、ブラジル発展に寄与することが、ひいては母県の恩義に報いることになる」と述べた。 東国原知事は祝辞で、「懇親会などの場で『てげてげ』『よだきい』などの宮崎弁が飛び交い、宮崎の言葉がブラジルで息づいているということに感動を覚えた。皆さんと同じ、ルーツは宮崎にあるんだなと感銘させていただいた」とし、「三世、四世ともなると日本あるいは宮崎県とのつながりが希薄化していくと聞いた。これを県人会の方々は憂いており、文化、風習、言語を若い世代に残していきたいと強く願われている。県としても県費留学生や農業研修事業などを通し、県と同県人会の絆が深まるようにこれらの事業を継続していかなければいけないと強く思った」と述べた。 式典では、県知事からの表彰として県事業特別功労者(故人二人)、県事業功労者(二十四人)、県事業功労団体(三団体)、高齢者表彰(六十三人)、また県人会からの表彰として県人会発展特別功労者(九人)、同発展功労者(七人)への表彰式が行われたほか、宮崎県農業協同組合中央会から県人会への寄付金贈呈、県訪問団から日系福祉三団体(やすらぎホーム、憩の園、こどものその)への金一封贈呈などが行われた。 また、宮崎大学とサンパウロ大学農学部が学術協定で合意し、宮崎大学は今後、南米との交流を活発に行っていくことが発表された。 (写真=式典には東国原知事をはじめ多くの来賓が参席した/知事から高齢者表彰を受けるお年寄り) 2009年8月25日付
ニッケイ新聞 2009年8月25日付け 宮崎県人会(黒木慧会長)は二十三日、北海道協会会館で同県人会創立六十周年並びに、同県人移住九十五周年の記念式典(吉加江ネルソン実行委員長)を行った。全伯から会員が駆けつけ出席者は約六百五十人にのぼった。母県からは元お笑いタレントの東国原英夫県知事、中村幸一県議会議長、津村重光宮崎市長、住吉昭信宮崎大学学長など三十二人からなる慶祝団が駆けつけ式典に花を添えた。県人物故者慰霊法要や祝賀会が行われ、留学生OBと県知事が触れ合う姿も見られた。 式典には大部一秋在聖総領事、ジルベルト・カサビ聖市長代理の神谷牛太郎市議、ウィリアン・ウー連議、与儀昭雄県連会長など多数の来賓が出席した。高橋久子県人会副会長の開会の挨拶で式典が始まり、日伯両国歌を斉唱した。黒木会長は挨拶の中で、「六十年前、二十四人の先輩達が集まって、宮崎弁で語ろう、ということで始まったのが県人会」と述べ、「会では高齢化が進み、若者が日本へ出稼ぎに行くなど、(県人会は)厳しい状況だが、これからも母県との繋がりを強めていきたい」と挨拶した。続いて、日伯両国から祝辞が披露された。大きな拍手で迎えられた東国原県知事は、前日に移民史料館を訪問したことに触れ、「先人の苦労を目の当たりにし、改めて尊敬、感謝する。ブラジルと宮崎との絆を県費留学生などで強くしていきたい。六十周年がお互いの橋渡しとなれるよう祈念したい」と祝辞を贈った。ブラジル側からは、与儀会長が「県人会の将来を考えると、留学生は大切。日伯交流が盛んになるよう県連も努力していきたい」と述べた。祝電披露の後、県人会から株式会社ホンダロックの浦野勝雄代表取締役社長ら母県側功労者七団体へ感謝状が贈られた。県知事から県事業特別功労者や県事業功労団体などへ記念表彰に続き、高齢者表彰受賞者六十三人に対しては、当日参加した十七人の一人一人に、知事から賞状と記念品が手渡された。受賞者を代表して井上正夫さん(83、児湯郡出身)は「知事より高齢者に対して、ざっくばらんな姿で愛情溢れる言葉をいただき、県民の一人として幸せ」と謝辞を述べた。また、県費留学生・技術研修員謝辞として桐野リカルドさん(25、二世、国立都城工業高等専門学校で研修)は、「宮崎弁、日本文化など、学校では学べないものを習った。祖父母の故郷が分かり、勉強だけでなく人生経験を積み大切な時間を過ごした」と謝意を表した。県人会から県知事及び訪問団一行へ、県知事から県人会へそれぞれ記念品が贈呈された。また、訪問団から日系福祉三団体へ金一封が贈呈された。続いて、宮崎大学(住吉学長)とサンパウロ総合大学農学部(城田リカルド教授)との学術交流協定が結ばれた。祝賀会が午後一時から行われ、六十周年を記念したケーキを津村弘子宮崎市長夫人、吉加江紀子・式典実行委員長夫人がケーキカット。来賓一同による鏡割りに続き、中村議長の乾杯で祝賀会は始まった。東国原知事は自ら各テーブルに出向き挨拶、参加者らはサインや記念撮影を求めたりと、常に知事の周りには人だかりができていた。その後、舞踊やカラオケ、サンバショーなどが行われ、午後五時、盛会のうちに閉会した。
宮崎県人会主催による「宮崎県南米移住史ポルトガル語版」出版記念会が二十五日午後七時からサンパウロ市リベルダーデ区リベルダーデ大通り三六五番のACALリベルダーデ商工会館で開催されるにあたり、同県人会では関係者の参加を呼びかけている。 問い合わせは電話(11)3208・4689、E―メール=miyazaki@nethall.com.br
宮崎県人会(黒木慧会長)創立六十周年記念式典が、二十三日に聖市ビラ・マリアーナ区の北海道協会会館で開催されるにあたり、慶祝団として母県から東国原(ひがしこくばる)英夫宮崎県知事一行が来伯して出席する。 同県知事一行は、翌二十四日午後一時半頃、同区マノエル・デ・パイヴァ街四五番にある日本語センター(谷広海理事長)を訪問するとして、センターでは一般の来場・歓迎を呼びかけている。 同県知事は、元お笑いタレントで、日本国内でも人気があり、センターでは「一般でご関心がある方は、日本語学校の生徒さん、先生方と一緒に歓迎していただければ、県知事もお喜びになるかと考えています」と話している。 詳細に関する問い合わせは、同センター(電話11・5579・7337)まで。
ブラジル青森県人会(玉城道子会長)は、築三十年で老朽化した同会館の補修工事を行うための募金活動を実施している。 工事は二〇〇九年九月から年内いっぱいを予定し、トイレの雨漏りの補修、通路の拡張、バリアフリー化に向けた手すりやスロープの設置を行う。 総工事費は三十三万一千レアルで、うち十二万千レアルに募金を充てる。募金は一口二十レアルから。玉城会長は「出来るだけ多くの皆さんからの協力を」と呼び掛けている。 振込先=ブラジル銀行001-3324-3-458821-5 Associacao Aomori Kenjin do Brasil 問い合わせ=電話、FAX兼用11・3207・1599まで。 (写真=渋川さん、玉城会長、近澤さん(左から)) 2009年8月21日付
岩手県人会(千田曠曉会長)は十二日、同県人会会館で岩手県立盛岡農業高等学校海外派遣団十人の歓迎会を行なった。同県人会関係者ら三十人が駆けつけ、故郷話に花を咲かせた。 一行は、一八七九年に開校した同校の創立百三十周年記念事業としてパラグアイを訪問、農業研修や地元高校との交流を体験。イグアスに入ることを知った千田会長の呼びかけで、サンパウロ地区の研修も追加。セアザの卸市場やブラジル日本移民史料館の見学を行なった。 将来の農業スペシャリストを育成する同校だけあって、生徒の農業への関心も非常に高く、「大規模農業経営が学べて勉強になった」という感想が多く聞かれた。 酪農を学んでいる藤原栄美さん(一六)は、「日本で大型機械とされているものが、こちらでは小型機。市場の果物も大きかった」と、スケールの違いに驚いた様子だった。 吉田吏樹さん(一七)は、「同世代の人たちと日本語で交流できた。剣舞も見せてもらえて楽しかった」と振り返り、「サッカーも見たかった」と、サンパウロ半日間の滞在を少し惜しんでいた。 引率した藤本正彦先生(四一)は、「五十年前までは農業高校で海外移住の歴史も学ばれていた」とし、「今回の経験を自分のものにして農業に理想や希望を持って取り組んでほしい」と、要望していた。 同郷の先輩に囲まれて昼食をとりながら、終始和やかに歓談。歓迎の礼には、普段から練習している郷土芸能「さんさ踊り」、校歌斉唱、応援歌が披露された。また、応援団長を務める上野健人さん(一六)によるエールでは、「フレフレ岩手、フレフレブラジル」の声に感極まる参加者の姿も見られた。 参加者を代表して菊地義治同県人会名誉会長が、「自分の可能性を信じて、岩手県人の度胸、能力を発揮していって」と、帰国の途に着く一行を笑顔で送り出していた。 (写真=同郷の思い一つに) 2009年9月20日付
年々増す賑わいに関係者感慨 沖縄県人会ビラ・カロン支部(知花ルイ支部長)主催の第七回おきなわ祭りが、十五日正午から聖市マンチェスター区のハロルド・ダルトロ広場で開催され、昨年の二万五千人を上回る約四万人(主催者側発表)が詰めかけ、盛況を博した。聖市の公式カレンダーにもなっている同イベントは、来年は二日間にわたって行なわれることがすでに決定しており、今後さらに拡大路線を歩みそうだ。 会場では、ラジオ体操を皮切りに、空手、琉球民謡・舞踊、エイサー太鼓、獅子舞、歌謡ショーなど二十九の演目が特設舞台上で披露。また、約六十のバザリスタも出店して「沖縄県人会版フェスティバル・ド・ジャポン(日本祭り)」といった様相を呈し、午後四時の時点で場内がまともに歩けないほどの人々で賑わった。 地元ビラ・カロン支部の長浜清美婦人会長の説明によると、午後四時の時点で十五キロ分用意したサーターアンダギー(揚げ菓子)が売り切れの状態で、十三日から準備した七百食分の沖縄ソバも午後七時には完売していた。 また、サン・マテウス支部では恒例の「ヒージャー(ヤギ)汁」づくりのために、当初の八頭から十頭に増やしてヤギを使ったという。 午後七時から舞台上で行なわれた式典には、飯星ワルテル下議、高橋カルロス聖市長代理、神谷牛太郎市議、羽藤ジョージ市議、清水オリジオ・レアル銀行取締役、聖市観光局関係者ら来賓が揃いの赤色のハッピを着て出席した。 あいさつに立った知花支部長は、聖市の公式行事となっている「おきなわ祭り」の大切さを説いた上で、「我々ウチナーンチュがブラジル人と一緒に日本とブラジルをつなげる、これだけの祭りを開催することができたのも多くの人たちの協力のお陰」と感謝の意を示し、「『いちゃりば・ちょーでぃ(会えば、皆兄弟』の精神でこれからもやっていきたい」と述べた。 引き続き、あいさつを行なった上江田エドワルド実行委員長は各方面関係者に対して「オブリガード(ありがとう)」を連呼。今後も同祭を一緒に続けていくことの大切さを強調した。 毎年同祭に足を運んでいるという地元ビラ・カロン在住の山内幸寿(こうじゅ)さん(六九)は、「ピンガを飲んで、ヒージャーも食べた」とし、「こういう機会があることは本当に楽しい」と満足げ。 午後二時頃から会場に来たというサント・アンドレ支部長の糸洲(いとす)三郎さん(七二)も、ブラジル産泡盛とビールを飲みながら充実した表情を見せていた。 (写真=約四万人の来場者で賑わった会場/式典であいさつする知花支部長(中央)) 2009年9月20日付
ニッケイ新聞 2009年8月22日付け ブラジル宮崎県人会(黒木慧会長)は県人移住九十五周年と県人会創立六十周年の記念式典を、二十三日午前十時から北海道協会会館(ジョアキン・タボラ街605)で行う。式典に先立ち午前九時半から先没者慰霊法要が営まれる。母県からは、元お笑いタレントの東国原英夫知事や、県議会議長、慶祝団などが来伯。式典後は祝賀昼食会、芸能祭が行われる。問い合わせは同県人会(電話=11・3208・4689)まで。 東国原知事が=日語センター訪問=24日 ブラジル日本語センター(谷広海理事長)は、東国原英夫宮崎県知事が二十四日午後一時半に同センターを訪問するにあたり、歓迎会を開く。日本語学校の生徒や教師たちが参加し、知事への記念品贈呈や記念撮影が行われる予定。丹羽義和事務局長は、「短い時間の来訪ですが、できる範囲で歓迎したいと思っています。ご関心がある方は日本語学校の生徒さん、先生方と一緒に歓迎しましょう。知事も喜ばれると思います」と一般の参加を呼びかけている。問い合わせは、同センター(電話=11・5579・6513)まで。
ニッケイ新聞 2009年8月21日付け ビラ・カロン沖縄県人会(知花ルイ会長)主催の「おきなわ祭り」(上江田エドアルド実行委員長)が十五日、聖市東部の同支部会館前運動場で開催された。七回目の今年は約三万人が訪れ、県人移民百周年を祝った昨年にも劣らない賑わいを見せた。同祭りは来年から、二日間にわたって開催されることが決まっている。 聖市の公式行事に定められている同祭りは、今年も設備、音響などを市やサンパウロ・ツリズモなどが援助。会場には沖縄の郷土料理など、各支部を中心に約六十の屋台が並び、終日混雑する盛況を見せた。名物のヤギ汁(ヒージャー汁)を販売したサンマテウス婦人会(安里勝子会長)は、前日から十頭分の肉を用意。県系ばかりでなく、興味深そうに質問する非日系ブラジル人の姿も見られた。「食べたことがないから敬遠するけど、味見して『おいしい』って言う人もいますよ」と話すのは、同支部の高嶺ケイ子さん。カウンターで接客に大忙しの様子だ。地元カロン婦人会(長浜清美会長)による沖縄そばも人気の品。今年は約七百杯を用意した。トリガラと豚骨から取る出汁は、二日前から準備してきたという。昨年の祭りでは、沖縄県人ブラジル移民百周年記念の祝賀パレードが支部会館前の道路で行われたこともあり、一日で三万人以上が訪れた。今年も午後から次々と来場者が増え、夕方ごろにはまっすぐ歩けないほどの賑わい。後援の聖市やサンパウロ・ツリズモなどからの依頼もあり、来年からは土・日の二日間開催することが決まっている。「天気に恵まれ、昨年と同じくらいの人が来てくれた」と喜ぶ知花会長は、「婦人会や関係者の皆さんのおかげ」と語り、さらに「来場者が沖縄の文化に触れ、皆で楽しめることを子孫として誇りに思う」と話す。会場中央の特設舞台では正午過ぎから、沖縄の芸能を中心に約三十の演目が次々と披露された。ラジオ体操、合同演奏で開幕。その後も民謡、舞踊、古武道、歌のほか、エイサー太鼓、空手など百人以上の規模で繰広げられる迫力ある演目に、来場者たちから大きな拍手が送られていた。祭りの原点、盆踊りも二回行われ、炭坑節などの曲が流れる中、日系非日系を問わず踊りの輪が二重三重に広がった。当日はウィリアン・ウー連邦下議や西本エリオ聖州議なども来場。午後七時ごろから行われた式典には飯星ワルテル下議や後援のレアル銀行から清水オリジオ取締役、神谷牛太郎、羽藤ジョージ両市議、サンパウロ・ツリズモ理事など多数の来賓が訪れた。上江田実行委員長は役員、関係者、そして来場者に大きな感謝を表わし、「ぜひ来年も来てほしい」と呼びかけた。式典後も祭りは続き、午後十一時ごろ、全員参加のカチャーシーで閉幕した。▽   ▽沖縄県人会の中で最大の会員数を有するビラ・カロン県人会。「おきなわ祭り」は二〇〇三年、知花良治支部長の時代に「夏祭り盆踊り大会」として始まった。「当時はあちこちで盆踊り大会をやっていて、私たちでもやろうと始めました」と振り返るのは、第一回目の実行委員長を務めた高安宏治さん(元支部長)。一年目の入場者は八千人ほど。カロン地区に沖縄系が多いこともあって二年目から「おきなわ祭り」と改称したが、入場者は一万五千人ほどだったという。「若い人たちが一生懸命やってくれて、もう私たちの出る幕はないくらいですよ」と笑う高安さん。「すっかりゾナ・レスチの祭りとして、板につきました」と嬉しそうな表情を浮かべた。
ニッケイ新聞 2009年8月21日付け ブラジル岩手県人会(千田曠曉会長)は、創立百三十周年記念海外交流事業でパラグアイ訪問の後、来伯した岩手県立盛岡農業高等学校一行の歓迎会を十二日昼過ぎから同県人会館で催した。約三十人が参加した。同事業には二、三年生の橘拓真さん、川又健人さん、上野健人さん、佐藤遥さん、吉田吏樹さん、槻舘知香さん、藤原栄美さんの七人が参加し、引率の藤本正彦教諭、外川直美教諭、同市役所の吉田直美職員が同行した。今回の海外交流事業は同校初の試み。パラグアイではアスンシオン市やピラポ移住地を回り日本学校、農業高校を訪問。ピラポ岩手県人会を訪れ、県人宅でホームステイも体験した。ブラジル訪問中はイグアスの滝を訪れたほか、セアザや文協の移民史料館なども見学した。千田会長は「交流できて嬉しい。伯国の良さを日本でも伝えて欲しい」とあいさつし、一行を歓迎した。槻舘さんはピラポ岩手県人会を訪問した際のことを振り返り、「外国だけど、親戚の家を訪問したような温かい雰囲気を感じた。日系社会には安心感を覚える」と笑顔で話していた。酪農に興味がある動物科学科の上野さんは、肉牛が中心のピラポで酪農家を訪問したそうだ。「規模の大きさにびっくりした。日本じゃ真似できない」と感激した様子だった。この日は同校卒業生でブラジル在住の菊地透さん(66、岩手県水沢市)も訪れた。卒業後すぐに渡伯しトマト作りや牧畜に携わってきた菊地さんは、「直接海外に行き、自分の目で見ることは良い経験」と話す。自身の経験から、伯国の農業は日本のそれと全く違うと言い、「伯国農業に学べるところは大いにある。伯国でも、もう少しじっくりみてもらいたかった」と少し残念そうでもあった。国語を教える外川教諭は、さんさ踊りを指導していることから引率に。「海外の日系社会と交流を持つことは生徒にとって良い機会。刺激になったのでは」と話していた。懇親会の後、生徒らから太鼓演奏に合わせたさんさ踊りが披露された。応援団長を務める上野さんが先頭に立ち、伯国の日系人へエールが送られた。「先輩たちへ送ります」と校歌も斉唱された。菊地義治名誉会長から「岩手県人は海外へ出るほど能力を発揮する。世界にはばたいて下さい」と言葉が贈られ、歓迎会は終了した。
ニッケイ新聞 2009年8月20日付け 【既報関連】先月の中国・北九州集中豪雨で被害を受けた母県への義捐金を呼びかけている山口県人会に、着々とコロニアからの善意が届いている。同県人会では災害発生後、一日に緊急役員会を開催して義捐金の呼びかけを決定。先月のフェスティバル・ド・ジャポンで販売した郷土食の利益を第一回目として送ることを決めた。平中信行会長は、「青年部や婦人部など、協力してくれた人たちが賛同してくれた。尊いお金です」と話す。会長によれば、その後も県人会には二十人近くから義捐金が寄せられているという。同会では今月三十日まで義捐金を呼びかけている。詳細は電話(11・3208・6074、担当小林)まで。
ニッケイ新聞 2009年8月20日付け 国立大学法人滋賀医科大学・医学部看護学科・地域生活看護学講座の畑下博世教授と植村直子助教が七月二十一日から二十八日にかけて来伯した。畑下教授らは、同大学で四年間日系ブラジル人女性の健康問題をテーマに研究を進める。妊娠、出産、育児のサポートの充実を目指す。今回は、伯国の文化を知ることを目的に来伯。滞在中は日伯友好病院やサンパウロ大学看護学部などを訪問した。自身米国に二年間滞在し、異文化の中で住みづらさを体験したという畑下教授は、「異文化の中で言葉などの困難を伴いながら妊娠、出産、育児を行うのは大変。その苦労を少しでも軽減させていきたい」と話す。滋賀県では日系ブラジル人のサポートシステムが構築されていなく、通訳者がいるクリニックはあるものの数が少なく孤立していると懸念する。もっと行政サービスの活用を広めていきたいという。植村助教は、「精神的なケアも含めた異文化看護がどのようにあるべきか示していきたい」と力を込める。今年、日ポ両語で看護マニュアルの作成も予定している。畑下教授は、「日系人たちがどういう苦労を経て、今日のシステムを作り上げたのかに気が付いた。そこには住み易さがある」とブラジル訪問の感想を語った。植村助教も、「日系人のこの土地で築いてきた歴史、強い意志を感じた」と話していた。
ニッケイ新聞 2009年8月19日付け 在ブラジル青森県人会(玉城道子会長、会員約二百人)は今年創立五十五周年を迎えるにあたり、老朽化が進む会館の補修事業を進めている。総工費三十三万一千レアルのうち、県と県人会負担分を除いた十二万一千レを県側とコロニアの募金活動によって賄う考えだ。来社した玉城会長は、「建設から三十年が経ち、雨漏りがひどい。あちこちに問題が出てきている」と窮状を訴えている。同会館は会創立二十五周年を記念し、一九八〇年に完成した。ブラジルやアルゼンチン、パラグアイに住む県人らの集いの場として活用され、現在は学生宿舎としても利用されている。数年前から、雨漏りや天井の塗装が剥がれ落ちるなど老朽化が目立ってきたことから、今年一月の総会で創立五十五周年記念事業として、補修工事を行なうことを決定した。総工費三十三万一千レアルのうち、県が十万レ、県人会が十一万レの負担が決定、残りの十二万一千レを日本・コロニア両サイドで募金する。すでに母県では、日伯協会、海外移住家族会、国際交流協会などが中心となり、「会館補修事業を支援する会」(塩越隆雄代表)が発足、地元新聞などを通じて、募金活動を展開している。改修工事は九月から開始、年内中の完成を目指す。配管、雨漏り補修、会員に高齢者が多いことから、車椅子などでも上がれるよう玄関入り口にスロープも取り付ける。来社した玉城会長、近澤マリーナ副会長、渋川幸子広報部長らは、「青森にゆかりのある人、趣旨をご理解頂ける方にご支援頂ければ」と呼びかけている。ブラジル側での募金は一口二十レアル。振込み先の銀行は、「ASSOCIACAO DE AOMORO KENJIN do BRASIL」ブラジル銀行 agencia 3324-3 c/c 458821-5まで。詳しくは青森県人会(11・3207・1599)まで。
ニッケイ新聞 2009年8月18日付け サンパウロ日伯援護協会(森口イナシオ会長)の五十周年記念式典と記念事業「社会福祉センター」落成式が終戦記念日の十五日午前十時、リベルダーデ区ファグンデス街の地上六階建て〃新居〃で盛大に挙行された。大部一秋総領事夫妻をはじめ、ウィリアン・ウー下議や聖州議、市議ら、各日系団体の代表者、会員ら約四百人が駆けつけて祝福。関係者一同、日系社会の大黒柱としてさらなる努力と発展を誓った。 五十年前に「机一脚と電話一台」(森口会長談)で始まった援協は、現在は日伯友好病院をはじめ州内八カ所に福祉施設を持ち、会員一万三千人以上に成長した。「先駆者に感謝を込めてこの落成を祝いたい」。菊地義治副会長の開会の辞で落成式が幕開け。来場者が見守る中、森口会長、大部総領事、ウー下議、西本エリオ州議、木多喜八郎文協会長、与儀昭雄県連会長らがテープカット、記念プレートを除幕した。挨拶に立った森口会長は「この建物は和井元会長時代から引き継いだ私たちの夢。援協を支える全ての人々の団結の象徴」と位置付けると拍手が沸き起こった。アレシオ神父の祝福が続いた。一同はそのまま地上階を一周して建物を見学、最上階での記念式典に移動した。約四百平米の多目的ホールには席に座りきれず立ち見客は百人以上。来賓が紹介され壇上へ上がり、国家斉唱後、一分間の黙祷を捧げ先亡者の冥福を祈った。五十年前の移民援護事業にはじまった援協は、診療所、奥地巡回診療、精神障害者の社会復帰、日伯友好病院、自閉症児教育など、コロニアの要望に応えて事業を広げてきた。森口会長は日ポ両語で成り立ちを説明した後、「多くの方が援協の働きの大事さを信じ協力してきてくれた」と感謝。「愛の灯火を手で包み消えないようにする―この精神のもと、これからも活動し続けることを誓う」と力強く宣言した。神内良一名誉会長の祝電の紹介、来賓の祝辞後、文協、県連、日伯文化連盟、商工会議所の四団体から記念プレートが森口会長に贈られた。このほか功労者表彰が行われ、二十六年間役員としてリーダーシップを執ってきた尾西貞夫副会長ら現役員、元役員、中沢源一郎元会長ら物故役員、長年の会員や元職員ら、地区委員功労者、特別功労者・団体に感謝状と記念品が贈られた。原沢和夫元会長は「援協の仕事に参画できたことは大きな喜びで誇り」と受賞者を代表して謝辞を述べた。式典後は景気よく鏡割りと、さらなる成功を祈って乾杯。地上階に移動して行われた祝賀パーティーでは、日本の歌手井上祐見、中平マリ子さんの歌声も祝賀の日に花を添えた。 福祉センター年内始動=役員らも思い新たに 昨年三月に定礎式、七月に建設着工して以来、さまざまな困難を克服し、暖かい支援を得て落成式にまで漕ぎつけた援協。社会福祉センターは年内に始動する。役員に抱負を聞いた。「みんなで日系社会を良くしようっていう気持ちが大事。苦労した先輩移民が『ブラジルに来て良かった』って思えるようにしたい」と菊地副会長。職員・役員として今年四十年の山下忠男専任理事は「あと十五年位したらボランティア役員は成り立たない。いかにスムーズに後世に引き継ぐかが課題」。二十六年役員を務める尾西副会長は、「資金不足に一番苦労してきた。期待は大きく嬉しいが、それに添えるよう堅実な運営を心がけたい」。森口会長は、「時代により日系社会の事情が変わってきている。今までの精神は変わらないが、さらに広い一般市民のために尽くしていきたい」と語った。 森口会長に名誉市民権=「援協が受けたもの」 援協創立五十周年記念式典の中で、森口イナシオ会長(74、サントス出身)のサンパウロ名誉市民権授与式が行われ、同日に落成式を迎えた援協社会福祉センターは二重の喜びに溢れた。羽藤ジョージ聖市議の推薦で、同センター建設を通した福祉活動強化への貢献を評価された森口会長は、一九八二年から援協の活動に携わり、〇七年から会長、同センター建設委員長としても尽力してきた。羽藤市議は、「医療と福祉活動はとても重要。これからも日系社会を支えて活躍して欲しい」と言葉を送り名誉市民権を手渡した。森口会長は、「はじめめは断るつもりだった」と明かしつつ、「これは、間違いなく援協が受けたもの」と話し、会場は大きな拍手に包まれた。
十五日午前九時から、宮城県人会館で開催される青葉祭りで、第十七回世界子ども図画コンテスト・ブラジル応募作品三百五十点の選考会が開かれ、入選作品が同サロンで展示される。昨年の同コンテストには世界六十七国、一地域から五万一千九百十八点の応募があり、ブラジルから百三十三点が出展、二点が銀賞、同賞に入賞した。 六日、案に来社した中沢宏一宮城県人会長と、同コンテスト応募の窓口となっているADESC(農協婦人連合会)の内海千代美会長、飯田正子、上芝原初美両副会長は「青葉祭り会場での買い物とともに、子供達の素晴らしい作品も鑑賞してもらいたい」と多くの来場を呼びかけている。
「移住者の熱意に打たれ来伯を決意」 【宮崎発・吉永拓哉福岡支局長】国民から人気が高い東国原英夫宮崎県知事が、このほど各報道機関に向けて、今月二十三日に聖市で行なわれる『ブラジル宮崎県人会創立六十周年記念式典』に出席することを正式表明した。現職の宮崎県知事による訪伯は、九四年の故松形祐堯(まつかた・すけたか)知事以来、十五年ぶりとなる。本紙では、東国原知事にいち早く訪伯へ向けての抱負を語ってもらおうと、六日、宮崎県庁を訪れた。 22日に着聖、3日間の滞在 宮崎県人会創立60周年式典に出席 同県庁にある文化文教・国際課国際企画担当者の話によると、宮崎県からの訪問団は知事を含め四十人ほどだという。 十年前の創立五十周年の際には百七十人、五十五周年では七十六人と、訪問団への参加者は不況とともに減少している。 しかし、前回、前々回の訪問団では母県の出納長が団長だったが、今回の六十周年記念式典は、国内で人気が高いタレント出身の東国原知事が団長として出席する。 本紙記者が同県庁へ訪れたこの日、庁舎の中は東国原ファンの観光客で賑わっていた。また、東国原知事のマスコット入りポスター、看板がいたるところで目に飛び込んだ。 知事室へ通されると、眼鏡をちょこんと目の下にかけた東国原知事が、ノーネクタイにワイシャツ姿で現れ、「どうぞ、どうぞ」と腰を屈めながら席を勧めた。 東国原知事の話では、過去に二度、テレビ番組の収録でブラジルへ行ったという。 その際、サンパウロ、リオ、ブラジリアの三都市を回り、モルンビースタジアム、シュラスカリア、リオのカーニバルなどをレポートし、ダイナミックなブラジル文化に圧倒された。 「ブラジルはとても活力がある国だった」と振り返る東国原知事。 今回の訪伯について、衆議院の解散に伴う総選挙前で多忙な中、なぜ同県人会周年式典に出席しようと決断したのか。 東国原知事は「じつは一昨年、ブラジルから宮崎県人の移住者が県庁にお越しになり、私を六十周年式典に招いたんです。その移住者の熱意に心打たれて、これは絶対にブラジルへ行かなければと思いました」。 また知事は、ブラジルのエネルギー産業、航空機産業などにも注目しており「ブラジルはブリックスの一国としてすごい存在感がある」と訪伯に期待を寄せる。 知事の日程は二十二日にブラジル到着。同日、宮崎県出身のJICAボランティア活動現場視察、日本移民開拓先没者慰霊碑参拝、同県人会役員との意見交換と歓迎夕食会。二十三日、同六十周年記念式典、県費留学生ОBらとの意見交換、サンパウロ日本国総領事との意見交換。二十四日、ホンダロック・サンパウロ工場視察、イツペーバ市長表敬、ブラジル日本語センターなど視察、同日帰国。 東国原知事は、本紙から宮崎県人に向けて「県人を受け入れてくれたブラジルに感謝するとともに、訪伯の折は宮崎県人とのふれあいを大切にしたい。皆さんのご苦労や情熱を知り、エネルギーをいただきたい」とメッセージを送った。 なお、宮崎県訪問団の主な団員は、中村幸一県議会議長、津村重光宮崎市長、住吉昭信宮崎大学学長、浦野勝雅(株)ホンダロック代表取締役社長、徳永哲也宮崎ブラジル親善協会理事。...
在伯群馬県人文化協会では、留学生会主催の第二回留学・研修生集会兼フェスタ・ジュニーナが六月二十八日に、パウリーニャのシッチオ・ミヤに於いて約七十人の参加者のもと開催された。 この集会は、例年行われる恒例の事業として、エス・ボルシスタを中心に、会員との親睦を図る事を目的とした行事で、今回は、子供達も含めた冬の休日を思いっきり楽しむ事が出来た。 当日は、晴天に恵まれた日曜日で、八時半に県人会館前を大型観光バスで出発し、アニャングェーラ街道をまっしぐらに走り、途中でビニェードのサービスエリアで一息入れ、再びカンピーナスへ向かって走り、パウリーニア郊外にある宮氏のシッチオに十時半に到着した。この地区は、現在都市化が進んで居り、コンドミーニオ・フェッシャード、住宅用ロッチアメントや、一般住宅も多数建設中で活況を呈している。 一行をこの地区の人達が手を振って歓迎してくれる中、旧知の人も何人か居り、お互いに旧交を温めながら、会場に入った。主催者の皆さんが、前以ってフェスタの為の飾り付けや、ゲーム用具、カラオケセット、ビリャード、仕出し屋台セット等、至れり尽くせりの準備をしてくれていた。今回は、邦字紙の記者も同行し、日本の地方紙にも掲載する予定との事で、大変な盛り上がりを見せていた。また、五月に行われた留学、研修生選考に合格した人達も家族と共に参加し、一層の華やかさを添えた。 約五時間半にわたり思い思いに楽しんだ後、各ゲームの優勝者に景品を渡し、まだ続けていたい思いに駆られながらも帰還の時間になり、帰りのバスの中でパウリーニアの街の説明を聴きながら一巡し、市役所近くの街路名に、長い間支部長を勤めて来られた、今は亡きシュウヘイ・ミヤさんの名が付いていると聞き、大変感動し、如何に宮さんがこの地の有力者で、功労があったかを窺い知る事が出来た。 帰路は、バンデイランテス街道を走り、夕刻六時少し廻ったところで当会館前に無事到着した。主催者、並びに、参加された皆さん大変お疲れ様でした。