07/03/2026

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東日本大震災犠牲者追悼植樹事業「日伯・絆の森」づくりキャンペーンを行っているブラジル・ニッポン移住者協会(小山昭朗会長)は、17日午前11時から聖市カルモ自然公園(Esquina, altura do no. 9601 da Av.Aricanduva)で植樹式を行うとして参加者を募っている。 希望者は1口10レアル(1本の苗木分)の募金を行い、当日は同公園内で200本の苗木の植樹を行う。当日午前9時半から先着50人に限り、聖市リベルダーデ区のニッケイ新聞社前(Rua da Gloria, 332)から無料バスが出る。参加希望者は同協会事務局(電話11・3276・9450)まで予約が必要。 2012年3月16日付
【既報関連】文協、援協、県連の日系3団体は5日、文協ビル5階の県連事務所で「あしなが育英会」(玉井義臣会長)への義援金進呈式を行った。式には、3団体の会長や副会長が同席し、同育英会が見た被災地の様子やこれまでの取り組み、今後の支援計画についての説明に耳を傾けた。 同育英会は、東日本大震災で親を亡くした子どもたち(以下、遺児)を救済する募金キャンペーンを目的として、2月27日から3月5日までの日程でブラジルに滞在した。その間、同伴したサッカー日本女子ユース東北選抜(17歳以下)による親善試合の場で震災で祖父母と母を亡くした高校生、佐々木証道さん(16、岩手)がスピーチを行うなど、同育英会が建設を目指す「東北レインボーハウス」のための資金提供を広く呼びかけた。 同施設は遺児の心のケアを日常的・長期的に行うことを目的とするもの。完成後は、10年以内をめどに地元の人とともに運営を進めたいと考えている。 同育英会は、過去に阪神淡路大震災が発生した際も被災地に同様の施設を建設した。玉井会長によると、「神戸レインボーハウス」と名付けられたその施設でケアを受けている遺児は「震災発生後、3年くらい自分が何をしていたのか記憶にない」と話しているそうだ。 玉井会長は今回の震災を出張先のテレビで知り、「遺児は(神戸の)何倍もの厳しいものを心に抱えていると感じた。一刻も早く心のケアをするための施設を開設しなければ」と決意したという。 神戸で起こった震災では施設を1カ所開設して遺児のケアにあたったが、「利用できる子どもは自転車で30分程度の距離にいる子に限られてしまう」(玉井会長)との理由から、今回は震災で特に甚大な被害を受けた沿岸部4カ所への設置を計画。そのほか、仙台市近郊にセンターの設立も予定している。 今回3団体が進呈した義援金50万円は、県連が所有している義援金口座「継続的復興支援基金」に3月1日時点で2万5708レアルあったものから用意した。山田康夫副会長によると、今回の支援のため50万円に相当する1万1600レアルを同基金から引き出した。 今回の支援の経緯について園田会長は「3日に(聖市バンデイランテス宮で開催している)震災復興写真展を訪れた際、3団体の会長がそろった。その場で木多喜八郎文協会長、菊地義治援協会長へあしなが育英会への義援金進呈を提案したところ、2人とも賛同の意を示した」と説明。義援金額を50万円としたことについては「呼び水としてそのくらいの額が適切ではないかと判断した」(園田会長)としている。 2012年3月16日付
ニッケイ新聞 2012年3月16日付け 『東北大震災の犠牲者追悼および復興祈念式』が14日、在聖総領事公邸で行なわれた。被災県の県人会長や日系団体代表者、ブラジル社会から約220人が出席、哀悼の意を捧げた。両国歌を斉唱、黙祷後、大部一秋総領事は「日系社会からも連帯の表明や力強い御支援、多額の義援金を頂いたことに深くお礼申し上げる」と感謝した。アントニオ・パトリオッタ外相からもメッセージが寄せられた。仙台から訪れた蕎麦職人・森浩一さんが郷土料理の紹介としてそば打ちを披露、被災県の地酒の試飲も行なわれた。来場者らは、写真展「日本の再生~ありがとう、ブラジル!」や、国際交流基金が制作したDVD「東日本大震災の記憶」、被災県の民芸品などを鑑賞した。
野村流音楽協会ブラジル支部、野村流古典音楽保存会ブラジル支部、琉球民謡協会ブラジル支部、琉球民謡保存会ブラジル支部、うりずんOB会共催の「第7回さんしんの日」イベントが、4日午後1時から聖市リベルダーデ区の沖縄県人会館で開かれ、会場には約500人の観客が詰め掛けた。 開会式では知念直義実行委員長があいさつし、同イベントが三線と沖縄芸能文化の発展、普及、継承、親睦を目的にしていることを説明。今年から共催団体として「うりずんOB会」が参加し、若い世代の新しい発想でのイベント開催を喜ぶとともに協力関係者への感謝を示した。 引き続き、与那嶺真次沖縄県人会及び文化センター会長が祝辞を述べ、昨年の県人会創立85周年を記念して母県から派遣された3人の三線鑑定士により、歴史ある三線が認定されたことに言及。「沖縄の習わしで応接間に三線を飾ることは平和と希望を意味します」とし、同イベント開催の重要性を説いた。 西原篤一沖縄ブラジル協会会長のメッセージを代読後、開幕合同演奏を皮切りに 20に及ぶプログラムが披露。会場に詰め掛けた人々は三線演奏をはじめ、琉球舞踊あり、エイサー太鼓ありの舞台を熱心に見つめていた。 2012年3月15日付
ニッケイ新聞 2012年3月15日付け 土曜日(17日) 青葉祭り、午前7時、宮城県人会(Rua Fagundes, 152, Liberdade)◎デコ画廊展覧会「有機的な結合」、午前10時、同画廊(Rua dos Franceses, 153, Bela Vista)、日曜日も◎憩いの園総会、午前10時(第2次召集)、文協ビル5階(Rua Sao Joaquim, 381, Liberdade)◎震災関連映画上映会、午後2時、文協小講堂(Rua Sao Joaquim,...
高知県人会(片山アルナルド俊一会長)は、18日午前10時から午後5時まで聖市ピニェイロス区の同県人会館(Rua dos Miranhas, 196)で第2回焼きそば祭りを開催する。 今回は「やっぱりうまいぜヨ土佐の料理わ。お前んらの来るのを待っちゆうきに !!」と、土佐弁のキャッチフレーズを掲げた。第1回目の同祭は昨年4月に開催。約300人が来場者してにぎわった。 当日は焼きそばのほか、高知名物「鰹(かつお)のタタキ」なども販売する。片山会長と文野雅甫副会長は「昨年は一日中会場にいて、婦人部自慢の焼きそばを3杯平らげた人もいた」と話し、来場を呼びかけた。収益は同会館の修繕費に充てられる。 入場無料。食事券は1枚15レアルで、券1枚につきビンゴに1回参加できる。前売り券は同会館で販売しているほか、会員からの購入も可能。問い合わせは同県人会(電話11・3031・6799)まで。 2012年3月14日付
ブラジル石川県人会(小堀勇ジェラルド会長)は2月26日、聖市パライゾ区の同会館で2012年度定期総会を開催し、会員約150人が出席した。 総会では、同会館で毎年10月に開催している文化祭を今年は6月16、17日の日程で行うことが発表された。これは総会に先駆けて行われた同10日の役員会で決まり、総会で会員の承認を得た。 また和田浩一副会長によると、同県人会は前年12月時点での最低賃金を基準にして年会費の額を決めている。今年度の会費は前年度から5レアル引き上げた107レアルとなった。 総会ではそのほか、11年度の決算が報告された。11年度は9万4386・77レアルの収入に対して支出が9万6667・49レアルだった。今年度の予算には9万6444レアルが計上、承認された。 2012年3月14日付
赤間学院にあてた感謝の手紙 今年創立79年になる財団法人赤間学院(平井タツオ理事長)の創設者、赤間重次・みちへ夫妻(ともに故人)は宮城県出身。震災時、宮城県には赤間夫妻の親戚、智子さんが暮らしていた。 同校の日本語科で学ぶ生徒は震災後、千羽鶴を折ったり被災地へメッセージを送ったりして被災者に心を寄せてきた。同科教育担当の栗田司教諭によると、生徒たちは学校だけでなく家へ持ち帰り家族とともに鶴を折り、千羽鶴を完成させたという。栗田教諭は「生徒たちは一羽一羽気持ちを込めて折り、かなりの量が集まった」と話し、出来上がった千羽鶴は昨年末まで同科に掲示したという。 また同科では昨年6月に生徒や教職員から寄せられた義援金でコーヒーやチョコレートなどを購入。千羽鶴の前で撮った写真と手紙を同封して智子さんへ届けた。 以下は、ブラジルからの支援に対して同8月に智子さんが同校へあてた手紙の全文(原文ママ)。被災直後の状況や仮住まいでの様子がつづられている。 赤間学院 生徒教職員の皆様間もなく大地震から6ヶ月になろうとしております。3月11日起きました未曽有の地震大津波に際しまして、赤間学院の生徒さん、教職員の皆様に心のこもった励ましのお言葉をいただき、本当にありがとうございました。また、学院の生徒さん方から送っていただいた 心のこもった支援の物資を次男様(※編集部注)からいただき、チョコレート、ハーブティ、コーヒー等をいただく毎に、ブラジル赤間学院に学ぶ皆様方の暖かいお心ざし、うれしく感じております。いただいてすぐにお礼をと思っておりましたが、種々の理由で遅くなり申し訳ありません。 地震ではちょっと傷んだだけでだいじょうぶでしたが、天井近くまでの大津波で被災し、屋根と柱は残ったのですが、全壊し避難生活を余儀なくされ、6月からは現在のマンションに住んでおります。住む場所も道具も何もかもなくなり、着の身着のままで投げ出されるとは本当に考えつかなかったことでした。今まで大きな津波が来なかった地であり、油断していた人々も多かったため、多数の犠牲者が出ました。幸いにも家族全員で生き残れたことは本当に幸せなことでした。 現在住んでいる所は仙台市若林で、すぐ近くに広瀬川が流れており、向かい側は長町の街並が見渡せます。夜になると向かい側のマンションのネオンがとてもきれいです。時には広瀬川の土手を散歩したりしています。 今は仮の住まいですが、皆様方からいただいた暖かいお心をささえとして、一日も早く復興していかなければならないなと考えております。 赤間学院で学ばれている生徒さん方がこれからますます発展し、成長され、社会のために尽力する人材としてブラジルはもとより世界で活躍されることをお祈り致しております。 2011、8、30 赤間智子※編集部注=次男(つぎお)さんは、赤間夫妻の息子で同校名誉会長のアントニオ晃平氏のいとこにあたる人物。(おわり、鮫島由里穂記者) 2012年3月14日付
ニッケイ新聞 2012年3月14日付け 「東日本大震災一周忌法要及び復興祈願」の開催に際しまして、一言御挨拶申し上げます。本日は、昨年3月の東日本大震災における犠牲者の供養並びに被災地の復興祈願のため、このような会を開催していただきまして、宮城県を代表し、心より感謝申し上げます。この会の開催にご尽力していただいた在サンパウロ日本国総領事館をはじめ、日伯文化協会、ブラジル都道府県人会連合会、日伯文化連盟、日伯援護協会、各都道府県人会の皆様に心より敬意を表します。また、本日御臨席の皆様、本当にありがとうございます。東日本大震災は、日本の東北地方を中心に甚大な被害をもたらしました。宮城県におきましても、9400人以上の方が亡くなり、今なお1700人以上の方が行方不明となっております。多くの県民が大切な家族や友人、財産を失い、心に大きな傷を負いました。震災直後は、復興への希望すら見出せない状況に陥ったこともございました。そのようなときに、皆様から頂いた御支援や励ましの言葉は、被災地で暮らす私たちに、生きる勇気と復興に立ち上がる力を与えてくれました。この場をお借りして、改めて御礼申し上げます。震災からの復興への道のりは、平坦なものではなく、長く厳しいものになります。しかし、私たちは、復興に向けて勇気を持って立ち上がりました。皆様が宮城県、そして日本の復興を願い、励まし続けてくださる限り、我々は、皆様との「絆」を糧に必ずや復興を成し遂げることを御約束申し上げます。皆様には、いつの日か、復興を遂げた宮城県の姿を見ていただきたいと思います。結びになりますが、本日、御臨席の皆様のますますの御活躍と御健勝をお祈り申し上げます。
ニッケイ新聞 2012年3月14日付け 本日、サンパウロの地において、「東日本大震災追悼法要並びに復興祈願」が開催されるにあたり、御挨拶を申し上げます。今からちょうど1年前の3月11日午後2時46分、三陸沖を震源とするマグニチュード9・0の巨大地震が発生し、東日本の太平洋沿岸部の広い範囲に巨大な津波が襲いかかりました。この未曾有の大震災による死者・行方不明者は、全国で併せて1万9千人余、岩手県内でも約6千人にも上りました。この多くの尊い命とともに、長年に渡って築き上げてきた財産すべてが一瞬にして流され、その後出来得る限りの復旧に努めましたが、半年近くにも渡り多くの方々が不自由な避難所暮らしを余儀なくされました。このような状況の中、国内外からいただいた多くの支援や励ましのメッセージは、私たちを大いに勇気付けてくれました。中でも、ブラジルの日系人・日系団体の皆様が日本へお寄せくださった義援金は約6億円にも上ると伺っており、母国の復興を願う皆様のお気持に、改めて感謝申し上げる次第です。現在、住居を失った方々の多くは仮設住宅へと移られ、御自身の復興に向け取り組んでおります。皆様からいただいた義援金は、こうした被災された方々の生活再建のために活用させていただいており、被災地では、徐々にではありますが、日常生活を取り戻しつつあります。3・11を境に私たちの生活は一変しましたが、私たちは、あらゆる生命を尊び共に生きるという世界遺産平泉の理念を胸に、1日も早い復興に向け県民一丸となって取り組んでおりますので、皆様方におかれましては、故郷の復興に対し、引き続き御支援下さいますようお願いいたします。最後になりますが、本日この追悼と復興祈願の集いを開催して下さった関係者の皆様、また、御参集の皆様に、すべての岩手県民を代表して心から感謝申し上げますとともに、皆様方と御家族の今後益々の御発展をお祈り申し上げ、御挨拶とさせていただきます。
ニッケイ新聞 2012年3月14日付け 11日午後2時から聖市の文協ビル大講堂で行われた東日本大震災一周忌法要では、宮城、岩手、福島の3被災県知事からのメッセージが各県人会長によって代読された。なかでも佐藤雄平福島県知事の「あの日、あの時を迎えるまで、このふくしまの姿を誰が想像できたでしょうか」というメッセージを、小島友四郎ブラジル県人会長が途切れ途切れに読上げると、会場のそこかしこから嗚咽が漏れた。そして最後に、3知事のメッセージに対して、来場者全員から温かい拍手が送られた。ブラジルからの支援に感謝する被災県知事からメッセージをここに掲載する。 懸命な県民の姿こそ誇り=福島県知事 佐藤 雄平 (小島友四郎県人会長代読) 2011年3月11日午後2時46分。あの日、あの時を迎えるまで、このふくしまの姿を誰が想像できたでしょうか。大地震、大津波は、多くの尊い命と穏やかだった私たちの暮らしを、非情にも奪い去りました。原子力災害は、美しいふくしまを一変させました。さらに、風評被害は、地域の活力を奪い、私たちの心までも深く傷つけました。この1年、福島県は、深い悲しみや悔しさを抱えながら、ある人は、住み慣れた土地を追われ、ある人は、少しでも元の暮らしを取り戻そうと汗を流し、またある人は、家族離ればなれの生活を選びました。そして、見えない放射線への不安とも闘いながら、それぞれが必死に毎日を生き抜いてきました。これほど厳しい状況にあっても、取り乱すことなく、地域のきずなを大事にしながら、一生懸命頑張っている福島県民を、私は誇りに思っております。未曾有の大震災以降、ブラジルを始め、世界中の皆さんから、温かい励ましのメッセージやたくさんのご支援をいただきました。福島県は大いに助けられ、励まされ、勇気をいただきました。改めて、心より感謝を申し上げます。今年は、福島県の「復興元年」であります。日本国内はもとより、世界中の多くの方々に支えられながら、福島県民と力を合わせ、美しく、豊かな県土を取り戻し、子どもたちの笑顔あふれる「新生ふくしま」を創っていきたいと考えています。そして、これから復興に向かう福島県の真の姿を積極的に発信し、風評被害の解消と原発事故の風化防止に努めてまいります。遠くブラジルの地から応援してくださる皆さん方にも、引き続き福島の復興を見守っていただきますとともに、温かいご支援をいただきますようお願い申し上げます。結びに、ブラジルと福島県との友好交流が一層深まることを祈念いたしまして、メッセージといたします。
ニッケイ新聞 2012年3月14日付け 高知県人会(片山アルナルド会長)は18日午前10時から、「第2回やきそば祭り」を同会館(Rua dos Miranhas, 196, Pinheiros)で催す。焼きそば1皿15レ。前売り券も同額で販売している。メインのやきそばのほか、鰹のたたき定食、姿ずしなどの土佐料理、天ぷら、うどんなどが販売され、ビンゴもある。案内のため片山会長、文野雅甫副会長が来社し「昨年初めて開催し、好評を博したので今年もやります。土佐のおいしい料理をぜひ食べに来てほしい」と参加を呼びかけた。問い合わせは同会(11・3031・6799)まで。
東日本大震災一周忌追悼法要 「私たちは今後も継続して、被災地への支援を行っていく」―。東日本大震災から1年を迎えた11日午後2時から聖市リベルダーデ区の文協記念講堂で日系5団体、仏教連合会、岩手、宮城、福島などの被災県人会合同の犠牲者追悼法要と復興祈願が執り行われ、冒頭の言葉が強調された。また、前日の10日午前9時からは、同市セントロ区のサンゴンサーロ教会で日伯司牧教会の協力による追悼慰霊ミサも行われ、出席者たちは震災被害を受けた人々の一日も早い復興を願った。 11日の追悼法要には約600人が詰めかけた。法要委員長の木多喜八郎文化協会会長はあいさつで、約2万人の犠牲者を出した震災を振り返り、ブラジル及び日系社会からも義援金が送られるなど全面的な協力を行ったことに言及。「きょうは失われた命と救われた命を思ってお祈りしたい」とし、「私たちは今後も被災地への長い支援を行っていく」と述べた。 引き続きあいさつに立った在サンパウロ日本国総領事館の大部一秋総領事は、日本への義援金支援を行った日系社会への感謝を述べるとともに、震災について(1)決して忘れないこと(2)苦しみを皆で分かち合っていくこと(3)支え合い、希望を持って前に進むこと、の3点を強調した。 県連の園田昭憲会長による追悼の辞の後、各宗派僧衆代表及び一般参加者による焼香が行われた。さらに、日本の震災発生時刻に合わせた午後2時46分には会場全員で黙とうが行われ、合掌しながら犠牲者の冥福を祈る人の姿も見られた。 仏教連合会のコレイア教伯導師による法話の後、宮城、岩手、福島の被災3県知事のメッセージを各県人会会長が代読した。震災孤児を支援するプロジェクト「いのち」のメンバー7人による合唱に引き続き、国際交流基金提供の震災映像が約10分間放映。地震、津波や原発事故の悲惨な光景と各地での復興の様子に、会場からはすすり泣く声も漏れ聞こえた。 モジ・ダス・クルーゼス市イチペチから出席した芳賀七郎さん(78、宮城)は宮城県南三陸町での津波により長兄と次兄を亡くした。特に長兄は戦時中「暁(あかつき)部隊」に所属していたとし、戦後原爆投下後の広島市に後片付けのために入り、入市被爆している。芳賀さんは「私が24歳でブラジルに来る時、長兄に許しを得た。兄ではあるが親代わりのような存在だった。今日こうして皆さんに追悼してもらえることは、本当にありがたい限り」と無念な思いの中にも日系社会への感謝の気持ちを表した。 聖市ベルゲイロ区在住の阿部正司さん(66、岩手)は岩手県釜石市に伯父がおり、震災で行方が分からなくなったが、発生から1週間後に無事が確認されたという。「それまでは心配で本当に心を痛めました。今日は仕事がありましたが、上司に許可を得てここに来ました。昨年の(日系社会で行った)初七日法要にも参加しましたが、震災の思いを引き継ぐためにもう少し日系3世、4世の若い人たちにもたくさん出席してほしかった」と率直な思いを語った。 友人たちと一緒に出席した聖市サウーデ区に住む河上クリスチーナさん(35、3世)は、今年2月に日本を訪問した。「日本のことを誇りに思う。一日でも早く元の生活に戻れるようになってほしい」と河上さんは被災地への思いを込めた。 2012年3月13日付
「火葬できただけありがたい」 東日本大震災が発生して11日で1年を迎えた。日本国内の中でも特に被害が甚大だった岩手、宮城、福島の3県はいまだ復興のめどが立たずに苦しんでいる人々が数多い。また震災の影響で人生そのものが変わり心の傷が癒えない人々も少なくない中、その一方で時間がたつにつれ、当時の悲惨な出来事が徐々に忘れ去られつつあることも否めない。本紙では「忘れてはならない記録」として、震災被害を受けた日本の家族及び親戚を思いやる伯国在住の人たちと日本の人々との絆を2回連載で紹介する。(編集部) 「遺体が見つかって、火葬ができただけでもありがたいと考えなければ」―。聖州アチバイア市タンケ区に在住する及川君雄(74)・東子(とうこ、73)夫婦(岩手県一関市=旧東磐井郡大東町)は、口をそろえた。 2011年3月11日、東子さんの実兄で岩手県陸前高田市に住んでいた佐々木誠志(せいし)さん(享年82歳)は、好きな油絵の画材を購入するために大船渡市まで車を運転していたところ、その途中で津波にのみ込まれた。 誠志さんの息子が捜索願いを出していたこともあり、その1週間後に車内で遺体が見つかった。しかし、地元では震災被害により火葬場がないため、岩手県内に住む東子さんの妹が誠志さんの遺体を遠野市の火葬場まで運び、荼毘(だび)に付したという。 誠志さんの家は陸前高田市の比較的高台の場所にあり、実家そのものは津波の被害には遭わず、地震当初に自宅にいたならば被害には遭っていなかったかもしれない。 及川夫婦の話によると誠志さんは戦後、地元の小中学校の教師となり、図工を担当していたという。また、晩年は県内各地の学校で校長を歴任。同じ小学校の幼なじみだった及川夫婦は誠志さんから教えてもらったこともあり、「悪さをすると鞭(むち)打ちされたこともあり、教育熱心な兄でした」と東子さんは当時を振り返る。 学校退職後も教育関連の仕事に携わるなど多忙だった誠志さんの趣味は、油絵を描くこと。現役教師時代の夏休みには東京の美術大学に短期で通うなど、単なる趣味の領域を超えていたとも思われる。 1959年に渡伯し、聖市近郊のイタケーラ、インダイアツーバを経て68年から40年以上にわたって現在のアチバイアに住み続ける及川夫妻が渡伯後に何回か訪日した際、プレゼントされたのが誠志さんが描いた油絵の数々だった。 現在、貴重な遺品となった油絵の一つは及川夫婦の家の壁に掛けられている。郷里の山「氷上(ひかみ)山」を背景に、誠志さんが好きだった海岸沿いの松林の風景が描かれた作品だ。 昨年の正月に誠志さんと国際電話で連絡を取った東子さんは、誠志さんがぜんそく気味で「プロポリスがいいみたい」と言われたため伯国からプロポリスを送ったが、これが兄と直接話した最後の言葉となった。 誠志さんの不運な死について及川夫婦は「不幸なことには変わらないが、好きな絵を描くために画材を買いに行き、自分の希望の途中で亡くなった。まだ行方が分からない方も大勢いる中で、遺体が見つかって火葬ができただけでもありがたいと思わなければ」と誠志さんの死をしのんだ。 (つづく、松本浩治記者) 2012年3月13日付
宮城県人会(中沢宏一会長)は16日午後3時から、聖市リベルダーデ区の同県人会館1階ホール(Rua Fagundes, 152)で東北学院大学経済学部の上田良光教授を招き、講演会を開催する。講演のテーマは「東日本大震災の復興への提言」。参加費は無料。 同講演会の協賛は岩手、福島、青森、茨城、千葉の各県人会。後援は県連、ブラジル日本移住者協会など。また、講演後は提言集会が行われ、ブラジルに移住し開拓した経験を持つ参加者たちにその経験を復興に生かすよう提言を求め、集まった提言は日本の関係機関に送付する予定。 2012年3月13日付
ニッケイ新聞 2012年3月13日付け 宮城県人会(中沢宏一会長)は東日本大震災発生から1年を迎えるにあたり、「東日本大震災と日本経済」というテーマで講演会を、16日午後3時から同会1階ホールで開く。入場無料。岩手、福島、青森、茨城、千葉の各県人会が協賛する。講演者は、東北学院大学経営学部で宮司でもある上田良光教授。講演後は、復興への道を今後も歩み続ける日本への提言を発表しあう場が設けられる。案内のため来社した中沢会長は「異国で自らの人生を切り開いた我々移民も、その経験をもとに復興のためのアイデアがあるはず。様々な角度からの提案を期待したい」と参加を呼びかけた。問い合わせは同県人会(11・3208・5780)まで。
ニッケイ新聞 2012年3月13日付け 昨年3月11日に発生した東日本大震災からちょうど丸一年にあたる11日午後2時から、日系5団体とブラジル仏教連合会、被災した6県人会が合同で「東日本大震災犠牲者一周忌追悼法要並びに復興祈願」を文協大講堂で挙行した。日系団体代表はじめ被災関係者、一般来場者ら約700人が集まり、改めて犠牲者の冥福を祈った。被災地の復興を願い記念の餅も800個用意され、出席者に配られた。震災遺児を支援する団体「プロジェクトいのち」の子供達が舞台で合唱、被災地の様子を記録した映像が上映されると、沈痛な面持ちで目頭をおさえる来場者もみられた。 震災が発生した午後2時46分、黙祷が捧げられた。仏教婦人連盟によるコーラスの後、法要委員長として壇上に立った文協の木多喜八郎会長は「被災地の人々が安心して暮らせるまでにはまだ時間がかかる。これからも長い支援を続け、日本が明るく蘇ることを祈ります」と挨拶した。導師を務めたブラジル本門仏立宗のコレイア教伯さんは震災4カ月後に被災地の小学校を訪れた。「世界の諸相は人間の心。3・11以後の世界に生きる我々は一人ひとりが、自分が変われば世界が変わると信じなければならない」と強調した。読経と同時に来場者らは祭壇に向かって列を作り、犠牲者への追悼と一日も早い復興を祈って焼香。その後被災した3県の県人会会長が、それぞれの母県の知事からの弔電を代読した。最後に挨拶した援協の菊地義治会長は「移民も互いに助け合うことで今日の繁栄を築いた。母国を支援することがコロニアの蘇生、活性化に繋がる。震災を決して忘れてはいけない」と力を込めた。モジ市イタペチ区在住の芳賀七郎さん(78、宮城県南三陸町)は、長兄新平さんと次兄利兵衛さんを津波で亡くした。「足が弱っていたので逃げ遅れたようです。地震が多い地域だから普段から用心していたようだが、誰も責められない。仕方がないね」としみじみ語った。岩手県人会の千田曠曉会長は、「コロニアからの祈りが日本側に届いたと思う。両国の絆がさらに深まれば」と笑顔を見せ、宮城県人会の中沢宏一会長は「立派な一周忌だった。今後も母県と連絡し合い、我々がどういう形で支援を継続できるか検討したい」と話した。 サンゴンサーロ教会でミサ=280人が震災に共同祈願 聖市ジョアン・メンデス広場のサンゴンサーロ教会でも10日朝9時から、日系5団体の共催で復興祈願の一周忌慰霊ミサが、日伯司牧協会の協力で厳かに執り行われ、日系団体代表をはじめ約280人が出席した。祭壇右側には日伯両国旗が掲げられ「連帯的行動を通して勇気と力を汲み取り、言語に言い尽くせない困苦と戦っている人々が復興に向かって歩み続けられるように祈りましょう」との共同祈願が、大部一秋・在聖総領事夫妻や日系各団体代表により捧げられた。神父は「永遠の命を願いましょう。勇気と喜びの中に行き続けることができますように」と語りかけ、パン、ぶどう、麦の穂などが祭壇に奉献され、聖体拝領が行われた。ヴィア・ソニアのコーラスグループによる聖歌が合唱された後、ミサは閉幕した。青森県人会の玉城道子会長は「一年経ち、青森は復興のめどがついた」と母県の状況を語り、「忘れてはいけないと思った。経済的な支援は難しいものの、気持ちだけでも応援していきたい」と話していた。
岐阜総会で山田会長が12期目続投 「これからの県人会の活動をどう進めていくのか」―。岐阜県人会の2012年度定期総会が4日午前10時半(第2次招集)から聖市アクリマソン区の同会館で開かれ、役員改選で12期目の長期続投が決まった山田彦次会長は、出席した約20人の会員に対して冒頭の言葉を投げかけた。老朽化のため昨年11月下旬に会館の売却を決定したが、新会館建設など今後の方向性は決まっていない。来年は岐阜県移民100周年・県人会創立75周年を迎える中、県人会員一人一人の意識が問われそうだ。 総会では先没者への黙とうの後、山田会長があいさつ。「この場所での総会は今年が最後。会館を修理をしても難しいとの判断から今の場所で会館を新築することは不可能になった」とし、昨年11月27日の臨時総会で会館売却について出席者全員一致で承認したことを改めて説明した。 岐阜県からも「仕方のないこと」と了承を得ているとし、山田会長は「今後の県人会の在り方を各人に考えてもらい、日本及びブラジル社会にどう向き合っていくのか、どうすれば若い人にバトンタッチできるのかなど具体的な話として提案していただきたい」と語気を強めた。 11年度事業報告は、毎月の会報でも各会員に配布報告されているとし、拍手で承認。11年度会計報告では、会計理事から会館購入者の身元調査として支出の「会館建設費用」の項目で4720・95レアルが計上されていることが説明。その上で前年度繰越金(1万831・48レアル)を含めた収入が15万9646・17レアル、支出9万2485・94レアアルで、6万7160・23レアルが次年度に繰り越されたことが発表、承認された。 監査意見発表と承認に引き続き、12年度事業案では今月18日の定例理事会で「岐阜県移民100周年、県人会設立75周年準備委員会」発足の検討が行われることや、9月22日から開催される「岐阜国体」ツアーなどについて触れられた。 また、昨年末から開設された県人会のウェブサイトについても会員への積極的協力が求められた。12年度予算案については、10万8500レアルが承認された。 役員改選では現執行部が引き継ぐ形で承認。山田会長は「ここ数年、会長はやりたくないと再三話してきたが、来年の岐阜県移民100周年を迎える大事な時期に(会長を)やりたくないと言うと混乱を招く恐れがある。ただ、会長というのは大変な負担となり、役員たちも100%自己負担している。現在の日系社会は『俺とは関係がない』との考え方が強く、責任を負うという部分が薄い。今後、我々の県人会は難しい物事を決めていかなければならない」と述べた上で、会員への積極的な協力を求めた。 なお、12年度県費留学生として、南大河州ポルト・アレグレ市在住のルマ・キヨコ・カルデイラ大野さん(24、3世)が紹介された。新役員は次の通り(敬称略)。会長=山田彦次。副会長=青山高夫。書記=浅野悟。会計=原田敏彦。監事=金子亨資、山名倶子、伊藤パウロ勉。補充監事=安田正子、吉村マルセロ。 2012年3月10日付
大阪滞在中に偶然、再会することになったのが、10年ほど前まで本紙通信員をしていた上江洲(うえず)清さん(73)だ。WUB関西支部会長の仲里眞光さん(67)を取材中、仲里さんが関西地域の沖縄県人会のメンバーとして上江洲さんに連絡を取ったことがきっかけだった。 現在、滋賀県湖南市に在住し、自ら体験した「沖縄戦」やブラジル日本移民の思いを「語り部」として伝える活動を行っている。南洋諸島の一つテニアン島で生まれた上江洲さんは、6歳の時に「沖縄戦」を体験。高校卒業後の1958年に家族と渡伯し、「カッペン移民」としてマット・グロッソ州に入植、過酷な労働を強いられてきた。その後、南北アメリカなどを転々とし、本紙通信員、琉球新報のブラジル通信員を務めた後、2002年に沖縄本土復帰30周年記念イベントのコーディネーター役として沖縄県を訪問した。 当初はすぐにブラジルに戻る予定だったが、日系就労者の多い群馬県大泉町に足を運び、「出稼ぎ」の状況を実体験した。上江洲さんは当時60代半ば。建設会社に面接に行ったが「仕事などない」と言われ、ある会社の寮に住む日系人たちの「金もなくて出るに出れない状況」を直視した。 上江洲さん自身も職を転々と変えざるを得ず、ポルトガル語ができたため千葉県では出稼ぎ者たちの通訳の仕事を任された。しかし、その内容は単なる通訳ではなく、長野県や福島県のスキー場に日系人を派遣するための営業活動だった。当初は日系人を雇うスキー場は少なく、やっと雇ってもらう許可を得た長野県のスキー場では、上江洲さん自ら出稼ぎ者たちを引率し、「零下20度の豪雪の中で、雪かきを行う毎日でした」と振り返る。 その後、シーズンオフにその会社を解雇され、知人のつてを頼って大阪にも出たが、紹介された会社が倒産。生きるために町の清掃車に乗せてもらい、スーパーの期限切れ食品を拾うなど「乞食同然の生活も経験した」(上江洲さん)という。 さらに、和歌山県で炭焼き作業を紹介されたが、職人気質の雇用主から収入もない上に少ない食料で働かされ、栄養失調になった。仕方なく沖縄県にいた姉に連絡し沖縄に帰ったが、体調が回復するのに3カ月もかかった。 改めて知人の紹介で04年1月に今度は滋賀県湖南市へ行くことになった上江洲さんは、オーナーが日本人で、日系就労者が居住するアパートの管理を任された。リーマンショックの影響で居住者の日系人が激減したため、そのアパートは11年11月に取り壊されたが、その間、上江洲さんは06年に伯国に住んでいた夫人(3世)も呼び寄せ、最盛時には50家族いたブラジル人たちの面倒をみた。 湖南市に住んでいる間、戦争の悲惨さと自身のブラジル日本移民としての体験を訴えるため、地域の小中学校や公民館などで講演を行うようになり、「語り部」としてこの7年間で40回にも及ぶ活動を実践している。 10年間にわたって日系就労者の状況を間近に見てきた上江洲さんは「日系就労者といってもひと昔前と違い、非日系人が多いのに驚く。世代が下がるに従い、日系人としての意識やブラジル人としての誇りも低くなっている。それに、仕事に就かなくても失業保険や生活保護が受けられることに甘んじて、ブラシルへ帰りたがらない『デカセギ』が増えているのも事実で、その中には高齢者が多いのも気がかりだ」と、これから先のことを気遣う。 各地での講演活動を続ける上江洲さんは「私は、いわば『よそ者』かもしれないが、関西地域に住む沖縄県人とのつながりを持ち続け、自分がたどってきた人生体験を日本で書き残していきたい」と抱負を語った。(おわり、松本浩治記者) 2012年3月10日付
千葉県人会(原島義弘会長)は今月30日から4月末までの約1カ月間、同県人会の道場から大峰レアンドロさん(28)を短期留学生として千葉県警へと送り出す。 今回の短期留学は同県人会長の原島会長と千葉県警とのつながりで実現したもので、原島会長によると「森田健作千葉県知事からもどんどんやってほしい」と快諾されたという。 同会長は「大峰君は7歳から剣道を始め、ブラジルの大会では何度も優勝している。今回の留学も自分からどうにかならないかと志願してきた。県警の練習はとても厳しいが彼なら耐えられる」と太鼓判を押す。 大峰さんは同会長がかつて通っていた松戸市の道場「松風館」に寝泊まりし、アルバイトなどをしながら剣道の練習を行うという。今回は母県からの経済的な支援はなく、留学費用はすべて大峰さんの自費。同留学制度について同会長は「今後もできれば継続していきたい。1カ月ならフェリアス(休暇)を利用して気軽に行けるのがいい」と話している。 2012年3月10日付