07/03/2026

関連ニュース

ニッケイ新聞 2012年3月10日付け 先ず去年3月11日の東日本大震災による犠牲者に対し、哀悼の意を表したいと思います。それと共に、全被災者の皆さんに対しては心からのお見舞いを申し上げます。さてこの度の大震災から1年を迎え、コロニア5団体による、東日本大震災の犠牲者に対する1周忌の追悼法要が行なわれる事になりました。被災県民の一人として本当にありがたく感じている次第です。去年3月の大地震はマグニチュード9と云う地震観測史上最大規模の地震で、特に岩手、宮城、福島など太平洋沿岸都市は未曾有の壊滅的被害を受け、多くの犠牲者を出しました。被災された方達は丸々裸となり、その上劣悪な環境のもと避難生活の毎日を送る事に成り、本当に悲しい限りです。それから1年経った今、ごく1部の人に限っては少しずつ復興のきざしが見られる様になりました。しかし、少しのきざしすら見えない状態にいる方達の方が多いのではないかと思われてなりません。この方達の1日も早い前進を願ってやまない次第です。また一方、福島県では地震の被害よりも原発事故による放射能の被害の方が大きく、原発から30キロ以内は避難が余儀なくされ、泣きながら生まれ育った家を後にして避難されたのではないかと思うと、本当に悲しい限りであります。そしてまた、震災から1年が過ぎた今でも、避難されている方達は、自分の家にもどる事さえ出来ない状態が続いています。この放射能の問題は本当に、想像以上の大きな被害をもたらし、今誰もがあらためて放射能の被害の大きさにおどろきを感じているのではないかと思います。これからの復興への道のりは困難を極め、長期に渡り続くものと覚悟しなければならないものと思います。しかしこの度の災害を通して、隣人愛というか、お互いの絆の強さも感じられた事と思います。本当に放射能の問題は難しいが、野田首相も常に云われている様に、福島の復興なくして日本の復興はありません。1日も早い安定へと、政府は全力をあげて原発の問題にあたっています。後は常に前向きに生きる県民一人一人の力強い努力によって、必ずもとの福島に、また以前以上の福島に復活する事を確信して居る次第であります。では最後になりましたが、全被災地の1日も早い復興を心から願っております。
ニッケイ新聞 2012年3月10日付け 東日本大震災から1年が過ぎました。犠牲者と被災者の皆様へ心からお悔やみとお見舞いを申し上げます。私は宮城県本吉郡唐桑町(現気仙沼市)出身で北側は岩手県陸前高田市、同郡の南は南三陸町があります。三陸はリアス式海岸ですのでこの地方の旧市街地は少し歩くと避難できる山手があります。唐桑町は漁業の町で船主網元の家、神社、仏閣は高台にあり、この度の津波もそこまでは届きませんでした。「森は海の恋人」で有名な畠山重篤氏は中学の同級生で、彼の家も高台にあり松の大木と眼下に海が広がる素晴らしい景色の所です。しかし、今回の津波は海抜25メートルの家の近くまで来たし沢づたいに40メートル近く登ったそうです。さて、三陸には昭和35年(1960年)年のチリ地震津波、昭和8年(1933年)、明治29年(1896年)と約100年間に4度も襲われました。チリ地震津波の時は高校1年で船で通学しましたが、津波の速度がゆるやかな珍しい津波でしたので、三陸を震源とする津波は約80年ぶりでした。その間に戦後高度成長期には経済を優先し、津波がまともに来襲する平坦な土地に宅地、水産加工場を建設し、湾の入り口に燃料タンクを並べ、この度はそれが流れ引火し湾内が火の海となりました。今一周忌で犠牲者への追悼の儀式が行われようとしていますが、この度の災害は津波を忘れて危険地帯に進出した人災の率が高いでしょう。従ってこれからの復興は地震津波に強い地域の構築であります。第一に人命を守るための避難所と避難道の設定です。特に平坦地には1キロ毎にその地域住民の避難所となる築城を提案したいと思います。お城には4階以上に高齢者施設、行政、レクレーシヨンの施設と備蓄室等を置き、学校保育所を含めた総合的な施設で人命を守ります。そこから四方に大通りを作り、避難所をつなぎ、お城を拠点として地域作りをします。そして、今問題になっているまだ5%しか処理が進んでいない瓦礫は地盤沈下の埋め立て、道路、海岸林植林に使用します。何せ目の前の海は世界三大漁場で海産資源はそこにあるのですから、市場と加工施設を復旧させ経済の復興を全力を挙げて速やかに実行します。もう一つ提案があります。危険区域の人々は復興財源を確保のため個人と行政とで津波保険に加入し、平時はその財源を地域振興に使います。ところで昨年震災の年にリベルダーデ区に桜を街路樹として初めて植える許可を市役所からもらい、震災復興を願うシンボルとして植樹しております。お蔭様で順調に育っております。また、ブラジルニッポン移住者協会は同じ目的で植林計画を発表しました。日本では仙台空港のある名取市から、防風防砂防潮のための海岸林造成用の松の植林が始まります。先月世界5地域から選ばれるフオレストヒーローに選出された同級生の畠山氏からは、母堂を亡くし施設は壊滅的にやられたものの水源地の山に広葉樹の植林を継続する、という力強い便りをもらっております。両国で樹木を育てイベントを行い、この大震災が風化し忘れ去られないよう努力して行き、支援の継続を模索して行きたいと思います。在日日系人は震災直後よりボランティアとして現地で活躍しております。今後は復興事業へ参加することが期待されます。被災地が地震津波に強い理想的なモデル地域を建設し、海外から賞讃される形で復興されるよう衷心より願っております。
ニッケイ新聞 2012年3月10日付け あの愛する祖国日本がこんな姿に――。コロニアが、ブラジル社会が、世界が驚愕した東日本大震災から1年を迎える。早朝のテレビから流れてくる津波の映像、原発が次々に爆発する映像などはまさに想像を絶するものであり、「本当なのか」と誰もが一度は疑った。しかし、現実は冷酷であり、刻々と被災者数、死亡者数は積みあがっていった。宮城県人会、福島県人会、岩手県人会などからメッセージをもらった。これを機に1周年の想いを新たにし、我々はどんな継続した支援ができるのかを、コロニアとして一緒に考えたい。(編集部) 世界の人々も思いは一緒=提言 大防潮堤を兼ねた沿岸道路を=岩手県人会会長 千田曠曉 昨年3月11日に突如として東日本を襲った忌わしい大震災から1年を迎えるにあたり、改めて亡くなられた方々のご冥福を祈り、また被災者の方々に心よりお見舞い申し上げます。震災直後の特別番組で、見た事もない画面を見せつけられ、広範囲に及んだ大津波に人々は逃げ惑い、お構いなしに自然や建造物はじめ町や農地を舐めつくし、力つきた人々をも呑み込み津波の恐ろしい威力を感じました。続いて世界で稀に起こる原発事故――福島の原発が爆発し多量の放射能漏れで、広範囲な地域住民はほとんど着のみ着のまま、住居、家畜、農地を放置してまで強制避難させられた。元の居住地へ帰れる日は30年後とも云われている。本当に気の毒に思う。大震災の様々な出来事が映像の一コマ一コマの如く、未だ私の脳裏には克明に録画されている。私も起床直後から、安否確認をと親戚や知人、県に電話を掛け巡らせたが、どこも不通で益々不安がつのり、相当動揺していたような気がする。被災地全体を含め、2万人を超す人々が犠牲者になった。岩手5983人、宮城1万1266人、福島1820人と3県だけで1万9069人の犠牲者が出ている。阪神大震災の犠牲者は6千人位と聞くから、災害の大きさを物語っているような気がする。被害総額は16兆円から25兆円と見積もられている。でも亡くなった人々は永久に帰って来ないのが痛ましい。震災直後から義援金活動はじめ、支援物資搬送や瓦礫撤去など様々なボランテイア活動が甦り、素晴らしい国民だと思った。今後もその思いを後世に伝えて頂きたい。世界各国からも支援物資や義援金が寄せられ、現在も様々な支援活動が続いており、世界の人々も思いは一緒だと心強く感じました。さて、標題に「提言 大防潮堤を兼ねた沿岸道路を」と書きましたが、被災地の皆さんには二度と悲惨な災害にあわせたくない思いがあります。被災地一帯沿岸部に、最低20メートル以上の「大堤防兼沿岸道路」を100年の計で作ってはと考えます。海岸側には砕波ブロックを設け、波を砕き勢いを抑える。道路の数箇所には大きなロータリーを作り、低地から海岸へ抜ける生活道路、ロータリーの余地には景観を眺める施設などを作ればと思う。この思いを〃夢〃で終わらせたくありません。被災地の皆さんはそれぞれ自助努力や様々な支援を受けながら、一歩一歩と復興に向けて逞しく歩みだしています。国や県の復興予算が出そろい、本格的な復興の始まりと云え、被災地や県民一丸となり早く元の生活に戻って欲しいと、震災1年に寄せての思いです。「頑張れ被災地の皆さん!」
ニッケイ新聞 2012年3月10日付け ブラジル・ニッポン移住者協会(小山昭朗会長)が東日本大震災犠牲者追悼の意味を込め、11日から2年間、聖市立カルモ自然公園内で植樹事業『日伯・絆の森』を実施する。ブラジルオイスカが共催し、聖州政府、聖市も協力。被災した東北6県の県人会のほか、多数日系団体が後援予定。同会が日本人移民百周年事業として、10万本の植樹を目指し実施している『日・伯 友情の森』作りの一環。震災の犠牲者数と同じ1万9131本を植樹し、追悼記念碑を建立する。ロゴには漢字「絆」を使用する。すでに4万2千本を植樹したチエテ・エコロジー公園の敷地は、聖州によるチエテ川の氾濫を防ぐプロジェクトで使用不可となったため、市と掛け合い、2月末にカルモ公園の使用許可を得た。費用は39万7千レアルを見込む。半額は自己資金、残りは寄付金でまかなうとしている。小山会長は、「子供には環境教育や、震災の教訓を学ばせるという面もある。将来長く続いていく事業として、これからもプライドを持ってやっていく」と意気込みを語った。■『日伯・絆の森植樹式』が17日午前11時から、同公園(Av. Aricanduva, 9601)で開催される。参加自由。午前10時にニッケイ新聞前(Rua da Gloria, 332, Liberdade)からバスが出る。乗車希望者は同会(11・3276・9450)まで申込みを。
ニッケイ新聞 2012年3月10日付け 沖縄県で毎年3月4日に開催されるさんしんの日にあわせ、ブラジル沖縄県人会館大ホールで4日、『ゆかる日・まさる日 第7回さんしんの日』が開催された。約4百人が会場に詰め掛け、伝統の音色を聞きながら故郷に思いを馳せた。今回からは、留学生・技術研修生らOBでつくる「うりずん会」が共催団体として実行委員会に参入、司会や舞台進行など主要な役割を担い、若者の息吹がイベントに更なる活気を添えていた。野村流音楽協会ブラジル支部、琉球民謡協会ブラジル支部等5主催団体に加え、多数団体が協賛・後援した。与那嶺真次県人会長は「今では14~5歳の子供たちも三線を始めている。若者の参加で更に我々の共同体を強め、世界を三線で繋ぐことができるようになれば」と更なる発展に期待を寄せた。三線の製造・修繕を手がける金城勝昭さんから三線1丁が寄付され、会場から拍手を浴びた。主催団体が中心となり、祝賀行事に演奏される楽曲「かぎやで風節」の斉唱で開幕、琴と三線で「ごえん節」「揚作田節」など全5曲の荘厳な演奏と唄が会場を包んだ。玉城流小太郎会千舞知花千恵子琉舞道場は高平良万才を披露、参加者は踊り手の洗練された舞に見入っていた。琉球民謡協会ブラジル支部の若いメンバーが艶やかな黄色のハッピを着て登場すると雰囲気は一転、「与勝海上めぐり」など5曲を軽やかなリズムで歌い上げた。舞踊、民謡、太鼓、斉唱など全19演目が繰り広げられ、観客らは流派、年齢を超えて演目を楽しみ、最後はカチャーシーでフィナーレを飾った。孫や子供の晴れ舞台を見に訪れた参加者も多く、今回初来場という島袋由季子さん(56、二世)=聖市=は、「娘に連れられて来たけど、見ている内に私も気に入ってしまった」と笑顔。知念直義実行委員長は、うりずん会の協力を喜び「彼らが承諾すれば次からは全て任せたい。新しい発想をどんどん取り入れてもらえれば」と運営主体を若い世代へのバトンタッチする考えを示した。
WUB(ワールドワイド・ウチナーンチュ・ビジネス)関西支部の会長を務める仲里眞光さん(67)。2008年8月にジアデーマ市の沖縄文化センターで開催された「沖縄県人移民100周年記念式典」に関西の沖縄県人を代表して出席した経験を持つ。 現在、大阪市住吉区(JR阪和線杉本町駅近く)に自社の建設会社ビルを所有するほか、今年1月には沖縄県(本社)と福岡県(支社)に「(株)ゼロテクノ沖縄」という新会社も立ち上げた。 WUBは、沖縄移民の発祥の地と言われるハワイの仲宗根ロバート氏の発案により、世界各国に居住するウチナーンチュたちがネットワークを形成し、互いにビジネス展開を行うことを目的に1997年9月に創設。WUB関西支部は同ネットワーク10番目の拠点として、2000年に設立された。 仲里さんは設立当初から会長を務め、大阪府出身の紀美子夫人(70)の協力を得て、2年前まで自身の建設会社の事務所をWUBの事務所として兼用してきた。 現在、WUB関西支部には約20社が会員登録し、沖縄県産品の売買などビジネス交流を行っている。そのほか、毎月第3木曜に定例会を開いており、会員企業は沖縄系以外に地元大阪の企業も参加している。 さらに、「泡盛同好会」も並行して行い、年に2回約200人の会員が集まる。同好会には沖縄系の酒販関係者も参加し、新製品紹介など関西地域での広報活動を実践している。◎   ◎ 沖縄県南城市佐敷町で生まれた仲里さんは、生後すぐに沖縄戦の戦禍を逃れるため北部の名護市汀間(ていま)に移動し、家族と隠れていたところを米軍に保護されたという。 小中学校時代は宜野湾市で育ったが、中学を卒業後16歳で岡山県倉敷市の紡績会社が募集していたのを知り、同市へ。その後、大阪府にいた先輩のつてを頼って大阪市阿倍野区の電気屋で働いたが、家族から反対され沖縄に戻ることに。古里に戻ってみたものの仕事のあてもなく、米軍基地で米兵の衣服の洗濯や靴磨きなどを行う軍作業をしてしのいだ。 18歳の時、当時の琉球漁業が大洋漁業に買収されたことを受け、仲里さんは底引き網漁船に乗ることを夢見て、同社の研修生として長崎県に渡った。しかしその頃の日本は、東京オリンピック開催による高度経済成長の機運が盛り上がりつつあった時代。「漁師は気も荒いし、1カ月以上も沖に出なければならない。陸にいて人並みに仕事をしたいと思った」という仲里さんは、64年に単身大阪に出て左官工の見習いとなった。 20歳で紀美子夫人と結婚。23歳で独立し、現在の「仲里建設株式会社」を創設させた。72年の沖縄本土返還前後に沖縄から若い人々を呼び寄せ、「10年ごとに会社を大きくしていった」仲里さん。WUB関西支部の会長を続けてきたことについて「自分は(高等)学校を出ていないが、WUBのお陰で大手の会社や大阪府庁関係者など様々な人たちと会うことができた。若い時から『夢は世界へ』という思いがあり、まじめに生きてさえいれば夢が広がることが分かった」と語る。 今後、WUB関西支部会長などを後進に譲っていく考えだとしながら仲里さんは、「これまで沖縄への恩返しのつもりで何でもやってきたが、これからも世界の人々とのつながりは大切にしていきたい」とウチナーンチュとしての熱い思いをのぞかせた。(つづく、松本浩治記者) 2012年3月9日付
ニッケイ新聞 2012年3月9日付け 神奈川文化援護協会(永田淳会長)が『定期総会』を、18日午前10時(9時半受付)から、同会会館(Rua Major Newton de Feliciano, 75, Vila Mariana)で開く。今回の議題は昨年度事業・会計報告、今年度事業・予算計画案の採択、訴訟問題経過報告、二宮金次郎プロジェクト部設立について、役員改選。総会終了後は昼食懇談会がある。問い合わせは同会(11・5082・3141)まで。
ニッケイ新聞 2012年3月9日付け 安部順二連邦下院議員(PSD―SP)は県連主催の『日本祭り』に対し、10万レアルを寄付した。文協ビル会議室で1日にあった県連代表者会議で、受け取り署名式が行われた。今年7月にある「第15回日本祭り」への寄付はこれが初めて。サンパウロ州の文化庁では、文化やスポーツ活動支援のために議員が各イベントへと寄付できる予算枠を設けており、安部下議は同イベントへの利用申請を行った。先月29日に認可されたため今回受け渡しの運びとなった。安部下議は「10万レは祭りの規模に比べれば少ないとは思うが、今後の他団体からの支援の呼び水となれば嬉しい」と挨拶。県連の園田昭憲会長は「今後、様々な団体から支援を頂くうえで大変な意義がある。感謝したい」と謝辞を述べていた。
ニッケイ新聞 2012年3月9日付け 【群馬県太田市発=池田泰久通信員】「私の人生にとって、挑戦の日々だった。日本の教育現場が抱えるさまざまな問題に触れることができた」――。昨年7月から群馬県内の公立小中学校や外国人学校で、ブラジルにルーツを持つ児童・生徒や保護者らに心理カウンセリングをしてきたブラジル人心理学者カーラ・バホスさん(40、パラナ州パラナヴァイ市出身)は、そう充実感をにじませる。10日の帰伯前に、9カ月の研修成果を聞いた。 「日本の教育では、子どもの自律や環境への適応を重視する。一方、ブラジルでは親が子どもに干渉し、危険や困難から守るという考えが強い。そうした根本的な認識の違いから、教育現場ではさまざまな問題が起きている」と印象を語る。例えば、真冬日の体育の授業。日本の学校では、子どもたちは薄着の体操着で元気よく外に飛び出していく。しかし、一部のブラジル人の保護者にとっては、それが理解し難く感じる。そのため「うちの子だけは厚着をさせて」などと学校にクレームを言ったりして問題になることがある。カーラさんは、外国人児童の担当教諭らとともに、そうした親のとまどいなどにも耳を傾けながら、日本文化への適応や理解を促した。海外の地方自治体の職員らを日本の各自治体に派遣する総務省と財団法人自治体国際化協会の「協力交流研修員事業」の一環で昨年5月、来日した。日本語や日本文化について研修を受けてから、同県太田市の公立小5校とブラジル人学校2校で、児童・生徒、教員、保護者ら合わせて176人、計431件のカウンセリングに応じた。相談内容は、両親の離婚や別居などによる家族関係の悪化、家庭内暴力、学校への適応問題やいじめなど多岐にわたった。アルコール中毒の親から虐待を受け、自殺の危険性もあった女子中学生のカウンセリングも粘り強く続けた。同市のバイリンガル教員の日本人男性は「限られた期間に、外国籍の子どもたちの自尊心や勉強への意欲向上、学校と保護者間の関係改善などに力を尽くしてくれた。今後も長期滞在できるポルトガル語を母語にしたこうした専門家は不可欠で、学校側からの要望も強い」と話す。研修を通じて、日本のブラジル人の心理サポートにおける課題も分かったという。一つは、母国ブラジルで行われている心理療法や精神判定のノウハウの必要性だ。「例えば、日本語が分からないブラジル人の子どもや保護者に、日本式の心理、知能テストを用いても正確な診断はできないのではないか。すぐにでも再来日し、ポ語による診断方式の一式を持ち込みたい」と話す。同県の国際課では、「外国からの研修員が日本の各自治体の課題解決に参画するというのは、全国的にも先進的な事例。特にカウンセリング分野での受け入れはほかに例がなく、全国からも注目されている」としている。
県連(園田昭憲会長)は1日、文協ビルで行われた代表者会議の席で、「ブラジル日本都道府県人会連合会基金」の活動費補助金交付要網を発表した。 2012年度分に準備された基金の総額は5万レアルで、交付の対象となるのは、県連、県人会のほか、代表者会議で承認された団体。また、使用目的は福祉、文化、スポーツ、親睦、出版、交流などとしている。 補助金の交付額は申請額の80%を上限としており、交付を希望する団体は申請書を県連会長に提出しなければならない。なお、補助金は補助事業が終了し、その額が確定した後に交付される。申請書は代表者に手渡されたほか、県連の事務所に置いてある。山田康夫副会長は「できるだけ援助したい」と各県人会に積極的な活動を促した。 2012年3月8日付
安部順二連邦下院議員は1日、県連代表者会議の席で、フェスティバル・ド・ジャポンの運営費として10万レアルを寄付し、園田昭憲会長に目録を手渡した。 これは州政府の予算から安部議員の持ち分として補助を取り付けたもの。県連に対して同議員からの運営費の補助交付はこれが初めて。関係者によると、これ以外にも補助金を受ける可能性があるという。 2012年3月8日付
大阪沖縄県人会連合会の拠点である4階建ての会館が建設されたのは、1974年4月。前年の73年9月に着工し、沖縄県をはじめ大阪府、大阪市も資金援助を行い、当時の金額で約1億3500万円もの建設費用がかかっている。 同会館には2階の連合会事務所をはじめ、大正区沖縄県人会事務室、沖縄県系酒販会社及び民芸品店、琉球舞踊教室などのほか、テナントを第三者に賃貸している。1階入り口の左側には、第2代大阪沖縄県人連合会会長、大正区沖縄県人会長や(財)大阪沖縄協会理事長などを歴任し、同地域の発展に尽力した故・宮城清市氏の銅像も建立されている。 名幸祥夫事務局長の話では、連合会の活動は2月の新年会に始まり、6月の総会、7月第2日曜にこれまでは和歌山県高野山にある「沖縄戦戦没者高野山供養塔」への参拝が実施されてきた。しかし、近年になって県人高齢者が減少し、若い世代が参拝を行わない傾向にあり、「高野山とのつながりが切れた形」(名幸事務局長)となり、各人が個人的に先祖への供養を行っているという。 そのほか、大切な行事として阪神甲子園球場で春と夏に開催される全国高校野球大会の沖縄県代表を応援に行くことがある。「大正地区からはバス2台で応援に行きます」と名幸事務局長。事務所内には、2010年に春夏連覇を成し遂げた興南高校の記念ボールをはじめ、宜野座高校、嘉手納高校といった歴代出場高校の記念プレート(皿)などが所狭しと飾られていた。 さらに、連合会の行事ではないが、大正区とタイアップし青年を対象としたエイサー祭りが毎年9月、連合会館から道路を隔てて真向かいにある千島公園で開催されている。 特に今年は、沖縄の日本本土復帰40周年と大正区区制80周年を記念しての「大綱曳(ひ)き」も予定されている。大正区も同地の沖縄県人のイベントには積極的に協力しており、筋原(すじはら)章博大正区長自ら昨年10月の第5回世界のウチナーンチュ大会に参加したほどの熱の入れようだという。 連合会の問題点について名幸事務局長に質問すると、ブラジルの日系団体と同じように会員の高齢化を指摘した。「大正区の会員はまだ沖縄1世の血が濃いが、堺など他の地区にはナイチャー(沖縄県人以外の県人)の会員もいる。もっと若い人を取り込むために今年からウェブサイトの充実などインターネット設備を整え、各種データを記録していきたい」と名幸事務局長は今後の抱負を語った。(つづく、松本浩治記者) 2012年3月8日付
ニッケイ新聞 2012年3月8日付け 土曜日(10日) ブラジル和太鼓協会総会、午前9時、三重県人会館(Av. Lins de Vasconcelos, 3352, Vila Mariana)◎東日本大震災犠牲者一周忌慰霊ミサ、午前9時、サン・ゴンサーロ教会(Praca Dr. Joao Mendes, 108, Centro)◎自由メソジスト・リベルダーデ教会「夕光会」、午前9時、同教会(Rua Martiniano de Carvalho,...
ニッケイ新聞 2012年3月8日付け 日系3団体(文協、援協、県連)は、昨年実施した東日本大震災被災者への災害義捐金募金キャンペーンで設けた県連名義の口座を「継続的復興支援基金」として今後も募金活動を続けることを決めた。今月10、11日に挙行予定の犠牲者一周忌慰霊ミサと法要に関する会合が先月17日に開かれたさいに合意した。ブラジル日本商工会議所、日伯文化連盟を合わせた5団体として、日本赤十字社に367万レ弱を送金、昨年10月13日の送金をもって打ち切っているが、日本赤十字社が受け付ける今月末まで据え置かれる予定だった県連の口座を利用する。県連の園田昭憲会長によれば、基金に集まった浄財は今後日本赤十字社には送金せず「目に見える形での支援」に対して寄付する考えだ。「継続的復興支援基金」への募金は次の口座まで。【Banco do Brasil】ag. 1196-7 c.c. 29.921-9
ニッケイ新聞 2012年3月8日付け 「今のうちに残さなければ、移住してきた先祖の歴史がなくなってしまう」―。ブラジル沖縄県人会の与那嶺真次会長は、県系移民たちの足跡を残そうと各移住者家族子弟の家系図作りを開始している。世代が下るにつれて薄くなるウチナーンチュ意識を維持し、会員減少の歯止めにも期待をかけるプロジェクトになりそうだ。 47都道府県中、最大の県人会であり、「ウチナーンチュ大会」など母県との繋がりも強い。しかし、70年代の最盛期に4千人を数えた会員数も、一世の高齢化などで現在は2500人と減少の一途をたどる。親が会員でもその子供達は加入しない例が多い。「参加して何の得があるのかばかり考える傾向にある」と話す与那嶺会長は、会員減少の一因にウチナーンチュ意識の希薄さを挙げ、片手の指を広げ、次のように説明する。「船で海を渡った親指(一世)世代のことは、中指(三世)世代が生きているうち子孫に伝えられるが、亡くなれば孫の小指(五世以降)がルーツを辿る手がかりがなくなり、親指と小指の関係が断ち切られてしまう」総会後、44支部に配布した用紙には、市町村、船名、着伯年月日、配偶者の各家族の連絡先を記入する欄が設けられている。また、沖縄が中国と交易する際に名乗った『氏』、集住する一族の各家庭を識別するためにつけられた『屋号』、中華圏の国々で父系の血縁団体を指す『門中』など、沖縄ならではの情報も保存する。そのほか「配偶者の消息」欄を設け、婚約者の家系も合わせて記録していくほか、親戚の情報も入れ、県人子弟の追跡を容易にする工夫も。家系図作成と同時に、写真や日誌などの資料も移民資料館(昨年8月開館、ジアデマ市)に一度集め、コピーしたものを保管する。「1万枚ほど集められれば、研究者にとっても有用な資料となるのでは」。今後は5年ごとに再配布して、改定していく。データは今後立ち上げられるHP上でも見ることができるようになるという。与那嶺会長は「移住者一人一人の家族に歴史がある。それを後世へと伝えることは県人会の仕事であり責務。家系図とともに香炉の灰も順次集めていきたい」と強い意志をうかがわせた。
神奈川文化援護協会(永田淳会長)の定期総会が、18日午前9時半(第1次招集、第2次招集は午前10時)から聖市ビラ・マリアーナ区の同会館(Rua Major Newton de Feliciano,75)で開催される。 当日の議題は、2011年度事業・会計報告、12年度事業計画案・予算案の採択、訴訟問題経過報告、二宮金次郎プロジェクト部設立の件、役員改選、その他。総会終了後に昼食親睦会が行われる。 同会では「会計の不祥事でばらばらになってしまった会員の皆様に戻ってきていただいて、どうしたらあの楽しかった県人会を取り戻せるか、役員一同頭を悩ませております」とし、会員の参加を呼びかけている。詳細は同協会(電話11・5082・3141)まで。 2012年3月7日付
県人を支えた連帯意識と「頼母子」 今年、沖縄の日本本土復帰 40周年の節目の年を迎え、母県沖縄のみならず国内外に幅広く「琉僑(りゅうきょう)」とも言えるネットワークを構築しているウチナーンチュ(沖縄県人及び県系人)たち。昨年10月に母県で開催された「第5回世界のウチナーンチュ大会」では各国の人々が一堂に会し、交流を深めたことは記憶に新しい。日本の関西地域には、大阪沖縄県人会連合会(大阪市大正区、嘉手川重義会長)があり、同地域の県人会員を統括している。同連合会を中心に、関西で活動する人々に焦点を当てる。(松本浩治記者) JR大阪環状線の大正駅を下車、「鶴町4丁目」方面の大阪市内バスに乗車して六つ目の停車場にある大正区役所。同区役所前交差点を隔てて反対側の道路を2ブロックほど南に歩くと、「大阪沖縄会館」と書かれた大阪沖縄県人会連合会の4階建てビルが見えてきた。 同会館2階の事務室で応対してくれた名幸祥夫(なこう・よしお)事務局長(70)は、大阪で生まれた「沖縄県人2世」。長年、大阪市地下鉄の運営管理の仕事に就いていた。現在、ボランティアで連合会事務局長を務めており、「2年前までは(連合会傘下の)都島地区沖縄県人会長もやってたんやけどね」と流ちょうな大阪弁を話しながら気さくに答えてくれた。 同連合会は戦後間もない1946年4月に創立され、昨年65周年記念イベントが大々的に開催されたという。傘下団体は大正区をはじめ、西成区、住之江区、港区、此花(このはな)区、北区、都島区、中央区、西淀川区、堺の10地区の県人会と「在阪支社懇話会」の11支部から構成されている。 また、同連合会以外に兵庫、京都、奈良県などの関西地域にも県人会組織があり、その数は「把握しきれていない」(名幸事務局長)ほどだ。 連合会が所持する資料によると、沖縄県人は明治時代からハワイやブラジルなど海外に移住しているが、大阪に初めて県人が来たのは大正初期(1910年代)だという。その頃、木材(製材業)、鉄工業、紡績業などの工員に従事する人や自由労働者も多かった。当時の港区(現・大正区)には製材工が数多く、特に現在の連合会館にほど近い北恩加島(きたおかじま)町には、その頃の全人口の5分の2を沖縄県人が占めていたそうだ。 大阪の工業、商業、経済界の中で各種業務に従事する人がいる一方、独立経営する人たちも増えていった。そうした中、沖縄の人たちを支えたのは各地区に住む県人の連帯感と、県人同士による「頼母子講(たのもしこう)」だった。 戦時色が濃くなり、大阪在住の県人の家長たちの多くが徴兵。その留守家族救済のため各地区の県人会が最大限の努力を行ってきた。しかし、45年3月と6月に大阪は大空襲に見舞われ、県人出身者たちは米軍による地上戦で焦土と化した故郷・沖縄に帰ることもできず、戦後各地区の県人会を中心に団結していく機運が高まった。 こうして翌 年、全国的に沖縄県人連盟結成の動きが広まり、同年4月には大阪市中之島中央公会堂に各地区県人会役員や会員約3000人が集結。協議した結果、「南西諸島連盟」を結成し、「沖縄人連盟関西本部」「沖縄人連盟大阪本部」と改称を経て、52年5月に現在の「大阪沖縄県人会連合会」となった。(つづく) 2012年3月7日付
ブラジル・ニッポン移住者協会(小山昭朗会長)は東日本大震災の復興を願い、 11日から同震災犠牲者追悼植樹事業として「日伯・絆の森」づくりを実施する。 同事業は、震災犠牲者一人一人に哀悼を示す意味で犠牲者数と同じ1万9131本(亜熱帯雨林自然木苗木)の植樹を聖市立カルモ自然公園内で行い、昨年8月から聖州政府及び聖市などと交渉して今年2月29日にようやく植樹許可が下りたという。 事業の総経費は39万7000レアル。約2万本の苗木、整地、植樹及び植樹後の管理費用と同地での記念碑建設費が含まれる。50%は同協会の自己資金で運営し、残る50%の約20万レアルを企業、各基金、団体や一般個人などから募る。 また植樹する苗木は、イペー、クワレズマ、マナカなど大西洋沿岸森林地帯(マタ・アトランチカ)に生息する自然林約150種類に及ぶ。案内に来社した小山会長、河村武夫理事、大矢進貞事務局長は「東日本大震災から1年がたつが、日系社会からは義援金を集めただけで後世に残る事業を行っていない。犠牲者の方々のことを忘れないようにするためにも、この植樹事業にぜひ協力していただきたい」と広く一般への協力を呼びかけている。詳細についての問い合わせは同協会事務局(電話11・3276・9450)。Eメーsengoijyu@ig.com.br 2012年3月7日付
ニッケイ新聞 2012年3月7日付け 『第38回移民のふるさと巡り』(9月29日~10月4日)の参加予約がすでに始まっている。ブラジリア、サンルイス、アナポリスを訪れ各日本人会・文化協会との交流のほか、砂丘で有名な自然文化遺産、レンソイス・マラニャンセスを観光する。予約等の問い合わせはグローバル旅行社(11・3572・8990)まで。
ニッケイ新聞 2012年3月7日付け 文協、県連、援協の日系3団体が5日、日本女子サッカーユースのブラジルでの親善試合のため来伯した「あしなが育英会」の玉井義臣会長に50万円を寄付した。東日本大震災で親を亡くした子供達の心のケアをする施設「東北レインボーハウス」の建設・運営費用に充てられる。玉井会長は「復興は思いのほか進んでいない。被災した子供達、親、その周辺の大人達が傷ついているときに、貴重な浄財を有り難うございます」と謝辞をのべた。県連の園田昭憲会長は「コロニアでも継続的支援が必要なことを感じている。今後もことあるごとに、ブラジル社会やコロニアに対し支援を呼びかけたい」と話した。