07/03/2026

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ニッケイ新聞 2009年8月27日付け ブラジル熊本県文化交流協会(小山田祥雄会長)は九月十六日から十九日までキロンボ温泉旅行を実施するにあたり、参加者を募っている。九月十六日午後十時にリベルダーデ広場をバスで出発。キロンボ市で二泊し、十九日朝に現地を出発し正午過ぎに着聖する予定。ゆったりと温泉を満喫するほか、カラオケなどのレクリエーションも企画されている。案内に来社した小山田会長は、「皆で楽しい旅行にしましょう。ぜひ参加して下さい」と呼びかけた。費用は三百十~三百六十レアル(部屋割り等で異なる)。申込み・問い合わせは同協会(電話=11・5084・1338)まで。
ニッケイ新聞 2009年8月27日付け 沖縄古武道神武会ブラジル支部(フラビオ・ビセンテ・デ・ソウザ支部長)は三十日午後三時から沖縄県人会館(トマス・デ・リマ街72)で「第二回沖縄空手・古武道演武会」を開催する。案内のためフラビオ支部長、仲村渠清徳実行委員長と、同演武会参加のため来伯した石橋満雄氏(沖縄小林空手古武道重礼館道場館長、福岡県柳川市)が本紙を訪れた。十歳で空手を始めたフラビオ支部長は、九一年に沖縄空手の新里善秀氏に弟子入り。その後古武道の習得も始めた。九七年から五度訪日して研鑚を積み、〇七年に神武会ブラジル支部を開設。消防士の仕事の傍ら、指導にあたっている。〇七年以来二度目となる今回の演武会では、同支部の生徒二百人とブラジル国内の空手道場の生徒らが参加し、演武を披露。琉球民謡協会、斉藤悟琉舞道場、城間和枝琉舞道場、和太鼓グループ喜楽も出演する。石橋氏は沖縄小林流空手協会教士八段、沖縄古武道連盟教士七段。フラビオ支部長とは十二年来の交流がある。ブラジル訪問は〇七年以来二回目。伯国の生徒について「本当の空手を教えようという意気込みを感じる。弟子も礼儀正しく、純粋に取組んでいる」と評価する。当日も演武を披露する予定だ。「沖縄文化継承のため、立派な演武を見せたい」と抱負を語るフラビオ支部長。仲村渠委員長も、「めずらしい武道の世界と、舞踊や民謡などを楽しんでほしい」と来場を呼びかけた。午後七時ごろまで。入場券は十五レアル。沖縄県人会(11・3106・8823)、Mercearia Nihon Hin Produtos Japoneses(2942・8096、ビラ・カロン)で取り扱っている。当日会場でも販売する。
ニッケイ新聞 2009年8月27日付け 「後世に残したい」――。日系農業の功労者を称える山本喜誉司賞選考委員会(高橋一水委員長)は二十二日午後から、『山本喜誉司賞のあゆみ』(藤井剛三編纂委員長)発刊式典を、リベルダーデの文協ビル貴賓室で開いた。文協国士舘での資料焼却事故という厳しいスタートだったが、四年越しの発刊に、歴代受賞者や来賓、関係者約百四十人が集まり喜びの声をあげた。また、故山本博士の次男坦カルロス氏や孫、ひ孫も駆けつけた。 「農業の神様と言われてきた日本人の歩みを残し、次世代に繋げたい」との選考委員会の強い願いのもと、日ポ両語で書かれた四百一ページの大著は、この日出席者全員に配られた。編纂開始後に歴代受賞者の資料が焼却処分されていたことが発覚、「これほど大変だとは思わなかった」と委員も洩らすほど困難を極めた編集だが、無事に昨年第三十八回まで全受賞者百二十四人の功績が山本博士の略歴、コラム、エッセイ共に一冊にまとまった。杓田美代子副委員長は、「同品種で受賞した方の功績を時系列で並べれば、ブラジル農業の発展も読み解ける。日系人がいかに貢献したか一目でわかる」と胸を張る。式典であいさつに立った木多喜八郎文協会長は、「歴史的出版」と位置付け、高橋委員長は「焼失した資料を一から集めるのは大きな努力が必要だった。子やお孫さんの協力のおかげ」と感謝を表し、「今、まとめなければ日本人の貢献が歴史から無くなってしまっていただろう。次世代にも勧めて」と語った。また藤井編纂委員長は、「若い日系農業者が技術革新を続けてブラジル農業を発展させ世界の食糧事情を明るいものにして欲しい」と思いを述べた。千坂平通JICAサンパウロ支所長、松尾治百周年協会執行委員長、森口イナシオ援協会長、与儀昭雄県連会長、近藤四郎農拓協会長、新留静コチア青年連絡協議会長、吉岡黎明救済会会長ら多くの来賓が訪れた。式典後、第一回受賞者の故柿原義治さんの娘、小田エルザさんに高橋委員長から記念品が贈られた。カクテルパーティーに移って乾杯。一九八一年受賞の杉本正さん(92、北海道)は、「家族を養うために一生懸命やっただけ。おまけにこの賞まで頂き、記念史として残って嬉しい」と顔を綻ばせた。なお、式典で行われた鈴木孝憲、荒木克弥両氏による記念講演会の内容は後日報じる。
沖縄県人会(与儀昭雄会長)は、昨年の移民百周年記念事業の一環として、かねてからの念願だった移民資料館の落成式を九月五日午前十一時からジアデーマ市にある沖縄文化センター(セッテ・デ・セッテンブロ通り一六七〇番)で開催する。同資料館建設にあたっては、母県側から贈られた約四千万円と伯側で集められた寄付金の総額約百三十万レアルが予算として集められ、現在、同センターでの建設が急ピッチで進められている。資料館には、全会員の名簿と家計図がコンピュータ入力されるほか、同館前の記念プレートには、沖縄県出身の笠戸丸移民の名前が刻み込まれる予定。県人会では今後の史料の充実をはかっていく考えだ。 県人関係者の説明によると、当初は「移民記念塔」という形で建設を行ない、世界を結ぶ架け橋を意味する「万国津梁(しんりょう)の鐘」を設置する考えだったが、予算の関係などで「資料館」として母県にも資金協力を求めることになったという。 資料館の予算は、約百三十万レアル。母県から約二千万円、市町村と一般企業から一千万円ずつの計四千万円が寄付され、ブラジル側で残り分が集められた。 資料館は、横長の建物の前に、沖縄県旗を象徴する記念碑が造られ、その中の記念プレートに一九〇八年に渡伯した沖縄県人の第一回笠戸丸移民三百二十五人の名前と、県人会現役員の名称が刻まれる予定。 さらに、資料館には、笠戸丸移民をはじめ沖縄県人会員たちの名簿をコンピュータ入力してデータ化し、それぞれの家計図を作成することも考慮されている。 また、昨年のブラジル沖縄県人移民百周年の際に除幕された「夫婦の像」の場所に、国頭村から寄贈の「万国津梁の民記念碑」を建立し、その右側には「夫婦の像」に新しく土台(高さ六十五センチ)を設置して改めて建てられるという。 そのほか、センター入り口付近の沖縄島をかたどった池沿いには、「沖縄移民発祥の地」と称される「金武(きん)町」から寄贈の移民記念石碑も設置され、それぞれに九月五日の落成式に除幕される。 落成式には、沖縄県人会関係者をはじめ、母県からの寄付集めに尽力した西原篤一沖縄ブラジル協会会長や、儀武剛(ぎぶ・つよし)金武町長の出席も予定されている。 与儀会長は、「今のところ資料はそれほど無いですが、今後は移民の歴史を中心に揃えていきたいと思っています。移民した人たちの名前と家計図をコンピュータ入力することによって、沖縄から移民した人たちの誰でも見ることができるメモリアになると思います」と述べ、史料の提供を求めている。 詳細に関する問い合わせは、同県人会事務局(電話11・3106・8823)まで。 (写真=沖縄移民資料館完成予想図) 2009年8月26日付
ニッケイ新聞 2009年8月26日付け ブラジル北海道協会(木下利雄会長)は三十日午前十時から、同協会会館(ビラ・マリアナ区ジョアキン・タボラ街605)で道人移住九十周年、同協会設立七十周年、並びに新会館竣工十周年を祝い、記念式典及び祝賀会を開催する。式典には日本から高橋はるみ知事や慶祝団ら、約三十人が来伯する。昨年、北海道から雪だるまを届けた安平町の早来雪だるま郵便局の真保生紀局長(当時)も一年ぶりに来伯する。午後一時からは来伯中の歌手井上祐見さんのショーがあるほか、サンバショー、YOSAKOIソーランや舞踊なども披露される。また、八十歳以上の北海道出身者に対して、高齢者表彰も行われる。問い合わせは同協会(電話=11・5084・6422)まで。
ニッケイ新聞 2009年8月26日付け 宮崎県県人会創立六十周年式典出席のため来伯した東国原英夫宮崎県知事、中村幸一県議会議長、津村重光宮崎市長夫妻らが二十四日、ブラジル日本語センター(谷広海会長)を訪れ、歓迎会が催された。日伯保育学園(OEN)やたんぽぽ学園、日伯のびる学園などから教師や生徒ら百四十二人が駆けつけ、伯国と日本両国の旗を振り、賑やかに出迎えた。県人会理事を務める谷理事長の案内で、一行はセンター内を見学。理事長がパンフレットを用いて同センターでの研修内容やJICAの日本語教師研修制度について説明し、東国原知事は頷きながら熱心に聞き入っていた。センター内に展示された書道や絵画作品にも目を留めた。知事は講堂で行われたあいさつの中で、「日本語は美しい言語の一つ。日本語をきちんとしゃべることは難しいが、よく学び日伯の交流の架け橋になってもらいたい」とエールを送った。「私の日本語は早すぎるかもしれない、皆さん理解できていますか」と会場に集まった日本語クラスの生徒らを気遣う場面もみられた。教師代表の柳澤源子さんから、知事へ花束が贈呈された。過密スケジュールの中四十分程の短い訪問となったが、知事は出迎えた人に声を掛けるなど細かな気配りを見せ、訪れた人たちを喜ばせた。ニッケイ新聞に対し「ダイナミックで、成長の力を感じた」と伯国の印象を話し、「日系社会には温かみを感じる。日本人のルーツを持ってがんばってきたのが分かった。親しみを持って尊敬を示したい」と誠意を込めて語った。
東国原知事 県出身者を訪ねる 谷広海氏、黒木巳知治氏を激励 滞伯中の東国原英夫宮崎県知事、中村幸一県議会議長、津村重光宮崎市市長夫妻は二十四日午後、同県出身の谷広海氏が理事長を務めるブラジル日本語センターを訪問した。 近隣の日伯保育学園(OEN=中原啓子園長)、のびる学園(志村マルガレット園長)、たんぽぽ学園(串間薫シルビア園長)の園児や生徒ら約六十人と、約四十人の日本語教師らが駆けつけ、知事一行を笑顔で出迎えた。 谷理事長の案内で施設内を一巡した一行は、センターの事業内容や伯国の日本語教育事情について説明を受け、掲示の生徒作品などを興味深そうに見て回った。 その後、講堂に場所を移し、知事は日本語学校の生徒や教師を前に、「日本語は世界でも美しい言語のうちの一つ。この調子でぜひ日本語を勉強し、日伯の架け橋となってもらいたい」と挨拶した。 得意の話術で場内を沸かせた知事は、記念撮影の要望が絶えず、あちこちで引っ張りだことなっていた。そのためか、約半時間という短時間の訪問ではあったが、「元気なセンター」と印象を語り、「ブラジルは人が温かくダイナミック。今後、成長する国だと思った」とコメントしセンターを後にした。 東国原知事のブラジルにおける最終スケジュールとなったKTYエンジニアリング社訪問。 日本語センターを後にした東国原知事一行は午後二時二十分、同社に到着した。 社長で宮崎県日向市出身の黒木巳知治さんが出迎え、まず同社多目的ホールで黒木社長による会社概要説明が行われ、社員四百人でブラジル石油公団のペトロ・ブラスや紙パルプのセニブラ社等、国内大手企業にプラント設計図を供給しているブラジル有数のエンジニアリング企業であることが紹介された。 続いて東国原知事の挨拶が行われ、その後黒木社長の実兄である黒木彗県人会長からも同社についての補足説明が行われた。 口頭による会社説明の後、設計の現場を見学した知事はビルの五階から十二階までにびっしりと設置された設計用のコンピューター機器に「今やドラフターで線を画いたりせず、全てコンピューターで設計図を作成してしまうんですね」と驚きを隠さなかった。 (写真=子どもたちの歓迎を受け、記念撮影に応じる知事一行/黒木社長から(右端)設計の現場を説明をされる東国原知事(右から二番目)) 2009年8月25日付
 宮崎県人会創立六十周年式典に出席した東国原英夫知事。「二十七時間かかったが、県人の方に『当時は船で四十日も五十日もかかった』と聞き、言葉を飲み込んだ」とあいさつで笑わせた。祝賀会の途中、しばし姿を消したので、長旅の体を休めているのかなと思っていたが、氏のブログ(ネット上の日記)「そのまんま日記」を見ると、その際に更新していたよう。県人会の歓待に「感謝、感激、恐縮」との感想も。 ◎  式典の前日二十二日、宮崎県人会で記者会見を行なった東国原知事。共同通信・名波正晴記者の質問に、「任期はあと一年半弱ある。今は県政にまい進し、地方から国を変えるとの志を新たにしている。(来年の参院選出馬も)ありません」と述べ、国政への転身をあらためて否定した。知事は自民党から衆院選への出馬を要請され、条件を提示した経緯がある。会見の司会を務めた谷広海理事は、「え? もう一度言って下さい」と聞き直し、母県での活躍を再確認。
約500人がお国訛りで佳き日を祝う ブラジル宮崎県人会(黒木慧会長)は二十三日、聖市ビラ・マリアナ区の北海道協会会館において県人移住九十五周年および県人会創立六十周年記念式典を開催した。東国原英夫知事、中村幸一県議会議長、津村重光宮崎市長、住吉昭信宮崎大学学長、徳永哲也宮崎ブラジル親善協会理事らをはじめとする母県からの慶祝団三十一人のほか、大部一秋在聖総領事夫妻、ウイリアム・ウー連邦下議、神谷牛太郎、羽藤ジョージ両聖市議、与儀昭雄県連会長、木多喜八郎文協会長、森口イナシオ援協会長らの来賓、県人会会員および関係者ら約五百人が参席した。 高齢者63人の表彰も 式典に先立って午前九時半から、神式による物故者慰霊祭が執り行われ、南米大神宮の逢坂和男宮司が祝詞(のりと)を読み上げると、東国原知事、中村議長、津村市長、住吉学長、大部総領事夫妻、黒木会長ほか来賓および県人会関係者らが、参席者を代表して玉串を奉納した。 同十時から始まった式典では、日伯両国国歌斉唱の後、黒木会長があいさつに立ち、一九一四年、川南町出身の甲斐長蔵氏に始まった県人移住者はその後、戦前戦後を合わせて三千百六人におよび、現在その子孫は一万四千人に達するとし、「今から六十年前、二十四人の先輩たちが集まり『宮崎弁で語ろうや』ということで県人会が始まった」と振り返った。 さらに、在伯県人の高齢化が進んでいることなどから県人会活動も厳しさを増しているとしたうえで、「現在まで県人会が日伯交流に培ってきた事業を省みるとき、将来へ向けてそのともし火を消してはならない。宮崎にルーツを持つ者の子孫が、このブラジルの大地に宮崎の血を忘れず、日伯交流に努め、ブラジル発展に寄与することが、ひいては母県の恩義に報いることになる」と述べた。 東国原知事は祝辞で、「懇親会などの場で『てげてげ』『よだきい』などの宮崎弁が飛び交い、宮崎の言葉がブラジルで息づいているということに感動を覚えた。皆さんと同じ、ルーツは宮崎にあるんだなと感銘させていただいた」とし、「三世、四世ともなると日本あるいは宮崎県とのつながりが希薄化していくと聞いた。これを県人会の方々は憂いており、文化、風習、言語を若い世代に残していきたいと強く願われている。県としても県費留学生や農業研修事業などを通し、県と同県人会の絆が深まるようにこれらの事業を継続していかなければいけないと強く思った」と述べた。 式典では、県知事からの表彰として県事業特別功労者(故人二人)、県事業功労者(二十四人)、県事業功労団体(三団体)、高齢者表彰(六十三人)、また県人会からの表彰として県人会発展特別功労者(九人)、同発展功労者(七人)への表彰式が行われたほか、宮崎県農業協同組合中央会から県人会への寄付金贈呈、県訪問団から日系福祉三団体(やすらぎホーム、憩の園、こどものその)への金一封贈呈などが行われた。 また、宮崎大学とサンパウロ大学農学部が学術協定で合意し、宮崎大学は今後、南米との交流を活発に行っていくことが発表された。 (写真=式典には東国原知事をはじめ多くの来賓が参席した/知事から高齢者表彰を受けるお年寄り) 2009年8月25日付
ニッケイ新聞 2009年8月25日付け 宮崎県人会(黒木慧会長)は二十三日、北海道協会会館で同県人会創立六十周年並びに、同県人移住九十五周年の記念式典(吉加江ネルソン実行委員長)を行った。全伯から会員が駆けつけ出席者は約六百五十人にのぼった。母県からは元お笑いタレントの東国原英夫県知事、中村幸一県議会議長、津村重光宮崎市長、住吉昭信宮崎大学学長など三十二人からなる慶祝団が駆けつけ式典に花を添えた。県人物故者慰霊法要や祝賀会が行われ、留学生OBと県知事が触れ合う姿も見られた。 式典には大部一秋在聖総領事、ジルベルト・カサビ聖市長代理の神谷牛太郎市議、ウィリアン・ウー連議、与儀昭雄県連会長など多数の来賓が出席した。高橋久子県人会副会長の開会の挨拶で式典が始まり、日伯両国歌を斉唱した。黒木会長は挨拶の中で、「六十年前、二十四人の先輩達が集まって、宮崎弁で語ろう、ということで始まったのが県人会」と述べ、「会では高齢化が進み、若者が日本へ出稼ぎに行くなど、(県人会は)厳しい状況だが、これからも母県との繋がりを強めていきたい」と挨拶した。続いて、日伯両国から祝辞が披露された。大きな拍手で迎えられた東国原県知事は、前日に移民史料館を訪問したことに触れ、「先人の苦労を目の当たりにし、改めて尊敬、感謝する。ブラジルと宮崎との絆を県費留学生などで強くしていきたい。六十周年がお互いの橋渡しとなれるよう祈念したい」と祝辞を贈った。ブラジル側からは、与儀会長が「県人会の将来を考えると、留学生は大切。日伯交流が盛んになるよう県連も努力していきたい」と述べた。祝電披露の後、県人会から株式会社ホンダロックの浦野勝雄代表取締役社長ら母県側功労者七団体へ感謝状が贈られた。県知事から県事業特別功労者や県事業功労団体などへ記念表彰に続き、高齢者表彰受賞者六十三人に対しては、当日参加した十七人の一人一人に、知事から賞状と記念品が手渡された。受賞者を代表して井上正夫さん(83、児湯郡出身)は「知事より高齢者に対して、ざっくばらんな姿で愛情溢れる言葉をいただき、県民の一人として幸せ」と謝辞を述べた。また、県費留学生・技術研修員謝辞として桐野リカルドさん(25、二世、国立都城工業高等専門学校で研修)は、「宮崎弁、日本文化など、学校では学べないものを習った。祖父母の故郷が分かり、勉強だけでなく人生経験を積み大切な時間を過ごした」と謝意を表した。県人会から県知事及び訪問団一行へ、県知事から県人会へそれぞれ記念品が贈呈された。また、訪問団から日系福祉三団体へ金一封が贈呈された。続いて、宮崎大学(住吉学長)とサンパウロ総合大学農学部(城田リカルド教授)との学術交流協定が結ばれた。祝賀会が午後一時から行われ、六十周年を記念したケーキを津村弘子宮崎市長夫人、吉加江紀子・式典実行委員長夫人がケーキカット。来賓一同による鏡割りに続き、中村議長の乾杯で祝賀会は始まった。東国原知事は自ら各テーブルに出向き挨拶、参加者らはサインや記念撮影を求めたりと、常に知事の周りには人だかりができていた。その後、舞踊やカラオケ、サンバショーなどが行われ、午後五時、盛会のうちに閉会した。
宮崎県人会主催による「宮崎県南米移住史ポルトガル語版」出版記念会が二十五日午後七時からサンパウロ市リベルダーデ区リベルダーデ大通り三六五番のACALリベルダーデ商工会館で開催されるにあたり、同県人会では関係者の参加を呼びかけている。 問い合わせは電話(11)3208・4689、E―メール=miyazaki@nethall.com.br
宮崎県人会(黒木慧会長)創立六十周年記念式典が、二十三日に聖市ビラ・マリアーナ区の北海道協会会館で開催されるにあたり、慶祝団として母県から東国原(ひがしこくばる)英夫宮崎県知事一行が来伯して出席する。 同県知事一行は、翌二十四日午後一時半頃、同区マノエル・デ・パイヴァ街四五番にある日本語センター(谷広海理事長)を訪問するとして、センターでは一般の来場・歓迎を呼びかけている。 同県知事は、元お笑いタレントで、日本国内でも人気があり、センターでは「一般でご関心がある方は、日本語学校の生徒さん、先生方と一緒に歓迎していただければ、県知事もお喜びになるかと考えています」と話している。 詳細に関する問い合わせは、同センター(電話11・5579・7337)まで。
ブラジル青森県人会(玉城道子会長)は、築三十年で老朽化した同会館の補修工事を行うための募金活動を実施している。 工事は二〇〇九年九月から年内いっぱいを予定し、トイレの雨漏りの補修、通路の拡張、バリアフリー化に向けた手すりやスロープの設置を行う。 総工事費は三十三万一千レアルで、うち十二万千レアルに募金を充てる。募金は一口二十レアルから。玉城会長は「出来るだけ多くの皆さんからの協力を」と呼び掛けている。 振込先=ブラジル銀行001-3324-3-458821-5 Associacao Aomori Kenjin do Brasil 問い合わせ=電話、FAX兼用11・3207・1599まで。 (写真=渋川さん、玉城会長、近澤さん(左から)) 2009年8月21日付
岩手県人会(千田曠曉会長)は十二日、同県人会会館で岩手県立盛岡農業高等学校海外派遣団十人の歓迎会を行なった。同県人会関係者ら三十人が駆けつけ、故郷話に花を咲かせた。 一行は、一八七九年に開校した同校の創立百三十周年記念事業としてパラグアイを訪問、農業研修や地元高校との交流を体験。イグアスに入ることを知った千田会長の呼びかけで、サンパウロ地区の研修も追加。セアザの卸市場やブラジル日本移民史料館の見学を行なった。 将来の農業スペシャリストを育成する同校だけあって、生徒の農業への関心も非常に高く、「大規模農業経営が学べて勉強になった」という感想が多く聞かれた。 酪農を学んでいる藤原栄美さん(一六)は、「日本で大型機械とされているものが、こちらでは小型機。市場の果物も大きかった」と、スケールの違いに驚いた様子だった。 吉田吏樹さん(一七)は、「同世代の人たちと日本語で交流できた。剣舞も見せてもらえて楽しかった」と振り返り、「サッカーも見たかった」と、サンパウロ半日間の滞在を少し惜しんでいた。 引率した藤本正彦先生(四一)は、「五十年前までは農業高校で海外移住の歴史も学ばれていた」とし、「今回の経験を自分のものにして農業に理想や希望を持って取り組んでほしい」と、要望していた。 同郷の先輩に囲まれて昼食をとりながら、終始和やかに歓談。歓迎の礼には、普段から練習している郷土芸能「さんさ踊り」、校歌斉唱、応援歌が披露された。また、応援団長を務める上野健人さん(一六)によるエールでは、「フレフレ岩手、フレフレブラジル」の声に感極まる参加者の姿も見られた。 参加者を代表して菊地義治同県人会名誉会長が、「自分の可能性を信じて、岩手県人の度胸、能力を発揮していって」と、帰国の途に着く一行を笑顔で送り出していた。 (写真=同郷の思い一つに) 2009年9月20日付
年々増す賑わいに関係者感慨 沖縄県人会ビラ・カロン支部(知花ルイ支部長)主催の第七回おきなわ祭りが、十五日正午から聖市マンチェスター区のハロルド・ダルトロ広場で開催され、昨年の二万五千人を上回る約四万人(主催者側発表)が詰めかけ、盛況を博した。聖市の公式カレンダーにもなっている同イベントは、来年は二日間にわたって行なわれることがすでに決定しており、今後さらに拡大路線を歩みそうだ。 会場では、ラジオ体操を皮切りに、空手、琉球民謡・舞踊、エイサー太鼓、獅子舞、歌謡ショーなど二十九の演目が特設舞台上で披露。また、約六十のバザリスタも出店して「沖縄県人会版フェスティバル・ド・ジャポン(日本祭り)」といった様相を呈し、午後四時の時点で場内がまともに歩けないほどの人々で賑わった。 地元ビラ・カロン支部の長浜清美婦人会長の説明によると、午後四時の時点で十五キロ分用意したサーターアンダギー(揚げ菓子)が売り切れの状態で、十三日から準備した七百食分の沖縄ソバも午後七時には完売していた。 また、サン・マテウス支部では恒例の「ヒージャー(ヤギ)汁」づくりのために、当初の八頭から十頭に増やしてヤギを使ったという。 午後七時から舞台上で行なわれた式典には、飯星ワルテル下議、高橋カルロス聖市長代理、神谷牛太郎市議、羽藤ジョージ市議、清水オリジオ・レアル銀行取締役、聖市観光局関係者ら来賓が揃いの赤色のハッピを着て出席した。 あいさつに立った知花支部長は、聖市の公式行事となっている「おきなわ祭り」の大切さを説いた上で、「我々ウチナーンチュがブラジル人と一緒に日本とブラジルをつなげる、これだけの祭りを開催することができたのも多くの人たちの協力のお陰」と感謝の意を示し、「『いちゃりば・ちょーでぃ(会えば、皆兄弟』の精神でこれからもやっていきたい」と述べた。 引き続き、あいさつを行なった上江田エドワルド実行委員長は各方面関係者に対して「オブリガード(ありがとう)」を連呼。今後も同祭を一緒に続けていくことの大切さを強調した。 毎年同祭に足を運んでいるという地元ビラ・カロン在住の山内幸寿(こうじゅ)さん(六九)は、「ピンガを飲んで、ヒージャーも食べた」とし、「こういう機会があることは本当に楽しい」と満足げ。 午後二時頃から会場に来たというサント・アンドレ支部長の糸洲(いとす)三郎さん(七二)も、ブラジル産泡盛とビールを飲みながら充実した表情を見せていた。 (写真=約四万人の来場者で賑わった会場/式典であいさつする知花支部長(中央)) 2009年9月20日付
ニッケイ新聞 2009年8月22日付け ブラジル宮崎県人会(黒木慧会長)は県人移住九十五周年と県人会創立六十周年の記念式典を、二十三日午前十時から北海道協会会館(ジョアキン・タボラ街605)で行う。式典に先立ち午前九時半から先没者慰霊法要が営まれる。母県からは、元お笑いタレントの東国原英夫知事や、県議会議長、慶祝団などが来伯。式典後は祝賀昼食会、芸能祭が行われる。問い合わせは同県人会(電話=11・3208・4689)まで。 東国原知事が=日語センター訪問=24日 ブラジル日本語センター(谷広海理事長)は、東国原英夫宮崎県知事が二十四日午後一時半に同センターを訪問するにあたり、歓迎会を開く。日本語学校の生徒や教師たちが参加し、知事への記念品贈呈や記念撮影が行われる予定。丹羽義和事務局長は、「短い時間の来訪ですが、できる範囲で歓迎したいと思っています。ご関心がある方は日本語学校の生徒さん、先生方と一緒に歓迎しましょう。知事も喜ばれると思います」と一般の参加を呼びかけている。問い合わせは、同センター(電話=11・5579・6513)まで。
ニッケイ新聞 2009年8月21日付け ビラ・カロン沖縄県人会(知花ルイ会長)主催の「おきなわ祭り」(上江田エドアルド実行委員長)が十五日、聖市東部の同支部会館前運動場で開催された。七回目の今年は約三万人が訪れ、県人移民百周年を祝った昨年にも劣らない賑わいを見せた。同祭りは来年から、二日間にわたって開催されることが決まっている。 聖市の公式行事に定められている同祭りは、今年も設備、音響などを市やサンパウロ・ツリズモなどが援助。会場には沖縄の郷土料理など、各支部を中心に約六十の屋台が並び、終日混雑する盛況を見せた。名物のヤギ汁(ヒージャー汁)を販売したサンマテウス婦人会(安里勝子会長)は、前日から十頭分の肉を用意。県系ばかりでなく、興味深そうに質問する非日系ブラジル人の姿も見られた。「食べたことがないから敬遠するけど、味見して『おいしい』って言う人もいますよ」と話すのは、同支部の高嶺ケイ子さん。カウンターで接客に大忙しの様子だ。地元カロン婦人会(長浜清美会長)による沖縄そばも人気の品。今年は約七百杯を用意した。トリガラと豚骨から取る出汁は、二日前から準備してきたという。昨年の祭りでは、沖縄県人ブラジル移民百周年記念の祝賀パレードが支部会館前の道路で行われたこともあり、一日で三万人以上が訪れた。今年も午後から次々と来場者が増え、夕方ごろにはまっすぐ歩けないほどの賑わい。後援の聖市やサンパウロ・ツリズモなどからの依頼もあり、来年からは土・日の二日間開催することが決まっている。「天気に恵まれ、昨年と同じくらいの人が来てくれた」と喜ぶ知花会長は、「婦人会や関係者の皆さんのおかげ」と語り、さらに「来場者が沖縄の文化に触れ、皆で楽しめることを子孫として誇りに思う」と話す。会場中央の特設舞台では正午過ぎから、沖縄の芸能を中心に約三十の演目が次々と披露された。ラジオ体操、合同演奏で開幕。その後も民謡、舞踊、古武道、歌のほか、エイサー太鼓、空手など百人以上の規模で繰広げられる迫力ある演目に、来場者たちから大きな拍手が送られていた。祭りの原点、盆踊りも二回行われ、炭坑節などの曲が流れる中、日系非日系を問わず踊りの輪が二重三重に広がった。当日はウィリアン・ウー連邦下議や西本エリオ聖州議なども来場。午後七時ごろから行われた式典には飯星ワルテル下議や後援のレアル銀行から清水オリジオ取締役、神谷牛太郎、羽藤ジョージ両市議、サンパウロ・ツリズモ理事など多数の来賓が訪れた。上江田実行委員長は役員、関係者、そして来場者に大きな感謝を表わし、「ぜひ来年も来てほしい」と呼びかけた。式典後も祭りは続き、午後十一時ごろ、全員参加のカチャーシーで閉幕した。▽   ▽沖縄県人会の中で最大の会員数を有するビラ・カロン県人会。「おきなわ祭り」は二〇〇三年、知花良治支部長の時代に「夏祭り盆踊り大会」として始まった。「当時はあちこちで盆踊り大会をやっていて、私たちでもやろうと始めました」と振り返るのは、第一回目の実行委員長を務めた高安宏治さん(元支部長)。一年目の入場者は八千人ほど。カロン地区に沖縄系が多いこともあって二年目から「おきなわ祭り」と改称したが、入場者は一万五千人ほどだったという。「若い人たちが一生懸命やってくれて、もう私たちの出る幕はないくらいですよ」と笑う高安さん。「すっかりゾナ・レスチの祭りとして、板につきました」と嬉しそうな表情を浮かべた。
ニッケイ新聞 2009年8月21日付け ブラジル岩手県人会(千田曠曉会長)は、創立百三十周年記念海外交流事業でパラグアイ訪問の後、来伯した岩手県立盛岡農業高等学校一行の歓迎会を十二日昼過ぎから同県人会館で催した。約三十人が参加した。同事業には二、三年生の橘拓真さん、川又健人さん、上野健人さん、佐藤遥さん、吉田吏樹さん、槻舘知香さん、藤原栄美さんの七人が参加し、引率の藤本正彦教諭、外川直美教諭、同市役所の吉田直美職員が同行した。今回の海外交流事業は同校初の試み。パラグアイではアスンシオン市やピラポ移住地を回り日本学校、農業高校を訪問。ピラポ岩手県人会を訪れ、県人宅でホームステイも体験した。ブラジル訪問中はイグアスの滝を訪れたほか、セアザや文協の移民史料館なども見学した。千田会長は「交流できて嬉しい。伯国の良さを日本でも伝えて欲しい」とあいさつし、一行を歓迎した。槻舘さんはピラポ岩手県人会を訪問した際のことを振り返り、「外国だけど、親戚の家を訪問したような温かい雰囲気を感じた。日系社会には安心感を覚える」と笑顔で話していた。酪農に興味がある動物科学科の上野さんは、肉牛が中心のピラポで酪農家を訪問したそうだ。「規模の大きさにびっくりした。日本じゃ真似できない」と感激した様子だった。この日は同校卒業生でブラジル在住の菊地透さん(66、岩手県水沢市)も訪れた。卒業後すぐに渡伯しトマト作りや牧畜に携わってきた菊地さんは、「直接海外に行き、自分の目で見ることは良い経験」と話す。自身の経験から、伯国の農業は日本のそれと全く違うと言い、「伯国農業に学べるところは大いにある。伯国でも、もう少しじっくりみてもらいたかった」と少し残念そうでもあった。国語を教える外川教諭は、さんさ踊りを指導していることから引率に。「海外の日系社会と交流を持つことは生徒にとって良い機会。刺激になったのでは」と話していた。懇親会の後、生徒らから太鼓演奏に合わせたさんさ踊りが披露された。応援団長を務める上野さんが先頭に立ち、伯国の日系人へエールが送られた。「先輩たちへ送ります」と校歌も斉唱された。菊地義治名誉会長から「岩手県人は海外へ出るほど能力を発揮する。世界にはばたいて下さい」と言葉が贈られ、歓迎会は終了した。
ニッケイ新聞 2009年8月20日付け 【既報関連】先月の中国・北九州集中豪雨で被害を受けた母県への義捐金を呼びかけている山口県人会に、着々とコロニアからの善意が届いている。同県人会では災害発生後、一日に緊急役員会を開催して義捐金の呼びかけを決定。先月のフェスティバル・ド・ジャポンで販売した郷土食の利益を第一回目として送ることを決めた。平中信行会長は、「青年部や婦人部など、協力してくれた人たちが賛同してくれた。尊いお金です」と話す。会長によれば、その後も県人会には二十人近くから義捐金が寄せられているという。同会では今月三十日まで義捐金を呼びかけている。詳細は電話(11・3208・6074、担当小林)まで。
ニッケイ新聞 2009年8月20日付け 国立大学法人滋賀医科大学・医学部看護学科・地域生活看護学講座の畑下博世教授と植村直子助教が七月二十一日から二十八日にかけて来伯した。畑下教授らは、同大学で四年間日系ブラジル人女性の健康問題をテーマに研究を進める。妊娠、出産、育児のサポートの充実を目指す。今回は、伯国の文化を知ることを目的に来伯。滞在中は日伯友好病院やサンパウロ大学看護学部などを訪問した。自身米国に二年間滞在し、異文化の中で住みづらさを体験したという畑下教授は、「異文化の中で言葉などの困難を伴いながら妊娠、出産、育児を行うのは大変。その苦労を少しでも軽減させていきたい」と話す。滋賀県では日系ブラジル人のサポートシステムが構築されていなく、通訳者がいるクリニックはあるものの数が少なく孤立していると懸念する。もっと行政サービスの活用を広めていきたいという。植村助教は、「精神的なケアも含めた異文化看護がどのようにあるべきか示していきたい」と力を込める。今年、日ポ両語で看護マニュアルの作成も予定している。畑下教授は、「日系人たちがどういう苦労を経て、今日のシステムを作り上げたのかに気が付いた。そこには住み易さがある」とブラジル訪問の感想を語った。植村助教も、「日系人のこの土地で築いてきた歴史、強い意志を感じた」と話していた。