ニッケイ新聞 2009年2月11日付け 沖縄県人会(与儀昭雄会長)は十五日午前十時半(第二次招集)から同会館(トマス・デ・リマ街72)で二〇〇九年度定期総会を開く。主な議題は〇八年度事業・収支報告および〇九年度事業計画・予算案審議、役員改選など。問合わせは同会(11・3106・8823)まで。
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ニッケイ新聞 2009年2月11日付け ブラジル広島文化センター(大西博巳会長)は十五日午前十時(第二次招集)から同会館(タマンダレー街800)で二〇〇九年度定期総会を開く。主な議題は〇八年度事業・会計報告および〇九年度事業計画・予算案審議、役員改選など。総会終了後、新年会を催す。問合わせは同会(11・3207・5476)まで。
ニッケイ新聞 2009年2月11日付け 福島、茨城、福井、和歌山、島根、熊本の各県人会は〇九年度定期総会で役員改選を行い、新役員を選出した。各会新役員の氏名は次の通り。▼【福島】会長=小島友四郎、副会長=(第一)大竹輝和、(第二)遠藤勝久、(第三)秋元たかお、(第四)木村カチア▼【茨城】会長=小林操、副会長(第一)黒沢儀人、(第二)鈴木康夫▼【福井】会長=志田茂夫、副会長=石津黎子、西川修治、佐々木則一、会計=川崎省三、野中エリザ、書記=柴田イナシオ、西村純子▼【島根】会長=古田川英雄、副会長=浜野稔、福間エジソン、池田好史、会計監査=宮村径行、馬庭得夫、福島パウロ▼【和歌山】木原好規会長以下、全役員留任▼【熊本】小山田祥雄会長以下、全役員留任
ニッケイ新聞 2009年2月11日付け 二百年以上前に製作されたと思われる三線(沖縄三味線)がこのほど、沖縄県人会の調査により見つかった。初期の沖縄県人移民がブラジルに持参したもの。県人会資料の記述から琉球王朝時代の作と見られ、本物なら貴重な発見だ。現在は他の県人子孫が保管するこの三線。夜毎、ひとりでに音色を奏でたとも伝えられている。 きっかけは昨年十一月、「写真で見る県人移民百年史」編纂のため宮城あきら委員長、大城栄子委員たちが昔の資料をあたっていた時、県人会発行の会報「協和」五十四号(一九六六年五月)に一つの文章を発見したことに始まる。協和婦人会第三代会長を務めた故新城スエ子さんが、「霊魂は生き通し」と題した文章の中で自宅にある「不思議な三線」について書いた一文だ。そこには、県人移民の親川徳太郎氏(故人)の家に代々伝わり、同氏が渡伯時に持参したその三線が、琉球王国時代の名音楽家、知念績高(一七六一~一八二八年)の愛用したものであると記されていた。文章にはまた、移住後の生活の中で親川氏が三線を他人に譲ったところ、ある夜袋の中でひとりでに鳴り出し、再び親川氏のもとへ戻ったこと。別の友人に譲ると同じ事が起き、再び手元へ戻った逸話などがつづられている。スエ子さんの夫は、野村流古典音楽保存会ブラジル支部の初代会長を務めた故新城清助氏。三線は親川氏の死後、夫妻が夫人のマカトさんから譲り受けた。「今も三味線箱の中に静かに保管されてあります」という一文から、宮城さんらは調査を開始。親川氏が一九一八年に移住したことや、聖市在住の二男、秀夫さん(83)が保管していることが分かった。三線の棹は八重山クルチ(黒木)で、白い年輪の模様(ウジラミー)が入っている。知念績高が生きた時代から見て、二百~二百五十年ほど前のものと見られるという。宮城さんや県人会関係者、三線師範で製作も手がける知花眞勲さんらも秀夫さん宅を訪れ、存在を確認した。知花さんは、三線を取り出した際、箱の上に置いて両手を合わせたという。宮城さんは「漆を塗っていないように見え、クルチ自体の色彩に息を飲む思いがした」と振り返る。材質や光沢、加工などの点を見た結果、専門家の鑑定を受ける条件を備えていると判断したという。今月五日には、県人会館で古典音楽関係者向けの鑑賞会が開かれ、新城家からも四男パウロ氏のヨシコ夫人が出席した。底光りする棹に一人一人が感心した様子を見せ、その日演奏した関係者は皆、神妙な面持ちで音色を確かめていた。与儀昭雄県人会長は、「持参した家族や、これまで関わってきた人たちにとって重要な三線だったでしょう。それだけでも大切なものだと思う」と話した。県人会では三月一日に開く「三線の日」芸能祭で一般向けに披露するほか、今後はブラジル国内に残る歴史的な三線の所在確認を進めていく考えだ。百年から百五十年程度の三線は現時点で七、八丁あることがわかっているという。
2009年2月28日(土) 県人会館 一次召集 10時00分 二次召集 10時30分 議題 2008年度事業報告 2008年度決算報告 2009年度予算審議 2009年度事業計画審議 役員改選 そのほか 終了後新年会 会費r$10,00
2009年2月15日 難波会館 一次召集 13時30分 二次召集 14時00分 議題 2008年度事業及び会計報告 2009年度事業計画 他
2月鳥取熟年大学 鳥取県人会(本橋幹久会長)の鳥取熟年大学は十八日午後一時から同県人会会館(聖市ミランドポリス区ドナ・セザリア・ファグンデス街三二三番。 電話11・2276・6032)で今年の始業式引き続いて講演を行う。 講師は佐々木陽明南米浄土宗別院日伯寺開教総監(淑徳大学客員教授)。会費=七レアル。 一般の方の参加も歓迎。
重文に匹敵の三線を発掘 楽聖知念績高愛用の逸品 沖縄県人会聖市在住、新城秀夫さんが所蔵 沖縄県人会(与儀昭雄会長)は昨年十一月、母県にもほとんど残っていないという二百年以上前と見られる貴重な三線(サンシン)が、聖市内で埋もれていたことを発見した。 この三線は、琉球王朝時代に「御冠船の歌氏を勤めた楽聖」と言われる天才的音楽家・知念績高(一七六一年~一八二八年)が愛用したとされる名品。 五日午後三時から同県人会館で「お披露目」が行なわれ、役員や琉球古典音楽関係者など約三十人が集まり、丹念に見入ったほか、手に取って演奏を行なうなど歴史的な逸品への敬意を払っていた。
ニッケイ新聞 2009年2月10日付け 母県から贈られた二宮金次郎の石像除幕式が聖市内の神奈川文化援護協会会館で、県庁などからの来賓を迎えて八日午前十時から行われ、約九十人が出席した。まず、鴻谷正博知事室長が挨拶を述べ、今までの経緯を説明した。昨年百周年を記念して松沢知事が来伯した折り、同県人会から尊徳像がほしいとの要望があったのが発端となり、知事が石像寄贈について報徳博物館の草山昭館長に相談し、快く快諾されたという。昨年九月十一日に『二宮金次郎像、ブラジルに渡る』プロジェクト実行委員会が結成され、パンフレット配布、会社訪問、ホームページなどの募金活動が始まった。わずか三カ月で北海道から九州まで、百五十団体、三千二百個人から約八百八十万円の募金が集まったという。除幕式で大部一秋在聖総領事は、「戦前の日本移民は、ブラジル国民に勤勉、努力家、信頼できるという印象を定着させた。これは尊徳思想と一致している。その石像が海を渡って届いたことに感慨深いものを感じる」と感想をのべた。草山館長は「現在は物質的な面に目が向けられがち。もっと報徳思想を見直さなければならない」と道徳面の大切さを強調した。神奈川協会の村田洋会長は「報徳思想をブラジル社会へ少しずつでも浸透させていきます」と啓蒙していく意気込みを見せた。
「二十一世紀を生き抜く為に」をテーマにした二宮金次郎(尊徳)像寄贈記念セミナーが、七日午後一時から聖市リベルダーデ区にある文協小講堂で開催され、約八十人が出席した。 同セミナーは、神奈川県人会(村田洋会長)の依頼で、母県関係者の協力により昨年九月から開始された「二宮金次郎像、ブラジルに渡る」プロジェクトの一環として開催されたもの。翌八日は、同県人会館で石像の除幕式も行なわれた。 草山館長による記念セミナーでは、少年期に両親を亡くした尊徳が、伯父宅に預けられながら農作業に励む傍ら、独学で精進。小田原藩主・大久保忠真に認められ、藩の土地開墾や財政改革を実現させた「報徳思想」が説明された。 また、セミナーの合間には、第五回聖州ビデオコンクール受賞作品の上映や、山村敏明FENIVAR(リベイラ地方日系文化連合会)会長によるレジストロ日系社会の歴史説明、講演者によるパネルディスカッションなども行なわれた。
ニッケイ新聞 2009年2月10日付け 「金融危機の今こそ、二宮金次郎の思想を思いださねばなりません」。神奈川文化援護協会(村田博会長)や文協・援協・県連などが組織した二宮金次 郎(尊徳)像ブラジル受け入れプロジェクト実行委員会(高村純委員長)が実施したセミナー「二十一世紀を生き抜くために・二宮尊徳から学ぶ」が七日午後、 文協小講堂で行われ、来伯した報徳博物館の草山昭館長の、そのような言葉に来場者約百人は耳を傾けた。当日は玄孫の二宮精三氏も来伯し、二宮哲学の世界普 及への願いを語った。 四十三年間、尊徳思想を研究している草山館長は、ニッケイ新聞などの取材に応え、移民史料館を見た感想として「移民のみなさんは子弟教育に尽力されたと聞き、まさにその実践者だと感銘を受けた」とのべた。 さらに、現代におけるその意義を「世界で経済と道徳の一元論を説いたのは、二宮尊徳だけ。現在は金融資本中心になり、マネーゲームで儲けることが美徳と なり、金融危機が起きた。尊徳はコツコツと勤勉に働くことを説いた。いわば、実体経済を尊重する機運こそ立て直しに必要。日本は胸を張ってその思想を世界 に訴えるべき」と強調した。 セミナーの最初には、小田原市教育委員会が製作した、尊徳の生涯と哲学を要約したアニメ(ポ語字幕付き)が上映された。さらに、十一月二十八日に金次郎 の生家前で行われた石像出発式で松沢成文(しげふみ)県知事が「(昨年)六月にブラジル訪問した時、報徳思想を胸にジャングルを開拓されたとの話を聞き、 いたく感銘を受けた」とのあいさつを行った時の映像が流された。 同知事代理として県知事室長の鴻谷正博氏が挨拶し、それに続いて、玄孫である二宮精三氏はポ語の文面を読み上げて挨拶し、「ブラジルでも尊徳精神で子弟教育に邁進されていると聞き、子孫として感無量の思い」とのべ、感謝した。 ジャクピランガ市とパリケーラス市の日本移民百周年祭実行委員長を務め、両市に二宮像を建立した斉藤咲男さんも、「小さい頃、母親から二宮尊徳のように なれと繰り返し言われた。百周年を記念して作るならこれしかないと思った」とのべた。聖南西・リベイラ沿岸百周年実行委員会をしていた山村敏明会長も、同 地の入植の歴史を説明した。 草山館長は約二時間に渡って、尊徳の思想が生まれた経緯を分かりやすく説明、生涯に六百カ所もの財政再建を果たした生き様をじっくりと語り、来場者は感心したように聞き入っていた。...
昨年創立七十周年を迎えた岐阜県人会(山田彦次会長)の〇九年度定期総会が、一日午前十時半(第二次招集)から聖市アクリマソン区の同県人会会館で行なわれ、会員約三十人が出席した。 総会では、ここ数年来の懸案事項である新会館建設案も議題に挙げられた。母県側の赤字財政の影響などで、これまで続けられてきた日伯交流事業が中止されつつある中、新会館実現に向けた県人子弟のより積極的な参加が求められている。 子弟たちからは、「県人会を続けていくには大きな目的が必要」との意見が出され、スポーツ、太鼓・コーラスやカラオケなどを含めた音楽活動、そろばん教室などの文化活動を希望する声もあった。
ニッケイ新聞 2009年2月6日付け ブラジル東京都友会(坂和三郎会長)は一月三十一日正午、リベルダーデ区のホテルで毎年恒例の新年会を開催し、五十人余りが新年を共に祝おうと駆けつけた。 「一年の計は元旦にあり。どのように新しい百年に向かい、歩んでゆくのか、目標を持って頑張りましょう」。はつらつとした坂和会長のあいさつと大きな拍手で幕が開いた。 藤間流日本舞踊学校(藤間芳之丞校長)の名取りによって、新春らしい長唄「春の寿」の舞などが披露され場が和むと、多羅間俊彦名誉会長は「不景気だが、何も心配していない。戦争で焼け野原になり何も残らなかった東京は見事に復興した」と話し、威勢良く乾杯。 参加者らは笑顔で、日本酒を片手に新年のあいさつを交わし、互いの活躍を願い合った。 食事を囲んで団欒のときを過ごし、音楽が流れ出すと、舞台はカラオケステージへと早変わり。自慢の歌声を披露しながら、合間に抽選会が行われて、会場は和気藹々とした雰囲気。 さっそうとした姿で舞台に上がり、「―人生到るところに青山あり」と、力強く漢詩を吟じた坂和会長。一九五五年、大学卒業後すぐに渡伯した坂和会長は、 大学の送別会でこの詩を吟じた。「学若し成る無くんば復た還らず」と仲間に宣言した当時を思い出すように、目をつぶり迫力せまる声に、会場は静まりかえっ て聞き入った。 また新年会の中で、右近昭夫理事から、二〇〇八年事業報告と〇九年事業計画が報告された。七月の日本祭り出展や慰安旅行の検討が話された。坂和会長は、「金融危機で不況の中迎えた二〇〇九年だが、江戸っ子根性で立ち向かってゆきたい」と話していた。
サントス市の要請により、県連管理下にある【サントス移民上陸記念碑】の 移転が2009年1月の代表者会議で承認された 移転時期などの詳細はこれから市側と詳細を詰めることになるが 6月18日の移民の日までには移転の予定
1月度定例代表者会議で2009年度会費の据え置きを決定 3月26日43回定期総会にあわせ、事業計画に必要な会費の 据え置きを提案し、年会費R$1.200,00が代表者会議で承認されました
県神戸市にある旧移住センター再整備のために、県連(与儀昭雄会長)を通じて約一万レアルの寄付金がセンター関係者に渡されるなど、ここ数年なかった県連本来の仕事の遂行に日系社会からの評価も上がっている様子。 同じように百周年記念協会と文協が同センター整備への寄付金を受け付けているようだが、何故別々の口座を設けて行なうのか少々疑問に思うところ。寄付金が多いのは歓迎すべきだが、窓口を一本化しないと寄付する側の誤解を招く恐れもありそうだが。
ニッケイ新聞 2009年2月5日付け ブラジル宮崎県人会の第六十回定期総会が一日午前、聖市の県人会事務所で開かれ、約三十人が出席した。任期満了にともない長友契蔵会長が勇退。役員改選が行なわれ、第一副会長の黒木慧さん(74)が新会長に就任した。今年創立六十周年となる同会では、八月二十三日に東国原英夫知事などを迎えて記念式典を予定している。総会は午前十時半に開会。先亡者への黙祷に続きあいさつした長友会長は、県連副会長をつとめるなど「いろいろな経験ができた」と自身の任期を振り返る一方、公約だった「会館建設」と「会員倍増」の二つを実現できなかったことを残念がった。また、会館建設問題の担当理事で昨年二月に急逝した桑畑良平氏に哀悼の意を表した。昨年八月には母県を訪れ、今年の六十周年式典へ知事ら関係者の来伯を要望した長友氏。会の規定により二期四年の今期で勇退するにあたり、「会の活性化を考えないと県人会の将来は暗いと思う」と述べ、「今後も努力してほしい」と言葉を送った。同会では昨年、農業研修生受け入れなど恒例行事のほか、顧問の黒木政助さんが外務大臣賞を受賞。現在、六十周年にむけて県人移住者、県系人の実態調査や「宮崎県南米移住史」のポ語訳などを進めている。六十周年準備委員会の委員長は、吉加江ネルソン顧問。収入は約十四万四千レアル、支出約十一万レアルで差引き残高は約三万四千レ。婦人・青年部の報告とあわせ拍手で承認された。〇九年度予算は十万五千レ。役員改選では、選挙管理委員会から出席者に三十二人の理事候補氏名が掲載された用紙が配られ、得票の多い順に二十人の理事を選出。新理事の話し合いで黒木慧さんが新会長に選ばれた。サンロッケ在住の黒木さんは、一次一回のコチア青年。就任にあたり、長友前会長の功績に謝意を表すとともに、「自分に何ができるか心配なところはあるが、六十周年に向け準備委員会が頑張っており、私も褌を引き締めている状態」とあいさつ。「皆さんの協力がなければ県人会の活動はできません。よろしくお願いします」と決意を表した。総会後は新年会が開かれ、黒木顧問の発声で乾杯。食事を囲み一同懇談した。 他の役員は次の通り。(敬称略)【副会長】第一=竹下達也、第二=高橋久子、【会計】第一=大浦洋人、【書記】=山田仁、高橋久子。第二会計は次回役員会で決定する予定。改選にともない長友前会長は名誉会長となる。宮崎県人会の会員は現在約四百五十家族。スザノ、モジ、アチバイア、イビウナ、ピエダーデ、ベレン、ポルト・アレグレに支部がある。
日本人植民地の原点に触れる 感動の交流ピクニック 鹿児島県人会(園田昭憲会長)は一月三十一日、地方との交流を目的とした「日帰りピクニック」をグァタパラ移住地で行った。 当地には、笠戸丸第一回日本移民、鹿児島県十八家族、高知県二家族、新潟県三家族計二十三家族八十八人が平野運平通訳に率いられ配耕された由緒 ある日本人植民地の歴史を誇る。 県人会員や日本からの研修生などで結成されたピクニック団は、午前六時過ぎに鹿児島県人会会館を発ち、約三時間かけ てグァタパラ農事文化体育協会(川上淳会長)に到着。川上会長はじめ役員や関係者の歓迎を受けた一行は、用意されたカフェを飲み、早速、第一目的地である グァタパラ駅跡地に出発した。 参加者からは、移民のルーツに触れ、当地に住む会員らと交流できたことを喜ぶ声が口々に聞かれた。また、会員からも、今回のような交流を望む 声が出るなど、わずか一日の滞在ながら、双方にとって得たものは大きく、百一年目のスタートとしては、これ以上ない一歩を踏み出した。
ニッケイ新聞 2009年2月5日付け 今年から宮城県人会(中沢宏一会長)は、好評の青葉祭りを大きく改革した。運営責任団体として、地域社会の健康的な生活を目的とするNGO団体「青葉健康生活協会」を設立し、月二回実施することになった。会場は今まで通りの同県人会館(ファグンデス街152)。 中沢会長は、「NGOを運営主体にしたことで、地域社会のための連合団体として、県人会の範囲よりも広く活動していける」との利点を強調した。 今月から第一土曜日(七日)は「青葉福祉祭り」と称し、主にカッポン・ボニート地方産の有機野菜の即売やADESC(農業婦人部連合会)手作り製品などを販売するのに加え、福祉団体が食事を提供する交流の場になった。 通常どおりの「青葉祭り」は第三土・日曜日(二十一、二十二日)。中沢会長は「いつも好評のはらこ飯、ずんだ餅、冷やし中華、恒例の秋刀魚定食、イカポッポ焼き、牛タン入り餃子があります」とお薦めする。 森山師範による武道医術、高橋幸衛家紋研究所の家紋の展示、岡崎幸雄氏のこけし販売に、評判の手作りの大豆製品、農地直送の有機野菜にバザーなども出揃う。 なお同祭りでは、会館のあるファグンデス街に建設が進められている援協福祉センターの建設資金の募金運動も行う。 ▽ ▽ 宮城県人会では青葉祭りとは別に、毎週金曜日午後一時から午後五時まで同会館で足のマッサージが行われている。 マッサージ師の鈴木ラウラさんは、「足のツボをマッサージし、刺激が神経系統から患っている体の各部分に伝わり痛みを和らげる。また、体の循環機能を促 進させ、爽やかな気分にさせる。ストレスも自然と解消される」とその効果を説明した。無料だが、先着数人まで受付け。問い合わせは同事務局(11・ 3209・3265)まで。
ニッケイ新聞 2009年2月4日付け ブラジル茨城県人会の定期総会が一月二十五日午前十時から、聖市の同会館で開催された。モジ支部、グァタパラ支部も含めて五十三人が出席し、二年後の五十周年に向けた若手主体の体制づくりが話題になった。 先亡者への黙祷後あいさつした鈴木康夫会長は、「これまでの活動の根本方針は会員の親睦を深めること、文化活動、母県との連絡、若い会員の活動促進を目指してきた」と述べ、「今後は若い世代に台頭してもらわないといけない」と強調した。 〇八年度事業報告として同県人会が運営している書道、水墨画、カラオケ、刻字、篆刻などの教室の活発な活動状況が報告された。会場には書道と水墨画の生徒たちの作品が掲示され、各自の上達振りがうかがえた。 〇八年度会計報告では収入には、約四万レアルに加えて母県からの補助金百万円余りが計上され、支出は約五万レアルだった。他県人会同様、高額なIPTU(土地家屋税)が悩みの種になっており、免税交渉を市役所と継続中との報告があった。〇九年度予算は前年度とほぼ同様。 今年度の事業計画案では、ふるさと交流研修生の小林英二さん(心臓科医)と鈴木ウララさん(歯科医)が、今月十六日から十日間、母県を訪問することが報 告された。四月に敬老会、六月と十一月につくばね会報発刊。七月の県連・日本祭りには、若い会員を中心に参加準備を進めていく方針を示した。 また、十二月の忘年会は役員、婦人部、青年部、ふるさと交流、研修生の合同によるものにする予定だ。 青年部が活動を活発化させるための具体案を提案すれば、会として経費を負担することを執行部が決定したと、鈴木会長から報告があった。「二〇一一年の創立五十周年記念式典は青年部を中心に行う」と意気込んだ。 その後、役員改選が行われ、新しく小林操会長、黒沢儀人第一副会長、鈴木康夫第二副会長が就任した。 新役員の挨拶で小林会長は、「引き受けたからには、万難を排して精力的に活動する。会館改修や、にぎやかな文化活動、若い会員による五十周年式典の準備、同式典への県知事や議員の来伯を積極的に働きかける」との決意を表明した。 午後からの新年会には約百人が出席し、ふるさと交流会の壮行式も行われ、和気あいあいとひと時を楽しんだ。
