ニッケイ新聞 2016年1月9日 外交120周年記念事業実行委員会(梅田邦夫委員長=駐伯大使)は先月10日午後、最後となる第9回会合を在聖総領事館で行なった。3つの記念事業やジウマ大統領の訪日中止に関する報告がなされ、会議後に梅田大使らが取材に応じた。 花火祭り、日伯共同事業展示会、日本館修繕が無事終了したことに加え、秋篠宮ご夫妻の来伯が周年事業の締めくくりとなった。民間でも全伯で年間およそ450もの認定行事が行なわれたという。 梅田大使は6月の移民の日、11月には外交120周年記念の公聴会がブラジリアで行なわれたことを引き合いに、「交流年だからといって、議会で2度も公聴会を開く国はブラジルの他にない」と強調し、両国の友好深化を確信した。 ジウマ大統領の訪日キャンセルに関しては「想定外」とし、伯産加工牛の日本向け輸出解禁(12月10日付け既報)や、官民ファンドJOINらによる鉄道建設(同12日付け既報)など訪日に備え準備されていた案件を伝えた。2回目となる中止に対して日本側でのイメージ悪化が懸念されるが、「しこりの残らぬよう努めることが必要」と語った。 特別事業費にはルアネー法や一般寄付により約200万レアルが集められた。ヤクルト、三井物産、ブラデスコ、トヨタ、ホンダから大口の協賛があり、3月までに出版される記念冊子にて最終的な収支報告が掲載される。詳細は現在も調整中。 なお2014年8月に立ち上げた同委員会は、この会合をもって解散となった。
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ニッケイ新聞 2016年1月8日 鳥取県人会(本橋幹久会長)コーラス部の27人が『センター設立20周年事業』として、11月21日に母県を訪問、鳥取市内の施設で地元コーラスグループ「コールおもかげ」と交流コンサートを行なった。 同部からは練習を重ねた6曲を披露、また当地から日本に楽譜を送ったポ語曲「Sambalele」や「花は咲く」を合同演奏し、最後は集まった150人の観客も一緒になって童謡「故郷」を歌い、感動の幕切れとなった。 会場には平井伸治県知事はじめ、10月8日に聖市で行われた式典のため訪伯した県議らも出席。これまで築いた絆を一層確かなものとした。 同部の小森田節子さんは「歌い終わった時、見渡すと自分も含め、メンバーも会場も皆涙をこぼしてたんです」と振り返る。7年間指導を続ける指揮者の大刀ミリアンさんも「皆で気持ちを一つにして、歌の方もレベルアップした」と喜びを語った。 同交流コンサートはコーラス隊で県人会副会長の千田初美さんが、県費留学生中に築いた関係や13年に同県・県人会が実施する『中堅リーダー交流事業』で来伯し、当日も歌声を披露したソプラノ歌手の山尾純子さんの協力があって実現した。 他にも訪日した中島リジアさん、伊勢島誠一さんが来社し、緊張した当日の心境と歌声を披露した喜びを語った。 □関連コラム□大耳小耳 今回の鳥取県人会の交流コンサートは「全員実費で訪日した」というから驚きだ。創立メンバーで数少ない男性メンバーの非日系ジュリオ・バロスさんは、時間や費用の面もあり、半ば訪日を諦めていたが、「どうしても行きたかった」と観光等を除いた〃弾丸旅程〃を決行。成田空港に着いたその足で鳥取に飛び、コンサート後もすぐ帰伯したとか。「舞台では緊張したけど、心の交流ができた」と満足気な様子。ロマンス・グレーの熟年白人の渋さゆえ、平均年齢73歳の地元「コールおもかげ」の皆さんからモテモテだったこともよい思い出だったか。
ニッケイ新聞 2016年1月5日 ブラジル日本文化福祉協会、援協、県連、商議所、アリアンサが共催した『2015年新年祝賀会』が、文協ビル大講堂で1日午前に行われ、約400人が集まって新年を祝った。主催団体ほか各県人会、JICA、国際交流基金などから代表者が出席。五輪という世界最大のイベントがリオで開催され、コロニアでも「県連50周年」という節目を迎える2016年に向け、各代表から新年の抱負が述べられた。 昨年4月に初の女性文協会長として就任、新たな年を迎えた文協・呉屋春美会長は、〝申〟という漢字は樹木の果物が熟して固まっていく様子も表していると説明し、「実りに向かって成長するという意味でも、今年は大きな通過点を迎えることになる」と挨拶。 さらに「日系社会は時代とともに変化してきた一方で、一貫する極めて日本的な要素や傾向を示す面もあり、時代に順応、また成長するためにも、今年はその力を養う機会であることを強く信じる」と語った。 また同じく昨年就任した中前隆博在聖総領事は、日伯外交120周年、文協60周年等を迎え、日系団体による様々な行事が行われた2015年を振り返り、「日系人の存在が日伯関係の親善の礎になっていることを実感した」と話した。 「今年は新たな一歩を踏み出す年だ」と力強く語り、8月のリオ五輪、さらに4年後の東京五輪がきっかけとなり「スポーツを通した日伯の交流が生まれることを期待している」とした。 その後は50周記念式典を控える県連の本橋幹久会長が先頭に立ち、「日伯の親善を祈念して」と万歳三唱を行い、別ホールに移動。文協コーラス部の合唱の後、援協・菊地義治会長の音頭で乾杯を行った。参加者はそれぞれに挨拶と来年に向けた抱負を語り合い、新たな年に向けたスタートを切った。
ニッケイ新聞 2016年1月5日 リベルダーデ商工会議所(ACAL、池崎博文会長)ほか、日系4団体主催の『第45回餅つきまつり』が昨年大晦日朝からリベルダーデ広場で行われた。 無料で振舞われた2万袋の紅白餅を求めて、開始の午前8時を前に1時間程前から列ができた。遂には400メートル程度も伸び、イタウー銀行を過ぎたあたりで折り返しの列ができ、さらに同広場に辿りつきそう勢い。大晦日の聖市の風物詩として定着していることが伺われた。 正午まで無料の雑煮、茅の輪くぐりや絵馬の販売も用意され、日系や非日系が一緒になって、正月に向けた準備を整えた。 9時半から行われた開会式には池崎会長、中前隆博在聖総領事、文協、県連、援協、アリアンサほか日系諸団体の代表者が一堂に会した。太鼓の演奏で新年に向けた機運を高めた後、代表者から挨拶があった。 その後、多くの見物客が集まる中、餅つきも行われた。ジルベルト・カサビ元聖市市長(現都市大臣)も出席、杵を振り上げ、広場には威勢のいいかけ声が響いた。 一行は会館に移動、「移民送別の歌」「一月一日の歌」などを合唱した後に乾杯、婦人部手製の紅白の餅が入ったおめでたい雑煮を味わった。出汁の効いた品のいい味に、一人3杯も御代わりする人も。厨房は調理と食器洗いで、戦場さながらだった。 同祭を支えているのは、ACAL婦人部やリズム体操会の皆さんだ。ラジオ体操会も会員50人で前日から一日中餅の袋詰め、当日も餅つきの準備に大忙しだった。鹿又信一会長(のぶかず、80、東京)は、「我々は毎朝この広場を使わせてもらっているから、誰よりも親しみがある。体操とは違う〃運動〃も、たまにはいいもの」と餅米のふかし具合を見つつ杵をふるい、真夏の大晦日にしたたる汗をぬぐった。
ニッケイ新聞 2015年12月30日 聖市カーニバルで巨大立佞武多が華々しく行進したかと思いきや、なんと焼失――。秋篠宮さまご夫妻が恭しくご来伯されたかと思いきや、ジウマ大統領が訪日ドタキャン…。日伯が正式な外交関係を結んでから120年という節目は、思いのほか波乱含みの出来事が起きた。その他、パラナ州やコチア青年の周年行事、大物歌手続々来伯、日系歌手や軍人の大活躍など、印象深かったこの一年の10大ニュースを編集部が独断で選んでみた。 第1位=秋篠宮同妃両殿下ご来伯=聖市、首都など10カ所 秋篠宮同妃両殿下は日伯外交樹立120周年を記念して10月28日に着聖され、11月8日までの12日間滞在された。聖市、パラナ州都クリチーバ、ロンドリーナ、ローランジャ、マリンガ、南麻州都カンポ・グランデとパンタナール、パラー州都ベレン、首都ブラジリア、リオの10カ所を訪問された。 秋篠宮さまは移民80周年(1988年)以来の27年ぶりのご来伯で、紀子さまは初。 聖市では、文協が今回のために特別に用意した「皇室ブラジルご訪問回顧写真展」をご覧になられ、移民史料館もじっくりとご観覧された。先没者慰霊碑、日本館、サンタルス病院、憩の園などを回られ、各所で気軽に移住者に声を掛けられ、感激のあまり泣き出すものもでるなど交流を深められた。 ハイライトは修好通商条約の締結日11月5日に首都の連邦議会で望まれた記念式典。エドゥアルド・クーニャ下院議長の司会で、粛々と慶祝議会が行われた。翌6日にはジウマ大統領にお会いになり、リオ五輪のマスコット人形のプレゼントを受け取られた。 両殿下はご来伯前に横浜の「海外移住資料館」や神戸市の「市立海外移住と文化の交流センター」も訪ねられるなど、万全の準備を期してのご来伯だった。 第2位=外交120周年各地で粛々と=大金の割に花火大会今一つ 1895年に日伯修好通商航海条約を結び、両国にとって初めて対等条約が結ばれた。正式な国交が開始された本年を外交樹立120周年とし、梅田邦夫駐伯大使を代表とする実行委員会が結成。400~500の認定行事が全伯各地で行なわれた。 特別企画としては9月の花火祭り、10都市ほどを巡回したJICA展覧会、イビラプエラ公園内の日本館修繕の3つ。ルアネー法によって集められた約200万レの寄付金が充てられた。 目玉だった花火祭りには165万レほどの予算を割き、聖市南部のインテルラゴス・サーキットで約4500発が華麗に打ち上がった。ただし、小雨という天候や広報手段などが原因で来場者数は約1万人。大金を投じた割に集客見込みの半数という結果に、周年行事の目玉としては今一つという声も挙がった。 10大ニュース1位の「秋篠宮ご夫妻来伯」はコロニアにとって最大のニュースになったが、直後にジウマ大統領が2度目の訪日キャンセルをし、せっかくの外交120周年だったが、後味の悪い結末を迎えた。 第3位=朝日新聞が本紙に謝罪=移民への無関心露わに 朝日新聞のサンパウロ特派員の配信記事『悩める邦字新聞』(6月1日付)の見出しと内容に関し本紙が厳重に抗議したことを受け、同紙は電話とメールで謝罪、8日に訂正記事を掲載した。 事実と違う「日系人減少」という大見出し、邦字紙の現状を「悩める、苦境、廃刊、減少」とネガティブな面だけでとらえた記事となっており、日本の読者に与えた悪影響は計り知れない。 移民、日系社会に関するもう少しの関心、国外で発行される日本語メディアへの共感があれば、こうした紙面にはならなかっただろう。記事を作成した特派員は、本紙の生き残りへの取り組みを知りながら一切触れなかった。記者のみならず、デスク、整理部による、日系社会への無関心、無理解が生んだ紙面ともいえる。...
本日付紙面が今年最後の発行となる。2015年は日本ブラジル外交関係樹立120周年を記念し、10月下旬から11月初旬にかけて秋篠宮殿下ご夫妻が来伯され、各地で記念行事が開催されるなど、例年以上にめまぐるしい1年となった。来年も8月のリオ五輪開催をはじめ、日系社会でも各種イベントが目白押しとなることが予想される中、今年も「コロニア10大ニュース」を紹介し、この1年を振り返る。 第1位 修好120年で秋篠宮ご夫妻ご来伯 今年は日伯外交関係樹立120周年を記念し、ブラジル各地で「120周年」を冠した様々な記念行事が開催された。その中でも最大のイベントは、10月28日から11月8日まで12日間の滞在でサンパウロ(聖)、パラナ、南マット・グロッソ、パラー、ブラジリア、リオ各州の全10都市を訪問された秋篠宮ご夫妻のご来伯。各地で日本人及び日系人と積極的に交流の場を持たれ、誰とでも気さくに話されるお二人の姿に好感を持つ人が多く見られた。昨年8月に発足した日本ブラジル外交関係樹立120周年記念事業ブラジル実行委員会(委員長=梅田邦夫駐伯日本国大使)は、特別事業として「日伯友好花火大会」「日伯共同プロジェクト巡回展覧会(2月から全伯各地で)」を開催。花火大会は9月に聖市インテルラゴス・サーキットで文化イベントと合わせた「花火祭り」として行われ、当日は小雨が降る肌寒い一日となったが、花火を一目見ようと聖市内外から約1万人が訪れた。 120周年記念行事の一環として日本からは、5月に講道館柔道(上村春樹館長)10人の師範・高段者及び関係者が来伯し、「形(かた)」講習会が5日間にわたって聖市イビラプエラ体育館横「南米講道館」で開催された。そのほか、8月の「響ファミリー」公演、同月の海上自衛隊練習艦隊の7年ぶりの来伯、11月には劇団「万有引力」公演が日伯修好100周年以来、20年ぶりに行われるなど多岐にわたった。 第2位 マリナ・シルバ元環境大臣が訪日 本紙創刊70周年記念事業として毎日新聞社と共催した講演会、シンポジウム「持続可能な開発と環境保護~シルバさんと語ろう地球の未来」の講師として、元環境大臣のマリナ・シルバさんが10月に初訪日した。マリナさんは、「東北の被災地がどうなっているのか知りたい」と講演に先立ち、東日本大震災で津波の被害に遭った宮城県名取市を訪問したことをはじめ、東京・四谷の上智大学講堂で「持続可能な開発と環境保護」についての講演を行った。 また、水銀中毒が起きた熊本県水俣市の水俣病史料館のほか、北九州市の環境ミュージアム、北九州エコタウンセンター、同リサイクル工場や広島市の平和記念資料館も視察。締めくくりは日本記者クラブでも講演を行い、「日本人の体験は歴史的な悲劇だったが、日本人はその悲劇を克服し、再生している。素晴らしい」と賞賛した。 「社会を持続的に発展させるには、社会の仕組みを変える必要がある」というのがマリナさんの持論。シンポジウムでも「木を伐採して利益を得ることから、森林を保護することで利益になるよう社会の仕組みを変える」ことの必要性を説いていた。 第3位 戦後70周年を記念 多彩な平和関連行事 今年の戦後70周年を記念して、特に平和関連の行事も相次いだ。 6月下旬にはブラジル被爆者平和協会会長の森田隆さん(91、広島)が聖市から名誉市民章を受章し、その授与式が聖市議会で行われた。自ら広島市で被爆し、移住したブラジルで平和活動を推し進めてきた功績が称えられた森田さんは「これからも世界平和のために頑張りたい」と述べ、さらなる意気込みを表していた。 9月初旬には、「原爆の子」の像のモデルになった佐々木禎子(さだこ)さんの兄、佐々木雅弘さんとその息子の祐滋さんが来伯。聖州議会に禎子さんが折った折り鶴を寄贈し、同議会に常設展示された。また、当日は自身も長崎での被爆者である画家の伊藤薫さん(聖市在住)の絵画「平和」も披露され、禎子さんの折り鶴と共に常設展示された。 今月初旬には、核兵器廃絶を願って五輪発祥の地であるギリシャから贈られた聖火「ナガサキ誓いの火」が、「ブラジル・日本平和の絆交流会」の中嶋年張代表と連続11年、13回のブラジル公演を行った歌手の井上祐見さん、そして井上さんの息子で、チビッコ交流大使の笠戸丸ともやす君の3人によってブラジルに運ばれ、12日にサンタ・カタリーナ(SC)州フレイ・ロジェリオ市にあるラーモス移住地内の「平和の鐘公園」に分灯。同地で記念セレモニーが開催された。 第4位 在サンパウロ総領事館開設100周年 在サンパウロ総領事館開設100周年を記念した在外公館長表彰が8月初旬、聖市モルンビー区の同総領事公邸で行われた。受賞対象となった100団体には、各都道府県人会など各日系団体、また聖州軍警察や同州立学校などブラジル側からも選出された。 表彰式では日伯両国歌斉唱後、来賓者が紹介。今年は総領事館開設100周年、日伯外交関係樹立120周年、移民107周年であり、中前隆博総領事は「この表彰は、日頃からお世話になっている団体の皆様への私たちの感謝の気持ちです。無理やり100団体に限ったわけではなく、今後も様々な機会でそれぞれお世話になった方々に対してお礼をしていきたい」と謝辞を述べた。 今回は日本語コースを設けるなどして、日本語の指導をしているブラジルの教育機関15団体以上が選出された。...
鳥取市で日伯交流合唱コンサート 「涙ながらの感動の舞台でした」――。ブラジル鳥取県人会(本橋幹久会長)のコーラス部は11月21日、訪日先の鳥取市で地元のコーラスグループ「コールおもかげ」との「歌声は海を越えて」と題した合唱交流コンサートに出演した。メンバーたちはフィナーレで「故郷」を日伯合同で歌い上げ、会場一体となった舞台を冒頭の言葉で表現した。帰伯後の15日、本橋会長とともにメンバーたちが報告のために来社した。今回訪日したメンバーは鳥取県人会コーラス部から13人、その他のコーラスグループ、ピアノ伴奏者などを含めて計25人。一行は11月13日から、同月29日まで訪日し、その間、鳥取県をはじめ、大阪、兵庫、京都、奈良、岡山、広島、神奈川、東京なども観光したという。 日伯合唱交流コンサートのきっかけは、2013年3月に中堅リーダー研修で来伯した「わらべ館(鳥取市)」童謡・唱歌推進員の山尾純子さんと、県人会副会長でコーラス部メンバーの千田伊藤初美さん(61、3世)が連絡を取り合ったこと。コーラス部メンバーがそれぞれ自費で訪日し、初の合同公演が実現した。 コンサート前日の11月20日夜には同市内ホテルで歓迎レセプションも行われ、11月8日にサンパウロ市の鳥取交流センターで開催された鳥取県費留学・技術研修制度50周年及び鳥取交流センター設立20周年記念式典に来伯出席した林昭男副知事や県議会議員らも出席したという。 21日午前10時半に「わらべ館いべんとほーる」で開演されたコンサートでは、オープニングの合同演奏を皮切りに、ブラジル側が「四季・メドレー」「Aquarela do Brasil」など6曲を披露。ブラジル紹介・合同合奏、休憩を挟んで日本側が「風がはこぶもの」「荒城の月」など6曲を合唱した後、合同演奏「花は咲く」に続いてフィナーレでは日伯合同で「故郷」を会場と一緒に歌い上げた。 伯側指揮者の大刀ミリアンさん(65、3世)は「コーラスで日本に行ったのは初めてでしたが、とても勉強になった。日本の曲とブラジルの曲を同じ場所で歌えて本当に良かった」と話す。 コンサートを実現させた千田さんは「初めての鳥取でのコンサートでどうなるか心配でしたが、最後に『故郷』を歌い終わった後は皆、涙を流しながら抱き合って感動の舞台でした」と振り返る。 伯側コーラス部メンバーで旅行ガイドとして旅程を企画した小森田節子さん(59)は「誰も体調を崩すことなく、皆が楽しんで無事(ブラジルに)帰って来れた」と笑顔を見せた。 ピアノ伴奏を行った中島リジアさん(54、2世)は偶然日本で親戚に出会ったと言い、コンサートでは「緊張しましたが、日本の人のピアノの弾き方など勉強になりました」と語った。 今回、2人だけの男性メンバーの一人である伊勢島誠一さん(69、2世)はコーラスを始めて35年になるというベテラン。鳥取県人会コーラス部では7年前から練習している。今回の訪日コンサートについて「素晴らしい体験ができ、鳥取の関係者の方々に感謝したい」と感動の面持ちだった。 2008年から鳥取県人会コーラス部に所属している非日系のジュリオ・バロスさん(72)は「初めて日本に行くことができ、天にも昇る思い」と喜びを表していた。 本橋会長は「20年前に鳥取交流センターが完成したことで県人会活動も活気が増してきた。今回、コーラス部が自費で訪日して合同コンサートを行うなど今までにない交流ができ、県人会としても大きな喜び」とコーラス部の活動を称賛していた。 サンパウロ新聞 2015年12月24日付
サンパウロ州アチバイア市にあるアチバイア文協日本語学校が、12日に行われた修了式で岩手県の伝統・わんこそばならぬ、「わんこそうめん」大会を行った。一昨年までは流しそうめんをしていたが、昨年、今年と水不足が続いているため、貴重な水を使わずに楽しめる方法を考えたという。生徒の中には蕎麦(そば)になじみがない人も少なくなく、初めて食べてアレルギー反応が出たら危険ということで「わんこそうめん」が発案された。 大会は3部門(男性、女性、子ども〈11歳以下男女混合〉)に分かれ、各組抽選で選ばれた5人で競った。子どもは1分、大人は1分半の制限時間付き。1杯約10グラムのそうめん椀を、優勝者は男性41杯、女性40杯、子ども(女子10歳)20杯完食した。教師陣は、岩手県人会の今年や昨年のわんこそば大会の様子を動画で研究したそうだ。「がんばれー!」という応援の声が響くとても楽しい大会だった。 アチバイア文協日本語学校は、日系85%、非日系15%の割合で、3歳から70代までの約80人の生徒が通っている。それぞれのニーズに合わせ、語学だけでなく文化も教える「継承語教育」を行っている。前日には、臼と杵を使った餅つき大会も行われた。 わんこそばに使う道具を貸し出した岩手県人会の千田会長は「そばでもそうめんでもどちらでもいい。その土地土地で時に臨機応変に形を変えてでも、郷土の文化が広まってくれるのはとてもうれしい」と大会の成功を喜んだ。 サンパウロ新聞 2015年12月24日付
岩手・千田会長と10年ぶりの再会 ブラジルへの日本移民導入のきっかけを作った駐ブラジル第3代日本公使の故杉村濬(ふかし)氏の曾孫に当たる杉村延広さん(61、大阪)が7日から10年ぶりに来伯し、12日に岩手県人会の千田曠曉会長と再会を果たした。濬氏は岩手県盛岡市出身で、岩手県人会では2005年に初来伯した杉村さんとリオ市内で合流し、濬氏が眠る同市内のサンジョン・バチスタ墓地に墓参。その後、2008年の岩手県人会創立50周年と移民100周年を機会に、同県人会が率先して濬氏の墓碑を改修した経緯がある。10年ぶり2回目の来伯となった杉村さんは「奇麗に修復されたお墓もお参りできて、本当に来て良かった」と満足そうな表情だった。大阪府立大学大学院工学研究科教授である杉村さんは今回、クリチバ市にあるパラナ連邦大学と府大との学術提携を結ぶ調整を行うことなどを主な目的に来伯。また、7日にはリオ市で南米最大の機械工学学会「COBEM2015」にも出席した。 翌8日には、10年前に親交のあったリオ州日伯文化体育連盟の鹿田明義理事長の案内により、サンジョン・バチスタ墓地を訪問。改修された濬氏の墓参を行い、岩手県人会の尽力により「(濬氏の墓碑が)非常に奇麗になった」ことに感銘を受けたという。 9日はリオからクリチバ市に移動。10日にパラナ連邦大学とパラナ・カトリック大学との学術提携を行う調整のために関係者と会った。その際、同地にあるブラジル兵庫県事務所の山下亮(まこと)所長が同じ府大の農学部出身であることから好意で大学側との通訳を行ったそうだ。 12日午前にサンパウロに移動した杉村さんは、リベルダーデ区で山下所長を含めた府大OB会メンバー6人と会い、親睦会を行った。その後、午後3時に山下所長の案内で岩手県人会館を訪問し、千田会長と10年ぶりの再会を果たした。 千田会長は2008年の県人会創立50周年、移民100周年を記念して濬氏の墓碑の改修整備の除幕式を、当時の記念式典出席のために来伯していた達増(たっそ)拓也岩手県知事とともに行ったことなどを説明し、10年前に杉村さんと一緒に墓参した時の写真を見せながら、当時のことを振り返った。 杉村さんは「今回はクリチバでの学術提携の調整とリオでの学会出席がメインで、スケジュールの都合でサンパウロで千田会長たちとお会いできる時間があるかどうかが分からなかったが、こうしてお会いできて本当に良かった。リオ、クリチバ、サンパウロを訪問できて、ネットーワークができたことがありがたい」と喜びの表情を見せていた。 また、10年ぶり2回目のブラジルについて杉村さんは「以前よりも渋滞が多く、交通量が増えたように感じる」と話し、2年後の2017年にはクリチバで学会があるとし、改めて来伯する考えも表していた。 サンパウロ新聞 2015年12月23日付
ニッケイ新聞 2015年12月18日 ブラジル日本都道府県人会連合会(本橋幹久会長)(本橋幹久会長)の「12月代表者会議」が10日午後5時から、聖市の秋田県人会館で行なわれた。来訪者発言では中前隆博総領事が登壇し、日本政府が主導し「市内の一等地」で17年3月の開設を目指す対外文化発信拠点『ジャパン・ハウス』と、各県人会の今後の関係について説明した。 中前総領事は「各県の魅力を伝えることも目的の一つ」とし、事業内容次第で県人会の協力が必要だと説明。しかし、他の2都市(英ロンドン、米ロサンゼルス)と「統一したブランド」を持たせることも必要で、「日系社会の支援だけが目的でない」とした。 途中、「県連会長を運営委員会に入れるべき」という要望も挙がったが、やんわりと却下。「委員会は決定機関ではない」と補足し、「県人会の皆さんとは今後も実のある連携を進めたい」と対話継続を約束した。 また山田康夫県連副会長(滋賀)が10月、県連を代表し『第56回海外日系人大会』に参加。日本祭りに関する講演を行い、同時に日本政府による同祭への支援に感謝を伝えたと報告した。山田副会長は「次回も援助を受けられる見込みだ」と期待を示した。 なお会議は忘年会にあわせ、10月に2千万円をかけて改装した秋田県人会館で行なわれ、お披露目の場にもなった。
ギリシャから贈られた聖火「ナガサキ誓いの火」がサンタ・カタリーナ(SC)州フレイ・ロジェリオ市にあるラーモス移住地に無事到着し、12日午後2時半から「平和資料館」で分灯セレモニーが開催された。式典では「ブラジル・日本平和の絆交流会」の中嶋年張代表と歌手の井上祐見さん、井上さんの息子でチビッコ交流大使の笠戸丸ともやす君(7)が分灯の使者として日本から「ナガサキ誓いの火」を持って入場。ブラジル側からは同市のオズニー・アルベルトン市長、州知事代理のロッケ・スタングーリン地域開発長官、モニュメントの設計者であるジェアン・カルロス氏(ブルメナウ市在住)や池田敏雄クリチバ総領事夫妻、大河正夫長崎県人会副会長など約150人が出席した。 両国歌斉唱の後、司会のリジアーネさんから「ナガサキ誓いの火」が贈られた経緯が説明され、続いて、中嶋代表からその搬送経緯が説明された。その後、「誓いの火」を持って井上さんが入場。オズニー市長に手渡され、原爆被爆者と子孫の会の小川渡会長(86、長崎)と「平和資料館」や「平和の鐘公園」建設に尽力した故小川和己氏の妻・満里子さん(81、長崎)ら3人の手によって灯火台に点火され、参加者全員で1分間の黙とうが捧げられた。 大河長崎県人会副会長が田上富久長崎市長のメッセージを代読。その中で「古代ギリシャでは聖火が燃えているオリンピック期間中はすべての戦闘が中止されたという平和のシンボルだったことから、1983年、その聖火を『長崎を最後の被爆地とする誓いの火』として贈られたものであり、今年は戦後70周年、ブラジル日本修好120周年という記念すべき年、フレイ・ロジェリオ市に分灯されることを大変嬉しく思う。同市の皆様が長崎市民と共に平和への思いを共有し、平和活動を続けて行くことを願っています」と結んだ。 また、池田総領事を通して、在ブラジル日本国大使館の梅田邦夫大使からも「今年7月にラーモスを初めて訪れたが、同移住地には『思いやり』と『助け合い』という平和の原点がある。ナガサキ誓いの火が無事到着し、セレモニーが開催されることを心より嬉しく思う」との祝辞が披露された。 オズニー市長は「人口わずか2500人の市がラーモスのお陰で大きなプレゼントをもらった」と話し、平和教育を義務付けているサンタ・カタリーナ州のライムンド知事からも「戦争が無くなり、永遠に平和であり続けるよう、その象徴となっていってほしい」とのメッセージが寄せられた。自身も入市被爆者で、和己氏の親友であり妹婿でもある小川渡会長は「この火が子孫代々に伝わり、平和が続くことを願っている」と感無量の面持ちで語り、満里子夫人は「私も戦中派です。あの戦争の思いだけは嫌。初めての分灯ということで、これからもここラーモスで大いに平和活動に貢献したいです」と亡き夫の思いをつないだ。 ラーモス移住地に住み、フレイ・ロジェリオ市の副市長でもある岩崎秀樹さん(58、帰化)は「この火を大切にして、平和の大切さを子どもたちに教えていきたい」と話した。 セレモニー終了後はラーモス日語学校の生徒たちによる「私の町ラーモス」の歌や笠戸丸君の「こぎつね」、さらに地元幼稚園児による「こぎつね」のポルトガル版である「Todos os Patinhos」などが合唱された。 さらに笠戸丸君から長崎の福田小学校と横浜の高田東小学校からのメッセージが資料館に手渡され、逆に日本への巨大な折り鶴が使者の井上祐見さんに渡された。また資料館に地元の高校生から長崎に落とされた原子爆弾「ファットマン」の模型も贈られた。 今後、「ナガサキ誓いの火」は365日24時間体制で、資料館内に作られたステンレス製円錐形の灯維持ケースで灯され続ける。 屋外に設置される灯火台は来年の8月9日、長崎原爆の日に完成予定で、博物館の入り口奥に作られるという。デザインを担当したジェアン氏によると、台座は地球をモデルにした青や緑の地球儀の平面円形台でその上にステンドグラス製のひょうたんを現した8の字型のモチーフが建つ。このひょうたんはラーモスのシンボルマークで日本の諺の「『ひょうたんから駒』のように、小さな移住地だがその殻を飛び越えて、不可能なものから何か立派な夢のあるものを作り出す」という願いを込めて決められた。その上に平和のシンボル折り鶴を掲げ、そこから平和の誓いの火が灯されるようなモニュメントとなっている。なお、ステンドグラスは長崎原爆のシンボルでもある浦上天主堂をイメージして織り込まれている。 また、搬送した「温度差発電」の器具や蓄電池、ランタン、使用予定だったハクキンカイロ、国土交通省からの認可書などが中嶋代表から寄贈された。 サンパウロ新聞 2015年12月18日付
ブラジル日本都道府県人会連合会(本橋幹久会長)は、10日午後5時からサンパウロ市ビラ・マリアーナ区の秋田県人会館で12月度代表者会議を開いた。各県人会代表など48人が出席し、11月度事業・会計報告、第19回日本祭りについてや第57回海外日系人大会について各種報告などが行われた。 なお、この日は在サンパウロ日本国総領事館の中前隆博総領事が来訪し、ジャパン・ハウスをサンパウロに設置する計画についての現状を語った。 日本祭りについては、締め切り日時などのより具体化した進行計画が、海外日系人大会については、日系社会の高齢化に対する認識の必要性や重国籍を認めない日本の国籍法の改正を求める案など、前大会の討議内容で決議された7項目が大会の成果としてそれぞれ発表された。 ジャパン・ハウスについて中前総領事は「地方の魅力を発信するというのが、ジャパン・ハウスプロジェクトの目的のひとつ。必ずしもそのすべてに県人会の方に関わってもらうという意味ではないが、他の場所(ロサンゼルス、ロンドン)に比べ、とくにサンパウロは日系人コミュニティが活発に活動している。県人会連合会の理解と協力が必要不可欠だ」と語った。 その後は、元県連会長の松尾治さんの乾杯の音頭で忘年会がスタートし、各県人会会長や日系団体の関係者などが出席した。 サンパウロ新聞 2015年12月17日付
ニッケイ新聞 2015年12月17日 【既報関連】日本館の自費修復のため滞伯している中島工務店関係者を招き11日夜、岐阜県人会(山田彦次会長)が聖市内の中華料理店で歓迎夕食会を行なった。 中島工務店の一行は先月24日から滞在中。中島紀于社長と6人の宮大工が作業に取り組んでいる。この日までに大方の工程を終え、和やかな雰囲気で会員ら約20人がテーブルを囲んだ。 山田会長は「遠い日本からようこそお越しくださいました。工務店の皆さまとは長い付き合いになります。今後とも何かお手伝いさせてください」と挨拶。 同県出身でヤマト商事の高木和博社長は、「日本館は移住者にとって非常に重要な文化財。その修繕を自費で請け負うのが岐阜県の方々とあって我々も誇らしく思う」と心意気に感謝した。
ニッケイ新聞 2015年12月16日 サンタカタリーナ州ラーモス移住地の平和資料館で12日午後、「長崎平和の灯」分灯セレモニーが行われ、近隣の小中学生や地域住民ら約150人が参加した。日伯120周年を記念してブラジル・日本「平和の絆」交流会(中嶋年張代表)が主催した事業で、歌手の井上祐見と息子笠戸丸ともやす君が〃分灯の使者〃として長崎市から運んだ。きっかけとなった長崎平和の鐘公園を建設した故小川和己さんの妻満里子さんは「最初から最後まで感動づめ。天国の和己にこれを見せたかった」としみじみ語り、静かに手を合わせた。 「この灯には、絶対に核戦争を起こさせないという誓いが込められている。長崎市民と一緒に、フレイ・ロジェリロ市民の皆さんもこの誓いを広めてください」。聖市から出席した長崎県人会の大河正夫副会長は、長崎市の田上富久市長からのそんなメッセージと、栗崎邦彦県人会長の言葉を代読した。 州知事代理のロッケ・スタンゲーリン地域開発長官は「二度と原爆を使わせないという思いをしっかりと共有したい。先日発表された日本のブラジル牛肉解禁は、我が州にとって大朗報。ますます日伯経済は緊密化する」と語った。 池田敏雄在クリチーバ総領事は梅田邦夫大使のメッセージを代読し、〃分灯の使者〃歌手の井上祐見の挨拶に続き、オズニー・アルベルトン市長は「人口わずか2500人の市に、ラーモス移住地のおかげで大きなプレゼントをもらった。全市民を代表して、この灯の到着を心から歓迎する」と喜んだ。 小川和己さんの妹婿で、入市被爆者の小川渡さん(原爆被害者と子孫の会会長)は「本当に感激しております。孫、ひ孫の代まで大事に守る。いや、早く消してもいいように核兵器が世界からなくなるよう訴えて行く」との決意を新たにし、涙ぐんだ。 〃分灯の使者〃から渡された灯を、満里子未亡人と渡さん、市長3人は灯維持ケースに点火し、平和への想いを新たに1分間の黙とうを捧げた。 笠戸丸ともやす君から長崎市立福田小学校等の生徒からのメッセージが地元小中学校生徒に渡され、逆に千羽鶴が長崎市に渡すよう託された。学校関係者を代表して教師ソランジェ・ヴァス・ピッチさんは「生前、小川和己さんの話を聞く機会に恵まれ、平和の大切さを考えさせられた。この灯を大切に教育に活かしたい」と感謝した。 本紙取材に対し、パラナ州マリンガから参加した佐々木良法さんは「暴力事件が絶えない国内、国際情勢を思えば、平和の灯の意味は大きい」とのべ、ラーモス日伯文化体育協会の尾中弘孝会長も「この資料館の利用者はほぼブラジル人。この灯により、さらに平和教育で地元に貢献できて、移住地としても有難い」と喜んだ。
岐阜県から日本館の修復のため来伯している中島工務店(中島紀于代表取締役)一行を歓迎する食事会が、岐阜県人会(山田彦次会長)主催で11日午後7時からサンパウロ市リベルダーデ区の中華レストランで行われた。 会には県人会員や関係者ら23人が出席。出席者には中島代表から同工務店のカレンダー、山田会長らには職人が製作した木製の器具が配られた。 乾杯に先立ち、山田会長は「遠いブラジルまでようこそおいで下さいました。日本館修復は大変な仕事。県人会としても何かできればと、この会を開かせてもらった。中島工務店には先代からお世話になっている。今後も一報いただければお手伝いしていきたい」とあいさつした。 続いて食品商社ヤマト商事の高木和博社長の音頭で乾杯。岐阜県出身の高木社長は「重要な仕事をしている皆さんを同郷の者として誇りに思う」と同工務店一行を讃えた。 その後は高木社長が持参した台湾製の紹興酒やカイピリーニャなどをそれぞれ酌み交わし、懇談を楽しんだ。岐阜県を離れて長い県人会員も同工務店の若い職人らとお国言葉で故郷の変遷などを語り合い、「春駒」など地元の民謡を歌い盛り上がった。 高山市出身の同工務店社寺部棟梁の袈裟丸(けさまる)幸雄さんは「久しぶりの中華料理は美味しい」と話し、「日系社会の皆さんには色々ともてなしてもらい本当にありがたい」と感謝した。来伯して約2週間が経過したが、「ブラジルは日本では考えられないような夢が持てる良い国。移住したいくらい」とすっかりブラジルが気に入った様子だった。 同工務店一行は翌日も仕事ということもあり、会は午後9時頃お開きとなった。 サンパウロ新聞 2015年12月16日付
【既報関連】「ナガサキ誓いの灯」分灯搬送の使者で、ブラジル日本平和の絆交流会の中嶋年張会長、歌手の井上祐見さん、その息子の笠戸丸ともやす君、ラーモス移住地の山本和憲さんが10日、あいさつに来社した。 一行は10日夜にサンパウロ市を出発し、12日にサンタ・カタリーナ州フレイ・ロジェリオ市ラモス移住地にある平和の鐘公園内の平和資料館で行われた式典へ参加した。 笠戸丸くんは現在小学2年生。長崎市や自身の住む横浜市の友達からのメッセージを携え、今回が初来伯となる。ブラジルの感想を尋ねると「式典などで忙しくて大変」と漏らしたが、シュラスコが気に入ったそうで「たくさん食べた」と話した。 中嶋会長は「世界中の子供たちが笑顔を絶やさないでほしい」という思いがずっとあったそうで、「今回誓いの灯と一緒に、長崎や横浜の子供のメッセージをラーモス移住地に運べて嬉しい」と喜んだ。 また井上さんによると、前回同移住地を訪れた際、現地の子供らが千羽鶴を折り待ってくれていたそうで、「とても感動しました。今は長崎市の原爆資料館に飾られています」と話した。 同移住地に住む山本さんは「フレイ・ロジェリオ市の市民は熱心に『原爆』や『平和』について学んでくれているが、今ひとつ伝わりづらい部分がある。今回の式典は移住地のみならず、市全体に良いこと。何かのきっかけになれば」と今後の同市の取り組みに期待した。 サンパウロ新聞 2015年12月15日付
ニッケイ新聞 2015年12月11日 「なんとか無事に到着しました」。日伯外交120周年を記念し、世界平和の願いを象徴する〃ナガサキ誓いの灯〃が9日朝、〃分灯の使者〃3人によって当地に運ばれ、午後に聖市内のブルーツリーホテルで「種火到着報告会」と記者会見が行われた。この事業を主宰する「ブラジル・日本平和の絆交流会」の中嶋年張代表は、そう胸をなでおろしながら「灯」の入ったランタンに視線をやった。 式典ではまず、中嶋代表が運搬方法を説明した。長崎の平和公園の〃誓いの火〃から三日がかりで、温度差を利用して蓄電する装置を使って乾電池に電気エネルギーとして移し替え、当地に来てからガムの包み紙を細長く切って電池の両端に繋げて発火させて〃火〃に戻した。梅田邦夫大使や田上富久長崎市長のメッセージも披露され、式典に出席した中前在聖総領事も「日本の平和に関する誓いが、ブラジルに伝わることを非常に嬉しく思います」と祝辞をのべた。 記者会見には日本メディアの特派員も詰めかけ、次々に質問が飛んだ。〃誓いの灯〃をどう活用するのかとの質問に、ラーモス移住地が所在するフレイ・ロジェリロ市の岩崎秀樹副市長は「、州政府にも働きかけ、灯をともし続けることで、子どもや市民への平和学習をさらに拡大させたい」、現地の原爆被爆者と子孫の会の会長代行・小川直樹さんは「この火は絶対に消したらいけない。すごい責任を感じる。世界は戦争、テロ、暴力、核兵器の問題に直面している。この灯を得たことで、さらに平和を訴えていきたい」との意気込みを述べた。 〃分灯の使者〃井上祐見(歌手)は、火が贈られる平和資料館を創立した「小川和己さん(故人)の想いが私たちに伝わって、長崎県を動かし、今こうして一回りして戻って来た。今回それを小川さんの墓前に報告したい」と力を込めた。 また、笠戸丸ともやすくんは長崎市立福田小学校コーラス部の皆さんからもらったメッセージを披露した。 12日に現地、サンタカタリーナ州ラーモス平和の鐘公園で「分灯セレモニー」が行われる。その後、ラーモス市が責任もって種火を保存して平和の火モニュメントを完成させ、長崎原爆投下の日である来年8月9日に点火式が行われる予定。
12日にラーモスで分灯セレモニー 五輪発祥の地・ギリシャから1983年に核兵器の廃絶を願って贈られた「ナガサキ誓いの灯」が9日、無事サンパウロ市に到着し、ブルーツリー・パウリスタホテルで記者会見が行われた。誓いの灯を運んだのは、「ブラジル・日本平和の絆交流会」の中嶋年張代表と連続11年、13回のブラジル公演を行った歌手の井上祐見さん、そして井上さんの息子で、チビッコ交流大使の笠戸丸ともやす君の3人だ。 当初、誓いの灯は東京オリンピックや長野オリンピックの聖火輸送に貢献したハクキンカイロの技術で輸送される予定だった。また、ジルマ大統領の訪日に合わせ、ブラジル空軍の協力を得て専用機で輸送されるはずだった。しかし、突然の大統領の訪日中止で専用機での運送は中断。また、11月13日には経由予定地のフランスで同時多発テロが起こり、ベンジンを使うハクキンカイロでの空輸も難しく、経由地の変更を航空会社から打診された。しかし、中嶋代表は「平和のための灯を運ぶのにテロに屈したくないし、日伯両方の飛行機会社を使いたい」との強い思いで、あえてパリ経由を選択。第三の新しい方法で、世界初、平和の灯を電気に変えて搬送した。 この方法とは、火と水の温度差を使って発電する「熱電発電」で、野外でも携帯電話などが充電できる技術だ。ただし、これは携帯電話用のUSB端子での蓄電だったので、USBから電池へ蓄電する機器を得て、最後にその電池から発火するという3段階を得ることで平和の灯の運搬が可能となった。中嶋氏は「(最初の)火と水を使う技術と、電池からの発火方法は知っていたが、2番目のUSB蓄電が難関だった。この3つがつながって、ようやく可能になった。火は、ナガサキから贈られた火を使い蓄電。最後は電池のプラスマイナスにガムの薄いアルミ箔を細切りにし、つなげると発火する」として実演してくれた。 記者会見には、中前隆博在サンパウロ総領事、岩崎秀樹フレイ・ロジェリオ副市長や小川直樹原爆被爆者と子孫の会の会長代行、本橋幹久県連会長、栗崎邦彦ブラジル長崎県人会会長らが出席し、今回の「ナガサキ誓いの灯」の分灯プロジェクトを称賛した。また、長崎市の田上富久市長や梅田邦夫在ブラジル特命全権大使からのメッセージも披露された。 この後、「ナガサキ誓いの灯」は「ブラジル・日本平和の絆交流会」の3氏の手でサンタ・カタリーナ州フレイ・ロジェリオ市のラーモス移住地「平和資料館」へ運ばれ、12日に分灯セレモニーが開催される。 サンパウロ新聞 2015年12月11日付
右から3番目が平野氏、4番目が小島氏 平成27年度秋の叙勲伝達祝賀会が、8日午後3時からサンパウロ(聖)市モルンビー区の在聖日本国総領事公邸で行われ、旭日双光章受章の小島友四郎氏(82)と旭日中綬章受章の平野セジ氏(77)にそれぞれ勲章と勲記が伝達された。 小島氏はモジ・ダス・クルーゼス中央日本人会会長、理事を14年間務め、日系福祉団体や若者による和太鼓グループの活動への支援を推進した。さらに、ブラジル福島県人会会長を10年務め、高校生研修生制度の創立、東日本大震災における募金活動、野口英世記念会の整備、日伯交流、日本文化普及に多大な貢献を行った。 平野氏はブラジルを代表する社会学者であり、2005年から2年間、サンパウロ大学副学長を務め、10年に同大学から名誉教授の称号を授与した。1995年から97年にかけて天理大学の客員教授を務め、日伯学術交流の推進に寄与。2008年にはサンパウロ大学「ブラジル日本移民100周年委員会」の委員長としての功績が認められ、「日本移民100周年記念外務大臣表彰」を受章。08年から13年は大阪大学とサンパウロ大学との間で日本移住に関する研究を、また08年から現在に至るまで上智大学との間で実施されている研究者養成プログラムのブラジル側コーディネーターとして参画している。13年には、FAPESP(聖州研究財団)と日本の研究機関が覚書を交換するための仲介役を果たした。 祝賀会では功績が読み上げられた後、中前隆博総領事から勲記と勲章が伝達され、祝辞が述べられた。「小島氏は長年にわたり日系社会のリーダーとして活躍され、日系社会の発展と日本語文化普及のために尽力された。平野氏は日伯学術交流の推進や日本移民に関する研究において大きな貢献をされた。こうしたお二方の並々ならぬ努力や誠実な姿は日系社会のお手本として誰もが認めるであろう。長年にわたる日本とブラジルの友好協力関係の拡大に対する大きな貢献に対して深く感謝いたします」と称えた。 小島氏は「夢のようです。全然予期していないことで、びっくりしている。体力には自信があるので、まだまだ元気にやれそう。今後、これまで以上に地域社会の貢献に努めていきたい」、平野氏は「非常に嬉しいと同時に驚いている。サンパウロ大学と日本の大学とのつながりをもっと深めていきたい。来年、日本の大学からサンパウロ大学に2週間、生徒を受け入れるプロジェクトも準備が始まっている。ポルトガル語、ブラジルでの生活、日系企業について少しでも多くのことを学んでもらって、未来につなげていきたい」と今後の抱負とともに喜びを語った。 会場となった公邸には、小島氏と平野氏の家族や友人をはじめ、呉屋春美文協会長、菊地義治援協会長、本橋幹久県連会長ら日系団体各代表者の来賓を含む約30人が集まり、叙勲伝達を祝福した。伝達式の後には、記念撮影と祝賀会が行われ、参加者たちが小島氏、平野氏との歓談を楽しんだ。 サンパウロ新聞 2015年12月11日付
ニッケイ新聞 2015年12月9日 世界平和の願いを象徴する〃ナガサキ誓いの灯〃をブラジルに――日伯外交樹立120周年を記念して、サンタカタリーナ州ラーモス移住地の草分け、長崎の被爆者の故・小川和己さんが私財を投じて2010年に建設した平和の鐘公園にある「平和資料館」へ、長崎を最後の被爆地とする「ナガサキ誓いの灯」を分灯することになった。9日には聖市内ホテルで「種火到着報告会」と記者会見、12日には現地ラーモス移住地で式典が行われる。この様子はNHK長崎放送局が日伯密着同行取材して放送するという。 「ブラジル・日本平和の絆交流会」(中嶋年張代表)が主体となり、日伯友好議員連盟(麻生太郎会長)も後援に入って協力を呼びかけ、地元サンタカタリーナ州やフレイロジェリオ市が正式に受け入れ表明した。 今回、「ソウ・ジャポネーザ」などの移民歌でコロニアおなじみの歌手の井上祐見が〃分灯の使者〃として14回目の来伯、息子「笠戸丸ともやす」も初めて同行する。日本側の分灯式典は11月29日に長崎で、12月1日には河村建夫友好議連幹事長らも出席して在京ブラジル総領事館(マルコ・ファラー総領事)で開催済み。 井上祐見のマネージャー・中嶋代表は長崎出身。ラーモスを3度訪れ、小川さんから直接に被爆体験を聞き、地元の小学生らと交流を深める中で、《小川さんの願いである「恒久の平和」への想いを繋ぎ、灯していく為に「ナガサキ誓いの灯」を分灯する活動を決意しました》と趣意書に動機が説明されている。 旅客機に〃火〃を載せることは大変困難であり、当初はジウマ大統領が訪日する際に専用機で運んでもらえないかと交渉するなどの苦労もあったが、灯を電気に変換してランタンとして手荷物で運ぶことになった。 またパリ経由で来る予定だったため、突然の同時多発テロの発生で空港警備の厳重化が危ぶまれたが、中嶋代表は「平和の灯がテロに屈する形で予定を変更したくない」とあえてパリ経由のまま来伯する。 その昔、ギリシャで古代五輪中、聖火が灯されている間は全ての戦いが中止されたとの故事から、聖火は「平和の象徴」とされ、人類最後の被爆地長崎に83年、その聖火が贈られた。日本国内では8カ所に分灯されたが、海外は今回が初めて。
