07/03/2026

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ニッケイ新聞 2014年8月30日 聖州ミランドポリス市と富山県高岡市の姉妹都市提携40周年を記念し、高岡市の高橋正樹(たかはし・まさき)市長や青木紘(あおき・ひろし)市議会議長ら訪問団16人が来伯した。23日午前に着伯した一団は、その足でブラジル富山県人会を表敬訪問し、ミランドポリス市へ。25日午前、市内の中央広場で行なわれた記念式典には、ノロエステ連合日伯文化協会の白石一資会長、ブラジル富山県人会の市川利雄会長ら、関係者約100人が訪れた。 訪問団は市役所を表敬訪問後、式典に臨んだ。高橋市長は挨拶で「40年もの間に築いてきた、友好の歴史は素晴らしい」と称え、各来賓からも祝辞が寄せられた。ミランドポリス文化体育協会の中野市雄会長は「74年の姉妹都市提携から、93年の日本語学校への教師派遣、そして両市中学生によるジュニア親善大使も96年から始まった。互いに友好深めてきたことを誇りに思う。亡くなった先人たちにも改めて感謝申し上げたい」とあいさつした。その『中学生ジュニア親善大使』は2、3年おきに実施しており、今回の訪問団にも片山育巳さん、永井賢太郎さん、松本羽奏(わかな)さん、六渡愛由さんと引率者の窪田真澄さんが含まれ、ホームステイなどで地元住民と交流を深めたという。日本語教師派遣も現在9代目となっている。中野会長は本紙の電話取材に「教師派遣、青年交流など、市町村間でこれだけ親密な関係も珍しい。非常にありがたいこと。50周年も盛大に祝いたい」と喜んだ。式典前日の24日夜には、同文協で約300人が参加する歓迎会が行なわれた。式典後にはミランドポリス市議会から、高橋市長と青木市議会議長へ名誉市民章が贈られた。また第三アリアンサの日本語学校などにも訪れ、26日のお別れ会で同地を後にした。この提携は74年4月、アルミ産業視察のため訪日したミランドポリス市長から申し入れがあったことがきっかけ。同市第三アリアンサ地区が「富山村」と言われ、当時日伯合弁のアルミ工場の建設も計画されたところから、同年10月、ミランドポリス市で調印式が行なわれた。
節目の年を「オールブラジル」で 来年の日伯修好通商航海条約締結120周年を官民で祝うため、ブラジル側組織「日ブラジル外交関係樹立120周年 記念事業ブラジル実行委員会」が発足した。8月29日に在サンパウロ(聖)総領事館で立上げ式を行い、第1回会合を開催。梅田邦夫駐伯大使が委員長、聖市の日系5団体、日本政府機関代表などが副委員長に就任し、国内各地の公館、商議所、日系団体等が委員を務める全伯規模の体制が組まれた。今後決定する特別事業をはじめ、国内、日本で実施される記念交流行事は数百に上ると見込まれる。 現時点での委員会の構成は次の通り。委員長=梅田大使。委員長代理=福嶌教輝在聖総領事、リオ総領事(現在は首席領事)。副委員長(団体・機関名)=ブラジル日本商工会議所、ブラジル日本文化福祉協会、サンパウロ日伯援護協会、ブラジル日本都道府県人会連合会、日伯文化連盟、JICA、国際交流基金聖日本文化センター、ジェトロ。委員=国内在外公館長(聖、リオ除く)、国内の日系商工会議所、汎アマゾニア日伯協会、アマゾニア援護協会、南日伯援護協会、リオ州日伯文化体育連盟など。 このほか、日伯社会文化統合協会が資金管理を担当することが決まり、同協会の西尾ロベルト会長が副委員長及び資金管理委員長に就任した。 現時点では、120周年のスタートとなる来年初めと年中に日伯両国で記念セレモニーの開催を計画。特別事業としては、コシノ・ジュンコ氏プロデュースによる花火や、若い世代で知る人の少なくなったウジミナス製鉄所やセラード開発など過去の日伯協力関係を再確認する展示会、両国関係の将来を見据えた政経・学術シンポジウムなどが候補に挙がっている。日本政府も重視しており、要人の往来も期待されるという。 このほか、国内各地で例年、または特別に実施する行事を合わせれば、来年1年間の記念交流行事は数百に上る見込み。実行委では6月のサッカーW杯の時と同様に専用ホームページを開設し、各在外公館と関係団体を通じて情報共有、広報を行う考えだ。 日本サイド、サンパウロが中心だった20年前の修好100周年と異なり、今回はブラジル側が主導し、全伯が連携する組織が発足した。梅田大使は「『オール ブラジル』の仕組みを作るのは初めての試み。どう機能するかやってみないと分からない」としながらも、進出企業増加に加え、サッカーW杯や安倍首相来伯を 機に両国関係強化の機運が高まっている現在を「恵まれたタイミング」と位置づける。 首相の来伯は、経済分野だけでなく、 日本語教育や人材交流の拡充などの成果をもたらした。日本祭り等の文化イベントでの協力強化も期待される。大使は「日系人の信用が日本の信用につながって いる」と述べ、世代交代の過渡期にある日系社会に対し日本政府としても協力する必要があるとの考えを示した。 委員会では 今後、10月ごろに予定する次回会合で特別事業を決定し、資金集めやロゴマークの募集、マスコットキャラクター製作など具体的な活動に入る。大使は「国と 国の関係は人間関係と同じで、絶えず努力しないと薄れていく。互いに親近感を持つことが政治経済関係強化でも基礎になる。120周年を生かして両国関係を さらに確たるものにしていきたい」と語った。 2014年9月2日付
ブラジル都道府県人会連合会(県連・本橋幹久会長)は、28日午後4時から定例代表者会議をサンパウロ市リベルダーデ区の文協ビルで開いた。 その中で、今月訪日した本橋会長から、19日に総理官邸で世耕弘成内閣官房副長官と面会し、安倍首相来伯時に県連が日本政府に提出した要望書の内容について話し合ったとの報告があった。 本橋会長によると、要望書では「各県が受け入れる留学・研修制度の新設」「日本祭りの支援」の2点を掲げているが、政府は前者に関して安倍首相が発表した日系社会支援策の「JICAボランティア増員」の範囲内に組み込みたい意向があるようで、母県とのつながりを重視する県連の希望通りにはいかない可能性を示唆した。 また、全47都道府県人会の代表者が署名した要望書だが、その内容や文面のコピーは一部の幹部しか把握しておらず、ある代表者からは「母県に働き掛けろと言われても、それでは何を言えばいいのかも分からない」と指摘する声も上がり、執行部側から早急な対応が約束された。 要望2点目の「日本祭りの支援」に関しては、現段階では日本政府からの支援金額や内容は未定だが、来年の日伯修好120周年に向けて「日本政府の顔が見える形での参加」は確信しており、来年に限らない継続的な支援の要望も承認はしてもらっているという。 また、山田康夫同祭暫定実行委員長からは来年の同祭のテーマが発表され、「日伯120年の絆」に決定。会場の契約も済ませ、例年通りイミグランテス展示場で来年7月24、25、26日に開催されることとなった。 2014年8月30日付
ブラジル宮崎県人会(高橋久子会長)創立65周年及び県人移住100周年記念式典出席のために来伯していた宮崎県の稲用博美副知事と福田作弥県議会議長一行は23日、サンパウロ市リベルダーデ区の宮崎県人会事務所で県人会役員との懇談会と記者会見を行った。 同日午後2時半からの懇談会では、高橋会長が県費留学生募集について日系子弟たちが家庭で日本語会話が少なくなっている現状を説明し、英語会話での採用も要望した。 また役員の黒木慧氏は1966年に始まった県費留学生制度が2年後には50周年の節目の年を迎えるとし、県人子弟OBたちの結束力を高めて「何らかの形で県へのお返しを行いたい」との意向を伝えた。 また、山元治彦式典実行委員長からは県人会役員が高齢化する中、県から県人会事務所への若い人材の派遣を求める意見も出された。 これらの要望や意見について稲用副知事は、宮崎県内でも若い世代の活性化をどのように行うかなど、ブラジルと同じ問題を抱えていると説明。その上で「具体的な内容についてはこの場では何とも言えないが、皆で知恵を出し合い、県としてやれることがあれば力になりたい」と述べた。 懇談会の後の記者会見で稲用副知事は、本紙の「今後も県費留学生・技術研修生制度を続けていくのか」との質問に、「(同制度は)県にとっても重要な問題なので、今後も継続していく」と明言した。 そのほか、農業活動が盛んな宮崎県でブラジル農産品の輸出や、ブラジル宮崎県人会での県物産のアンテナショップ開設などの可能性について同副知事は、「県の制度や国同士の問題もあり、簡単にはいかない」と述べるにとどめた。 30年ぶりに来伯したという福田県会議長は今回、聖市の中央市場などを事前に視察し、「オレンジ、ブロイラー(鶏肉)、大豆の輸出などブラジルが世界の農業大国になったことを感じた」とし、TPP(環太平洋パートナーシップ)協定などで日本の農業市場が厳しさを増す中、「(宮崎とブラジル間で)将来的に面白い農業関係ができるのでは」と期待感を口にした。 2014年8月30日付
宮崎県農業青年ブラジル国派遣研修生OB会の「南十字星の会」。24日に行われたブラジル宮崎県人会創立65周年及び県人移住100周年記念式典に参加した農事組合法人「おびファーム」の田村通康代表理事は、1985年に第3回研修生としてブラジルに2カ月滞在した経験を持ち、それ以来、今回で4回目の来伯になる。 同氏によると、「南十字星の会」は81年に設立され、現在の会員は53人。農業が盛んな宮崎県内で、農業後継者の担い手として活躍している人材が多いそうだ。 また同会はOB会組織として、ブラジルからの農業研修生をはじめ、県費留学生や技術研修生が訪日した際に歓迎会や親睦会を行うなど、世話役的な存在となっている。 今回の来伯で田村氏は「(以前に比べて)ブラジルがさらに発展していると感じた」とし、宮崎県内でも従来の家族農業から大規模農業化しているところもあるとし、ブラジルから学ぶべき点も多いという。 今後のブラジルと宮崎との交流について田村氏は、「例えば、日本に来ていた日系子弟たちがブラジルに戻ってから日本に懐かしさを感じている若者もいる。宮崎の物産をブラジルに持ってくるなど物の流れができれば」と話していた。 2014年8月30日付
ニッケイ新聞 2014年8月29日 集中豪雨で20日に発生した大規模土砂災害で死者・行方不明者約90人という甚大な被害が及んでいる広島市に対し、コロニアから義捐金を送ろうと、ブラジル広島県人会が中心になり義捐金キャンペーンを始めた。日系社会を代表するブラジル都道府県人会連合会、ブラジル日本文化福祉協会、サンパウロ日伯援護協会、日伯文化連盟が協力する。広島県人会の大西博巳会長、石井公男、小田繁雄両理事、県連の本橋幹久会長が来社し、「NHK、ブラジルの報道の通り広島の状況は刻々とひどくなっている。あらゆる形での支援が必要だが、遠く離れた我々にできることは義捐金を送ることでは。母県、祖国への思いを届けてほしい」と多くの協力を呼びかけている。義捐金用の口座は現在開設中。詳しくは広島県人会(11・3207・5476)まで。
ニッケイ新聞 2014年8月29日 姉妹都市45周年の機会に大阪市の田中正剛副市長、床田正勝市会議長を始めとする代表団15人が来伯した機会に、大阪サンパウロ姉妹都市協会(吉川秀隆会長)は26日、同45周年記念レセプションを聖市南部の「ビュッフェ・コロニアル」で開いた。聖市側からはジョゼス・ポリシネット市会議員、福嶌教輝在聖総領事、日系団体や企業の代表者ら約40人が出席し両市の友好を祝った。 24日に来聖した一行は翌25日に聖市副市長、環境局、都市計画局と治安問題などを意見交換した。その後、市役所内でセミナーを開催し、特区制度を活用した大阪市の経済戦略、都市再生に向けた取組み、環境先進都市としての取組み等煮について発表を行なった。26日夜の記念レセプションでは、吉川会長(タカラベルモント社代表取締役会長兼社長)が「祖父も父も姉妹都市協会の会長を務めた。これからも会員一丸となって両市の交流に貢献していきたい」と意気込みを語り、田中副市長も「行政はもちろん、市民レベルでの交流を進めていきたい」と挨拶した。福嶌総領事は「聖市と大阪市には多くの共通点がある。先日の安倍晋三首相来伯で日伯関係はより近いものになったが、文化、経済など両市の益々の交流を願っています」と話し、ジョゼス市議は「大阪を発展させたのは自由な民間の力。聖市では官民相反する状態が続いている。見習わなければならない」と語った。同日午前8時から聖市内ホテルで大阪市代表団による記者会見が行われ、床田市会議長は「こちらの市民のバイタリティの強さは大阪と共通するものがあるが、街全体から発せられる発展への貪欲な思いは見習わなければならない」と感想を語った。福田賢治市議は「日系人の方々に大阪に来ていただきたい。そのためにもビザの緩和が必要。行政として声を上げていきたい」と話した。6年振り2度目の来伯となる北野妙子市議は、「物価は上昇しているが活気が溢れている」と語り、北山良三市議は「市役所や家々の防犯対策の厳しさに聖市の実情を感じる」と話した。大阪市の代表団は27日深夜に帰路についた。
ニッケイ新聞 2014年8月29日 国際交流基金サンパウロ日本文化センター(深沢陽所長)が「国立劇場おきなわ」と共催し、20日に聖市ガゼッタ劇場で男性舞踊家11人を招いて公演『琉球の新風(みーかじ)』を行なった。会場は660人の来場で満席に。大半は沖縄県系とみられ、約2時間の故郷の本格芸能に酔いしれた。国立劇場おきなわは、2004年に組踊や琉球舞踊、音楽など芸能の継承を目的に創立。琉球王国時代に中国の使者をもてなすために生まれた「組踊」は、ユネスコ世界無形文化財リストにも登録されている。祝宴の座開きでおなじみの「かぎやで風」で幕開けすると、荘厳な雰囲気の組踊「忠臣身替の巻」や「部の舞」、軽快な踊りが特徴的な「谷茶前(たんちゃめー)」「加那よー天川(かなよーあまかわ)」、民衆の生活を表現した「島唄」など全11種目が2時間に渡って行なわれ、客席からは盛んに歓声や口笛が飛んだ。酒好きな二人の従者が主人の不在を見計らって盗み酒をする喜劇「棒縛」は全てうちなー口で行なわれたが、会場からは終始大爆笑が起きていた。呉屋ハツエさん(61)は、「沖縄の言葉は少ししかわからないけど、とっても良かった」と笑顔を見せた。県系人の親族がいるという前田睦子(75、二世)、国吉康子さん(73、同)姉妹は最前列で迫力の公演を楽しみ、「うちなー口は知らないけど、勘で大体のストーリーはわかった。踊りも歌もすごく良い」と満足げに語った。最後は鳩間島の美しさを歌った民謡「鳩間節」にあわせ、踊り手が舞台から降りて会場を練り歩いた。観客は更に沸きたち、手拍子したりカメラを手に踊り手を囲んだりと楽しんだ。公演後、構成演出を行なった2代目芸術監督の嘉数道彦さん(34、那覇市)は、「沖縄でも、うちなー口はほとんど通じないのが現状。ブラジルでの反応は沖縄以上にすばらしかった」と2度目の来伯の感想を述べた。また、公演に先立ち県人会で行なった交流を振り返り、「地元にいる人間にとっては、南米の皆さんの故郷への強い思いが刺激になる。温かい沖縄の気持ちを大切にしているのが伝わり、芸能以上に精神的に学ぶことが多い」と話した。一行は、22日にリオで公演を行い、その後沖縄移民入植60周年を迎えたボリビアでも初公演を行なった。
ニッケイ新聞 2014年8月28日 今年で創立60周年を迎えた青森県人会(玉城道子会長、会員数約300人)が24日、栃木県人会館で記念式典を開催した。在聖総領事館の佐野浩明首席領事に加え、本橋幹久県連会長ら多数の日系団体代表者、母県から訪れた佐々木郁夫副知事、阿部広悦県議会議長、かねさ株式会社、東奥日報旅行センターの職員など28人の慶祝団を迎え、約250人が節目を祝った。式典後は技術研修生らを招いた交流会が持たれ、制度の意義が再確認された。中田みちよ第二副会長を編集長に記念誌も制作中で、年内刊行を予定している。 青森県民の移住は、日伯修好通商航海条約の締結から2年後の1897年に始まり、約1500人弱が渡伯したといわれる。戦後、母県からの要請を受け、54年10月に39人の有志が集まって県人会が結成された。名和渋川幸子第一副会長の開会の辞、両国歌斉唱と先没者への黙祷に続き、玉城会長が「皆さんの支援と助けでここまで歩んでくることができた」と挨拶した。佐々木副知事は「県では今、世界が認める青森ブランドの確立を目指しているので、60周年を機に県人会との友好を一層深めたい」、阿部県議会議長は「皆さんのご功績は県民にとっても誇り」と祝辞を述べた。続いて80歳以上の高齢者78人に表彰状が贈られ、森村吉蔵さんが代表して受け取った。記念品等の交換も行なわれた。技術研修生代表として、2010年に八戸工業大学で研修した渋川ラファエル君が壇上に立ち、時折涙ぐみながら日本語で研修への感謝を述べた。同制度は1974年に開始し、伯国からは175人が利用した。青森県国際交流協会の塩越隆雄会長によれば、「県費留学制度は廃止されたが、民間が協力的なので研修制度自体はこれからも続く」と継続への見通しは明るい様子だ。県民の歌「青い森のメッセージ」を全員で斉唱して閉会し、祝賀会になった。佐々木副知事は黒田節を、阿部議長はネクタイを頭に巻いて詩吟を披露し、会場を沸かせた。青森銀行県庁支店長の谷津大輔さん(50、青森)は、「ブラジルに来るのは初めてだが、母県と交流したいという皆さんの強い気持ちを感じる」と話した。会員の高坂光丸さん(77、青森市)は、「何か行事がある時は必ず来る。あと40年生きて、県人会百周年にも参加したい」と快活な笑顔を見せた。
ニッケイ新聞 2014年8月27日 高知県人会青年部(武田アウグスト部長)は23、24の両日、聖市アグア・ブランカ公園内アリーナで『第3回土佐祭り』を開催した。両日とも晴天に恵まれ、高知県の郷土料理や特設ステージで披露された47演目のショーを楽しみに約3万人が訪れた。武田部長は協力者への感謝を述べ、「土佐祭りの認知度も広まってきた。次回はもっと高知らしさを出したお祭りにしたい」と意気込みを語った。 23日午後2時に行われた開会式には、高知県人会片山アルナルド会長、羽藤ジョージ聖州議、アウレリオ野村、羽藤ジェオルジ両聖市議、水野龍の息子の水野龍三郎さんらが出席した。21日に来伯し、同祭を視察に訪れた「高知県ブラジル販路開拓経済ミッション団」の岡林富士男さんも壇上に上がり、祝辞を述べた。広場に設置された特設ステージでは、空手や合気道など武道に加え、和太鼓、ストリート・ダンス、時代劇、映画「トランスフォーマー」のキャラクターショーなど様々な余興が披露された。砂地のアリーナでは、子供用の高さ約3メートルの滑り台やサッカーコートが用意され子供連れの来場者に好評だった。また、イベントを聞きつけてやってきたコスプレグループも公園内をパレードし、雰囲気を盛り上げた。特設ステージ向かって左には、屋台コーナーとバンカが並び、昼時には行列ができた。同県人会は、鯛蒸し、姿寿司、鰹のたたきなど郷土食を販売した。初めて鰹のたたきを食べたジョアナ・ビョトロスカ(34)、ジョタエリ・ヤンさん(35)は「普通のお刺身より好き。ポン酢がとても美味しい。スーパーで売られるようになったら買いたい」と高知の名産品が気に入ったようだ。日本から取り寄せた土佐茶、柚子のど飴、などの県産品も日系人を中心に好評だった。販売を担当した同県人会の大森順子事務局長は「郷土料理は長年出し続けてきたから人気がある。県産品もブラジル人に親しまれるよう長い時間をかけて宣伝していきたい」と意欲を語った。同祭は同県人会の活性化を目指して青年部が企画したもので、青年部とその友人ボランティア、あわせて70人が運営を行った。県人会のバンカで朝から晩まで料理の手伝いをした雁田ダニエラさん(22、四世)は「沢山の人と会えるから楽しい。高知のことで知っているのは料理だけ。将来は県費留学で他の事も知りたい」と笑顔で話した。ミッション団の一員で同県国際交流化課の與名良主幹は「県人会の熱心さは、知っていたが二、三世の参加人数の多さに感動。県費研修経験者も多く、県との交流事業が同祭の開催に繋がっていることが嬉しい」と話した。
ニッケイ新聞 2014年8月27日 宮崎県人会(高橋久子会長)がモジ市立劇場「CEMFORPE」で25日夜、『高千穂の夜神楽 ブラジル特別公演』を行なった。前日の『県人移住百周年および県人会創立65周年式典』に派遣され、伯国で初となる一般公演に臨んだ10人の舞手は、約500人の観衆を楽しませた。「創立式典だけでなく、日系人の多い地域でも」という互いの願いから、モジ市での一般公演が実現。昨年10月に事故死した谷広海前県人会長の強い希望を汲み、日本側で発起人となった丸山裕次郎県議(45、宮崎)は、「式典での公演では、幕開けしたときに涙が出そうだった。谷さんの思いを果たすことが出来た」と充実の表情。会場を見渡し「予想以上に多くの市民が足を運んでくれ感謝」と喜んだ。 本来、33演目を一晩かけて奉納する神事だが、「戸取りの舞」「ご神体の舞」など、厳選5演目を披露した。伝統芸能の理解に不安を抱く舞手だったが、場内には多くの拍手が響いた。市内在住の山本マルシオさん(43、二世)は「非常に美しい。初めて見たが、独特の雰囲気や昔ながらの日本感じた」と笑顔で話した。派遣団唯一の海外公演経験者だった甲斐晃一郎団長(78、宮崎)は、「感無量、大満足の出来。県人関係者、一般市民向けに披露できた。継承のため若手にとっても励みとなった」と、貴重な機会を喜んだ。
ニッケイ新聞 2014年8月27日 「晴天ならボクは生まれなかったかも」。陸軍南西方面軍参謀司令官の池田リュウゾウ少将は7月半ばに、聖市の広島文化センターを訪れ、3階にある原爆展示を見ながら、そう語ったという。案内した広島県人会理事の平崎靖之さんによれば、少将の両親は福岡県出身の戦後移民。少将は「母は口癖のように『原爆は小倉に落とされる予定だったが、たまたま当日曇っていたので、広島に変更された。もし天気が良かったら、あんたは産まれていなかった』と言っていた」とのこと。平崎さんがドキュメンタリー映画『Hiroshima』(BBC制作)を少将に貸すと、わざわざ広島と長崎の原爆投下の間、8月8日に同司令部の幹部全員に見せた。「みんなショックを受け、こんな悲劇は二度と繰り返してはいけないと語りあった」という。同センターの原爆展示は無料で、誰でも閲覧可能。8月だけに、興味のある方はどうぞ。(深)
ニッケイ新聞 2014年8月26日 ブラジル宮崎県人会(高橋久子会長)が24日、聖市の北海道協会で『県人移住100周年および県人会創立65周年式典』を行なった。在聖総領事館の福嶌教輝総領事、羽藤ジョージ聖州議、野村アウレリオ聖市議、日系団体代表者の来賓に、母県から稲用博美副知事、福田作弥議会議長ら74人の慶祝団を迎え、約400人が節目を祝った。国指定重要無形民俗文化財「高千穂の夜神楽」の使節団14人も駆けつけ、初の伯国公演を実現し式典に花を添えた。 式典に先立ち南米神宮による慰霊法要と、夜神楽奉納が行なわれた。式典実行委員長の山元治彦さんは、神楽派遣を強く希望した谷広海前県人会長の突然の死もあって、「伯国公演実現でき感動的」と喜んだ。冒頭あいさつに立った稲用博美(ひろみ)副知事は、「初来伯だが県人移住者らと触れ合い、宮崎に対する熱い思いが伝わった。益々の交流活性化が必要だと感じた」と述べ、河野俊嗣知事の祝辞を代読した。続いて福田議会議長、宮崎市の田村俊彦副市長らも祝辞を重ねた。福嶌総領事は「宮崎県人の活躍は、留学・研修制度などを続ける母県の理解あってこそ」と称えた。母県から功労者22人、80歳以上の高齢者60人への記念表彰、県人会からは母県功労者へも感謝状が贈られた。移住百年を記念し、先駆者の甲斐長蔵氏(川南町)へも記念表彰。また元留学・研修生を代表し、中村さゆり、土田オスカルさんが「祖父母のルーツを知ることができ感謝。自然に囲まれた豊かな生活は忘れられない」と謝辞を述べた。記念品交換や慶祝団から日系福祉団体へ金一封贈呈、その後は日舞やカラオケ、サンバといった余興を楽しみお開きに。県人会元理事の松原四雄さん(83、宮崎)は「会員らの協力で創立式典が盛大に催され、そのたびに感動。里帰り事業では母県が温かく歓迎してくれた」と感謝した。式典を終え稲用副知事は、「式典運営に活躍する留学・研修OB・OGの姿を見て、制度はこれからも続けるべきと強く感じた。ルーツのある宮崎に関心を持つ若者が多く応募することを願う」と期待した。
ニッケイ新聞 2014年8月26日 元県連会長の羽田宗義さんが23日午後7時ごろ、急性肺炎のため聖市モッカ区のサントマギオレ病院(プレヴェント・セニョール)で亡くなった。享年88。26年1月、愛知県半田市生まれ。58年10月に移住した。愛知県人会の3代目会長を84年から16年間務め、現在は愛知県人会名誉会長。その時代に県連会長も務めた。それ以外に日伯音楽文化協会顧問、文協評議員なども歴任した。今月17日の『第14回日本人の心の歌チャリティーショー』(文協)にも出演予定だったが、体調不調のため見送り。18日から入院し、葬儀は24日に行なわれた。初七日法要は30日午後3時から曹洞宗南米別院仏心寺(Rua Sao Joaquim, 285, Liberdade)で行われる。
ニッケイ新聞 2014年8月26日 鹿児島県人会の元スザノ支部長で、ニッケイ新聞編集部の制作部責任者の馬場典昭さんが、25日午前9時頃、入院先のモジ市のサンターナ病院で亡くなった。享年66。葬儀は26日午後2時からスザノ本願寺(Av.Tiradentes, 411)、その後、同市サンセバスチャン墓地に埋葬される。18日朝、スザノ市の自宅で脳動脈瘤により倒れ、同市のサンタカーザ病院に運ばれたが、脳外科の専門家のいる現在の病院に移され、UTIで治療を受けていた。馬場さんは1947年10月に鹿児島で生まれ、1978年に機械設計技師として工業移住し、日立マクセル、NSKなどで勤務した後、ニッケイ新聞で働いていた。その傍ら鹿児島県人会で一時期、監査やスザノ支部長を務めていた。
崇高な舞で500人の観客を魅了 ブラジル宮崎県人会(高橋久子会長)主催の「高千穂の夜神楽・モジ公演」が、25日午後7時半からサンパウロ(聖)州モジ・ダス・クルーゼス市の市立劇場「Cemforpe」で開催され、約500人の来場者があった。同公演は、ブラジル宮崎県人会創立65周年・県人移住100周年を迎えたことを記念して開催。夜神楽の本場宮崎県高千穂町から来伯した公演団の崇高な舞に、集まった観客は魅了されていた。 高千穂の夜神楽は宮崎県高千穂町に伝承されている伝統芸能。同地では秋の実りへの感謝と次の年の豊穣を祈願するために、毎年11月中旬から翌年2月上旬にかけて町内各地で33番の神楽を夜を徹して行われている。1978年に日本の重要無形民俗文化財に指定。80年には欧州で開催された国際伝統芸能祭へ招かれる等、海外での公演も多数行っている。 今回、ブラジルで初めて披露された公演は、昨年10月に交通事故で不慮の死を遂げた宮崎県人会前会長の谷広海氏が昨年8月に訪日した際に、県側に強く要望して実現したもの。一般を対象にしたモジ公演は、同県人会記念式典実行委員長の山元治彦氏が「夜神楽公演団がブラジルに来るので、どこかで公演をやらなければもったいない」と公演場所を探していたところモジ市が快諾。市は劇場の無料貸し出しに応じたほか、モジ文化協会も支援を行い公演実施の運びとなった。 同公演では、当日用に約1時間の短縮版としてまとめた五番の神楽が披露された。 開幕の「岩潜(いわくぐ)りの舞」は激流を4人の舞手が表現。後半には刀を使用した場面もあるなど、一瞬の気の緩みも許されない緊迫した舞を観客は固唾(かたず)をのんで見守っていた。 「戸取(とと)りの舞」では腕力を象徴する神である手力雄(たぢからお)が力強い舞を披露。日本神話に由来する岩戸を持ち上げる場面では来場者から盛大な拍手が送られた。 最後の「ご神体(しんたい)の舞」は神々の先祖とされるイザナギ、イザナミの男女二神が酒に酔って抱擁し合う内容。人間味溢れるコミカルな舞に観客席は笑顔に包まれた。 その後は宮崎県出身のソプラノ歌手・黒木あすかさんによる歌のショーや、舞踊団体「優美」や「西川陽輔会」による日本舞踊が披露された。 公演終了後には公演団や県人会のメンバーが出口前で列になり待機。観客と握手を交わすなど感謝の気持ちを伝えていた。 今回の神楽舞手代表を務めた甲斐晃一郎氏(79、宮崎)は「ただただ感激。(客席の)皆さんに熱心にご覧いただいて、また拍手もいただいて本当にありがたい」と感慨深げに同公演を振り返った。 モジ市在住で、70年以上も前に宮崎からブラジルに移住したという田久見富子さん(81、宮崎)は「とっても感動しました。懐かしい気持ちになった。また来てほしい」と笑顔を見せていた。 2014年8月28日付
県人移住100周年も祝って 「日伯両国の交流、懸け橋となる留学生・研修制度をこれからも続けていただきたい」―。ブラジル宮崎県人会創立65周年・県人移住100周年記念式典が24日、サンパウロ(聖)市ビラ・マリアーナ区の北海道協会会館で開催され、高橋久子会長はあいさつの中で冒頭の言葉を県側に依頼、強調した。式典には、母県から稲用(いなもち)博美副知事、福田作弥県議会議長をはじめとする74人の大型慶祝団が来伯し、県人会関係者を合わせて約400人が出席した。式典前の県人物故者慰霊法要に続き、ブラジルで初公演となった「高千穂の夜神楽(よかぐら)」も奉納。県人移住100周年を節目に、宮崎県とブラジルとの交流が改めて深められた。 ブラジルへの県人移住は、川南町出身の故・甲斐長蔵(かい・ちょうぞう)氏が1914年、27歳の時にサントス港に上陸したことに始まる。同氏は12年に25歳でペルーのカニエテに入植後、チリを経由してアンデス山脈を越え、アルゼンチンから船で渡伯。南マット・グロッソ州などで牧場経営を行い、97年に90歳で亡くなったという。 24日午前9時から県人物故者慰霊法要が南米大神宮による神式で執り行われ、高橋会長、福嶌教輝在サンパウロ総領事、稲用副知事、福田県会議長らが一人一人玉串奉納を行った。 引き続き、「高千穂の夜神楽」公演が実施。「手力雄(たぢからお)の舞」「鈿女(うずめ)の舞」「戸取(とと)りの舞」の3演目が奉納された。同公演は昨年8月に母県を訪問した県人会の故・谷広海前会長夫妻の強い思いで実現したもので、同10月に交通事故で不慮の死を遂げた谷氏への思いがしのばれた。 予定時刻通り、午前10時半から行われた式典には、日本側から稲用副知事、福田県会議長、田村俊彦宮崎市副市長、椎葉晃充町村会団長、伯側から福 嶌総領事、松尾治文協副会長、尾西貞夫援協副会長、木原好規県連副会長、羽藤ジョージ聖州議、野村アウレリオ聖市議など来賓が出席。日伯両国歌斉唱に続い て高橋会長があいさつし、100年前に甲斐氏がブラジルへの第一歩を踏みしめたこと、49年に創立した県人会が24人の会員から始まり、現在では県人子弟 が約1万5000人存在することなどを説明。その上で、80年に開始された技術研修生制度や県費留学生、農業研修生制度などを通じて学んだことを子弟たち が伯国社会の発展に役立てているとし、「両国の懸け橋となるこれらの制度をこれからも続けていただきたい」と強く願った。 河野俊嗣県知事の祝辞を代読した稲用副知事は、宮崎県からブラジルに計約4000人が移住し、母国とは異なる環境の中でたゆまぬ努力を続け、現在のブラジ ルに貢献していることに敬意を表した。また、今回の「高千穂の夜神楽」公演について「今後のブラジルと宮崎の新しい交流のきっかけになる」とし、県費留学 生・技術研修生制度による息の長い交流を実現させてきた中、「未来を担う若者たちの意見も反映しながらより一層強固な関係を作っていきたい」と述べた。 日伯両国代表者の祝辞に続き、第1回県人先駆者移住100周年記念表彰として、亡き甲斐氏の出身地である川南町の日高昭彦町長に記念プレートが手渡された。 その後、県人会から母県への感謝状、県からの記念表彰として県人会発展功労者(歴代会長ら4人)、県事業功労者(18人)、80歳以上の高齢者60人に表彰状と記念品が寄贈された。 吉加江ネルソン氏、大浦洋人氏、中鶴フジ氏がそれぞれ代表して謝辞を述べ、その後、県費留学生・農業研修生を代表して中村さゆりさんと土田オスカルさんもそれぞれ県への謝辞と思いを語った。 記念品交換、日系福祉団体への寄付の後、山元治彦実行委員長が閉会の辞を述べ、式典は締めくくられた。...
ニッケイ新聞 2014年8月26日 兵庫県人会(尾西貞夫会長)が9月21日、モジ・ダス・クルーゼス市に親睦ピクニックを挙行する。参加費は会員50レアル、非会員70レ(バス代、食費込み)、5歳以下と75歳以上は無料。申込み締切り同月16日。50年間枇杷、アテモイア、ゴイアバなどの果物を栽培し数々の賞を得ている細谷武雄さんの農場、お茶屋敷「カザロン・ド・シャ」、蘭園オリエンタルなどを訪れる。当日午前8時に同県人会前(Rua da Gloria, 332, Liberdade)からバスが出る。申し込みは同県人会(電話=11・3207・0025、Eメール=brhyogoken@gmail.com)まで。
ニッケイ新聞 2014年8月25日 沖縄県系人の大集団地、南麻州カンポ・グランデ市で沖縄県移民入植百周年が盛大に祝われた。1914年に完成したノロエステ線の敷設工事に携わった県民の一部が住み着いたのが始まり。市の日系人1万5千人のおよそ7割が県系人と言われる。14日は母県から高良倉吉副知事はじめ約80人の慶祝団を迎え、同市沖縄県人会が盛大に記念式典を開催した。ハワイ、ボリビア、聖市からも多数の慶祝団が出席。約600人が一堂に会し、先人の労苦に感謝を捧げるとともに、カンポ・グランデと沖縄県、南麻州との末永い友好を誓った。 志良堂ニウトン沖縄県人会会長は「われわれ子孫は先祖の努力の賜物。先駆者の精神をしのび、これからも家族を大切にしよう」と話し、「にふぇーでーびる」(ありがとうございます)とうちなーぐちで挨拶を締めくくった。聖市沖縄県人会の島袋栄喜副会長は「カンポ・グランデは一番早く県人会を創設し、苦労を乗り越えてコロニアを築いた。我々もその心意気を受け継ぐ」と話した。稲嶺名護市長は「『ちむぐくる』『ゆいまーる』(助け合い、相互扶助の意)の精神がこの町にも根付いてほしい」と、うちなーぐちで挨拶し、拍手喝采を浴びた。続いて県人会から慶祝団に記念プレートが手渡され、母県からは功労者5人および80歳以上の高齢者110人に表彰状が贈られた。芸能発表の後、夜更けまで晩餐会が開かれた。与那原町議会の識名盛紀議長(62、与那原、しきな・せいき)は、「最高だった! 沖縄ではもううちなーぐちを使わないのに、こちらでは皆が話すので、まるで沖縄全体がブラジルに移った感じ。ここには本物のウチナー文化が残っている。僕の小さい頃のようで、涙が出た」と感極まった様子で話した。 【続きはこちら】
サンパウロ・大阪姉妹都市提携45周年を記念して大阪ジュニアバンドが来伯し、17日に聖市のブラジル日本文化福祉協会の小講堂で演奏会を行い、約200席が満席になった。同バンドは10歳から15歳までの約150人の小、中学生で編成され、5、6年に一度の割合で海外公演を行っている。今回はその中から楽器、バトン(ダンス)合わせて26人が来伯し、創価学会女子部ノーバエラ鼓笛隊、青年部太陽音楽隊と共演した。まず日伯両国歌がジュニアバンドによって演奏され、続いてノーバエラ鼓笛隊、太陽音楽隊がそれぞれ演奏を行い、最後にジュニアバンドが再登場した。緊張の面持ちで「ルパン三世」の演奏から始まり、軽快な音楽に合わせて5人の少女達がダンスを踊ると客席から手拍子が起こった。一曲終わるごとに立ち上がって拍手を送る観客もおり、〃小さな親善大使〃を温かく歓迎した。音楽、ダンス合わせて計5曲を演奏し本編を終了したが、すぐさまアンコールが起こり、伯国の国歌を演奏すると皆立ち上がって斉唱し、最後には観客からの大歓声が沸き起こっていた。アンコールの最後には創価学会音楽隊と一緒に「ふるさと」を演奏し、口ずさむ人や声援を送る人もいて、観客の熱い反響に子供らも感動、興奮した様子だった。リーダーであり、トランペットの独奏も行った嶋村星哉さん(15)は、「みんなのまとめ役と自分の独奏もあって両立が大変だったが、全員が徐々に良くなってきたので上手く行ったと思う。大きな声援を貰えて本当に感動した。今日の事は発表会の度に思い出すと思う」と異国での歓声に感激していた。同バンドの指導者の上垣康則(51)、副指導者の小田剛史(たけし)(27)さんは「観客の反応が日本と違っていて本当に感動、鳥肌が立った。『日本もこんな風になればいいのに』と子供達と話していた。距離も時差もあり子供達は大変だったと思うが、それぞれが持つ力に感動させられた。私達も楽しかったし上手く行ったと思う」と満足した様子だった。閉演後は、同バンドと創価学会の両音楽隊員との交流会も行われた。日本から持参した団扇や子供達手書きの書など贈り、ポ語で挨拶した後、けん玉を披露、ここでも歓声を浴びていた。その遊び方を指導しながら、短時間だったが充実したひと時を楽しんでいた。交流を終えて同バンドの豊田紫裕(とよたしゆ)さん(12)は「ブラジル人は陽気で楽しい。演奏も交流会もとても上手く行ったと思う」と満足そうに話した。同バンドの山内武治副会長は、「一日毎に上達している子供達に驚いた。海外演奏旅行は非日常なので、出来るだけ多くの体験をして、充実した気持ちで今回の旅程を終えて欲しい」とのべ、日伯関係について「今は2年後に伯国で五輪が開催され、その4年後に日本で開催されるという好機にある。今回の演奏会でお互いの国に興味を持って、その時に繋げて行ければいい。音楽は素晴らしい世界の共通語なので、それを身に付けている子供達にぜひ頑張って欲しい」と語った。同バンドは45周年記念式典にも参加し、過密日程の中、イグアスの滝観光などを終え、20日、日本に帰国した。