07/03/2026

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【既報関連】サンパウロ(聖)州のグァタパラ移住地で7月19、20日に開催される移住地祭りに向け、ブラジル日本都道府県人会連合会(県連、本橋幹久会長)がバスツアーを企画している。募集ツアーは日帰りと1泊2日の2通り。 日帰りツアーは、18日午後11時に聖市リベルダーデ広場のマクドナルド前に集合し、グァタパラへ向け出発。翌日午前7時に到着予定で慰霊祭に参加。午後3時に現地をたち、同8時にリベルダーデ広場へ戻り解散となる。費用は175レアル。 1泊2日ツアーの日程は、18日午後1時半に聖市リベルダーデ広場のマクドナルド前に集合し、リべイロン・プレットへ向け出発。同6時に到着予定で、「ホテル・モンレアレ・リべイロン・プレット」に宿泊。翌朝6時に同ホテルのレストランで朝食を取り、午前8時にグァタパラへ向け出発。同9時半に到着後、グァタパラ移住地祭りと慰霊祭に参加する。午後3時半に聖市リベルダーデ広場へ向け出発。同9時に到着予定。費用は278レアル。 両ツアーとも6月末日まで参加者を募り、35人に満たない場合は中止。希望者は各自で訪問することとなる。 問い合わせや詳細はグローバル・ツーリズモ(電話11・3572・8990)まで。 2014年5月7日付
ニッケイ新聞 2014年5月6日付け  松島みどり経済産業省副大臣(58、大阪)が伯国とパラグアイ政府関係者との協議のため、1日に来伯し、3日に聖市イビラプエラ公園内にある開拓先没者慰霊碑を参拝した。その後、同公園内にある日本館を見学し、日系4団体の代表と会談を行った。会談後、副大臣は「W杯と五輪をきっかけに日本のメディアにも日本移民の歴史、日系人の功績を取り上げてほしい」と話した。  松島副大臣は「子供時代の東京五輪開会式でブラジル代表が入場した際の大歓声を今でも覚えている」と話し、「今の日本政府はアフリカへ目を向けがち」と述べ、南米諸国とより強い関係構築の重要性を語った。 松島氏は福嶌教輝在聖総領事ら関係者と共に、3日午前9時にイビラプエラ公園内の慰霊碑を訪れた。県連から本橋幹久会長と原島義弘副会長、援協から菊地義治会長が慰霊碑前で出迎えた。副大臣は慰霊碑に献花した。神戸と横浜の移民関連資料館にも前もって行ってきたという副大臣は、原島氏からの慰霊碑設置の経緯を熱心に聞いた。 慰霊碑裏に設けられた仏間で線香をあげると、先没者の名が記された過去帳を読み、横に置かれていた般若心経を自ら読経し、冥福を祈った。本橋会長は「お経まで唱えてくれた人は初めて」と驚きながら喜んだ。 記帳を終えると日本館を訪問し、同館を管理する文協の木多喜八郎会長らが案内を行った。庭には小泉純一郎元総理の記念植樹があり、その様子を観察すると「小泉さんに成長を伝えます」と話した。 館内を見学し、園内の錦鯉へ餌やりを終えると、県連、援協、文協の3会長に日伯文化連盟の中野ロザナ副理事長を加え会談を行った。懇談では主に各団体の事業説明が行われた。 菊地援協会長から医療機器の輸入制限緩和について問われると、「前日の日系企業代表者会合でも議題にあがった」と話し、「日本の審査を受ければ伯国の審査を受けないで済む様にしたい」と答え、日系社会の側面協力を頼んだ。今回はエネルギー問題を協議する目的のほか、海上油田開発の足場建設などの利権維持拡大がテーマの一つであることも明かした。 松島氏は80年に東京大学経済学部を卒業。同年朝日新聞社に入社。経済部の記者として活躍した。96年に第41回衆議院議員総選挙に東京14区より出馬するも落選。 00年の衆議院選挙で初当選を果たし、06年の安倍内閣で外務大臣政務官、07年の安倍改造内閣では国土交通副大臣を務めた。
ニッケイ新聞 2014年5月6日付け  「搗き立ての餅が食べたくて来ました」。聖市の新潟県人会(朝妻エレナ秀子会長)では4月26日、そんな声が終日次々に聞かれた。2、3カ月に一度、運営費集めに行われている「餅つきフェイジョアーダ会」の一場面だ。朝妻会長も「30人ぐらい手伝いに来てくれているみなさんのおかげ」と感謝する。  もう一つの看板料理フェイジョアーダは、南雲良治元会長が「今朝3時に起きて90人分煮込んだよ」という逸品。近くに住む小田久馬さん(85、山口)は「日本人好みの味で楽しみ。もう4回目かな」という。  当日は、新潟県の泉田裕彦知事一行が昨年来伯した時に県人会から依頼したハッピ50着が年末に到着しており、県旗と同じ赤色の新調ハッピが今回お披露目された。次回開催日は未定だが、7月の日本祭りでも笹団子や白餅を出す予定。(深)
在伯和歌山県人会連合会創立60周年記念式典が盛大に開催されましたことに、心からお祝い申し上げます。 60周年という晴れの式典に、和歌山県内に住んでいる人たちとともにぜひブラジルに行こうと、訪問させていただきました。 私は5年前に続いてブラジルは2回目の訪問となりました。前回はマット・グロッソ・ド・スル州ドウラードスの和歌山県人会の方々がたくさんサンパウロの式典に来られましたが、今回は我々自身がドウラードスに行こうということで、皆さんと交歓を深めようと訪問させてもらいました。 谷口史郎和歌山県人会ドウラードス支部長をはじめとする会員の皆様とお会いし、日本語モデル校校長の城田志津子さんをはじめ、たくさんの方々に感動を覚える話を聞かせていただきました。 和歌山県は皆さんご存知のように海に面しておりますが、この海をたどっていきますといずれはブラジルに到着すると思います。100年以上も昔から何人もの和歌山県民の方々が海外で活躍されていると聞き、海を渡っていかれました。時々海を見ては、我々の同胞が海外で活躍されていることを常々感じております。 私は和歌山県知事になる前にボルネオ島にあるブルネイという国で大使をしておりました。そのブルネイには原生林が多く、時々その原生林の中に入り、それがいかにすごいものか、人間にとっていかに困難であるものか肌で感じておりました。 戦前戦後に皆さんがブラジルの原始林を開拓したご努力、ご苦労は大変なものであったことを肌で感じております。 また前回の訪問で移民史料館を拝見させていただきましたが、その時大変印象に残ったのは、生活の大変苦しい中であっても皆さんのご先祖は教育には本当に手を抜かず熱心に子弟を教育されたことでした。農園をどんどん切り開き、ブラジルの国力を高めるとともに立派な人材をブラジルの各界に輩出し、現在のブラジル発展に導かれました。 今回、ドウラードス市長が歓迎の宴を開いてくれた時、「我々が今あるのは、和歌山県民の方々が努力してジャングルを開いてくれたからだ」とお聞きし、同じ和歌山県人として大変誇りに感じました。 正直、勤勉、そして忍耐という日本人の持つ美徳を皆さんがブラジル社会で十分発揮し、今日を築かれた素晴らしいご先祖あるいは同胞のご努力を心から尊敬し、たたえたいと思います。 最後に、県人会の皆様のますますのご繁栄とご健勝をお祈りし、私のあいさつとさせていただきます。 2014年5月3日付
このたび、遠路はるばるご来伯いただきました仁坂吉伸県知事はじめ、山田正彦県議会議長ほか10人の県議会議員ご一行の皆様、公益財団法人和歌山県国際交流協会の樫畑直尚理事長、和歌山県中名米交流協会主宰によります民間慶祝団33人の方々、さらには19人のビジネス・ミッションの方々をお迎えし、ブラジル側のご来賓と日系団体及び各県人会長の皆様、県人会会員の皆様のご列席のもとに盛大に創立60周年記念式典が開催されましたことに関係者のご尽力の賜物と衷心より感謝申し上げます。 当県人会は1954年4月8日に会員各位の親睦を図ることと、県民の移住振興を推進することを主な目的に創設され、この60年で紆余曲折をたどりながらも母県の温かいご支援と会員、役員、関係者のご協力によって向上発展してまいりました。 2000年に改築されました会館は会員の心の拠り所として、種々の文化活動の場として大いに利用されております。60周年を記念して俳句愛好会「くろしお句会」による句集が発刊されたのもその一例であります。 特に近年は、県連が主催しこれまで16回行われている「日本祭り」に回を重ねるごとにボランティアとして協力していただける会員が100人を超す状態となり、まさに県人会の活性化に大いに役立たせていただいています。 また、長年にわたって実施されてきました県費留学生・技術研修生制度で学んできた研修生OBはその見聞と体験を生かし、ブラジル社会の多岐にわたる分野でその成果を発揮しているのも事実であります。 現在は県、公益財団法人和歌山県国際交流協会ならびに中南米交流協会による「生活体験事業」として形を変え、県人子弟の青少年を受け入れていただいておりますが、とてもありがたいと感謝しております。 近年においては日本、ブラジルとも社会情勢が大きく変化し、相互依存がさらに必要となってきました。今回、75人から構成される多くの慶祝団の方々に直にブラジルを見ていただいたことは時期に相応したものであり、これからの人的・物的交流の活性化に大いに寄与するものと信じます。事実このように大勢のお客様とお迎えしたのは過去に例がありませんでしたが、60年を経た今日、第二の人生に例えれば、これからは出発点であります。 世代は代わりますが紀州人としての誇りを持って互恵の精神を深め、県人活動の活性化、母県と県人会ひいては日本とブラジルの親善と交流が一層発展するよう努めてまいる所存です。 最後になりましたが、母県の一層の発展と皆様のご健康を祈念申し上げ、あいさつとさせていただきます。 2014年5月3日付
アルゼンチン和歌山県県人会の会計を担当し、首都ブエノスアイレスから一人でやってきたという佐藤アレハンドロ太二さん(24、2世)は、母親が和歌山県出身の1世。同県人会は現在約100人が在籍し、佐藤さんはこれまでイベントのみの参加が多かったが、今年から役員を任されたという。ブラジルでの和歌山県人会の記念式典に初めて出席し、「自分と同じルーツを持っている人々に会えて感動した」と話していた。 ブラジルでの大正琴普及に尽力した畑美琴峰氏は、「15年ほど前に初めてブラジルに来た時に木原会長を紹介されましたが、同じ紀の川市出身で今では兄弟みたいにさせていただいています」と3年ぶりの来伯を喜んでいた。 100歳長寿表彰を受けた聖州アチバイア市在住の東喜三さん(104)は、同じアチバイア市に住む平松三(ひらまつ・かずみ)さん(82)らと一緒に参加。1929年に聖州チエテ移住地(現・ペレイラ・バレット市)に入植し、ペナーポリス市での日本語学校教師を経て、戦後にアチバイアに転住した東さんは同地で初期のころからイチゴ生産を行ってきたという。「チエテ時代から野球をやっていたが、ペナーポリスにいた時には野球を指導したチームがノロエステ大会で優勝したこともあった」と当時を懐かしんでいた。 平松さんはコチア青年1次4回として56年に渡伯。その後、アチバイアに移り花卉栽培やイチゴ、桃、ブドウなどの果樹を生産してきた。「木原(会長)さんにどうしても東さんを連れてきてほしいと頼まれたので、今日は一緒に来た。東さんとは今でも一緒にペスカ(釣り)に行ったりもしているよ」と笑顔を見せていた。 2014年5月3日付
「紀州人の誇りを持って」仁坂知事ら75人の大型慶祝団が来伯 「紀州人の誇りを持って母県と県人会の日伯親善に努めていきたい」―。1954年に発足した在伯和歌山県人会連合会の創立60周年記念式典が、4月27日午前10時からサンパウロ(聖)市ビラ・マリアーナ区の北海道協会会館で開催され、木原好規会長は式典あいさつの中でこう強調した。式典には、母県から仁坂吉伸県知事、山田正彦県議会議長をはじめとする県議団・県庁関係者、ビジネス・ミッション及び民間などで構成される合計75人の大型慶祝団も来伯して出席し、地元ブラジルやアルゼンチンなどの県人関係者ら約500人が一堂に会した。 和歌山県人のブラジル移住は1916年に始まり、戦前戦後を通じて1416家族5819人が渡伯し、県系人とその子弟は現在約4万人に及ぶと推定されている。 この日の記念式典ではサンパウロ州軍楽隊による日伯両国歌吹奏、先亡者の御霊(みたま)に対する黙とう、来賓紹介の後、木原会長があいさつ。紆余曲折を経ながら県人会が母県の支援と会員の協力により継続発展してきたことに触れ、今年の60周年の機会に俳句愛好会「くろしお会」による句集発刊と毎年恒例の日本祭りに今や県人会から100人以上のボランティアが参加している状況を説明。また、長年の県費留学生・技術研修生制度から現在は県の交流協会や中南米協会の協力で「生活体験事業(県人子弟受け入れ事業)」として形を変えて県人子弟の受け入れを行ってくれていることに感謝した。さらに、今回75人もの慶祝団が来伯したことに、「過去にこれだけの人たちを受け入れたことがない」と喜びを表し、今後のさらなる日伯親善に努めていく考えを示した。 仁坂知事は、今回知事として初訪問したマット・グロッソ・ド・スル州の松原移住地での入植当時の原始林開拓に思いをはせ、厳しい環境条件の中でも県人移民たちが子弟教育に力を注ぎ、ブラジルの国力を高めてきたことに「同じ和歌山県民として誇りを感じる」と敬意を表した。 引き続き、山田県会議長、谷洋一和歌山県議会南北アメリカ諸国友好議員連盟会長、福嶌教輝在サンパウロ総領事、樫畑直尚公益財団法人和歌山県国際 交流協会理事長、迫間(はざま)脩和歌山県中南米交流協会代表、野村アウレリオ聖市議、羽藤ジョージ聖州議、安部順二下議、下本八郎元聖州議、アルゼンチ ン和歌山県人会の佐藤アレハンドロ代表、本橋幹久県連会長がそれぞれ祝辞を述べた。 祝電披露の後、100歳長寿者表彰として大宅武男さんと東喜三さん(ともに104歳)に仁坂知事と山田県会議長から表彰状と記念品が贈呈された。 また、80歳以上110人の会員への高齢者表彰に続いて、モジ・ダス・クルーゼス市ビリチバ・ミリン在住の梅田幸治氏(90)と、聖州バストス市在住の薮田修氏(72)への功労者表彰も行われた。 高齢者を代表して謝辞を述べた橋詰真八郎氏(80、2世)は、自身らへの表彰とともに長女が25年前に県費留学生として母県に世話になったこと、また、昨年孫が生活体験事業で訪日したことへの感謝を表した。 連邦議会、聖州議会、聖市議会からの功労賞及び賞状授与、記念品交換、日系3団体への寄付に続き、今年の県人子弟受け入れ事業に参加した中野カリナさんが「和歌山は親切で心の温かい人が多いと感じた。今後もこのような事業を続けてほしい」と謝辞を述べた。 和歌山県議会南北アメリカ諸国友好議員連盟の中村裕一事務局長の発声による万歳三唱後に記念祝賀会に移行。舞台下では、仁坂県知事、山田県会議長、木原会長らを中心に記念のケーキカットが行われた。 午後からはアトラクションとして大正琴の演奏が行われ、慶祝団の一員で15年前にサンパウロで大正琴を指導普及した畑美琴峰(はた・びきんほう)氏が見守 る中、琴聖会のメンバーが「浜千鳥」をはじめ、「里の秋」や「荒城の月」などを披露。その後、有志による「安来節」やリズム体操に続いてサンバショーが行 われ、慶祝団と県人が一緒になって会場内を踊り歩いた。 和歌山県人会連合会創立60周年 サンパウロ新聞 PDF版...
物産品の試食試飲も好評 在伯和歌山県人会連合会(木原好規会長)創立60周年祝福のため来伯した和歌山県(仁坂吉伸県知事)慶祝団が4月28日、サンパウロ(聖)市セルケーラ・セザール区のブルーツリープレミアムパウリスタ・ホテルで自県の観光や特産物を紹介する「和歌山セミナー」を開催。来賓やブラジル(伯国)の食品関係者など約100人が来場し、セミナー終了後には地元食品企業による試食試飲会や商談が行われた。 同セミナーでは、在サンパウロ日本国総領事館の福嶌教輝総領事のあいさつと来賓紹介に続き、仁坂県知事が和歌山県観光の見どころを説明。「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録された「高野山」をはじめ、世界的にも珍しい「道」の世界遺産「熊野古道」や、熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の三つの大社から成る「熊野三山」などを挙げた。 同知事は他にも代表的な工業や製造業、あるいは農業や漁業を紹介し「和歌山県は穏やかな気候と豊かな自然に恵まれ、県民はフレンドリーな人が多い。東京都や大阪府などの都市部からのアクセスも良いため、ぜひ一度訪れてほしい」と来訪を呼び掛けた。 セミナー終了後、仁坂知事は本紙の取材に応じた。まず、和歌山県人会の60周年記念式典に参加した感想を聞くと、「言葉も分からず環境も大いに違う中で、苦労があったと思う。同胞として誇り」と語った。 また観光招致に関連して観光ビザ撤廃の是非を問うと、「和歌山県のみならず、日本の観光分野成長に向けて外務省や首相官邸にノービザを進言している。不法就労は、就労先が取り締まればコントロールでき、ビザの問題ではないだろう」と考えを述べた。 ブラジルと同県の交流の展望については「ブラジルの人は旅行が好きだと聞いている。再度旅行担当者をブラジルに派遣して具体的に話を進めたい。また野菜や魚など食生活が豊かなため、セミナーで紹介したしょうゆや酒の流通にも芽があるだろう」と期待を込めた。 また当日の試食試飲会では、同県の四つの食品企業などが商品を紹介した。 株式会社角長(加納誠社長)は、しょうゆを製造販売。加納恒儀氏は「当社のしょうゆは鎌倉時代の製法で作られる。これにより、原料の大豆の甘味そのままに自然の味を楽しめる」と説明した。同社の一押しは「濁り醤(にごりびしお)匠」。 株式会社九重雜賀(ここのえさいか、雜賀俊光社長)は日本酒や梅酒、酢を製造販売。雜賀社長によれば同社は、「よりよい酸を食卓へ」「主原材料か らの一貫造り」の理念の下、国内外で高い評価を受ける商品を生産している。例えば「純米吟醸雑賀」は、ANA(全日本空輸)国際線のファースト、ビジネス クラスの提供酒に採用された。 中田食品株式会社(中田吉昭社長)は梅干しや梅酒を製造販売。「古城の煌き(きらめき)」が2年前 に日本一の梅酒に選ばれた。醸造事業部海外事業チームリーダーの北村仁嗣氏は「モンドセレクション最高金賞の天然水を割り水に、厳選された完熟梅を使用し ている。そのため砂糖を入れなくても自然な甘みが引き出せ、健康にも良い」と魅力を語った。 合名会社丸正酢醸造元(小坂晴次社 長)は現在23種類の酢製品を製造販売。もち玄米酢の「那智黒(なちくろ)米寿」は2007から7年連続でモンドセレクション最高金賞を受賞している。小...
静岡と茨城が出店不参加  ブラジル日本都道府県人会連合会(県連、本橋幹久会長)は4月25日、サンパウロ(聖)市リベルダーデ区の同会会議室で4月度代表者会議を開催した。  会長就任後、初めての代表者会議に臨んだ本橋氏は冒頭のあいさつで「役員だけでなく、会員皆で作り上げる県連にしたい」と抱負を述べ、同会議については議長と書記を各県人会長が毎月交代で担当する方針を決めた。  同会では、2014年度の県連運営委員会のメンバーが発表された。同委員会は、「運営管理委員会」「対外活動委員会」「行事実行委員会」「特定事業委員会」「CIATE役員への選出員」の五つで構成され、担当委員は県連の組織運営や行事、あるいは対外的な活動などで率先してかじ取りを行う。  第17回フェスティバル・ド・ジャポン(日本祭り)の収支予測については、山田康夫副会長が現状で7、8万レアルの赤字見込みと発表。また諸事情により静岡、茨城両県人会の出店不参加が決定した。ただし入場許可証は同県人会員にも渡される。  同祭については今後5月中旬をめどに広告・宣伝を行う予定で、同月5日までに集まった協賛企業の名前が第一弾のスポンサーとして公表される。  会議では県人会の活性化を目標の一つに掲げる本橋会長が、当日の参加が37の県人会にとどまったことを引き合いに出し、「今後2世、3世に引き渡していかなければならず、県連の活動に参加するモチベーションの醸成をしていきたい」と述べた。それにちなんで、「県連の会議は日本語とポ語両方で行うべきだ」という考えや、「それよりも2世以降の日本離れが深刻な問題であり、ポ語を用いるのでなく、日本の文化や日本語に興味を持たせる方法を検討すべき」などの意見が交わされた。  またJICA主導で、中南米進出を希望する日本の企業が現地を視察する「第3回中南米民間連携調査団」の来伯が発表され、今月19~25日まで滞在するという。同調査団には11の府県から15企業が参加するが、該当府県の県人会長で希望者は、20日午後6時半より意見交換会を行うという。 2014年5月3日付
ブラジル宮城県人会の5月度青葉祭りは3日と17日、午前7時ごろからサンパウロ市リベルダーデ区の同会館(Rua Fagundes,152)で開催される。  地下駐車場では、農協婦人部連合会(ADESC)の加工食品、イビウナ、カッポン・ボニート地方の有機野菜、薬草、健康食品などの販売ほか、整体、家紋調査など。屋上の食事コーナーでは天ぷらうどん(3日)、さんま定食(17日)、ハラコ飯、イカ入りソース焼きそば、もち料理等を販売する。  問い合わせは同県人会(電話11・3209・3265)まで。 2014年5月3日付
ニッケイ新聞 2014年5月1日 ブラジル日本都道府県人会連合会(本橋幹久会長)の4月度代表者会議が24日、文協ビル県連新会議室で開かれ、「第17回日本祭」準備の進捗状況などが報告された。各県人会の代表者38人が参加した。 先月の報告会で25万レアルの赤字が見込まれていた日本祭について、同祭実行委員長の山田康夫氏(滋賀)は「赤字は7~8万レに縮小した」と進展を報告。安部順二連邦下議からの10万レ寄付に続き、大田慶子連邦下議からも同額の寄付が得られたことが赤字減少の要因という。今後は交渉中のスポンサー契約と諸経費の見直しを進め、さらなる赤字削減を図っていく方針だ。 郷土料理展には、茨城、静岡、島根3県人会が不参加を発表。茨城は「一世の会員が書道や墨絵のコーナーに行ってしまうので、作り手が集まらない」、静岡は「名物うなぎの衛生面が保証出来ない」、島根は「会員の高齢化と、参加費と収益のバランスがとれない」ことを理由としている。 3月度の会計報告では、新会議室の設備工事があったため、収入1万2千914レに対し、支出が2万6千758レで1万3千844レの赤字が報告された。 また議題に先立ち、「県連各種委員会メンバー」の確認も行われた。本橋会長は、各県人会では対処しきれない問題を取り扱う「県人会活性化委員会」(杉本教雄委員長)の利用・協力を強く呼びかけたほか、「第18回日本祭り準備委員会」の設置および、8月に委員の選定を行うことを発表した。「委員会は県連の要。皆さんにはしっかりと認識してもらい、県連の活動を監視してほしい」と述べた。 新愛知県人会会長に就任した沢田功氏(65、二世)の紹介も行われた。
4月13日、ジアデマ市の沖縄県人会運動場にて、広島、岡山、島根、鳥取、山口の中国地方五県の友人や家族・親戚が集まり、「第15回中国ブロック運動会」が開催されました。 前日の雨にもかかわらず、多くの人々、特に5県の日系ブラジル人団体の人々が、この楽しいイベントのためにブラジル沖縄文化センターにやって来ました。 湿って滑りやすくなったグランドゆえに参加者の安全性を心配した主催者は、大半の競技を屋根で覆われているゲートボール場に移動して行なうことにしました。長くて、引き伸ばしたときにゲートボール場に収まりきらない綱引きなどの競技は、外のグランドで行なわれました。 予想されたように、子供たちの徒競走、2人組みで行なうカニ競走、タイヤ転がし、お米の詰まった袋を投げて塔の上にある紙のボールを破裂させる鈴割り競技などでたくさんの転倒がありました。以前の場合と同様、主催者は子供たちが競技と競技の合間も楽しめるように、先生つきの図工や絵のワークショップも設けました。 運動会の活動は主に子供たちを対象としていますが、すべての年齢層の人を含めることができます。 これは、地域社会が主催する形式ばらないイベントであり、すべての人々の参加を必要としています。そのようにして、年齢や世代を超えた接点ができ、つながりが広がり、きずなが深まっていくからです。 この点で、中国ブロック運動会の5県の若者の参加は多くの人々の注意を引くとても美しいものでした。みんな、きちんとユニフォームを着て、主催団体に協力しイベントを盛り上げ、運動会終了後も基礎設備の片付けに従事しました。 最後の競技では、これらの青年部の若者たちが、たくさんの応援とすごい盛り上がりの中、激しいチームリレー競走に参加しました。 運動会のルールに従って、各競技に勝者がいますが、これは地域社会の統合イベントであるのですべての参加者が賞をもらいます。まさに、勝つこと以上に、参加することに意義があるのです。 なぜ中国ブロックなのでしょうか? 中国というのは、広島、岡山、島根、鳥取、山口の5県で構成される日本の地方名です。 日本の最大の島(本州)の西部に位置し、この地方は主要都市から比較的離れています。「中国」地方という呼び名の由来ははっきりしていません。一説には古代、畿内を中心に令制国を「近国」「中国」「遠国」に区別したとき、この地方のほとんどが「中国」に相当したからだとされています。 運動会 運動会は、スポーツをまとめたものを意味します。学校、会社(企業)、地域団体(地域社会)などの構成員あるいは関係者が一定のプログラムに従って行う体育的な行事。運動会は、みんなが参加でき、なにか特定のスポーツの実践者である必要はありません。老若男女、日頃運動していない方も楽しめる内容になっています。したがって、マルチスポーツ大会などを、運動会と翻訳することで合意しました。 日本では広く普及していて歴史と人気を持つ運動会ですが、たいてい9月、10月、11月などの秋に開催されます。 ブラジルでは、ほとんどの運動会は偶然にも南半球の秋と一致する、5月から8月の間に行なわれます。ブラジルでは日系ブラジル人団体において、特に日本語学校がある所で開催されます。
去る4月10日(木)19時半より、駐ブラジル日本国特命全権大使に着任された梅田邦夫氏と恵子夫人の歓迎会が文協貴賓室にて執り行なわれました。 「ブラジルへようこそ!そして、日系社会へようこそ!」。日系団体を代表して文協木多喜八郎会長が梅田大使夫妻への歓迎の言葉を述べました。「ブラジルは日本から一番遠い国ですが、現在160万人に達する世界最大の日系社会がある国です。梅田大使は在リマ日本国総領事館総領事としての経験をお持ちということで南米文化もすでに知っておられ、ポルトガル語と同じラテン語に属するスペイン語もお話しになられますので、ブラジルに馴染むのは難しいことではないと思います。ワールドカップ、日伯修好通商航海条約120周年、大統領選挙など、いろいろなイベントが控えておりますが、今後わたしたち日系社会のことをどうかよろしくお願いいたします!」と親しみをこめて挨拶しました。 安部順二下議がその力強い挨拶の中で明かした梅田大使の”サッカー好き”ですが、それは本当のようで、梅田大使の話によると、以前からブラジルが大好きで上司にブラジルへの赴任を直訴していたそうです。そんな梅田大使の挨拶はとても印象に残る、出席者の共感をよぶものでした。まず初めに、盛大な式典を準備した日系社会への感謝を表した後、「ずっとブラジルに行きたかったので、ブラジル大使として今日ここにいられて本当に幸せです」と述べました。 そして、「日系社会のみなさんに3つの感謝と1つのお願いがあります」と述べて聴衆の注意を引き付けました。梅田大使が言及したのは次の4つの点でした。 感謝1ブラジル国における日本人への絶大な信頼日本からブラジルに移り住んだ移民先駆者たち、そしてその後ブラジルで生まれ育った日系人たちが、100年以上の年月をかけて、その勤勉で正直な働きによって築き上げてきたブラジル国内における日本人に対する評価は、日本全体の宝である。現在、日本企業がブラジルに進出しやすい土壌を作った功績は計り知れない。 感謝2日系社会のW杯開催への協力日系主要5団体が迅速にブラジルワールドカップ日本人訪問者サンパウロ支援委員会を立ち上げて、W杯に向けて準備を始め、日本人旅行客への援助を行動に移したことは、日本国内でも高く評価されている。JFA(日本サッカー協会)の小倉純二名誉会長など、日本のサッカー関係者達も日系社会に非常に感謝している。 感謝3日本サッカー界への貢献ネルソン吉村やセルジオ越後はJリーグが出来るずっと以前に日本サッカー界に高い技術をもたらした。1993年に10クラブで開始したJリーグ(日本プロサッカーリーグ)も、1999年からJリーグディビジョン1とディビション2の2部制に移行し、2014年からはJ3リーグ発足と、設立20年で目覚ましい発展を遂げてきたが、それにはブラジル人や日系人の寄与するところが非常に大きい。初期Jリーグで、ジーコ、レオナルド、ドゥンガ、ラモス、ビスマルクなどなど数々の有名ブラジル人選手が活躍し、日本サッカー界を盛り上げ、日本サッカーのレベルを底上げし、日本にサッカーのおもしろさとプロッフェショナルの心構えを教え、サッカーというスポーツを普及させた。 お願い 来る2015年、日伯修好通商航海条約締結120周年でたくさんのイベントを行なう予定なので、実行委員会を早期に立ち上げて準備を進めることで、協力をお願いしたいとのこと 梅田大使はサッカーだけのためにブラジルに来たわけではないことを出席者の笑いを誘いながら強調しました。「首脳レベルの来伯も10年前の2004年、小泉純一郎元首相以来だが、是非とも近い将来に実現させたい」、「日本、ブラジル二国間の政治関係、経済関係、信頼関係もさらに発展させていきたい」と力強く語りました。最後に、日系社会の健勝を祈願し、挨拶の言葉を締めくくりました。 本当に、積極的で、明るくて、自信に満ちた梅田大使に、出席者たちは今後の日系社会の未来に希望と期待を抱くようになったに違いありません。日系社会としても、精一杯梅田大使を支持し、日系社会に活性化に力を合わせて取り組んでいきたいものです。
ニッケイ新聞 2014年4月30日 1954年4月に創立された在伯和歌山県人会連合会(木原好規会長)の創立60周年式典が27日、聖市の北海道協会で開催された。約500人が会の軌跡を振り返り、現在の繁栄を祝った。母県から仁坂吉伸知事、山田正彦県議会議長ら県議11人などから成る公式訪問団、19人のビジネスミッション、民間訪問団あわせ75人が出席した。木原会長は「これは出発点。県人活動の活性化、母県と県人会、日伯親善と交流が一層発展するよう努めたい」と誓った。和歌山県人の最初の移住は1916年にさかのぼり、戦前・戦後を通じて約1400家族、6千人が移住したといわれる。県人で戦前に移住していた松原安太郎氏によるいわゆる「松原移民」が1953年に到着し、戦後移住のさきがけとなった。県人会は和歌山出身者ら有志が設立した植民会社が発展したもので、県人同士の交流、県人移住の振興を主な目的として活動が行われてきた。現在の会員数は約200家族。2000年には会館の改築が行われ、文化活動の場となっている。県連主催の日本祭りでは、ボランティアとして参加する会員数が100人を超える。来伯2回目の仁坂知事は、式典に先立ち県人が多く住むドウラードスを訪問したことに触れ、「日本人の持つ美徳をブラジルの社会において十分発揮され、努力されて今日を築いた。素晴らしい我々の先祖・同胞の努力を心から誇りにし、称えたい」と挨拶した。山田議長は「皆様のふるさと、和歌山の発展のため、さらに全力で取り組んでいく」と会場を沸かせ、県国際交流協会の樫畑直尚理事長は、同会が県人子弟を中心に生活体験型プログラムを実施する本体として活動していると説明。「官民協調で交流を深め、要として精進したい」と話した。80歳以上の高齢者表彰では、最高齢でともに104歳の大宅武男さん(伊都郡、モジ在住)、東喜三さん(串本町、アチバイア在住)が、自ら知事から感謝状と記念品を受け取った。その後の記念祝賀会、アトラクションでは大正琴の演奏、どじょうすくい、サンバショーなどが披露され、会場のあちこちで歓談を楽しむ声が聞こえた。喜志文代さん(89、有田市)は53年に松原移民として移住し、17年を同地で過ごした。「道なき所に道を造り、カフェを3千本植えた。食べるものも慣れていないし、大変でしたよ」と振り返った。「僕らは同じクルパイ移民だったんですよ」。1958年の和歌山植民地(クルパイ植民地、南麻州)への第一陣移民だった平谷勲さん(70、田辺市)、下垣内昭さん(66、みなべ町)は、再会を喜んだ。「これだけの人が来てくれ嬉しい。僕らのことを忘れてくれていない」「県人を思ってくれるその温かい心を、誇りに思う」と、それぞれ知事ら一行の訪問を喜んだ。
「紀州人の誇りを持って」 「紀州人の誇りを持って母県と県人会の日伯親善に努めていきたい」―。1954年に発足した在伯和歌山県人会連合会の創立60周年記念式典が、27日午前10時からサンパウロ(聖)市ビラ・マリアーナ区の北海道協会会館で開催され、木原好規会長は式典あいさつの中でこう強調した。式典には、母県から仁坂吉伸県知事、山田正彦県議会議長をはじめとする県議団・県庁関係者、ビジネス・ミッション及び民間などで構成される合計75人の大型慶祝団も来伯して出席し、地元ブラジルやアルゼンチンなどの県人関係者ら約500人が一堂に会した。 和歌山県人のブラジル移住は1917年に始まり、戦前戦後を通じて1416家族5819人が渡伯し、県系人とその子弟は現在約4万人に及ぶと推定されている。 この日の記念式典ではサンパウロ州軍楽隊による日伯両国歌吹奏、先亡者の御霊(みたま)に対する黙とう、来賓紹介の後、木原会長があいさつ。紆余曲折を経ながら県人会が母県の支援と会員の協力により継続発展してきたことに触れ、今年の60周年の機会に俳句愛好会「くろしお会」による句集発刊と毎年恒例の日本祭りに今や県人会から100人以上のボランティアが参加している状況を説明。また、長年の県費留学生・技術研修生制度から現在は県の交流協会や中南米協会の協力で「生活体験事業(県人子弟受け入れ事業)」として形を変えて県人子弟の受け入れを行ってくれていることに感謝した。さらに、今回75人もの慶祝団が来伯したことに、「過去にこれだけの人たちを受け入れたことがない」と喜びを表し、今後のさらなる日伯親善に努めていく考えを示した。 仁坂知事は、今回知事として初訪問したマット・グロッソ・ド・スル州の松原移住地での入植当時の原始林開拓に思いをはせ、厳しい環境条件の中でも県人移民たちが子弟教育に力を注ぎ、ブラジルの国力を高めてきたことに「同じ和歌山県民として誇りを感じる」と敬意を表した。 引き続き、山田県会議長、谷洋一和歌山県議会南北アメリカ諸国友好議員連盟会長、福嶌教輝在サンパウロ総領事、樫畑直尚公益財団法人和歌山県国際交流協会理事長、迫間(はざま)脩和歌山県中南米交流協会代表、野村アウレリオ聖市議、羽藤ジョージ聖州議、安部順二下議、下本八郎元聖州議、アルゼンチン和歌山県人会の佐藤アレハンドロ代表、本橋幹久県連会長がそれぞれ祝辞を述べた。 祝電披露の後、100歳長寿者表彰として大宅武男さんと東喜三さん(ともに104歳)に仁坂知事と山田県会議長から表彰状と記念品が贈呈された。 また、80歳以上110人の会員への高齢者表彰に続いて、モジ・ダス・クルーゼス市ビリチバ・ミリン在住の梅田幸治氏(90)と、聖州バストス市在住の薮田修氏(72)への功労者表彰も行われた。 高齢者を代表して謝辞を述べた橋詰真八郎氏(80、2世)は、自身らへの表彰とともに長女が25年前に県費留学生として母県に世話になったこと、また、昨年孫が生活体験事業で訪日したことへの感謝を表した。 連邦議会、聖州議会、聖市議会からの功労賞及び賞状授与、記念品交換、日系3団体への寄付に続き、今年の県人子弟受け入れ事業に参加した中野カリナさんが「和歌山は親切で心の温かい人が多いと感じた。今後もこのような事業を続けてほしい」と謝辞を述べた。 和歌山県議会南北アメリカ諸国友好議員連盟の中村裕一事務局長の発声による万歳三唱後に記念祝賀会に移行。舞台下では、仁坂県知事、山田県会議長、木原会長らを中心に記念のケーキカットが行われた。 午後からはアトラクションとして大正琴の演奏が行われ、慶祝団の一員で15年前にサンパウロで大正琴を指導普及した畑美琴峰(はた・びきんほう)氏が見守 る中、琴聖会のメンバーが「浜千鳥」をはじめ、「里の秋」や「荒城の月」などを披露。その後、有志による「安来節」やリズム体操に続いてサンバショーが行 われ、慶祝団と県人が一緒になって会場内を踊り歩いた。 2014年4月29日付
ニッケイ新聞 2014年4月25日 新潟県人会(朝妻エレーナ会長)が26日午前11時から、同会館(Rua Pandia Calogeras, 153 – Liberdade)で「フェイジョアーダ&もち祭り」を開催する。約80人分を用意する特製フェイジョアーダは一皿15レで、臼を使ったつきたての餅は70キロほど準備し、1キロ18レで販売。なくなり次第終了となる。問い合わせは同会(11・3209・5116)まで。
 在ブラジル和歌山県人会(木原好規会長)創立60周年式典をはじめとする記念事業が、24~28日の5日間にわたってサンパウロ(聖)市をはじめ、松原移民が入植したマット・グロッソ・ド・スル州ドウラードス市などで行われる。同事業のために母県から仁坂吉伸県知事をはじめとする慶祝団一行72人が24日から来伯。仁坂氏は県知事として初めて松原移住地を訪問するほか、27日の記念式典、28日の和歌山プロモーションに出席する。  特に和歌山プロモーションでは、世界遺産「熊野と高野」を誇る同県の魅力と和食の原点である「食」情報を発信するセミナーが開催される。 記念事業の日程は次の通り。【24日】午後7時=ドウラードス市長主催晩さん会。【25日】午前8時40分~午前9時=松原移住地訪問。午前11時~午後3時=和歌山県人会ドウラードス支部主催歓迎交流会。午後8時=県知事主催同支部県人会役員との夕食会。【26日】午前8時~午前9時=ドウラードス日本語モデル校訪問。午後1時50分=聖市イビラプエラ公園内開拓先亡者慰霊碑参拝。午後7時=福嶌教輝在サンパウロ総領事主催夕食会。【27日】午前10時~午後3時=聖市ビラ・マリアーナ区の北海道協会(Rua Joaquim Tavora, 605)で在ブラジル和歌山県人会創立60周年記念式典。午後7時=県知事主催サンパウロ県人会役員との夕食会。【28日】午後11時=聖市セルケーラ・セザール区のブルーツリー・プレミアム・パウリスタ(Rua Peixoto Gomide, 707)で和歌山プロモーション。 2014年4月23日付
潮風に吹かれながら船上で談笑 ふるさと巡り最終日の3月17日、一行は1時間ほどかけてやってきたカラグアタツーバの船乗り場で船に乗り込み、午前10時過ぎに出港した。 目指すは、前日訪れたサンセバスチャンの街と海を挟んで向かいにある島で、ピッコ・ド・サンセバスチャンと呼ばれる最高峰1378メートルの山があるイーリャ・ベーラ。その大きさは一見本当に島なのか疑ってしまうほどで、海岸からすぐ山に入る急な山になっている。 この島付近の海はとても奇麗で、特に島の大西洋側はサーフィンなどのマリンスポーツを楽しめるスポットとして有名。前日訪ねたサンセバスチャンの日本人会関係者によると、最近は風の力を借りて進むバルコ・ベーラや、スケートサーフなどが人気だそうだ。 最終日も天候に恵まれ、よく晴れた空の下で波を切って走る船上で風に吹かれる気分は壮快。途中「タイタニック号」という名前の商業船とすれ違うと思わず笑ってしまった一行。サンセバスチャンの近くまで来ると、ペトロブラス社の大型タンカーが深い港に停泊していた。港からはパイプラインが伸びており、いかにも大きな港町を思わせる。 そのほとんど向かいに見えるイーリャ・ベーラの船着き場に、出発から約1時間ほどかけて到着した。その日は観光だけの一日となっており、約1時間の自由時間で一行は町の商店街で魚や果物などを見て回るなどした。 別荘が並ぶ緑色の山の斜面からの景色が見たいと思った記者は、急ぎ足で山の斜面へ向かってみることにした。途中の道にはアセロラの木が生えていたり、宿泊施設や日本食料理店、スポーツジムなども見受けられた。 海を背に自然豊かな山の斜面をゆっくりと登り始め、振り返って下を見てみると、そこには青い海が一面に広がり、ヨットハーバーに停まっているたくさんの船が静かに波に揺られていた。この絶景を見て何となくここに別荘を造りたがる人たちの気持ちを理解できたように感じた。いつまでも見ていられるようなそんな景色であった。 再び船に乗り潮風に吹かれながら談笑したり景色を楽しんだ一行は、サンセバスチャンのレストランで食事を楽しんだ後、午後3時ごろバスで出発しサンパウロ市のリベルダーデまで帰ることとなった。 到着前のバスの中では雷雨に見舞われたが、4日間の日程の中参加者に大きなけがや病気なども無く、今回も素敵なふるさと巡りとなった。(おわり、倉茂孝明記者) 2014年4月23日付
ニッケイ新聞 2014年4月16日 原発事故で損なわれた故郷に対する、ありがちな感傷的コメントを期待した記者の期待を見事に裏切り、永井文子さんは「私は小さい時に来ているから、何も分からんのよね。息子が日本に働きに行っているから、地震の前に一度遊びにいったらしいけど…」とサバサバした様子をみせた。1945年から47年の終戦直後にはツッパンにいた。「夫(永井哲夫、福島県富岡出身)が53アルケール棉をやっていた。多い時はカマラーダを30人ぐらい使っていた」と思い出す。「ソグロ(義父)は『日本が負けたはずない』、私の父や夫、隣の人もカデイヤ(留置場)に入れられた。そこに入りきれなくなって、縄で囲った場所に無理矢理囲うようになったとか聞いて、物騒になったようです」と淡々と話す。だから、日本人がいない場所へわざわざ来たようだ。当地ではバナナ栽培で一旗揚げ、夫と友人でアルゼンチンや欧州に輸出していたという。「この会館作るのに夫は一生懸命にやった。ゲートボールが好きな人で、カンポ(コート)も作った。私は今でもゲートボールやってますよ」と夫との思い出を噛みしめるように語った。子供移民にとって、ほぼ記憶にない祖国との心理的距離は時間と共に遠ざかり、逆に子孫が根を張った伯国との地縁が強まり、ここが「第2のふるさと」になる――。最後の別れ際、食事を用意してくれた婦人部のみなさんと抱き合って惜しむ姿も見られた。◎参加者の斉藤利治さん(としはる、73、二世バウルー生まれ)は「サンセバスチャンでは地元のみなさんが汗をかいて食事を作ってくれたのがうれしかった。でも、ただ食事を食べに行くだけみたいになったのが残念。もっと交流プログラムを充実させてほしい。ピンダのような日本語学校支援ビンゴみたいのは歓迎だ。他の場所でもやったらよかった」と振りかえった。参加者の多川富貴子さん(77、三重)=サントアンドレー在住=は「タウバテで久々の人に敢えてホントによかった。故郷の友人に会ったような気分」と喜びつつも、「今回はその土地の先人にお線香をあげる機会が1回もなかったのが残念」と語り、さらに「ピンダがやったように、他の日系団体も10分でいいから最初に歴史を説明してほしかった」と惜しんだ。今回は初参加組も多く見られた。聖南西イタペーバ在住の田中正さん(ただし、77、佐賀)もそうで「前から参加したかったけど、今回初めて。歳とってから安心して参加できる旅行だね」と感想をのべた。初参加の山口政之さん(89、熊本)=聖市在住=は伯国在住がまだ6年目だ。貿易関係の仕事だった関係から、海外在住歴はイタリア20年を初めスウェーデン、スイス、フランスなど長いが、終の棲家はブラジルに決めたという。「飛行機は600回以上乗りました。旅行が好きで、65歳から世界中を飛び回っています」という強者だ。すでにアマゾンやノルデスチも旅行し、「ブラジルは食べ物美味しいし、日本語が通じる」と気に入っている。生まれは広東省で19歳の時に朝鮮で終戦を迎え、引き揚げて九州大学を卒業してから、世界を股にかけた仕事で飛び回った。妻を亡くし、「今は天蓋孤独の身です。ちょっと寂しいですね」とつぶやく。叔父がブラジル移民だった関係で13年ほど前に一度会いに来た。以来5回来伯する中で永住を決め、07年から住んでいる。「100年前から日本を飛び出してこちらに住んでいる人は勇気のあった人だと思います」と頷いた。◎一行は17日にイーリャ・ベーラを観光した後聖市に向かい、午後7時にリベルダーデ広場で解散し、早くも次回9月のペルー行きで再会することを約束し合っている人の姿も見られた。(終わり、深沢正雪記者) この連載はこちらでご覧になれます。http://www.nikkeyshimbun.com.br/2014/2014rensai-fukasawa3.html
ニッケイ新聞 2014年4月15日 天井がなく、梁や屋根裏むき出しの会館には地方の趣が漂っている。裏にはゲートボールコートが3面あるが、舞台には備え付けのマイクもなく、カラオケ教室もないようだ。でも森会長によれば年3回のビンゴを実施し、9月のヤキソバ祭りには500人分が売り切れるという。12月には餅つきも恒例で、180キロを搗くというから本格的だ。元会長の内山田太さん(80、福岡)は1959年に呼び寄せで渡伯した戦後の農業移民だ。最初はイタカケセツーバに入ったが、霜が降りて痛い目に遭い、「霜が降りない場所へ」と海岸山脈をおりて温暖なこの地へ66年にやってきた。以来トマトやピーマンなどの野菜生産に従事してきた。「聖市の方で霜が降りるとセアザの値段が3、4倍に上がる。そうするとこっちは儲かった」と思い出し笑いする。サンセバスチャンは1636年のポルトガル人入植から始まる歴史ある港町だ。「日系漁師も5、6家族いた」というのは住川和代さん(65、和歌山)だ。1960年に家族で渡伯した。和歌山県田辺といえば今も漁港で有名だが、父山崎登さん(故人)はそこで漁師をしていた。来伯当初はモジのコクエイラ区の養鶏場で働いたが1年後にはここへ来た。「わざわざ日本から漁具を送ってもらって始めたんです」。エビやイワシ漁が一般的だが、山崎登さんは車エビ中心で、セアザに送っていた。父について仕事を習っていた住川正吾さん(二世)と和代さんは結婚した。70、80年代が最も景気がよく、「昔は同じところで1カ月も2カ月も漁をしていた」と懐かしむ。「だけど今は15分遅れて着いたらもうないって。だんだん収穫が減って…、取り過ぎらしいです」。「今は日本人の漁師はいません」という。「海の上では『板子一枚下は地獄』と言いますが、夫が漁の最中に危ない目に遭ったりはなかったのですか」と尋ねると、「父も夫も危険があったとは一言も言いませんでした。でも、きっと怖い目に遭ったことはあったでしょうね」と思いやった。加治屋八重子さん(68、二世、スザノ生まれ)は「鹿児島生まれの御爺ちゃんが、ここに視察に来たとき『イーリャ・ベーラが桜島にそっくりだ』って思って、住むことに決めたそうです」という。その祖父も7年前に亡くなった。加治屋家を初め、同地には最盛期で6軒も日系海苔生産者がいたという。八重子さんは「岩についた海苔を地元の人に拾ってこさせて、それを買い取って集める。それをマダラにならないように均等に薄く延ばして乾かすんです。立ちづめの仕事で重労働、あの当時『嫁さんは手先が器用でないと務まらない』と言われた」と日本の農家のような話を思い出しながらする。日本と同じサイズで日産1500~2千枚というからかなり多い。「でも日本製が入ってくるようになって競争が厳しくなり、1992年頃に辞めました。やっぱり日本のは青々としてキレイですから」と残念そうだ。「四世の孫も『フリカケくれ!』って言うんです。やっぱり海苔が好きなんですよ」とほほ笑んだ。「私らがここに来た1950年頃、日本人は3家族ぐらいしかいませんでした」。永井文子さん(90、福島)は1927年、3歳で渡伯し、最初はオーリーニョスに入った。生まれたのは福島県双葉町、東日本大震災の原発事故が起きたあの町だ。今は放射能で大きな被害が出た故郷について質問をすると、数秒沈黙し、戸惑ったような表情を浮かべた。(つづく、深沢正雪記者) この連載はこちらでご覧になれます。http://www.nikkeyshimbun.com.br/2014/2014rensai-fukasawa3.html