ニッケイ新聞 2016年8月5日 宮城県人会(中沢宏一会長)がリオ五輪に出場する日本代表や日系選手を応援するため、大会期間中、同県人会の会館(Rua Fagundes,152, Liberdade)を開放することになった。主な見所やメダルが期待される競技は以下の通り。 ▼6日午前10時、柔道男子60キロ級キタダイ選手 ▼7日午前10時、柔道男子66キロ級チバナ選手 ▼7日午後10時、サッカー男子第2戦コロンビア戦 ▼8日午後4時、体操男子団体決勝 ▼10日午後8時半、卓球女子個人決勝 ▼16日午後7時半、卓球女子団体決勝 ▼17日午前10時、レスリング女子58キロ級の伊調馨選手 ▼18日午前10時、レスリング女子53キロ級の吉田沙保里選手 中沢会長は「メダル獲得の瞬間を共に見届けよう。日系社会から声援を送ろう」と呼びかけている。 問い合わせは宮城県人会(11・3209・3265)まで。
関連ニュース
ニッケイ新聞 2016年8月3日 ブラジル日本都道府県人会連合会(山田康夫会長)の『7月度代表者会議』が先月28日、文協ビル同会議室内で行われた。日本祭りを無事に終えて終始穏やかな雰囲気のなか、来年第20回を迎える同祭を見据えて総括が行われたほか、今月開催される県連創立50周年記念式典に関する議題が報告された。 挨拶に立った山田会長は、約16万8千人の来場客を迎え大盛況で閉幕した同祭について、「開催を危惧していたが、無事に終わり、来年に繋げられて良かった」と安堵した表情で語り、関係者の労をねぎらった。 同祭の継続的実現のために、市場調査、広報活動、協賛企業への働きかけの重要性を訴え、刷新を図ってきた市川利雄実行委員長。「祭り当日の協賛企業要人を招いたレセプションでは、47都道府県の郷土食を提供する新趣向で楽しんで頂けたのでは」と手応えを感じているようだ。 スポーツ広場でパラリンピック選手を招いた競技披露など積極支援したトヨタ自動車からも「大変満足している。翌年も引き続き協力していきたい」との意向が伝えられたと言う。 当日のアンケート調査によれば、非日系人の来場者が51%で、日系人の49%を上回っており、「日本祭りは日系人のイベントから、サンパウロのイベントになった」と表現し、同祭の成功を喜んだ。 今後の課題として「プロのマーケティングが必要」と語る。今回特に力を入れた広報について「最小の投資で最大の効果が得られた」としてソーシャル・メディア活用の重要性を指摘。そのためにも、「若者を取込んで活性化を図っていかなければ」と強調した。 第20回日本祭りの日程は16年7月7~9日ですでに決定。会場費は103万6千レアルで、今月中に運営するGLイベンツ社と契約が結ばれる見込み。来年のテーマの議論が開始されており、「いいアイデアがあればぜひ教えてほしい」と県連事務局で随時募集している。 今月7日午前9時半から聖州議会で開催される県連創立50周年では、河村健夫元官房長官が出席するほか、岸田文雄外務大臣、世耕弘成内閣官房副長官ほかからの祝電が届いている。県連は各県人会から5人出席を呼びかけてきたが、まだ131人しか集まっておらず、定員まで100人程度の余裕がある。 山田会長は「これまで県人会は縦割り社会で横の繋がりがなかった。活性化に向けた課題があるなかで、50周年はまさに横の繋がりを深める絶好の機会だ。若い世代をもっと呼びかけて参加して欲しい」と訴えた。
ニッケイ新聞 2016年8月3日 茨城県人会(小林操会長)の創立55周年記念式典が、31日午前10時から文協小講堂で行われた。母県から橋本昌県知事、小川一成県議会議長ら慶祝団12人が駆けつけたほか、中前隆博在聖総領事、各県人会会長らが多数出席し、延べ150人を超える参加者で盛大に祝われた。 先没者への黙祷を捧げた後、挨拶に立った小林会長は「母県からはこれまで最大限の援助を頂いてきた」と謝意を述べ、「現在60人を越える研修生が巣立ち、各界で活躍している。今企画も若者が結集し、準備をしてくれた。これなら今後の県人会は安泰だと確信した」として今後に対する信頼感を強調した。 創立35周年から20年もの長い付き合いのある橋本知事が、「東日本大震災での皆様からの心配と多額な義捐金に感謝したい。より強い茨城のために奮闘し、茨城と伯国、日本と伯国のさらなる発展を期待したい」と挨拶すると、会員からは歓迎ムードが広がった。小川議会議長、中前在聖総領事、羽藤譲二聖州議、山田康夫県連会長、呉屋春美文協会長からも祝辞が相次いだ。 その後、慶祝団から県人会へ記念品、日系3団体へ寄附金が贈呈されたほか、最高齢者表彰が行われ、茨城・ブラジルリーダー交流の内田カズキ・ジェルソン代表や県費研修生の相良レイコ・アリーネ代表が各々の言葉で、母県の支援への感謝や研修制度の意義を述べ、制度続行を求めた。 式典後には、茨城県から来伯した霞朗詠会(鬼澤霞会長)やブラジル祥こう流詩吟支部会(森下祥星会長)による演目が披露され、和服姿の伯人衆が心を込めた圧巻の舞を見せると来場者からは拍手喝采が向けられた。 午後からは会場を展示室に移し、盛大な祝賀会が催された。茨城県の地酒『月の井』で鏡割りが行われ、ケーキカットでは、55周年の数字を模した蝋燭を小林会長と橋本知事がそれぞれ吹き消すと大きな歓声が上がり、「パラベンス・パラ・ボセ」の大合唱で大盛り上がりとなった。 祝賀会では、橋本知事と記念撮影をする姿があちこちで見られ、各々が母県との繋がりに思いを馳せた。霞朗詠会の一人として日本から参加した高村とよさん(71、茨城)は、「10年前よりも人数も多く盛大で驚いた。親の姿を見て、二世や三世が興味を持ち、引継ごうとする姿勢が見られて嬉しい」と感慨深げに語った。
ニッケイ新聞 2016年8月3日 ブラジル被爆者平和協会(森田隆会長)は6日午前8時から、恒例行事『原爆追悼慰霊法要』を聖市西本願寺(Rua Changua,108)で、7日午前8時からは長崎県人会と共催で、『長崎原爆犠牲者追悼慰霊ミサ』をサンゴンサーロ教会で行なう。 最大で270人ほどいた在伯被爆者も、現在では100人程度。同会の盆小原国彦副会長は「原爆投下から71年経ち、在伯被爆者も減少している。平和を願う多くの人に是非参加して欲しい」と呼びかけている。 なお長崎県人会は別途、次の行事に参加する。▼9日午前9時、サントス市核兵器廃絶の日の集い、ロベルト・サンチーニ公園(Av. Pres. Wilson, s/ nº)▼同午前10時、原爆犠牲者慰霊式、聖州議会(Av. Pedro Alvares Cabral, 201)▼21~28日、原爆写真展、スザノ日伯学園(Rua Dibe Tanus, 535)
ニッケイ新聞 2016年7月28日 ブラジル広島文化センター(平崎靖之会長)は来月6日午前8時15分から、同センター(Rua Tamandare, 800, Liberdade)で『広島原爆死没者追悼法要』を行う。通年、南米浄土真宗本願寺(西本願寺)で行っていたが、今年度から場所を移し同センターにて行う。 今年はオバマ大統領が米現職大統領として、初めて広島を訪問した画期的な年。平和の祭典である五輪開会式と広島での平和記念式典が、ほぼ同時刻に行われるなど注目が集まっている。 そんな追い風を受け、当地でも活性化を狙っている。昨年は30人ほどしか参加せず、村上佳和副会長は「高齢化が進み、当地での参拝者が毎年漸減してきた」と危惧を強めている。 また平崎会長は「原爆への追悼だけでなく、平和運動も兼ねた活動とすることで、日系・非日系を問わず、若い世代を取込んでいきたい」と話し、目的や内容を見直したという。 式典には広島市の川から取り寄せた献水が準備され、第19回日本祭りの子供広場や、リベルダーデ文化福祉協会(ACAL)、聖州立広島学校などで作製された折鶴が寄贈される。映画『原爆の子』(新藤兼人監督)の上映など、新しいプログラムを取り入れ、刷新を図ろうとしているようだ。 「平和の尊さを次世代に繋げてゆくためにも、多くの方の参加をお待ちしています」と呼びかけた。
ニッケイ新聞 2016年7月27日 聖州ミランドポリス郡の第2アリアンサ移住地(鳥取村=矢尾板暉埜会長)で23日、『入植90周年記念式典』が行われた。母県から8人の慶祝団ほか、郷友会や県人会から80人を超える会員が聖市から集まり、延べ700人超となる来場者で盛大に敢行された。 一分間の黙祷を捧げた後、第2アリアンサ文化体育協会(ACENSA)の矢尾板暉埜会長は「理想郷建設のため原始林を開拓し、村を築いた先人に感謝でいっぱい」と挨拶した。同村で深刻な高齢化が進行する一方、「村を離れた子供たちは立派に成長し、村民との繋がりを強く感じている。後継者のためも村を守り続けてゆきたい」と力強く宣言した。 午前10時からの式典には中前隆博在聖総領事、鳥取県から藤縄喜和県議会副議長、野川聡県庁統轄監ほか、フランシスコ・アントニオ・パサレリ・モルネソ同郡長らが来賓として招かれ、祝福の言葉が相次いだ。 10年前にも当地を訪問した藤縄副議長は、「今後も地域・民間レベルでの交流を強化し、100年、200年と交流を続けていきたい」と積極姿勢を示した。本橋幹久鳥取県人会会長は、94年から行われてきた同村への日語教員派遣事業に対して謝意を表し、「母県からの派遣事業は移民がルーツを知る上でも重要」と評価し、事業の継続を要請した。 慶祝団からは同協会にお祝い金50万円が贈呈されたほか、机や椅子、白板、プロジェクタースクリーンが日語学校へ寄贈され、関係者から謝意が述べられた。 午後には、会館前に新設された移住史料館と鳥居の完成を祝い、テープカットが行われた。アリアンサ出身者らによる支援を受け、旧組合従業員住居を改築し、3年がかりで完成。史料館の佐藤勲館長(76、二世)は、「鳥取出身者は今では三世帯ほど。このままでは母県との繋がりが希薄化する」との危機感から史料館設置に至った。 初代理事として移住してきた大岩村(現岩美町)村長だった故・橋浦昌雄氏の息子・行雄さんも「村を維持してゆくだけでも精一杯なのが現状。同村の子弟が奮発して頑張らないと」と危機感を募らせた。 例年は400人程度というなか、今年は700人超で会館外の席も来場者で溢れかえった。野川統轄監は「ここまで結集力があるとは。日本人が忘れたものがここにはあるように感じた」と率直に語り、「後継者問題など課題は色々あるが、仲間意識・連帯の強さを示したことに価値がある。これが原点回帰となって移住地の精神を受け継ぐきっかけに」として、同村事業支援の甲斐を感じたという。 式典の後、会館では日語学校の生徒や県人会員らによる鳥取の「傘踊り」が披露された。800食分準備した同村婦人会による盛大な昼食会で来場者は懇親を深め、昔話に花を咲かせた。 □関連コラム□大耳小耳 第2アリアンサ90周年式典で、数年ぶりに〃故郷〃を訪れたという小橋節子さん(80、二世)は「木登りをし、満天の星空を眺めた記憶が蘇るよう。小学校時代の旧友とも再会できて、とても嬉しかった」と喜びを見せる一方、「小学校までは6キロもあって、毎日通うのは大変だった」という。他の郷友会婦人も「灼熱の大地を裸足で通学し、火ぶくれになったことも何度もあった」と振り返る。「子供心で楽しんでいたけど、両親は本当に大変な苦労をしていた。教育をきちんと受けさせてくれた両親のお陰で今がある」と感謝を滲ませ、先人の労苦に思いを馳せていた。
日伯のさらなる交流誓い合い サンパウロ州ミランドポリスにある第2アリアンサ「鳥取村」の入植90周年記念式典とアリアンサ郷友会の51周年式典が、23日午前9時半から同地の自治会館で行われた。当日は各地から集まった各アリアンサ出身者や郷友会会員、同地の住民など出席者が会場いっぱいに集まり、記念の年を祝った。(佐久間吾朗記者) 式典には、母県鳥取県の藤縄喜和県議会副議長、野川聡統括監など8人の訪問団が来伯して出席したほか、在サンパウロ日本国総領事館の中前隆博総領事、鳥取県人会の本橋幹久会長、ミランドポリスのフランシスコ・アントニオ・バサレリ・モメソ郡長など日伯合わせて32人の来賓が出席した。 赤羽大作祭典委員長の開式の辞、先亡者への黙とうに続き、あいさつに立った第2アリアンサ日系文化体育協会のヤオイタ・テルノ会長が「鳥取村」のこれまでの歴史を説明。「多くの先輩方の犠牲をもって、村の発展の基礎を作りました」と先人らを称えた。また、同村の少子化傾向に触れつつ、「立派に成長した子供たちが、村とのつながりを強めている。次世代を担う基盤ができてきている」とし、若い世代との絆が強まっていると力強く語った。 続いてあいさつに立った藤縄副議長は「皆さんは故郷を遠く離れて困難に立ち向かい、『鳥取村』の発展に貢献した移民であり、その子孫です。皆さんの協力に感謝し、より一層の事業交流の思いを新たにした」と話し、加えてこれまでの県費留学や海外技術制度などの事業を挙げ、「次世代の交流を担う人材育成に励みたい。そして皆さんとの交流は100年、110年と続けていきたい」と今後のさらなる交流を誓った。 鳥取県人会の本橋会長は「『鳥取村』では多くの事業を行っているが、特筆すべきは母県より日本語教師が派遣されていることでしょう。移民の子孫が自らの出自の地の教師から学びルーツを知ること、それが大切なことなのです」と教師派遣事業の意義を話した。同式典では第12代日本語教師として、現在同村に派遣されている大場諒(おおば・あきら)さんが日本語司会を務め、大役を果たした。 同式典終盤には訪問団と同村で記念品の交換が行われ、高齢者表彰では20人に記念品が贈られた。 式典後は祝賀昼食会が開かれ、メイン会場外の席も埋める来場者約800人が訪れ、大いに賑わった。 昼食会後のアトラクションでは、同村日本語学校の生徒らが鳥取県の郷土芸能「しゃんしゃん傘踊り」を披露。途中、藤縄副議長も飛び入り参加し、毎年「鳥取しゃんしゃん祭」に参加しているその腕前を披露した。他にも同県人会の傘踊りグループやコーラスグループが登場し、会場を楽しませた。 同村で生まれ育った中尾秀隆さん(85、2世)は「同年代でこの村に住んでいるのは、今では自分だけになってしまった。今日(23日)帰ってきた人たちはみんな知ってる顔ばかり。『鳥取村』はここにしかない。移住してきた先人に感謝したいし、会館建設費の補助などたくさんの援助をしてくれた母県にも感謝したい」と話した。 サンパウロ新聞 2016年7月27日付
第2アリアンサ「鳥取村」の入植90周年式典アトラクションでは、鳥取県人会(本橋幹久会長)で練習を行っている「しゃんしゃん傘踊り」のグループがサンパウロから訪問し、踊りを披露した。その中の一人に同村創設時に現地受入理事として鳥取県から派遣され、第2アリアンサ産業組合会長も務めた故・橋浦昌雄氏の三女である野村(旧姓、橋浦)澄江さん(95、2世)の姿もあった。 橋浦氏は同県岩美郡内の村の村長を3期務めた実績を評価され、現地の理事職に抜擢。1927年にブラジルへ派遣された。入植時、野村さんは6歳で、その頃の同村内は住人が住む家と新規の移民用の収容所しかない寂しい場所だったことを覚えているという。入植後の橋浦氏は理事として、新規入植者をサントスまで迎えに行く慌しい日々を送っていたと野村さんは話す。 理事としてブラジルに着任したものの、橋浦氏の子供5人のうち4人は女の子で、長男の行雄さん(91、鳥取)は生まれたばかりだった。農業をやるにも人手がなく、本人も百姓の経験はない。野村さんは「父は来たくなかったといつも言っていた」とその姿を回想する。行雄さんも「父はブラジルに苦労しに来たようなもの」と語る。しかし、そんな苦労の甲斐があってか同村の発展に貢献したことが評価され、66年には鳥取県知事から橋浦氏へ功労賞が贈られた。行雄さんは「父も住民も最初は苦労ばかり。でも90年も村が存続していることはすごいこと」と誇らしげに語った。 式典に出席した野村さんは、懐かしい顔の小林礼子さん(86、2世)と再会した。小林さんを見ると「わー、礼子ちゃん」と声をあげ、再会を喜んだ。野村さんは小林さんの姉と親しくしていたこともあり、小林さんのことも覚えていたという。当時の橋浦家は学校の通学路沿いにあり、「野村さんの家で休憩して、よく水を飲ませてもらった」と小林さんは当時の思い出を語った。 そして午後からは野村さんにとって本番となるアトラクション。95歳とは思えぬしっかりとした足取りで傘踊りを披露した。野村さんは踊ることが大好きで、83年の創設当時からグループに参加。当日は母県鳥取から送られた傘と衣装で踊り、会場から大きな拍手が送られた。「もう歳だから人に見せるような踊りじゃない。一生懸命、間違わないように踊るだけ」と舞台後に話し、大きな声で笑った。 サンパウロ新聞 2016年7月27日付
ブラジル広島文化センター(平崎靖之会長)は、今年で71回目を迎える「原爆の日」の8月6日午前8時15分からサンパウロ(聖)市リベルダーデ区の同会館(Rua Tamandaré, 800)で広島原爆死没者追悼法要を執り行う。平崎会長と村上佳和副会長が案内に来社した。 予定では追悼法要の後に献花と、広島県を流れる太田川の水で献水が行われる。献水には原爆投下時に川に水を求め、苦しみ亡くなった多くの人々を慰霊する意味が込められている。 また、リベルダーデ文化福祉協会(ACAL、池崎博文会長)、聖市イタケーラ区の州立ヒロシマ学校、また県連の第19回日本祭りの子供の広場から折り鶴の贈呈が行われ、寄贈された折り鶴は広島市に送られる。 当日は、午前10時45分頃から「原爆の子」が上映される(ポルトガル語字幕付き)。同映画は1952年に公開された作品で、監督は平崎会長の遠い親戚に当たる新藤兼人氏。「追悼法要後にこの映画を上映できるのは大変意味のあること」と平崎会長は語った。 昨年まではブラジル被爆者平和協会(森田隆会長)と共催で、原爆犠牲者追悼慰霊法要を行っていたが、平崎会長は「お寺ではどうしても他のイベントができず、出席者がどんどん減ってきてしまっている。一般の人にもっと知ってほしい。また、日系人だけでなく非日系人や若い人にも参加してほしいという思いから、講堂のある会館で行うことを決めました」と語った。 案内に来社した平崎会長と村上副会長は「追悼法要を通じて世界平和の祈りを捧げたい。たくさんの人に来てほしい」と呼び掛けた。 一方、ブラジル被爆者平和協会は例年通り、同日時にサンパウロ市シャカラ・イングレーザ区の西本願寺で原爆犠牲者追悼慰霊法要を行う。関係者によると「1984年に同協会を結成して以来、毎年西本願寺で行っているため、同じところで行いたい」という森田会長の思いがあり、広島県人会とは別々に行うことを決めたという。 サンパウロ新聞 2016年7月27日付
ニッケイ新聞 2016年7月27日 【サンパウロ、リオ・デ・ジャネイロ共同=遠藤幹宜、渡辺雅弘】リオ・デ・ジャネイロ五輪開幕が間近に迫ってきた。劣悪な治安、ジカ熱、準備遅れ…。不安要素ばかり指摘される中、ブラジルにある海外最大の日系社会は「祖先の故郷から来る同胞を支えたい」との熱い思いを胸に、日本人観戦客の受け入れ準備を進めている。 「今は冬なのでジカ熱はあまり心配ない。安心して応援に来てもらいたい」。最大都市サンパウロで日本移民が1939年に設立した「サンタクルス病院」の北原貴代志アメリコ医長(51)がほほ笑んだ。北原医長は日系二世だ。 サンパウロにはブラジル日系人約160万人のうち100万人が暮らす。一方、リオ・デ・ジャネイロの日系社会は規模が小さい。日本国籍を持つ永住者はサンパウロの約3万8千人に対しリオは約1600人で、日本語を話す医師はほぼいない。 このため同病院は五輪と9月のパラリンピック期間中、日本語を話す日系人医師と看護師をリオの五輪公園近くにある総合病院に派遣し、常駐させることを決めた。サンタクルス病院には日本留学経験がある医師も多く、期間中、24時間態勢で日本人患者の対応に当たる。北原医長は「日本の人をできるだけサポートしたい」と強く訴える。 サンパウロの日系団体が組織する観戦者支援委員会は緊急連絡先を日本語で印字したカード約3千枚を作製、サンパウロやリオのホテルや和食店に置く。2014年のサッカー・ワールドカップ(W杯)開催時と同様、緊急対応用のボランティア通訳を用意。ブラジル最大のゲートウエー(玄関口)であるサンパウロの各県人会に緊急宿泊先も確保する予定だ。 沖縄県八重瀬町から5歳で移住した呉屋春美委員長(63)は「困った人は必ず助けたい」と話す。ブラジル経済停滞に伴い、治安は一層悪化傾向にあり「スマートフォンやカメラは狙われやすいので、極力表に出さないで」と呼び掛けている。 一方リオでは日系団体が8月1日、日本選手団の本隊を空港で出迎える計画で、地元日本人学校の生徒や保護者も参加。日の丸を振って歓迎し、花束を贈呈する。 8月14日には日系人や在留邦人が集まって女子マラソンを一緒に応援する計画だったが、テロへの懸念から断念。ただ14日夕には市内のホテルで、選手らを慰労する会合を開催する予定だ。パラリンピックでも、車いすバスケットボールを応援する計画を立てている。
ニッケイ新聞 2016年7月27日 沖縄県人会ヴィラ・カロン支部(上原テリオ会長)主催の『第14回沖縄祭り』が6、7の両日午前11時からクラブ・ヴィラ・マンチェスター(Praca Haroldo Daltro, s/n)で開催される。入場無料だが、保存可能な食品1キロの寄付が必要。 昨年BEGINが公演した同祭。今年は600人による太鼓のショーや琉球國祭り太鼓、エイサー演舞、歌謡ショーなどが行われるほか、県人会婦人部お手製の沖縄そばやヒージャー汁(ヤギ汁)、サーターアンダギーなどの郷土食も販売される。 案内のため来社した照屋武吉副会長は、「地下鉄カロン駅からほとんどのバスが会場前を通ります。駐車場が少ないのでバスが便利。ぜひご家族でお越しを」と呼びかけた。 問い合わせは同支部(11・2296・1120)まで。
ニッケイ新聞 2016年7月26日 茨城県人会(小林操会長)の創立55周年記念式典が、31日午前10時から文協小講堂(Rua Sao Joaquim, 381, Liberdade)で行われる。 橋本昌県知事など10人が来伯する。リオ五輪視察を兼ね慶祝団が組まれた。 式典は正午まで行われ、その後は祝賀会が同会場で開催される。余興には祥こう(水偏に工)流吟剣詩舞道が出演するなど、華やかな催しを予定する。 問い合わせは同県人会(11・3209・8515)まで。
ニッケイ新聞 2016年7月26日 来月5日に開幕する南米発のリオ五輪――大会を盛り上げのために、コロニアでもあちこちで観戦会や応援イベントが企画されているようだが、編集部にはまだ聞こえてこない。 郷土の選手を応援する県人会や、日系のスポーツクラブ、その他の日系団体などがあれば、ぜひニッケイ新聞編集部まで連絡を。本紙が取材する可能性があるほか、リオ五輪を取材に訪れている日本の報道関係者、ブラジルのメディアも高い関心を持っている。 せっかくの五輪。次はいつか分からない。日伯両側におけるコロニアの存在感をさらに強める意味で、応援イベントを考えてみては。連絡は本紙編集部(11・3340・6060)まで。
第38回岐阜県農業高校生海外実習派遣団一行が今月11日から24日までの約2週間にわたって来伯し、青山高夫岐阜県人会長の案内により、18日に本紙を訪れた。 岐阜県内の農業高校に通う2、3年生で構成された同派遣団は、今年は男子生徒7人、女子生徒3人の計10人が選ばれた。引率の中島浩平団長、三輪嘉文副団長を合わせ計12人で、サンパウロ州内の日系農家での農業実習や市場見学を行っている。 今年のテーマは「Think Globally, Act Locally~これからを担う農業者を目指して~」。「世界的規模で大きく物事を捉え、刻々と変化する状況に対応し、研修で学んだことを地元や地域社会に適した方法で還元し、新たな息吹を吹き込み自らが農業を継続していく」という強い思いが込められている。 中島団長は、「この制度で派遣されたことに感謝します。事前学習と実体験は雲泥の差がありました。広大な土地を相手に機械だけでなく、丁寧な手作業を取り入れた様子も驚きでした。今回の滞在に関して、ブラジル岐阜県人会の方はもとより、コロニア・ピニャールに移住した福井村をはじめ多くの日系人の人々の手厚い支援があったことで中身の深い交流ができました。コロニアの運動会にも呼んでいただき、生徒たちもコロニアの若者たちの温かい心に触れて距離が近くなったと思います。今後もこのつながりを大切にしていきたい」と熱く語った。 それに答えた岐阜県人会の青山会長は、「今回の経験を岐阜に持ち帰っても同じようにできるか分からないが、色々考えながら日本全体に発信する気持ちで頑張ってもらいたい。今年で第38回目を迎えるが、こんなに長く続いているのも皆様のお陰。このまま末永く母県との交流を続けたい」と話した。 今回の実習生受け入れを通して両者が受け取ったものは、単なる農業実習での気付きや課題に留まらず、同じ日本を根幹に持つ者としてブラジルと日本の結びつきを再確認し深めたようだった。 一行は、サンパウロ市内に拠点を移し、日本移民先亡者慰霊参拝、日本移民史料館、ブタンタン毒蛇研究所、サンパウロ総合大学、セアザ中央市場などでの見学や調査をする予定。 24日の離伯後は、オランダで研修を行う。糞尿処理会社、農業機械会社、生花市場、有機栽培トマトハウス、ミルク農場、食肉牛牧場、バイオ天敵農法、チーズ作りなどを視察し、31日に日本へ帰国する。 なお、ブラジル岐阜県人会ホームページ(http://www.gifukenjinkai.org.br/?topic=nougyoukoukoukiji&lang=jp)には、同派遣団の今回の研修状況が更新されている。各生徒の研修内容と感想は、後日掲載する予定。 サンパウロ新聞 2016年7月22日付
ニッケイ新聞 2016年7月22日 聖市東洋街のニッケイパラセホテルが先月に開いた慈善焼きそば会で、収益1万1339・67レアルが熊本県人会に寄付された。熊本地震の復興支援のため、熊本出身の池崎博文社長がイベントを企画。当日はビンゴつきの食券50レを求め、約400人が訪れた。 同ホテルで6日、贈呈が行なわれた。「告知も準備も時間がない中、大勢の方が来てくれた」と感謝を示し、「県人以外からの協力もあった。少しでも役に立てれば」との思いを込め、県人会の田呂丸哲次会長に手渡した。 田呂丸会長は慈善事業に感謝し、「移住者が多い熊本とあって心強い。立派な方々ばかりなので、我々もそれに応えなければ」と思いを新たにした。 当地で展開する募金活動は地元紙にも掲載された。県庁からも「涙が出るほど嬉しい」といったメールが届いている。当地の為替銀行を通じ、これまでに合計約38万レを送金している。
ニッケイ新聞 2016年7月21日 グァタパラ農事文化体育協会(茂木常男会長)は16、17の両日、同地の中央会館で『移住地入植54周年祭』と『収穫祭』を開催し、会員や地域住民ら多くの来場者で賑わった。 初日午前10時には、モンブカ墓地の「拓魂碑」前でカトリック式の先没者慰霊法要が開かれた。約60人の参列者が献花、焼香を行い先人を弔った。 市の鼓笛隊が開幕を告げ、記念式典に移った。来賓には中前隆博在聖総領事、JICAの那須隆一所長、サミール・レドンド市長、南米産業開発青年隊の渡辺進会長らが訪れ、入植54周年を祝福した。 ステージでは日本舞踊、カラオケやダンスなどの演目が会場を沸かせた。毎年人気の特産物展では、グァタパラの農産物を使った五輪マークが展示され、多くの来場者が記念写真を撮っていた。 5色はそれぞれレモン、ジャブチカバ、マラクジャ、トマト、染色したマーガレットで表現された。輪の中には約1200個の卵が置かれ、周りには乾燥トウモロコシが敷き詰められた。 他にも地元小学生による手芸品、日語校生徒の製菓販売に、書道作文なども展示され、中前総領事が訪れ楽しむ様子が見られた。 毎年用意される県連バスツアーでは、聖市から24人が駆けつけた。ブラジリアから訪れた吉田武弘さん(71、佐賀)は「ここのイベントは金儲けのためではなく、グァタパラのためにやっている。日本人らしく思う」と誇らしく語った。 姉妹で来場した元入植者の久保ユキエさん(69、佐賀)と山本貞子さん(66、同)は「赤土がとても懐かしい。昔を思い出すわね」と顔を見合わせ、「知り合いに会えてよかった。来年の55周年も期待している」と微笑んだ。 □関連コラム□大耳小耳 16、17日に開催された『グァタパラ移住地入植54周年祭』と『収穫祭』では地元の皆さんの祭りへの愛情と誇りを強く感じた。グァタパラ農事文化体育協会の婦人会は、外がまだ真っ暗な早朝に準備を始める。昨年まで22年間婦人会リーダーだった高木みよ子さん(69、山形県)は、「よそから来たブラジル人がここの弁当を食べて、『リベロン・プレットのレストランより美味しい』って言ってくれ、嬉しかった。みんな、ここでいっぱい楽しんで好きになってほしい」と期待をこめた。
【既報関連】8月に開催を控えるリオ五輪に向けて最終となる「第4回オリンピック・パラリンピック連絡協議会」が15日、在リオ・デ・ジャネイロ総領事館で開かれた。 多発するテロの影響を受け、かねてより検討されていた女子マラソンの集団観戦の計画を中止することが決定された。ブラジル政府側からもテロや治安対策への注意喚起が促されているという。関係者によると「あくまでも連絡協議会の事業として中止になっただけで、応援を禁止しているわけではない」と説明した。 リオデジャネイロ・オリンピック・パラリンピックリオ総領事館特設ページには、強盗などの被害に遭った場合に文民警察署に提出する日本語訳付きの被害届が新たに掲載されている。 サンパウロの各日系団体の動きとしては、サンタ・クルス病院が期間中、リオに日本語対応のできる医師と看護師を派遣することが決定した。また、援協では緊急連絡先が書かれたカードを3000枚配布している。さらに、文協のオリンピック特設ホームページにはブラジル側からのアクセスが伸びているという。 13日に在サンパウロ総領事館で開かれた記者ブリーフィングで中前隆博総領事は「総領事館や日系団体がリオ五輪に向けて行っている取り組みを、どう宣伝していくかが大きな課題」と話した。 サンパウロ新聞 2016年7月21日付
沖縄県人会ビラ・カロン支部(上原テーリオ支部長)は「第14回おきなわ祭り」を8月6日午前11時~午後9時、7日午前11時~午後8時にサンパウロ(聖)市ビラ・カロン区の同支部会館そばの広場(Praça Haroldo Daltro s/n)で開催する。去年との変更点は、会場のグランド整備の関係で内側はステージの鑑賞のみになり、屋台などの出店や食事スペースは会場周りの外側テントで行うので注意が必要。 同祭は例年2万人以上が来場する聖市東部の恒例イベント。今年は飲食店とバザリスタそれぞれ50店、計100店以上が出店し、ヤギ汁、沖縄そば、サーターアンダギーなどの沖縄料理や、衣類雑貨、CDなど多種多様な商品が並ぶ。 ステージでは600人の演者による琉球国祭り太鼓、三線、空手、ダンス、歌や踊りなど様々な琉球芸能が2日間にわたって披露される。さらに、沖縄に留学経験のある若者が空手、茶道、仏壇、琴などの歴史や成り立ちを説明するブースや、生け花、漫画、日本語などを教えるワークショップも開催する。 案内に来社した上原支部長、比嘉セルジオ同祭実行委員長、照屋武吉副支部長は「去年は1万5000キロの食料品などの寄付も集まり、日系を含め11カ所の施設に送ることができ、ありがとうございました。今年も大勢のご来場をお待ちしております」と当日の来場を呼びかけた。また、駐車場のスペースが少ないので、地下鉄カロン駅下車後のバスの利用も勧めている。 入場無料だが、保存食品1キロ分の持参が必要。集まった食品の半分は日系団体の施設に、残りの半分はブラジルの施設に寄付される。 問い合わせは同支部(電話11・2296・1120)まで。同祭ウェブサイト=(www.okinawafestival.com.br) サンパウロ新聞 2016年7月21日付
「移民のふるさと」への思い馳せ グァタパラ農事文化体育協会(茂木常男会長)は16、17日の両日、サンパウロ(聖)州グァタパラ移住地の同会館で入植54周年を祝う入植祭及び収穫祭を開催し、16日には先亡者慰霊ミサと記念式典が行われた。かつての入植者をはじめ、地元や聖市などから多くの人が訪れ、「移民のふるさと」グァタパラに眠る先人たちへ思いを馳せた。(山野美桜記者) 16日午前10時からモンブカ墓地で行われた慰霊ミサには、在聖総領事館の中前隆博総領事、岩嶋健次領事、那須隆一JICAブラジル事務所所長、松尾治文協副会長、尾西貞夫援協副会長、渡辺進南米産業開発青年隊協会会長、前田進コチア青年連絡協議会会長、ブラジル新潟県人会の南雲良治会長、吉田直人サンパウロ日本人学校校長をはじめ、ノルベルト・セリー・グァタパラ副市長ら約80人が参列した。 青空の下、聖歌斉唱が行われ、同地に眠る笠戸丸移民と220人の先亡者に思いを馳せながら、参列者一人一人が「拓魂」と刻まれた慰霊碑に献花した。 午前11時頃から同文協横の屋外イベント場で行われた記念式典では、地元マーチングバンドにより日伯両国歌と市歌が演奏され、華やかな幕開けとなった。 あいさつに立った茂木会長は「グァタパラ移住地では少子高齢化問題は避けられず、人口の減少も心配させられるが、家業を継ぐ家族も徐々に増えてきているように感じ、心強く思います。次世代を担う後継者に当グァタパラ文協としても支援し、力を合わせていきたい」と今後の展望を語った。 また中前総領事はあいさつで「108年前、笠戸丸に乗って来られた最初の移住者の方々が働かれたのがここグァタパラのコーヒー農園。私どもブラジルに関わる者にとって忘れることのできない歴史」と語り、同地のさらなる発展を願った。 当日メーンステージでは、太鼓、歌、踊りなど2日間で計97の演目が行われたほか、午前5時から集まった婦人部により作られた食事コーナー、同地日本語学校の生徒による書道や絵画の展示や収穫祭が行われ、賑わいを見せた。 収穫祭では、農事部が会員家庭に種や肥料を配り、毎年この時期に合わせて各家庭で丹念に育てられたレンコンやしめじ、にんにく、らっきょう、とうもろこし、ジャブチカバのほか、卵や米などが展示され、17日には販売も行われた。農事部の大野卓治さん(34、2世)によると「昔はたくさんいた養鶏家も少なくなり、米農家も今では2家族しかいない。グァタパラは乾燥しているので、農作物を育てるには条件が悪い。農業で生計を立てる日系人はかなり少なくなってしまったけど、年に1回の収穫祭をみんな楽しみにしている」と話した。 1963年に入植し、1年半同地で過ごした久保ユキエさん(69、佐賀)と5年間過ごした山本さだ子さん(66)姉妹は聖市から4年ぶりに同地を訪れ、「元近所だった人や同船者に会ってゆっくり話ができて楽しかった。50周年の時にも来たけど、あの時は忙しそうであまり喋れなかったからね」と口を揃え、思い出話に花を咲かせていた。 茂木会長は同祭を振り返り、「入植祭は毎年賑やかになってきている。グァタパラは他に比べると1世が多いが、確実に少なくなってきている。でも、日本人のお祭りなので、なるべく日本語でやっていきたい。この伝統的な入植祭が今後も長く続くことを確信しています」と笑顔で語った。 サンパウロ新聞 2016年7月20日付
県人会、地元の人々との交流深め 岐阜県人会(青山高夫会長)主催の第38回岐阜県農業高校海外実習生を歓迎するシュラスコ昼食会が17日、サンパウロ州サンミゲル・アルカンジョ市コロニア・ピニャール(福井村)で行われた。 当日は、同県人会会員が午前7時にサンパウロ(聖)市リベルダーデ区グロリア街の県人会館前に集合して出発。一行は同11時15分、目的地のコロニア・ピニャール在住の資産家である天野鉄人氏の宿泊施設に到着した。聖市内では肌寒い曇り空だったが現地では快晴となり、県人会員一行は水曜日(13日)からコロニア・ピニャールの「福井村」近辺の農場で研修していた同海外実習生10人と合流した。 実習生たちは同地の日系農場で、酪農、トマト、キュウリ、ブドウ、デコポン、ビワ、アテモヤなど飼育や収穫実習を行った。 食事の前に、同実習生の生徒代表である岐阜県立岐阜農林高等学校2年動物科学科の中島百悠(もゆ)さんをはじめ、同校3年動物科学科の野網風子(ふうこ)さん、大垣養老高校3年環境園芸科の安藤潮(うしお)さん、同校2年大島邦英人(くにひと)さん、郡上高校3年森林科学科の山田健人(けんと)さん、加茂農林高校2年生産科学科の近藤圭馬(けいま)さん、恵那農業高校2年食品科学科の古井あすかさん、同高2年の山本翔太さん、飛騨高山高校3年園芸科学科の黒木康佑(こうすけ)さん、同校2年環境科学科の若山祐太朗さんが、それぞれ自己紹介した。 国井宏祐岐阜県人会副会長、天野氏、福井村の山下治氏のあいさつ後、同地在住の日系人も駆けつけ、一緒に食堂でサンパウロから来た岐阜県人会会員の一品持ち寄り手料理と豪快なシュラスコを昼食として堪能した。 食事後はみんなでビンゴ大会を行ったり、同実習生たちが持ってきた音楽で全10曲ある郡上(ぐじょう)踊りの中から2曲「かわさき」と「春駒」を踊り、実習生から県人会各参加者にプレゼントの贈呈と参加者全員で「ふるさと」と「明日がある」を熱唱し、今後に向け一層の親睦を深めた。最後に天野図書館前で参加者全員で集合写真を撮った。 親子で参加していた中田博之さん(53、3世)は「天気も良くなり本当に良かった。皆にいっぱい食べてもらえて、一緒に話せて楽しかった」と語り、同氏の子息で過去に岐阜県県費留学生として訪日経験もある中田和男さん(26、4世)は「日本での皆さんに良くしてもらったので、今度は僕達がお返しをする番」と笑顔を見せた。 昼食会は短い時間だったが、実習生たちはコロニアの人々と心が通ったようで皆、名残惜しい面持ちだった。その後、一行はサンパウロへ戻り、午後6時40分に解散となった。 岐阜県人会理事の長屋充良さんは「今年も継続して皆さんと交流を深めることができて嬉しい。母県岐阜とのつながりを深めながら、実習生に多くのことを吸収してもらいたい」と話した。 サンパウロ新聞 2016年7月20日付
