約7割が3年以内に訪日計画 【一部既報】7月に開催された第16回日本祭りに「Visit Japan」プロジェクトの一環として出展参加した日本の観光庁と日本政府観光局(JNTO)は7月19、20両日、同ブースを訪れた来場者を対象に訪日旅行に関するアンケートを実施した。JNTOニューヨーク事務所がこのほど発表した同アンケートの集計結果によると、回答者のうち7割以上が3年以内の訪日計画を立てており、ブラジルにおける訪日旅行需要の高まりが浮かび上がった。JNTOは、同アンケートの結果によってブラジル全体の一般消費者の動向を把握することは困難としながらも、今後の参考に役立てたいとしている。 アンケートの有効回答数は1037で、41・3%の人が日本を訪れたことがあり、そのうちの49・1%が複数回の訪日経験を持つことが明らかになった。主な訪問先は表の通りで、東京、京都、大阪、名古屋といった定番ルートが人気である一方、北海道から沖縄まで各地を訪問していることが分かる。これはリピーターに加え、各地の工場等で就労している親族や友人を訪ねていることが推測される。訪日目的は約20%の「伝統文化」が最も高く、次いで「歴史」「食事」「自然」「ショッピング」が挙げられており、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産への登録も検討されている日本食への関心が目立ったほか、買い物好きなブラジルの国民性が表れる結果となった。 72%が3年以内の訪日計画を有する一方、3年以内に訪れる予定がない人は主な理由として約半数が旅行費用の高さを挙げた。「自然災害」を理由に挙げたのは2・8%にとどまり、東日本大震災の影響はさほど及んでいないことがうかがえる。 旅行先を決める際の情報入手先としては、4人に1人がインターネットを利用していることが分かった。しかしその次に、旅行博及び旅行誌と雑誌がそれぞれ約19%で続いていることから、JNTOニューヨーク事務所の犬石知子次長は「日本祭りのブースで訪日旅行商品パンフレットを提供・販売できれば旅行者の獲得につながるのでは」と期待を示した。 JNTOニューヨーク事務所によると、訪日ブラジル人数は今年上半期、対前年同期比18・2%増と順調に伸びており、来年自国でサッカー・ワールドカップを開催するにあたり外国旅行市場は鈍化するとみられているものの、ブラジル旅行会社からは2013年出発の訪日商品が完売しているといった声も上がっているという。 また、リオに続く東京夏季五輪開催決定によって日本への注目度の高まりが期待できることから、同事務所では旅行会社との情報交換等を通じて観光客誘致に努めたいとの考えを示している。 2013年11月22日付
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4日目の10月20日午前7時半、北西に約140キロ1283メートルの標高地にあるコンスタンサ移住地に向かうべくホテルを出発。日曜とあって道は空いている。 途中、前日と同じ場所でトイレ休憩すると、地元のドミニカ人が各地に遊びに行くためかにぎわっていた。 サント・ドミンゴ市から約2時間走ったラ・ベガ市からは山道へと入り、前日よりもさらに急勾配の坂道をバスはエンジン音をうならせて上っていく。午前10時ごろ、峠付近に来た時に記者を乗せた1号車がオーバーヒートし、車体後部から白い煙を吹いて止まった。 コンスタンサでは移住地の人々が待っている。取材のため仕方なく、記者たち数人が2号車に便乗させてもらい、先に現地へと向かった。 山道を下っていくと、視界が開けた。山間に囲まれた平野部に野菜畑と思われる緑が広がる。日本の信州のような懐かしい風景だ。午前11時過ぎにコンスタンサ日系クラブ会館に到着。快晴の青い空の下に映える会館の白さが目にまぶしい。 会館前では、脇輝亀(わき・てるき)会長(58、鹿児島)を先頭に単位家族7家族約30人の会員が出迎えてくれた。脇会長によると、同移住地ではトルコ桔梗(ききょう)、ベニバナなどの花卉(かき)栽培や野菜作りが盛んで、日系子弟は農業に従事している人が多いという。同地への日本人の入植は1956年10月の第1陣に始まり、59年6月までの第4陣まで計35家族220人が入植した。 「順子です。村田順子です」―。サンパウロ市リベルダーデ区の日本食レストラン「千代(せんだい)」のママである大村順子さん(63、鹿児島、旧 姓村田)が有山ムツ子さん(86、鹿児島)に呼び掛けた。有山さんは「うれしい。本当、涙が出る」と村田さんとの51年ぶりの再会を喜んだ。 有山さんの実弟である神前亨(とおる)さん(76、鹿児島)は、男性ではもはや長老格になるという。56年12月30日、第2陣で同地へ。「19歳で入植 したころの(コンスタンサの)人口は3000人ぐらいでしたが、今は8万人が住んでいますよ」と、その発展ぶりを話してくれた。 午前11時40分ごろ、オーバーヒートした1号車も無事到着。会館内に入ると天井が高く、天井からぶら下がった扇風機の風が心地良い。正面の舞台上には富士山と桜の絵が描いてあるのが、いかにも日本人の会館という雰囲気を醸し出している。 舞台下では、「日本ドミニカ友の会」の西尾孝志会長の親戚に当たるという西尾蓉子さん(72、福島)が先亡者たちの遺影を前にして慰霊法要を行い、読経の合間に脇会長、本橋幹久団長らが代表して焼香した。 小学校時代に日本で暮らした経験のあるコンスタンサ日系クラブの佐藤康樹(こうき)副会長(49、2世)が、流暢(りゅうちょう)な日本語で移住地の説明 を行う。それによると、同地は前述のように標高が高く気候が良いことから農業に適しており、入植当初は水不足などに悩まされたもののニンジン、玉ねぎ、 ジャガイモ、にんにくなどの野菜類を栽培し、現在は北米や欧州にピーマン、キュウリ、トマトなども輸出しているという。 佐藤副会 長自身は現在、サント・ドミンゴ市内などでガソリンスタンドを4軒共同経営しており、両親がコンスタンサで農業を行っているそうだ。コンスタンサで生まれ...
会館を出てリゾート・ホテルへと向かう途中、日本移民たちが眠る墓地を訪問する予定だったが、墓地前の道路は車通りが激しく一行が下車して道を渡ると危ないということで、車窓から墓地の入り口を拝むだけにとどまった。 一行が到着したのは、「ホテル・グラン・イメノア」と呼ばれる自然溢れるハラバコアでも有数のリゾート地で、ホテル内に川が流れている。その川を長さ約50メートルのつり橋を渡って橋向こうに行くと、一行の昼食席が準備されていた。 かんかん照りの暑さの中で、雄大な川の流れと景観が涼しさを与えてくれる。 昼食には、ハラバコア移住地の日本人たちと友情関係のある同市のピエダーデ・ケサラ・デ・ドミンゴス女性市長も出席し、一行を歓迎。広島市からゴミ収集車4台の寄贈を受けるなど日本との交流に感謝していると述べ、「神様は世界中にいますが、夜はハラバコアで過ごします。皆さん、次回もハラバコアにぜひ戻ってきてください」とあいさつし、一行をねぎらった。 日高夫人のミヨコさん(67、鹿児島)によると、入植当初は日本語学校も無かったが、入植1周年の時に道路で運動会が行われ、大人と一緒に二人三脚で走ったことを覚えていた。「気候は良いのでトマト、キャベツ、ナスビなどの野菜を作って売りましたが、買ってくれる人は少なかったですね」と振り返る。 乾杯の音頭を取った日高武昭さんは、サンパウロ州アチバイア市で心霊治療を行う弘田智康氏と同年齢の親友だとし、今年9月には弘田氏がブラジルから花柳流舞踊関係者を連れてハラバコアを訪問。JICAの青年ボランティアの女性たちもサント・ドミンゴ市から加わり、盛大な盆踊り大会を開催したという。 日高さんたちが移住地での苦労と日本政府にだまされたことなどを説明する一方で、ドミニカ在住の日本人の3分の1が裁判問題に反対し、残りの3分の1は良くも悪くも思っていない人がいることも聞かされ、狭いドミニカの移民社会の中でも複雑な関係があることを知った。 昼食を取った一行は元来たつり橋を渡った広場に集まり、歓迎してくれたハラバコア移住地の人々とともに、恒例の「ふるさと」を合唱。一人一人と握手を交わして、サント・ドミンゴ市に向けて出発した。 ◎ ◎ その日の夜は、ドミニカ料理の「サンコーチョ」を食べに市内のレストランへ。サンコーチョは、ドミニカでは日曜などに家族で食べる家庭料理で、マンジョカ芋、ニンジンなどの野菜と鶏肉や牛肉を混ぜて煮込んだスープ。見た目はブラジルの「カルド・デ・モコト」に似ている。 そのサンコーチョを飯にかけてブラジルの「フェイジョアーダ」のようにして食べるのだが、一行が座ったテーブルによってはサンコーチョだけが先に出されて 飯が遅れ、スープを飲み干した後で飯が出されるなどし、「たったこれだけの料理なのか」と苦情の声も一部から聞かれた。 レストランでは、ドミニカ共和国のダンス音楽「メレンゲ」の衣装を着て給仕をする若い男女が中央の踊り場でダンスショーも披露。特に、1本のラム酒の瓶の上でつま先立ちとなり、クルクルと踊る光景は圧巻だった。 一行はそれぞれの思いを胸にホテルに戻った。(つづく、松本浩治記者) 2013年11月23日付
ドミニカ鹿児島県人会会長でもある日高武昭さん(70、鹿児島)がハラバコア日本人会の星川和之会長(66、山形)をはじめ、同地在住の日本人家族を1人ずつ紹介してくれた。 同地在住の日本人は単位家族で5家族21人。「少ない人数なので、皆親戚です」と日高さん。まだ新しい「ハラバコア友好会館」は2007年に建てられたという。 移住地の説明をする日高さんの声が次第に熱を帯びだした。 日高さんの家族は1958年1月24日に他の12家族とともにハラバコアに入植したが、日高さんは当時中学3年で進学を控え、「10年たったら日本に戻ってくる」との父親の言葉を信じ、自ら日本に残ることにした。 しかし、両親がいないために学費が払えず、進学を断念。大阪の鉄工所で働きながら通信教育を受けたが、1年間で退職した。その間、ハラバコアにいる母親に一度も手紙を書かなかったことから心配され、迷った挙句に姉の許嫁と一緒にドミニカへの最終移民船「あめりか丸」に乗り、59年9月、家族たちより約1年半遅れて16歳でハラバコアに移住した。 しかし、日本の募集の際に約束された100タレア(約6ヘクタール)の土地は実際には半分しかなく、湿地や石が転がる粗悪なものだった。それでも他の日本人移住地に比べてまだ気候が良いほうで、「こんなところで泣いていても仕方がない」と借地して野菜などを生産したが、約10年間は野菜の販売力も無かったという。 また、日本政府の募集要項には「自由開拓」と書いてあったそうだが、独裁政治の国とは知らされず、ドミニカ政府の管理人の許可が無いと移住地から出られなかった。サント・ドミンゴ市の日本大使館に行く際も途中で検問があり、許可証が無いと捕まってサトウキビ畑で強制労働させられるような状態だった。 61年には当時独裁者と言われたラファエル・トルヒーヨ大統領が暗殺され、以前に同大統領から強制的に没収されたという地主らが各日本人移住地の「土地を返せ」という騒動も発生。そうしたことがドミニカ移民たちが日本に帰国したり、ブラジルなどの南米諸国に再移住する結果にもつながった。 日高さんは移住後、日本への出稼ぎで30年ぶりに日本に一時帰国し、現在、日本庭園近くに店を構え自動車などの中古品輸入業を行っている。 日本政府を相手取り、2000年から6年にわたって行われた裁判については「自分たちは金が目当てではないです。最初の募集要項に沿った土地をもらいたいだけ。日本政府がどう対応してくれるのか今でもそれを待っている」と語る日高さん。「自分としてはドミニカに来る気はありませんでしたが、親に従うつもりで来ました。当時はまさか、祖国が我々移民をだますとは思ってもいませんでした」と話しながら時折、悔しさで感極まり、言葉が出てこなかった。 日高さんの力説を聞き終えた一行は、会館前で記念撮影を行い、昼食を取るためにハラバコア市内にあるリゾート・ホテルへと向かった。(つづく、松本浩治記者) 2013年11月22日付
ニッケイ新聞 2013年11月23日 群馬県人会(小渕民雄会長)は、来年9月から翌年2月までの日程で行われる県費研修の参加希望者を募っている。 18~40歳で、群馬県人の親族が対象となる。詳細、申し込みは県人会事務局(11・3341・8085)まで。締め切りは12月27日となる。 案内のため来社した小渕会長は「年内に希望者の有無を確認し、研修内容については県庁側と、参加希望者とのすり合わせで決めていく」と話した。
ハラバコアの日本庭園で一行を出迎えてくれたのは、日高武昭さん(70、鹿児島)。2000年に日本政府を相手取って裁判を起こした原告側の一人で、ドミニカ日系人協会の嶽釜徹会長とともに1997年に立ち上げた「移住問題解決促進委員会」のメンバーでもある。 日高さんの説明によると、現在の庭園は1958年1月24日に日本移民13家族が入った場所で、当時は移民たちの家があったという。 「ハラバコアに当初日本移民が入植したのは13家族だったのですが、他の移住地はほとんど耕作不能で『ハラバコアは良い所』と聞き付けた移民たちが殺到し、多い時で87家族が入植したのですが土地が無くて大変でした」と当時のことを説明する。 庭園は2006年、ドミニカ日本人移住50周年を記念して建立。朱色に塗られた約4メートルの小さな太鼓橋が架かる人口池の中に、13家族の家長の名前が刻まれた石碑が建っていた。 一行はバスですぐ近くの「ハラバコア友好会館」に移動。会館前で同地の日本人たちが歓迎してくれ、一人一人と握手を交わす。 「懐かしいですね。面影ありますよ。何歳で入植したんですか」などと日高さんから質問されていたのは、サンパウロ市ジャルジン・パウリスタ区在住でハラバコアに6歳から11歳まで居たという野副(のぞえ)美夜子さん(63、北海道、旧姓・富樫)。日高夫人のミヨコさん(67)や、幼なじみでミヨコさんの妹の浜田京子さん(64)たちと51年ぶりの再会を喜んでいた。 「あの辺りに私の家があったのですが、今はもうあのころの家はないですね」と会館から山手方面を感慨深げに見渡していた野副さんは、同地を離れてブラジルに再移住し、聖州ブラガンサ・パウリスタやバルゼン・グランデなどを転々としたとし、「日本人子弟の寄宿舎の賄いなどをしましたが、ブラジルに行った当初は人間扱いされなかったですね」と振り返った。 会館内では日高さんが改めてあいさつし、「これだけたくさんのお客さんは珍しいです。私も70歳になりましたが、皆さんお元気ですね。ブラジルは広大な土地で思う存分農業ができたので、皆さんは長生きなんですね」と話したが、それはドミニカで十分な耕地が取得できなかった日本政府への反感の思いも込められていたように聞こえた。 ふるさと巡りの本橋幹久団長は「ドミニカ移民の皆さんもさまざまな問題があり苦労されてきたでしょうが、今では立派に定住されておられます。同じ移民として、中米と南米の距離の違いはありますが、今後の交流をお願いします」と述べ、県連日本祭りのDVDなどを寄贈した。(つづく、松本浩治記者) 2013年11月20日付
東北6県人会とブラジル野球ソフトボール連盟(発起人代表=中沢宏一宮城県人会長)は、22日午後7時からサンパウロ市リベルダーデ区の宮城県人会屋上(Rua Fagundes, 152)で東北楽天イーグルス優勝祝賀会を開催する。 同会は、今年プロ野球パ・リーグを制し、日本一にも輝いた東北楽天イーグルスが、東日本大震災後の東北地方を元気付けた功績をたたえて企画されたもの。 参加費は男性35レアル、女性25レアル。詳細は宮城県人会(電話11・3209・3265)まで。 2013年11月22日付
大阪なにわ会(下平尾哲男会長)は、24日午後2時から同4時までサンパウロ(聖)市ビラ・マリアーナ区の同会館(Rua Domingos de Morais, 1581)で健康座談会を開催する。 同座談会は、府費留学・研修生OB有志が集まる「なにわ会医療関係専門家グループ」がボランティアで行っているもので、同グループに所属する医師の西国幸四郎氏、秋山一誠氏らが今回のテーマ「自立した老人になるために」に合わせて、血圧測定や講演会を行う。 そのほか、高齢者のためのヨガや体操の体験プログラムも用意されており、案内のため来社した山本剛介副会長は、「会の若い人が頑張ってくれて座談会は今年で10年目になります。奮ってご参加ください」と呼び掛けた。 参加無料。なお、講演は日ポ両語で行われる。問い合わせは、同会(電話11・5549・7226)まで。 2013年11月22日付
ニッケイ新聞 2013年11月22日 今月初めにあった日本シリーズを制し、創立9年目にして初のプロ野球日本一に輝いた東北楽天ゴールデンイーグルス。その優勝祝賀会が22日午後7時から、宮城県人会の屋上で行われる。東北6県人会とブラジル野球ソフトボール連盟の主催。特製のノボリは掲げられるものの、試合映像を流したり、ということはないとか。野球ファン向けというよりは、改めて東北の絆を深めようという趣旨のようだ。会費は男性35レアル、女性25レ。同県人会で毎週行われている『金曜親睦会』形式で、飲み・食べ放題。
ニッケイ新聞 2013年11月20日 大阪なにわ会医療関係専門家グループ(下平尾哲男代表)主催の「恒例健康座談会」が、24日午後2時から4時まで、同会館2階(Rua Domingos de Morais, 1581, Vila Mariana)で開かれる。参加費無料で会員外も歓迎。医療関係職に就いた同会の府費留学生・研修生のOBらが主体となった「医療関係専門家グループ」が、約10年前から実施している。テーマは「自立した老人になるために」。血圧測定が無料で受けられるほか、医者などの専門家による健康に関する4題の講演もある。日ポ両語対応可で、題目は次の通り。「自分の脳を自在にコントロールするには?」(西国幸四郎)、「高齢者のためのヨガ」(アベ・シズエ)、「長寿の条件とは?」(秋山一誠)、「高齢者のための体操 練功と社交ダンス」(大町レジーナ、東富江)。案内のため来社した同会の山本剛介副会長は「ヨガと体操は実演もあります。一緒に体を動かしましょう」と呼びかけた。問い合わせは同会(11・5549・7226)まで。 コラム【大耳小耳】 大阪なにわ会の恒例座談会は、同会の府費留学生・研修生のOB・OGらが作る「医療関係専門家グループ」が実施するが、これを開催することになった背景の一つに、同制度の廃止があるという。太田房江時代の2000年に留学生、02年には研修生制度が打ち切りとなった。00年には府からなにわ会への援助も無くなったという。留学生制度の存在意義を証明する意味でも、この健康講演会は貴重な催しだ。多くの県人会で同様の悩みを抱えている。留学生・研修生継続を訴えるような県人会行事が、もっとあってもいいのでは。
福島県人会(永山八郎会長)は、24日午前11時からサンパウロ市リベルダーデ区の同会館(Rua da Gloria, 721)で、「第5回喜多方ラーメン祭り」を開催する。 今年7月の日本祭りでは1400食が完売し、回を重ねるごとに本場に近付いているというラーメン。味は平打ちの縮麺がよく合うあっさりしたしょうゆ味が特徴。 価格は前売りで1杯18レアルで当日は20レアル。来場者の中から抽選で約100人に福島特産の「赤べこ」製品が贈られる。 300食分が用意されるが、例年通り混雑が予想されるため、事前予約が望ましい。 来社した永山会長と曽我部威同県人会事務局長は「来場者をがっかりさせないようなラーメン作りをします」と意気込みを語った。 予約・問い合わせは、同県人会事務局(電話11・3208・8499)まで。 2013年11月20日付
2011年10月から本紙と協力協定を結んでいる新潟日報社(本社・新潟市、高橋道映社長)から17日、取締役執行役員で制作統括本部長・編集局長の渡辺隆氏をはじめ、デジタル戦略室次長兼編集局編集委員の吉岡和彦氏、編集局報道部記者の違(ちがい)浩司氏の3人が来伯し、翌18日に来社した。 一行は、23、24両日にサンパウロ市アクリマソン区の新潟県人会館(Rua Pandia Calogeras, 153)で開催される「新潟日報フェアinサンパウロ」(主催=新潟日報社、後援=新潟県人会、サンパウロ新聞社)に参加し、昭和時代の同社紙面パネル展示や渡辺編集局長の講演会などを行う。 渡辺編集局長は現在全号機がストップしている東京電力の柏崎刈羽原子力発電所の稼働に向けた動きや減反を見直す新潟県の農業、サッカーをはじめとする地元のスポーツなどについて講演を行う予定。 デジタル戦略室の吉岡氏は同紙会員制ウェブサイト「新潟日報モア」を今年6月に立ち上げたことに触れ、従来の購読者へのプラスのサービスを行うとともに新たな購読者を増やしていく考えだ。現在同社は日本国内をはじめ、国外では中国、韓国、ロシア、モンゴルなど北東アジアの新聞との情報を提供及び共有しており、南米では本紙が唯一の提携紙となる。 同行した違記者は約10日間の滞在中、来年のサッカー・ワールドカップに向けた競技場視察や聖州イビウーナ市にあるヤクルト・アカデミーなどを訪問し、取材する予定だ。 渡辺編集局長は「地方新聞は国際的な取材をしなくていいのか」という高橋社長の思いの中で本紙との提携を実現させたとし、「ベース(基本)は人と人との関係。(新潟日報社の)コア(核となる)な読者は中高年や高齢者が多い中、若年世代につなぐ動きを作ることが今回のブラジル訪問の目的の一つでもある。ブラジルからも若い世代が新潟を訪問してもらえるよう、何かお役に立てれば」と来伯の抱負を語った。 2013年11月20日付
全国各県に組織されている沖縄県人会・郷友会など14団体から220人が兵庫県尼崎市に集まり、第12回「全国沖縄県人会交流会」が9月23日に開催された。この日は、翁長雄志那覇市長をゲストに迎えた講演会、各県人会の現状報告とPR、全国交流会としては初めての母県沖縄に対する「構造的差別」解消に向けてアピール活動を行うことを確認するなど情報交換を行い、ウチナーンチュの熱気で盛り上がった。 主催者を代表して沖縄県人会兵庫県本部の大城健裕会長が歓迎のあいさつ。兵庫県人会の歴史を振り返ると同時に「沖縄にルーツを持つ者として沖縄の痛みを共有していかなければならない」と呼び掛けた。 続いて、大阪沖縄県人会連合会の嘉手川重義会長、東京沖縄県人会の渡久山長輝会長の2人が東西の県人会を代表してあいさつした後、沖縄県大阪事務所の登川安政所長が「本土における沖縄県人会の活動状況」について説明した。 メーンゲストに招かれた翁長那覇市長は「沖縄の現状と未来について」と題して講演。沖縄を代表する保守系政治家でありながら、昨年9月の「オスプレイ配備反対」県民大会の共同代表を務めた同市長は「沖縄では基地を挟んで保革が対立してきた歴史がある。しかし、保守と革新を乗り越えて沖縄のアイデンティティーを確立していかないと沖縄の未来はない」と自らのスタンスを述べ、「那覇市ではハイサイ、ハイタイ運動を進めているが、これは、ウチナーグチが滅びると沖縄文化が滅びるという危機感があるからだ」とも語り、喝采(かっさい)を浴びた。 「全国沖縄県人会交流会」は各地の沖縄県人会が横の連携を密にし、会運営方法などの意見交換を行うと共に、万が一大きな自然災害などが発生した場合に支援協力できるネットワーク強化を目的に1996年10月5日、東京沖縄県人会の主催により東京で第1回交流会が行われ、その後2年に1回開催されてきた。これまで東京、大阪、愛知、兵庫、横浜、京都、川崎で開催され、兵庫県では13年ぶり2回目となる。 本土における沖縄県人会の特徴は、会員の親睦を中心に郷里沖縄の政治的・経済的な課題にも関心を持ち、それらの課題解決のための何らかの活動や運動を行ってきたこと。また、戦前、戦後の本土における沖縄県人に対する「いわれなき差別」への対応や戦後の本土復帰運動、最近の基地返還、オスプレイ配備反対運動などの活動を行っていることである。(兵庫県尼崎市在住、上江洲清さん通信) 2013年11月19日付
パラー州など各地県人会員も一堂に ブラジル熊本県文化交流協会(田呂丸哲次会長)創立55周年記念式典が、10日午前10時からサンパウロ(聖)市ビラ・マリアーナ区の同会館で開催された。式典には、母県から小野泰輔副知事、藤川隆夫県議会議長をはじめとする慶祝団36人が来伯して出席。遠方からはパラー、パラナ、サンパウロ各州などからも県人会員及び関係者が詰め掛け、約300人が一堂に会し、節目の年を祝った。 式典には来賓として小野副知事、藤川県会議長をはじめとする県議団、荒巻邦三熊本日伯協会慶祝訪問団団長、佐野浩明在サンパウロ総領事館首席領事、熊本県人子弟である飯星ワルテル連邦下院議員、祖父が熊本出身の西本エリオ聖州議、園田昭憲県連会長、岡本悳也(とくや)熊本学園大学学長らが登壇した。 田呂丸会長はあいさつで、次世代への移り変わりの中でも「熊本を先祖に持ったことを誇りに生きてきた」と述べ、日本人が正直さ、勤勉さによりブラジルの地で信頼を勝ち得たことにも言及。「私たちの先輩が長い間守ってきたお陰で現在の活動が続けられる」と先人への感謝の意を表した。 引き続き、小野副知事が所用で出席できなかった蒲島郁夫県知事の祝辞を代読。5年前の協会創立50周年で初めて来伯した際「(県人会員たちが)熊本への深い愛着を持っておられることに深い感銘を受けた」という。また、熊本からの移住者が約2万3000人に上り、1958年に同協会が設立されたことを振り返り、2011年9月に九州新幹線開設の際にブラジルから約50人の訪問団が母県を訪問したことに感謝し、協会の今後のさらなる発展を願った。 先亡者への黙とう、日伯国歌斉唱に続き、藤川県会議長、齊藤聡熊本市会議長ら来賓がそれぞれ祝辞を述べた。 功労者・高齢者表彰では、明石照久副会長が代表で賞状を受け取り、80歳以上の高齢者13人の名前が読み上げられた。また、90歳以上の特別表彰として歴代会長の柳森優氏と嶋田秀生氏の2人に賞状が手渡された。 各種記念品の交換が行われた後、長瀬隆元会長の閉会宣言で式典は終了した。 パラー州ベレン市にある北伯熊本県人会を代表して副会長、事務局長ら4人で来聖したという島川尚三会長(75)は、戦後第1回目の移民として53年にトメ アスーに入植した経験を持つ。北伯県人会は戦前戦後を通じて活動し最盛期は約300家族が在籍していたが、5年前に再編成し現在は約75家族にとどまって いるという。「南伯(サンパウロ)の式典には初めて出席しましたが、昨年南伯からツアーでベレンに来てもらったので」と島川会長は初めての参加理由を話し た。 また、聖州プロミッソン市に住み、リンス熊本県人会会長を務める安永和教さん(67、3世)もサンパウロの記念式典には初め て出席したとし、母県からの慶祝団一行の中で「上塚周平顕彰『イッペイの会』」の米原尋子会長らが式典前にプロミッソンを訪問したことを喜んでいた。 午後からは昼食懇親会が行われ、日本からの慶祝団たちが登壇する中、田呂丸会長と小野副知事が記念のケーキカットを行った。 2013年11月19日付
ブラジル熊本県文化交流協会創立55周年記念式典を前日に控えた9日午後7時から、同協会主催の慶祝団一行歓迎夕食会がサンパウロ(聖)市リベルダーデ区のニッケイパレスホテルで開かれた。 夕食会には小野泰輔副知事、藤川隆夫県議会議長をはじめとする議員団や上塚周平顕彰イッペイの会(米原尋子会長)、大学コンソーシアム熊本グローバルリーダー育成派遣研修団(岡本悳也代表)ら36人の慶祝団一行と県人関係者ら計約100人が出席した。 上塚周平顕彰イッペイの会の米原会長によると、同会は上塚氏の生家がある城南町で2006年に設立されたという。来伯4回目だという米原会長は上塚周平の墓がある聖州プロミッソンを訪問し、長年にわたって上塚氏の墓守をしている安永忠邦さん家族を訪問した。また、18年の移民110周年に向けて「上塚家の人びと(仮題)」の書籍を発行する予定だそうだ。 一方、熊本大学、熊本学園大学、九州ルーテル大学3校の学生10人で構成される大学コンソーシアム熊本グローバルリーダー育成派遣研修団は、今回が初めての来伯。熊本学園大学学長でもある岡本代表は、熊本大学を中心にこれまで約30年にわたってブラジルからの県費留学生を受け入れてきたとし、今回は同県内に14ある国立・私立大学から推薦された学生が約1週間にわたってブラジル国内を視察することを説明した。 メンバーの一人である大場哲平さん(25)は熊本大学大学院で公共政策について学んでいると語り、「ブラジルと日本の経済関係をはじめ、急成長したブラジルの現状を良いところだけでなく、ひずみの部分も見てみたい」と意欲を見せていた。 歓迎会では田呂丸哲次同協会会長、小野副知事がそれぞれあいさつ。元県人会長の柳森優氏(92)が乾杯の音頭を取り、出席者たちは互いの交流を深めていた。 2013年11月19日付
ニッケイ新聞 2013年11月14日 急峻な山道をバス2台がうなりながら登っていく。今回の旅行でバスは3回変わった。やはり山頂付近でオーバーヒート。一台を残し、長野県伊那谷そっくりの盆地を下っていく。風光明媚という表現が似合う。脇輝亀会長(58、鹿児島)をはじめとするコンスタンサ移住地のみなさんが笑顔でお出迎え。蔬菜作りやトルコ桔梗、ベニ花などの花卉栽培が盛んだという。会館内に移住当時の写真や当時の農機具などが置かれ、あちこちで再会を喜ぶ声がはじけた。多くの人の抱擁を受けた山上桃代さん(旧姓米丸、60、鹿児島)もコンスタンサ出身。幼馴染の今井(旧姓脇)由美子さん(60、鹿児島)は「桃代ちゃんの兄のタゾウが悪かったのよ~。よく女の子らで談判してねえ」と懐かしみ、目頭を押さえた。法要後、婦人部らが作った料理に舌鼓を打ち談笑を楽しんだ。会館の前で「ユーカリの木を覚えているので、ここかなと思ったけど違うね」と山上さん。すぐ近くに移民が入った家が残っていると聞き、皆で向かう。「うわ~! ほんとだ。ここですよ~」と驚く(2回目に登場した)大村順子さんは「食器も家具も全部新品でね。懐かしいねえ」と写真を撮っていた。今も現地の人が住んでいるという。現地に住む脇蝶子さん(82、鹿児島)は「順子ちゃん、桃代ちゃん、名前は覚えているけど、面影はないね。日本は食べる、着るのも困るほど貧乏だった。白ごはんが食べられるから来て良かった」と笑った。翌日、市営墓地にある慰霊碑に参拝。佐藤大使も姿を見せ、炎天のなか焼香。その後スーパーに。カフェやラム酒などをお土産に買い、やはり農業経験者らしく、野菜、果物コーナーを興味深そうに見る人も多い。帰り際、家電製品売り場が一体が血の海になっている。テロか通り魔かと身を屈め周りを伺うと最高齢の八巻タツさん(87、福島)が座り込んでいる。「いんや~店の人に言われて気がついたけど、こんなの初めてだあ」とケロリとしている。どうも足首の静脈瘤の部分が切れて出血したようだ。 かつて指の先端を切り落としたさい、石油に漬けて治したという女丈夫だけに何のそのである。1957年に第4陣としてダハボンに移住。息子の達緒さん(64、同)と参加した。「二毛作なんだけど水が足りない。3キロ離れた水門の番人を監視するのが仕事。水の取り合いで喧嘩もあった。私らが出るときは7家族残っていたけど…行ってみたかったねえ」ダハボンで妹のように仲の良かった八巻キイさん(77、福島)にも今回会った。「だけど50年の話を2、3時間じゃ話せんもんね…」。家族4人はブラジルへ転住、聖州タピライをはじめ転々とした。「頑張らんかったらどこでも同じよ。だけど子供を犠牲にしたよね」と見遣った達緒さんが「やっぱり勉強がしたかったよね」とポツリ。「日本よりドミニカにずっと来たかった。だって7年住んだところだもん。願いが叶って安心しました」とタツさんは〃ふるさと巡り〃を満喫した様子だった。■最後はカリブ海に面したリゾートホテルへ。参加者らはそれぞれの思いを胸に椰子の木が立ち並ぶ〃カリブ海の楽園〃を楽しんだ。一行がドミニカを後にした5日後の27日、物故者慰霊祭があり、参列した約50人が現地でなくなった173人の冥福を祈った。(おわり、堀江剛史記者) この連載はこちらでご覧になれます。http://www.nikkeyshimbun.com.br/2013/2013rensai-horie1.html
サント・ドミンゴ市内中華レストランでの夕食懇談会でスペイン語で司会役を務めた上之(うえの)賢三さん(56)は、ドミニカ日系人協会の嶽釜徹会長の実弟に当たり、ドミニカ初の2世になるという。 記者たちの質問に日本語で答えてくれた上之さんは、15歳の時に日本で自動車整備士としての研修を受け、「日本で日本語を覚えた」と話す。その一方で「父親は苦労してこの地で亡くなった。大使館やJICAは信用できなかった」とも。 ドミニカ移民の苦労を切々と聞かされた感じの懇親会だったが、ここでも50年ぶりの再会があった。サンパウロ州モジ・ダス・クルーゼス市から息子と参加した八巻タツさん(87、福島)と笠原ハルエさん(78、福島)は、第1次、第2次の違いはあれど同じダハボン入植者。「まさか、会えると思っていなかったので、夢みたい」と笠原さんは感激していた。 ダハボンに約10年住んだ後、ドミニカ国内を転々とし、72年に子供を置いて1人で日本に出稼ぎに行った経験があるという笠原さん。実家の福島や東京などで民宿の仲居(なかい)として働いた。「日本に住みたいと思ったこともありましたが、子供のためにドミニカに戻りました」と語り、サント・ドミンゴ市に娘と住んで22年になるという。 懇親会の最後は県連事務局の伊東信比古氏のハーモニカの伴奏で参加者全員が恒例の「ふるさと」を合唱。本橋幹久団長は「別れは再会の始まりです。また会いましょう」とあいさつし、お開きとなった。 午後9時45分にホテルに到着すると、コロンビアのボゴタ市に置き去りになっていた約10人分の荷物がようやく届いたとの連絡があった。 3日目、一行はサント・ドミンゴ市から北西に約140キロ離れた日本人移住地ハラバコアへ。同地は標高524メートル。ドミニカ国内の避暑地として有名だという。 この日も快晴で午前7時半にホテルを2台の大型バスで出発した一行だったが、1号車の乗客が1人、バスに乗り遅れるというハプニングが発生。現地ガイドの 内藤さんが急きょホテルに戻ってその人をピックアップし、地元の車をヒッチハイクするなどして昼食時間にはハラバコアに到着するという「離れ業」で事無き を得たことを後で聞かされた。 ビルが建ち並ぶ市内を外れ有料の高速道路に乗ると、バスの車窓からの景色は緑が多くなった。熱帯地域らしく椰子の木が多いが、柑橘類が植えられているところもある。また、ところどころで日本のような水田風景も広がるが、椰子の木と水田とのコントラストが面白い。 午前9時、中間地点のボナオ市でトイレ休憩。簡易レストランや土産物屋もあり、地元の買物を楽しむ人も。 休憩後、バスは国道から山道へと入り、急勾配を上っていく。 午前10時半、ハラバコア市に到着。同地の日本人移民たちが最初に入ったという場所は現在、日本庭園になっており、赤い鳥居が立っていた。(つづく、松本浩治記者) 2013年11月19日付
2日目の夜は今回初めての公式行事となる、現地の日本人及び日系人との夕食懇談会が開かれた。 サント・ドミンゴ市内の中華レストランが会場となり、ドミニカ日系人協会の嶽釜徹(たけがま・とおる)会長(75、鹿児島)、日本ドミニカ友の会の西尾孝志会長(71、広島)、日本に一時帰国中の佐藤宗一在ドミニカ日本国大使館特命全権大使の代理として植松聡領事夫妻、JICAドミニカ支所長代理の鈴木央(ひさし)事務所員をはじめ、サント・ドミンゴ市に在住する日本人及び日系人約20人が出席。ふるさと巡り一行76人と合わせて約100人が一堂に会した。 在サンパウロ総領事館首席領事や在クリチバ総領事などを歴任し、約20年間ブラジルで勤務して親しまれた佐藤大使は当初、ブラジルからの一行がドミニカを訪問するに際し、大使公邸での懇親会を予定していたという。しかし、日本に一時帰国することになり、この日の懇親会には出席できなかったが、「うまく時間が都合できれば、(後日の)慰霊碑参拝には佐藤大使が出席できるかもしれない」との話だった。 同地日系団体及び大使館代表者などのあいさつの後、本橋幹久団長がふるさと巡りと日本祭りなど県連の活動を説明。本橋団長から嶽釜会長に県連日本祭りのDVDや報告書などが記念品として贈呈された。 「日本とドミニカには移住協定がなく、我々は国(日本政府)から捨てられた棄民だった」―。あいさつの中で、とうとうと熱弁を振るったのは会員数約135家族を指揮するドミニカ日系人協会会長で、1956年7月にドミニカ移民第1陣としてダハボンに18歳で入植した嶽釜氏だった。 「ドミニカに残った我々移住者は、日本の国策の失敗が誰の責任だったのかどうしても納得できなかった」と同会長は2000年に日本政府を相手取っ て起こした裁判について説明。当時の小泉純一郎首相の和解案に「日に日に寄せる移住者の高齢化の波に苦渋の選択の末に和解案を受けた」としながらも、「ま だ移住問題が解決したわけではない」と語気を強めた。 提訴する前の1998年ごろに嶽釜会長は日本の外務省を訪問し、日本人移住 地で石が多くて耕作どころではなかったネイバの石と、土地から噴き出すドベルヘの塩を持参して「入植して40年以上たってもこういう状況だ」と訴えたとい う。「『祖国は自国民をだまして苦しめ、殺すんですか』と聞いた。簡単に言えば詐欺だったんですよ」と嶽釜会長たちの怒りは今も収まっていない。 97年には嶽釜会長をはじめ、ドミニカ側で「移住問題解決促進委員会」が8人で発足し、裁判への足掛かりとなった。委員会のメンバーで残っているのは現在 5人のみ。嶽釜会長は「我々1世が死んだら(日本政府と交渉する)後継者はいなくなる。その前に土地問題を解決しないとと焦っている」と現状を吐露する。 そうした中、国策問題の一環として日本政府に交渉して造らせたのが、今年1月に建立された「ドミニカ共和国国策ドミニカ日本人農業移住記念碑」だという。 「本当は昨年の7月29日の(同地の)『移民の日』までに建立したかったのですが、今年1月17日に落成式を行いました。今年8月25日には、記念碑横に 移民の家族の名前を刻んだ記念プレートも造ってもらいました」と嶽釜会長。しかし、裁判を起こした移民たちが本当に求めているのはあくまでも、「耕作でき る自分たちの土地だ」と強調する。(つづく、松本浩治記者)...
ニッケイ新聞 2013年11月13日 ハラバコア移住地に向けて出発する。途中混雑していると思ったら、トラックが横転している。さすがドミニカ。ガイドに電話が入り、一人がホテルにまだいるという。すぐさま内藤さんがバスを降りる。後から聞くと、ヒッチハイクで迎えに戻ったという。さすが内藤さん。バスは北上する。自然のなかに、貧困や政治が見え隠れするのはブラジルと同じだ。途中、台湾系によるものだという水田がのどかな風景をかもし出す。ハラバコアは標高600メートル。別荘地としても知られているように、瀟洒な山荘がときおり見える。1958年に13家族68人が初入植。国内の農耕地としては恵まれているというが、他移住地からの転住が続き、移住者らがひしめき合う状態になってしまったという。現在は7家族が住んでいる。バスは2006年50周年を記念し建てられた日本庭園前に到着。鳥居や浮島もある立派なものだ。出迎えてくれたのは日高武昭さん(70、鹿児島)。ドミニカ鹿児島県人会の会長でもある。 しばらく行ったところにハラバコア友好会館がある。裏手に広がる芝生を見ながら「ここらへんに家があったようですけど…全く変わっていますね」と話すのは、野添(旧姓・富樫)美夜子さん(63、北海道)。6歳で移住し、11歳のときに聖州ブラガンサ・パウリスタに、その後もヴァルジェン・グランデなど転住を続けたという。近くに住んでいたという浜田京子さん(64、鹿児島)が51年ぶりの再会を喜び、「働きものでねえ。弟のヨッタン(世史郎さん)を背負って炊事、ドラム缶のお風呂も焚いていたよねえ」と涙をぬぐった。清流ながれるリゾートホテルで昼食。半世紀とはかくも長い年月なのだ。ピエダーデ・ケサーダ市長が歓迎の意を表し、広島との関係を強調する。聞けば「広島市から贈られたゴミ収集車が活躍している」のだとか。そういえば、広島東洋カープはドミニカに野球アカデミーを所有している。ドミニカ訴訟を扱ったテレビ番組のDVDを1枚10ドルで販売しているという。記者は買わなかったが、3枚組で10人ほどが買ったようだ。定番の「ふるさと」を歌い、一路サントドミンゴへ戻る。旅行先での楽しみといえば多くあるが、やはり食に尽きる。郷土食レストランで「サンコーチョ」が出るというので胸が高鳴った。数種類の肉や野菜を煮込んだハレの料理だとか。メレンゲによる男女二人の踊り。地元のラム酒を使ったカクテルも手伝い、ようやくドミニカに来たという気分が盛り上がる。すると、小さなカルド・デ・モコトのようなものが出た。ほかの参加者には、ジャガイモらしきものが入っていたが、記者のものにはスープ用の牛骨しか入っていない。ナイチンゲールが嘆いたというクリミア戦争での病院食をイメージした。その後、米とキュウリなどを切っただけのサラダ。しばし待つ。「サンコーチョは?」とガルソンに聞くと驚いたことに最初のカルドがそうだという。本橋団長も「え!あのソッパで終わり?」と目を剥き、状況を確認するためガイドの席に向かった。■文化に上下はない。あるのは違いだけだ。だが悲しい違いだ。ガルソンに値段を聞くと、3ドルのセットだという。ガイドに聞くとレストランには10ドルで注文したという。消えた7ドル×76人。レストラン側との交渉を尻目に一行はバスに乗り込んだ。やはり気が抜けない、ドミニカ。バスのなかで「ホテルの和食屋で口直しをして欲しい」と告げられる。初日夜に1時間待たされた経験もあってか、レストランに現れる人は少なかった。数人で飲んだ「プレジデンテ」は、ことさら苦かった。(堀江剛史記者) この連載はこちらでご覧になれます。http://www.nikkeyshimbun.com.br/2013/2013rensai-horie1.html
ブラジル福島県人会(永山八郎会長)は、2014年度短期研修生を急募している。 福島県主催の同研修の目的は、中南米に移住した県人会員やその子弟と県民との交流を通じて、将来にわたる親善・発展に寄与する人材育成。 今回の研修期間は14年1月末から2月初旬の約2週間。定員は中南米で10人だが、ブラジルからは5人が推薦される予定。東日本大震災後、3年間凍結していた同研修だが、今年2月に福島県で開催された「在外県人会サミット」を機に再会が決定した。 応募資格は、18~40歳の同県人会の会員または会員の子弟であること。日本語能力は問わない。また福島県内に親族がいることも条件で、渡航費、日本国内旅費、宿泊費は福島県庁が負担する。 申し込み締め切りは今月25日。応募者の中から面接などにより選考される。なお現在同県人会員でなくても、これを機に加入することで応募資格を得られる。 来社した永山会長と曽我部威同県人会事務局長は「日本、福島の今を肌で感じる絶好の機会。ぜひとも応募してほしい」と呼び掛けた。 予約・問い合わせは、同県人会事務局(電話11・3208・8499)まで。 2013年11月14日付
