9月1日(土曜日) ◎ 青葉祭りは、午前7時から聖市リベルダーデ区の宮城県人会館(Rua Fagundes, 152)で。 ◎ アチバイア花といちご祭りは、午前9時から聖州アチバイア市にあるエドムンド・ザノニ市立公園(Av. Horacio Neto, 1030)で。2日も。 ◎ 池坊南米支部の花展は、午前10時から聖市パライゾ区のサンパウロ文化センター(Rua Vergueiro, 1000)で。2日も。 ◎ 写真家、仁尾帯刀(にお・たてわき)さんの写真展は、午前10時から聖市コンソラソン区のサンパウロ総合大学マリア・アントニア分校(Rua Maria...
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【既報関連】秋田県人会(川合昭会長)主催の「秋田テレビ(森義弘制作局長と守屋美帆制作部ディレクター)の歓迎会」が、21日午後7時半から聖市ビラ・マリアーナ区の同県人会館で開催された。 「ようこそ ブラジルへ!! 秋田テレビ 森義弘様、守屋美帆様」と書かれた大きな紙が張られた会場には、高岡専太郎医師の孫の高岡マルセロさん (54)と高岡フラビオさん(59)など家族らや園田昭憲県連会長、伯国三菱商事の吉住直樹生産産業副社長などが出席したほか、秋田県人会員など計約50 人が会場に足を運んだ。 あいさつで守屋ディレクターは「どうしてもブラジルで生きている日系人の方々のことを知りたくて、取材に来ました」と話し、森局長は「テレビを通し日本の若い人たちに高岡専太郎氏の偉業を伝えていきたい」と語った。 初めて同県人会館を訪れた園田県連会長は、「高岡専太郎さんはコロニアの歴史でとても重要な人物です」と紹介。その後、中沢宏一宮城県人会長の音 頭で乾杯し、すしや刺し身などの日本食が振る舞われた。守屋ディレクターは、歓迎会の温かい雰囲気の一部始終をビデオカメラに納めていた。森制作局長によ ると「歓迎会のことを秋田テレビのニュースで流すかもしれない」と歓迎会前に話した。また、酒を交わした来場者らは秋田民謡を手拍子を取って歌ったりと盛 り上がりを見せていた。 フラビオさんは祖父の専太郎さんのことはあまり覚えていないが、専太郎さんの死後、お世話になった患者からよく自宅に電話がかかってきたエピソー ドを話し、「祖父のことが日本のテレビで放映されるのはとても名誉なことです」とうれしそうな表情を見せていた。マルセロさんも「祖父のことを紹介するの で、家族全員で喜んでいます」と話していた。 川合会長は、「これだけの来賓の顔ぶれを見て、高岡専太郎さんの偉大さを改めて感じることができた」と満足そうに答えた。 2012年8月29日付
ニッケイ新聞 2012年8月25日付け 南大河州ポルト・アレグレの軍警学校で『第1回日本祭り』が18、19の両日に開催され、晴天のもと1万人を大きく超える来場者で賑わった。ポルト・アレグレ日本文化協会(菅野和寿会長、約80会員)主催。アニメイベント「AMIME・BUZZ」、南伯援護協会(森口幸雄会長)主催の「第53回家族慰安敬老演芸会」も同会場内で行なわれ、幅広いジャンルで来場者が楽しめるイベントとなった。菅野会長(57、北海道)は「初めてなので全てが手探り状態。コロニアが一致協力して実現できたのは嬉しい」と話し、継続していく考えを示した。 初日午前にあった開会式では、菅野会長、南伯援護協会の森口幸雄会長、在ポルトアレグレ出張駐在官事務所の後藤猛領事、軍警の関係者らが壇上に立った。ジョゼ・フォルトゥナッチ市長は「私たちは違いを大事にしたい。州、市の発展に貢献した日本人による文化イベントを通してさらなる両国の友好に繋がれば」と願いを込め、現在、ジョゼ・フレイタス市議が提出している日本移民の日(8月18日)法案に触れ、「承認後は市の公式イベントとなる」と支援態勢を強調した。中庭に面した四方の部屋に設けられた文化スペースには、書道、華道などの作品が並んだ。空手や剣道、少林寺拳法の演舞もあり、パラナ州ポンタ・グロッサ市から太鼓グループ「風林火山」、サンパウロからは県連派遣による琉球舞踊グループが舞台を披露、関心を呼んでいた。演芸会の会場では、会員らがカラオケで自慢の喉を披露、中平マリ子さんのショーもあった。体育館では、コスプレ衣装に身を包んだ若者らが参集、様々なイベントを楽しんだ。「日本酒が美味しかった」と試飲を楽しんだヨスリニ・ケイロスさん(24)とパウロ・ヴァルガスさん(32)は「日本文化は大好き。踊りも見たし、これからヤキソバを食べるところ。イベントが続けば楽しいね」と笑顔で語った。
【一部既報】県連(園田昭憲会長)は、「ふるさと巡りなどでお世話になっている地方の団体に恩返しをしたい」(園田会長)として、18日と19日にリ オ・グランデ・ド・スル(南大河)州ポルト・アレグレ市で行われた「日本祭り」に、本年度から新たに予算内に設けた「国内交流基金」 (Ev.Sociais-Intercâmbio)を活用して、琉球舞踊を踊る具志堅洋子琉舞道場のメンバー7人を招へいした。今回、使用された同基金は 4000レアル。琉球舞踊を踊った7人の交通費などに充てられた。園田会長は本紙の取材に対し、「国内交流基金を活用してサンパウロでしか見られないよう な本格的な日本文化を地方で見てもらうなどして還元したい」と同基金の意義について説明した。 近年、数多くの目玉事業の成功により、コロニアの中でも資金的に余裕のある団体となった県連。12年度は各県人会の活動を金銭的に助成するため、 5万レアルの「ブラジル日本都道府県人会連合会基金(Fundo Kenren)」(以下、県連基金)を予算に組み込んでおり、既に県連基金委員会(小山田祥雄委員長)が交付を開始している。これまで代表者会議で発表さ れた交付実績は、三重=1500レアル、北海道・東北ブロック=5000レアル、石川=600レアル、岩手=600レアル、長崎=1300レアルとなって おり、小山田委員長は「全都道府県に交付したいので、どんどん申請してください」と呼び掛けている。 県連基金以外に、12年度予算には「国内交流基金」2万レアルが盛り込まれている。園田会長は「伯国内の各団体との交流を促すために、地方では見 ることのできない本格的な日本文化を紹介するなどしたい。次回は、今年の日本祭りに来ていただいた北伯への派遣を考えている」と明かした。また、「伝統芸 能以外での還元も考えられうる」として同基金の活用方法に幅を持たせた。 なお、同基金には現在のところ運用を担当する委員会が存在せず、執行部で管理運営している。派遣先団体の決定や派遣するグループなども執行部で決定される。 本紙の「この基金を活用し、県費留学生などの制度がなくなってしまった県などの補助などは行わないのか」との質問について園田会長は、「それは県連基金の役割になる。国内交流基金は地方や他団体との交流に活用される」とし、全伯の日系団体とのつながりに重きを置いているといった主旨を述べた。 また、「国内交流基金は県連基金と同様に、県連会長が変われば存続しないのではないのか」という質問に対しては「次の会長がどう考えるかは分からないが、できれば続けてもらえれば」と存続を希望した。 園田会長は「国内交流基金の今年度予算が2万レアル。今回4000レアルかかった。単純計算で今年度中にあと4回派遣できる」と話し、地方への還元活性化活動に意気込んでいた。...
ポルト・アレグレ市で行われた日本祭り(18~19日)に出演した歌手の中平マリコ氏と玉城流・てだ伯洋の会ブラジル支部の具志堅洋子氏は同祭に先立ち、17日に在ポルト・アレグレ出張駐在官事務所の後藤猛領事を表敬訪問した。 歓談の中で後藤領事は「ポルト・アレグレで初披露される琉球舞踊や中平さんの4回目になるカトリック大学での公演も楽しみにしている」と話し、日本祭りの成功を祈った。 また、同領事は「日本人は少ないが、武田薬品工業(株)が先月、伯国の中堅製薬会社を買収し、(株)フジクラが州内に特殊送電線用ケーブルを製造する工場を建設しようとするなど、新たな日本企業も注目している」と同地の現況を説明した。 今回、ポルト・アレグレ日本祭りに聖市から琉球舞踊一団を派遣した園田昭憲県連会長は「地方に本物の日本の伝統芸能を紹介することが県連が今年から設けた『国内交流基金』の役割だ」と話し、各地の日本祭りの交流に一役買えることを喜んでいた。 2012年8月28日付
ニッケイ新聞 2012年8月24日付け 聖市議会は20日、サンパウロ日伯援護協会(菊地義治会長)に対して法人への最高顕彰である「サルバ・デ・プラッタ」を授与した。昨年7月に1カ月間臨時市議を務めた、小林ビットル補欠市議の推薦。午後7時半から行われた授章式には多くの援協役員、職員が出席し、SUS病院を建設中のサンミゲル・アルカンジョ市からアントニオ・セルソ・モシン市長、ピニャール移住地の西川修治文協会長らも駆けつけ、約150人が栄誉を祝った。日伯両国歌の演奏後、援協の沿革や傘下施設を紹介するビデオが流され、来賓の飯星ワルテル連邦下議、在聖総領事館の小林雅彦首席領事、木多喜八郎文協会長、パウロ・クロン聖市保健局長などが援協の活動意義を称え、祝辞をのべた。小林補欠市議から銀盆を受け取った菊地会長は、「我々ではなく、援協を創設し、幾多の困難を乗り越えてきた先輩方が受章に値する。今の援協があるのは彼らのおかげ」とスピーチし、感謝の意を示した。
聖州立中高生200人も参加 来賓には大西博巳広島県人会長、川添博長崎県人会長、森田被爆者協会会長、山下譲二文協副会長、チアゴ・クロッコ聖州教育局代表、ケネディ・レジストロ市長などが出席。式典ではまず、日伯両国歌とレジストロ市の歌を斉唱した。 開会のあいさつを山村実行委員長が行い「灯籠に願いを込めて核のない平和な世界を、この場所から平和を訴える」と述べた。続いて中村法道長崎県知事のメッセージを川添氏が代読。また森田氏、山下氏がそれぞれ核のない平和な世界について唱えた。 聖州とレジストロ市を代表してサンパウロ州教育局のクロッコ氏、ケネディ市長があいさつを行い同市長が来賓を代表して「世界平和宣言」を行った。また献花を大西氏と川添氏が、献水を森田氏が行った。 式典前には同州立の中高校生を対象に核兵器の恐ろしさを訴えた「原爆の子」のDVD鑑賞が行われ、約200人が参加。献水後に同生徒によるコーラスが行われた。 生徒らは「原爆をゆるすまじ」「ローザ・デ・ヒロシマ」「ドイス・コラソンエス」などを日ポ両語で披露し、制作した大きな鶴を掲げながら平和を歌った。 その後、追悼法要と平和祈願を行い、会場横を流れるリベイラ川に300基の灯籠が流され式典は閉幕した。 山村実行委員長は取材に対し「式典を通じ原爆の恐怖を知らない若い世代に着実に知ってもらっている。これからも引き続き伝承できれば」と次世代に伝えていく姿勢を見せた。 DVDを鑑賞したほか、コーラスを通じ核兵器の恐ろしさを知ったというジャクビランカ市にある州立学校から参加したビアンカ・ペレイラさん(14)は「この活動に参加していなければ日本で起こった悲劇を知ることはなかった。参加できて良かった」と親身に語り、アビガイル・デ・オビレイラさん(15)は森田氏の原爆の体験談について触れ「苦しみを共有できて良かった。平和が一番だ」との思いを述べた。 なお大勢の同学生に「日本に原爆が投下されたことを知っていたか」と質問したところ、全員が「知らなかった」と答え、「今後もこのような活動に参加したいか」との質問には「もちろん」と笑顔で答え、非日系の若い世代に核兵器の脅威、平和への願いが着実に伝わっていたことが伺えた。 来年はレジストロ、イグアッペ、セッテ・バラスの日本移民入植100周年ということもあり、同年式典も兼ねて大掛かりな催しを計画、実行する予定だ。(川口裕貴記者)◎ ◎18日に開催された「平和灯籠流し」式典前の午後2時、レジストロ市立多目的ホールで映画監督・新藤兼人氏の作品で乙羽信子主演の「原爆の子」が上映さ れ、300人の生徒が広島の悲劇を熱心に見た。このDVDはブラジル広島文化センター理事の平崎靖之さんの寄贈によるもの。 原爆が広島に投下された時、平崎さんは母親の胎内に宿っていた。新藤監督の父親と平崎さんの父親が親戚関係で両家はよく行き来し、一緒に撮った写真が何枚もあるという。 平崎さんは来年訪日する予定で、「今年昇天された新藤監督の墓参りへ行く。墓前で地球の反対側にあるブラジルで核兵器廃絶運動の『平和灯籠流し』を催 し、『原爆の子』を見た将来を担うブラジルの子供たちが核兵器のない平和な世界の建設に努力することだろうと伝えたい」と語った。(金子国 栄) 2012年8月23日付
秋田テレビの森義弘制作局長(58、秋田)と守屋美帆制作部ディレクター(41、秋田)が、20日に高岡専太郎医師(故人)の取材のために初来伯し、本紙を訪れた。 同テレビ局関係者が来伯したのは1990年の秋田県人会30周年の式典以来で、22年ぶりとなった。 今回、同テレビは秋田県出身の高岡医師を、秋田県で2カ月に1回放送されている「秋田人物伝」という1時間の番組で紹介するために訪れた。 今回の取材目的は3点あり、高岡医師が活躍した地域の一つであるマラリア被害が多かった平野植民地、高岡家の小林ゆみさん(長女)や山形つやさん(次女)など同医師の子孫たちと秋田県人会について。 今回、同テレビ取材のために同県人会顧問の高岡マルセロさん(同医師の孫)が、ヘリコプターを出すための資金協力をするなど高岡家が全面的にバックアップするという。 守屋ディレクターは、「高岡医師の家族や移民の人たちの歴史や息吹を感じられたら」と語り、森制作局長は、「高岡医師の名前と偉業を秋田県人に知ってもらいたい。また、日本の若者に移民の人たちの積極的な姿を知ってほしい」と目を輝かせながら話した。 なお、森制作局長と守屋ディレクターは今月31日に帰国する予定。 2012年8月23日付
ブラジル高知県人会(片山アルナルド会長)主催の「第1回ブラジル土佐祭り」が18、19日、聖市バラ・フンダ区のドトール・フェルナンド・コスタ公園内アグア・ブランカで行われた。 会場には2日間で約1万人(主催者発表)が来場し、アニメのコスプレショー、日系人によるストリートダンス大会やカードゲーム大会など若者向けのイベントが多く催され、たくさんの若者の姿が見られた。 18日午後1時からは太陽が強く会場を照りつける中、開会式が開かれた。片山会長はあいさつで、「これから若い青年部に頑張ってもらって、立派な土佐祭りをやってもらいたい」とエールを送った。 19日夕方には、メンバー25人による沖縄太鼓が野外舞台前で演奏され、会場には約400人の観客が集まり、同日で一番の盛り上がりを見せた。 日本のアニメ「鋼の錬金術師」のエドワード・エルリックのコスプレで同祭に参加したアンドレ・ルイスさん(27)は、「イベントは全体的にとても良かった。特にサムライと忍者の演劇が面白かった」と話し、家族と来場したフランシスコ・シルバさん(34)は、「陽気ですごく元気が出る祭り。1年間に何回もやってほしい」と希望していた。 野外舞台では両日で計28演目が披露されたが、日系団体の演目はわずか4演目(ラジオ体操、よさこい太鼓(2回)、沖縄太鼓)で非日系の団体による演目が大きな割合を占めた。 その背景には同祭を中心となって企画した高知県人会青年部(武田アウグスト青年部長)約30人の中に約10人の非日系人が所属していることも影響している。彼らを含み友人らも演目に携わったという。 同青年部のホウジ・リカルド・武さん(25、2世)は、「天気にも恵まれ、予想以上に成功しました」と語り、同青年部の中村千晶さん(36)は、「両日とも人が多く、全体的に良かった」と喜んでいた。 武田青年部長は「土佐祭りを有名にできたと思う。来年は今回よりもカード大会の規模を大きくしたい」と意気込みを見せる。 片山会長は「青年部が中心となった初めてのイベントだったので不安もあったが、随分青年部員たちが頑張ってくれた」と満足そうに話した。 2012年8月23日付
ニッケイ新聞 2012年8月23日付け 通常、移住周年式典は県人会単位であり、移民大県沖縄においてすらも市町村単位だが、故郷からの使節団25人に加えて出席者600人も集める「字」がある。それは沖縄県那覇市字小禄(おろく)田原(たばる)で、その出身者と子孫が作る同字人会が主催した95周年記念法要と式典が19日午後、聖市の客家センターで盛大に開催された。今回から特別にブラジル側が費用を負担して故郷から4人を呼ぶ招待人制度も開始され、5年後の百周年に向けて大いに絆を深めた。 字小禄は那覇市内の11平方キロの地区で、そこからなんと4千人が渡伯、1700人がハワイに渡るなど、通常なら県まるごとに匹敵する移住者が出ている。単純計算すれば日本移民25万人の50人に一人は小禄出身者であり、日本最多の移住集中地区といえそうだ。百周年協会の上原幸啓理事長、県連の与儀昭雄元会長、化粧品店経営で有名な上原家なども同地の出身者や子孫だ。午後2時からの式典では照屋マリオ勇祝典委員長が「ウルクンチュ(小禄人)、タバルンチュ(田原人)の先駆者への恩を忘れずにユイマール(団結)の精神をもって郷土との交流をさらに深めましょう」とポ語で呼びかけた。さらに上原テリオ実行委員長も先人の苦闘に思いを馳せ、「イッペーニヘーデビル(大変感謝する)」と締めくくった。郷土団体を代表し、字小禄財産管理運営会の高良忠清理事長は「大戦で焦土と化した小禄田原は、戦後みなさんから送られた支援のおかげで立直った。深く感謝もうしあげ、ブラジルでの子孫発展に敬意を表する。世界のウルクンチュが手を携えて、共に発展していくことを祈念する」とあいさつした。続いて同運営会会長代理として上原勝男さんがあいさつ文を読上げ、高良正幸那覇市議も翁長雄志(おながたけし)那覇市長の祝辞を「ハイサイ、グスーヨーチューウガナビラ(こんにちは、みなさんに会えてよかった)」と勢いよく代読し、昨年那覇市で開催された世界ウチナーンチュ大会では過去最高の計7363人の子孫が訪れたことを喜び、「あの時の感動を昨日のことのように覚えている」と語り、「那覇市ではチムグクル(深い思いやり)を未来へつなげるためにウチナーグチ(沖縄方言)の積極的な使用を奨励している」などとあいさつした。県人会の与那嶺真次会長、神谷牛太郎聖市議、西本エリオ州議、飯星ワルテル下議の祝辞に続き、招待人4人を代表して高良由弘さんが「みなさんの活躍を沖縄に伝えたい」との抱負を語り、記念品を交換した。90歳以上の高齢者約25人、二世最高齢の高良アントニオさん(91)に記念品を送ると「百周年が待ち遠しい」との謝辞を返した。「イヤササ、ハイヤー!」のかけ声とともに鏡割りが、「ビバ! カンパイ! カリー!」との発声で盛大な乾杯が行われ、賑やかな芸能祭に突入し、夜7時ごろまでゆっくりと郷土の芸能を楽しんだ。出席者の聖市在住の高良幸一さん(76、小禄)は「最高の式典だった。これだけの式典ができる字人会はほかにないのでは」と胸を張った。5回目の来伯という高良忠清理事長によれば、「那覇市中心部に近い立地で、戦前から商売っけのある気風が強く、海外熱が高かった。すぐそばに那覇空港があったので沖縄戦で激戦地になり、戦後ブラジルから呼び寄せてもらってたくさん海を渡った。私も17人の従兄弟がこちらにいる」と移民が多い理由を説明した。
ニッケイ新聞 2012年8月23日付け 2日間で約1万人来場 高知県人会青年部(武田アウグスト部長)が県系人のつながりを越えて企画した『第1回土佐祭り』が、18、19の両日、聖市アグア・ブランカ公園内アリーナで開催された。2日間とも天候に恵まれ、約1万人がショーを鑑賞したり郷土食を堪能したりと休日を楽しんだ。同祭は同県人会の活性化を目指して青年部が企画したもの。「日系人よりも、日本文化が好きなブラジル人の方が逆に熱心に頑張る」(武田部長)と、約30人の非日系の友人たちを呼び込みイベントを開催した。プログラムは青年部らしく合気道や剣道など武道に加え、和太鼓、ストリート・ダンス、アニメ・特撮専門のバンド「アニマッドネス」のショー、アニメ「遊戯王」カードゲームや漫画ワークショップなど様々な余興を準備。ショーはステージを越えて砂地のアリーナで広々と開催された。観客への質問にも臨機応変に答えながら、子どもも大人も一緒に武道の技を体験するなど、自由な雰囲気でショーが進められた。また、イベントを聞きつけてやってきたコスプレグループも公園内をパレードし、雰囲気を更に盛り上げた。アリーナ手前にはずらりと食べ物のバンカが並び、昼時には屋台コーナーに行列ができた。同県人会では、食事を販売し青年部をバックアップ。鯛蒸し、姿寿司、カツオのたたきなど郷土食は、事前に予約する人もおり、ほぼ完売。カレーやヤキソバなど一般的日本食もよく売れ、天ぷらは700個以上が売れたとか。片山アルナルド同県人会会長は「青年がこんなイベントをやるのは県人会にとっても嬉しいこと。若者同士、人脈を広げて交流を深める場にもなる」と喜び、「色々手抜かりもあるが、経験のある我々が協力していく。意見を擦り合わせ、次からはもっと県の文化を紹介していきたい」と話した。武田部長も「来年はもっとワークショップを増やし、規模を2倍にする」と見通しを語った。公園に運動に来ていたモニカ・ダ・シルバさん(39)は「こんなイベントがあるなんて知らなかった。見られて良かった」と喜んでいた。
ニッケイ新聞 2012年8月23日付け 土曜日(25日) ブラジル別院南米本願寺「讃仰の集い」、午後2時、文協大講堂(Rua Sao Joaquim, 381, Liberdade)。日曜日も(午前10時~)◎サルヴァドール日本文化祭り・盆踊り、午前10時、バンコ・ド・ブラジル・アトレチコ協会(Rua Deputado Paulo Jackson, 869, Piata)、日曜日も◎日伯社会保障協定発効に伴う年金の取り扱いについての合同研修会、午後2時、CIATE(Rua Sao Joaqui, 381)◎アルジャ花祭り、終日、アフロード展示会場(Av. PL do...
ニッケイ新聞 2012年8月23日付け ブラジルにおける日本人初の医師、高岡専太郎(1885~1963年)の生涯を追う番組取材のため、「秋田テレビ」の森義弘報道制作局長(58、秋田)と守屋美帆同局制作部副部長(41、同)が20日に来伯した。秋田県内で2カ月おきに放映され、県出身の偉人を紹介するシリーズ『秋田人物伝』で紹介する。過去には「赤城の子守唄」などを代表曲に持つ東海林太郎、戦前の日本を代表する舞踏家・石井漠、「蟹工船」で有名な作家・小林多喜二などが取り上げられている。始めてブラジルに渡った人物を取り上げる。共に初来伯で、同番組としても初めての海外取材となる森局長、守屋制作副部長は「高岡の功績は野口英世と比べても遜色無いもの。特に若者に向けて秋田県内での知名度を上げられれば」と意気込む。31日までの滞伯で、高岡が母体を作ったサンタクルス病院、平野植民地、ブタンタン研究所、聖州モジ市にある高岡中学校などを訪れるほか、存命である高岡の娘へのインタビュー取材も行う。なお、番組の放映は9月中を予定している。
地元日系団体が協力団結 「日本移民の日」も制定へ 約5000人の日系人が住むリオ・グランデ・ド・スル(南大河)州で18、19日の両日、同地で初めてとなる「日本祭り」がポルト・アレグレ市内の州警察学校敷地内で行われ、州内外から日本文化に興味を持つ約1万3000人(地元警察発表)が集った。同祭は同地の日系組織であるポルト・アレグレ文化協会(ACJ、菅野和久会長)と南日伯援護協会(森口幸雄会長)が共催したもので、同援協の「第53回家族慰安敬老会および演芸会」も併せて行われた。会場では折り紙や生け花、茶道、各種武道、書道などの日本文化が紹介されたほか、パラナ州ポンタ・グロッサから招かれた太鼓グループ「風林火山」が勇壮な演奏を行った。加えて、県連(園田昭憲会長)が国内交流基金によって招へいした聖州サント・アンドレー市の具志堅洋子琉舞研究所メンバー7人が琉球舞踊「四つ竹」を南大河州で初披露し、観客からの万雷の拍手を浴びていた。(植木修平記者) 聖州やパラナ州などと比較すると南伯の日系コロニアは小さい。しかし、南大河州議会は2011年8月に戦後日本移民55周年を記念し、初めてリオ・グランデ港に降り立った日本移民23人のうち州内に住む9人に対し、その功労を認めメダルを贈呈している。南伯の日系社会が大きな節目を迎えたことはポルト・アレグレ市でも認知され、現在、公式に「日本移民の日(8月20日)」が制定されつつあり、まもなく市議会本会議で議決される予定だ。 18日午前に行われた開会式には、在ポルト・アレグレ出張駐在官事務所の後藤猛領事、文協の菅野会長、援協の森口会長、白井安弘南伯日本商工会議所会頭、ポルト・アレグレ市のジョゼ・フォルトナ市長などが出席。日伯両国国歌斉唱後にあいさつに立ったフォルトナ市長は「日本移民の日を承認できる日が来ることをうれしく思う」と話した。 また、今回の日本祭りは州警から管野会長に対し、州警学校の敷地を開催地として無料貸与するとの申し出が11年3月にあったことがきっかけとなっている。 同祭はブラジル側の厚意によって支えられ、南伯の日系社会として初めての「日本祭り」が開催されたが、開催期間中は約30度の暖かな気温に恵まれたことや、現地の情報紙やテレビ報道などによって紹介されたことで多くの来客があった。 コスプレ姿で日本祭りを訪れた伯人男性は「テレビでは見たことはあるけれど、茶道を初めて見た。所作に対するこだわりを感じた」と興奮していた。 また、「四つ竹」を踊った具志堅洋子さんは「サンパウロでは琉球舞踊はいつでも見れるが、こちらの人たちは真剣なまなざしで私たちを見ていた。こちらもしっかりやらなければという気にさせられた」と気持ちを引き締めていた。 今回、琉球舞踊を招へいした県連の園田会長は「国内交流基金を使い、サンパウロから地方へ日本の本物の文化を伝えることができた。次回は(パラー州)ベレンに連れて行ければ」と意気込んだ。 同祭にはペロッタス、イボチ、カシアス、サンタ・マリアなど周辺の移住地からも集客があったことに加え、関係者らは「日本祭りをみんなで成功させたことで、長年ポルト・アレグレの日系団体が抱えていたわだかまりが解決された」と喜んだ。 約20万人を呼びこむサンパウロの日本祭りと比べるとささやかだが、ポルト・アレグレ婦人会(和田恵子会長)など女性陣が中心となって会場設営がなされ、手作りの飾りで彩られた会場は来場者の笑顔で満たされた。 同祭関係者らは「日本移民の日が制定されるとなると、日本祭りは毎年行われることになるかも」と表情を引き締め、同地日系社会に新たな絆が生まれていた。 2012年8月22日付
日本文化楽しむ人々でにぎわい 各国からの移民で形成されている人口約10万人の聖州サルト市で、18、19日の両日、サルト日伯協会(=アニブラス、寺坂クラウジオ雅延会長)と同市役所(ジョゼ・ジェラルド・ガルシア市長)の共催で、第5回サルト日伯祭りが開催された。両日とも天候に恵まれ、昼夜を通して多くの市民が来場。日系人の少ない同地で日本文化が紹介される数少ない機会とあって、日本食の出店には長蛇の列ができ、近隣都市の日系団体が出演した舞台では、演目が終わる度に歓声や拍手が起こった。 今回、舞台を囲む椅子や食事コーナーが満席になる程の人出でにぎわった同祭も、天気が崩れた3年前の第2回は来場者数約3000人に終わっている。今年は開催期間中、終日快晴となり、途切れることなく来場者が訪れ、日本食や伝統芸能などの日本文化を楽しむ人の姿が多く見られた。 アニブラスの坂上拓生評議員は「冬場でこんなに暑いのは珍しい」と晴れ渡った青空を見上げた。寺坂会長も「皆でてるてる坊主を作ったので、晴れて良かった」と笑顔で話した。 初日の18日午後8時からは開会式が行われ、日の丸が掲げられた舞台に小林雅彦在聖日本国総領事館首席領事、寺坂会長、坂上オスカル大吉副会長、ガルシア市長、ベニア・バルセーラ同市文化局長が登壇。そのほか、市外からも多数の来賓が参列した。 あいさつに立った寺坂会長は同祭の歩みを紹介し、遠方から駆け付けた来賓や後援企業に謝意を述べた。 式では、昨年に引き続き来場した小林首席領事に対して、アニブラスから記念プレートが贈られた。式の最後は赤い法被を着た小林首席領事とガルシア市長が「いち、に、さん」の掛け声で鏡割りを行い、晴れやかに幕を開けた。 坂上評議員によると、同市には日本文化を継承している団体がない。そのため同祭には、これまでイツーやインダイアツーバなど近隣の日系コロニアで活動する日系団体が協力してきた。今回は聖市やソロカバ、カンピーナス、ジュンジアイなどの団体が出演して会場を沸かせた。 18日に登場した心響太鼓(サンカエターノ・ド・スル)と気炎(きえん)太鼓(サンベルナルド・ド・カンポ)は、以前にも共演したことがあるという息の合った演奏を披露。来場者は迫力の太鼓の音色に聴き入り、演奏終了後の会場は喝采(かっさい)の拍手と歓声に包まれた。 今回、アニブラスは焼きそばと饅頭の店を出店。食事時は焼きそばの店の前に長蛇の列ができ、買い求めた来場者は具だくさんの焼きそばに舌鼓を打っていた。 アニブラスは、来年以降の同祭の開催場所を同市内チエテ川沿いにある野外劇場(Complexo turístico de Cachoeira)に移すことを検討している。同市民によると、同会場では独立記念日の9月7日から4日間、毎年フェスタを行っている。日伯祭りを開催 しているキンゼ・デ・ノベンブロ広場と比較すると、約2倍の広さだそうだ。 会場を移転することについて坂上評議員は、「店を出したいという人がもっと居るが断っている」と現状を説明し、「交通の便が良くなる上、下が公園になっているのでゆったりできる」と利点を述べた。 また、今年初めて行われたコスプレコンテストにはアニメや漫画、ゲームの愛好家が出場し、同祭を盛り上げた。入賞者は次の通り(敬称略)。...
姉妹都市提携40周年を記念して 【既報関連】サントス市は昨年、長崎県人会(川添博会長)と長崎市を通じて、同市内を走る路面電車の軌道事業者である(株)長崎電気軌道(松本容治社長)に対して、使われなくなった電車車両を寄贈してもらうことはできないかと打診していた。長崎市によると、同社の事業計画では2014年に現役を退く車両が出ることから、その車両をサントス市へ寄贈することがこのほど決定されたという。 長崎市は今年、サントス市と姉妹都市締結40周年を迎えるため、田上富久長崎市長をはじめ、同市の選抜少年サッカーチームなどが28日からサントスを訪れ、サントスFCのジュニアユースチームと交流試合を実施。28日に行われる記念式典で田上市長が、サントス市に対し電車車両の目録を手渡す。 両市を取り持った川添長崎県人会長は「うれしいの一言。交流が形となって現れた。サントス市民に長崎との交流をより知ってもらえ、両市の距離が縮まると良い」と喜んでいる。 サントス市では1950年代に庶民の足として活躍した路面電車が09年に観光電車(ボンデ・ツーリスチコ)として運行を再開しており、アメリカ、イタリアなどから寄贈された車両が市内を走っている。 発案者でサントス市議の中井貞夫氏は「輸送費や修理費などを含めて、長崎側の経費負担は一切ない」としている。 サントスの観光電車は、同市の文化遺産センターが2年かけて路線延伸工事を行い、観光用に運行再開したもの。電車は市役所前のマウアー広場周辺から30分ごとに運行されており、コーヒー取引所や旧サントス駅舎などを巡回。約5キロの距離を45分かけて回り、観光局のガイドが市内の観光名所を説明する。 ヨーロッパの雰囲気漂う古い街並みを見学する観光ツアーは、別名「生きた博物館(ムゼウ・ビーボ・ド・ボンデ)」とも呼ばれており、運転時間は毎日午前11時から午後5時まで(月曜運休)。 日曜の午前11時、正午、午後1時、同2時発の電車にはアコーディオンとギターの演奏サービスがあり、音楽を聴きながら街の周遊を楽しめる。運賃は大人5レアル(高齢者、学生、教師は半額)。 2012年8月18日付
ニッケイ新聞 2012年8月17日付け マルコABC長官が就任 在東京ブラジル総領事館総領事に就任することが決まった外務省国際協力機関(ABC)のマルコ・ファラニ長官(57)が10日、西森ルイス・パラナ州議、平崎靖之・サンスイ社長補佐と共に挨拶のため来社した。1982年、リオ・ブランコ学校を卒業し、外交官としての道を歩む。連邦政府大統領、副大統領に仕えたほか、ニューヨーク国連本部や在北京ブラジル大使館など海外でも活躍。91年から3年間は在東京ブラジル大使館で書記官を務めた。2008年から現職。マルコ長官は「観光、商用、学生ビザ発行の日数を短縮し、手続きを出来るだけ簡素化したい」と意気込みを語った。西森議員らは「親日家で、JICAと一緒にプロサバンナ計画を行なうABCの長官経験者が総領事になるのは、我々にとってもありがたいこと」と就任を喜んだ。
若者も積極的に参加 ブラジル山口県人会(要田武会長)創立85周年記念祝典が、12日午前10時から聖市リベルダーデ区のハッカ・プラザで開かれた。当日は「父の日」と重なったため来場者数が心配されていたが、心配をよそに約200人が参加して満席となった。母県からは県庁観光交流局の山本隆士局長、同局国際課の時乗勇人主幹、篠原透浩主任が慶祝団として来伯。さらに県連、文協、援協の各代表も出席した。式典後に行われた祝賀会とアトラクションは、日本食に舌鼓を打ちながら同県人会のこれからの発展を願った。また式典の受け付けや進行は同県人会の青年部が行い、アトラクションの最後には部員約20人による合唱で祝典を終え、若い世代の活躍が随所に見受けられた。 壇上には要田会長と園田昭憲県連会長、木多喜八郎文協会長、菊地義治援協会長、同県知事代理として出席した山本局長、在聖総領事館から成田強領事部長、同県ブラジル親善協会から田村伊生氏が並んだ。 開会の辞を同祝典副委員長の井上ロベルト氏が行い祝典が挙行され、日伯両国の国歌斉唱、先没者への黙とうが行われた。 要田会長は式典あいさつで同県人移民の始まりについて触れ、「先輩移民の絆、友情により発展し今日に至った」と初期移民に敬意を表した。 その後、来賓祝辞が行われ、山本局長、成田領事部長、同県ブラジル親善協会の田村氏、日系団体を代表して県連の園田会長がそれぞれ祝辞を述べた。 終盤には祝電披露、80歳から85歳までの同県人と功労者の表彰が行われた後に、山口県人子弟留学生制度とブラジル親善協会を通じ2009年に母県に留学、研修をした八波玲日さん(26、3世)、勝野アドリアーナさん(28、3世)、関田ジエゴさん(28、3世)が帰国の報告と母県への謝辞が行われ、同県県民歌の合唱、万歳三唱で祝典を終え祝賀会、アトラクションへと進行した。 式典では、県人会発展に貢献した人に敬意を払い、若い世代の同県人会への積極的な参加に重点を置いている姿勢を伺うことができた。本紙のインタビューで要田会長は「後を継ぐ者が居なければ山口の移民の魂が途絶えてしまう。今式典が世代交代のいいきっかけになった」と述べ、若い世代との協力、次世代の育成に力を注ぐ考えを示した。 その意向は若い世代に届いているようで、03年に同研修生として母県の会社に勤務した脇山マリナさん(36、2世)は、同県人会の活動に積極的に参加し、若い世代へ県連の日本祭や今回の祝典への参加を呼びかけた。 脇山さんは「県人会のお陰で母県へ行くことができた。何か恩返しがしたい」と語り、同じ制度で母県へ留学、研修した母県に愛着のある人たちと共に同県人会を盛り上げたい考えを述べた。 祝賀会とアトラクションは終始和やかな雰囲気が会場を包み、母県出身の北原民江さん(正派ブラジル琴の会代表)による琴の演奏や上田演劇舞踊団の舞踊などが行われた。 アトラクションの最後は、青年部が約1カ月かけて練習した「イパネマの娘」「ショラ・メ・リーガ」の合唱が行われ、約20人が参加。踊りも交え披露し、この日一番の盛り上がりを見せて祝典は閉幕した。 なお母県では7月29日、知事選挙が行われ、元国土交通審議官の山本繁太郎氏(63)が初当選したばかり。同県人会は同県人会館の改修工事などの補助金の面などからも今後の行政の動きに注目している。 2012年8月17日付
ブラジル琉球舞踊協会(知花千恵子会長)は5日、聖市リベルダーデ区の沖縄県人会本部会館で同会創立20周年記念祝賀芸能祭を開催した。 午後1時からは記念式典が挙行され、知花会長や与那嶺真次沖縄県人会長、同県人会役員、琉球舞踊の指導者らが壇上に並んだ。 同県人会役員が代読した祝辞の中で仲井眞弘多沖縄県知事は、「ブラジルの県系人の皆様は、結束を強めてますます盛んに活動されている。沖縄の伝統芸能が遠く離れたブラジルの地においても着実に根を張り、実を結んでいることは沖縄県民にとって大きな誇り」と述べた。 続いて、同協会の設立に尽力した故浦崎直秀氏、金城節子氏、具志堅シゲ子氏、具志堅洋子氏、古我知ゆり子氏、知花会長に創立功労賞が贈られた。また、城間和枝氏、故石川スエ氏、栄野川ミヨ子氏、島袋順子氏、神谷春美氏、登川美恵子氏、吉本尊雄氏、小波津清氏が功労賞や感謝状を受け取った。 受賞者を代表して玉城流「てだの会」の具志堅シゲ子師範が謝辞を述べた。シゲ子師範は「子どもや若者も参加した沖縄やハワイ、ボリビア、アルゼンチンでの公演も忘れ難い思い出」と20年間の活動を振り返り、「今は亡き初代会長の浦崎氏をはじめ、琉球伝統芸能に携わる諸団体とともに歩んできた日々が思い出されて、感無量で胸がいっぱいです」とあいさつした。 式典後に行われた祝賀芸能祭は、総勢31人による開幕合同演奏で幕を開けた。その後、約300人が45演目を披露した。 2012年8月16日付
ニッケイ新聞 2012年8月16日付け 現在各地で公演をしている俳優集団「まりまり」訪伯の企画監修をする池上重弘・静岡文化芸術大学教授(49、北海道)が、11日午後2時から聖市のブラジル日本語センターで行われた同公演にさきだって、ここ4年ほどで特に顕著になった在日ブラジル人の定住化傾向の高まりについて講演した。 外国人登録者数はこの20年間で100万人から200万人と倍増した。ただし08年末の世界金融危機以来、14万人の外国人が減少し、うち大半を占める10万人がブラジル人だった。その結果、最盛期に31万人を数えた伯人は現在20万人ていどとなった。静岡県内で在日伯人に意識調査したところ、危機前の07年には「日本に永住」と答えた人が12・9%だったが、危機後の09年には23・5%と倍増していることが分かった。同様に「3年以内に帰国」が20・1%から13・0%に、「10年以内に帰国」が9・1%から5・4%に減少しており、短中期的な滞日希望者が激減し、その分「永住」希望の長期的展望を持つ者の比率が高まっている。と同時に、「県内の公立高校でも外国人の進学が増えている」と発表した。06年から07年の外国人進学者はほぼ横ばいの300人(うち半分が夜間の定時制)だったが、11年には640人と2倍以上に増え、うち350人程度が伯人だった。全日制への進学者の比率も増えている。3・11大震災の前後を比較するために、10年末と11年末の外国人登録者数をみると、総数自体は5・5万人も減っているのに、永住資格を取得した外国人は3・3万人(56万5089人から59万8436人へ)も増えており、池上教授は「今後も永住ビザを取るひとは増えていくだろう」と見ている。このような変化の結果、永住者、日本人の配偶者、定住者の資格を持つ外国人が増えており、「65%が実質的な移民」と定住化傾向を総括した。最後に、そのような時代ゆえに交流の必要性を感じ、日本最大の在日ブラジル人集住地の一つである浜松市の公立大学が、地域に貢献するために「まりまり」公演の企画に関わったと説明した。来場者約50人の一人、日本語教師の中田みちよさん(70代、青森)は「日本移民にとっては大戦が永住を決意させたが、在日ブラジル人にとっては金融危機、大震災がそのきっかけとなっている様子が良くわかって興味深い講演だった。日本移民の裏返しの現象が今日本で起きている」としみじみ頷いていた。
