ニッケイ新聞 2012年8月16日付け 土曜日(18日) 平和灯ろう流し(午後4時)、盆踊り大会(午後7時半)、レジストロ市のベイラ・リオ公園◎青葉祭り、午前7時、宮城県人会(Rua Fagundes, 152, Liberdade)◎北川朗久来伯50周年記念コンサート、午後8時、客家会館(Rua Sao Joaquim, 460)◎1960年8月12日着伯「ぶらじる丸」同船者会、正午、レストラン・チーフー(Praca Carlos Gomes, 200, Liberdade)◎島崎藤村を偲ぶ会、午後2時、サンタクルス病院(Rua Santa Cruz, 398, Vila...
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競馬ファンら800人が来場 サンパウロ・ジョッキークラブと日本中央競馬会(JRA)が1995年以来開催している交換レース「ジャパン・カップ」が11日、聖市内のシダーデ・ジャルジン競馬場で開かれた。同カップは今回で第18回目を迎え、午後5時20分の第7レースで実施。気温26度の快晴の中、9頭の馬が優勝を目指し、勢いよくスタートを切った。2番のアタカマ号(ジョジアネ・グラール騎手)がレース前半からトップを独走し、ゴールまで見事逃げ切り、優勝を果たした。 「ジャパン・カップ」で優勝馬のオーナーのアレサンドロ・アルカンジェリオさん(49)は、「ジャパン・カップは、日系社会の方々を競馬場に連れてくる良い機会で、本当に素晴らしいカップです。このレースで優勝できて光栄です」と喜びを示した。 レース開始前には、鳥取シャンシャン傘踊り(京野マリ代表)25人の踊り手によって傘踊りが同日4回披露され、場内を盛り上げた。 来賓には、遠藤諭在聖総領事館副領事、尾西貞夫援協副会長、松尾治宮坂国人財団執行理事長、本橋幹久県連副会長、南アゴスチンニョ福岡県人会長、鈴木雅夫本紙社長などが招待され、酒を交わしながら日伯友好のカップを楽しんだ。 例年より暖かかった競技場では、約800人の来場者が食事をしながら競馬を楽しんだり、優勝馬と一緒に写真を撮ったりするなど、休日を楽しむ人々の姿が多く見受けられた。 また、競馬場には日伯国旗と聖州旗がなびき、今年も福岡県人会から貸し出された27匹のこいのぼりが雲一つない青空を気持ち良さそうに泳いでいた。 ブラジル競馬業界に詳しい尾西援協副会長は「昨年より来場者が減り、あまり活気がなかった。もっと活気が欲しかった」と嘆いていた。また、来場者数の動向について同副会長は、「約5年前からのブラジルの不景気の影響で来場者数は減少傾向にあり、さらに今年はオリンピックの影響もあるのでは」と話していた。 本橋県連副会長は、「ジャパン・カップは日系社会とブラジル社会の良い交流の機会なので、今後も続いてほしい」と期待していた。 同カップは毎年8月にサンパウロで開催されており、日本で毎年10月に「ブラジル・カップ」が開催されている。 2012年8月15日付
東京都品川区にある在日東京ブラジル総領事館総領事に就任するマルコ・ファラーニ氏(57)が、訪日を前に西森ルイス下議、平崎靖之サンスイ社長補佐の案内で来社し、約4年間の日本での勤務について抱負を述べた。 ファラーニ氏はこれまでブラジル外務省管轄のABC(ブラジル協力機関)代表を務め、2010年に発生したハイチ地震への協力を行ったほか、今年4月には日本、ブラジル、モザンビークの3カ国が相互協力して行うプロサバンナ計画(アフリカ熱帯サバンナ農業開発協力)視察のためモザンビークも訪れたという。 今回の外務省人事で在日東京ブラジル総領事として勤務する中でファラーニ氏は、特に日本からブラジルを訪問する人々のビザ発給緩和や日本に滞在する日系ブラジル人の保護に力を注ぐ考えだ。 「ビジネスビザの発給については、(在ブラジル日本大使館の)三輪(昭)大使からも遅れが指摘されている。今後はビジネスビザの発給を1日か2日で出せるようにしたい」(ファラーニ氏) 同氏は1991年から94年まで在京ブラジル大使館で書記官として勤務した経験もあり、日本での勤務は今回で2度目となる。 2年後に迫ったリオ市でのサッカー・ワールドカップ、16年のリオ五輪開催に向けて日本とのノービザ協定締結の可能性があるのかという本紙の質問について同氏は、「私の判断で観光ビザの発給を早めることはできる」と述べるにとどまった。 なお、西森下議は現在東京都品川区東五反田にある在日東京ブラジル総領事館が他所に移転する可能性を示唆している。 2012年8月15日付
パラグアイのイグアス移住地は昨年、東日本大震災の被災地支援の「心はひとつ 豆腐100万丁支援プロジェクト」で、非遺伝子組み換え大豆100トンを岩手県、宮城県、福島県に寄付し、被災者からは感激の声が届いている。同プロジェクトは昨年4月14日にスタートし、今年2月22日に100万丁の豆腐を被災地に届け終えた。 その後、イグアス移住地には福島県知事をはじめ、被災した市町村から多くの感謝状が贈られている。今年1月には野田佳彦内閣総理大臣からも感謝状が届けられた。 同プロジェクトに携わったイグアス日本人会の福井一朗会長(48)は、野田総理の感謝状を指さしながら、「同移住地創設以来、最も大きいプロジェクト」と振り返り、「私たちがパラグアイで日本人として頑張っていることもアピールできた」と満足そうな笑みで話した。今後は、「今まで以上に日本と積極的に交流していきたい」と述べた。 2012年8月14日付
平成24年度外務大臣表彰を受賞したパラー州カスタニャール市在住の岡島博氏(71、群馬)とベレン市在住の堤剛太氏(64、東京)に対する授賞式が、8日午後6時半より在ベレン総領事館公邸で催された。 この日、岡島、堤両氏の家族や関係者など約20人と、日系社会を代表して生田勇治汎アマゾニア日伯協会会長、及川定一アマゾニア日伯援護協会会長、神園良生パラー日系商工会議所副会頭たちが出席した。 公邸サロンに飾られた金びょうぶと日伯両国旗が授賞式を彩り、大岩玲首席領事の司会で進行。はじめに両氏の功績が阪野真司領事より紹介され、沼田行雄総領事より賞状と記念品が両氏に手渡された。 沼田総領事の祝辞に次いで岡島氏、堤氏の順で謝辞が述べられた。式典を締めくくる乾杯の音頭は生田日伯協会会長が発声を行い、総領事館が用意した日本料理で和やかな懇親会へと移った。 岡島氏は現在、岡島農商事有限会社代表取締役を勤める傍ら、北伯群馬県人会会長として540ヘクタールの原生林「群馬の森」を運営管理。アマゾンの環境保護に民間団体が取り組んでいるケースとして、内外に広く知られている。 また、ベレンから300キロの地点にあるパラゴ・ミナスの農園では、モギノ(マホガニー)2万本の大規模な植林事業を行ったり、ピメンタ(胡椒)生産では常に意欲的な農業経営を行ってきている。 堤氏は、汎アマゾニア日伯協会事務局長を25年にわたり勤めており、この間、アマゾン日本人移民60周年祭から80周年祭まで各移民祭の裏方として祭典を成功裡に導いてきている。また、アマゾン移民60周年記念誌(日語)、70周年記念誌(ポ語)の編纂に携わり、その後もアマゾン移民の足跡をたどり、その調査を継続し記録作成に取り組んでいる。 このほか、サンパウロ新聞ベレン支局長として約30年間にわたり、アマゾン日系社会の情報を内外へ発信し続けている。 2012年8月14日付
ニッケイ新聞 2012年8月14日付け 山口県人会(要田武会長)の創立85周年を祝う記念式典が12日、聖市リベルダーデ区の客家会館で行われ、会員、日系団体関係者ら約300人が出席した。母県からは県観光局の山本隆士局長、県地域振興部観光交流局国際課の時乗勇人主幹、篠原透浩主任のほか、山口県ブラジル親善協会の田村伊正会長代理が駆けつけた。80歳以上の高齢者、県人会への功労者に向けた表彰などが行われた式典後には賑やかに祝賀会が開かれた。 式典は午前10時過ぎに井上ロベルト祭典副委員長の開会宣言から始まり、日伯両国国歌斉唱、先亡者に対する黙祷が行なわれた。祭典委員長である要田会長は挨拶の中で、関係者らに感謝の意を示し「今後さらなる会員相互の親睦を深め、母県との繋がりをより一層深化させ、人との出会いを大切に次世代につなげていきたい」と抱負を語った。山本局長によって代読された二井関成県知事からの祝辞では、85年の歴史とこれまでの活動に対し敬意が表されたほか、昨年日本で開催された第3回に続く『第4回在外山口県人会世界大会』が、2015年にロサンゼルスで開催を予定されていることが発表された。来賓祝辞に続いて行われた祝電披露の後には、80歳以上の高齢者と、これまで県人会に大きく貢献してきた功労者(対象者8人中5人が出席)が表彰された。記念品の交換、県民歌の合唱、万歳三唱が行われ、要田会長、山本局長らによる鏡開きにより祝賀会が始まった。アトラクションとして披露された北原民江さんによる筝曲民謡メドレー、上田舞踊団による日舞なども好況を博し、大きな盛り上がりを見せた。マット・グロッソから16時間かけて来たという秋村静子さん(75)=同州ドウラードス市在住=は「楽しい踊りも見ることができてとても良い会だった。同郷の岩国出身の人たちとも会えたし、本当に来た甲斐があった」と満足げな表情。県人会の呼び寄せ移民として1960年に来伯した有沢光康さん(78)=ピエダーデ市在住=も「県人会があったから今の自分がある。これからも活動が永く続いて欲しい」と感慨深げに話した。
8年ぶりに一時帰国制度が実現 「ブラジル移住者里帰り訪日使節団事業」の実施と概要についての記者会見が、9日午後4時半から聖市リベルダーデ区文協ビル5階の県連会議室で行われた。主催はサンパウロ新聞社(鈴木雅夫代表取締役社長)と公益財団法人海外日系人協会(山田啓二会長)で、スポンサーは竹内運輸工業株式会社(竹内政司代表取締役社長)と株式会社タツミコーポレーション。同事業は2013年3月~4月の約2週間、約20人のブラジル日本移住者を一時帰国させる内容で、日本政府が2004年まで組織していた「海外日系人訪日団」以来、8年ぶりの里帰り計画となる。 サンパウロ新聞社は「海外日系人訪日団」制度を実施していた海外日系人協会の協力を得て、ブラジルに渡った戦後移住者を対象にした一時帰国制度を企画立案。竹内運輸工業株式会社と株式会社タツミコーポレーションの資金協力により今回、同事業が実現することになった。 記者会見には、本紙鈴木社長、海外日系人協会の岡野護事務局長(58、石川)、竹内運輸工業の竹内政司社長(57、東京)、ブラジル都道府県人会連合会の園田昭憲会長、ブラジル日本文化福祉協会の木多喜八郎会長と中島エドアルド事務局長の計6人が出席した。 会見で竹内社長は「日系社会に大変お世話になり、何か恩返しをしたかった」と協力に踏み切った理由を説明。岡野事務局長は「竹内社長の善意のお陰で里帰りが実現でき、海外日系人協会としてはぜひ成功してほしい」と述べ、本紙鈴木社長は「同事業が成功したら、継続させたい」と意気込みを語った。 発表された主な企画概要は次の通り。 【目的】ブラジルに移住した戦後移住者を日本に招待して長年の苦労をねぎらい、日本移民の開拓精神の高揚を図るとともに、日本とブラジルの友好親善に寄与すること。 【団員資格】ブラジルに移住して約50年以上経過した人。移住後、日本に1度も帰国したことがない人。渡航及び滞在中の健康に問題のない人。訪日するための経費負担能力に乏しい人。日本に受け入れ親族縁者のいる人。 【推薦と決定】選考委員会が実施する書類選考、面接または日系団体の推薦を決定基準とする。 【日程概要】サンパウロで集合し、結団式を行った後に訪日。東京に到着後、約3日間団体編成による歓迎事業を実施する。 【経費負担】サンパウロ~日本の往復チケット。日本での最初の3日間の宿泊、食事代と最後の1日の宿泊代。海外旅行保険代。 【団員の報告書の提出】団員は帰国後2カ月以内に報告書を主催者に提出すること。 今後の予定として9月1日から募集を開始し、10月末に募集締め切り。11月初旬に1次書類選考し、11月下旬に2次選考として本人及び日本側の受け入れ親族などの最終確認を行い、11月中に団員を決定する。 問い合わせは本紙同事業担当の古城(電話11・3347・2000)まで。Eメール(redacaojp@saopauloshimbun.com)。 2012年8月11日付
長崎に原爆が投下された日に合わせ、長崎県人会(川添博会長)はブラジル被爆者平和協会(森田隆会長)と共に原爆慰霊追悼ミサを9日午前11時から聖市内のサンゴンサーロ教会で開催し、参列した50人は荘厳な雰囲気の中、原爆犠牲者に祈りを捧げた。 同教会の久次マリオ神父が「戦争は人の心を狂わせる。平和を築こうとするには心の中の平穏が大切になる。憎しみを愛に変えていくことが大切だ」と説いた。 また、この日は長崎市と姉妹都市関係にあるサントス市の日本人会(土井セルジオ会長)とサントス市役所が共催する毎年恒例の慰霊追悼ミサが、移民上陸記念像があるサントス市ロベルト・サンチーニ公園で行われ、人々が祈りを捧げた。今年、長崎市とサントス市は姉妹都市締結40周年に当たり、28日には長崎市から田上富久市長や少年サッカーチームなどが同市を訪問。サントスFCのジュニアユースと交流試合を行うなどして交流を深める。 そのため、サントスFCでは長崎に原爆が投下された時間に合わせた8日午後11時2分(ブラジル時間)、公式にフェイスブックを通じて長崎市に対するメッセージを日ポ両語で掲載。9日午後2時現在、1000人以上がコメントを寄せたり、賛同の意を示すなどしている。なお、同クラブが公式に原爆追悼のメッセージを出したのは今回が初めて。 掲載された日本語メッセージ全文は次の通り(原文ママ)。 「サントスFCは、本日8月9日が、我々の親愛なる人々にとって、そして全人類にとって特別な日であることを憶えます。すなわち67年前、サントス市の姉妹都市である長崎市に原子爆弾が投下された日です。6日の広島と併せてこの悲劇の犠牲となった全ての人々に謹んで哀悼の意を示すとともに、今もその影響下にある全ての人々へ心からの祈りを捧げます。平和の実現に向けて弛まぬ努力を続けてこられた長崎市の人々に倣って、我々もサッカーを通じて平和の喜びをより多くのファンと分かち合えるクラブを目指していきたいと思います。今月末に、長崎市中学生選抜をサントスに迎え、サントスFCジュニアユースとの交流戦が持たれます。サッカーファミリーとして、地球の反対側から訪れる平和の使者を全チームを挙げて歓迎いたします。祈りをこめて。サントスFC」。 2012年8月10日付
ニッケイ新聞 2012年8月10日付け 『ブラジル琉球舞踊協会創立20周年記念祝賀芸能祭』が5日午後、沖縄県人会館で開かれ、約800人の来場者で会場は熱気にあふれた。ブラジル琉球舞踊協会(知花千恵子会長、会員約400人)傘下の4流派、玉城流・玉扇会、小太郎会、てだの会、琉舞・華の会ほか、エイサーや太鼓グループも参加し、花を添えた。知花会長は「会員やその家族、実行委のご尽力で今日を迎えた。感謝の気持ちで胸が一杯」と満面の笑みを見せた。 1992年、故浦崎直秀、金城節子、具志堅シゲ子、具志堅洋子、古我知ゆり子、知花千恵子の6師範により、琉球舞踊研究会(後に改称)として発足した。創立目的にある琉舞の保存と研究、後継者の育成のほか、ハワイ公演、沖縄でもウチナーンチュ大会、本土復帰30周年記念公演で舞台を踏んできた。式典で城間和枝実行委員長は「遥か故郷を思う唄や三線にのせた舞踊に心を癒し伝統を守ってきた」と先人の苦労を振り返り「ブラジルに琉球舞踊の大輪の花を咲かせたい」と決意を語った。沖縄からは仲井眞弘多知事、「てだの会」の玉城千枝家元、「太圭華の会」の佐藤太圭子家元、沖縄ブラジル協会の西原篤一会長の祝辞もあった。創立功労者として、前述の6師範が表彰され、3代目会長(2005~10)の城間和枝さんに功労賞、石川スエ(故人)、栄野川ミヨ子、島袋順子さんに感謝状が送られた。琉球古典音楽の合奏で荘厳に開幕、会場を飽きさせない45演目が休憩を挟んで披露され、子供たちの可愛らしい舞台には温かい拍手が送られ、師範らの年季の入った貫禄の踊りにはため息が漏れていた。8歳で琉球舞踊を始めた玉城ルシアーナさん(23、三世)=サントス在住=は「同好の士が集まって嬉しい」と舞台の興奮が冷め遣らない様子で話す。「コロニアのイベントで沖縄はすごいと思っていた」と来場の理由を話す上村紀子さん(70、二世)も満足の笑顔。「若い時は仕事ばかり。踊りを初めたのは70歳から」と話す松堂初子さん(74、嘉手納町)=スザノ在住=は「若い世代が頑張っていてすごい。ウチナーグチも分からないのに…感心するし頼もしい」と目を細めた。
イビラプエラ公園に800人 ブラジル日本文化福祉協会(木多喜八郎会長)と日伯文化社会統合機構(西尾ロベルト会長)主催の「第2回灯籠(とうろう)流し 命の尊さを思い、世界人類の平和を願って」が5日夜、聖市イビラプエラ公園内のフォンテ・ムルチミディアで行われた。今回、流された灯籠の数は昨年をはるかに上回る1945基(原爆が投下された年)。参加者により平和を込めて流され、夜の湖上を彩った。 今年の灯籠流しは昨年より全体的な規模を大幅に拡大し、天候不良にもかかわらず、約800人の参加者が足を運んだ。 午後7時から式典が始まり、長崎県人会の川添博会長はあいさつの中で「長崎が最後の原爆被爆地であることを願っている」と話し、ブラジル被爆者平和協会の森田隆会長は、「この世に核兵器がなくなるように平和を訴えている」と強調した。 引き続き、日本から来伯中の歌手、中平マリコさんが舞台で歌を独唱し、ブラジル太鼓協会による和太鼓と尺八の演奏が披露された。 午後8時からは、南米本願寺ブラジル別院(東本願寺)の菊池顕正開教監督と泉原秀僧侶により慰霊法要が行われ、参加した関係者らは白い菊の花を献花し両手を合わせた。 広島市での平和記念式典黙とう時刻に合わせて、午後8時15分にはサンパウロでも黙とうが行われ、菊池開教監督によって平和の鐘が3回鳴らされた。 続いて、尺八奏者のシェン・リベイロさん(52)の演奏が行われる中、参加者は灯籠を流した。 午後8時半ごろからは、池の中央の噴水で作る水のカーテンに映像を映し出す「フォンテ・ムルチミディア」を使い、このイベントのために制作されたドリジョ・エンリッケ監督(47)の平和への祈りを込めた23分間の映像が流され、放送後、観客から拍手が起きた。 家族と初めて参加したという非日系のパトリシア・マルケスさん(24)は、「原爆のことを皆が知らなければならない」と話し、友人と共に来場したアンデルソンさん(28)も「平和を願うために来ました」と語るなど世界平和の大切さを実感していた様子。 昨年に続き同イベントの実行委員長を務めた森本直美さん(36)は「完璧です。午後7時前に雨がやんで良かった。でも来年は、もっと日系人の方々に参加協力してもらい、さらに規模を大きくしたい」と来年の意気込みを示していた。 2012年8月9日付
ニッケイ新聞 2012年8月9日付け 土曜日(11日) 焼きそば祭り・カラオケダンス、午前11時、ヴィラ・モラエス文協(Av. do Cursino, 3331)◎書海誌友書道・華道展覧会、午前9時、静岡県人会館(Rua Vergueiro, 193)。日曜日も◎写真家・仁尾帯刀個展、午前10時、マリアアントニア大学センター(Rua Maria Antonia, 258, Vila Buarque)、日曜日も◎倫理の会・新原隆一氏講演会、午後2時、ブラジル日本語センター(Rua Manuel da Paiva, 45,...
記念体育館の落成式も挙行 西川知事ら母県から慶祝団が参列 宮本由太郎元福井県人会会長が日本移民50周年の記念事業としてブラジルに「福井村」を建設しようと発案し、母県とともに移住振興会社(現・国際協力機構)が建設したサンミゲル・アルカンジョ市のコロニア・ピニャール―。同村は1962年12月に3家族14人が初めて同地に入植し、開拓営農を始めてから今年で50年を迎えた。コロニア・ピニャール文化体育協会(西川修治会長)は入植50周年を記念した式典(山下治実行委員長)を5日午前9時から同村内の文化センター・ホールで開催し、式典には母県から西川一誠知事をはじめ、県議、県農協五連、県経済団体連合会、日伯友好協会などの代表者らが来伯して参列した。また、この日は母県からの援助によって建設していた約1100平方メートルの敷地面積を持つ50周年記念体育館の落成式も行われ、同体育館で祝賀会が行われた。さらには、50周年記念誌(徳久俊行編集長)も刊行され、参列者に配布された。 【なせば成る。なさねば成らぬ何事も】記念式典に先立ち午前9時から高橋健治導師による先没者慰霊法要が挙行され、コロニア・ピニャールにゆかりのある約300人の参列者が、同地に眠る65人の霊に花を手向け冥福を祈った。 日伯両国国歌斉唱後、山下実行委員長は「コロニア・ピニャールは福井県、農協、南伯、JICAの協力があってできた村で、我々に理想郷建設への夢と希望を与えてくれた。数ある日系移住地のモデルだ」と話し、「なせば成る。なさねば成らぬ何事も。成らぬは人のなさぬなりけり」と上杉鷹山の格言で絞めくくると万雷の拍手が会場に鳴り響いた。 これを受けて西川知事も「福井は日本一幸せな県と言われている。これからも福井とピニャールの関係を発展させて、友好を深めていきたい」とあいさつし、両者の変わらぬ関係を強調した。 このほか、壇上に上がった多くの来賓を代表して、サンパウロ日本国総領事館の星野元宏総領事代理、福井県議会の松井拓夫副議長、福井県農協五連の山田俊臣会長、福井県経済団体連合会の川田達男会長、JICAブラジルの室沢智史所長、福井県日伯議員連盟の前田康博会長、日伯援護協会の菊地義治会長、聖南西文化体育連盟の山村敏明会長、サンミゲル・アルカンジョ市のアントニオ・セウソ・モシーン市長、安部順二連邦下院議員があいさつし、50周年という大きなる1日を祝った。 【たのしみは朝おきいでて昨日まで無かりし花の咲ける見る時】このうち、福井県経団連の川田会長は福井市出身の歌人、橘曙覧(たちばなのあけみ)の歌「たのしみは朝おきいでて昨日まで無かりし花の咲ける見る時」を紹介し、「これからも互いに昨日までなかった花を咲かせていきましょう」と笑顔を見せた。 このあと、壇上では福井県知事、県議会議長、福井県農協五連、福井県経団連、日伯友好協会から協力金と祝儀が同村に対して贈られた。さらに西川知事や安部議員、セウソモシン市長、西川ピニャール文協会長から感謝状が多くの人に対して贈られた。 【50年は通過点。さらなる交流を約束】式典の最後に徳久俊行ピニャール文協副会長が「50年は通過点。さらなる交流を約束」と力強く宣言すると、涙を浮かべる高齢者の姿もあった。 記念植樹に続いて行われた50周年記念体育館の落成式では、日伯両国の来賓がテープカットを行い、参列者は真新しい体育館を見渡しながら足を踏み入れて いた。福井県は小中学生の体力が全国トップクラスにあり、同村でも体育館の完成によって子どもたちの体力向上へ期待が持たれている。体育館で行われた祝賀 会では同村日本語モデル校の生徒と婦人会による合唱や太鼓部「飛翔」33人による太鼓演奏が行われ会場を湧かせた。 2012年8月7日付
ニッケイ新聞 2012年8月7日付け ピニャール移住地入植50周年式典が5日、サンミゲル・アルカンジョ市内のコロニア・ピニャール文化センターで開かれた。西川一誠・福井県知事を始めとする慶祝団21人が来伯したほか、在聖日本国総領事館の星野元宏領事、同市のアントニオ・セウソ・モシン市長、安部順二連邦下院議員ら来賓を含む約400人が出席した。式典後には記念事業の一環として建設された体育館の落成式が行われ、盛大に祝賀会も催された。 先亡者慰霊法要後、午前10時から式典が始まった。コロニア・ピニャール文化体育協会の西川修治会長による開会宣言、日伯両国国歌が斉唱された。50周年記念事業委員会の山下治委員長の挨拶では、移住地開設の経緯とともに、創設・発展に携わった関係者への感謝の言葉が述べられた。記念事業の一環として建設された体育館については「五輪に出場できるような人材の輩出を夢見ながら活用していきたい」と話し、会場を沸かせた。今回が初めての同移住地への訪問となった西川知事は「福井県民を代表して、幾多の試練を乗り越え、今日の伯国社会の礎を築いてきた先駆者に、心から感謝と敬意を表します。今後も福井県とコロニア・ピニャールとの関係を着実に発展させ、日本とブラジルとの友好交流に寄与していきたい」と話した。来賓各人からの祝辞が述べられた後には、日本側の慶祝団とブラジル側双方からの感謝状の授与と、慶祝団への記念品の贈呈もあった。続いて参列者は揃って体育館の前に移動し、記念植樹並びに落成式が行われた。7本の杉とコッケイロの木が植えられた後に、真新しい体育館の戸が開けられ、西川知事らによってテープカットがなされると、参列者の間から大きな拍手と歓声が上がった。体育館で開かれた祝賀会では、同移住地日本語学校の和太鼓グループによる演奏や、同校生徒らによる合唱曲などの余興が披露され、午後3時頃まで賑やかに会食が行われた。1962年に第一期移民として同移住地に入った織田真由美さん(76、福井)は「あっという間の50年だった。これからも生涯現役で、死ぬまで頑張りたい」と笑顔で話した。
ニッケイ新聞 2012年8月4日付け 【既報関連】先月25~29日にサンパウロで開催された「第1回世界若者ウチナーンチュ大会」は28日夜、沖縄県人会館ホールで賑やかに閉会した。同日、聖州議会で世界7カ国約150人が参加して若者国際会議が開かれ、ウチナーネットワークの持続的活用やウチナーグチの普及などをテーマに6時間にわたって議論。閉会式ではそこで合意された「若者宣言」が採択され、各国の代表者が3カ国語で読み上げた。宣言書は一行が帰国後、仲井真弘多知事、野田佳彦首相、国際連合に提出される予定だ。 「成功に終わった」―。世界若者ウチナーンチュ連合会沖縄本部副代表の津嘉山エリカさん(29、ボリビア生まれ)=沖縄市在住=はこう安堵の声を漏らしたが、同時に今後の課題も浮き彫りになったよう。沖縄とブラジル以外の出身者から「自分達も準備に関わりたかった」という声があったり、最終的にはまとまったものの言語の違いもあり会議では意見が合わず、統一が困難だった。今大会では日本語とスペイン語を共通言語に設定したが、ブラジルからの参加者が50人以上と多数を占めたため、ポルトガル語に変わる場面が多々あった。そのため、ゆくゆくはウチナーグチを共通言語にしたい考えだという。本大会のサポート役として来伯した琉球大学「産学官連携推進機構」特命准教授、宮里大八さん(38、国頭郡本部町)は、連合会発足当時からアドバイザーを務める。「これだけ人が集まって、とにかく開催できてよかった。これからがスタート。自分達の力でできたという自信で、新たな試みが生まれれば」と期待を込めた。「南米の若者が自分達のルーツを再確認し、沖縄本部のメンバーも何らかの気づきを得たと思う」。同じような考えを持つ若者が5日間ともに過ごし、様々な交流をしたことは互いにとってよかったはず、と宮里さんはみる。夕食後、最後は各国代表者が一人ひとり挨拶し、大会3日目に行われた「ウチナーグチのど自慢大会」で優勝したペルーのメンバーが「島唄」を披露。全員がカチャーシーを踊った。 ■ 「若者宣言」の内容は次の通り。(1)県費留学生・市町村研修生のサポート体制を各国と沖縄が創る。(2)世界のウチナーンチュの情報データベースをつくる。(3)次回の世界若者ウチナーンチュ大会はアメリカ合衆国で開催する。(4)若者がウチナーグチの勉強に興味を持てる場を提供する。(5)教師派遣再開に向け海外県人会からのサポートを引き続き要請する。(6)若者に沖縄文化への興味を持たせるため世代間の交流の機会を提供する。
ブラジル宮城県人会(中沢宏一会長)主催の都山流尺八、岳人山(がくじんざん)師範による演奏会が7月28日午後2時から同4時まで聖市リベルダーデ区の同県人会館サロンで催され、当日は尺八愛好家など約100人の来場があった。 同演奏会は2部構成で進行し、第1部では都山流尺八ブラジル支部による演奏や、正絃社美和会による琴の演奏、コーラス大刀ミリアングループの合唱や民謡、踊りなどが演じられた。第2部で同師範による演奏が行われ、会場を訪れた人は独特な尺八の音色に聴き入っていた。 また演奏会前の同日午前10時から尺八の講習会も行われ、尺八ブラジル支部の会員や愛好家、約50人が参加した。 演奏を終えた同師範は「日系の人たちは人生を謳歌(おうか)していて愛嬌がある。また演奏する機会があればぜひ訪れたい」と笑顔で語った。 同師範は国内外で年間200回以上の演奏会を行っており、愛媛大学教育学部非常勤講師やCM音楽の提供なども行い、過去には演歌歌手の石川さゆり氏と共演したほか、上海万博でも演奏している。 2012年8月4日付
ニッケイ新聞 2012年8月2日付け ■今週末の催し 土曜日(4日) 桜祭り、午前9時半、カンポスさくらホーム(Av. Tassaburo Yamaguchi, 2173, V. Albertina)、日曜日も◎桜祭り、午前10時、カルモ公園(Av. Afonso de Sampaio e Souza, 951, Itaquera)。日曜日も◎子ども図画展覧会、終日、文協ビル内日系美術館(Rua Sao...
ニッケイ新聞 2012年8月1日付け 先月末に行われた『第34回サンパウロ仙台七夕祭り 文芸コンクール』の入賞者発表会が、3日午後6時から宮城県人会館(Rua Fagundes, 152)で行われる。入賞者は次の通り。 【俳句の部】特選=栃沢秋穂、鈴木文子、佐藤孝子。秀逸=古賀マリア、藤田朝日子、猪野ミツエ、青柳マス、中沢宏一。佳作=浜田すみえ、菊池信子、猪野ミツエ、杉本紘一、纐纈みつえ、浜田一穴、青柳マス。【短歌の部】寺田芳子、栃沢千秋、西田はるの。秀逸=鈴木文子。【ポ語の部】1位=ネイデ・ローシャ・ポルトガル、2位=フケ・マスミ・イレーネ、3位=サトウ・ユミ・ダニエラ(敬称略)。
ニッケイ新聞 2012年8月1日付け 宮城県人会で3日に開かれる『サンパウロ仙台七夕祭り 文芸コンクール』の入賞者発表会だが、同県人会の中沢宏一会長によれば、応募者の連絡先を必須記入事項としていなかったため、入賞者に直接発表会についてのお知らせが出来ないのだとか。つまり本日の記事を見逃した入賞者は、自分が賞をとったことも会があることもわからないということだ。募集を計画する段階で当然気が付くことだと思うのだが…。 ◎ 先月26日付7面の「若者ウチナーンチュが集結!」記事中紹介した、カンポ・グランデ在住の比嘉敏夫さん。「かつてブラジルに住む沖縄県人と沖縄県をつなぐ民間親善大使を務めていた」と記載したが、ご本人から「現在も民間大使」との指摘があった。1990年8月、第1回世界のウチナーンチュ大会の開催を機に県が「ウチナー民間大使制度」を創設し、496人を認証。2004年度から定員や任期を廃止し、主に海外で活躍し、沖縄との交流の架け橋となりうる人を随時認証するという新たな制度に移行している。ちなみに、沖縄県のHPによれば沖縄県人会の与那嶺真次会長や島袋安雄副会長も民間大使だ。
北伯地方では、静岡出身の日本人が始めたスーパーマーケットがチェーン展開している。店名は日本名だが、店内で働く従業員に日系人らしい人は見当たらない。 パラー州ベレンに今年発足した北伯県人会協会の山本陽三会長と越知恭子副会長によると、「シェッフェ(主任)クラスなら日系人も居るだろうが、従業員的な仕事に携わる人は少なく、労働者として働く人は居ない」。同スーパーに限らず、どこの会社でも同様のことが言えるという。 同地は他の日系移住地にも見られるように、1世の親は子どもの教育に力を入れたそうだ。ほとんどの日系人が大学に進学。両氏は「学歴が高校までという人は少ないね」と顔を見合わせた。 越知副会長によると、以前は医者や建築技師、会計士、歯科医など「すぐお金になる職業」に就く日系人が多かったが、ここ20年は職業の多様化が進んでいる。近年はコンピューター関連の業種に従事する人も多くみられるほか、連邦大学の総長を務める日系人もいるそうだ。 また、最近の傾向として公務員が増えてきているという。越知副会長は「5年ほど前まで日系人の警察官はまったく居なかったが、最近その分野の人も見かける」と話す。 ただ政治面には弱く、パラー州には現役の日系市長が3人居るが、両氏は「もっと出てほしい」と感じている。 同地で日本語教育に携わっている越知副会長は、「アマゾンでは日系人に対する信用がものすごくある」と強調。非日系の保護者が「日系人が経営しているから預ける」と、子どもを日本語学校に通わせる例もあるほどで、日本文化も受け入れられているという。 以前行われた日本語学校の文化祭を参観した母親からは「すごく良かった。誇りに思う」と称賛の声が上がったそうだ。 また、日本語を学ぶ生徒の中には「絶対日本へ行きたい」と留学を目標に日本語学習に励む人も少なくない。教師らは複数の機関が実施している訪日事業や研修を紹介し、生徒を後押ししている。 そういった背景がある同地で発足した北伯県人会協会。県人会の発展と存続を掲げる同団体が、同地の日系人や地域とどのように連帯を図っていくのか、今後の動向に注目したい。(おわり、鮫島由里穂記者) 2012年7月31日付
日本祭りの関連イベントとして29日、「第1回日伯ロードレース&ジョッキング」(主催=県連、園田昭憲会長)が聖市内の特設コースで開催され、秋晴れに恵まれた空の下、約1500人のランナーがさわやかな汗を流した。 これは、104年目を迎えた日系社会をブラジルに対してアピールするために実施したもので、今年が初めての試みとなる。「MACPlan」社が県 連に企画を持ち込み採用された。大会はセー歴史地区、リベルダーデ駅周辺を回る3キロ、5キロ、10キロの3コースが用意され、各県人会からも若者や高齢 者が参加した。 非日系の参加者も多く、友人らとそろいの日の丸の鉢巻きを締めて走るなど、ジョギングを楽しんでいた。大会に参加した女性は「完走できて良かった。普段は車が走っている大通りの真ん中を走ると、景色も違って気持ちがいい」と息を弾ませながら話していた。 この日、スタートの合図となるホーンを鳴らした園田会長は「非常に評判が良かった。できれば来年も開催できればいいが、まだ未定だ」と話していた。 2012年7月31日付
