07/03/2026

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日時 2010年1月31日一次召集 9時半二次召集 10時場所 ブラジル茨城県人会館ルア・ブエノデアンドラーデ 756番電話 3209-8515議題 2009年度事業報告並びに決算報告2010年度予算案並びに事業計画審議 総会終了後新年祝賀会年会費 30レアイス祝賀会費 20レアル(昨年同額) 2010年1月10日在伯茨城県人会 会長 小林操
ニッケイ新聞 2010年1月6日付け 高知新聞社(本社・高知市)はこのたび、ブラジル日本移民100周年をテーマに、2008年1月から翌年3月にかけ、朝刊に連載した69回(5部)の大型連載企画「南へ」をまとめ、同名で出版した。四六版272頁。1600円(税込み)。日伯毎日新聞で研修経験のある同紙の富尾和方記者がブラジルを中心に約10カ月滞在し、取材・執筆した。初めての移民船「笠戸丸」を率いた高知出身の水野龍(りょう)をはじめ、南米各地に移住した高知県人の足跡を追い、日本に住む子孫たちも訪ね、移民の意義を考えた労作だ。「ブラジルの日々」「波砕く笠戸丸」「アマゾンの高知県人」「もう一つの高知」「移民101年目の子孫たち」「番外編=日本を離れ強く生き抜く・苦労土台につかんだ幸せ」の5部に分かれている。購入は各日系書店に注文のこと。
ニッケイ新聞 2010年1月6日付け リベルダーデ商工会(ACAL、池崎博文会長)は、12月31日午前リベルダーデ広場で「第39回餅つき祭り」を開催、晴天の下約5万人(主催者発表)が足を運んだ。文協、援協、県連、ブラジル日本商工会議所、日伯文化連盟の後援。大部一秋在聖総領事夫妻、ジルベルト・カサビ聖市長、山下譲二文協副会長、菊地義治援協副会長、与儀昭雄県連会長、辰巳ジョー同連盟理事長、飯星ワルテル下議、神谷牛太郎市議らが出席した。すでに風物詩となっている大晦日のお雑煮を堪能する人々で広場は溢れた。リベルダーデ・ラジオ体操会の婦人やACAL婦人部らにより約35日系団体らから寄付された餅米2400キロがつかれた。大部総領事夫妻やカサビ聖市長をはじめ、来賓が順番に杵を持って餅をつき、婦人部らに交じり、ついた餅を丸める場面もあった。広場中央で茅の輪くぐりが行われ、非日系人も含む参拝者の長い列ができた。来場者には、1万5千個の紅白餅が配られた。その様子は、グローボやバンデイランテス、レコルジなど各種メディアでも報道された。その後、東洋文化会館に移動、式典が執り行われた。網野弥太郎評議員会長は、「今年はACAL創立40周年。新年の干支のように、寅のスピード感と勇気をもって活動していこう」とあいさつした。与儀会長は、「2010年もすべての日系団体の繁栄を祈る。調和をもって相互に友情を育めれば」と述べ、鏡割りが行われた。出席者全員で「渡伯同胞送別の歌」や「蛍の光」を合唱した。広場でついたばかりの餅を使って用意された3千杯のお雑煮は、今年も大盛況。毎年足を運ぶという奥村吉井マスミさん(76、二世)は、「お雑煮が美味しい。日本の正月を感じます」と穏やかな表情を見せた。「広場には、朝6時からお雑煮の整理券をもらおうとジョアン・メンデス広場まで列ができた」とイベントが根付いたことを喜ぶ池崎会長は、「世界では経済危機が騒がれたが、リベルダーデ区は大きな問題もなく栄えた」と1年を振り返った。
ニッケイ新聞 2010年1月6日付け 地元埼玉でブラジルを大アピール―! 昨年5月、会長に就任した飯島秀昭会長が牽引役となり、「アクションなくして結果なし」をスローガンに活動を進める在伯埼玉県人会は昨年10月、「日本人に真のブラジルを知ってもらおう」と母県で開催された二つの祭りに参加、大々的にブラジルのPRを行った。少年サッカー教室、文化や食べ物を紹介するブースを出展、ガイドブックも配布。さらに、イペーも県庁に植樹した。在日ブラジル大使館、JICA横浜海外移住資料館、エンブラエルも支援し、官民一体となった日伯の交流となった。飯島会長は、「小さな波は立った。今までは掛け声だけだったが、何とか動き出しそう」と手応えを話した。 同県人会は今まで事務所で月に2回会合を開いていたが、会館がないこともあり活動は活発とは言えなかった。2008年にあった同県人会創立50周年・県人移住90周年式典に母県から参加した日伯友好議員連盟の竹並万吉会長(県議)との縁がきっかけで、県人会として同祭に参加することが決まり、準備を進めてきた。ブラジルからの訪問団は、実行委員長の飯島会長と準備委員長の尾崎眞次副会長。日本側は飯島会長の知人の日系ブラジル人や友人らが手伝いを買ってでたようだ。飯島会長らは16日、上田清司知事や奥ノ木信夫県議会議長を表敬訪問。同知事は、交流に尽力した同県人会の労を労い「両国親善に大きな励みとなる」と感謝の意を表した。同県庁中庭にイペーが記念植樹され、さらにブラジル大使館提供の30本の苗木も寄贈された。例年30万人の入場者を数える県最大規模のイベントの一つである「所沢市民フェスティバル」(10月24、25日)では、少年サッカー教室、ブラジル紹介コーナーを設けた。同月31日、11月1日には「09川越産業博覧会」でパステスやシュラスコを中心に開いた「ブラジル食コーナー」が多くの市民の関心を集めた。両祭では、ブラジル紹介コーナーを設け、写真パネルを展示。ブラジル大使館やJICA横浜海外移住資料館、エンブラエル社から支援を受けたブラジルガイドブックも配布された。尾崎副会長によれば、「観光地のパネルやブラジルの地図を欲しいという人もいて、断るのに苦労もした」ほどの人気ぶりを見せた。飯島会長は、「(今回の参加で)県議会や県議連などとのパイプができた。今後は、県人会活動に共感を得られる人は誰でも歓迎できる体質にし、自立していきたい」と抱負を述べた。
ニッケイ新聞 2010年1月5日付け 宮崎ブラジル国派遣農業研修生の2人が12月17日に着伯し、翌18日、長友契蔵名誉会長が同伴して来社し、今後の抱負を語った。この制度は1982年に開始され、今回27回目。計50人以上が伯国体験を積んでいる。第1回研修生の猪俣則博さんを父に持つ、貴則さん(25)。「父からブラジルは楽しいところだと聞いています。将来こっちに移りたいから、お前が先に行けといわれまして」と頼もしいコメントも。父が研修時にピエダーデの農家で撮った記念写真を見せると、そこには長友名誉会長の姿があり、「僕が案内してたんだ」と本人も驚く。猪俣さんはレタスやトマトなどの露地野菜栽培を学びたいとの抱負をのべ、「父が世話になったところをぜひ訪ねたい」というと、同名誉会長は嬉しそうにうなずいた。山口大学で修士号を獲得、北大の博士課程を中退して家業のみかんや日向夏生産を手伝っている倉元陽造さん(27)は、「大農場経営など、日本とはまったく別のブラジル農業を体験したい」と意気込む。同名誉会長は「この研修生のOBには、母県に戻ってから独自な視点から営農する人が多い。ぜひ宮崎県の先駆けになってほしい」と語った。2人は県人農家のあるマリアルバ、バストス、ブラジリア、トメアスー、ポルト・アレグレ、聖南西などを訪ね歩いて研修し、3月1日に帰国する予定。
ニッケイ新聞 2010年1月5日付け 「2010年度新年祝賀会」が1月1日午前、ブラジル日本文化福祉協会大講堂で開催され、約400人が新年を祝った。文協、サンパウロ日伯援護協会、ブラジル日本都道府県人会連合会、在サンパウロ日本国総領事館、ブラジル日本商工会議所、日伯文化連盟の共催。文協合唱団により、日伯両国歌が斉唱され、木多喜八郎文協会長はあいさつで、「2014年サッカーW杯や16年リオ五輪が予定される2010年代、日本を始め世界に伯国社会の中の移民先駆者が築いた日系文化を知ってもらうチャンスになる」と期待、「文協は今年創立55周年を迎える。日系社会の拠り所となる堅実な組織に守り育てていきたい」と力を込めた。大部一秋在聖総領事は、「伯国の未来は揚々と開けている。今年は、その黄金の時代の幕開けになると信じている」と述べ、「今年は特に若い世代の育成、日本語日本文化の普及、日系社会の活性化の3点に尽力したい」と掲げた。与儀昭雄県連会長により音頭がとられ、万歳三唱された。その後祝賀パーティに移行、同合唱団が「1月1日」を合唱、森口イナシオ援協会長により「運命は我々自身で切り開くもの。移民の歴史のように、今年もがんばっていこう」と述べ、乾杯を行った。三木万理枝同合唱団会長は、「今年はさらにメンバーを増やし、文協のイベントを盛り上げていきたい」と話す。初めて参加したという大原千代子さん(82、大阪)は、「同世代の人と触れ合い、賑やかな正月を迎えることができました」と笑顔を見せた。ブラジル・ニッポン移住者協会顧問の小瀬真澄さんは、「一世が少なくなってもこういった団体に文化を引き継いでいってほしい」と話した。来場者には、記念の紅白餅が配られた。
ニッケイ新聞 2010年1月1日付け 謹んで新年のお慶び申し上げます。旧年中はいろいろとご支援をいただき、心より感謝申し上げます。海外最大の日系人集団地であるブラジルで、今年は笠戸丸に次ぐ第2の移民船旅順丸がサントス港に着いて100年になり、これを記念した県人会の式典も多くあるようです。ブラジル日本移民の歴史を見ると、コーヒー園へのコロノ生活に始まり、幾多の年月の中には志を果たせず、また過酷な労働の中で生を受けた子供が早世するなど、一言でブラジルの日本移民を語ることはできません。また1942年から約10年間の移民空白の時代を経て、戦後の移住が再開され、70年代後半まで続いた移住も、日本経済の高度成長とともに打ち切られ、80年代に入ると逆現象として日本への出稼ぎが始まり、30万近くの日系人が在住しているといわれておりましたが、世界的な経済の昏迷、後退により、日本での職を失い帰国した人も多く日系社会でも、この話題が絶えることがありませんが、これに対しても前向きな動きで考えたいと思います。サントス港のボケロンに建立されていました上陸記念碑も、エミサリオ・スブマリーノ公園へ移され、いろんな面で便利になりました。皆様にはもっとこの記念碑へ行って欲しいと願っています。これからの世界、ブラジル社会を考える時、もっと大きな視野に立ち物事を考え進めていくことが大切です。いろいろな面での交流が疎遠になっていく中、新しい日系社会を形成することが大切で、近年減少傾向にあります留学生、研修員制度の継続、明日を作る青少年の短期訪日交流なども県人会などと共に訴えていきたいと思います。また、県連では、郷土芸能、郷土食の祭典であるフェスティバル・ド・ジャポンを通じて、伝統ある郷土芸能を守って来られた方々、郷土に永く伝わり郷愁を呼ぶ郷土食をブラジルの地に残すことをこれからも深めて行きたいと思います。また県連が20年以上続けている「移民のふるさと巡り」も、以前行った事のある地域も含め、新しい交流を探したいと思います。今年も昨年同様よろしくお願い申し上げます。
ニッケイ新聞 2010年1月1日付け 受賞者の陰には、それを支えた無数の縁の下の力持ちがいる 毎年ブラジル国内でも何人かの受章者がある日本政府の叙勲。現在までにどれだけの日系人が勲章を受けたのか、調べてみると800人以上に上ることが分かった。102年分(1908年から2009年まで)の勲章―。コロニアで指導的な立場にあった人、日伯交流の推進者、教育、文化、スポーツなど様々な受章分野は、日系社会1世紀の軌跡と重なり合う。これらの勲章はまた、受章者個人だけでなく、ブラジル日系社会全体に贈られたものだと言えるだろう。2010年の新年を迎えるにあたり、これまでに判明した受章者一覧を掲載する。(編集部)(注=一覧表中の空欄は不明なもの) コロニアがまだ在伯同胞社会と呼ばれていた戦前の1933年、ともに現在「移民の父」と呼ばれる水野龍と上塚周平が勲章を受けた。ブラジル日本移民25周年の記念に行われたもので、在伯邦人としては初めての受章だった。その後、戦中・戦後の混乱期を経て再び在伯邦人への勲章授与が復活する。最初は57年、急逝した下元健吉コチア産組専務理事へ死後叙勲。移民50周年の58年には山本喜誉司文協初代会長、南米銀行の宮坂国人会長たちへ。そして現在までに、800人以上の一世、二世(外国人叙勲を含む)が勲章を授与された。 最多は北海道出身者 受章者を出身県別に見ると、最も多いのは北海道で53人。次いで移民大県の熊本(49人)、福岡(47人)、広島(43人)などが続く。福島(38人)、東京、長野(37人)、高知(31人)の出身者も多い。女性で初めて受章したのは、戦中戦後の邦人救援・福祉活動に尽力した渡邊トミ・マルガリーダさん(68年)。73年には「日伯料理と製菓の友」で有名な料理研究家の佐藤ハツエさんが受章している。女性の受章者は、全体の5%程度にあたる約40人。このほか、ブラジル生まれの二世が30人以上外国人叙勲を受けているのも伯国の特徴だろう。平田進元連邦下議、井上ゼルバジオ忠志・元コチア産業組合中央会理事長など、日伯交流、コロニアの発展に尽力した人たちの名が並んでいる。もちろん、ここに掲載した受章者の陰には、これらの人たちを支えた多くの関係者の存在があったことは言うまでもない。「皆でもらった勲章」――、授与式の場で受章者たちが話す感謝の言葉の通り、800余人の一世、二世たちが受けた勲章はまた、ブラジル日系社会1世紀の歩みを象徴している。◎各勲章の正式名称は次の通り。【旭三】勲三等旭日中綬章【旭四】勲四等旭日小綬章【旭五】勲五等双光旭日章【旭六】勲六等単光旭日章【旭小】旭日小綬章【旭双】旭日双光章【旭単】旭日単光章【瑞中】瑞宝中綬章【瑞小】瑞宝小綬章【瑞双】瑞宝双光章【瑞一】勲一等瑞宝章【瑞二】勲二等瑞宝章【瑞三】勲三等瑞宝章【瑞四】勲四等瑞宝章【瑞五】勲五等瑞宝章【瑞六】勲六等瑞宝章【宝五】勲五等宝冠章【宝六】勲六等宝冠章【紺綬】紺綬褒章【黄綬】黄綬褒章【藍綬】藍綬褒章◎【編集後記】ブラジル日系社会百年の歴史の中で、800人を超える日系人が日本政府から勲章を受けた。紙面の都合から非日系のブラジル人の受章者は掲載しなかったが、これを合わせれば1千人近くなるのではないか。日本国外でこれだけの受章者がいる国は少ないだろう。調査にあたっては国内の在外公館の協力に加え、コロニアで発行された記念誌等を参考にした。出身県の不明な人もあり、また、氏名の誤記や、弊紙が把握していない人もいるかもしれない。情報を持っている読者の皆さんの協力をお願いしたい。連絡はニッケイ新聞編集部(11・3208・3977、まつだ)まで。
ニッケイ新聞 2009年12月29日付け 移民2世紀目への第一歩を踏み出したブラジル日系社会。昨年の百周年に続き、今年はアマゾン移住80年という節目を迎えた。聖市では援協の社会福祉センターが落成。9月に50周年を祝ったノロエステ連合のように、各地のコロニアも新時代に向け歩み出している。一方で金融危機が在日ブラジル人におよぼした影響は深刻さを増し、今も出口は見えていない。今年も編集部が選んだ10大ニュースをお届けする。 第1位=アマゾン入植80周年=各地で関連行事を開催 アマゾンに日本人が最初の一歩を記した1929年のトメアスー初入植から今年で80周年を迎えることから、アマゾン各地で関連式典・行事が華やかに執り行われた。9月16日のトメアスー式典には、約600人が出席。移住事業を担った南米拓殖株式会社の創立に尽力した鐘淵紡績社長武藤山治氏の孫、武藤治太氏(71)も駆けつけ、「祖父が生きていたら、喜んだでしょう」と話した。18日にはベレンでアナ・ジュリア・カレパ州知事も出席した記念式典、20日にはマナウスでも関連行事が盛大に執り行われた。これらの式典には、皇太子殿下からの祝辞が寄せられ、島内憲大使が代読した。歌手の宮沢和史さんもギターを持って、祝いの歌声を響かせた。22日には、ジュート産業の担い手となった高拓生(日本高等拓植学校卒業生)が戦前に入植したヴィラ・アマゾニアでジュート開拓碑の除幕式、本拠地だった「八紘会館」再建に向けた定礎式も行われた。県連は恒例の「ふるさと巡り」でアマゾン慶祝団を結成、異例の211人に加え、9県人会長が参加、現地で共に節目を祝った。本紙は、第1回移民で現在もトメアスーに住む山田元さん(広島)を招き、講演会「トメアスーに生きる」を7月、文協貴賓室で開催。紙面でも記念企画「アマゾンを拓く」を長期連載するなど、アマゾン移住の歴史と今の声を追った。 第2位=デカセギが6万人帰国=経済危機の影響受け 昨年9月に顕在化した世界金融危機。真っ先にその波を受けた在日ブラジル人たちの苦境は、当初の予想をはるかに超え、まさに「崩壊」の様相を示した。派遣雇用を切られ住宅を失う人が出、雇用保険の受給期間も次々と切れる。親の失業により子弟はブラジル学校に通うことが難しくなり、生徒減少により閉校に追い込まれるところも出てきた。公立校への転校に備える政府主導の日本語教室はまだ始まったばかり。大人たちの再就職にも日本語能力が壁となり、現実は厳しい。一方、地域による食料支援が各地で行われている。日本で踏ん張りながら農業や介護など、新しい道を切り開こうとする人たちも出てくるなど、在日コミュニティと地域との関わり、ブラジル人自身の意識の変化など新たな兆しも見え始めた1年だった。法務省の統計によれば、昨年10月からの1年間で約6万5千人のブラジル人が帰伯したと見られる。年末までには7万人を超えているだろう。戦後移民の総数を軽々と上回る昨年来の人口移動。現在帰国している人たちの今後の動向とあわせ、来年も予想を超える状況が出てくるかもしれない。 第3位=帰国支援金が大波紋=1万4千人以上が受給 3月19日、自民・公明両党の新雇用対策プロジェクトチームが緊急雇用対策をまとめ、麻生太郎首相に提出した。「日系人就労準備研修事業」と合わせて、帰国旅費の援助として働いていた本人に30万円、家族に20万人を支給する「日系人離職者に対する帰国支援事業」を発表した。問題になったのは、支援を受けて帰国した人は「日系人の身分に基づく再入国は認めない」とされる点。本紙3月26日付け記者の眼コラム「帰ったらデカセギじゃない!?」を先駆けに、4月中には東京新聞、TBS、毎日新聞、愛媛新聞のほかNYタイムスからも「二度と再入国できない印象を与える」との批判を浴びた。静岡県浜松市の鈴木康友市長は「日系人として再入国できないのは問題だ」と同月の記者会見で意見をのべ、伯国のカルロス・ルッピ労働大臣が「施策の無効化」を求める公文書を送るまでに発展したのを受け、日本政府は5月11日に「再入国禁止期間を3年を目処にする」と発表をした。10月に来伯した厚生労働省外国人雇用対策課の山田雅彦課長によれば、申し込んだ南米日系人は10月2日現在で1万4329人にも上る。日本政府は「日系人の身分に基づく新たな入国管理のあり方について検討する」とも発表しており、世界同時不況を機に、デカセギ情勢は根本的変化を迎える可能性すら示唆されている。 第4位=援協創立50周年=福祉センター完成 サンパウロ日伯援護協会(森口イナシオ会長)が創立50周年を迎え、地上6階地下3階建て約6千平米の「社会福祉センター神内良一ビル」をリベルダーデ区のファグンデス街に堂々落成させた。総工費は1300万レアル以上。神内医療福祉基金と日伯友好病院からの出資を取り掛かりに、大々的に募金運動を展開し多くの反響を呼んだ。日系団体・個人、ブラジル社会、日本から寄せられた浄財は計186万1394レアル(12月17日現在)。世界不況に負けない移民101周年目の最大プロジェクトへと発展し、8月15日に記念式典と福祉センター落成式を挙行した。前身の「日本移民援護協会」創立から半世紀、現在は診療所や友好病院など九つの福祉施設を持つ援協。日系社会が必要とする福祉事業が時代とともに移り変わる中、来年2月を目処に開業する〃新生〃援協に寄せられる期待は大きい。 第5位=西村農工学校、歴史に幕=最後の卒業生送り出す 28年の歴史を誇った西村農工学校(ポンペイア市)が、11月28日に同校最後の卒業式を開催、卒業生25人が巣立っていった。同校は、1982年に西村技術財団の西村俊治理事長(99)が創立した3年間の全寮制を特色とする農業専門学校。日本式の厳格な教育方針を貫き、優秀な人材を輩出する実業校として全伯に知られた。26期にわたり、計843人の卒業生を送り出した。卒業生たちは、「3年間で得られる一番大きなものは友情」と声を揃える。閉校の知らせに、「思い出の学校がなくなり寂しい」という声が多く聞こえた。同校は、来年からFATEC(サンパウロ技術大学)マリリア校ポンペイアキャンパスとして使用される。同校の持つ設備を利用して機械工学科が開講され、今後も農業技術者の育成という役割を担っていく。俊治さんの息子ジョルジさんによれば、俊治さんは「ポンペイアに最高学府をつくるのが夢であり、州の大学として活用されることは喜ばしい」と期待を込めているそうだ。 第6位=5道県が創立式典開く=宮崎の東国原知事も来伯 県人会の式典は五つの道県が開催し、知事や副知事が来伯した。北海道協会は8月、道人ブラジル移住90周年の記念式典を開催、高橋はるみ知事をはじめとする慶祝使節団が来伯。同会の創立70周年、同センター建設10周年とあわせ、三つの節目を盛大に祝った。さらに同月、宮崎県人会は母県から元お笑いタレントの東国原英夫県知事など官民合わせ32人からなる慶祝団を招き、県人移住95周年、創立60周年の記念式典を行った。また、青森県人会は10月に創立55周年を祝して日本から蝦名武副知事をはじめ11人の訪問団招いて開催した。さらに11月、長野県人会が創立50周年式典を村井仁知事ら11人の慶祝団を迎え祝った。同月、和歌山県人会が創立55周年を記念して仁坂吉伸知事を迎え式典を開催し、公式訪問団11人、民間訪問団16人が駆けつけた。 第7位=文協選挙 木多氏が新会長に=涙飲んだ小川彰夫氏 ブラジル日本文化福祉協会(文協)の会長選挙が4月25日に行われ、木多喜八郎氏(シャッパ名「統合と進歩」)が6票の差をつけて、小川彰夫氏(シャッパ名「チェンジ文協」)を下し、新会長に就任した。3月の会員総会で行われた評議員(選挙権を持つ)選挙も盛り上がりを見せ、コロニア巷間で話題を呼んだ。本紙は、サンパウロ新聞との共催で、討論会「文協の将来を考える」を4月に開いた。木多会長は3期務めた上原体制を踏襲、全伯日系団体を繋ぐ「文協ネット」を改革に旗印に、全伯日系団体の代表を標榜しているが、百周年後の舵取り役として期待するコロニアの声には、事実上まだ答えていない。 第8位=コチア花嫁第1陣=金婚式迎える...
2009年日系社会回顧㊤ 文協会長選、阿波人形浄瑠璃公演 昨年の移民100周年記念事業に続いて、アマゾン移民80周年という節目の年を迎えた2009年。今年も各地でそれぞれにイベントが開催されるとともに、日系社会に関連する様々な出来事が起こった。 1月、日本経団連自然保護協議会植林視察団(大久保尚武団長)10人が、5日間にわたってブラジルとパラグアイを初訪問。聖州立チエテ・エコロジコ公園植林への資金援助を決定したことや、ラジル日本商工会議所関係者との意見交換、聖州森林院表敬訪問や聖州および聖市環境担当者と懇談し、同公園内で「経団連の森」と称した植林作業を行った。 2月、沖縄県人会(与儀昭雄会長)が200年以上前と見られる貴重な三線(サンシン)が、聖市内で埋もれていることを発見。その「お披露目式」が行われた。 同月、神奈川県人会(村田洋会長)の依頼で、母県関係者の協力により「21世紀を生き抜く為に」をテーマにした二宮金次郎(尊徳)像寄贈記念セミナーが開催。同県人会館で石像の除幕式も行われた。 3月、長崎県総会で、会の公金約4万レアルを横領着服した会計理事と06年当時の会長の責任について話し合われ、3か月の期間を区切った話し合いの上、県人会の要求に応じなければ刑事裁判も辞さない対応を行うことで意見をまとめた。 同月、アマゾン日本人移民80周年祭典委員会(生田勇治委員長)主催の記念事業の皮切りとなる「ミスニッケイ・汎アマゾニア09」大会が、ベレン市内のコンベンション・センター「HANGAR」で開催され、約1500人の観客が詰めかけた。 4月、沖縄県のエイサー太鼓の動きを取り入れた琉球国祭り太鼓(浦崎直秀会主)の創立10周年記念公演「島に戻(むどう)てぃ」が、聖市サンタナ区のアニェンビー・コンベンション・センターで開催され、会場がほぼ満員となる約2500人が来場した。 同月、全伯日系団体の代表を標榜する文協の会長選挙が行われ、体制派が推す木多喜八郎氏と、再生グループ・谷広海氏と連立を組んだ「チェンジ文協」の小川彰夫氏との一騎打ちとなり、公開討論会などを経た上での投票の結果、木多新会長が誕生した。 5月、徳島県の伝統芸能である「阿波人形浄瑠璃・平成座ブラジル公演」が、徳島県人会館で開催され、ブラジル初めての公演を成功させた。 同月、本紙主催のアマゾン日本人移民80周年を記念した「アマゾンを拓いた日本人、日系人―『緑の地獄』を楽園に変えた歴史を辿る―」写真展および「ブラジルへ渡った100人の女性の物語」単行本出版を記念した「日系女性100年の歴史―ブラジル100人の女性物語」写真展が聖市リベルダーデ区の文協ビル内貴賓室で開幕。同祭祭典委員長で汎アマゾニア日伯協会会長の生田勇治氏の「アマゾン移民の過去、現在、未来」講演も実施された。 6月、5月下旬に北米ラスベガスで行われた世界最大の総合格闘技イベント「UFC 」で、パラー州ベレン市出身の日系2世LYOTOがライトヘビー級で世界チャンピオンの座を獲得。ベレンの地元紙でも連日、大きく取り上げられ、「パラー州の英雄」として同地で凱旋パレードが行われた。(つづく) 2009年12月23日付
ニッケイ新聞 2009年12月25日付け 「かごしま国際交流フェスティバル」(財団法人鹿児島県国際交流協会主催)が去る11月22日、かごしま県民交流センターで開催され、ブラジル鹿児島県人会研修制度OB・OGの有島弥生さん、下松八重ひとみさんらが、ブラジルの魅力や移民の歴史などを幅広くアピールした。鹿児島ブラジル研修交流会が「ブラジルブース」を出展。元研修生のほかにも、県費留学・研修中の日系子弟、園田昭憲・県人会会長の日本在住の親戚、ボランティアが協力した。自分たちが撮影したブラジルの写真や移民についての資料展示、アサイーの実を使ってアクセサリーを作るコーナーを用意した。シュハスコ、ガラナ、スーコなどブラジル食を出す「バール・ブラジル」も大人気。カポエイラの実演もあった。今年3月に日本に帰国した元研修生の有島さんは、「小雨が降ったりで寒い中でしたが、楽しかった。仲間と一緒に紹介できて良かった、ブラジルに帰りたくなりました」と話していた。
ニッケイ新聞 2009年12月25日付け 在聖総領事館、ブラジル日本文化福祉協会、サンパウロ日伯援護協会、ブラジル日本都道府県人会連合会、ブラジル日本商工会議所、日伯文化連盟の6団体は1月1日午前10時から「2010年度新年祝賀会」をリベルダーデ区の文協大講堂(Rua Sao Joaquim, 381)で開催する。会では、文協合唱団のリードによる「1月1日」の歌を合唱、祝賀パーティなどが催される。問い合わせは同文協(電話=11・3208・1755)まで。
ニッケイ新聞 2009年12月23日付け ブラジル日本都道府県人会連合会(与儀昭雄会長)は17日午後、栃木県人会館で代表者会議を開いた。与儀会長は挨拶の中でフェスティバル・ド・ジャポン(日本祭り)やふるさと巡りについて触れ、「今年は厳しい運営になると心配していたが、予定通り進んだことは各県人会のおかげ」と感謝した。今年の第12回日本祭りについて与儀会長は、「スポンサーからの支払いが全て済み、来月には完全な収支報告を発表できる」と報告。来年の開催に関しては坂本アウグスト実行委員長が「大きなスポンサーはだいたい挨拶を終えた」と述べ、2月から本格的に話を進めていく考えを示した。園田昭憲副会長から県連案内パンフレットを作成する計画が発表された。活動内容の説明に加え、資料として残すのが目的。40~50ページでオールカラー、約50枚の写真、日ポ両語で毎年発行する予定。今回は移民百周年、1年の行事、訪問者紹介のほか、各県人会の会館や記念式典等の主要行事を掲載する予定で、2月末には仕上げたいという。出席者からは「サンプルを見たい」「県人会として補足説明をできる項目を作って欲しい」との意見があり、拍手で承認された。会議後、午後6時半から忘年会が開かれ、在聖総領事館やJICA、日系政治家、日系団体、県人会関係者など約200人が訪れた。与儀会長、鎌倉由明領事、森口イナシオ援協会長、飯星ワルテル、ウィリアン・ウー両下議らの挨拶の後、森口会長の音頭で乾杯。1年の労を労ってあちこちで話に花が咲き、大いに盛り上がりをみせた。8月に北海道人ブラジル移住90周年式典を行った北海道協会の木下利雄会長は、「知事からも喜ばれ、意義ある1年だった。来年は若い人を育て、次の百周年に向け頑張っていきたい」と感想を述べた。当日は県連から和順会、やすらぎホーム、こどものその、憩の園、希望の家の5団体に各1千レアルの寄付も行われ、与儀会長から各団体代表者に手渡された。
20日、岐阜県人会(山田彦次会長)で毎年恒例の餅つき忘年会が行われ、1世、2世の会員以外に、10代、20代の若者たちも10人近くが参加。率先して餅をついていた。その若者たちが話していたのが、日本文化を自分たちの世代でも積極的に継承していきたいという内容。日本語を巧みに話しながら、1世の高齢者たちとも良い雰囲気で打ち解けていたのが印象的だった。若きリーダーが育っていくことに期待。
ニッケイ新聞 2009年12月22日付け ブラジル岩手県人会(千田曠暁会長)は、13日午前11時から同県人会館で2009年度忘年会と第42回交流誕生会を開催し、約60人が歓談しながら今年を振り返った。岩手の地酒南部美人を片手に「県人会の雰囲気が良いね」と語るのは、宮城義晴さん(65)。東京都出身だが、同県人会の仲の良さが気に入り賛助会員になったそうだ。11月に旅行で来伯した松岡不二子さん(66、茨城)も賛助会員。県人会の温泉ツアーに飛び入り参加したそうで、「こんなに県人会の活動が盛んだったとは。居心地が良いです」と、すっかり溶け込んだ様子だ。岩手県子弟の妻野口ミサさん(、二世)と共に入会したという陳文財さん(76)は、台湾出身。会員歴は5年で「親切な会員たちは、共に愉快に楽しく過ごせる仲間」と話す。日本語の書籍を読むのが好きだという陳さんは、同県人会の図書室も頻繁に利用しているそうだ。9月から12月生まれの約15人の誕生日が祝われたほか、会員らが一緒になりビンゴやカラオケに興じた。今年同県人会では賛助会員が増えたほか、フェスティバル・ド・ジャポンで過去最高の売上を記録。ふるさと図書室の利用も増え、利用者は毎月平均200人以上に上るという。千田会長は、「今年も実りの多い年でした」と振り返り、「今後岩手の物産を南米に広げたい。東北の6県人会と北海道協会で合同物産展を実現できれば」と来年の目標を掲げた。
ニッケイ新聞 2009年12月22日付け ブラジル岐阜県人会(山田彦次会長)が2013年の県人移住100周年に向けて、新会館建築と同百年史編纂を掲げて動き出している。訪日した山田会長が9日に古田肇知事に面談するなどの呼びかけを行った結果、赤字の県が支出するのではなく、県民広くに募金を呼びかける「千葉県方式」で進めることになったという。この方式で千葉県人会は会館を完成させた。10年以上温められてきた新会館建設構想だが、今度こそ動き始めたようだ。 聖市ブエノ・デ・アンドラデ街にある同会館は、築100年以上で、あちこちが老朽化して雨漏りするなど、新会館建築が10年以上前から総会で決議され、念願となっていた。08年の県人移住95周年の折り、古田知事も来伯して同会館を視察しており、現状は認識されている。現在の構想では、500平米の土地に3階建て、1千平米の延べ床面積の会館を建築するもの。法律上、道路側を5メートル、脇片側を3メートル幅で空ける必要がある。総工費は約1億円を見積もっており、うち5千万円を母県側からの支援に頼りたいとしている。新年の総会まで「目算をたてたい」との考えにより、先月22日から3週間、山田会長は訪日して交渉に当たっていた。それによれば、知事からは「金はない」と釘を刺されたが、県内の経済団体に対し、応分の協力を呼びかける約束をしてくれたという。県国際課と相談した結果、県民に募金を呼びかける「千葉県方式」で進めることになり、現在、来年に向けて下準備をしている。今後、ブラジル岐阜県人移住100周年記念事業協賛会を立ち上げ、知事や県市長会会長らを顧問とし、経済関係団体に協力を依頼する予定だという。その上で、県民広くに募金を呼びかけていきたいとしている。山田会長は「ようやく目鼻がついた」と胸をなで下ろすも、「どこまで募金に協力が得られるか。実現はそれ次第」という。「我々としては、会館を使ってくれる若い世代、後継者問題にこれまで以上に焦点をあてて活動して行かなくては」と表情を引き締めた。20日に同会館で行われた餅つき兼忘年会には青年ら10人以上を含めた約40人が訪れ、交代で餅をつき、酒を酌み交わすなど活気のある様子を見せていた。餅のような粘り腰で新会館建築に取り組んできた同県人会だけに、「今度こそ」との声が聞かれた。
【福岡発・吉永拓哉福岡支局長】福岡県国際交流センター(麻生渡理事長)、福岡県海外移住家族会(武藤英治会長)の共催による『平成21年度県費留学生着物体験』が12日、福岡市内の友泉亭公園で行われた。この催しは、南米からの県費留学生たちに着物の着付けを体験させるもので、毎年この時季に実施されている。 今年はブラジルから平田エリス、砥綿アンナ、永島イラシ、秋岡シルビア、稲田アルミーさんの5人とペルー、ボリビアから2人が参加した。 友泉亭は喧騒な市中心地付近に所在するが、園内は静かな日本庭園となっており、250年前は黒田藩主の別館(別荘)として使われていた由来がある。 留学生たちは、園内本館で用意された15着の着物の中から好みの柄を選び、まゆの会(着物お助け隊)から着付けを教わりながら袖を通した。 午後2時半からはじまったお披露目会には、海外移住家族会の会員が多数出席し、晴れ着姿の留学生たちと茶会を楽しんだ。 同家族会の武藤会長はあいさつで、「まるで婿1人、花嫁6人を送り出している感じがする。みんな本当に着物がよく似合う」と嬉しそうに話した。 つづいて留学生たちがそれぞれ感想を述べた。 この日、はじめて紋付を羽織ったという北伯トメアスー移住地出身の稲田さん(24、九大農学部)は、「着物を着ているというよりも『日本』を着ている気分。ブラジルにいる祖父母に早く報告したい」。 サンパウロ市出身の秋岡さん(27、九大工学部)は「こんなに綺麗な着物が着れて、皆さんに感謝します」と日本語でお礼を述べた。 閉会後には、紅葉が美しい日本庭園を背景に記念撮影を行い、留学生たちは生き生きとした表情を見せていた。 写真:参加者らに着物体験の感想を語る県費留学生たち 2009年12月18日付
岐阜県人会(山田彦次会長)は、20日午前8時から同県人会館(聖市アクリマソン区ブエノ・デ・アンドラーデ街446番)で毎年恒例の忘年餅搗き大会を行う。 当日は、搗きあがった餅を1キロ11レアルで販売する。 同県人会では「一般の方も気軽にご来場ください」と参加を呼びかけている。 問い合わせは同県人会(電話11・3209・8073)まで。