ニッケイ新聞 2009年9月9日付け 移民五十周年式典に出席されるために一九五八年六月にご来伯された三笠宮殿下ご夫妻。その歓迎のために組織された連絡会がもとになり、一九五九年にリンスで総会が行われ、ノロエステ連合日伯文化協会が発足して今年で五十周年を迎えた。半世紀の節目を祝うために六日、アラサツーバ文協大講堂に三十支部から六百人以上が集まり、次世代への期待をのべ、〃移民のふるさと〃は新たなる躍進を誓った。 六日午前九時、ノロエステ本願寺と南米本願寺により、記念追悼法要が執り行われ、読経が響く中、厳かに焼香し、先人の遺徳を思い起こしながら全員が手を合わせた。五八年、三笠宮殿下ご夫妻はリンスをご訪問され、大変熱烈な歓迎を受けた。皇室初のご来伯にして、ノロエステにとって唯一の機会だった。これを機に日本人会が連絡を強め、地域として活動を盛り上げていくために連合が発足したのが翌五九年五月十七日、リンス市の青年会館だった。移民五十周年記念で実施された実態調査によれば、同地方全体では六千八百八十二家族、四万八千三百七十一人を数える大集団地だ。その後、本部を現在のアラサツーバに移転し、鉄道沿線四百余キロを四地区(各会長1A=佐藤風太郎、1B=佐道善郎、2=長谷川峰夫、3=本間重男)に分け、総会、農事研修会、盆踊りなどを毎年行っている。 午前十時からの記念式典では、最初に先亡者に一分間の追悼を捧げ、白石一資会長(74、二世)は「若い人に役をやってもらい、移民二百年に向けて頑張って欲しい」と挨拶し、アラサツーバ市のアパレシード・セリオ・ダ・シルバ市長は「日系団体の活躍は顕著、大変な価値のある連合会であり、市を代表して祝福したい」と慶祝の言葉をのべた。大部一秋在聖総領事は夫人同伴で参加し、「この地で法要に参加でき、感激している」とのべ、木多喜八郎文協会長の祝辞に続いて、飯星ワルテル伯日議連会長は「上塚周平をシンボルとするこの地も六世の時代を迎えようとしている。日系人の誇りを持って日伯の架け橋になり、がんばっていきたい」と語った。非日系のジョルジ・マルリ連邦下議も「カフェランジアで医師をしていた祖父の代から日系人との付き合いがある。カラオケ、運動会など一度も日系団体からの出席の誘いを断ったことがない」とし更なる協力を誓った。式典の後、飯星議連会長から、同地の功労者九十八人に議連名の感謝状が贈られ、さらに同連合から七十八人にも日ポ両語で書かれた感謝状が渡された。婦人会(宮田美智子会長)が腕を振るった記念昼食会をはさんで、午後は三十支部から約七十もの余興が披露され、和やかに一日を過ごし、午後八時に閉会式が行われ、夕食を食べて解散した。白石会長はニッケイ新聞の取材に答え、「アラサツーバには現在約二千家族の日系人がおり、うち八百家族が会員になっている。ノロエステ全体ならまだ四千家族いる。次代のリーダー育成が緊急の課題」と今後の抱負をのべた。日語モデル校の学務部長などを務めた森垣正利さん(86、兵庫県)は「感謝状を渡すのは励みになっていい」と誉めると同時に、「もっと日本語教育に力をいれて欲しい」と要望した。〇四年まで十八年間も連合会長を務めた五十嵐二郎さん(79、二世)は、「三十年前までは一世ばっかりでガンガンやられ、怖かったが良い勉強になった。あれから連合も大きく変わった。時代の流れでポ語が増えるのはしかたないが、日語教育もたゆまず続けて欲しい」との期待を語った。
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ニッケイ新聞 2009年9月9日付け 在伯群馬県人文化協会会館(サンジョアキン街526)で行われている群馬県カラオケ愛好会が会員を募集している。同愛好会は発足して約一年。第二、四金曜日の正午から午後四時まで、岩倉興志雄講師を迎え、練習をしている。誰でも参加することができ、会費は一回につき十レアル。自分が歌うテープやCDを持参する。同県人会では現在、空手、太鼓、日本語教室など様々な講座を設け活発に活動をしている。世話人の萩原建暁さんは「自分の歌を楽しく歌ってください」と呼びかけた。問い合わせは同県人会・萩原(電話=11・3341・8085)まで。
「弱小だけど何かが変えられるかも」 今年から、「アクションなくして結果無し」をテーマに掲げた埼玉県人会(飯島秀昭会長)は、活動の第一弾として、埼玉県所沢市で十月に行なわれる『所沢フェスティバル』に同県人会ブースを設置、同時に少年サッカー教室を開くなどし、母県に対する広報活動を行なう。同県人会は、三日午後六時から、同県人会事務局で月例会を実施。集まった七人の会員らは、「見ての通り弱小だけど、ここから何かが変えられるかも」と、三時間にわたり熱のこもった討議をしていた。 地元でサッカー教室 日伯友好議員連盟と連携深め 今回の企画は、埼玉県県議会議員六十五人で構成されている日伯友好議員連盟と同県人会の間で、「もう少し親密な関係を築く手立てはないか」と、討議したことがきっかけになり立ち上がった。飯島会長や尾崎眞次副会長が訪日時に県庁や市と三回にわたり協議し、実現の運びになったという。 月例会では、はじめに尾崎副会長が企画の概要を説明。ブラジル大使館と国際協力機構(JICA)横浜の全面協力で、ブラジル紹介のパネル設置や紹介ビデオの放映を行なう。また、コーヒー、果物ジュース、パステルなどの販売や特製パンフレットの配布もする。 さらに何といっても今回の目玉は少年サッカー教室で、元日本代表の岩本輝雄氏、エクアドル元プロの中川賀之氏を講師に迎えて同県内の小学五、六年生二百名を対象に開く。「ブラジルといえばサッカーという軽い気持ちで親しみをもってもらえれば」と、発案に至ったことなどが話された。 飯島会長は、「これからの県人会は母県に頼るばかりでなく、こちらからアクションを起こし、対等の立場で向き合えるような関係を築いていかなければ」と語り、「たとえ失敗に終っても次の世代へ繋げるきっかけにはなる」と、思いを込めていた。 根本信元前会長は、「将来的に県人会という枠組みが残る可能性は薄い。これをきっかけに他県の交流も活発になれば、日系社会の後世に絆を残せるのでは」と、強調していた。 柘植(つげ)教子婦人部長も、「このままの県人会ではもたないし、伸びていかない。石を投げてみるのも良いかも」と、笑みを浮かべていた。 同会ではこの他、準備委員長の尾崎副会長の訪日が承認され、同月行なわれる川越産業博覧会への出展も内定していることなどが報告された。また、母県への広報活動は来年以降も継続し、会員一人一人を実行委員として派遣することについても話し合われていた。 写真:「アクションなくして結果無し」と、力強く語る飯島会長
熊本市で公認観光案内ボランティアを行なっている吉村徹夫さんが、八月二十七日から初来伯し、約一週間の日程で滞在した。 吉村さんによると、昨年は熊本城築城四百年の節目の年を迎え、一般市民からの浄財十二億円を含む約四十五億円の費用をかけて、「本丸」を復元。「昨年一年間は、日本国内でも熊本への観光客が一番多かった」(吉村さん)という。 熊本市の観光ボランティアは現在、約七十人。吉村さんは、本職のNTT熊本に勤務する傍ら、休日などを利用して市の観光活性化を目的に奉仕活動を続けている。 職場の同僚で、同じく初来伯の高橋克典さんが、訪伯四十五回目という大ベテランの田所清克京都外国語大学教授の甥に当たることから、「一緒にブラジルに来ることができた」と語る吉村さん。「『こんにちは』ぐらいのポルトガル語は覚えて帰りたいです。熊本市の素晴らしさを今後も伝えていきたいと思っていますので、ブラジルからもぜひ、来ていただきたい」と呼びかけていた。 写真:田所教授(左)の案内で来社した吉村さん(右)と高橋さん
ブラジル北海道協会(木下利雄会長)では十三日午前十一時から午後三時まで、同協会婦人部「はまなす会」(水野誠子会長)による『ラーメンまつり』を開催する。 五百食用意するラーメンはしょうゆ味で、一杯十三レアル。ほかにもタコ、イカ、エビなどの海の幸が豊富な北海ちらし(十三レアル)や、いちご大福、あんみつなども販売する。 また十二、十三の両日午前十時からは『第二回北海道物産展』が催される。北海道から直送のカニ、たらこ、ホッケ、シシャモ、ワカメ、昆布など、普段は入手が難しい品の数々が販売される。 会場はいずれも北海道協会会館(聖市ビラ・マリアナ区ジョアキン・タボラ街六〇五番)。ラーメンの前売り券購入および問合せは同協会(電話11・5084・6422)まで。
沖縄県人会(与儀昭雄会長)はこのほど、協和婦人会(普天間俊子会長)の四十二年の活動を振り返る記念誌「協和婦人部のあゆみ」を発刊。その祝賀会が八月三十一日午後三時から同県人会館で行なわれ、婦人部関係者をはじめ、編集委員長の山城勇氏らが出席した。 一九六六年、現在の県人会の前身である「在伯沖縄協会」の企画・文化担当理事だった故・宮城松成氏の提案に基づき、婦人の生活向上を主な目的として創立された協和婦人会。各イベントでの食事づくり、各種演芸会参加やピクニックなどの活動も行ない、行事などで売上げた利益の一部を福祉団体や県人会に寄付するなど貢献してきた。 編集委員の宮城あきら氏によると、二〇〇六年には創立四十周年記念式典が開催され、同記念誌はその年に発刊される予定だった。しかし、移民百周年事業など多忙な状況が続き、編集委員会で各種資料を集めながらも、中断せざるを得ない状態が続いてきたという。 今年三月頃から改めて編集作業が行なわれ、七月に終了。八月にようやく出版にこぎつけた。 記念誌は、巻頭の「会員のあいことば」、「協和婦人会の会歌」をはじめ、創立四十周年記念式典や創立当初の活動など約四十ページ分におよぶ写真が使用。第一部の創立四十周年記念式典、第二部の「縁の下の力となって―協和婦人会のあゆみ」と大きく二部構成になっており、そのほかに文芸欄、追悼集や年表による婦人部の活動も記載されている。 特に第二部は、第二十七号まで続いたという同婦人部機関紙の「会報」の内容を抜粋しており、当時の記録が浮き彫りにされている。 普天間会長は祝賀会の席上、「編集委員の皆さんのお陰で立派な記念誌ができました。婦人会を作ってきたすべての先輩方と会員の人たちに感謝しております」とあいさつした。 山城編集委員長は、「最初に集めた資料の整理がつかないままに、移民百周年関連事業となったため、資料がこんがらがって仕事が困難となり責任を感じていたが、何とかできあがって良かった」と安堵の表情を見せていた。 写真:発刊された「協和婦人会のあゆみ」の表紙 写真:祝賀会で杯を掲げる婦人部の皆さん
ニッケイ新聞 2009年9月5日付け 日本人のブラジル移住に道を開き、『ブラジル移民の父』と呼ばれる高知県高岡郡佐川町出身の水野龍(1859~1951年)の三男、龍三郎さん(78)=パラナ州クリチーバ市在住=がこのほど高知県を訪れ、県庁に尾崎正直知事を表敬訪問した。龍三郎さんと龍三郎さんの娘、レジアネさん(31)=静岡県掛川市在住=らは同町で開かれる龍の生誕百五十年記念行事に招かれた。龍三郎さんは一九九七年から二年間、静岡県で働いたことがあるが、高知を訪れるのは初めて。「昨年の『ブラジル日本移民百周年』を機にたくさんの人と知り合い、皆さんのおかげで父の出身地に来られた。父も喜んでいると思う」と龍三郎さんが話すと、知事は昨年六月のブラジル訪問で龍の墓参りをした時のことを述懐。「苦労の後に地位を築いた日系人や県人を見た。(一歩を踏み出した)水野を知って高知の偉人の一人と気付かされた」と話した。(高知新聞提供)
ニッケイ新聞 2009年9月5日付け 大阪・サンパウロ姉妹都市提携四十周年記念代表団が三日午前に着聖、パカエンブーのサッカー資料館を見学した後、同所で聖市主催の歓迎式が開かれた。来伯したのは、岡田茂男大阪・サンパウロ姉妹都市協会副会長、木下吉信大阪市会議員ら公式代表団六人と市民交流団二十一人。聖市のアルフレッド・コタイチ・ネット国際局長ほか、飯星ワルテル、ウィリアン・ウー両下議ら約二十人が出席した。ネット局長は、二月に聖市代表団が大阪市を訪問した際に「温かい歓迎を受けた」と振り返り、「このような緊密な交流を続けていくことが大切」とあいさつ。大阪市の橋本寛樹・政策企画室都市外交担当部長は「当たり前のことをしただけ」と話し、「我々も温かく受け入れてもらい感激している。大阪市は北半球で一番歓迎の手厚い街、聖市は南半球で一番歓迎の手厚い街では」と述べ、会場を沸かせた。飯星ワルテル下議の乾杯の音頭で、賑やかに歓談が始まった。岡田副会長は、「大阪市と聖市は市民のラテン気質で結びついているのでは。伯国は遠くて近い国」と話し、「聖市の人にも成世昌平さん(音楽親善大使)の歌を聞き元気になってもらいたい」と期待を込めた。市民交流団として参加した米谷幸子さん(69、大阪府交野市)は初めての来伯。「イグアスの滝見学と(五日の)記念歌謡ショーを楽しみにして来ました」と話していた。
ニッケイ新聞 2009年9月5日付け 『ブラジル移住の父』と呼ばれる高知県高岡郡佐川町出身の水野龍(1859~1951年)の生誕百五十年記念事業がこのほど、同町甲の桜座で開かれ、約三百人がパネル討議などを通じ、ブラジルと日本を舞台に活躍した郷土の大先輩に思いをはせた。 企画が持ち上がったのは、高知県人中南米移住を取り上げた高知新聞連載「南へ」(昨年一月~今年三月)がきっかけ。連載の中で、ブラジル在住の水野の三男、龍三郎さん(78)と静岡県在住の龍三郎さんの娘、レジアネさん(31)が紹介され、町民有志が「ぜひ龍の故郷、佐川町を案内したい」と発案。今年四月から同町と実行委員会が準備を進め、二人の来町が実現した。同町に到着した二人は生家跡などの町内の水野ゆかりの場所を町の案内で訪問。自由民権運動に参加した水野が演説したとされる名刹「乗台寺」や一九六二年に水野の功績をたたえ建立された石碑などを巡った。桜座ではまず、生前の水野を知る老移民の生活を描いた記録映画「ブラジルの土に生きて」を上映。制作したブラジル在住の映像作家、岡村淳氏が講演。続くパネル討議では「水野龍とは何者か」がテーマ。パネリストは龍三郎さん、レジアネさん、岡村氏に加え、尾崎正直高知県知事、ブラジル移民を兄に持つ高知市議の吉永哲也氏、水野が創設した日本初の喫茶店「カフェーパウリスタ」の元社長、長谷川泰三氏、NHKプラネットチーフプロデューサーの中根健氏の七人。岡村氏は「移民たちやブラジルのために何ができるかを常に考えていた」と水野が貫いた「共存共栄」の志を強調。長谷川氏は「水野は日本のコーヒー文化の生みの親。『銀ブラ』は銀座のパウリスタに一杯五銭のブラジルコーヒーを飲みに行くことが語源」と紹介。各氏がそれぞれの分野から水野の残した功績や人柄を振り返り、水野の人物像に迫った。(高知新聞提供)
ブラジル宮城県人会(中沢宏一会長)で、五日と十九日の両日、恒例の青葉祭りが開催される。 第一土曜日の五日には天ぷらうどんを用意する。また第三土曜日の十九日には、秋刀魚定食、イカポッポ焼き、ソースイカ入り焼きそば、ずんだ餅、はらこ飯、きな粉餅などが用意されている。 日本国農林水産省主催の郷土料理百選選定委員会で宮城の郷土料理として選ばれた「はらこ飯」は、塩鮭の身をほぐし、ご飯の上にのせ、いくらを散らす一品。また、旬を迎えた青豆をふんだんに使った「ずんだ餅」も見逃せない。 当日は、武道医術の森山師範が小児喘息の患者に良く効くといわれる脊髄矯正治療を無料で実施する。 高橋幸衛(たかはしこうえい)家紋研究者による家紋の展示即売、岡崎幸雄氏が作ったこけしの販売、農協婦人部連合会(ADESC)の手作り製品と農家直送の有機野菜の即売など、盛り沢山の内容だ。 問い合わせは、同県人会(電話11・3209・3265)まで。
ニッケイ新聞 2009年9月3日付け 神武会ブラジル支部(フラビオ・ビセンテ・デ・ソウザ支部長)主催の「第二回沖縄空手古武道演武会」が八月三十日午後、聖市の沖縄県人会館で開催された。会場は約八百人の来場客で溢れ、立ち見も出る人気を見せた。同支部の演武会が開かれるのは、二〇〇七年以来二度目。開会式で与儀昭雄県人会長は、「このイベントを通し沖縄の豊かな文化と伝統を多くの人に知ってもらいたい。武道の普及や人情深い社会の形成に貢献できれば」とあいさつした。日本からの特別出演で参加した同支部と姉妹道場の沖縄空手道小林流・重礼館道場の石橋満雄館長(福岡、59)は、「ブラジル支部では、正しい伝統ある技や日本の武士道精神が伝えられている。琉球民謡や舞踊も良く習得されていて感心する」と述べた。フラビオ支部長は「武道は無限である」という題に常に知識を求め、体と心で実習する空手・古武道の修行は無限であるという意味を込めたと説明し、「沖縄の伝統的な武道をご覧いただきたい」とあいさつした。空手の型や分解(型の実用)、古武道の組技、棒術、杖術、古武道舞踊など迫力ある演武が披露された。琉球民謡や琉球舞踊、和太鼓ショーも盛り込まれ、計四十の演目が行われた。セメンテ・ド・フツロ古武道道場からは、初段の六歳からの子供たちが参加。元気ある発表に、会場から大きな声援がおこった。フラビオ支部長が率いる同支部のスピード感溢れる棒術や、力強いエーク舞に会場は圧倒された。石橋館長は、型二丁鎌の手・組技や松村のパッサイを披露。会場から大きな拍手が送られた。演武会の中で、マルコ・コスタさん、アンデルソン・トゥラジャノさん、ナタナエル・エウゲニオさんの三人に黒帯が授与された。フィナーレはカチャーシー、会場全員が立ち上がって踊りに加わり盛大に幕を閉じた。来場者には非日系人も多く、訪れたブラジル人の少年たちは迫力溢れる技に真剣に見入っていた。演武を見ながら、その技を真似する姿がみられた。休憩時間、演武会終了後には、石橋館長のもとにサインを求める子供たちが列を作った。自身も空手を習っているというレアンドロ・マルチンス君(18)は、「石橋先生の演武は良い刺激になった。舞踊や太鼓など日本文化を知る機会にもなった」と目を輝かせる。知人の応援に来ていた県人会の小波津フサコさん(沖縄県西原町)は、「前回よりも皆上手になっていて、見応えがあった」とその出来栄えに感激していた。二度目の来伯を果たし各道場で指導にあたった石橋館長は「伯国の生徒の熱心さに驚いた」と話し、「空手では礼儀や作法を学び、人間形成ができる。伯国の道場のさらなる発展を期待したい」と語った。フラビオ支部長は、「多くの人が集まってくれ嬉しい。沖縄空手道を理解してもらえたのでは」と喜びを表わしていた。
沖縄古武道神武会ブラジル支部(フラビオ・ビセンテ・デ・ソウザ支部長)は八月三十日午後三時から沖縄県人会(リベルダーデ区トマス・デ・リマ街七二番)で「第二回沖縄空手・古武道演武会」を開催した。 〇七年以来二度目となる同演武会では、同支部の生徒二百人とブラジル国内の空手道場の生徒らが参加し、凛とした演武を披露した。また、城間和枝琉舞道場、斉藤悟琉舞道場、和太鼓グループ喜楽も、日頃の鍛錬の成果を思う存分発揮した。 同武道会に参加するため来伯した石橋満雄さん(沖縄少林空手古武道重礼館道場館長)は、沖縄少林流空手協会教士八段、沖縄古武道連盟教士七段のスペシャリスト。フラビオ支部長と石橋さんとは旧知の仲だ。 受付のゲンカ・アパレシーダさんは「琉球王朝時代から連綿と続く沖縄の文化を体感してください」と語っていた。 会場に来ていたイタイン・パウリスタ聖市市役所支所の比嘉セルジオ監査課長は「沖縄の古武道の伝統や舞踊、ウチナーンチュによる民謡を堪能してほしいです」と話していた。 写真:沖縄空手古武道演武を披露する参加者
県連(与儀昭雄会長)の八月度代表者会議が、八月二十七日午後四時から聖市リベルダーデ区の文協ビル一階会議室で開かれ、第十二回日本祭りの中間報告(既報)以外に、第二十三回ゲートボール大会、十月の弁論大会やサントス上陸記念碑移転などについての報告が行なわれた。 八月二十三日に開かれた第二十三回ゲートボール大会には、十八県人会四十七チームが参加。「熊本2」チームが優勝した。 十月十八日午後一時から広島県人会館(聖市リベルダーデ区タマンダレー街八〇〇番)で行なわれる弁論大会は、ブラジル発展に尽力できる人材育成を目的としており、テーマは「私のまわりの日本文化」。対象年齢は、十五歳から三十五歳で男女、日系・非日系は問わない。出場者は二十五人ほどを考慮しており、 希望者は所定の申込み書と発表内容の原稿を添えて県連事務所に申し込むこと。締め切りは今月十日までだが、延長される可能性もある。 賞品は、一位=日本往復航空券、二位=フォス・ド・イグアスー往復券、三位=ポッソス・デ・カルダス往復券、四位=聖市内ホテル宿泊券、五位=シュラスカリア無料招待券。参加者全員に記念品が贈呈される。 そのほか、サントス市ボケイロン海岸に設置されている上陸記念碑が、カナル1にあるエミサリオ・スビマリーノ公園(プレジデンテ・ウィルソン通り)に移設されることになり、その移転記念式典が十月十八日午前十時から同公園で行なわれる。 実行委員長の坂本アウグスト栃木県人会長によると移設の理由は、従来の場所では駐車場もなく、あまり適していなかったという。 移設される場所は、昨年六月にご来伯された皇太子殿下の記念碑や大竹富江氏のモニュメントがあり、駐車場も完備され、サントス市からの協力要請を得て実現することになった。 当日は、サントス市が五十平米(10×5メートル)の特設舞台を設置し、記念式典とアトラクションが行なわれるほか、県連を通じて各県人会への郷土食出店の協力を求めている。 写真:移民像が取り除かれたサントス上陸記念碑=8月23日撮影
北海道人ブラジル移住九十周年記念式典が開催された八月三十日、午後七時から聖市リベルダーデ区のニッケイパレスホテルで高橋はるみ北海道知事主催の返礼会が行なわれ、道人および北海道協会(木下利雄会長)関係者ら約百人が出席した。 開会のあいさつで高橋知事は、九十周年記念式典開催準備に木下会長をはじめとする協会関係者への感謝の意を示し、「日本では政治が激変し、政権交代が決まった中で、北海道の立場としてどう発展していくのか、今後しんどい仕事が待っている」と表情を引き締めた。 引き続き、「おばんでございます」と道産子の方言であいさつに立った谷川弘一郎北海道市町村訪問団団長は、「北海道魂はむしろ、ブラジルにあると感じた」と賞賛し、若手の活躍に期待感を込めた。 伊藤義朗北海道商工会議所連合会名誉会頭、大部一秋在サンパウロ総領事のあいさつに続き、松田利民日伯協会会長が乾杯の音頭を取り、北海道とブラジルの新しい時代に向けた交流の大切さを説いた。 高橋知事は本紙のインタビューに答え、ブラジルの印象について「BRICsとして世界の中で最も発展している国との話題を聞いていたが、実際にサンパウロに来てみて若さと強さを感じた」と述べた。 また、今後のブラジルと北海道の関係について、「若い人同士の交流がもっとも重要になる」と説明。今年で北海道からの農業研修生制度が打ち切りになる可能性が大きいとの話には、「こちら(ブラジル)に来るまで、聞いておらず、状況を確認したい」とした上で、「行政同士の関係には限界があり、文化面や人的交流など民間を含めたノウハウを提供できる体制を整えるなど、しっかりやっていきたいと思っている」と答えた。 さらに、日本の与党が自民党から民主党に変わったことについて、「アメリカやカナダのように二大政党を有しながら交替してやっていくのか、元に戻るのかは日本の国民が決めていくこと。地方として、大きなマイナスが出ないように発言力を高めていきたい」と語った。 写真:返礼会であいさつする高橋はるみ知事
ニッケイ新聞 2009年9月3日付け 今月の宮城県人会「青葉祭り」(青葉健康生活協会主催、中沢宏一代表)は五日と十九日、午前七時から午後五時まで同会館(ファグンデス街152)で開催される。両日ともADESC(ブラジル農協婦人部連合会)が有機野菜や手作り加工食品などを販売。食事コーナーでは五日は天ぷらうどん、十九日は秋刀魚定食、イカポッポ焼き、ソースイカ入り焼きそば、ずんだ餅、はらこ飯など恒例のメニューが用意される。その他、森山雅和師範による小児ぜんそくの背骨矯正治療や、高橋幸衛家紋研究者による家紋の展示販売。また、先月から始めた糖尿病向け焼き饅頭の予約も受け付け、十九日の「青葉祭り」で販売される。問い合わせは同事務局(11・3209・3265)まで。
ニッケイ新聞 2009年9月3日付け 式典は4日、市役所で=大阪・サンパウロ姉妹提携40周年=東洋街で記念フェスティバル=大阪の味、観光をPR=式典は4日、市役所で=「みおつくしの鐘」寄贈も 大阪・サンパウロ姉妹都市提携四十周年を記念して、三日から様々な関連行事が実施される。大阪市からは市や議会、姉妹都市協会、市民交流団を中心に使節団が来伯。四日、サンパウロ市役所で記念式典が行なわれる。五日には文協大講堂で記念歌謡ショーが開催されるほか、五日から七日までリベルダーデで記念フェスティバルも開かれる。 大阪市からは橋本寛樹政策企画室都市外交部長はじめ、市議会から木下吉信市議、大阪・サンパウロ姉妹都市協会(吉川謹司会長)から岡田茂男副会長らが来伯。市民交流団(もず唱平団長)二十二人は三日に来伯する。使節団は計二十八人。四十周年の記念式典は四日午後三時半からサンパウロ市役所で開催される。聖市から大阪市へサンパウロ市旗、大阪市から聖市へ「みおつくしの鐘」が贈呈されるほか、市役所ロビーでは大阪市写真展も開催される予定。「リベルダーデ・フェスティバル」は五日から七日まで、リベルダーデ広場で開催。サンパウロ国際交流協会、大阪・サンパウロ姉妹都市協会、ACAL(リベルダーデ文化福祉協会)の主催で、午前十時から午後八時まで。開会式は五日の午前十時から。両市から代表団が出席し、大阪市から聖市へ贈られる平和と愛のシンボル「みおつくしの鐘」について説明が行なわれる予定。また、大阪出身の主人が経営する「レストラン淀」がお好み焼きと押し寿司を提供。舞台では日系だけでなく、東洋街らしく韓国・中国系のグループも出演する。また、六日午前十時から大阪PRブースが出展され、観光パンフレットや絵葉書やうちわなどを配布する。同じく六日午後一時から、大阪音楽親善大使の歌手・成世昌平さんがゲスト出演する予定だ。◎大阪市の訪問団一行は、三日に大阪なにわ会へ「大阪市旗」を贈呈。四日の四十周年式典に続き、五日はリベルダーデ・フェスティバルや記念歌謡ショー、午後七時から「市民交流の夕べ」に出席。六日は「第四回マナブ・マベ日伯近代美術館建設支援歌謡祭」(午後三時、ジャバクアラ文協)に参加する。一行は滞在中、チエテ環境公園で植樹を行なうほか、ブラジル日本商工会議所、サンパウロ工業連盟(FIESP)なども訪れる予定。
ニッケイ新聞 2009年9月2日付け 東洋街にキャンパスを持つ私立大学FMU(エデヴァルド・アルベス・ダ・シルバ学長)と、コレジオ・パウリスターノOB会は十九日午前十時からウリッセス・ギマランエス講堂(タグア街150番)で、原爆イチョウの植樹式を行う。現在FMUのキャンパスがある場所は、元々コレジオ・パウリスターノだった。その時代は生徒の三割が日系人だった縁で、OBの一人、広島県人会理事の平崎靖之さんが発起人となり、「意味のあることをやろう」と原爆イチョウを植えることを発案。シルバ学長が快諾したことから実施されることになった。来社した森陽一郎さん(眼科医)は同コレジオのOBだが、「三十五年後にFMUの法科に入学したので、同じ校舎の同じ部屋で二度学んだ」と笑う。「昔小さかった庭木が大きくなっていて感慨深いものがある」と振り返る。当日は、やはりOBのアデリコ・マチオーリ陸軍少将もブラジリアから駆けつける予定。広島県人会の大西博巳会長、長崎県人会の野口圭三会長も出席する。原爆イチョウを育ててきたのは中沢宏一さん(アチバイア市タンケ区)で、「一メートルぐらいに育ったのを三本提供します」という。平崎さんは「興味のある方はぜひいらして下さい」と呼びか
ニッケイ新聞 2009年9月2日付け 「日本にいないからこそ日本人の心を温めてきた移民の方々を思って歌いたい」。大阪・サンパウロ姉妹都市提携四十周年記念し、日本のメジャーから発売された初めてのブラジル移民の歌「みかえり富士」を披露すべく初来伯した、大阪市音楽親善大使の民謡歌手・成世昌平さん(58、広島)は八月三十一日に着聖、本紙を訪れ抱負を語った。「本当は昨年来たかったけど、でもどうしてもスケジュールが合わなかった。ついに来伯を実現できた」と成世さんは笑顔で話す。一九八五年に日本クラウンレコード専属契約、「はぐれコキリコ」などのヒット曲がある有名歌手だ。成世さんが特に力を込めるのはズバリ「みかえり富士」(日本クラウン)で、「みかえり仰ぐ富士の山 あの姿 鑑(かがみ)かな 日本の誉れというひとの ブラジル目指し 乗り込む移民船」という歌詞の本格的ブラジル移民の曲で、今年二月に発売されたばかり。さらに「ノスタルジア椎葉(しいば)」は、戦後日本で大ヒットした民謡「ひえつき節」の作詞者で、伯国に移民し聖州スザノ市で亡くなった故・酒井繁一氏を顕彰した曲。メジャーから発売された、特定の移民を顕彰した曲も初めてだ。成世さんら大阪市慶祝団が参加して行われる記念歌謡ショーと紅白歌合戦は、五日午後一時から文協大講堂(サンジョアキン街381)で開催される。聖市大阪姉妹都市協会(高木ラウル会長)、ブラジル日本アマチュア歌謡連盟(北川好美会長)が共催、読売新聞社、クラウンレコードが後援する。成世さん、作詞家のもず唱平さんが出演し、第一部「成世昌平ふるさと民謡巡り」、第二部「作詞家もず唱平大阪芸術大学教授特別講演」、第三部「成世昌平歌謡ショー」、第四部「日伯交流紅白歌合戦(両国から約三十人が出場)」などが行なわれる。第一部では各地の民謡を歌った後、会場からのリクエスト曲を歌う企画もあり、盛り上がりが期待できる。第三部では「はぐれコキリコ」はもちろん「貝殻恋唄」「逢えてよかった」などを披露。話題の「みかえり富士」は伯国初だ。また船村徹作品メドレーで「王将」や「矢切の渡し」「みだれ髪」も歌われる。成世さんは「皆さんに自分の歌を歌ってもらっているだけでも嬉しい」と話し、「大阪市からのプレゼントとして一生懸命歌います。皆さんに喜んでもらいたい」と期待を込めた。案内に訪れた成世さん、北川会長、北川彰久名誉会長、同連盟会員らは「この機会に、ぜひ移民の歌を聞きにきて下さい。一緒に一日音楽を楽しみましょう」と来場を呼びかけた。当日券三十レアル。問い合わせは、同連盟(電話=11・2275・8277)まで。前売り券(三十レ)の購入は、同連盟又はニッケイ新聞社(3208・3977)まで。
ニッケイ新聞 2009年9月2日付け 沖縄県人ブラジル移民百周年記念事業としてジアデマの沖縄文化センターで建設が進められてきた移民資料館の建物落成式が、五日午前十一時から同所で挙行される。実行委員会の松堂忠顕委員長(県人会第二副会長)、高安宏治さん(同第四副会長)が案内に来社した。母県から二千万円、県内市町村から一千万円、さらに沖縄ブラジル協会の西原篤一氏(在那覇ブラジル名誉領事)が中心となって集めた一千万円の協力を受けて進められている同事業。落成式には母県から西原氏が慶祝に訪れる。式典ではまた、昨年の県人移民百周年で金武町から贈られた記念石碑と、会の記念事業として建設した夫婦像「万国津梁の民」の除幕式も行なわれる。会場では沖縄太鼓の披露もあり、軽食も用意される。参加無料。このたび落成する資料館は半円型の一階建ての建物。屋根掛けも終わって外装工事はほぼ終了しており、落成式後、内部の展示を進めていく考えだ。展示品としては、移民が使用した道具や資料のほか、県人・県系人の名前のデータベースも設置する計画。また、あわせて位牌を安置する場を設けることも検討しているという。松堂さん、高安さんは「今のうちに集められるものを集めておきたい。県人会へ連絡してもらえれば取りにうかがいます」と話し、会員に対し展示品、資料の提供を呼びかけた。また、落成式前日の四日午後六時から県人会館(トマス・デ・リマ街72)で、西原氏の歓迎会が開催される。会費は百レアル。問い合わせは県人会(11・3106・8823)まで。
ニッケイ新聞 2009年9月2日付け 北海道人ブラジル移住九十周年の記念式典が八月三十日午前十時過ぎから、聖市の北海道交流センターで開かれ、国内各地から四百人以上が訪れた。北海道からは高橋はるみ知事をはじめとする慶祝使節団が来伯。同会の創立七十周年、同センター建設十周年とあわせ、三つの節目を盛大に祝った。 北海道人のブラジル移住は一九一八年、小笠原尚衛氏が一族五十数人とともに聖州奥ソロカバナのブレジョン植民地(現アルバレス・マッシャード)へ入植したことに始まる。その後戦前戦後を通じて約二万七千人が移住。現在の道人系人口は約十五万人とされる。北海道協会は一九三九年に聖市で発足。現在の会員は約八百家族で、聖市など国内八都市に支部がある。雲ひとつない快晴に恵まれた式典当日、サンパウロ、バストス、ロンドリーナ、ミナスなど各地から縁の人たちが参集した。北海道からの使節団は知事のほか、市町村訪問団(団長=谷川弘一郎・浦河町長)、伊藤芳朗・北海道商工会議所連合会名誉会頭、松田利民・北海道日伯協会長、北方圏センター代表など約四十人。ブラジル側からも、島内憲駐伯大使、大部一秋在聖総領事夫妻など日本政府関係者、ウィリアン・ウー、飯星ワルテル両連議はじめ日系政治家、与儀昭雄県連会長ら日系団体代表など多数の来賓が出席した。先亡者への黙祷、両国歌斉唱に続き、木下利雄会長は「北海道のフロンティア精神を子孫が受け継ぎ、社会の各界でブラジルへ貢献していることは大きな誇り」とあいさつ。同式典を「一世主体の最後の式典」と位置付け、今後も会を通じて後進育成が進むことに期待を表わした。あわせて、十周年を迎えた現センター建設当時に受けた道庁、関係者の支援に改めて感謝した。高橋知事は「移住一世、二世の不屈の開拓精神が子供たちの世代へ受け継がれていることを誇りに思う」と称え、同協会に対し「今後も北海道とブラジルの友好発展に尽力いただきたい」と述べた。連議、聖市議会などから知事、木下会長ら関係者へ感謝状、記念プレートを贈呈。知事から功労者三人(山田勇次さん、岡野脩平さん、佐藤泰司さん)と八十歳以上の高齢者百二十四人、北方圏センターから功労者二人(川南政雄さん、藤沢舟橋瑠璃子アンナさん)が表彰された。記念品の交換も行なわれた。功労賞受賞者を代表してあいさつした山田さんは、ミナス州ジャナイーバでバナナなど熱帯果実の栽培・販売を手広く手がける。「先人の血と汗と涙の上に私たち戦後移民の今がある」と感謝を表わし、「ブラジルの農業を私の力で少しでも良くしたい」と決意を新たにした。北海道が六四年から実施する道費留学、技術研修員(七七年から)制度。これまで南米から三百五十三人の子弟が先祖の故郷で学んできた。式典では六四年に第一回留学生として北海道大学工学部で学んだ吉井篤さん(70)と、〇八年度研修員の田尻えりかさんがそれぞれ挨拶し、感謝とともに、制度継続へ期待を表わした。最後に謝辞を述べた青年部「ひぐま会」の藤田エリオ会長は、「北海道の血を持って生まれたことは大きな誇り」と語り、「北海道人の勇気と勇敢さをもって夢を追いつづけていきたい」と宣言した。来賓一同で鏡割りを行なった後、知事、大部栄子総領事夫人、婦人部「はなます会」の水野誠子会長がそれぞれ、九十、七十、十周年のケーキをカット。祝賀昼食会をはさんで午後からは、サンバショーやヨサコイソーランで盛り上がり、その後も花柳龍千多さん、丹下セツ子さんの舞台、歌や三味線、民謡などが披露された。歌手の井上祐見さんも出演し、式典に花を添えた。ロンドリーナ市から訪れた沼田信一さん(91)は、今年で移住七十六年。「八十歳以上の人が表彰されて良かった。苦労は皆がしてきたから」と喜び、「式典が昔の事や、北海道の事を思い出す機会になれば」と話す。この日は小笠原尚衛氏とともに三歳でブレジョン植民地へ入植した小笠原直臣さん(94)も会場を訪れていた。十三歳で父親を亡くし、家長として二十歳まで一家を支えた植民地の思い出を振り返り、「印象的な式典でした」と話していた。
