07/03/2026

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ニッケイ新聞 2009年7月21日付け 今年のフェスティバルのテーマ「環境」にあわせ、三日間を通し様々な催しや企画が行われた。中でもブラジル・ニッポン移住者協会とオイスカ・ブラジル総局などが中心となり、パビリオン内の一角で植樹や環境保護への取り組みを紹介した。緑の羽根募金活動も行われ、「緑の募金」と書かれた箱に募金した参加者に緑の羽根が配られ、早速衣服の胸に付けている人もあった。ボランティアの若者ら六人は、募金箱片手に植樹や環境保護への理解を求めて会場内を歩き回っていた。移住者協会の小山昭朗会長は「二世、三世にも説明すれば理解してもらえる。非日系人は、一人が買うとみんな羽根を買ってくれます」と、初めての取り組みに手応えを感じているようだった。会長によれば、祭の最終日夕方ごろまでに約千六百本の羽根が理解ある人に配られたという。募金は同会の植樹活動に充てられる。会場の各所にダンボールで作った簡易ゴミ箱が設置された。ボランティアたちがゴミを片付ける姿も見られ、郷土食のバンカの周辺も比較的清潔に保たれていた。また、期間中、何度もゴミ箱が交換され、会場の裏手にあるゴミ収集所で係りの人が袋を一つ一つ開けて分別していた。パビリオン内のJICAブースでは、熱帯林の持続的な森林利用として期待されているアマゾンでのアグリフォレストリーの様子を映した写真が展示され、来場者の関心を呼んでいた。
ニッケイ新聞 2009年7月21日付け 日本祭二日目の十八日、午後六時から人気のミス・フェスティバルコンテストが会場内の舞台で行なわれ、大勢の観客が詰め掛けた。北はトメアスー、南はポルト・アレグレなど全伯各地から候補者二十一人が出場。出場者の応援団も座席の前方に陣取り、揃いのシャツと横断幕、笛などで熱の入った応援合戦を繰り広げた。山井ケンジさんが司会を務め、軽快な調子で進行。与儀会長や加藤実行委員長、〇八年度のミス日系、ミス・フェスティバルら十五人が審査員を務めた。二十一人の出場者が華麗な衣装で舞台に一斉に登場し、会場を盛り上げ。司会者により衣装やプロフィールが紹介された後、コンテストに移り、一人一人が漢字や竹など日本を思わせる柄の入った浴衣に赤い帯で登場。ステージの前方まで歩き、観客の前で浴衣を脱いで水着でアピールすると、会場からは大歓声が上がった。水着の次はドレスで登場、艶やかで華麗な衣装に身を包み日系美をアピールした。午後九時、二十一人全員のコンテストが終了した。夜遅くにも関わらず会場の熱は冷めず、司会者が呼びかけると応援団はさらに盛り上がりをみせ、移民百一周年のミス誕生を待ちわびていた。審査の結果、ミス・フェスティバルにはピラシカーバのラリッサ・ロマーニ・ミズヒラさん(19)が選ばれた。ニッケイ新聞の取材に対しミズヒラさんは「大学で演劇を学び、将来は女優になりたい」と夢を語った。プリメーラ・プリンセーザにはパラナ州クリチバのツアニ・エフィティン・ヤマグチさん(18)、セグンダ・プリンセーザにはマットグロッソ州クイアバのレジーナ・ニシタニさん(20)、ミス・シンパチアにはパラナ州ロンドリーナのヴィヴィアン・イワイさん(17)が選ばれた。 写真=(左から)ミスニッケイのミズヒラさん、ヤマグチさん、ニシタニさん、イワイさん
ニッケイ新聞 2009年7月21日付け いらっしゃい!――、売り子が声を張り上げる姿が会場のあちこちでみられた郷土食は、日本祭の目玉の一つ。今年は四十二県人会と福祉団体など六団体が趣向を凝らした様々な料理を提供した。「雨が降らず助かった」と杉本教雄会長が語る静岡県人会のバンカでは、タレの香りが香ばしい、炭火で焼き上げたうなぎの蒲焼が売られ、最終日の正午前後に五百食を完売した。また、茶処静岡ならではの、日本から直送された新茶葉を惜しげもなく使った緑茶も販売され、非日系人のグループが熱いお茶をすする姿も。北海道直送のニシンの塩焼きと、イカ焼きを販売していた北海道協会ではイカ千五百杯、ニシン一千尾を最終日の午後一時半には完売。木下利雄会長は疲れた顔を見せながらも、「みんなが手伝ってくれた」と満足気な様子。ひぐま会(青年部)会長の藤田高史エリオさん(29、二世)は、去年の反省を生かして、コンピューターで売るペースや売り子の配置を考えたという。「お客に見せながら作り、揚げたてが良かったのでは」と語るのは、エビがたっぷり入った天ぷらを出品した群馬県人会の内山住勝会長。三日間で二千五百枚を完売した。青年部長六年目の有賀マルセイロさん(三世)は「疲れるけど面白い」と語った。四、五日前から出汁をとるという、独特の風味と味わいのヤギ汁を提供したのは沖縄県人会。今年は初めて各支部の婦人会が交代で三日間の販売にあたり、県人会関係者などで屋台周辺はにぎわった。汁には山羊肉や皮、血のにこごりなどが入っており、ヨモギ、生姜などを入れて食べる。サンタマリア支部の玉城セイコ会長は「沖縄の一世はもちろん、ノルデステの人には羊を食べる習慣があり、好評でした」と語った。市内から訪れた仙台栄治さん(88、北海道)と屋嘉比康雄さん(85、沖縄)は、「ブラジル人に日本文化が浸透し、さらに百年先まで残ってほしい」と話した。
ブラジル日本文化福祉協会(木多喜八郎会長)は去る六月二十八日、文協記念大講堂で『白寿者表彰式』を行なった。今年の表彰者は三十人で、出席した五人と代理にはそれぞれ、表彰状と金一封が贈られた。 当日出席した五人は、車椅子や杖姿で、介添えを受けながらも、はつらつとした表情で舞台に立ち、会場からは温かい拍手が送られた。欠席の二十五人についても親族ら代理が出席し、慶祝モードに包まれた。 来賓として、在聖総領事館の鎌倉由明領事、飯星ワルテル、ウィリアム・ウーの両下議、羽藤ジョージ聖市議、千坂平通サンパウロ総領事館分室室長、内山直明・国際交流基金サンパウロ日本文化センター所長、清水オリジオ・レアル銀行専務、森口イナシオ援協会長、与儀昭雄県連会長らが列席。 木多会長は、「日本より遠く離れた伯国の発展に寄与され、子弟に注いだ心血が現在の日系社会の基盤をつくっている。益々お元気で」と祝いの言葉を述べた。 鎌倉領事は、「幾多の困難を乗り越えてきた」受賞者に敬意を表し、「皆さんの教育、育成があってこそ、今日の日系子弟の活躍がある。家族仲睦まじく、健康に過ごしてください」と、祝辞を寄せた。 表彰者を代表し、矢野若江さん(一〇〇、広島県出身)が、「早くに両親を亡くしたけれど、百年以上生きています。子ども達の成長も神様のおかげ、ありがとうございました」と、元気に挨拶していた。 表彰者は次のとおり。 ▽百一歳=藤井はな(千葉)、佐藤たけお(群馬)。▽百歳=河野アヤコ(愛媛)、小川トメノ(福岡)、矢野若江(広島)、田中マスエ(福岡)、大木みなえ(山形)、伊藤直久(北海道)、野田三蔵(熊本)、神谷清次(沖縄)、池田豊年(鹿児島)。▽九十九歳=中西チュウヤ(石川)、かみかわふさこ(広島)、右近いく子(兵庫)、松田いしえ(三重)、寺西伊登子(栃木)、藤マスミ(鹿児島)、松崎松蔵(福島)、小野リウ(石川)、平井静子(山梨)、西村俊治(京都)、簀戸進(愛媛)、中野タキノ(福岡)、池戸とみえ(岐阜)、井芹ツルコ(熊本)、花田頼子(広島)、加納要介(三重)、津野地精逸(山口)、杉森新(岡山)、半田長三郎(福島)。(敬省略)。
日本祭が十七日、開幕した。郷土食のバンカは準備中のところが大半。肝心のガスが通ったのは正午過ぎ。調理をしていた関係者に話を聞くと、「毎年のこと」とか。そのため、いち早く行列が出来ていたのは、手巻き寿司など火を使わない料理と、県人会自らでガスを用意していたところだったよう。
ニッケイ新聞 2009年7月18日付け 十九日まで聖市イミグランテス展示場で開催される「第十二回フェスティバル・ド・ジャポン(日本祭り)」で、サンパウロのセブラエ(小・零細企業サービス機関)が「ビジネスと機会の見本市」を実施する。会場は同展示場内の講堂(Auditorio)。期間中の講演(ポ語)は次の通り=ミルトン・フミオ・バンドウ「企業家主義~あなたにふさわしいビジネスへの道」(十八日午後三時)、ミルトン・フミオ・バンドウ「正しく始めよう~計画と分析」(十九日午後五時)、ジョアン・アブダラ・ネット「フランチャイズ~ビジネスの選択肢」(十八日午後五時、十九日午後三時)、「デカセギ起業プロジェクトの事例」(十八、十九日午後一時)。
ニッケイ新聞 2009年7月18日付け 旧神戸移住センターを改修・再整備して六月三日に開館した「神戸市立海外移住と文化の交流センター」への伯国側の募金活動に感謝するため、海外日系人会館協力委員会・西村正委員長(財団法人日伯協会理事長)が来伯し、十日午後二時からブラジル日本文化福祉協会貴賓室で報告を行った。募金運動を仲介したブラジル川崎重工の澁谷吉雄代表取締役社長、沢里嘉男副社長ほか、協力団体から木多喜八郎文協会長、与儀昭雄県連会長、上原幸啓百周年協会理事長、松尾治同執行委員長、尾西貞夫兵庫県人会長、文協の地方理事など約三十人が出席。西村委員長から、文協、県連、百周年記念協会、兵庫県人会へ感謝状が手渡された。旧移住センター再整備への募金は、昨年一月に来伯した西村委員長らが二千万円を目標にコロニアへ呼びかけていたもの。六月の開館までに計約千七百六十人、百十九団体から寄せられ、ブラジルからの寄付総額は三十万七千レアルに上ったことが報告された。西村委員長は、「みなさんの協力で募金目標を達成し、無事に開館できました」と各日系団体に感謝を表し、「日系の方々の熱い思いがやっとつながった」と会場と喜びを共有した。その後、委員長が移住者からの手紙を読み上げ、同センターへの思いを伝えた。あわせて同センターを紹介するDVD、NHK神戸がセンター開設を取り上げたニュースなども上映された。当時の同センターを日本の最後の宿として過ごしたという上原理事長は、「新たに開館したセンターには、ひとしお愛着と思い入れが強い」と話し、七十年前の自身の思い出を語った。また、「同センターを文協の日本の活動拠点とすることも将来視野に入れるべきではないか」と述べ、「移民の入口・出口として、同センターと文協が協力していければ」と強調した。
ニッケイ新聞 2009年7月18日付け 盗難に遭って長らく行方不明になっていた、岸信介元首相が北伯野球連盟に寄贈した優勝旗が、数奇な運命を辿ってようやく元の場所に戻っていたことが、ニッケイ新聞の調べで分かった。この優勝旗が発見されたのは昨年の暮れ頃、なんと聖州沿岸部サンビセンテ市の骨董市のフェイラだった。見るに見かねた戦後移住者の手で買いとられ、岐阜県人会に委託され、ブラジル野球連盟を通して、この度、奇しくもアマゾン移住八十周年を祝っている北伯に返還された。 実は、いつ岸元首相がこの優勝旗を北伯野球連盟に寄贈し、いつ盗難に遭ったのかすら分かっていない。というのも、北伯球連では「盗まれた」という話が知られていなかったからだ。つまり優勝旗は二旗存在する。聖市から送られたものは、七月十日に届いたばかり。この優勝旗を預かっていた岐阜県人会の山田彦次会長は、「サンビセンテの骨董市で売られているのをたまたま見つけた戦後移民が、『どうしてこんな大事なものが』と見るに見かねて買いあげ、うちに善処を依頼してきたんですよ」と説明する。「ブラジル野球連盟の大塚ジョルジ会長の代理が二週間前に取りにきたので渡したはいいが、その後、礼状どころか、なんの音沙汰もなかったんで、我々もどう発見者に報告したものかと弱っていたところでした」という。現パラー野球・ソフトボール連盟会長(旧北伯野球連盟)の影山アントニーノ会長は、本紙の下小薗昭仁通信員の質問に答え、「一世の野球関係の先輩や巷のうわさ話でも、優勝旗が盗まれた話は聞いてなかったです。送られてきた優勝旗を現在あるものと比較しても、最初はその違いを判読して説いてくれる人もなくて困りましたが、今は戻ってきた優勝旗が本物であると分かるので、だんだん喜びが膨らんできました」という。現在、サンタイザベル文化協会に保管されている二旗を比較すると明らかに異なる。今まで使用されてきた優勝旗は「北伯青年野球、元内閣総理大臣贈岸信介」とだけ記されているが、発見されたものは「北伯青年野球選手権大会、元日本国内閣総理大臣贈岸信介」とある。違いは素人目にも歴然としており、今までのものは墨での手書きでありコピー、今回発見されたものは錦糸の刺繍が施されており、見るからに本物のようだ。地元関係者によれば「盗まれた時点で、当時の野球連盟の役員が慌ててコピーを作成したようだが、残念ながら、文献もなく当時の関係者もほとんど鬼籍に入られていて、真相はつかめません」という。今後どのように活用するかという問いに対し、景山会長は「理事会に諮って最終的には決めますが、私としては現役に復帰させ、今まで果たせなかった優勝チームの感激を味わわせたい。二~三世層の時代になったパラーの野球界に新たな力を与えてほしいと思っています」と語った。そして「数奇な運命を経て戻って来るようご手配くださった方々には心から感謝しています。また、長い年月をどういう風に過ごしたのか知りたくなりました」と感謝の言葉をのべた。すぐに感謝状を発見者と県人会に贈るという。ブラジル野球連盟の沢里オリビオ副会長によれば、きちんとした優勝旗は「日本でないと作れない。安く見積もっても七千ドルから一万ドルはする。まして、元総理の、となれば、幾らするか分からない」とする。「事実、球連にも総理大臣寄贈の優勝旗はない。大変貴重なもの」とその価値の高さを強調した。
ニッケイ新聞 2009年7月18日付け 県連主催によるブラジル日系社会最大級の日本文化イベント「第十二回フェスティバル・ド・ジャポン(日本祭り)」が十七日正午、聖市のイミグランテス展示場で開幕した。好天に恵まれた初日。正午過ぎに会場を訪れると、郷土食のコーナーでは準備中のところが多い中、千葉県人会のバンカには手巻き寿司を求める長い列。二人の娘と来ていた四十代の女性(三世)は「今日はサーモンの手巻きと太巻きを買いにきました。娘が大好きなんです」と語った。毎年人気の弓場農場のバンカには、手作りの商品が所狭しと並ぶ。開店前から買いに来る人もあった。「甘味噌やかりんとう、それにゴイアバや花梅のジャムが人気です」と農場の皆さん。ジャムや煎餅、ざぼんなどの試食もあり、若者達もエプロン姿で声を張り上げていた。与儀昭雄県連会長は「各県人会、一所懸命に美味しいご馳走を作っています。みなさんで来て下さい」と来場を呼びかけた。十八日は正午から開会式、午後六時からミス・フェスティバル。土・日を通じて舞台では様々な芸能が披露される。会場はイミグランテス展示場(イミグランテス街道一・五キロ)。開催時間は十八日午前十時から午後九時、十九日は午前十時から午後六時。期間中、地下鉄ジャバクアラ駅出口の千葉県人会館前から随時会場への無料バスが出る。駅の各所でボランティアが立って案内している。入場料七レアル(八歳以下、六十五歳以上は無料)。駐車場二十レアル。
香川県人会(菅原農夫男パウロ会長)は四日、同県人会会館でフェスタ・ジュニーナを行なった。二十数年ぶりに開催した同フェスタは若者を県人会にひきつけるのが目的。百五十人が来場し、菅原会長が率先してクァドリーリャダンスを二回も踊るなど、大いに盛り上がった。 七夕の笹が何本も設置された会場では、短冊が配られ、来場者たちが思い思いの願いを書いた短冊をより高いところへと背伸びをして吊るす光景も見られた。 実行委員も来場者に負けない活気で、青年部はパステルや綿あめ、婦人部はおにぎり、壮年部はワインやケントンなどを振る舞ってサービスしていた。 副会長の高橋エルザさん(五八、二世)は、二十年以上ぶりの同フェスタに、「若い子から意見が出て開催した。他県の関係者も来てくれて良かった」。青年部長の生駒磨理さん(二二、二世)は、「青年部を中心に二週間で準備した。手間はかかったけど、楽しい、これこそブラジル」と、充実した表情で話していた。 来場した二十代の女性は、「若者の活気がすごかった。来年以降も続けて欲しい」と話し、楽しんでいる様子だった。 写真:陽気に踊る菅原会長ら 2009年7月15日付
コロニアのみなさんありがとう 海外移住と文化交流センター 日系の熱い思い通じる 西村日伯協会理事長が謝意 【既報関連】「足掛け十年の活動を支えてくれたのは、ブラジル日系社会の皆様の建物(センター)に対する熱い思いです」―。こう語るのは、今年六月三日に兵庫県神戸市で開所式が行なわれた「海外移住と文化の交流センター(旧神戸移住センター)」への寄付の返礼を目的に、今月三日から来伯していた(財)日伯協会の西村正理事長。十日午後二時から聖市リベルダーデ区の文協ビル二階貴賓室で、同理事長から日系団体関係者に対して感謝状と記念品が贈られ、日伯間のさらなる交流と多文化共生の拠点としての利用・協力を呼びかけた。 集まった浄財R$30万7千 ブラジルから199団体、約1760人の協力 感謝状贈呈式には、同センター協力委員会委員長も兼任する西村理事長をはじめ、澁谷吉雄ブラジル川崎重工社長、同沢里嘉男副社長、日系社会側から木多喜八郎文協会長、与儀昭雄県連会長、上原幸啓百周年記念協会理事長、尾西貞夫兵庫県人会会長らが出席した。 日系団体関係者への感謝状贈呈を前に、西村理事長が謝辞を述べ、新センター完成までの概略を説明した。 それにると同センターは一九二八年、「国立移民収容所」として開設。七一年までの四十三年間に約二十五万人の移民をブラジルをはじめとする南米に送り出している。 西村理事長の説明では、二〇〇〇年一月に神戸で移民船乗船記念碑委員会が発足。翌〇一年に記念碑が完成した同時期に、伯側日系団体からセンターを「歴史記念館として保存してほしい」との依頼があったという。 神戸側では、記念碑委員会を「国立海外日系人会館推進協議会」に名称を変更し、日本政府や外務省に保存の必要性と資金協力を働きかけたが、「横浜に同様の資料館がある」として当時は許可されなかった。 その後、日系社会で署名運動が展開。保存の嘆願書が神戸市と兵庫県に送られ、〇七年、国土交通省の「国づくり資金」の調達が可能となり、日本政府、神戸市と兵庫県の三者が建設費用を出すことが決定した。 昨年四月二十八日の神戸での移民百周年記念式典の席で、神戸市長が着工宣言を行ない、総工費六億七千万円をかけて完成。今年六月三日に新センターの開所式が行なわれたとのニュースが、神戸から発信されたことは記憶に新しい。 その間、西村理事長は〇八年一月に来伯して日系社会に対して、センター再整備・改修のための寄付金協力を呼びかけた。その結果、百九十九団体、約千七百六十人からの協力を得て、目標の三十万レアルを上回る三十万七千レアルの浄財が日系社会側から寄付された。 西村理事長は「センターの完成までには、足掛け約十年にわたって日本側で交渉してきましたが、その活動を支えていただいたのは、ブラジルの日系の方々の建物に対する熱い思いが通じたからです。今後のセンターの内容を充実させていきたいと思います」と、日系社会に対して感謝の意を示した。 会場では、同センター開所式のDVDが上映されたあと、西村理事長から地方文協を含めた各日系団体代表に感謝状と記念品が贈呈。上原理事長が日系社会を代表して謝辞を述べ、贈呈式を締めくくった。 写真:西村理事長(中央)から感謝状を贈られた日系団体代表たち 2009年7月14日付
新幹線完工を祝って 熊本県人会 慶祝使節団員を募集 熊本県人会(小山田祥雄会長)は二〇一一年四月、博多から八代までの新幹線工事が完工、青森県から、鹿児島県まで日本列島を一本に縦断する新幹線が完成するのを機会に、県人会慶祝使節団を送ろうと、このほど派遣慶祝使節団実行委員会(赤木数成委員長)を結成、団員の募集を始めた。 八日、小山田会長、赤木委員長が案内に来社、「新幹線開通の機会に使節団を送くることに決まった。これは母県との緊密な交流を図るとともに、次世代の若者たちに日伯の文化、産業、スポーツ、芸能などあらゆる分野で交流が途絶える事なく続くようにと願う思いもある。日本を経験することによって、理解を深めてもらえば両国にとって素晴らしいことだ。また、中南米各国の日系コロニアとの交流も重視して行きたいと思う。今回の使節団は、ただ熊本県人だけでなく多くの県人が一緒になってお祝いに訪日したい。特に若い人の参加を呼び掛けたい。休暇の予定、旅費の積み立てなどの準備もあると思うので早めに募集を始めた。ぜひ一人でも多く参加してほしい」と語っていた。 問い合わせは同県人会事務局(電話11・5084・1338)へ。 2009年7月14日付
県人集まって祝う ―南九州市誕生祝賀会― 川辺、知覧、頴娃3町村が合併 鹿児島県の最南端、薩摩半島の農村地帯に散在する川辺(かわなべ)、戦時中、特攻基地として有名な知覧、薩摩富士と愛称される開聞山の麓にある頴娃の三町村が合併して『南九州市』が誕生した。 ブラジルにも同三町村出身者がおり、新しい市の市民となったが、このほど、ピラルド・スール在住の川端幸一さんが発起人代表となり、同市で南九州市誕生祝賀会が開かれた。 これには園田昭憲鹿児島県人会会長はじめ、かじ畑副会長、小森、徳留、天達、川畑相談役、本村顧問、上和田財務理事、西村渉外理事、徳島婦人部長、阿部婦人会前会長ら二十数人がサンパウロから出席して祝してくれた。 祝賀会は会員の一品持ち寄りで賑やかに食卓を飾り、和気あいあいの歓談で、南九州市の前途の発展を祈った。 鹿児島県人会は何事に付けても仲間が集まり、喜び合い、祝い合い、共に助け合う、互助精神が強い県人魂を持っているのが嬉しい。 隼人会、枕崎会、坊の津町会などの後援を惜しみ無くしてくれる県人会は頼りになるので有り難い。 写真:南九州市誕生祝賀会に集まった皆さん(望月二郎氏提供) 2009年7月14日付
ニッケイ新聞 2009年7月17日付け ブラジル日系老人クラブ連合会(重岡康人会長)は「第十二回フェスティバル・ド・ジャポン」期間中の十八、十九両日、毎年評判の味噌や福神漬け、中華おこわ、塩漬けたけのこ、干し柿などを販売する。こけしやマスコットなどの民芸品も一緒に販売する。同会では「食べ物は会員が作った手作りです。美味しいので、ぜひお越しください」と来場を呼びかけている。老ク連のバンカは展示会場内。問い合わせは同連合会(電話=11・3209・5935)まで。
ニッケイ新聞 2009年7月17日付け 「環境」をテーマにした第十二回フェスティバル・ド・ジャポン(日本祭)が十七日に始まるのに先立ち、十四日、主催の県連(与儀昭雄会長)、ブラジル・ニッポン移住者協会(小山昭朗会長)、オイスカ・ブラジル総局(高木ラウル会長)ら関係者百人が中心となり、聖州立チエテ・エコロジコ公園内の「日伯・友情の森」内で一千本の植樹を行った。この森は「ブラジル県連の森」と名付けられた。▽   ▽植樹会には、県連から与儀会長、山田康夫、園田昭憲両副会長など代理を含め十県人会長、会員らを合わせ計二十人。移住者協会からは小山会長、金谷義弘副会長、河村武夫理事ら計三十人、オイスカからは高木会長、花田ルイス副会長ら計十人、一般の参加者も多数参加した。また、羽藤ジョージ聖市議、シド・オット・コプロウスキ同公園所長らの姿もみえた。公園内には、二カ所に分けて一千本の苗木が用意されていた。小山会長がまず手本を見せ、参加者は鍬やショベルを使って土を掘り、苗木を丁寧に植えていた。植えられた苗木はアロエイラ・ピメンテイラ、イペー・ローザ、パウ・ヴィオラなど四十四種類。小山会長は「祭りが始まる前に実施できたことが大切。環境を意識するきっかけになれば」と同地内を走り回っていた。与儀県連会長は「戦前移民だった父は、物を作るために木を切り、森を開いてきた。今日はその恩返しもできた。県連も出来ることは協力したい」と感想を語った。参加者の一人で、移住者協会主催の植樹会に何回も参加している中村スミさん(鹿児島)は、「天気が良くて気持ちが良い。今日は二十本ほど植えました」と声を弾ませていた。その後一行は移動し、公園内にある苗木を作る施設を見学。施設内は遮光ネットで囲まれ、苗齢も種類も様々な苗が栽培されており、参加者は興味深そうに見ていた。同施設は移住者協会とオイスカなどが、聖州政府から四年契約で借りている。〇七年以降、七万本の完成苗木を作り、一万五千本が生育中。他の機関からの寄付も合わせ、現在十三万本の苗木を確保したという。同施設には移住者協会専門の職員五人が働いており、苗を栽培している。一行はその後、公園内の一角でシュラスコパーティを催し、親睦を深めた。
ニッケイ新聞 2009年7月16日付け 「アマゾン80周年を盛り上げたい」―。アマゾン入植80周年記念式典のアピールのために、トメアスーから佐々木ジェトゥーリオさん(写真、トメアスー文化農業振興協会財務理事)が現在、出聖中だ。農協のトロピカルなアマゾン産物を持参。今週末の県連「日本祭り」で、黒・白胡椒、クプアスーやゴイアバ、マラクジャのジャムを販売する予定だ。12日に開催された援協チャリティーショーの会場でも販売し、珍しいアサイーの実やクプアスーが人目を引いていた。売上金を9月式典へ充てるために、「ちょっとでも宣伝しないとね」と佐々木さん。現在、同農協の組合員は135人で95%が日系人。主力産物は、世界的ブームのアサイー絞り汁。年間3千トン生産し、5割をアメリカや日本に輸出している。また自然志向の化粧品会社に、クプアスーの油などの出荷を始めたそうだ。式典まであと2カ月を切った。「ちょうど金融危機で悪い時期にあたってしまった。だけどできる範囲で式典を盛り上げたい。皆さん協力お願いします」と呼びかけている。 (親)
ニッケイ新聞 2009年7月15日付け 冬の風物詩「第三十一回サンパウロリベルダーデ仙台七夕祭り」(ブラジル宮城県人会、リベルダーデ文化福祉協会=ACAL共催)が十一、十二両日、リベルダーデ広場で開催された。初日は雨のために延期することも検討されていたものの決行。二日目の午前五時早朝には約七十本の七夕飾りが取り付けられ、雨雲の去った青空の下、来場者の見る目を鮮やかに楽しませた。主催者によれば二日間で六万人が来場した。 雨が降りしきる中、初日午後二時過ぎに、広場に設けた特設舞台で開会式が行われた。飯星ワルテル、ウィリアン・ウー両下議、ロメオ・トゥーマ上議、神谷牛太郎聖市議、木多喜八郎文協会長、与儀昭雄県連会長、菊池義治援協副会長、後藤猛領事ら多数の来賓が出席のもと、神式セレモニーが行われた。予定されていた広場での催しは中止されたものの、傘を片手にヤキソバや天ぷら、手巻き寿司などを食べながら祭りを楽しむ人、雨の中短冊を買う人もいた。穏やかな冬晴れとなった二日目は、七夕飾りがリベルダーデ一帯を色とりどりに飾り、歩行者天国となったガルボン・ブエノ、エスツダンテ街は人で埋め尽くされた。ボランティアによって作られた七夕飾りは、アニメや鶴、リサイクルごみ箱をかたどったものなど趣向豊か。あちこちで写真撮影や短冊を竹にくくりつける姿が見られ、大阪橋上の日本食屋台には長い行列ができた。特設舞台では沖縄太鼓、空手のデモンストレーション、ガイジン戦隊や歌手平田ジョーさんのショーが行われ盛り上がりを見せていた。浴衣姿で訪れた姉妹の見世リリアン(31)、クリスチアーネさん(26)は、「祭りに来ると日本へのサウダージもふっきれる。雰囲気が日本の祭りみたいで大好き」とはしゃいだ様子。「健康と幸せを願いに毎年参加してますよ」と話す古賀みつえさん(81)は、「願いがかなうといいですね」と笑顔を見せながら、竹に短冊をくくりつけていた。実行委員長の中沢宏一宮城県人会会長は、「雨が降ったおかげで日系社会とブラジル社会の温かい協力を改めて感じた。ブラジルの七夕発祥の地として今後も協力してやっていきたい」と意気込みをみせた。池崎博文ACAL会長は、「初日の雨は地ならしだったんでしょうね。多くの人が訪れて喜んでくれて嬉しい七夕祭りになった」と話していた。なお、祭りで募集した俳句・短歌・ハイカイは選者の選考後、邦字紙などで入選者発表、二十四日に表彰式が行われる。恒例の「短冊炊き上げ祭り」は八月二十三日にアチバイア市の中沢教育スポーツセンターで開催予定。
ニッケイ新聞 2009年7月17日付け 県連主催の第十二回フェスティバル・ド・ジャポン(日本祭り)がきょう十七日から三日間、聖市のイミグランテス展示場で開催される。フェスティバルの楽しみと言えば、各県人会が趣向を凝らした郷土食。その一つ、長野県人会が長年提供している「野沢菜漬け」の漬け込み作業が十三日、ビリチバ・ミリン市の北澤重喜会長の農場で行なわれた。種を蒔いてから刈り取りまで二カ月。十人あまりで三百六十キロを漬ける、なかなかの重労働だ。 作業当日、聖市は早朝から濃い霧の中。午前七時過ぎ、県人会相談役の石井賢治さんと共にモジ・ダス・クルーゼスへと出発した。車で約一時間、モジ市のコクエラ日本人会館で県人会モジ支部長の山口正邦さん、相談役の矢崎逸郎さん、婦人部の皆さんと合流して、北澤会長の農場へと向かう。北澤会長と元モジ支部長の小宮山佐一さんが待っており、準備万端。朝のカフェを済ませ、早速作業へ移った。長野県人会では一九九八年の第一回郷土食・郷土芸能フェスティバル(日本祭りの前身)から野沢菜漬けを販売している。当時の婦人部長だった土橋敏恵さんは、研究のため産地の長野県野沢温泉村も訪れたという。開始当初から栽培は北澤会長の農場。近年はイタクアケセツーバの県人農場で作業を行なってきたが、今年から北澤氏が本部会長に就任したこともあり、三年ぶりにビリチバ・ミリンでの作業となった。野沢菜の種は北澤会長が長野県から持ってきたものだ。農場内の一〇×三〇メートルほどの面積に、約一メートルの野沢菜がびっしりと成長している。六十日を過ぎると固くなってしまうため、フェスティバルにあわせて栽培してきた。畑のほか水耕栽培なども手がけ、聖市の大手スーパーやモジ市内各所に葉野菜を卸している北澤会長。「休みはナタルと元旦くらい」というが、その一方で、「期間が限られているし、野沢菜の方が神経を使いますよ」とも話す。昨年は六百グラム×一千袋分を用意した。今年は六百袋分、三百六十キロ。収穫され箱に入った野沢菜を、土橋さん、有賀春子さん、指宿君江さん、矢崎幹子さんら婦人部の皆さん、北澤会長の家族らが水洗いしていく。土を落とし、別なたらいでゆすぐ二度洗いの後、漬け込みへ。小宮山さん、北澤会長らが、茎が折れないように容器に詰め、岩塩をふって上から重石を乗せた。以前はモジ支部の会員たちが参加していたが、高齢化もあって、「なかなか集まらなくなりましたね」と小宮山さん。「期間が限られているし、手入れもある。植える人には責任があるから大変です。北澤さんが植えているからできるんですよ」と話す。「会員が高齢になって、人を集めるのが大変。どこの県でもそうじゃないかな」――。イタクアケセツーバでも手伝ったという指宿さん。水洗いの手を休めずにそう話しながらも、「野沢菜を知らないブラジル人でも、味見して買っていく人もいるんですよ」と嬉しそうな様子を見せていた。朝の九時前から始め、昼食をはさんで作業が終わったのは午後二時半。二日ほど漬けた後に水分を絞り、少々の砂糖やピンガなどで味をつけ、十七日からフェスティバルの県人会バンカに並ぶ。
ニッケイ新聞 2009年7月15日付け 熊本県人会(小山田祥雄会長)は先月の理事会で、「九州新幹線開通慶祝訪問団」の実行委員会を結成した。二〇一一年四月頃に開通する九州新幹線鹿児島ルートの全線開通式典に訪問することを目的とし、今から参加者を募っている。七日に来社した小山田会長、赤木数政実行委員長に意気込みを聞いた。「目標は百人」と話す小山田会長。〇七年の熊本城築城四百年祭にブラジルから八十人で訪問し祝った。「そうしたら昨年の県人移民百周年・県人会創立五十周年の際に、なんと百四十人が母県から来てくれた。だから今度は百人くらいで訪問しないと」と笑う。「人と人との交流が第一」という会長の信念のもと、実行委員会が結成された。新幹線開通を盛り上げエールを送り、「なるべく若い人を連れて行って、将来にかけて母国との繋がりのきっかけを作りたい」と赤木実行委員長は意気込む。訪問日程や費用などの詳細は決まっていないが、式典参加や母県との交流を予定。これを機に「ゲートボールや農業研修交換を提案する」としている。同県人でなくても参加可能で、二人は「新幹線に興味のある人、孫と一緒に、またこの頃に日本に行く予定のある人、誰でも参加して」と呼びかけている。詳細・問い合わせは同県人会(11・5084・1338)。
ニッケイ新聞 2009年7月15日付け 今年のアマゾン日本人入植八十周年を記念し、ニッケイ新聞社(高木ラウル社長)は、第一回アマゾン移民として、一九二九年にトメアスー(旧アカラー)移住地に入植した山田元さん(82、広島県出身)による講演会『トメアスーに生きる』を二十日午後六時半から、文協ビル貴賓室で開く。入場無料。広島県人会との共催。ベレン総領事館、ブラジル日本文化福祉協会、サンパウロ日伯援護協会、ブラジル日本都道府県人会連合会、サンパウロ人文科学研究所、ブラジル・ニッポン移住者協会、コチア青年連絡協議会、ブラジルを知る会後援、レアル銀行協賛。 アマゾンへの日本人入植の歴史は、一九二九年九月二十二日、トメアスー移住地に到着した四十二家族百八十九人から始まる。入植当時、山田氏は二歳。両親の義一、スエノ、姉三江(7)の四人で渡伯した。マラリアが蔓延する苦闘の開拓生活を送り、敵性国民とされた戦争を乗り越え、戦後の「黒いダイヤ」と言われたピメンタ景気を経験している。 七、八〇年代には、トメアスー総合農業協同組合の理事長として生産・普及・輸出に携わり、六九年から三年間、市議も務め、トメアスーの発展に尽くした。第一回移民で健在なのは、わずか二人。そのなかで入植当時の場所に現在も住むのは、元さんのみとなっている。戦後のピメンタ景気を迎えるまでの一家の苦闘の歴史は、ノンフィクション作家角田房子の作品『アマゾンの歌~日本人の記録』(一九六六年に毎日新聞社から出版、後に中央公論社が文庫化)に詳しい。なお、七九年にフジテレビ開局二十周年を記念し、仲代達矢主演でドラマ化されている。このドラマの一部も講演会で上映される予定だ。なお、講演会後に行なわれるカクテルパーティーは「ブラジルを知る会」(清水裕美代表)が料理を担当、トメアスー総合農業協同組合の提供でクプアスーのバチーダが振舞われる。会場では、同農協がアサイーのジャム、Tシャツ、ピメンタなどを販売、収益は九月に開催される記念式典の運営費に充てられる。講演会に関するお問い合わせはニッケイ新聞社(11・3208・3977、堀江)まで。